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時間は何をしていても過ぎる。

2020/05/17(日) 天気予報では曇りだが小雨模様

2020-05-17 11:16:16 | クラシックCD
昨日は曇りで空き地の草刈をした。
先週植え直したオクラ。植え直したときは良い調子だった。ところが一昨日枯れてしまった。原因は水のやり過ぎであろう。まだ本格的な暖かさではないので水は三日に1度程度で良いのに間隔を間違えてしまった。だいたい、オクラの定植自体もっと後の方が育てやすい。
そして3度目の挑戦のため苗を入手してきた。



これから数日はあまり気温が上がらない予報なのでしばらく待ち、来週末くらいに定植をしたい。

昔の写真データを見ていたら韓国へ行ったときのものがあった。以前、ハードディスクが壊れたさいに一旦消失したものである。お金はかかったが、やっぱり復旧して良かった。思い出は大事である。

世界遺産の慶州(キョンジュ)の古墳群のなかの一古墳。



38度線の情景。遠くの対岸は北朝鮮である。



昔、写真といえばフィルムを現像してプリントが必須だった。今はよほどでなければプリントはしない。ハードディスクのなかでの保存が普通である。アナログからデジタルへの一例ですね。
朝、コロナのことで国会議員が討論していた。もっとテレワークを強力に推し進め、会社へはんこを押しに行ったり、請求書の封を切りに行くといったことはまったくむだである。絶対に見直しが必要だ。学校の授業もテレビやパソコン化へ早急に取り組まなければならない。コロナ流行はデジタル化社会を構築する契機であるなどと主張していた。
この主張、コロナの渦中では正面立って反対する人はいないだろうが、何かずれていて足りないものがあると思いながら聞いていた。そういった社会へ移行したために居場所がなくなるものが必ず出てくる。不要になったものの身の振り方は自己責任なのだろうか。ついていけない人はどうすれば良いのか。

デジタル、デジタル、デジタル・・・と叫ばれるなか、オーディオの世界ではアナログの評価は高い。
私はCD再生一本やりだが、アナログというかレコードなどと比較してCDの音質はお粗末であるというのが一般的であり、人から直接そう言われたことも何度もある。CDはデジタル録音を再生するための媒体に過ぎないので、本当のデジタル録音の実力はどうなのだろう。評価は人それぞれですね。



ベームのモーツァルト「レクイエム」。日本製のアナログ録音デジタルマスタリングのCDである。



以前、私のステレオ部屋で再生したときはうまくいかず処分予定CDのグループへ入っていた。耳に突き刺さるような音響でとても聴き続けることは無理だった。これじゃあ、CDの音質は良くないと言われてもしかたがないと思っていた。実は部屋のせいだった。
その後、パネルを追加するなど音響改善に取り組んできたところ、なんとか納得できるような再生音となった。そしてより一層の音響を求めてSACDを入手した。



このSACD、私のステレオ部屋ではCDより研ぎ澄ました音響となる。明晰で切れ味が良い。情報量やスピード感が大変増している。まさに宙に舞う音響である。一方、少し腰高になっているように思う。根っこがないというか漂い過ぎる音響だ。喧噪的でもある。実は、クライバーのベートーヴェンのときもそう感じた。SACDを聴いたときは、はじめははっとするがCDの穏やかさは捨てがたいと思い直す。
オーディオにおけるアナログとデジタルの比較話としてはごちゃごちゃになってしまっているが、そもそもレコード再生環境がないステレオ部屋で生活する私にはアナログのことを語る資格はないですね。ただ、CDの音響も再生環境により大きく変わることは確かである。
肝心のベームのモーツァルト「レクイエム」。演奏のすごさには参ります。大合唱の迫力に圧倒される。ソプラノのマティスら、歌手陣が登場する場面は聴きどころの連続である。
これから聴き続ける方はCDかもしれない。怖いもの見たさで、SACDをかけることもあるだろう。


コメント (2)
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