カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・ル ピュイ アン ヴレ(その2)

2013-07-20 | フランス(オーヴェルニュ)
ル ピュイ アン ヴレの街を見下ろすコルネイユ山頂上に立つ「聖母子像(ノートルダム・ド・フランス像)」の見学を終え、すぐそばの司教オーギュスト・ド・モルロン像の後ろから南東方面を見渡すと、十字架の立つ岩の向こうに「ル ピュイ アン ヴレ駅」が望める。
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駅前に広がる駐車場も見え、その右側に続く緑に沿って視線を移していくと、幹線道路(N102号線)との丁字路や昨夜宿泊したオレンジ色の外観の「ホテル・イビス(Ibis)」も確認できる。

しばらくル ピュイ アン ヴレ(以下:ル ピュイと言う)の景観を堪能し、吹き抜ける風に身を預けた後、下山することにした。下るごとに「ル ピュイ大聖堂(ノートルダム・ド・アノンシアション大聖堂)」の鐘楼が近くに迫ってくる。鐘楼は高さ56メートル、7層から成り立ち、4つの鐘(17世紀には12個)が設置されている。ところで鐘楼が宗教的な機能を持つことはもちろんだが、こちらの鐘楼は、中世において塔の上部に監視員を配置し一帯を監視する軍事的な機能もあった。
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下りは早く、あっと言う間に、下りてきた。すぐ左側の古びた外壁には、巡礼者向けの宿泊施設でもあるカトリック教会(グラン・セミネール)の扉口があるが、硬く閉ざされている。右側手前が教区教会で、その先隣がペニタン礼拝堂と、このエリアはル ピュイの中でも古い歴史を持ち、狭い通路が入り組んだ中に小さな教会や歴史的記念物などが数多く建っている。
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階段を下りて北袖廊と後陣との間にある大聖堂の扉口まで戻る。右側が12世紀に制作された扉口で、扉の鉄製装飾に加え、リンテルの「最後の晩餐」、タンパンの「栄光のキリスト」との装飾が見所だが、フランス革命時に顔が破壊され輪郭しか残っていない。
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そこから左折して、左側の獅子像(左右に設置)が護る「聖ヨハネ洗礼堂」(歴史的記念物、1840年指定)の扉口と、右側の大聖堂の鐘楼との間を歩いて行く。そのすぐ前方には、山頂からも見えた鮮やかな色合いの双塔が聳える「サン・ジョルジュ礼拝堂」(歴史的記念物、1949年指定)(現:神学校の礼拝堂)のファサードが現れる。塔の表面には、小さな彩色タイルが組み合わさり、ブルゴーニュ地方などで見られるモザイク屋根に似ている。
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サン・ジョルジュ礼拝堂は11世紀に建てられ1749年に再建されたもの(身廊は1710年再建)で、ファサードには、コリント式の柱で支えられたペディメントを持つポータル(扉口)を中心に、左右中央にニッチ(壁龕)が、更に外側に装飾柱が施されている。こちらの敷地内にも、巡礼者向けの宿泊施設があるが、礼拝堂の扉は固く閉ざされている。

ファサード前から、通りは大きく右に曲がり、突き当りの丁字路正面に建つ礼拝堂前まで、急な下り坂になる。その突き当りに建つクラシック・スタイルの礼拝堂は1862年にアン・マリー・マーテル(修道女)らにより、若い女性に対して宗教的な教育を行う目的で設立されたもので、特に、レース編み、看護、社会奉仕活動などに重点が置かれた。現在は、リセ(日本の高等学校に相当)の一部になっている。


ファサードの壁面には、レースが飾られている。ル ピュイはレースの町としても有名で、特に、繊細なデザインで上質のものが多く、街には多くのレース・ショップがある(向かい側にもショップがある)。


