里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

長ネギは未だ生長を続けさらに太る

2024年01月16日 | 畑:葉菜類

長ネギは未だ生長を続けています。とりわけ太りが良い。


当地では、例年なら今頃になると生長はストップし、枯れ葉が目立ってきます。
今年は顕著な暖冬のようで、ますます充実してきました。


品種はホワイトスター。
今年は猛暑の影響が大きかったと聞きますが、我が家ではそれほど問題になりませんでした。
毎年、植付け時に敷き藁をたっぷりと入れていることが今年は効果を発揮したようです。


9月20日頃から抜き取り収穫を始め、本格的な収穫は10月半ばから。
今、長ネギの収穫の進度は6割くらいになっています。
畝間を120㎝に広げたので追加の土寄せを試みました。効果はあったようです。
そして何と言っても今年は気温が高い。新葉はピンとし青々としています。


それでも厳寒期ですから外葉は垂れています。しかし、さほど枯れ上がってはおらず気になりません。


今年は草丈も伸びていますが、それ以上に太りが良い。


近年では昨年が良い出来でしたが、厳寒期の今となっては今年の方が上です。
気温が高いとは言っても厳寒期。最低気温は氷点下を記録する日が多くなってきました。
白根(軟白部)は一段と甘味が乗り軟らかくなっています。
穫ってみました


一本太ネギらしい姿になっています。
調製してみました。


分岐までの丈は40㎝あります。太りも十分。軟白は完璧ではないものの我が家の作り方としてはほぼ限界。
このくらいなら以前から目標にしている長ネギの姿で、満足できます。
これは12月半ばに曲がりネギ風にヤトイをしたもの。


軟白を完全にしてみようと試みましたが、如何にも遅すぎたようです。
それでも新葉は大分立ってきました。穫るのは2月半ば以降ですからそれなりの曲がりネギになることを期待です。


小正月行事「鳥追い」と「団子刺し」

2024年01月15日 | 暮らし

当地方では1月14日から15日がいわゆる小正月です。
そして、14日夕方に行う正月行事が「鳥追い」。
1月14日までがいわゆる松の内でしめ縄や松飾りを下ろします。
一般的には、それを神社の境内や広場で行われる「どんと祭」で燃やすのが普通です。
一方、「鳥追い」とはその名の通り鳥を追い払う行事のこと。
農村では農作物が害鳥に荒らされないよう「鳥追い」をすることで豊作祈願をするのです。
もともと、我が家では下ろした松飾りを御神木と定めた杉の木にしめ縄で括り付け納めます。
その納めに行く時に、「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で繰り返し叫び、鳥を追い払うのです。
これがその御神木、実は2代目ですが括り付けるのが甚だ困難となりました。


脇のケヤキと大木同士がピタリとくっつきしめ縄が通せなくなってしまいました。まだ痕跡が残っています。
そこで昨年から山の神様に納めることにしました。
我が家では昔から前年の古いお札や飾りものは、大晦日に山の神様に納めるのが習わしです。
ですから、新年の松飾りを納めても何の問題もないと考えました。
これが下ろした松飾り。大した量でもなく納めるのは全て朽ち果て自然に帰るものだけです。


この山の神様に納めるのは今年2年目となります。


本当は納めに行く途中に「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で叫ばなければならないのですが。
さすがにこれは恥ずかしい。小声で唱え豊作祈願、家内安全、世の平穏を念じました。
そして、小正月のもう一つの習わしが「団子刺し」です。
小正月は女の正月とも言われます。「団子刺し」は、小正月らしい華やかさを感じさせる行事です。
「団子刺し」は、通称団子の木に団子を刺して飾り付けます。
これが団子の木。中央にすっと立っている木です。正式名はミズキ(水木)。

ミズキはこけしを作る材料として知られる重要な樹種です。
当県には弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系など著名なこけしの産地があります。
その重要な樹種も当地ではごく普通に団子の木と呼ばれます。
それほどに小正月の「団子刺し」は重要な行事だったと言えるでしょう。
ミズキは枝がなめらかでするっと伸びます。赤みを帯びた美しい肌をしており、枝先は団子が刺しやすい。


