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里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

イネの生育を観察しながら「コメ高値の本質」を再考する

2025年06月07日 | 田んぼ

田植えをしてほぼ1ヵ月、田んぼの畦や土手の雑草の刈り払いをしつつイネの生育を観察しています。
昨日は「随意契約による備蓄米放出」について一考を記しました。

長文になってしまったので、改めてコメ高値の本質について再考してみたいと思います。
これまでも何度か関連の投稿をしており、直近では3ヶ月ほど前に「コメ高値の本質」として記しました。
基本的なことは何ら変わっていないので、まずその後半部分だけをそのまま再掲します。
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民間輸入はこれまで実質輸入不可能と思われるように設定されています。関税が㎏当たり341円ですから60㎏にすると関税だけで20,000円を超えます。ですから25,000円以下では完全な赤字になると思われます。精米段階なら10㎏5,000以下では採算が合わないので自信があるということなのでしょう。
今、スーパーなどではごく普通に6,000円を超えているので、このまま推移すれば輸入米も売れる可能性は十分あります。輸入米は実際には業務用向けでしょうからコストも低く抑えられます。
しかし、これはあくまで現状の需給が続くと言うことが前提なので、政府の示すデータが正確なら隠れている流通米がどこかの時点で吐き出され需給のバランスが崩れます。山高ければ谷深しの原則で急落するはずで、誰かがババを引くことになります。
そうならなければ政府のデータの何れかが正しくないと言うべきです。前述したように生産量(作況)、在庫量、需要量への疑問が捨てきれません。

僅か数年前、JAからの概算金が10,000円を割ったことがあります。2024年産米の半値です。
ある程度の規模の生産者にはそれなりのセーフティネットがあるものの我が家のような零細な生産者は正に赤字覚悟、モチベーションは落ちるところまで落ちたと言っていいでしょう。僅かに環境保全と自己生産への拘りが支えになっているというものです。
末端の食堂などではご飯のおかわり自由、大盛り加算なし、果てはラーメン注文でご飯無料までありました。確かにご飯一杯20円くらいならサービスした方が売上増に繋がります。
これはコメ生産者にとっては屈辱以外の何物でもない。
今日の末端価格は確かに異常ですが、誰も長かった安値の時代を語りません。それが当たり前と思っているので当然です。今日では田舎でさえも生産を知る人間は少なく消費者の方が多いからです。
食管制度で米価が決められた時代と違い完全な自由価格になった現在は、コメも投機の対象になり得ます。政府が指摘するように隠れた流通の担い手の存在が価格高騰を招いているとすれば正に投機の対象になっていると言うことでしょう。
生産者は異常な高値など望んでいないのです。しかし、これまでのような異常な安値ももちろん望みません。しかし、多勢に無勢で消費者は安ければ安いほど良いと考えるのが一般的。

