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里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

菩提寺の世話人会

2025年07月14日 | 暮らし

我が家の菩提寺の世話人会があり、出席しました。
浄土真宗本願寺派のお寺さんです。これが本堂。


世話人会は檀徒代表の総会に相当し、年1回開催されます。
父が亡くなった後にそのまま引き継ぎ、実に30年が経過しました。準総代と言う肩書きもそのままです。
当時はまだ40代も半ば。世話人では一番の若輩でした。今はほぼ中間くらいのように見受けます。
今年気になったのは他集落の世話人で父より若干年下の今年98歳になる方のこと。
昨年まではかくしゃくとして欠かさず出席されていましたが、今年は欠席でした。
これは本堂の右手にある聖徳太子殿。


一番右手に会堂があります。


会堂内。


以前は、本堂でお経を唱和した後、こちらで協議がなされていました。
これが本堂内。


コロナ禍のため会の設営も大分違ったものになっていましたが、昨年からはほぼ以前に近い形になりました。
但し、今年も本堂で全員揃ってのお経の唱和はなく、念仏と礼拝だけです。世話人会も本堂で行われました。
世話人会の内容はまず型どおりの前年度と本年度の行事や決算、予算がメインです。
加えて昨年は新住職に変わられたことに伴ういくつかの行事があったことから一連の決算報告がなされました。
先代住職は開会前に顔を見せただけで現在は名実ともに新住職が仕切られています。
その他では、樅の木が大木になり通りに倒れる危険もあることから伐採の方向で業者を検討することになりました。
これはザクロの木ですが、こちらは問題ないようです。かなり古そうながら我が家のザクロよりはずっと若い。


世話人会が終了した後には檀家の年会費に当たる維持費徴収用のカップが配られます。
世話人会自体は大したこともないのですが、実質はこちらの方がメインかも。
例年のごとくとは言えこれから檀家さんに配布し集金しなければなりません。
昨年は新住職継職に伴う行事のため別途負担金を徴収したので、その分の負担はなくなります。
今の時代喜ばれるような役回りではありませんが、ささやかな地域奉仕と思い続けています。


鎮守の神社春の祭典は講中代表と代参人の二役

2025年04月21日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の春の祭典を挙行しました。
当神社はいわゆる代参講と言われるもので、小生が講中の代表を仰せつかっています。
代参講については過日改めて詳細を記したとおりです。
そして、春の祭典に合わせ本社に代参し祈祷を受けることになっています。
今回、正に小生がその代参人の一人に当たり、過日無事代参を済ませたことを記しました。
コロナ禍のため中止したり変則的な開催が続きましたが、ようやく昨年から本来の祭典が挙行できるようになりました。
もっとも祭典といっても神輿を担いだりといった華やかなものではありません。代参講で本社から分霊を受けた神社とはそのようなものです。
代参人は事前に本社でご祈祷を受けた講員に配るお札を確認するとともに収支報告等の準備をします。
祭典当日は早朝に世話人と当番者が集まり、境内の清掃を行います。
本殿は清掃し開帳します。


拝殿も清掃しゴザを敷きご祈祷に備えます。 


大変なのは石段で、特に今春は暴風で沢山の枯れ枝や落ち葉で酷くなっています。


綺麗になりました。


準備の最後は旗揚げです。


鳥居のしめ縄は小生が縄だけ準備し、紙垂(しで)は宮司が用意してきます。


ご祈祷の前にお供え物などを準備します。これは講中代表としての小生の役目。
お供え物は米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸。自家製の野菜はキャベツと茎立ち菜にしました。
本社に代参し頂いてきたお札はいったん本殿に奉ります。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


ここでの主役は代参人です。今年は小生が代参人でもあり代表の役割と一人二役をこなさなければなりません。
小生ともう一人の代参人が代表してサカキを奉納。合わせて全員で二礼二拍手一礼で拝礼。
かつてはここで御神酒の回し飲みをするのが慣例でしたが、コロナ禍を機に取りやめることにしました。
この後は集会所に移動し直会(なおらい)です。他の代参人2名は先乗りし直会の準備を行っています。
この場でご祈祷を受けたお札を全員に配布し、小生が代参及び祭典の収支等について報告。
御神酒で乾杯後、和やかに歓談し1時間半ほどでお開きとなりました。
夕方には当番になっている小生の班が旗降ろしを行い、一連の代参並びに祭典の行事は無事終了です。



