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時間は何をしていても過ぎる。

自宅で過ごす三連休。 2022/07/17(日) オーディオは昔買ったCDを聴く・・・7

2022-07-17 13:34:24 | クラシックCD
先日、家内と日本百滝に数えられている妙高高原の苗名滝(なえなたき)という所へ行ってきた。自宅から車で1時間半くらい。カーナビに従って走り、妙高高原の村へ入り苗名滝まであと数分というところで道路にゲートが設置されて通行止めになっていた。そばに迂回路の案内が出ていたが、細かくてわかり難い。一旦、村の入り口まで戻らなければならないみたい。少し離れたところに、車体に妙高高原とか書かれたマイクロバスが停まっていたので、運転手さんへ順路を教えてもらいに行った。私より少し若そうな運転手さんがわかり難い順路を一生懸命に教えてくれた。礼を言って車に戻ろうとすると、「あんた、苗名滝へ行くんならあのねえちゃんを乗せて行ってくれんかね」といって、マイクロバスから降りて通行止めのゲート向かって歩いていた若いねえちゃん(ねえちゃんは普通若い)へ「おーい!この人から乗せて行ってもらえ」と呼んだ。どうやら妙高高原の駅から通行止めのところまで乗せてきたお客さんらしい。苗名滝まで車は通行止めでも歩いては行けるらしい。ただし、山道を20分くらい歩かなければならず、運転手さんは心配したらしい。ねえちゃんは「歩きます」言っていたが、結局、私の車に乗ることになった。男の私ひとりならまずいが、助手席には家内が乗っている。家内と私で招き入れた。
車を運転しながら家内とねえちゃんと私と3人でしゃべっていた。マスクをしたかわいいねえちゃんだった。東京在住で全国の滝めぐりが趣味なのだとのこと。仕事が休みなので、昨日、長野で泊まり、今日、列車で妙高高原へ来て、駅から公営の送迎マイクロバスに乗せて来てもらった。乗客は自分ひとりだったとのこと。
マイクロバスの運転手さんから教えてもらった順路を走っているつもりだったが、着いていいはずの苗名滝へなかなか着かない。同じところをくるくる回っているみたいだと思っていたら、さっきのマイクロバスとすれ違った。さっきの運転手さんが運転席の窓から顔を出して「なにやっとるん」と言うので「教えてもらった道を走って来たんだけど着かんのだわ」と私。あらためて説明し直してくれたが、呑み込みの悪い私を見かねたのか「途中まで案内するのでオレについて来ない」と言ってマイクロバスを走らせ始めた。さっきは、まだ直進しなければならないのに、右折してその結果元へ戻ったらしい。私と家内、ねえちゃんの3人で運転手さんへお礼を言いながら手を振って別れ、ようやく苗名滝の駐車場へ到着したのだった。
苗名滝のそばまで行くと流行りのマイナスイオンが感じられた。


苗名滝のそばまで行ったら、ねえちゃんが私と家内を滝をバックにしてスマホで撮ってくれた。私はお礼にねえちゃんを滝をバックにして、ねえちゃんのスマホで撮ってやった。3人とも一時マスクを外して素顔になった。イメージとは少しちがったが、やっぱりかわいいねえちゃんだった。ねえちゃんは私たちのことをどう思っただろうか(笑)。
長くなりましたが、これは数日前。平日だが仕事が休みだった日のお話し。

今日は、三連休の二日目である。
畑、雑草処理、散歩、音楽鑑賞、読書少しなどで自宅で過ごす三連休となっている。例によって、朝早く起き出し散歩から始まり、音楽鑑賞でエネルギー補給しながら昼間は畑仕事や雑草処理、散歩などで身体を動かし、夜は疲れて早く寝る。休みの日はこんな感じで不足はない。

例年の通り、夏野菜を収穫しなければならない毎日。







今年は雨が少なく、畑の野菜は病気にかからずよくできる。ミニトマトが採れ過ぎて知人に配ったが、まだ余っていたので孫の通う保育園へ持って行き、園長先生や保母さんに喜ばれたりしている。

雨が少ないといったが、この頃は降っている。雨が降ると雑草が伸びる。
畑や空き地、裏庭などの除草処理を徹底しているので我ながらきれいな状況だと思う。
しかし、裏庭の半分は私以外の家族の共有スペースとなっているので手を出さないようにしている。家族は植えるときは元気がよいが、その後は思いつたら水をやる程度であとは何もしない。雑草が伸びて悲惨な状況となっている。
みっともないので少し小さな画像とする。



もう見てはいられなくなって、今朝、ひとりで草取りを始めた
雨が少ないせいか蚊が少ない。とはいっても、念のために蚊よけスプレーをかけ、蚊取り線香を腰にまいての作業だ。そして、蚊が少ないと同時に蝉(せみ)の声がしない。今朝、遠くでヒグラシ蝉の声が聞こえていた。これが今年聞いた初めての蝉の声だ。日中聞こえるアブラゼミの合唱はぜんぜんなし。コロナとは関係ないと思うが、静かで不気味な夏の日中である。そんなことを気にしながら、クローバーが生えているところ以外の草取りを終わった。
なんとか見られる状態になったでしょう。



結果を見て、家内はご苦労様と声をかけてくれたが、花壇をのぞくと「せっかく植えた菊をとったのね」といつもの指摘である。そんなん知るかと私。

老眼が進んだり、外で過ごしたかったりして最近はほとんど読書をしなくなった。屋内にいるときは音楽を聴きながらうとうとしていることが多い。
最近珍しく読んでいる本。



いまさら建築の勉強ではないが、オーディオルームというかリスニングルームというか、音楽部屋の音響を考えるうえで役に立つ本である。私も狭い7畳だが、一応、音楽を聴く部屋を持っている。音楽を聴くためにステレオをそろえた。そして、心地よく音楽を聴きたいためにあっちこっちを調整してきた。その間、ばくぜんと考えていたことがこの本のおかげでよくわかってきた。けっこう短い項目単位で話しを進めてくれてあるので、興味のある表題の項目を飛ばし読んでもいける。結局、全部読んだ。良書だと思う。

毎朝、体力回復のため30分くらいうとうとしながらharbethを小音量で聴いている。それから、意識がはっきりとしてきたら少しまじめに40分くらい聴く。習慣、かけがえのない楽しみである。



