気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

TRIUNPH TR6

2008-03-15 00:15:23 | 車の絵
 雪の八丁峠から一週間後、義母が行きたがっていた秋月に再び向かった。
 幸いこの日は天気に恵まれ、快適なドライブとなった。
 八丁峠に近づくと、路肩のあちこちに雪のかたまりが残っていた。
 一週間前の雪がどれほど深刻だったか、またあのドライブを続行することがいかに無謀だったかよくわかった。
 私が秋月を訪れるのはこれで3回目で、最初は妻とドライブで、二回目はバイクのソロツーリングで来たが、タイムスリップしたような静かな町のたたずまいが懐かしかった。
 最初に来た時に入った「秋月郷土館」は、秋月黒田家の遺品以外に、ピカソやルノワールの肉筆画も展示しており、本物ならば、かなり得をした気分になる。そこで私が一番印象に残ったのは昔の新聞の切り抜きだった。明治の初めの記事で、秋月の藩士が親の仇討ちに成就したとの内容だった。                              江戸時代、藩を出るには、まず藩主の許可が必要で、「お家」の名誉の為の仇討ちを申請するには決死の覚悟が必要だった。仇討ちを藩に願い出て認められれば、禄も最低限保証されたようだが、成就するまでは帰郷できない。
 今と違い、仇の写真も、情報もない中で、仇に遭遇する確立は、奇跡に近かったろう。
 幕末、秋月藩の藩政改革派により藩の要職にあった臼井亘理が暗殺された。その子、六郎は、一族の期待を担って、仇討ちの旅に出た。明治の世になっても仇を捜し続け、ついに明治13年、東京上等裁判所の判事となっていた山本克己をナイフで討ち果たした。江戸時代なら親の仇を討った英雄だったろうが、大日本帝国憲法の下では、ただの人殺しにすぎなかった。
 この事件を題材に、吉村 昭が「最後の仇討」というタイトルで小説を書いたのを知り、買って読んだが、非常に面白かったので、長男にあげた。
 小説の最後に、主人公が、出所後の一時期、門司で暮らしていたように描かれており、秋月がますます身近に感じられた。
 秋月は何度も訪れたい町だ。