「団子刺し」は、昔から続く豊作や家内安全・家内繁栄を祈願する習わしです。
これは助っ人が作ってくれたもの。


ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、縁起物の飾りをぶら下げ、神棚や部屋に飾り付けます。


今はほんの形ばかりですが、昔々は大きなミズキに部屋中一杯団子の花になるほど飾ったものです。
幼少の頃、15日の夜明け前に囲炉裏に大きな鍋を掛け「暁(あかつき)団子」を食べたことを思い出します。
様々な正月行事も次第に姿を消し、昔の風習を知る人間も少なくなりました。


水墨画「枇杷の花」

2024年01月14日 | 水墨画:草花
画仙紙 半切1/3  

ビワの花が今時分に咲いているのを知る人はどのくらいいるでしょうか。
ビワの実を知らない人はまずいないと思いますが、花はどうでしょう。
我が家のビワも11月中から咲き始め厳寒期の今でも咲いています。
果樹の花と言うとリンゴやナシのように短期間に咲くものが多い。ビワの花は2、3ヵ月も咲いています。
それも沢山の小さな花が固まって着きます。近づいてよく見ないと花びらがどれなのか分りません。
遠目には花が咲いているようには見えないでしょう。
たった1本のビワの木ですが、昨年はよく穫れました。例年なら収穫直前に獣害に遭うのが常です。
もっとも半放任なので穫れなくても文句は言えません。
幼少の頃、我が家の裏には大きなビワの木があり、木によじ登ってよく穫ったことを思い出します。
小さい実で殆どが種ながら甘く、いつもひもじい思いをしていた時代に貴重でした。
ほどなくして切られてしまったのは残念なことでした。
ビワを描くとき、特徴的なのは長く厚みのある大きな葉です。勢いの良い葉が表現できれば成功ですが・・・。


古木のザクロと白梅・紅梅の剪定

2024年01月13日 | 古木管理

古木のザクロと白梅・紅梅の剪定をしました。
樹齢は何れも推定130年以上。年々、衰えてが目立っています。
まずはザクロ。


一昨年、暫くぶりで実が数個成りましたが、昨年は花も少なく、実は1個も成りませんでした。
かつての剪定は高木にならないよう主に大枝を切り詰めることでした。
今は太い枝が伸びるようなことはありません。
枯れ枝と徒長枝を整理する程度で、むしろ切らないようにしています。
下の方の徒長枝はかなり出るので邪魔にならないよう全て切ります。

上の方は樹勢の維持のため徒長枝も伸ばしています。


枯れ枝だけはこのように切ります。


剪定量は僅かです。


こちらは白梅。


苔むした老木になりました。
4年ほど前、カイガラムシの一種タマカタカイガラムシが寄生し、どうなることかと思いました。
薬剤防除に加え寄生した枝を思い切って全て切り落としました。
相当なダメージだったはずで、老木だけにヘタをすると枯れるかもしれないと危惧しました。
結果としては奏功したようで、その後は寄生していません。
樹勢も以前と変わらないくらいに回復しています。
しかし、今は大枝を切り詰めることはしないようにしています。


このように根元近くは徒長枝が沢山生えます。


これらは全て切ります。


上の方は枯れ枝を少し切った程度。


これは紅梅。


年々根元の幹に空洞や腐れが目立っています。


こちらにはタマカタカイガラムシの寄生は確認されませんでした。
より樹勢が落ちているので、できるだけ新しい枝を伸ばすようにしています。
下位の方から出た新しい枝が少し太ってきたのは良かった。
徒長枝もあまり出ていません。


枯れ枝は切り詰めます。

上部の枝を切りました。


白梅、紅梅合わせても剪定量は僅かです。


家裏にある青果用の梅も剪定しました。
品種は白加賀。
この梅に最初にタマカタカイガラムシが寄生。古木の梅に影響しないよう枝を徹底的に処分しました。
こちらは樹勢が強いと見えて、新しい枝が大分出てきました。