部屋でステレオを鳴らすさい、機器の性能やCDの録音状態とは別に、部屋の音響の焦点が合うのとそうでないのとでは天と地の差がある。な~んてね。えらそうに

これはモーツァルトのピアノ協奏曲のセット。演奏はピアノがアンネローゼ・シュミット。指揮者はクルト・マズア。オーケストラはドレスデン・フィル。シャルプラッテン録音。



昔に買ったCDで、あまり真剣に聴いていなかった。音響の焦点が合った段階で聴き直すとぜんぜんちがうのね。
直線的で語り感の少ない演奏だと思う。少し急ぎすぎていると思う曲もあるがいいだろう。まじめさが清涼感をかもし出す。ピアノの音色が柔らかく角がまるく響く。特に、後期の名曲は誇張したところがなくストレートに聴きやすい。さりげない美しさ。

このCDを含めて、昔買ったものの評価を早合点していたと反省しながら音楽鑑賞するこの頃です。

明日もお休みだと思うと気が楽になる。平穏でよい日が続きますように。









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暑い毎日の生活。オーディオやスウィトナーの昔の映画など 2022/07/03(日)

2022-07-03 14:10:01 | クラシックCD
日本全国、異常な猛暑が続いている。大丈夫か。
しかし、暑さに負けてはいられない。散歩や畑など、規則正しい生活を続けている。
昨日、朝から空き地の草刈をしていた。早朝から始めたので、午前10時頃には終わった。
1か月くらい前に草刈をしたのに、もうこんな風になっている。毎日暑いのによく伸びるもんだ。



1,000㏄の水を飲みながら悪戦苦闘しなんとか終了した。大変だが、運動だと思って頑張った。汗だくになって気持ちいい。



でも、1か月後には元通りに伸びるんですね。たくましい雑草がにくったらしい。
今日は、午前中、神社の祭礼前の掃除で草刈を担当した。樹林に囲まれた日陰の境内での作業なので、昨日に比べればまったく楽だった。
午後は天候が傾き、ついに雨が降ってきた。何日ぶりだろうか。台風が接近しそうだとか。晴れでも雨でも、極端な変な気象にならないよう願っている。天候が悪いと、家で落ち着いていられる。


オーディオの話しを少し。
先日、近所のオーディオ愛好家のAさん宅へ久しぶりに愛機を聴かせてもらいに行ってきた。
スピーカはエラック、真空管のパワーアンプとプリアンプ、アナログプレイヤーはマイクロの貴重品で、懇意のオーディオ屋さんからたびたび譲ってほしいといわれているという。カートリッジはオルトフォンの高級品。
一発目に小澤征爾の「ローマの松」のLPをかけてくれた。すごい音響だった。20畳近い部屋に広大なオーケストラ音楽が鳴り渡る。目の前にローマの街に松林の広がる情景が浮かんだが、私は、実はこの曲は苦手で大音響の意味がわからない。オーディオについて、Aさんの説明ではカートリッジとフォノイコライザーという機器をレベルアップしたとのこと。それにより特筆しなければならないのは「静けさ」の再現性が格段に向上したことだそうだ。確かにアナログなのに音量をあげても背後のノイズがない。アナログの彫の深い重量感のある音響というより、よくブレンドされたすっきりとした音響だった。はっきりいうと、デジタル再生(CD再生)に似てきているような。現代アナログの志向はこうなのだろうか。いろいろとかけていただいたが傾向はほぼ同じだった。Aさんはアナログ専門の傍らハイレゾもやられている。CDは音響が薄っぺらくてだめだという。上下の周波数が切られているのでよくないとか、デジタル信号の変換に誤差が生じるといった話しを何度もお聞きした。CD専門の私は、初めの頃は悲しかったが今は慣れた。ともかく、高級感に満たされた音響に驚いた訪問だった。ただ、広く気密性が高い部屋は再生手段にかかわらず音響調整は大変なのではないかと思った。

それから数日後、Aさんが拙宅の狭い部屋のステレオを聴きに来てくれた。



harbethの前のリスニング用の椅子に腰かけて、「スピーカーがかなり近いね」と心配そうだった。始めにBachの無伴奏チェロ組曲をかけたとき、自分もこういう音にしたくてやっているといってくれた。その後、いろいろと聴いてもらった。先日Aさん宅でLPを聴いたスークとスメタナ四重奏団のモーツァルトの弦楽五重奏曲をかけたとき、CDはやっぱり線が細いとの指摘もあった。はっきりとした指摘はさすがにAさんである。私はこんな感じでいいと思っているけど(笑)。平日の午前中の来訪だった。楽しい時間はあっという間に過ぎた。今度、オーディオ仲間のBさんと一緒に来たいとのことだった。

話しは変わって、突然ですがスウィトナーのベートーヴェンの交響曲全集はいいですね。
温和で押しつけがましくない。室内楽の発展形のように楽器の音色がきれいに練り合わせれている。私の部屋の音響調整が進み、長年の懸案で、一時はあきらめていた低音域の再生もなんとか無難にできるようになった。最近は「英雄」と「田園」を繰り返し聴いている。昔から聴いていた録音だが、以前から見ると幾重ものベールが取り除けたように思う。他の曲もこれから楽しみたい。ベートーヴェンの全集は何通りも持っているが、スウィトナーが一番いい。



スウィトナーといえば、息子さんが父スウィトナーの晩年を記録した映画がNHKで放送されたことがあった。もう十年以上前だと思う。ビデオ録画し、何度も見直していたがいつの間にかテープは処分してしまった。場面は淡々と進むが、スウィトナーという人を知ることができる味わい深いドキュメンタリーだった。音声は息子さんのナレーションと、父スウィトナー、息子さんがほとんどで、二人の妻の会話が少し入っていた。
先日、パソコンのなかを整理していたら、私が打った映画の筋道(主に…で挟んでいる)とセリフのテキストデータがあった。セリフは映画に字幕があったから打てたんだと思う。
ほとんど当時のままの個人的なメモです。入力間違いもあろうかと思いますが、スウィトナー指揮のベートーヴェン全集が私の部屋で普通に聴けるようになったことに感謝しつつ載せてみます。
スウィトナーのことば、しぐさはベートーヴェン全集の穏やかな演奏と通じるところがあります。穏やかな人柄がしのばれます。なお、映画の内容がまともに出ているのでお読みになるときは(だいたいは読まないと思いますが)そのことを承知でお願いします。