ル ピュイ・レースの特徴は、編み針を使用せず、特別な器具(ボビン)を数多く使用して糸を組み合わせる製法で作られる。

画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

近年は、機械織りも盛んに行われている。こちらは、ル ピュイ大聖堂前のターブル通り沿いにあるレース・ショップで実演していた機械織りの様子である。


ファサード前の左右(東西)には石畳の細い通りが続いている。こちらはファサード前から西方向のカルディナル・ポリニャック通り(Cardinal de Poligna)を眺めた様子で、緩やかな下り坂が続いている。通りは人の往来もなく静けさが漂っている。ファサード横にも一気に下りることができる勾配の強い坂道があるが、カルディナル・ポリニャック通りをゆるゆると進むことにする。


200メートルほど進んだ左側に下り階段が続いている。階段の左側には、13世紀に建てられた古い「オテル・ショメイル(Hôtel de Chaumeils)」(歴史的記念物、1951年指定)がある。建物全体は四階建てだが、1階のアーチ扉の上部は6階まで続く塔になっている。アーチ扉の前は、階段と小さな踊り場があり、もともと店舗を想定した造りだった。
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階段を下りて行くと、右側にも13世紀に建てられた「メゾン・ロマンス」(ロマネスク様式の家)(歴史的記念物、1987年指定)が建っている。1階には、幅広のアーチ扉のメイン入口と壁龕のあるアーチ扉が2つ並び、その上の長方形の扉には外階段(螺旋階段)が繋がり1階との上り下りができた。最上部のアーチ窓の右隣の2連アーチは、荒い石で塞がれているが、時代に応じて用途が変化した痕跡なのだろうか。
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階段を降り切ると、再び東西に延びる通りが続き、東方面にしばらく進むと、南北に延びる大通り「ラファイエット通り(Général Lafayette)」に到着する。その大通りを横断すると、再び石畳の細い下り坂となり、左右に高い石壁が続いている。右側の壁の先には、個性的な緑のとんがり屋根を備えた入口があり、その奥に朱色屋根の鐘楼が見える。


こちらは、1432年に設立したル ピュイ最初の女子修道院「サン・クレール修道院(Monastere de Sainte Claire)」(歴史的記念物、1925年指定)で、敷地周囲は高い石壁で覆われている。この時間は、扉が開いていたので入ってみる。

敷地内に入り、鐘楼側の建物を入ると礼拝堂に至る。祭壇は、ステンドグラスと装飾扉を背景に、麻布がかけられた白い聖卓が設置された簡素な造りで、身廊には、会衆席が整然と配置されている。天井には、長方形の小さな木製板がアーチ状に並べられている。


左右の側壁には聖母マリア像を飾る柱が埋め込まれ、両脇にステンドグラスが飾られたアーチ窓がある。こちらのステンドグラスには、ロバに乗り人々から祝福を受ける聖母マリアが表現されている。
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修道院入口前の石畳の通りは、左右の壁が迫る狭く勾配の強い下り坂が、修道院の石壁に沿って右側に回り込む様に続いている。そして石壁を半周した通り沿い南側には、2階建ての古い住宅が建っており、玄関口や窓辺に、色鮮やかな花が飾られている。更に通りを進むと、すぐ先から大きく視界が広がり、振り返ると、2階建ての住宅は、段差地を利用して階下にもう一つの玄関口を持つ3階建て住宅であることが分かる。
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先の階段を下り、住宅の玄関前の花壇のある広場に足を踏み入れると、修道院の石壁沿いの通路下には、アーチ型の水場や、ベンチ等が置かれる等、やすらぎを感じる長閑な風景が広がっている。
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次に、再び「ラファイエット通り」を横断し、ラファイエット中学校の正門右側から、校舎の黄色い外壁が続く「サン・フランソワ・レジ通り」を進む。黄色い壁は途中から古びた石積みの壁となり、途切れた先の三叉路で振り返るとロマネスク様式「カレッジ教会(Eglise du College)」(歴史的記念物、1951年指定)のファサードが現れる。
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こちらは、リヨン出身でイエズス会の建築家マルテランジュ(Martellange)(1569~1641)が、ローマのジェズ教会をモデルとして建築したもの。最上部にはイエズス会を示す「IHS」と十字架が刻まれたペディメントがあり、正面のポータル左右には大きなドーリア式円柱がエンタブラチュアとベランダを支える豪華な造りとなっている。