分りにくいかもしれませんが、混んできたのでこの程度に間引きし、枝を切り詰めました。


自己流なので自信はありませんが、今年はそれなりに穫れそうです。
剪定量はこの程度。


何と言っても古木のザクロと梅をどう維持するかが一番の課題です。


小カブが一番美味い時

2024年01月12日 | 畑:根菜類

小カブが一番美味い時期になりました。
今年は11月半ばに育ちの良いものから間引きを兼ね穫り始め、12月早々からは本格的な収穫となりました。
品種は「耐病ひかり」。
昔ながらの品種ですが、大きくなっても美味しく食べられるので作り続けています。


暖冬とはいえ、さすがに1月中旬入りともなれば冷え込みます。
冬野菜は寒さが厳しくなると身を守るため体内に糖分を蓄えます。
そうすると一段と甘味と旨味が増すのです。小カブもまた同様。
葉はやや垂れ気味になり、少し黄ばんできました。


穫り始めの頃は蕪が葉に隠れてほとんど見えませんでした。
12月中も葉をかき分けながら穫っていましたが、今は上からでも見えるようになっています。


光りの関係で分りにくいですが、近づけばはっきりと見えます。


大きさも小カブらしい大きさです。


株間も初めやや密植だったものが、ほぼ十分な広さの株間になっています。
ただ、まだこのように少し近いところもあるので、一方向からでなく全体を見ながら穫っています。


小カブの蕪は殆どが地表に出ているため強い低温では凍害を受けます。今年は全く見えません。


「耐病ひかり」は大蕪になっても美味しく食べられますが、次第に繊維分が感じられるようになります。
ですから浅漬けとして美味しく食べられるのは今が一番でしょう。
小カブらしい舌触りと甘味、旨味を感じることが出来ます。
少し穫ってみます。


洗ってみました。


小カブは茎葉も美味しい。浅漬けには適度の茎葉が欠かせません。
今の時期、毎食小カブの浅漬けが欲しくなります。晩酌の摘まみにも良い。
我が家は専ら浅漬けですが、助っ人宅では煮物や汁物にもよく使うと言います。



暖冬異変はアスパラ菜にも

2024年01月11日 | 畑:花菜類

この時期になって、アスパラ菜の生長が頗る良い。


1週間ほど放置していたところ、すごく伸び花盛りになっていました。


今年のアスパラ菜は少し遅めの種播きながら11月早々から主枝(親茎)を穫り始めました。
11月半ばから子茎(1次側枝)が穫れ始め、12月半ばからは孫茎(2次側枝)が穫れています。
現在穫れているのは殆どが孫茎で、出だしから伸びが良かった。
孫茎になると、株の力が落ち気温も下がってくるため伸びは鈍くなってきます。
この時期になれば少し細身になり丈が短くなってくるのが普通です。それが今年は全く変わらないのです。


むしろ長く伸び茎も太くなっているようにさえ見えます。


株の勢いが保たれていることもありますが、やはり一番は天候なのでしょう。
アメダスデータを少々調べてみました。
1月になり上旬の10日間で最高気温が10℃以上の日が5日、5℃以下は1日だけでした。
ちなみに昨年は最高気温10℃以上の日は0日、5℃以下は4日、一昨年はそれぞれ0日、6日でした。
明らかに気温の高いことが分かります。ほぼ12月上旬の気温です。
例年なら多少収穫の間隔が開いてもこれほど生長し花が咲くことはなかったはずです。
子茎は2、3芽で切るようにしていますが、孫茎も同様に2、3芽残しで切ります。
この株を収穫してみます。


この孫茎を切ります。


切った後。わき芽が2芽残しになっています。


数本切りました。まだ数本以上残っています。これから切り跡がさらに増えていきます。


孫茎はからはひ孫の茎(3次側枝)が伸びてきます。
過去には春先まで穫ったこともありますが、それは稀なこと。今年は果たしてどうか。
アスパラ菜は多少花が咲いても問題ないもののさすがに咲きすぎ。しかし、食べるのに支障はありません。
数株穫ってみました。