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題名
父の音楽
指揮者オットマール・スウィトナーの人生

スウィトナー…1992年オーストリア生まれの指揮者。ファルツ管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を経て、1964年~89年まで、旧東ドイツのベルリン国立歌劇場管弦楽団の音楽総監督を務める。またバイロイト音楽祭にたびたび出演して国際的名声を高める。1971年、初めてN響を指揮、1973年に同楽団より名誉指揮者の称号を授与される。1990年に引退を示唆し、表舞台から退いた。

老いたスウィトナーが震える体をなんとかコントロールしながら背広を着、鏡の前に立つところから映画が始まる。

Iイゴール(息子)
Sスウィトナー

I父は指揮者でした。子どものころ、国境の向こうで指揮をする父の演奏をほとんど聴いたことはなかった。私は西ベルリンで育ち、父は東ベルリンにいた。ベルリンの壁が崩壊する直前、私は東ベルリンへ行き父の演奏を聴いた。17歳の時であった。指揮台の上の父はまるで見知らぬ人のようだった。父とわかり合うためには音楽家としての父を知る必要があると考えた。

…ブラームス1番を指揮するスウィトナー(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)映る…

S愛する息子へ。手紙は無事届いたか。ベルリンではいろいろなことが起こっているが、お父さんは昨日5回目のコンサートを終えた。大成功だった。長く離れていても、お前とお母さんが私を愛してくれていることを願っているよ。いつもお前たちを思っているよ。遠くの父より。

I1990年、68歳の父は病気を理由に長い間率いてきたベルリン国立歌劇場管弦楽団を去った。それは私には全く意外だった。

…楽団員から花束を受け取っている笑顔のスウィトナー映る…

S皆さん、私は常にこのすばらしいオーケストラに対して愛情と尊敬の念を抱いていた。最後に皆さんに心からの感謝を申し上げます。いつかまた一緒に演奏できることを願います。ありがとう。

…スウィトナー去る…

Iあの日以来(17歳の時のことだと思われる)父の指揮を見たいと願っていたが、長い間叶わなかった。

…衰えたスウィトナー氏が映る…
…モーツァルト39番2楽章が流れる スウィトナー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団…
…スウィトナー静かに聴いている…
S次のところがきれいなんだ。聴いて。きれいだろう。…にっこり笑う…

I父と私はずっと離れ離れであった。一緒にいる写真もあまりない。昔の記憶はあいまいになる一方である。思い出が消えてしまう前に、私たちは記憶をたどる旅に出た。

…震える手でたばこを吸いながら老いたスウィトナー語る(スウィトナーはたばこ好き)…
Iあと何年か指揮台に立てたんじゃない?
Sやめる潮時だった。病気が判明した以上続けるわけにはいかない。自分で決めた。それはパーキンソン病の兆候だった。手が少し震えるようになったんだ。ピアノを練習して震えを止めようとした。しかし、指揮棒が震えたら万事休すだ。指揮棒なしでオペラの指揮はできない。音楽を愛するからこそやめたのだ。何事もいつか終わりが来る。人に運ばれて出るような指揮者にはなりたくない。症状はそんなにひどくなかったが、それでもここまでだと思ったんだ。
…穏やかで悲しげな表情で淡々と話す…

Iお父さんの指揮をもう一度見たい。
S残念ながら私は怠け者になってしまった(本当に穏やかな表情)。年をとると何もかも邪魔くさくなるんだよ。

I私は何十年も前の古い映像から、若いころの父が指揮台に立つ姿を探し出した。

…レーガー モーツァルトの主題による変奏とフーガ を颯爽と指揮するスウィトナー(1965年ベルリン国立歌劇場管弦楽団)の映像…

I父と母の出会いについて私はこれまで何も知らなかった。二人は40年もパートナーでありながら一緒に暮らしたことがない。二人が知り合ったとき、父はすでに別の女性と結婚していた。ここ数年、父は日曜日に私たちと食事に出かけるようになった。正式な妻、マリタも一緒に。

…スウィトナーには二人の妻がいる。イゴールは後の妻レナーテ(R)との子であり、前(正式)な妻はマリタ(M)…(スウィトナー、マリタ、レナーテ、イゴールの4人はいつも昼食をともにしている)

Mこんにちは
Sこんにちは(といってMにキスをする…日本人には絶対真似できないと思う)
…ワインを飲みながら昼食 スウィトナー、マリタ、レナーテみんなたばこを吸っている…
M復活祭おめでとう(レナーテと乾杯。つまり二人の妻がグラスを合わせる。スウィトナーは目立たない)
Sそのグラスはマルティーニ?いつも同じだ。腹が減った。小玉ねぎか。
M届かないは。
S(レナーテに)取ってやれ。
Rお取りしましょうか。
M私は結構よ。
S(料理を取ろうとするが手が震えて思うように行かない)
R(スウィトナーに)あなたもどうぞ。私がとってあげる。
…レナーテがスウィトナーに料理を取ってやっているのをマリタは黙ってみている…
Sアスパラガスも。それでいい。(マリタへ)君は?
M私はいらない。
…食事が続く…

I父は二人の女性に真実を告げた。私は幼いころからマリタのことを知っている。普段の父は、私たちから20キロ離れた別世界、壁の向こうに住んでいた。父が東ドイツに移り住んだのは1960年。ドレスデンで歌劇場に呼ばれたのがきっかけだった。

…スウィトナー淡々と話す…
Sドレスデン時代、手に入らない物はなかった。国立管弦楽団の総監督は優遇されていたのだ。当時東ドイツではあらゆる物が不足していたが、ないはずの食料品が店の奥から出てきた。それほど住民がオーケストラを大事にしていたのだ。ドレスデンでの4年間はなにより幸せな時代だった。私が東ドイツに渡ったことを非難する親せきもいた。「悪魔と手を結んだ」とね。しかし、私は自らドレスデン行きを望んだ。それは世界有数の管弦楽団であり、リヒャルト・シュトラウスともゆかりが深い。
I名誉と思った。
S大きなステップアップだった。ファルツの管弦楽団から、ドレスデン国立管弦楽団へ。大きな飛躍だ。私は昼も夜も音楽に没頭したよ。ドレスデンのオーケストラは弦楽器の響きがすばらしかった。(ため息をつき、感慨深げに)その音色は色彩に富み、色彩の供宴のようだった。…作ろうとしても作れるものではない。彼らを率いて、私はバイロイト音楽祭にも行った。
演出家のW .ワーグナー氏は私たちを高く評価していた。彼は多少癖は強いが、とても才能豊かな監督でこう言ったそうだ。「オットマールとドレスデンの組み合わせなら…いいものになりそうだ」