50年前、我々の一世代前、大正後半から昭和一桁生まれの世代が主たる担い手だった時代、食管制度の下60㎏20,000円が普通でした。生産者も農村人口も遙かに多く、都会にも農村出身者が多かった。従って選挙になれば集票力があり、コメの価格形成にも影響を及ぼしました。
次世代が我々昭和20年代生まれですが、食管制度から新しい食糧法に移行して様変わり。流通も価格も完全に自由化されました。農村部にも他産業従事者が多くなり、まして都会では農村出身者の陰は甚だ薄くなりました。従って圧倒的に消費者の視点が強くなり、選挙でも集票力は低下しコメの価格へ影響することもなくなりました。
それでも、少数ながらコメの大規模生産者が成立し、我々のような零細な生産者も細々ながら担い手として存在してきました。それは前世代からの意思を受け継ぐ意識があったため採算性が悪くても我慢強く続けてきたわけです。しかし、その担い手の多くが70代になり、次第に人的な生産力が低下していると見るべきです。それが顕在化してきたのが事の本質ではないかと考えています。温暖化や気象災害などの現象だけに目が行っていますが、こちらの方が本丸です。
2023年、2024年の作況指数がともに101ならこのような事態が生ずるとは思えないのです。実態は作況指数のようになっていない可能性がやはり捨てきれません。根拠は薄弱ながら長年の経験から来るカンというやつです。
人的に多い我々の世代は交代期に入っています。あと数年、長くて10年。今後は大規模生産者主体の生産構造に移行するのがメインシナリオですが、それぞれ地域の条件が違いスムーズに移行できるかは不透明です。この度の価格高騰がターニングポイントになりそうです。
政府の数値が正しくこの後理論通りに価格が急落すれば間もなくやってくる世代交代も頓挫するかもしれません。逆に高い価格が続き、コメの民間輸入も好採算となれば他企業からの参入も想定されます。しかし、これらは安くなればすぐ撤退するので価格の乱高下は大きくなるでしょう。
一番は圧倒的多数の消費者の意識と行動です。安ければ安いほどよいのか、生産コストに見合う価格での安定を望むのか、多少の乱高下はかまわないのか。
昨日のニュースで直近の消費調査の結果では価格は下がっておらず前年10㎏3,500円が今年約80%高になっていると報じていました。6,300円くらいでしょうか。売り上げは落ちていないとしています。
今週中に政府は備蓄米の売り渡しの内容について集荷業者に提示し、入札を行うとしています。備蓄米の存在がこれほど注目されるのは初めてでしょう。その存在さえも知らなかった国民も多かったと思います。最初の入札は想定以上の高値が予想されますが果たしてどうでしょう。
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以上が、小生の2月11日の投稿記事の一部ですが、その後の経過を見るとどうでしょう。
末端の価格は上がり続け、備蓄米の放出後については昨日記したとおりです。
一向に下がる気配のない価格を冷やすため、随意契約による備蓄米放出という禁じ手を使うこととなりました。
ここまで来れば、これまでオブラートに包まれていたことがより明白になってきました。
小生が繰り返し指摘しているように農水省の発表している作況指数が現実のものと乖離していると言うことです。
この度のコメ不足を直接引き起こしたとされる2023年産米の作況指数は101、そして2024年産米は101で収穫量は18万t増加しているとしています。
もしこれらの数値が実態を反映したものならコメ不足や価格高騰を引き起こすことはあり得ないはずです。
政府は外国人客の増加などで流通するコメが不足し価格高騰に繋がったとしていますが、隠れたコメ云々と同様詭弁であることが明白になってきました。
そもそも国の水稲の作柄調査のあり方をとうに見直すべきだったのです。国が発表する作況は様々なものに反映されるためかなり重要な役割を果たしてきました。
しかし、若干の変更はあるものの基本的には昔からのやり方と変わっていないと思われます。マンパワーの面でも相当縮小されている可能性があります。現在の収穫調製の現場では品質が重要視され粒の小さいものや着色したものは機械的により厳選されるようになっています。
過日、ふるい落とされた通称中米と言われるものが通常の袋入りで販売されており問題になっていました。高値につけ込んだ詐欺行為です。