長さも太さも子茎と何ら変わらず、孫茎でこのくらいのボリュームになることはそうありません。
大量の収穫になります。処分は助っ人に任せます。
何度か霜には当たっているのですが、耐寒性がどの程度付いているのか。
アスパラ菜は急激な強い霜には弱い。この暖冬傾向、何時まで続くのでしょう。



干し柿づくり'23~白粉が回ってきたころ柿の保管

2024年01月10日 | 干し柿づくり

干し柿は、干し始めてから50日、あんぽ柿が出来上がってから20日余りと言ったところでしょうか。
横吊りにしていた比較的大きな干し柿は年内中に殆どを贈答にし、残っているのは大部分が縦吊りの干し柿。
12月半ばから吊したまま紙袋で覆いをし昨年末までこのようにして置きました。若干横吊りの一部も入っています。


思いのほか白粉の吹き出しが遅く、この段階では外観上はまだあんぽ柿の状態でした。
ただ、大玉はなく中玉小玉のためそのまま置くと乾燥がより進み硬くなってきます。
そこで、助っ人に頼み昨年末に全て自宅内に取り込みました。
蜂屋柿が大不作だった前年と違い今年はそれなりの量があるため縄付きのままです。
これはその時のもので、紙で2重に包み、段ボールに保管しています。


この時は、殆ど白粉は見えませんでした。


こちらは小さな平箱に入れたもの。比較的大きめの干し柿で、ほんの僅か白粉が見え始めていました。


ここからは、白粉を吹かせながら硬くなるのを抑えることが必要です。
昔、母健在の頃は稲わらなどを用い「寝かせる」という管理をしたものですが、今は困難。
今年は白粉の吹きが少ない割にやや硬くなっています。そこで、より空気に晒されないようにして保管します。
これが現在の姿。段ボールに入れた干し柿も白粉が大分見えてきました。


少し量があるので大きなポリ袋に入れ密封状態にしました。


小さな平箱に入れた干し柿。こちらの方がより白粉が吹き出しています。


このような小さいポリ袋数個に入れます。そして、必要な都度取り出します。


これは年内からタッパーに入れ冷蔵庫で保管している干し柿。


小玉ですが、全体に白粉が吹いています。


より密閉度が高いので、乾燥が進まず硬くなりにくい。
これはさらに早くあんぽ柿が出来上がった段階でラップに包んでからタッパーに入れたもの。


柔らか好きの人間はこのようにすれば水分が抜けず長く状態が維持できます。
より長期に保存したければ冷凍です。
これはあんぽ柿が出来上がったところで冷凍したもの。一寸取り出してみました。


これならあんぽ柿が殆ど変わらない状態で保たれます。それぞれの好みで選択すれば良い。
我が家では常に茶菓子として出ています。


中玉の干し柿を取ってみました。


手で割いてみます。


ボリューム感はイマイチながらねっとりしたヨウカン状になっています。
このくらいが小生の一番の好みです。
中身がゼリー状だったあんぽ柿とは姿が大きく変わり、いわゆるころ柿です。
これからさらに白粉が全体に回り、姿は変化していきます。


柿の木3種を剪定そしてビワの木も

2024年01月09日 | 畑:果実類

柿の木の剪定をしました。
と言っても、それらしい剪定をするのは3種3本です。
まずはメインの甘柿、通称「五十匁(ごじゅうめ)」。
昨年の甘柿は大豊作でしたが、このメインの甘柿だけは成り方が普通ではありませんでした。
成るところには異常なくらい密に成り、成らないところには殆ど成らないと言う状態。
それでも結局のところトータル数では多く穫れ、肥大も悪くありませんでした。
剪定のやり方と関係があるのかどうかは知識がないので分かりません。
隔年結果の順で言うと今年は裏年に当たります。
これが剪定前。


剪定は全くの自己流です。
まずは通路やハウスの邪魔にならないようにすることが先決です。
そして、高く伸ばさないようにすること。挟み竹で届く範囲にとどめたい。
その上で太陽の光が十分に当たるように枝をこんな感じに間引きました。


