気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

小倉城

2012-10-17 10:05:41 | 風景画
 残暑の厳しかった9月が終わり、少し涼しくなったので10月の最初のオフの日にスケッチに出かけた。といっても、雑事を済ませて2時頃家を出たので、あまり遠くへは行けない。夕飯の支度もあるのでリバーウォークの裏手から小倉城を描くことにした。B6Eのスケッチブックとコンパクトな水彩セットは短時間で絵を描けるので最近の私の外出時の必携アイテムとなっている。
 絵を描いているとき、社会見学の授業中らしき小学生の一団が教師の説明を聞きながら私の後を通り過ぎて行った。背中から聞こえてくる声から、従順な子、私語に夢中な子、集団から遊離しがちな子らが想像できた。小学生の頃の自分をふと思い出した。                私が小2の時の担任教師は、かつて私が学んだ中で一番好きな先生だったが、よく私を廊下に立たせた。教室に戻るよう許されても、私が先生の仕打ちを許さず、教室に戻らなかった。下校時まで…。小6になってすぐに父と死別し、教師たちやクラスメートの同情を集めた私は「かわいそうな子供」を演じなければならず、時には悪意のからかいに怒って暴力をふるった。一人だけ授業をさぼって校庭で時間をつぶした事も2度あった。それでも教師からのお咎めはなかった。特別扱いの問題児だったからだろう。

 ある日曜日、悪友と二人で自転車に乗って小倉へ遊びに行った。小倉城の敷地内で今は中央図書館のある一角は、当時ジェットコースターがあり、ちょっとした遊園地となっていた。そこに自転車を停めて遊んでいると、なにやら人だかりがしている場所があった。近寄ると「ボクたち絵を描かない?」と大人たちに声を掛けられた。有無を言わさず画用紙とクレヨンを渡された。絵を描くのが幼い頃より好きだったので、素直に絵を描くことにした。 小倉城とジェットコースターの絵だったと記憶している。私たち二人はさっさと描いて本来の遊びに戻った。

 絵を描いたことも忘れたある月曜日の朝礼の時だった。運動場で全校生徒が整列し、校長先生の訓示を聞き流していると、突然私の名前が呼ばれた。あの日書いた私の絵が、読売新聞西部本社主催の第一回絵を描く運動の優秀賞を取ったのだった。私は狐につまれたように、全校生徒の前に歩み出て、賞状と盾を校長から手渡された。私の人生で初めての表彰体験だったが、ただ恥ずかしかったとしか憶えていない。


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