…スウィトナー、イゴール、レナーテは車(スバル製)でバイロイトへ向かう。(車の中での会話)…

R私たち、バイロイトでは3回ほど会ったわね。
S2回だ。
Rそう?
Sいや、3回か。
Rバイロイトはあれ以来よ。
S私もだ。音楽祭には4年出演した。最初は「タンホイザー」、次が「さまよえるオランダ人」。
Rその年、出会ったのよ。
Sそれから「ニーベルングの指輪」も。
Rそれは見ていないは。
Iあそこに東屋が。
Sどこ?
Iほら。
Sほんとだ。たしかにあれだ。
I東屋にはどんな思い出が?
Rあそこに腰かけたの。2人きりで。
Sああ。
…レナーテは懐かしくうれしそう。スウィトナーの表情は変わらないがうれしそう…
S私はこう言った。「誘惑するつもりはない」
R逆に私の方から。
S「なぜ誘惑しないの」と言ったんだ。思い出した。
…レナーテうれしそう…
R見えてきたわ、祝祭劇場よ。
Sそうだね。

…一行は祝祭劇場へ入る…
祝祭劇場管理者「お会いできて光栄です。どうぞ。」
S私もうれしいです。
…スウィトナーとレナーテはホールへ向かう…
Sバイロイト音楽祭ではどの指揮者も緊張したものだ。指揮がやりにくい会場だった。
Rあらハープ(の音)だわ。
Sあそこに第一バイオリンと第二バイオリンが並び、両わきに低音部の弦楽器。ハープも両側に3台ずつ。ワーグナーはステレオ効果を意識していたんだ。
Rバイロイトはワーグナー向きの劇場?
S理想的だ。
Rあれが舞台ね。
S「さまよえるオランダ人」のときは…
R私は客席に。
S君の親友も一緒だった。
Rオフェーリアよ。私があなたに深入りするのを彼女は警戒していたわ。
S本当に?
R忠告されたわ

…2人はホールから別の部屋へ、イゴールのインタビューを受ける…
R私たちの恋愛がいつ始まったか聞きたいのね。
(スウィトナーは震える手でコップを手にして、飲み物を飲んでいる)
Rオットマールは40歳を過ぎていて、私は24歳になる少し前よ。私は恋愛に対して慎重な年頃になっていた。(若いころのレナーテの写真が映る。可愛らしい。)
大学の勉強と仕事に集中しようと決めていたの。そんなときに事務所で紹介されたのがオットマールだったのよ。それはなんとも美しい夕暮れどきだった。
彼の瞳は…夕暮れの光をたたえて緑色に輝いていた。私はただ、その瞳に見とれたわ。何も考えられずに。
S(懐かしそうに話すレナーテを表情を変えずに見つめながら)何も?
R私の心はそのときに決まったの。
S私はこう思った。「なんてきれいな人だ。この人を捕まえたい」
Rすぐに思ったの?
Sふふふ。行動は遅かったが。
R「捕まえようと」と?
S君が先に私に一目ぼれしたんだよね。
Rふふふ。何か予感がしたの。彼は仕事中によくたばこをせびりに来たわ。私の方が彼よりずっと貧しい学生なのに。
S(レナーテを見つめながらまんざらでもない表情)
Rそしてある日食事に誘われた。
Sそれが最初。
R(たばこを吸いながら)最初のデート。私はすでに熱烈に愛していた。
Iでもしばらくは何も起きなかったよね。
R(煙をふーとはき出して)何を望むべきか迷ったの。
S互いにね。
R彼は既婚者だったし。
S(自分の手をレナーテの手に乗せながら…こういったことも日本人には真似できない)そのころだ。あの東屋で2人きりで会ったのは。
Rそこで小さな戯れを…
Sなんてすてきな表現だ。
(2人うふふふふふ…)
S控えめなところがいい。
Rそれがバイロイトで会った最後ね。

…「トリスタンとイゾルデ」の情熱的な音楽が…
…祝祭劇場前の広場を2人で腕を組んで歩きながら。スウィトナーは杖をついている…
R夕闇の中、東屋まで歩いたわね。
Sああ。
R道を知っていたの?
Sああ。
Rもしかして別の女性と行ったことでも?
Sないよ。
Rそう?
Sずっと昔のことだ。
R38年前ね。
Sいつの間に…東屋の中をのぞいてみようか。
2人はキスをする…

R「トリスタンとイゾルデ」にこんな歌がある。「愛してる?本当に?私たちの愛は本物?」。25分も同じ言葉を交わしている。
S結局意味のない会話にすぎない。
Rでも私たちも…
S似たような会話をした。
R恋人たちのお決まりの会話だと知ってても、止めることができない。あなたが何を考えているかを常に知りたかったし、2人が1つになるときをうっとりと想像したわ。
S(少し困惑したような顔で聞いている)
Rでもその夢はいつも突然破られた。
Sそして慌てる
Rイゾルデにも夫が。
S君は私が恋愛を理解していないからトリスタンの指揮は無理だと言った。何度も言ったね。評判が良かったのに。
R嫌味を言っただけよ。
Sええ?
Rただの嫌味だってば。あなたの指揮が向上したのは私が幸せにしてあげたからよ。
S(震える手でワイングラスを持ちながら)「酒・女・歌」を称えたワルツがあるだろ。言い得て妙なり。
R女性に対して失礼よ。ふふふ。
Sなぜ?
R女性を卑下している。
Sどうして?
Rだって女性は物じゃないのに、お酒や歌と同列に扱うなんて失敬だわ。
S(しかたがないというしぐさをしながら)作ったのはJ・シュトラウスだ。
R19世紀的…
S私は彼を弁護する。
Rうふふ…