重複する枝や徒長枝はほぼ切ったので、例年よりは多く切ったと思います。
これが剪定後。


よく分らないかもしれませんが、このくらいの剪定量になりました。


他の甘柿は邪魔になる枝を何本か切っただけです。
これは干し柿用の「蜂屋」。


昨年の蜂屋柿は成り過ぎでした。一昨年が大不作だったので典型的な隔年結果。
その順で言うと今年は裏年に当たります。
これは自宅入り口にある木。
昨年は鈴成り状態。小さいものを穫らずに残したので未だ残骸があります。
この木は不作の年にもそれなりに成り重宝することが多い。今年はどうか。
徒長枝と重なっている枝を少し切りました。
手前の木はケヤキで知らぬ間に定着したもの。同時に徒長枝を切りました。
これが剪定後。


剪定量はこの程度。


メインの蜂屋柿は少々遠くにあり、そちらは木も大きく、通路の邪魔な枝を切る程度で終りです。
こちらはアルコール脱渋用の「平核無」。


午後の日照条件が良くないのですが、昨年は豊作。
やはり隔年結果の順で言うと今年は裏年です。
高くならないようにすることを第一に、光りが通るように枝を間引きました。
これが剪定後。


剪定量は少ない。


これまで手もぎだけで済んでいます。これで今年も大丈夫でしょう。
隔年結果の順で行くと今年は何れも裏年。どの程度成ってくれるか。
そしてビワの木も剪定しました。1本だけですが。


例年、成っても収穫目前で害獣にやられるのですが、昨年は無害。
これまでで一番穫れました。
剪定は木を高くしないようにすることが第一。あとは太陽の光りが入るよう枝を間引きます。
剪定後。


剪定量は結構多い。


花は11月中から長期間咲いていますが、昨年より花数は少ないようです。
全くの自己流で終了。殆ど放任なので穫れなくても文句は言えません。

水墨画「白菊」を捧ぐ

2024年01月08日 | 水墨画:草花
画仙紙  半切1/3   

能登半島地震発生から1週間が経ちました。
日が経つごとに犠牲者の数が増え、未だ安否不明の方が多数おられます。
犠牲になられた方々に心より哀悼の意を表します。
拙い画ながら謹んで捧げさせて頂きたいと思います。
新年の初描きは縁起物の千両にしましたが、多くの被災者の方々を思うと心に掛かるものがありました。
年明けのめでたい元旦が鎮魂の日になるとは皮肉な巡り合わせです。
東日本大震災では本県だけで1万人以上の方が犠牲となりました。そのほとんどは津波による犠牲者です。
能登半島地震とはその点が大きく異なります。東日本大震災の津波は想定をはるかに超える巨大なものでした。
同級生やかつての同僚、その家族、仕事でお世話になった知人など多くが犠牲になり悲惨の極みでした。
しかも、混乱の中でそれを知ったのはかなり日が経ってからです。
能登半島地震の津波は予想されたほどではなかったと言ったら叱られるでしょうか。
内陸部の当地域は東日本大震災で犠牲になった方はおりません。
しかし、建物やライフラインは大きなダメージを受け、復旧するまでには長い日数を要しました。
今回の地震で被災された方々が一日も早く普通の日常を取り戻すことを念願するばかりです。


暖かすぎる冬の秋キャベツ、冬キャベツ、春キャベツ

2024年01月07日 | 畑:葉菜類

いよいよ厳寒期に入ろうかというこの時期、当地は例年にない暖かさです。年明け後も降るのは雪ではなく雨。
今、畑にある3種のキャベツの様子も例年とは少し異なるようです。
これが秋キャベツ。


品種はトーホク種苗の「あまいキャベツあまみさき」。
年内に終わるかと思いきや大分残っています。


秋キャベツは極早生の「あまいキャベツ愛心(あいごころ)」を10月10日頃から穫り始めました。
それに引き続き11月半ばから穫り始めたのがこの「あまいキャベツあまみさき」。
がっちりと結球し大玉になっています。