実際に主食用に生産されているコメは国が発表している数量よりかなり少ない可能性が濃厚です。これが2年続くとなると数十万tはすぐ変わってきます。
また、在庫量や需要量も政府の発表する精度がかなり落ちていると考えられます。元々の数値が間違っていたのでは犯人捜しをしても無駄というものです。
食管制度の時代は国がコメの格付けを行うなど直接管理していました。農協の集荷比率も高かったのですが、年々低下し現在は半分程度まで落ちていると思われます。
需要量、在庫量、生産量が正確でなければ作るべき目標数量も不正確にならざるを得ません。
これらのことについて農水省はメンツがあり認めようとしません。数値を示し正面から指摘する人間もまだ見られません。しかし、内部では相当議論になっていると推測されます。特に、作柄調査についてはより実際に近い方法に早急に見直すべきです。と言うのは、これからの価格の動きは本年産の作柄見通しに大きく左右されるからです。
「随意契約による備蓄米放出」で5㎏2,000円のコメが供給され、どのくらい流通過程に滞留しているコメが吐き出されてくるかですが、反応はイマイチです。高く買い付けたコメを簡単に吐き出すわけにはいかないので古古米や古古古米の評価待ちかもしれません。しかし、本当に国が言うように滞留しているコメがあるのかが問題です。コメは保管し精米しなければならないので実需者の多くは一定の期間で契約することが多くフリーのコメは少なくなっている時期と思われます。
昨年中に想定したように国の数値が正しければ、今頃は劇的に値下がりし誰かがババを引き苦しんでいるはずでした。そんな風になってはいませんし、禁じ手の「随意契約による備蓄米放出」でもどうかといった状況です。
国の示す数値の信用度は地に落ちたと言っても言い過ぎではないようです。
それでも今回の備蓄米放出は実需になるため確実に価格の下押し効果はあるはずで、今年の作柄がますます重要になります。再び国の発表する数量と実際の数量が乖離するようなことがあってはなりません。
過日、農水省から都道府県ごとのコメの小売価格が発表されました。主産地県が相対的に安いのは分かるとして随分価格差があるものです。どのような調査をしているのでしょう。
当地のスーパーを覗くと大分前から主力の県産米は5㎏3,000円台です。急落はせず徐々に5㎏3,000円台前半に収束していくと言った流れなのかもしれません。
それでも価格高騰前ならこれがほぼ10㎏の価格でした。5㎏なら2,000円以下が普通でした。もっと安いコメもあったはずです。そして、このような状況が20年続いてきたわけです。
消費者にとってコメは殆ど空気のような存在になっていたのではないでしょうか。突然高い金を払わせるとは何事だとなるのも当然です。
その間、生産者の玄米60㎏の価格は10,000~15,000円が20年続いてきました。いわゆる最低賃金相当の労働報酬を得られた人はどのくらいいたでしょう。当然ながら小生のような零細生産者は赤字覚悟です。
昨年来の高値になる以前の20年余りいかに米価が低迷してきたか。その間に溜まったマグマが一気に噴き出したのが今日の現象です。
ここに来て減反政策が悪かったと言う人もいますが、そう単純ではありません。それは1年だけ見た結果論で長期のスパンで見れば一定の役割を果たしてきたことは間違いありません。青果物なら腐ってしまうのですぐリセットされます。コメは大量で長持ちするため始末が悪いのです。備蓄米制度も非常時に対応すると同時に過剰に生産された場合のバッファーの役割も果たしています。
大潟村の著名な法人経営者の涌井氏が農水大臣あてにコメ増産の提言をされたと報道がありました。大潟村は干拓による稲作のモデル農村を作るとしてスタートしたわけですが、ほどなく減反政策によって翻弄されました。涌井氏は一貫して減反政策に反対し生産流通から加工販売まで独自の体制を築かれてきたので提言には重みがあります。これまで血の滲むような努力があったと推察されます。ようやく苦労が報われる時が来たと思われているかもしれません。
過日、ある報道番組に農業法人経営者のT氏と元農水官僚でC研究所のY氏が出演し米政策について話されていました。さすがにT氏の発言は実践を踏まえているので腑に落ちることばかりでした。一方のT氏はどんどん作り輸出をして足りなくなればそれを国内向けに回せば良いなどと口先ばかり。実践できる現場は沢山あるので自ら実行してからもの申して欲しいと気分が悪くなりました。何時ぞやは3ha以下の農家は自家用にもなるのだから赤字でも良いと言っていたような。