…J・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」序曲を指揮(ベルリン国立歌劇場管弦楽団1978年)する様子が映し出される(スウィトナーはかなりおなかが出ている)…
S(指揮を止めて)止めて、なかなか良い仕上がりです!この曲については以前も言ったことですが、ダダダン ダンという拍子が型どおりだと味がない。型どおりとは… 私が求めるのは… 何度も言うが大事なポイントです。
ではもう一度。(愉しそうに演奏を再会)
…すごいはじけるようなリズム感…
(再び指揮中断)
S止めて! 確認しておきましょう。ワルツの踊りには2種類あります。通常のワルツと上品なワルツです。通常のワルツは右に旋回します。この曲もそう、右に旋回するワルツです。
踊り手の男女がゆっくりと歩み出て、小休止の後、ホール全体が始める。ではもう一度9番をやりましょう。
(気持ちよさそうに指揮を再開…しばらくしてまたしても中断)
S今の部分は各パートがきちんとそろわなかった。ファゴットが少し遅れ気味です。
(オーケストラの人はにこにこして話を聞いている)
遅くなりすぎないで。
ウィーンの音楽は何事もやりすぎていけない。過剰さや粗っぽさは誤りなのです。

…場面は変わりスウィトナーとイゴールの会話(両者ともたばこを吸っている)…
I最近は頻繁に父を訪ねている。父の昔の演奏に耳を傾けている。もし、再び演奏するとしたら父はどの曲を選ぶだろうか。
S好きな曲は好きな食べ物と同じくらい個人的なものだ。
Iなぜ、その曲を選んだの。
Sポルカ「とんぼ」は何度となく指揮した曲だ。シュトラウスの作品はたくさん演奏してきたが、しかし、1つ選ぶなら「とんぼ」だ。この曲はとりわけ美しい。
(震える手で楽譜をめくる)
ヨハンとヨーゼフの作品はどれも本当すばらしい。聴衆を楽しませると同時に、私自身楽しめる。演奏中、皆が晴れやかな気分になる。交響曲を指揮しているときなど、聴衆の中には居眠りをしている人もいる。この曲に限って、そういうことは一度もない。人を明るい気持ちにさせる特別な曲だ。だが、演奏は容易ではない。小さなとんぼの躍動を音で表現するのだ。生き生きと…とんぼは空中に止まって見えるときも羽だけは素早く動かしているのだ。特に難しいのは曲の終わらせ方だ。
とんぼを観察したことがあるかい?
とんぼは常に音もなく飛び去っていく。オーケストラもまた静かでなければならない。とのぼの繊細さを音で表現するために。もし、このポルカの題が「コンドル」だったらフィルテシモで終えるだろう。しかしこの小さな生き物の場合は消え入るように。バン、バン…それだけだ。

(正式な妻マリタとの会話)
M(昔の写真を見ながら)ハンサムね。
Iいい笑顔だ。愛に満ちた眼差しですね。(父の別の妻に対して)
Mまあ…そうかしら
(若いころの2人の写真を見ながら)
Mふふふ、私は彼に引っかけられ、彼もまた私に… そうよね。互いに引っかけられた。
Iどうして?
S本気じゃないさ。
Mええ、冗談よ。バイロイトの写真ね。
S歌手のシリヤと演出のワーグナーがいる。バイロイトの「さまよえるオランダ人」だ。
M(別の写真を見て)これもバイロイトね。
M(また別の写真を見て)これはローマ法王だわ。
S法王が私におっしゃった言葉を覚えているよ。
「ドレスデンの管弦楽団はホルンの響きが美しいですね」
あれには驚いたよ。
M本当にね。
Iなぜ招待されたの?
M教会に寄付をしたからよ。あれは東ドイツから国家功労賞をもらった後ね。そうよね。
(2人でたばこを吸いながら)
Sおもしろい写真だ。何のときだろう。
Mレコードの録音よ。
S私はレコード会社のウォルム氏とオペラ録音をしようとしていた。モーツァルトのオペラを原語で録音するのだ。そこへ党の横やりが入った。労働者階級のためにドイツ語上演に限るべきだと。
Mそうだったわ。
Sそうしたらウォルム氏が提案をした。「魔笛」と「後宮からの誘拐」はドイツ語上演にして「フィガロ」などの3作品はイタリア語にしたいとね。彼らは同意した。妥協のつもりで。役人の愚かしい妥協を笑ったものだ。魔笛や後宮はもともとドイツ語だし、ほかの3つはイタリア語名のだ。勝利したのは我々労働者階級というわけだ。
…モーツァルト歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲の演奏風景(ベルリン国立歌劇場1996年)映る…

北ドイツ放送のインタビュー(1984年)
(余裕のある語り口で充実感がうかがえる)
Sベルリンで指揮者としての地位とチャンスに恵まれました。またベルリンはすてきな街だと思います。大通りのカフェでコーヒーを飲むひとときが好きですね。
相手「気晴らしに?」
Sええ、リフレッシュしにね。コーヒーを飲みながら新聞をよく読みます。東側の新聞を読み、さらに西側の新聞を読む。うそが多いのはどちらかを比べながらね。私の政治的な新年は…社会主義やマルクス主義を信奉するかという問いに、しっかりとお答えできる自信はありません。私の知識はあまりにも未熟だからです。

…一転して衰えた現在のスウィトナーへ…
S私には特権的自由があった。国境を自由に行き来できたのだ。それができたのはほんの数人。演出家のフェルゼンシュタイン、女優のヴァイゲル、そして私と妻だ。国境での検問も免除された。(たばこを吸いながら)オーストリアのパスポートで旅行もできた。
M当時私はとても忙しかった。彼の秘書としての一切を仕切っていたから。手紙を書いたり、旅行の手配をしたり…
Sお金の管理も任せた。
Mそう、お金の勘定も私が、あはは。
S全部まかせっきりだった。
Mええ。
S今は自分でしなければ。
Mそれが当然よ。
S…
M常にすべきことが山のようにあったわ。私は音楽以外を受け持ち、彼は音楽だけに集中した。

…デッサウ「交響的変態」 モーツァルト「弦楽五重奏曲変ホ長調」による(ベルリン国立歌劇場管弦楽団1970年)の演奏風景が映る…

…イゴールのインタビュー…
I指揮台に立つのは好きだった?
S人前に立つのは好きではなかったが…
Iどんな気持ち?ためらいや緊張は?
Sいや… 「破滅するならしろ」と自分に言い聞かせて軽くあいさつして、即演奏を始めた。ほかには目もくれない。多少の緊張は必要だ。でないと面白くない。