例年なら凍害で多少の傷みが出る頃です。今年は何度か強い霜に当たるも一寸した変色程度。


かといって裂球もありません。穫って一皮剥けば頗る綺麗。


ずしりと重く2㎏以上。名前のとおりますます甘く軟らかい。
これが冬キャベツ。


品種は分りやすい名称の「寒玉キャベツ」。
すでに完全結球しています。
直ちに穫り始めて良い状態ながら秋キャベツを穫り終えていないので、まだ手つかずです。


この品種は雪中甘藍としても穫れる品種ですが、今冬は未だ積雪カウントゼロ。
がっちりと結球すると寒玉キャベツと言えども凍害を受けやすくはなります。
この品種は低温下ではアントシアニンの色素が色濃く出るのが特徴です。
厳冬の年だと今頃でもかなり紫色になるのですが、今年は僅か。


春先まで穫るので急ぎはしませんが、どうなるでしょう。
こちらは春キャベツ。


品種は「金系201」。
収穫の目安は4月20日頃。早い年で4月半ば。
生育の進度は想定よりかなり早い。


土寄せしてからまだ1ヵ月も経っていません。
キュウリの跡地なので追肥はしていないのですが、大きくなっています。


生育が進みすぎて心配になるのはトウ立ち。
過去に実際に結球しないままトウ立ちした経験はありません。心配が杞憂に終われば幸い。



ナバナ「寒咲花菜」の側枝(わき芽)を穫り始める

2024年01月06日 | 畑:花菜類

数日前からわき芽(側枝)を穫り始めました。
あまりに夏の気温が高いため9月14日と例年より遅めに直播きしましたが、生育は順調。
畝間は80㎝と広めにしているものの外葉で一面を覆い尽くすようになっています。


ナバナ類にも種々あり、これは店では大概菜の花として売られる花菜(はなな)と言われるもの。
但し、通常は春になって花が咲くナタネですが、これは寒咲きなので「寒咲花菜」と呼ばれます。
外葉が大きく茂っているため花芽がどこにあるかちょっと見には分らないかもしれません。


主枝の穫り始めは想定より早まりました。
しかし、意外に一斉収穫とはならず、ようやく主枝の収穫がほぼ終わったところです。
今度はわき芽(側枝)が伸び、穫り頃の花芽が増えてきました。
主枝はできるだけ数芽で切るようにしているものの実際には下位の節間が詰まっているため10芽くらい残ることが多い。
これで1株。旺盛にわき芽が伸びています。


芽の数だけわき芽が伸びてくるので1株からの花芽の数がぐんと多くなります。
脇から覗くとわき芽の伸びているのが分ります。


花菜ではこのわき芽を穫り始めるようになれば最盛期入りです。
気温が低いと花芽が葉の下に蕾のままで留まり、かき分けないと見えにくい。
今年は気温が高いため比較的茎が伸び、蕾が上まで上がってきているものが多いようです。
あまり旺盛でない株を上から見ると分りやすい。中央に主枝の穫り跡、周りにわき芽が伸び先端に花芽が見えます。


このように旺盛な株だと多くの側枝が伸び、主枝の穫り跡は見えなくなっています。


厳寒期になると花が咲くようになるまで穫り遅れてしまうことは殆どないのが普通です。
今年は暖かいと見えて花が咲いているのが散見されます。もちろんこの程度なら何ら支障はありません。


収穫する時は、側枝のわき芽を2、3芽残して切ります。


切り跡が見えます。3本収穫しました。中央の変色した切り跡が主枝です。


この側枝にはすでにわき芽が見えます。これが伸びて孫茎になり、また先端に花芽が出来ます。
数株穫るだけで十分なボリュームです。


今回穫ったものは花芽が大きくなっていました。


厳寒期に入るこれからが最盛期で「寒咲花菜」の旬と言えるでしょう。
当地のような寒冷地でも冬場に穫れるのは有難い。しかし、強い霜が降りれば凍害が起こることはよくあります。
多少黄ばんでくるのは当然としても、枯れることなく穫れ続けてほしいもの。
蕾、茎、新葉と余すところなく食べられ、我が家郎党でも人気です。
これから寒さに遭って軟らかくなり風味が増し一層美味しくなってきます。