栃木県の古峯ヶ原に鎮座する古峯神社に代参

2025年03月31日 | 暮らし

栃木県鹿沼市草久の古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座する古峯(ふるみね)神社に代参に行ってきました。
我が集落には鎮守様として同神社から分霊を受けた同名の神社があります。いわゆる代参講で、小生は代表を仰せつかっています。
代参講とは崇敬する神社に集落を代表して参拝するために組織された講です。当集落の代参講は古峰ヶ原(こぶがはら)講と称され、過日その概要を記しました(こちら)。
当地では古峰ヶ原(こぶがはら)が訛って神社そのものが通称「こばはらさん」。ですから「こばはらさん」に代参です。
昨年秋の祭典時に今回の代参人4名がくじで選出され、その一人に小生も当たりました。
小生は今回が4回目の代参になります。3回目の代参からは大分間が開きました。
代参は春の祭典に合わせ行うことになっており、4名で相談し、昨日無事参拝を済ますことが出来ました。
早朝、乗用車に乗り合わせ、東北自動車道を南下し鹿沼ICで降り、10時30分頃本社に到着。


古峯神社が鎮座する古峯ヶ原(こぶがはら)は標高は約700m、面積は500haに及ぶと言います。


御祭神は 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。


日本武尊が焼津の原の火難を除かれたと言う故事から火伏せの神様として知られています。よって代参の際は必ず鎮火のお札を頂きます。
また海神の怒りを鎮め奉ったという故事から海上安全や大漁満足、そして五穀豊穣の神として農漁村の人々から信仰を集めています。
さらには国家安泰はもとより、家内安全・商売繁盛・交通安全など総ての開運・除災・心願成就の神として崇られるに至ったとされます。
由緒や御神徳など詳しくは古峯神社の公式サイトから見ることが出来ます。
社務所にてご祈祷の手続きをします。


講中の代参人と一般の参拝者では異なります。
こちらが講中のお札。


これが申込用紙。


講中のお札、代参人のお札、そして講員のお札(2種)を記入。代参人は名入りのお札を受けます。
持参した講中代参簿を添えて申し込みます。
待ち時間の間、暫時視察。


待合室の一つ。


大広間。


天狗の間。


我々がご祈祷を受けたのは5番目で11時半過ぎからでした。


祈祷中の撮影は禁止です。代参人を代表して小生が玉串を奉奠しました。
30人ほどが同時に祈祷を受けましたが代参は4講中でした。祈祷を受けたお札をいただき無事終了です。


本社前の食堂で少し遅めの昼食。帰途、今回は観光はなしで道の駅2カ所に寄り道し夕方無事帰着。
中華料理店で打ち上げ兼祭典打ち合わせの直会と相成りました。








代参講とは(古峰ヶ原講)

2025年03月27日 | 暮らし

 当集落には鎮守の神様があります。
 当神社はいわゆる代参講と言われるもので小生が講中の代表を仰せつかっています。実は小生は30年も代表を務めているのです。 その経緯については何れ記したいと思っていますが。
 当神社に専任の宮司はいません。 小生も氏子になっている旧村レベルの神社の宮司に当神社の宮司もお願いしています。 宮司は代参講の一員でもあります。


 然らば代参講とはどのようなものでしょう。
 そもそも田舎には古来様々な講と言われる組織がありました。
宗教・政治・経済など目的も講によって違いがありますが、当地では仏事に関わる講が代表的なものです。 集落の方が亡くなったときの助け合い組織のようなもので契約講と言われています。 現代では葬祭会館を利用するのが一般的になり、講は解消されました。
 代参講は崇敬する神社や寺院に集落を代表して参拝するために組織された講です。 大山講、伊勢講、富士講などは一般にもかなり知られた代参講でしょう。当集落の代参講は栃木県鹿沼市にある古峯(ふるみね)神社を参拝する講です。
 なぜここで改めて代参講について記すかと言えば、この度、小生もその代参人の一人に当たっているからです。
 当地にある鎮守様はその古峯神社から分霊を受けたもので127年になり、名称も同じく古峯神社。当然代参講はそれ以前からあったはずですが、正式な記録が確認できません。