…レナーテの話し…
R「手紙を受け取った。ありがとう。このところとても忙しい。西ベルリンに行けるのは10月17日だろう。そのとき君にあえたらとてもうれしい。たくさん話しをしたいことがある…オットマール・スウィトナー」
(スウィトナーがアイネクライネ・ナハトムジーククを指揮している映像が流れる)
Rベルリンで再会して私たちの関係は深まったの。以来彼の公演は全部見たわ。年にオペラが30回、演奏会が4回。私が望んだの。彼も望んだはずよ。別に強いられたわけじゃない。「本当に来るの」と聞かれて「ええ」と答えたの。遅れたことはないわ。預けられたチケットはもちろん上席だった。席に着くと暗くなるのをじっと待つの。開始直前マリタが桟敷席に入るのが見える。明かりが消えオットマールが現れる。いつも足早に歩くのよ。客席に一礼すると、彼は私を見つけて手で小さな合図をするの。私は彼の成功を祈った。後は時折彼の手と頭が見えるだけ。ロマンチックな時間だった。秘密のきずなを感じたわ。

…ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」(ベルリン国立歌劇場1971年)が映る…

…マリタの話し…
M夫の気持ちがよそへ移ることがあったわ。別の女性に。でも大概は遊び。ただし例外が1つだけあった。それがあなたのお母さんよ。それでも私は彼と別れる気はなく、彼も私と別れる気はなかった。そのまま夫婦を続けてきたの。不思議に思うでしょうけどそれが事実。私は強い女ではない。愚か者かもね。本当に。すべてを引き受けるなんて。うふふふ…

…レナーテの話し…
Rこの写真を破いたのは私なの。かっとなって。怒りのせいか、恋しさのあまりか…
(イゴールに対して)見てどれも最初のころの手紙ね。ブエノスアイレスからよ。
「最愛のやんちゃな君へ  君からの手紙が届いた。私のことをまだ忘れてはいないようだね。元気そうだ。こちらはコロンブスが発見してしまった大陸で初めての魔笛を演奏した。まあまあの出来だった。皆に偉大な指揮者だとおだてられて、今日はソンブレロを買った。偉大な指揮者は小さな帽子をかぶれないのだ。最愛の君。手紙を書いていると、ますます君が恋しくなってくる。2人が一緒になるのは運命の定めだ。しかしそれには努力が要る。君を抱きしめたい。 オットマールより。

…スウィトナーの話し(密告文書を読み上げる。話し方は終始穏やか)…
S「スウィトナー教授に関する機密情報」教授の肩書きは国立歌劇場音楽総監督、この情報は非公式の党の協力者からもたらされた。教授について以下のことが判明した。教授は西ベルリンの女子学生を演出家の助手として採用」
ああ、これはレナーテのことだ。
「その学生はバイロイトで働いていた経験を買われ、一時期演出家の補佐をした。歌劇場では39日間働いて、その日当を得ている。」
この部分はうそだ。私が彼女の費用を出したのだ。
Iそう。
Sああ。「女子学生は歌劇場の負担でホテルにも宿泊した。しかし、後で彼女に仕事の才がないことが判明」
なんてことだを!
「実は教授はこの女性と親密な関係を持っている」
知られていたのか…
「彼女が採用された本当の理由は…教授が支配人を脅したからである」
これは本当だ。採用しないなら、私が出ていくと言った。
Iうふふふ。
Sそう迫ったのだ。「この報告書を文化省に提出して判断を委ねる」
I何年ごろの文書?
S1966年だ。私はただ… 彼女をそばに置きたかったのだ。わかるだろう?

…ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」N響との演奏が映る…

…スウィトナーの話し…
S指揮を見て歌い出してごらん。どんな音でもいい。
(スウィトナー指揮棒を振る)
Iあ~と応える。
Sそれでいい。もう一度。
(スウィトナー指揮棒を振る)
Iあ~と応える。
Sよしそれでいい。正確だ。
I簡単そうだ。
Sじゃあやってごらん。(と言って震える手で、イゴーリに指揮棒を渡す)
Sその握り方は違う。指揮棒は常にまっすぐに。なぜってこれは腕の延長なのだから。いいね?指揮棒の先までが自分の腕だ。まさに木の腕だ。指揮をするうえで重要なことがある。第1に自分の呼吸。そして自分の目だ。とくに演奏者たちとのアイコンタクトは大切だ。各パートの出だしの演奏者をちらりと見ただけで、相手の心を引きつけるのだ。それじゃあ、フィガロの序曲を指揮してみよう。

…ちょっと頼りない表情でフィガロのメロディーを歌いながら指揮棒を振る。大きな目が印象的。…

S速い二拍子だ。速く、短く。(イゴーリに指揮棒を渡す)
I小刻みに振るの?
S振幅を小さく。指で動かすといい。
I(スウィトナーの歌に合わせて指揮棒を振る)
Sなんてモタモタした序曲だ。もっと速く。もっと手をしなやかに。(また歌いだす)
Iわかってきた。
S(微笑みながら)まだ遅い。少し良くなった。指で操るのだ。もっと速く。よし、そのテンポだ。フォルテは強く。そうだ。

…1971年レナーテとの間に息子イゴールが誕生した…
I何をするの。
Sピアノを弾いて。
I曲を?
Sああ。
Iバッハの何かの曲だと思うが、弾く。
S低い声部をもっと際立たせないと。上の2つの声部をもう少し弱く弾くべきだ。(少し厳しい表情で)
Iわかった。もう一度やってみる。
S間奏のところから。
I(弾きなおす)
Sいい。1つだけ誤りがあるようだ。こう解釈してごらん。間奏はフーガの後の休息のようなものなんだ。だからもっと弱い音で…
I弱くなかった?
Sだめだ。残念ながら。もう一度弾いてごらん。
I(弾きなおす)
Sそこを弱く。そこだ。
Iうまく弾けない。
Sさっきより良くなった。
Iテンポが遅くなって…
Sいや遅くなるのは悪いことじゃない
I(引き続ける)
I父は時々ピアノを教えてくれます。父にピアノを習いたいと言ったとき父は喜びました。父と私の大事な時間です。