ブロッコリーは大きな花蕾が穫れ続ける

2024年01月05日 | 畑:花菜類

ブロッコリーは大きな花蕾が長く穫れ続けています。
強い霜や氷点下の低温にも繰り返し当たり、葉が垂れた症状が見えましたが、大丈夫です。
耐寒性も確実に増しているようです。
ブロッコリーは2回に播いています。品種はともに「緑嶺」
これが1回目のブロッコリー。


頂花蕾を10月下旬から11月上旬に、そして大きな側花蕾を11月中旬から収穫しています。
それが未だに続いています。
頂花蕾のように見えている大きな花蕾は全て側花蕾です。
もちろんその他の小さな側花蕾も多数あります。


今作は殆どの株から大きな側花蕾が2個、3個と穫れているのです。
この株は中心に頂花蕾の穫り跡。両側に大きな側花蕾が着いています。

大きな側花蕾は小さな側花蕾とは着き方が違います。
大きな側花蕾はこのように根元から主枝と見間違うような太い側枝が伸び多数の大きな葉をもって着きます。


この株は中央に頂花蕾の穫り跡、右下に大きな側花蕾の穫り跡、それには孫の花蕾も。左に穫り頃の大きな側花蕾。


これまでも1株から複数の大きな側花蕾が穫れたことはあります。しかし、これほど穫れるのは初めて。
気温が高く経過したこともあるかもしれませんが、これほど長く続くとは思いませんでした。
まだかなり残っており、小さな花蕾も多数着いています。
これが2回目のブロッコリー。


頂花蕾を12月上旬から穫り始めました。
1回目のブロッコリーの側花蕾とかち合っています。
1回目のブロッコリーの生育が進んだのに対し、2回目のブロッコリーは想定より遅くなりました。
そのため、頂花蕾の収穫時期には思いのほか差が付きました。
1回目のブロッコリーの側花蕾を穫り始めた後に2回目のブロッコリーの頂花蕾を穫り始めるのは珍しい。
ブロッコリーの花蕾は硬く締まっているうちに穫らないと品質が悪くなってしまいます。
その点、2回目の頂花蕾は気温が下がってきたので穫り遅れる心配もなくなりました。


穫り始め頃の花蕾の直径は13㎝程度で、L、2L級でした。
しかし、次第に花蕾は大きくなり15㎝程度の3L級が多くなりました。

2回目のブロッコリーも太いわき芽(側枝)が出ています。
この株では中央に頂花蕾の穫り跡。右の側花蕾はさらに大きくなるでしょう。


もちろん気温が下がっているので、1回目ほどの頂花蕾並は無理ですが、十分に大きくなっています。
これも見えているのは全て側花蕾です。


この頂花蕾は20㎝近くと特大。さすがにこれでは大きすぎ嫌われます。


例年よりもはるかに長く大きな花蕾が穫れることとなりました。


原木シイタケが厳寒期にしぶとく穫れる

2024年01月04日 | 山菜
原木シイタケがしぶとく穫れています。
11月初めから穫れ始めたいわゆる秋子。
一面シイタケと言った状態にはならなかったもののだらだらと長い間穫れ続けています。
厳寒期に入りつつあり週1回のペースで見に来ています。
これが現在の原木の配置。


左手前が昨年植菌した原木、左奥が年が明けたので植菌3年目になる原木。
右手前が植菌4年目の原木、右奥が植菌6年目の原木。
そして、右外れに僅か見えるのが一部だけ残している植菌9年目になる原木。
品種はいずれも日本農林種菌の「すその360」。
これが昨年植菌した原木。


