当集落には鎮守の神様があります。
当神社はいわゆる代参講と言われるもので小生が講中の代表を仰せつかっています。実は小生は30年も代表を務めているのです。 その経緯については何れ記したいと思っていますが。
当神社に専任の宮司はいません。 小生も氏子になっている旧村レベルの神社の宮司に当神社の宮司もお願いしています。 宮司は代参講の一員でもあります。
然らば代参講とはどのようなものでしょう。
そもそも田舎には古来様々な講と言われる組織がありました。
宗教・政治・経済など目的も講によって違いがありますが、当地では仏事に関わる講が代表的なものです。 集落の方が亡くなったときの助け合い組織のようなもので契約講と言われています。 現代では葬祭会館を利用するのが一般的になり、講は解消されました。
代参講は崇敬する神社や寺院に集落を代表して参拝するために組織された講です。 大山講、伊勢講、富士講などは一般にもかなり知られた代参講でしょう。当集落の代参講は栃木県鹿沼市にある古峯(ふるみね)神社を参拝する講です。
なぜここで改めて代参講について記すかと言えば、この度、小生もその代参人の一人に当たっているからです。
当地にある鎮守様はその古峯神社から分霊を受けたもので127年になり、名称も同じく古峯神社。当然代参講はそれ以前からあったはずですが、正式な記録が確認できません。
この代参講(組織)は古峯神社〇〇講中と呼称され、古峰ヶ原(こぶがはら)講と言われます。 古峰ヶ原は古峯神社が鎮座する周辺高原一体の名称で、当地においては言葉が訛って神社そのものも通称「こばはらさん」と呼ばれています。
当神社のサイトによると講中の数は約二万を数え、崇敬者は二百万人を越すとしています。 さすがに実態はそんなにはないと推測しますが、とりわけ東北南部や北関東には沢山の講中があることが知られています。
代参の方法はそれぞれの講中で違いがあるでしょう。 基本的には講中の代表が古峯神社を参拝して御祈祷のお札を受け、参拝に当らなかった講員にお札を授与するものです。
当地の場合は本社から分霊を受けた鎮守の神社であり、祭典を行うとともに本殿、拝殿や境内の管理等もあることから講中の役員として世話人3名を置いています。 うち代表1名、会計1名で小生が代表を仰せつかっているわけです。
当講中の代参は鎮守様の祭典の前までに行えばよく固定した月日は定めていません。 以前は春と秋の祭典に合わせ年2回の代参を行っていました。 しかし、負担が大きく現在は春の祭典に合わせ年1回に改められました。 秋は代参と同等の扱いとなっている郵便祈祷という制度を利用しています。 なお、コロナ禍のため代参を一時中止せざるを得ず復活したのは昨年からです。
当講中の代参人はくじによって決められます。 祭典の折りそれまで代参人に当たっていない人がくじを引き次回の代参人4名が決定します。 全員一回りすれば新たなくじが始まります。
代参に要する経費は講員全員で負担します。 実際には祭典の折り他の経費も合わせ徴収されます。
昔、交通機関が発達していなかった頃は1泊2日の旅程で代参が行われていました。 本社には宿泊できる施設が整備されており、お籠り(参籠)と称していました。 代参がある意味行楽の面もあったことが分かります。 小生が代参に参加するようになって30数年になりますが、実際にお籠りする時代は終わっていました。新幹線や高速道路が整備され日帰りが普通になったことから旅費に要する経費は新幹線利用日帰りの日程で算定するように改められました。 但し、実際の交通手段や旅程については自主性に委ねられています。
代参人の役割は言うまでもなく本社に参拝して御祈祷を受け神符(お札)を頂くことですが、色々と決まりがあります。
忘れてならないのは代参時には必ず講中代参簿を持参すること。
これに社務所が代参人等の記載をします。 講中の参拝と一般の参拝とでは扱いが異なります。当講中で頂くお札は講中、代参人、他の講員分(2種)と4種ありよく確認して申し込むようにします。
詳細は綴りにして誰が代参人になっても分かるように整理しています。
祭典の主役も代参人であり、講中世話人とともに準備に当たります。 祭典の御祈祷の際は本社で頂いたお札を一旦本殿に奉り、御祈祷終了後に講中お札は本殿に納め、通常のお札は講員に配ります。
代参人は講員に会計などの報告を行うとともに記録簿に記帳して次の代参人に引き継ぎます。
以上が代参講の概要です。来るべき代参まで遺漏なきよう準備をします。