…レナーテ宅へスウィトナー出かける(イゴーリと3人で食事)…
Sこんにちは
Rいらっしゃい(食卓へご馳走を運ぶ)
Sおお、あっという間に作るんだね。
Rどうぞ。
S塩は効いているんだろうね。
Rたぶんね。
Sそう?
R足りなかったらここに。少しかける?
Sああ、頼む。
Sお前(イゴーリ)が小さかったころ、たまに小学校に連れて行くのが楽しみだった。一緒に暮らせなかったからね。お前はお母さんによくこう言った。「パパはリンデン・オーパー(おじいちゃんち)にいるんだ」
とね。オーペル(歌劇場)をオーパー(おじいちゃんち)とね。ベルリンのおじいちゃんち…
S私が子どもを望んだかという質問に答えよう。
Rええ。
S子どもを作ることには反対だった。
Rそれはどうだったかしら。
Sええ?
Rそんなことあるはずないわ。変なことを言うのね。私たちは計画的に子どもを作ったじゃない。
S(ちょっと困ったような表情で)本当かい?
Rええ、もちろんよ。
Sそうか。
R昔のことだけど思い出せるはず。
Sそうだ思い出してきた。
R私たちは話し合ったわ
Sそうだった。
Rそれに話し合う前からあなたの望みを感じていたわ。
Sそれはバイロイトのときではないね。
R違うわ。あのときは再会の約束すらしなかった。

…自分がシューベルト交響曲第8番ハ長調を指揮をしているビデオを見て…
Sだめだ、腕を回しすぎだ。
IとRうふふと笑う。

I子ども時代父は週末だけの存在でした。国境を越えて私と母の家に一晩泊まり、日曜日の夕方には別の生活に戻っていたったのでした。

…レナーテの日記…
「幻想なんか消えて無くなってしまえ」
「私は後に残る現実だけを信じる」
「大事なものは全部」
R多分深く悩んでいたに違いないわ。もう思い出せないけど。
Iお父さんは誰も捨てなかったね。
Rええ。彼はああいう人なの。東ベルリンの歌劇場にあれほど長く残っていたのもそういう性格のせいね。国立歌劇場の管弦楽団を彼は見捨てられなかった。もちろん出て行こうと考えた時間はあった。でも見捨てられなかった。私の置かれた状況は悪いものではなかった。確かな男性の支えがあり、自由でもあった。決して不幸ではなかった。ただし、代償も払ったわ。それは毎日の生活を共に過ごせないこと。

I1976年父は指揮の仕事に加えて、ウィーンの大学で教え始める。この時私は5歳。父とあまり会えなくなった。
…スウィトナー昔教えていた大学を訪れる…
I音楽大学へ?
Sそうだ。
I教えるのは楽しかった?
Sとってもね。指導した学生は千人を超える。私は学生には寛大な教師だった。中には厳しい教授もいて試験のときに…学生にハイドンの7つのミサの名を質問すると答えられない学生は落第させられた。私はその教授に会いに行きこう述べたものだ。「先生に提案があります。本で調べられないようなことを質問しないでください」とね。私が学生に尋ねるのは、体調がどうかということ。悩みはないかということ。そして将来の計画…
…学生たちが「舞踏への招待」を練習しているのを見て…
Sすばらしい。しかし管楽器の人たちへ一言。あなた達は殺し屋だ。弦楽器の音を殺している。オペラで女性歌手が歌手いるときにそんな演奏をしますか?しませんね。弦楽器の音を聴いてもっと合わせなければ。どうか、弦の響きに耳を澄ませてこのオペラでもっとも美しい部分を意識してください。それはメロディーです。

…別の女子学生が指揮をする(ホルンが終わったあとの演奏について)…
S短すぎる。間が短すぎる。ホルンの響きが消えてからだ。
女子学生「(オーケストラに対して)ゆっくりといきましょう」
Sいいですか。ここは難しい。
女子学生(もう一度トライ)
Sまだ早すぎる。マダム、ホルンの音が消えるまで待って。
女子学生「ホルンと弦の間に間をとるのですか?」
S楽譜にある?
女子学生「いいえ」
S楽譜にないものはありません。
(一同笑い。もう一度トライ)
S延ばして。今度はいい。チェロの音が際立たない。だめだ強く。

…「舞踏への招待」を最後まで聴いて…
S(学生が演奏しているのを嬉しそうに見ている。時々、自分も腕を振っている)
Sすばらしい。皆さん私は20年間この大学で教えましたが、当時の学生はこんなにうまくなかった。実に見事でした。心から皆さんを祝福します。若者の成長はとどまることを知らない。そして老人の衰退も…(一同笑い)

I考えてみれば不思議だ。お父さんが何十年も過ごした場所を僕がほとんど知らないなんて。
Sかもしれないが。私は余りにも多くの場所を転々としたからね。知らないのも当然だ。

…突然「N響アワー」1989年1月放送が展開…
スタジオにスウィトナー出演。
司会者「ようこそいらっしゃいました。リハーサルの最初に演奏者に何を話しましたか」
S私がリハーサルの指揮台に立つとき、オーケストラは以前もその曲を演奏したことがあり、私なしで演奏することもできます。大事なのは私の解釈を伝えること。そのことに努めます。
司会者「ブラームスの3番はどんな曲ですか」
S3番はブラームスの交響曲の中で演奏される機会が少ない作品です。そのもっとも大きな理由は曲の終わり方が静かだからでしょう。
司会者「最終楽章ですね」
Sそうです。最近の世界は騒々しいので音楽も激しいものになりがちですが、そういう時代にこそ静かに終わる曲を見直したい。

…スウィトナーからの手紙(東京より1980年10月15日)…
愛する息子へ。今日で13回目のコンサートだ。全部で18回。落ち着かない人生だ。ガラス製の龍のお守りを君へのお土産に買った。とてもきれいだ。ここ日本では一日に千キロも移動することがある。今は日本の南の町にいる。火山灰が降るので、町の人は晴れでも傘を差している。ごろごろと地鳴りがしてホテルが揺れている。公演はうまく行っているが毎晩よく眠れないのが悩みだ。昨日は団員と少々もめた。ぐずる君を見るようなものだ。嫌なものだ。お父さんは息子のために一層がんばらなければならない。早くそばに帰りたい。お前は将来、家族と一緒にいることができる職業を選びなさい。
…ベートーヴェン交響曲第5番(ベルリン国立歌劇場管弦楽団 東京1992年)が映る…
スウィトナーは汗だくで熱演。会場からは割れんばかりの拍手が起こった。