あまりに大雑把過ぎると批判を受けるかもしれませんが、戦後の農村を眺めてみると、第一世代の担い手が大正後半から昭和一桁生まれの世代、第二世代の担い手が我々昭和20年代生まれの世代、そして第三世代が昭和後半から平成初め生まれの世代となるでしょうか。
誤解を受けると良くないので当地方ではと言うことにします。
第一世代の時期は食管制度の下で増産そして減反への転換時期でした。但し米価は60㎏20,000円でほぼ保証され米から得られる収入は安定していました。しかし、それだけでは家計は成り立たず減反政策とも相まって畑作や畜産との複合経営が一般的でした。農閑期は土木作業に日稼ぎというケースが多かった。米は経営の1部門でしかなかったとしてもあくまで農業が主でした。我が家もそうです。
我々の世代はどうか。幼少期の頃、長男は当然に親の経営を引き継ぐものという意識が醸成されていました。もちろんそのまま就農した人もいますが、減反が囁かれるようになった頃から雰囲気が変わりました。親世代が働き盛りと言うこともあり安定的な他産業へ従事するケースが主流になっていきました。
しかし、家や集落への意識は体に染みついているため、世代交代するに当たっても大きな齟齬(そご)は起きませんでした。従って他産業に従事しつつも米はほぼ維持されてきたのです。我が家も父が亡くなって30年になりますが、曲がりなりにも二足のわらじを履き続けてきたわけです。
昭和20年代生まれと言うと全員70歳を超えており、従来の生産能力が失われてきています。正に世代交代期にあるわけです。
されば次世代はどうか。農業や家、集落への意識は我々の世代とは大きく変わりました。特に職業の選択についてはフリーで、我々世代のように二足のわらじを履くような意識も殆ど無いでしょう。職業選択で重視されるのはまず収入、そしてやり甲斐や魅力。数は少ないながら農業を選択する若者もいますが、大概は施設園芸などです。
当地では米を選択する若者は殆ど見かけません。20年余りもまともな労働報酬を得られないような安値が続いたのでは当然です。
もちろん近隣には農業法人や集落営農組織で米生産を行っているケースもありますが、ここでも構成員は70歳代が大半。
20年余りも安値の時代が続いたのでは、いかに我々世代が我慢強く作り続けてきたとしてもスムーズな世代交代が出来るわけはないのです。それが顕在化したのがコメ高値の本質と思っています。
かの農水官僚OBは3ha以下は赤字で良いと言いましたが、我が家のような零細生産者はしょうがないとして、依然2、3haの生産者がボリュームゾーンなのです。
猶予は無くあと数年、長くて見ても10年。メインシナリオは大規模生産者主体の生産構造への移行ですが、全ての地域に当てはまるわけではありません。我が集落は全く不透明です。
今回のコメ価格高騰が20年余り続いた長い安値の結果なのだと消費者が理解できるかどうかが今後のコメ価格を左右することになるでしょう。
安ければ安いほど良いと言うのがコンセンサスなら青果物のように暴騰、暴落を繰り返すことになるでしょう。
当面の価格は本年のコメの出来に全て掛かることになりました。但し、既に備蓄米の多くを放出しているので、ここまでくれば以前のレベルまで大きく下げる可能性は無くなりました。仮に不作になれば暴騰するでしょう。
それにつけても、繰り返し言うように農水省の作柄調査は責任重大。最初の作柄概況の発表は8月下旬、西南暖地の早場米は7月下旬です。

