気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

S君とのお別れ

2022-11-19 23:15:28 | 風景画

人がこの世に生まれてきたからには、いつか死ぬ運命だと分かってはいるが、S君との別れはあまりに唐突だった。
一週間前、S君と仕事でトラックに乗っている時、「今日、従兄と飲みに行く」とS君が嬉しそうにつぶやいた。
S君は午後5時に仕事を切り上げて帰宅し、お洒落をして会社に戻ってきた。タイムカードを押して意気揚々と盛り場へ向かうS君の元気な後ろ姿を見たのが最後の別れとなった。

その日の午後8時半頃、妻とテレビを見ていると、末弟から私の携帯に電話がかかってきた。
「S君と飲んでたらS君が急に倒れて意識がなくなり、呼吸をしてなかった。・・・救急隊員が今、心臓マッサージをしてるけど動かない・・・。」「今からそっちに行く。」「・・・救急搬送するけど、行先がまだ決まってない。S君の奥さんと叔母さんに連絡とってくれん?・・・搬送先が決まったら知らせる!」電話が切れた。
緊急事態をもう一人の弟に伝え、S君の携帯番号しかわからないのでS君の実家へ車を走らせた。S君の母親から嫁さんに連絡をしてもらうのが手っ取り早いと思った。

運転中に末弟から連絡がきて、搬送先が決まったので救急車に同乗する、S君の家族にも病院に向かうように伝えて、とのことだった。

S君の実家に到着して呼び鈴を数回鳴らし、驚いて出てきたパジャマ姿の叔母に要件を話した。S君の心臓が停止したことは伏せた。

叔母がS君の奥さんの携帯に電話をして、子供をつれて救急病院へ急ぐように話した。

パジャマを着替えるという叔母を、車の助手席に促した。

救急病院の搬送口を入って左手に「緊急処置室」があり、奥でS君の蘇生を試みている様子だった。

担当医が叔母にS君の生年月日や既往歴を訊ねた。S君が健康で肝機能の検査も問題なかったと叔母が気丈に答えていた。

「電気ショックを使っても心電図がまっすぐで、今は心臓マッサージをずっと続けています。心臓が停止している時間が長いので、呼吸が戻っても、脳にダメージが残ることが憂慮されます。」

担当医や看護師が五、六人がかりで救命処置を続けた。

一時して叔母と奥さんが処置室に呼ばれた。「何寝てるんね。S!起きなさい!小さい子供がおるやろ!」悲痛な呼びかけが聞こえた。

病院のスタッフにS君の子供も処置室に入れさせて欲しいとお願いした。

担当医の許可が出て小6、小3の男の子が処置室に入っていった。

処置室で一進一退を繰り返すこと数時間。なんとか心臓の拍動が戻ったと看護師が教えてくれた時、安堵して看護師にS君の命を救ってくれた御礼を言った。

日付が変わって午前1時30分、気管挿管をして人口呼吸器をつけたS君を乗せた寝台が緊急処置室から出てきた。

待機していた全員が寝台に駆け寄りS君に声をかけた。S君の閉じた右目に涙が滲んでいた。S君が病棟2階の集中治療室へ移されたので、関係者は希望を抱いて各々家路についた。

翌日、末弟からS君が危篤状態だと連絡がきた。心臓が止まる度に心臓マッサージを施して蘇生していたが、しだいに心臓が動く時間が短くなっている。コロナ禍で面会が難しいので

二人づつ交代で緊急処置室にはいってS君とお別れをしているとの事。

夕方病院へ駆けつけた時、S君の心臓はアドレナリンを投与しても反応がなく、心臓が停止するまでの時間が30分、20分と次第に短くなっていたので面会は叶わなかった。

午後7時50分、S君は逝ってしまった。享年42歳。S君と一緒に働けてよかった。合掌。


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