…日本の光景で和服姿の女性が目立った。お正月でもないので、演出だな。…
…日本のDENONのジャケットなどが映る…

スウィトナーは過ぎた日はカレンダーに斜線を引いている。
5月12日、13日、14日、15日、16日おっと16日は私の誕生日だ…この日の曲目は「コシ・ファン・トゥッテ」
Iどうして斜線で消すの?
S暦の数字を消すのと同じだ。一日が終わるたびに消す。昔からの習慣だ。囚人は毎日壁に傷を付けて置くそうだ。そうやって待つのだ。再び出られる日をね。それと少しに似ている。時にオペラを見るが総練習の日が多い。夕方はほとんど外出しない。例外もたまにはあるが。体外はどこへも。

…ベルリン国立が劇場管弦楽団へ…
Sわかった一度だけ指揮をしよう。
I私がこの映像を取り始めたとき、父にもう一度指揮をしてほしいと頼みました。過去の映像や録音ではなく今の父と思い出を積み上げたかったからである。父はしばらく返事をしなかった。しかし父の心の中では何かが変化していた。
Iお気に入りの交響曲は?
Sモーツァルトの変ホ長調。本当に美しい曲だ。最終楽章のバイオリンは難しい。(最終楽章の出だしを歌う)そして最後は、唐突に終わる。すべてが天才的だ。
I今も暗譜しているの?
Sああ。(震える手で楽譜を広げる)ここから第二楽章。アンダンテだ。(メロディを歌う)
Iいつ暗譜したの。
S30年前だ。まだ覚えている。
I曲が浮かぶ?
Sああ。曲を思い浮かべるだけではなく、楽譜のイメージを吸い込むと同時に、自分自身の解釈が浮かんでくるのだ。今も実に鮮やかに。これは(指揮は)息子のために行うのだ。それ以外の理由ではない。私は指揮台を降りた人間だ。降りたからには二度と公の場には戻らない。私の病気は知っている・だろう。それで指揮をやめた。お前がそんなに見たいのなら少しだけ腕を振り回してみるか。

…再会(ベルリン国立歌劇場へ4人で)…
スウィトナーは杖を使いゆっくり建物には入る。
Iそこが入り口だ。
S(管理人へ)開始は3時?
管理人「ええ、私たちはその準備に。後ほどお迎えに」
S(スウィトナー控え室に残り)処刑前に最後の一服をしよう。
…管理人に手を添えられてステージへ…
Sこんにちは。お久しぶりです。ああ、バッツドルフさん。何てすばらしいかたが首席奏者の席に。(オーケストラから拍手があり)
団員「顔見知りですよ」
S覚えています。クラウゼさんがいる。ヘルツォークさんも。グランダーさん。ヴァイケルさんは?(手を上げて応える)。
Sあなたは最近指揮を。
ヴァイケルさん「ほんの駆け出しです」
*本日追記・・・もしかして、セバスティアン・ヴァイグレ
S今日はホルンで参加ですか?まだ吹けるの(会場笑い)
ヴァイケルさん「どうぞお聴きください」
S皆さん、会えてとてもうれしいです。まず神に祈りを。ご加護を祈り十字を切りましょう。あとは実践するのみ。それではモーツァルトを。いいですか。変ホ長調の美しい曲です。

…モーツァルト交響曲第39番変ホ長調(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)…
序奏が始まり、途中で中断。
Sそこはフォルテのまま。モーツァルトがそのように意図したのです。同じところをもう一度。どうぞ。
(演奏再会)
S鋭く!
(序奏のところが終わり中断)
Sありがとう。とてもすばらしい。完璧に近い。次は難しい部分です。最終楽章です。すぐ始めよう。
(最終楽章最初から)
S(だんだん熱が入ってくるが終了少し前で中断)とても満足な出来です。皆さんは見事な演奏者だ。私を補ってくれる(会場から笑い)
Sどうぞ、速めに。
(演奏再会し終了)
S「とんぼ」のテンパニー。弦の音のにある効果を加えます。上にシンバルをのせてばちで軽く打ち続ける。ペダルを踏んで連打して。ややトレモレで。とてもいい。
オーケストラ「弱いぶ~んという音を発する」
…ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ「とんぼ」を演奏…


演奏が終わり
…マリタとの家から…
S行ってくる。
Iすばらしかった。感傷的にならなくて。初めて2人で旅に出た。父の生まれ故郷、インスブルックへ。昔両親と訪ねた場所です。でも大事なのは過去ではなく、これからです。
Sインスブルックから9キロほど離れた場所だ。
Iずいぶん遠くへきたね。
…ホテル着…
S服をかけてくれ。
Iはい
S母がなくなったとき、臨終には立ち会えなかった。行けなかったのだ。オペラのリハーサル中でね。父の臨終のときもやはり間に合わなかった。しかし父は亡くなる前にお前の写真を見たんだ。私に息子が出来たことをよろこんでくれた。
…2人でお墓参りに…
S一緒に十字を切ろう。
Iはい。
Sこれでいい。
…インスブックのアルプスを背にたばこを吸いながら…
S「黒いカラス(不吉なもの)」の話しを知っているか。
Iいいえ。
S指揮者C・クラウスの戦時中のエピソードだ。当時彼はザルツブルクとミュンヘンを行き来していた。たびたび爆撃があったので、彼は黒いカラスを引き合いに出して言った。「黒いカラス(不吉なもの)はどうしてる?」そこへ実際に悪い知らせが届いた。しかしクラウスがこのキバシガラスを見たら不吉と思ったかどうか。
Iキバシガラスはきれいだね。
Sああ、カラスは美しい鳥だ。カラスには思い出がある。寒くなるとシベリアからウィーンへ南下し、我が家の庭にも良くやってきたものだ。木のてっぺんとか、高ところに住んでいる。毎年、冬を越すためにはるばるやってくる。
Iまた2人で旅行できるかな。
Sわからないができればいいね。
I父さんにはずっと長生きしてほしいよ。
Sお前の言葉はうれしいが、長く生き過ぎるのも考え物だ。
I父さんは父親になるのが遅かったね。
Sああ、お前のお母さんと出会うのが遅すぎたのだ。
I僕は自分の父の老いを認められないのだ。
S認めていないのか。もうじきわかる。
Iホテルと立つとき父は手を上げて景色に別れを告げた。まるで、指揮をするときのように。父のイメージは私の将来の宝となるでしょう。




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