教会内に入ってみる。交差ヴォールトで覆われた大きな身廊と、アーケードの側廊との3廊式バシリカで構成されているが、側廊は、木製の交差ヴォールトで2層に区切られ、1階部分には小さな礼拝堂が並んでいる。


内陣は身廊よりも低い位置に筒型ヴォールトの丸天井で覆われており、主祭壇には、地元ル ピュイの彫刻家フィリップ・ケッペリン(Philippe Kaeppelin)によって1984年に作られた真新しい黄金衝立が飾られている。この時間は、会衆席には2名が座っていた。
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右側のアーケード柱には、雲を思わせる溶岩石を背景に祈りの聖母マリア(無原罪の御宿り)が飾られている。そして、向かって右側には聖ヨハネと思われる礼拝堂があったが詳細は分からなかった。
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カレッジ教会を出て、西に200メートルほど歩くと市役所が建つ「メリー広場」に到着した。この時間、市役所の後方から音楽が聞こえてきたので、向かうと「プロ広場」でミニコンサートが行われていた。現在時刻は午後6時を過ぎたところで、プロ広場にはレストランのテラス席が並び、多くの人で賑わっていた。
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ル ピュイの3日目の朝、昨夜は、ホテル・イビスの幹線道路(N102号線)の向かい側にあるホテル・レジオナル(Regional) に泊まった。時間は既にお昼の12時である。1階に下りてカウンターにいるマダムに、今夜も宿泊が可能か聞くと、笑顔でOKと言っている。そもそもチェックインの際に、名前を聞かれただけで、パスポート確認もされないが問題ないのだろうか。。ちなみに宿泊代は、54ユーロ(26ユーロ×2泊+2ユーロ)である。


その後、旧市街に入り、昨日同様に、ラファエル通りから、ターブル通り(ル ピュイ大聖堂の参道)との交差点まで行き、その先(北側)に延びる「ファルジュ通り」を300メートルほど進むと幹線道路(N102号線)との交差点(変形五差路)に到着する。コルネイユ山の南麓を東西に延びていたホテル前の幹線道路(N102号線)は、途中から南北に方向が変わり、この交差点からは市内を離れ西へ向かっていく。ちなみに、コルネイユ山の北麓を回り込む周回道路は交差点からD13号線へと変わる。

N102号線とD13号線との間には、ゴシック様式の「サン・ローラン教会(Eglise Saint-Laurent)」(歴史的記念物、1906年指定)が建っている。こちらは1340年に設立(ファサードは15世紀)されたもので、ファサード中央にある三重にせり出す大きな尖頭アーチ(ポインテッドアーチ)のポーチ(扉口)が特徴である。
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その扉口から内部に入ると、この時間は誰もいなかった。教会は5つの身廊アーチ・ベイで構成され、南北の側廊には、尖頭アーチ型のステンドグラスの窓が、5か所ずつある。しかし、小さいことから外光が届きにくく、やや暗い。一方、主祭壇には、縦長の大きなステンドグラスが三連並んでおり、眩しい光が神々しく差し込んでいる。
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主祭壇前に立つと、ステンドグラスは三連ではなく五連だった。祭壇の左右には、アーチ型の壁龕があり、周りの壁には彩色された痕が残っている。
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主祭壇に向かって右側の壁龕には、横臥像が飾られている。彫像は、フランス王軍司令官「ベルトラン・デュ・ゲクラン」(Bertrand du Guesclin、1320~1380)で、百年戦争初期(シャルル5世(在位:1364~1380)時代)に活躍した人物。死後は、内臓、骨、心臓、肉と4つに分割され、サン・ローラン教会には内臓が埋葬された。ちなみに骨は、フランス王家の墓所パリの「サン・ドニ大聖堂」に、心臓は故郷ブルターニュ地方ディナンの「サン・ソヴール教会」に、肉は「コルドリエ・ド・モンフェラン修道院(Cordeliers de Montferrand)」に埋葬された。
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他にも、サン・ローラン教会は、ヨゼフ・メルクリン(1819~1905)によるオルガンが有名である。1875年製作で、高さ8メートル、横幅5メートルの大きさで、1973年に解体されてしまったが、近年修復が終了したとのこと。メルクリンは、ドイツ出身で主にベルギーとフランスの教会で400を超えるオルガンを製作、修復した当時の一人者であった。

