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時間は何をしていても過ぎる。

七味さん宅訪問とモーツァルトのピアノ協奏曲27番(Pグルダ)

2019-09-01 16:06:43 | クラシックCD
私のharbeth&luxmanは、上乗せパネルの背後配置と壁コンセントのオーディオ専用品への交換後(要は前回記事後)はまずまずの状況。これからも可能な限りこつこつと調整を続けたい。
前回記事後しばらくしてhabethはラックよりできるだけ前に、またharbethとラック間の左右パネルは前へ出してラックの方へ音が伝わらない方が良いことが判明した。音響にキレが出る。

連峰のようなパネルはまるで実験室ですね。家族には異端者として見放され、来訪された方は「なんだこれは」とあきれたような笑みを。

ところで昨日は七味さん宅へオーディオを聴きに行ってきた。電源改良の効果はどうだろうかと楽しみにしていたが、予想していた以上の(失礼)音響向上だった。音像が拡張しかつ明確になった。強奏時など力任せにバリバリと鳴り渡るようなイメージがあった。しかし、今回は常にゆとりが感じられる鳴り方で、空気感が心地よかった。大きな音で遠慮なく鳴らせる環境はやはり良い。
私の持参したモーツァルトのピアノ協奏曲27番をかけていただいた。ピアノはグルダ。

私のCDはオリジナルものではなく4曲セットのリマスター盤。
七味さん「グルダは亡くなりましたよね」
私「え?多分そうだと思いますよ」

「(フリードリッヒ グルダ)1999年3月頃、マスメディアに自分が死去したという偽の情報を流し、世間が騒ぎ始めた数日後に”生き返った”という設定で復活コンサートを開く。2000年、1月27日死去。生前には、最も敬愛するモーツァルトの誕生日に死にたいと宣言をしていたが、実際にモーツァルトの誕生日に、自宅で心臓発作によって亡くなった。69歳だった。 (Wikipediaより)」

モーツァルトのピアノ協奏曲の後半作品は傑作ぞろいであることは私が言うまでもないが、実際、最後の27番は一番心にしみる。昨日は時間の都合上、1楽章だけの試聴だったが、今日は自宅で最後まで聴いた。これほど澄み切った音楽はない。悲しみや苦しみを超越してたどり着いた果てしなく穏やかな平原に立っているようだ。モーツァルト本人にとってはそれ程特別な心境を現したものではないかもしれないけど。
コメント (2)
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