 この代参講(組織)は古峯神社〇〇講中と呼称され、古峰ヶ原(こぶがはら)講と言われます。 古峰ヶ原は古峯神社が鎮座する周辺高原一体の名称で、当地においては言葉が訛って神社そのものも通称「こばはらさん」と呼ばれています。
 当神社のサイトによると講中の数は約二万を数え、崇敬者は二百万人を越すとしています。 さすがに実態はそんなにはないと推測しますが、とりわけ東北南部や北関東には沢山の講中があることが知られています。
 代参の方法はそれぞれの講中で違いがあるでしょう。 基本的には講中の代表が古峯神社を参拝して御祈祷のお札を受け、参拝に当らなかった講員にお札を授与するものです。
 当地の場合は本社から分霊を受けた鎮守の神社であり、祭典を行うとともに本殿、拝殿や境内の管理等もあることから講中の役員として世話人3名を置いています。 うち代表1名、会計1名で小生が代表を仰せつかっているわけです。
 当講中の代参は鎮守様の祭典の前までに行えばよく固定した月日は定めていません。 以前は春と秋の祭典に合わせ年2回の代参を行っていました。 しかし、負担が大きく現在は春の祭典に合わせ年1回に改められました。 秋は代参と同等の扱いとなっている郵便祈祷という制度を利用しています。 なお、コロナ禍のため代参を一時中止せざるを得ず復活したのは昨年からです。
 当講中の代参人はくじによって決められます。 祭典の折りそれまで代参人に当たっていない人がくじを引き次回の代参人4名が決定します。 全員一回りすれば新たなくじが始まります。
 代参に要する経費は講員全員で負担します。 実際には祭典の折り他の経費も合わせ徴収されます。
 昔、交通機関が発達していなかった頃は1泊2日の旅程で代参が行われていました。 本社には宿泊できる施設が整備されており、お籠り(参籠)と称していました。 代参がある意味行楽の面もあったことが分かります。 小生が代参に参加するようになって30数年になりますが、実際にお籠りする時代は終わっていました。新幹線や高速道路が整備され日帰りが普通になったことから旅費に要する経費は新幹線利用日帰りの日程で算定するように改められました。 但し、実際の交通手段や旅程については自主性に委ねられています。
 代参人の役割は言うまでもなく本社に参拝して御祈祷を受け神符(お札)を頂くことですが、色々と決まりがあります。
 忘れてならないのは代参時には必ず講中代参簿を持参すること。


これに社務所が代参人等の記載をします。 講中の参拝と一般の参拝とでは扱いが異なります。当講中で頂くお札は講中、代参人、他の講員分(2種)と4種ありよく確認して申し込むようにします。


 詳細は綴りにして誰が代参人になっても分かるように整理しています。
 祭典の主役も代参人であり、講中世話人とともに準備に当たります。 祭典の御祈祷の際は本社で頂いたお札を一旦本殿に奉り、御祈祷終了後に講中お札は本殿に納め、通常のお札は講員に配ります。
 代参人は講員に会計などの報告を行うとともに記録簿に記帳して次の代参人に引き継ぎます。


 以上が代参講の概要です。来るべき代参まで遺漏なきよう準備をします。


㊗一力遼棋聖大逆転で4連覇を達成し4冠堅持

2025年03月13日 | 暮らし

囲碁の一力遼4冠が3月12、13日行われた棋聖戦最終第7局に勝利し棋聖4連覇を達成、4冠を堅持しました。
一力遼4冠は本県出身で、ヘボ碁をたしなむ小生は10代の頃から応援してきました。
棋聖は囲碁界最高位のタイトル。この度の棋聖戦は正に大逆転での勝利となりました。
1勝1敗の出だしでしたが、第3局は出身地の地元仙台の県知事公館で行われましたが敗戦。第4局も敗戦で1勝3敗の瀬戸際に追い込まれました。
さすがに井山裕太3冠が相手では正直非常に苦しいと思ったことでした。
そこから3連勝での防衛は奇跡的。かつて井山3冠に挑戦し何度も跳ね返された頃を思うと隔世の逞しさです。
今回の第7局も1日目から激戦。
 
2日目も解説陣が難しい、分からないを連発の難戦となりました。

AIの評価値では井山90%優勢と敗色濃厚の場面もあったようです。そこからの大逆転となりました。
シリーズも大逆転なら最終局も大逆転の劇的な幕切れとなりました。
それにしても井山3冠は無理せず逃げ切りを図る道もあったと思われますが、最強手を求めるという信念を貫く姿勢に感銘を受けました。
今回の棋聖戦は後世まで名勝負と長く称えられることでしょう。
今後は、一力4冠に全7冠制覇の期待がかかりますが、残りは井山3冠が保持しています。井山3冠は全7冠を2度も達成した大棋士。まだまだ大きな壁となるはずです。
この結果は読売新聞が主催しており読売オンラインで速報されました。
そして、軌を一にして河北新報オンラインでも直ちに速報されました。
なにしろ一力4冠は当県の地方紙「河北新報」創業家の御曹司。大学卒業後は同紙記者として棋士との二刀流で活躍しています。そして、現在は取締役でもあるのです。
明日の同紙には棋聖戦の結果が大きく報じられることでしょう。