ちなみに、交差点からD13号線(コルネイユ山の北麓を回り込む周回道路)を200メートルほど歩くと、街はル ピュイから「エギル(Aiguilhe)」となり、前方に奇岩上に建つ「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂(Église Saint-Michel d'Aiguilhe)」が見えてくる。
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サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂へは、後日見学することとして、再びサン・ローラン教会に戻り、N102号に沿って200メートルほど南下すると、左側の旧市街へ入るパヌサック通り横に、古びた塔「パヌサック塔(Tour Pannessac)」(歴史的記念物、1897年指定)が建っている。こちらは13世紀から18世紀までル ピュイの街を守る二重市壁の一部だった。
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パヌサックの塔のすぐ南側のN102号の中央には、ロータリーがあり、西へ向かうD589号線との三差路となっている。そのロータリーの中央に「ラファイエット像(Statue de Lafayette)」(歴史的記念物、2005年指定)が南側を向いて立っている。ラファイエット(1757~1834)は、フランスの貴族、軍人、政治家で、アメリカ独立戦争でアメリカ軍を指揮し、フランス革命時には、改革を支持して人権宣言の起草にあたった。その後は、ナポレオンに協力するが、復古王政には協力せず、フランス革命の理念を象徴する人物として存在し続けた。
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彫像は1883年ル ピュイ市により建てられたもので、高く掲げた右手には革命軍指揮官時代に兵士の徽章として採用した「トリコロール(三色)の円形章」を携えている。

後ろに見える赤い軒先のレストランは、東興楼(La Grande Muraille)で、本格的な中華料理店。新鮮な食材を使い丁寧に調理されており、値段も手ごろで、ランチとディナーともに利用させていただいた。

パヌサックの塔の左側から延びるパヌサック通りを歩いてホテルに戻る(午後8時半過ぎの通りの様子)。


途中、左側に特徴的な装飾で飾られた建物(歴史的記念物、1984年指定)が建っている。アーチ扉のキーストーンには個性的なマスク、コリント式柱頭のエンタブラチュアで、階層を隔て、紋章やマスクなどの装飾を配している。17世紀に芸術家集団が地域に広めようと製作したもの。


しばらく歩くと、途中から「クールリ通り」となり、プロ広場に到着する。その後、幹線道路(N102号線)に出て東方面に歩く。正面にクラシックなホテル・レジーナ(Regina)が現れると、その先隣の建物が宿泊ホテル・レジオナルで向かい側がホテル・イビス。その先に見える塔がある建物は、フランスの建築家アキレ・プロイ(Achille Proy、1864~944)により建てられた歴史的な建物(歴史的記念物、1995年指定)で、彼は、ル ピュイの街を変革した建築家として認められている。
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現在そのアキレ・プロイのビルは、フランスのリキュール「ヴェルヴェーヌ・ドゥ・ヴェレ(Verveine du Velay)」が入居している。ヴェルヴェーヌとは、クマツヅラの葉(薬草、香草の一種)のことで、リキュールは、ル ピュイの特産品である。

