今日は、「海の日」。こちらはまだ梅雨明け前である。本格的な暑さの到来は、湿度の高さと相まって身体にこたえる。
毎年、この季節は草処理が大変だ。梅雨をもらい、急激に伸びた庭や畑の雑草を見ると嫌になる。異常な密度は大した生命力である。
しかし、負けてはいられない。雑草処理は私の宿命である。運動だと思って連休初日から雑草処理にフル回転した。
場所により作業方法が異なる。
・庭や畑は基本的に手作業となる。ノコギリ鎌や三角鍬を使いながら処理する。これは大変な作業である。
・広い場所は草刈機を使用する。これもかなり大変な作業である。
・環境が許すところは除草剤のラウンドアップを散布する。これは少し楽な作業である。
一日と半分を要して、作業は完了した。
早朝の散歩からはじまり、休憩を兼ねた音楽鑑賞。日中は雑草処理に精を出し、散歩を繰り返す。家へ入るたびに冷水シャワーを浴びる。爽快感はたまりませんね。
夏野菜の収穫。家内が作るゴーヤのツナとマヨネーズのサラダは、苦みが効いてうまい。食べるのは、ほとんど私ひとりのようだが。
散歩コースでは、早くも栗の木が実を付けていた。そのうち秋がやってくる。
家族はどこかへ外出し、ひとりの私は日課に向き合ううちに休日の時間は過ぎる。夜は、早々に就寝。
海はすぐそばなので、孫たちを遊びに連れて行きたいと思うが、ニュースで海水浴事故の話しを聞くので、今年も家でプールとなった。今日は雑草作業に代わり、プールをセットした。
オーディオの状況。
ステレオ部屋では5月連休の落ち込みから、来るお盆までには起死回生をはかるためいくつかの対策を実施した。
・機器を収めていたラックの撤去・・・harbehの間の音響空間を確保したつもり。
・スーパーツィーターの設置を横から縦へ・・・横の方が見た目がよいと思っていたが、音響は縦の方が明らかによい。
・アンクⅢの導入・・・長年の悩みであった音響のだんご化からの解放。神頼みが通じた。
・harbethのサランネットを外しユニットダイレクト鑑賞・・・harbeth本体の目玉が目の前だが、慣れるとこんなもんである。縦置きスーパーツィーターはお墓か位牌のようだ。
ネットを介しないで聴いた方が音響に彩りがある。有無の差は、かなりでかい。
早朝を中心に、結構長い時間、harbethの前にいる。休憩を兼ねた♪鑑賞で、うとうとしている時間が多い。半睡眠音楽鑑賞は愉しい。harbethの音楽と夢が交錯する半睡眠状態が心地よい。
スウィトナーのBrahmsの交響曲全集。
スウィトナーの演奏はたくさんのブラームス演奏のなかでも大変よいのだが、この録音は全体的に楽器の位置が明確でないような、なんだか水っぽい状態である。また、低音がもこもこした感じのするところがある。1番と2番を何度も繰り返して聴いている。演奏はよいので、残念だがしかたがない。そのうち、私の音楽部屋とマッチしてうまく再生できるようになることを願う。カップリングしてあるドヴォルザークの方の録音時期は少し古いが、はっきりとした音像で聴きやすい。ドヴォルザークはアナログ録音の終末期。瑞々しい。ブラームスはデジタル録音。シャルプラッテンのデジタル録音は、知っている数は多くないが薄味で水っぽい音響といった印象である。まあ、半睡眠鑑賞で聴いていると、そんな録音の不満も特に気にならない。
プレヴィンのリヒャルト・シュトラウス。私の知っている限り、テラークのなかでは最高に自然で優秀な録音である。
意識が回復し、こちらは気持ちよく聴いていた。ウィーン・フィルの色彩感、厚みのあるオーケストラ演奏に感心する。ソプラノ歌手の生々しい声が感動的である。
ステレオを聴いていて嬉しくなってくる。
CDがみんなこんなきれいに再生できれば・・・というわけにはいかないのが現実であり、しかたありませんね。
音量は小さくはないが大きくもない。長く聴くのなら、大きいと途中で分からなくなる。
短期鑑賞なら、大きくてもよい。
午後は散歩に出てあとひと汗かいて冷水シャワーだ。