しからば肝心の現在のイネの生育はどうでしょう。


当地のここまでの天候は雨が多くしばしば強風が吹いたというのが特徴です。昨年の高温乾燥とは趣が異なります。
我が家の田んぼでは5月は若干の遅れが感じられましたが、最近の高温で概ね平年並みの生育と見られます。


ここまでの生育は田植え後の日数の違いが大きいので一概に言えません。
当地方の一番の問題はヤマセによる低温。近年では夏の異常な高温です。そのため初期生育が順調なほど逆にリスクが高まるとも言えます。田植えが早いのもリスクが高まるので我が家のようなは早植えは推奨されません。
したがって、現時点の生育の早晩はあまり気にする必要はないのですが、順調な生育なら安心感はあります。


茎の分けつも順調に始まり、1株の茎数は田植え時の倍くらいになってきました。


これから分けつの最盛期に入ります。最終の1株茎数は25本が目安。
先はまだまだ長く、最後まで何事もなく終わるという年はまずありません。
生産者は淡々と着実に作業を進める以外ないのです。
ただ、消費者の方々には自然を相手に相当の苦労をしてコメ作りをしていることを知ってもらいたいとは思います。

草刈りをしながら禁じ手「随意契約による備蓄米放出」は正かを考えてみた

2025年06月06日 | 田んぼ

田植え後、ほぼ1ヵ月。今の主なる作業と言えば雑草の刈り払いです。当地では専ら草刈り。

作業をしながら毎日のように報道されている「随意契約による備蓄米放出」が正なのかを考えてみました
小生、日中はテレビを見る余裕はないためこの度の随意契約による備蓄米放出がどのように報道されているのか詳らかではありません。ネットやSNSも見ていませんが色んなことが書き込まれていることでしょう。
しかし、夜の報道番組はそれなりに見ています。最近は小泉米などと呼ばれ消費者は大歓迎と言うのが最大公約数でしょうか。一方、江藤前農水大臣の時に競争入札で放出された備蓄米は末端まではいくらも届かず、後から出てきた小泉米に追い越されてしまった。お粗末な発言で自業自得とはいえ今や江藤米とか言われて散々です。
何れにして米の安定生産安定供給と言う本質とは関わりないところで事は進んでいます。それは圧倒的多数の選挙民である消費者の安いコメをすぐ出せという声に応えられるかどうかが今や選挙に勝てるかどうかのキーの一つともなったからです。
江藤氏のボーンヘッドによる大失点を小泉氏が起死回生の逆転ホームランといった勢いで、与野党とも気が気でないと言ったところ。さすがに小泉氏のポピュリズム力は凄いと言わざるを得ません。
しかし、本来、国が財産を入手する場合はできるだけ安く、払い下げる場合はできるだけ高くが基本です。従って競争入札が最も透明性が高いのです。但し際限なくフリーでは収拾が付かなくなることもあるので条件付きの競争入札となる場合もあるわけです。
一方、特殊技術など特別な能力を有しないと困難な案件もあります。その場合に特定の相手と契約するのが随意契約です。また、災害時など緊急を要する場合にも随意契約が認められます。しかし、随意契約は恣意が働きやすく不透明な面があるため極力競争入札とするのが原則です。

これまでも随意契約がらみで様々な問題が取り沙汰されました。森友学園問題は記憶に新しいところです。
これらのことから言うと江藤前農水大臣が行った競争入札による備蓄米放出は正当なやり方でした。但し、ものが玄米でしかも30万tですから白米で末端の小さな店に並ぶまでには簡単にはいきません。
ある意味では江藤氏がボーンヘッドを犯したお陰で党選挙対策委員長経験者の小泉氏が登場したのはグッドタイミングとも言えます。この異常なコメの高騰は災害相当の緊急事態という訳で随意契約の採用です。
しかし、これは透明性を確保するという意味で随意契約から競争入札へという流れに逆行する禁じ手なのです。
令和4年産のいわゆる古古米を大手小売業者に60㎏約11,000円で売り渡し、精米5㎏約2,000円で消費者に販売することや取り扱いロット数に一定条件を付け、応募形式で上限に達すれば打ち切るというものです。
大手は消費者向けにメンツにかけて対応せざるを得ずパフォーマンス化しました。
コンビニ大手3社は取り扱いロット数の実績が足りず門前払いになりましたが。
大手小売業者は格好の宣伝の場でもあり早売りを競った訳ですが、備蓄玄米から精米袋詰めに至る流通過程で多くの人間が「無理を通せば道理が引っ込む」悲哀を味わったことでしょう。
ある議員が小泉氏は現場を知らないからと言っていましたが、素人だから出来たわけで圧倒的多数の素人の代表が小泉氏な訳です。ロートル議員は空気が読めない老人として排除される憂き目かもしれません。泣きが入っている選挙民を味方に付けているのだから小泉大臣は強い。泣く子と地頭には勝てぬです。
販売初日は多数買い求める人の行列がニュースになっていましたが、初売りやお祭り気分で興味本位のような雰囲気も垣間見られました。
過日、国民民主党の玉木代表が出ていた報道番組をたまたま見ていました。小生は女性トラブルがインプットされたままで好感を持てないのですが、確かにコメの現場には詳しい。5年の備蓄が終われば動物のエサ云々もその通り。しかし、多数の素人には通じず釈明する羽目になりました。
しかし、冷静に考えてみましょう。
相場を冷やすには精米5㎏約2,000円で販売するのが適当、翻って換算すると備蓄玄米売り渡し価格60㎏約11,000円が適当としたわけですが、これが妥当かです。
仮に備蓄玄米売り渡し価格60㎏約15,000円で売り渡したとすると小売りまでに上乗せされる価格は殆ど変わらないので精米5㎏販売価格約2,400円になります。
未だ2.000円でも高いと言う人は論外として、あまり効果は変わらないかもしれません。とすれば国には60㎏4,000円の損失が生じたわけで放出量20万tなら133億円の損失です。
もっとも、当時農家から買い上げた玄米価格より高い価格で売り渡すことになるので国には差益が生じます。但し、保管するためのコストを上乗せするとトントンと言えるかもしれません。
一方、令和5年産の備蓄米を放出する時には20,000円以上で売り渡し、確実に差益を得たはずです。某議員が国が儲けてどうするんだと言ったと言いますが、これは本末転倒と言うものです。そんなことを言うなら不透明な議員活動費など様々な名目で国費を使い議員が儲けてどうするんだと言いたい。
売り渡し価格60㎏10,000円~15,000円の条件付き競争入札と言うやり方も十分考えられました。速効性を求めて随意契約にするなら根拠をより明確にすべきでしょう。