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時刻は午後4時(写真は午前中のもの)。今日は、クレルモン フェランの観光を終え、ル ピュイに戻ってきた。これから「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂(Église Saint-Michel d'Aiguilhe)」に向かう。「ル ピュイ大聖堂」のファサード前からは、向かって左側の階段沿いに建つ「オテル デ リュミエール」の手前の路地を北方向に歩いて行く。


建物に囲まれた狭い路地を150メートルほど進むと、視界が開き駐車場がある広い車道となる。この辺りは、聖母子像(ノートルダム・ド・フランス像)のあるコルネイユ山頂のすぐ西側中腹で、ポルテ グーテイロン(Porte Gouteyron)と呼ばれ中世には要塞だったが、現在は、県庁(オテル デ デパルトマン)と駐車場になっている。その駐車場の斜面側から奇岩に建つ「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂」の姿を正面に眺めることができる。
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駐車場から斜面側にある階段を降りて急勾配の直線道を200メートル下ると「エギル(Aiguilhe)」村になり、小さな八角形の「サンクレア礼拝堂」(1088年設立)が建つ広場に到着する。


そして、サンクレア礼拝堂の左側の狭い住宅路を抜けた所が「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂」への入口で登山道(階段)となる。入口で、入山料を払い階段を上ると、すぐ先で右方向になり、奇岩の岩肌沿いに階段が続いている。階段の崖側には転落防御壁が築かれ(途中防護壁が崩落している個所もあるが)、鉄の手すりも備え付けられており、概ね安心して上ることができる。


階段は、奇岩の東壁面から北壁面をジグザグに268段続き、10分程で上ることができる。最後の階段は、ファサード下の踊り場からの急階段で、礼拝堂のポータル(扉口)に向かっている。上りながら後ろ振り返ると、急階段下の踊り場と、その先にエギル(Aiguilhe)の街並みが見える。傾斜角が大きい奇岩上であり、高所恐怖症だと辛いかもしれない。
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そのポータルは、左右にコリント式の柱を備え、飾り迫縁(アーキヴォルト)として、三葉アーチと鮮やかな多色石のモザイクで覆われている。
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ここで、再び、コルネイユ山中腹から眺めた「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂」から細部を確認してみる。礼拝堂が建つ奇岩頂部からやや下方に、北西から手前の東南側にかけて長方形の基壇(側面に2つのアーチあり)が設置され、そこから急階段が礼拝堂のポータルに続いているのが見える。
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その奥に方形造の屋根と最後部に大きな鐘楼が建っているが、方形造の屋根はポータルがあるファサードの方角とややズレた角度となっている。これは、10世紀、方形造の小さな礼拝堂が、四方に面して(後陣は東)建てられたが、その後、巡礼者の増加に伴って拡張が必要となり、12世紀に、頂部のやや下に、奇岩の長径方向(北西から東南)に沿って基壇を設置し、ファサード、身廊、鐘楼を建て増ししたためである。