今はまだ養成期間です。
それでも幾つか穫れており、今年は期待できそうな気配。


これが今年で植菌3年目になる原木。


穫れているのは大部分がこの原木です。
二夏を越し本格的に発生する時期になったようです。


さすがに気温が低いので1週間に1回でもズングリのシイタケです。


それでも見逃して遅くなったものもありました。


小さい出始めのものがかなり見られますが、どうなるものか。


夏以降全般に乾燥して出遅れていたのかもしれません。
ハウスの中に入れれば綺麗に出てくるのでしょうが、残念。
これが植菌4年目の原木。


昨年の春はこの原木がメインで穫れたのですが、昨年秋は殆ど穫れませんでした。
遅くなって出てきました。小さいものも見えます。


これが植菌6年目になる原木。


こちらも殆ど穫れていませんが、遅くなって幾つか出てきました。


少々傷みの目立つ原木があります。復活してくれる可能性はあるのか。
これが番外の植菌9年目になる原木。


それでも出ていました。感心します。
それなりに穫れました。並べてみます。


手の平くらい大きなシイタケが穫れた時から見ると可愛いものです。
しかし、自家用にはズングリのシイタケでも結構役に立ちます。


墨彩画「千両」

2024年01月03日 | 水墨画:草花
本画仙 色紙   

2024年の初描きはセンリョウの墨彩画です。
能登半島地震に続き今度は何と航空機事故。お亡くなりになった方もおられる中で縁起物の画はどうしたものかとは思いました。
しかし、正月でもあり、敢えて失礼させていただくことにしました。
正月の縁起物と言えば、赤い実を着ける植物と言うことになります。
南天やマンリョウ、万年青など種々ありますが、センリョウはその代表的な植物と言えるでしょう。
年末になると沢山のセンリョウが店先に並びます。
赤い実のみならず長めの葉もまた光沢がありいいものです。
我が家の庭にはセンリョウはなく、正月に生けるのは専ら南天です。
センリョウはマンリョウとととも如何にも金運が上がりそうで縁起が良い。
初描きしたセンリョウに少しでもあやかることが出来れば嬉しい。
今年も水墨画・墨彩画は週1回は投稿したいものです。
どうしても怠けたくなるのが常なので、ブログ投稿がモチベーションになっているとは思います。
展示会への出品とも違い経費のかからないのも有難い。



正月祈祷と元旦とろろに二日餅

2024年01月02日 | 暮らし

この度の能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
本県だけで1万人以上の犠牲者を出した東日本大震災の悪夢が蘇ります。
一日も早い普通の日常が戻ることを願うばかりです。
翻って、当地の今年の正月は穏やかです。
昔の正月は色々な習わしがありました。今は大分簡素化し、シンプルになったと思います。
第一の行事と言えば正月祈祷です。宮司からご祈祷を頂きます。
この宮司の神社は数集落の住民が氏子になっており、旧村時代のいわば氏神様といった位置づけです。
かつては我が家の正月祈祷は1月4、5日頃でした。
たまたま近隣に毎月一日に元日祈祷を行うお宅がありました。
そこで、我が家もお願いし正月祈祷を元旦にしてもらうことになったのです。
両親が亡くなった後、勤め人稼業の身としては有り難いことでした。
ご祈祷の前にはこのようにして待ちます。
お燈明、お清めの塩と水、そしてお初穂(ご祈祷料)をテーブルに準備しておきます。


お出でになったのはお昼近くでした。これがご祈祷後です。
正月祭のお札を置いて行かれます。このお札は神棚に奉ります。


食事の習わしもあります。おせち料理とは別物です。
昔から我が家では元旦に餅は食べず、とろろ飯です。
正月にとろろを食べる風習は多く、三日とろろはよく聞きます。
元旦は珍しいようですが、何故なのかは分りません。
神棚や仏壇にとろろ飯をお供えします。
これは形式的なもので、お供え用の皿で少量のご飯の上にとろろを僅か乗せたもの。


餅を食べるのは二日。
昔は、大きな臼で何臼もついたものですが、近年はいくらも食べなくなりました。
少量なので今は助っ人宅で纏めてついて貰うようになりました。
小振りのブロックにして貰い、それを我が家で切っています。


神棚や仏壇にも切り餅を焼いてお供えします。皿に少々乗せお供えするだけです。


かまどの神様にもお供えします。


なぜこのような習わしになったのか不明なのですが、近隣同じかと言えばそうでもありません。
助っ人宅では三が日とも餅を食べるのが習わしと言います。
現代では意味がないとも言える習わしですが、止めるのも意外に心に掛かるものです。
この後、馴染みの農機具店と農業資材店の初売りに顔出しするのが2日の恒例です。