一般的に十分に管理された令和4年産米なら炊き掛けは違和感なく食べられるはずです。時間が経過すると食味が落ちてくるのはいかんともし難い。
この後、中小小売店向けに令和3年産米即ち古古古米の「随意契約による備蓄米放出」が続きます。
備蓄玄米売り渡し価格60㎏約10,000円。精米販売価格5㎏約1,800円が想定されていますが、取り扱いロット数の条件から小さな小売店ではリスクが大きく難しそうです。
令和4年産米で門前払いしたコンビニ大手3社にはいち早く払い下げ、早速店頭に並んだニュースが流れました。店舗数が多く試し買い需要から売り切るのは容易かもしれません。
なお、備蓄玄米売り渡し価格は当時の農家からの買い入れ価格とほぼ同じでいかに安かったかを確認していただきたい。
備蓄米放出は始まったばかりで、これから問題も多々出てくるでしょう。
完璧なものばかりではないので品質の苦情は出ることが想定されます。
競争入札で放出された備蓄米が後発の随意契約備蓄米に逆転されたことで起こる齟齬(そご)。

すでに国は買い戻す用意があると言っていますが、事はそう簡単ではありません。消費者の元まで行っていないだけで契約済みや流通過程にあるものが多数あるはずで複雑。不公平感の解消は難しい。
流通過程と言えばドン・キホーテの社長が多重の問屋が介在する流通の改善を国に要望したと言うのですが、ディスカウント・ショップの旗手がそれを言うかと残念に思いました。
そもそもスポット仕入れを駆使して利益を上げる構造で都合の悪い時だけ国に泣きつく悪いイメージが付いてしまいます。
本県某大学の名誉教授のコメントにも首を傾げてしまいました。
これからコメの価格は随意契約の備蓄米、競争入札の備蓄米、ブランド米の3極化すると言うのです。学者がそんな超目先だけのことを言ってどうするのでしょう。
備蓄米放出自体が突発的なものです。3極化と言うならこれまでも高価格帯、中価格帯、低価格帯と3極化していたと言えなくもない。しかし、実際は中価格帯のボリュームが最も多く高価格帯、低価格帯が少ない山形で、この形はコメ全体の価格が相対的に高くなろうが安くなろうが変わらないはずです。そして、最近ブランド米という言葉も極めて曖昧になっていると感じます。
あまりに長文になってしまいました。コメ高値の本質については後日。


肝心の草刈りはと言うと5月末から進め、もう少しで終了のところまで来ました。


里山ではこのような土手はごく普通です。今年は思いのほか伸びがそれほどでもない。


刈り払い後。


何分老体、他にもやることはあるので目一杯は控え実質は1日4時間程度が目安。延べ1週間程度の作業になります。
刈り払いの作業をしていると色んな植物に出会います。これは方々に生えているハルジオン。


野草を眺める余裕はあまりなく構わず刈り倒します。
幹線道路の法面や側溝は本来は自治体が管理すべきものですが、田舎では側の田んぼの所有者が管理するのが暗黙の了解事項。