では、ポータル周りの浮彫装飾を観察してみる。左右のコリント式柱頭には、アカンサスの葉の中に鷲と、アイリスを持つ助祭の浮彫が施されている。
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ペディメントには、それぞれ尾の形状が異なる人魚(向かって左側は蛇の鱗の様に見える)の浮彫があり、タンパンには装飾がない。三葉アーチの上下のアーキヴォルトには、「葉の頭」(グリーンマン)の口から伸びる植物や蔓を掴む人物などが表現されている。そして、三葉アーチには天使を配した「神の子羊」のアーチを中心に、左右に聖杯を持ち傅く人々の姿が表現されている。
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左右柱頭(鷲とアイリスを持つ助祭の浮彫)の上には、それぞれ、短い装飾繰形が乗っているだけで、人魚の浮彫のペディメントや飾り迫縁などは、後方の石壁が支えている。また、左右の柱頭の外側にはガルグイユ(ガーゴイル)像がはめ込まれているが、壁との色合いが異なっている。ともに、移設されたものかもしれない。。
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最上部のアーチ壁龕には、中央にキリストが、左右には聖ヨハネと聖母マリア、聖ペテロと大天使ミカエルを配した浮彫が施されている。アーチ壁龕の間には掌(たなごころ)を正面に向けた浮彫がある。そして浮彫の周囲は、多色モザイクで彩られている。どの浮彫彫刻もデフォルメされた人体や動植物の表現などロマネスク様式の特徴を良く示している。
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次に礼拝堂の内部に向かう。階段はポータルの奥にも続き、身廊はかなり高い位置にある。内部は普通の教会堂とは大きく異なり、左右に並ぶ円柱が左壁に沿って右側に曲がりながらアーケードを形成している。狭い空間にも関わらず、円柱は全部で32本建ち並んでいるが、暗くて見づらい。。
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それぞれ柱頭にはアカンサスの葉など唐草文様の浮彫が施され、柱頭が支えるヴォールトには、聖人、鳥など動物、幾何学文様、唐草文様などのフレスコ画が描かれている。しかし大半は剥落して劣化が著しい。こちらは「東方の三博士」が描かれているが、暗いため馬しか確認できない
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こちらは、入口から右側に回り込んで続くアーケードの最後尾一つ手前の壁側の円柱で、左右に北向きのステンドグラス(幾何学文様)の窓があり、明るい光が差し込んでいる。ヴォールトには、杖を持つ聖人像が描かれているが、ヤコブだろうか。。
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アーケードの内側から東側を眺めると、正方形の内陣がある。こちらが10世紀に建設された初期の礼拝堂で、ひと際高い空間には、外光が差し込み壁に描かれたフレスコ画が明るく照らされている。中央には、小さなアプスがあり、手前に燭台が並ぶ聖卓が置かれ、向かって右側には大天使ミカエルのブロンズ像が飾られている。
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フレスコ画は、近年修復されているが、人物の表情など細かい描写は失われている。アプス上部には「天のエルサレム」が表現され、その上には、天使と聖人群が描かれている。
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天井には、栄光のキリストを中心に、熾天使、大天使ミカエル、月や太陽などが描かれ、四隅には、福音者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に対応する「テトラモルフ」が描かれている。こちらも顔などの表情はないが、外光や蝋燭の明かりが反射する陰影で、見ていて穏やかな気持ちにさせられる。
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こちらの壁龕には聖母マリアのブロンズ像が飾られている。腰を掛け、右腕に幼子を抱え、左手を前に差し出している。白いクロスがかけられただけの台の上に置かれており、観光客が自由に触っている。この時間、見学者が10名ほどだけだが、狭い礼拝堂のため混雑している印象だった。
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30分ほど見学した後、ポータルからの急階段を下り、踊り場のある基壇を周回しながら景色を眺めた。南東側には、コルネイユ岩の上に立つ聖母子像やル ピュイ大聖堂のドームや鐘楼なども確認できた。
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夕食は、すっかりなじみとなった中華料理店の東興楼(La Grande Muraille)で、点心、チンジャオロースなどを頂いた。飲み物は、グリ・ブラン(2012)頼んだ。グルナッシュのロゼ・ワインだが、透明感があり辛口だけどフルーティで、中華料理にもよく合っていた。


夕食後「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂」のライトアップを見に行った。こちらは、コルネイユ山の北麓を回り込む周回道路D13号線側(北側)から眺めた様子。礼拝堂はもちろん奇岩全体が鮮やかにライトアップされており見ごたえがあった。防護壁のあるジグザグ階段もはっきりと見える。
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そして、こちらは、コルネイユ山の西側中腹の県庁がある駐車場から「サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂」を眺めた様子。光り輝く奇岩は黄金の王冠を被っている様にも見え、神々しさを感じる風景である。お世話になったル ピュイの街とは、今夜でお別れである。
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(2013.7.20~21、23~24)
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