刈り払い後。


電気柵の下などには除草剤を利用しています。


イノシシが出没するようになって10数年。かつては全く必要のないものでした。
草が触れると漏電するため下草を伸ばさないようにする必要があります。約750mある電気柵の管理は大きな負担です。
また、急傾斜の大きな土手や法面の刈り払い作業を軽減するため一部に抑草剤と言うものを利用しています。


土手や法面に除草剤を使い雑草を枯らすと大雨で崩れやすくなってしまいます。
この抑草剤は雑草を枯らさず伸びを抑えます。少々価格は高いものの十分に効果があります。
これは5月半ばに法面に散布したもの。分かりにくいかもしれませんが葉が変色し伸びが抑えられています。


まだ屋敷周りや畑周辺は手つかずで残っています。
今週末は個人の手の及ばない所の集落内の共同作業があります。


今年の田植えも無事終了

2025年05月06日 | 田んぼ

今年の田植えも無事終了しました。
晴天ながらやや風が強く田植え日和とは言えなかったものの今日は終日雨模様なので1日前倒しは正解だったようです。
心配なのは機械のトラブルでしたが特に問題なく順調に終えることが出来ました。
助っ人達が集まってくれる2日目が本番です。今年は5人の助っ人が集合。
田植えだけは一人でははかどりません。応援は何より有り難い。
助っ人達がやって来る前の早朝に苗や機械の準備を整えておきます。


田植え前の水の調整も欠かせません。


助っ人達が揃い役割分担の態勢が整ったので田植えをスタート。


なにしろ田植機の性能が悪いため植え付け作業は超スロー。よって田植機に付く助っ人は一人で十分。
それでもスピードが遅いだけでトラブルなく順調。


田植えは機械作業だけが目立ちますが、それ以外の仕事の方がはるかに多い。
育苗箱の運搬に片付け、そして育苗ハウスも片付けなければいけません。
助っ人達の役割もすっかり分かっているので片付けも着々と進んでいます。
適当なところで機械を止めゆっくりと一服します。


最後に枕地を植え付け、田植え機の作業は終了。


田植え作業している一方で片付けも順調に進んでいました。
プールもすっかり解体。木枠も綺麗に纏めてありました。


育苗ハウスはビニールが外され骨だけになりました。
老朽化したパイプハウスの今年の役割は終わり、来年までお休みとなります。
黒マルチは雑草防止と均平を保つためそのまま。剥がれないようがっちりと重しを置いてくれたようです。


片付けの作業は目立ちませんが時間が掛かります。大勢なら効率よく出来るので有り難い。
田植機も洗浄まで終了。後にオイル交換やグリスアップのメンテナンスをします。


前日に作業が予定より進んでいたこともあり、2日目は余裕をもって終えることが出来ました。
郎党が集う年1回の行事ですが、身をもって体験できる貴重な場と思ってもらえれば嬉しい。
田んぼの作業に少しでも携わることで多少は有り難さを感じコメの美味さが増すはずです。
我が家のような零細な生産者のことは一般の国民には殆ど知られなくなっているのかもしれません。
長年赤字覚悟の米作りを続けてきたわけですが、先は間近に見えています。
今、末端コメ価格の高騰で非難囂々ながら、生産者は異常な高値など求めていないのです。再生産可能な価格を望んでいるだけです。
誰も過去の安すぎた米には触れません。殆どコメは空気のような存在になっているのでしょう。
それでも以前にお一人から小生の投稿記事に「安値安定の期間が長過ぎました 」とコメントを頂きました。
何はともあれ田植えが終わり一安心と言ったところですが、これから作業はまだまだ続きます。
この後は機械で植えられていない隅々の補植、水の調整をし除草剤散布まで終えて一連の作業が一段落です。
そして、畦の雑草も伸びてきたのでほどなく刈り払いの作業が待っています。



田植えの準備を進める

2025年05月03日 | 田んぼ

田植えに向けて準備を進めています。
我が家のような小規模生産者は田植えは一時で済みますが、準備の方にずっと時間を要します。
まずは元肥を散布し、ローリー耕耘をします。


天候を見ながら2週間ほど前に済ませました。


秋起こしの時にヒコバエが伸び過ぎ、土の反転が十分でなく少々苦労しました。
それでもコンバイン跡のわだちもいつもほどには酷くなく、急がずゆっくりと行いました。
次は代かきです。
今は大概一度で済ませてしまう方が多いのですが、我が家では2回に行うのが基本です。
まず田植えの1週間前くらいに1回目の代かきを行います。これが荒代かきです。


荒代かきはその名のとおり、一通り荒く代かきをすることで水を土に馴染ませることができます。
田んぼが自宅近くと言うこともありますが、一挙に済ますよりも作業を分散できるメリットもあります。


代かきは二度にした方がより均平がとれ、ゴミ浮きも少なく後の作業がしやすくなります。
荒代かきから数日おいたところで植え代かきを行います。


植え代かきは田植えの2、3日前に行う仕上げの代かきです。
田植えがしやすくなり、除草剤の効果も安定します。これで代かきの一連の作業は終了です。


但し、4月下旬から雨が少なく強風が吹く異常乾燥で水が行き渡るのに時間を要しました。一部は荒代かきに間をおかず植え代かきをした田んぼがあります。
代かきの後、田植えまで2、3日は水を調整しながら土を落ち着かせます。
田植機を準備します。


各所に注油しエンジンを始動。機械の動きも確認しました。


購入して10数年。馴染みの農機具店のセールスに乗って展示品を購入したものですが、エンジンの出力が悪すぎました。
歩行田植機よりスピードが遅いくらいながら価格からしてしょうがないことです。
もっとも田植え作業は正味2日もかかりません。更新はとても無理なので我慢し丁寧に使い続けます。
苗の生育は順調でやや伸びすぎ傾向。


田植えの準備はできました。


今年は水路の掃除に悪戦苦闘

2025年04月15日 | 田んぼ

田んぼの仕事も次第に多くなってきましたが、今年悪戦苦闘しているのが水路の掃除。
幹線道路の側溝や法面などは本来自治体の管理下にあるものです。しかし、田舎では集落が共同作業で清掃や刈り払いを行います。
そして、日常の管理は近くの田んぼの所有者が行うのが暗黙の了解事項。
水路の掃除は田んぼの水管理をする上では欠かせません。早めに済ませないと余裕がなくなってきます。
3月中には苦労しながらも一通り済ませ一安心といったところでした。
ところが、直後に瞬間風速30数mの暴風が吹き荒れ、そこに追い打ちを掛けるように纏まった雨。
せっかくの掃除も元の木阿弥になりました。殆どやり直しに近い。
里山では落ち葉が大量にあるため大風が吹くとこれらが水路や堀に集まって堆積します。
それが雨量が増すと流されるのであらゆる所に詰まってしまいます。


コンクリートの側溝も土砂やゴミが溜まっています。
これを払わないと流れが悪くなり、大雨が降れば水が溢れ出します。
それでも昨年は日照り模様で大雨が少なく、土砂の流れ込みが少ないのは助かりました。


結構な重労働ですが、いつまでも放置は出来ません。綺麗になりました。
所々に設置されているマスがくせ者。


ここにはゴミや土砂が溜まりやすく、一度綺麗に掃除したのにこの有様。


ようやく取り除きました。


このような所が何カ所かあります。


ポイ捨てのゴミも出てきます。ただ、常に綺麗にしておくことがポイ捨ての抑制にも繋がります。


道路側はコンクリート側溝が主ですが、山側は土側溝です。
土側溝は自然に土が崩れ浅くなってくるので泥上げが欠かせません。


落ち葉も満遍なく集まって堆積し、流れが悪くなります。


しかし、日を置かずに繰り返し掃除することになるとは思いませんでした。
これで流れが良くなるでしょう。


掃除の作業をしていて土止めの杭が腐っているのを見つけました。
補修はすでに行っていましたが見逃したようです。忘れないようにと直ちに打ち直しました。


田んぼは地味な作業が多い。まして里山の田んぼは手が掛かります。
できれば誤魔化してしまいたいところながら、結局後でしっぺ返しが来るのでコツコツやるしかないのです。
都会の人には理解できないだろうなあ。
そういえば、昔テレビでこんな作業をしているお百姓のそばを通るママさんが子供に勉強しないとあんな風になるよと言い聞かせている姿を見たような。