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里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

栃木県の古峯ヶ原に鎮座する古峯神社に代参

2025年03月31日 | 暮らし

栃木県鹿沼市草久の古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座する古峯(ふるみね)神社に代参に行ってきました。
我が集落には鎮守様として同神社から分霊を受けた同名の神社があります。いわゆる代参講で、小生は代表を仰せつかっています。
代参講とは崇敬する神社に集落を代表して参拝するために組織された講です。当集落の代参講は古峰ヶ原(こぶがはら)講と称され、過日その概要を記しました(こちら)。
当地では古峰ヶ原(こぶがはら)が訛って神社そのものが通称「こばはらさん」。ですから「こばはらさん」に代参です。
昨年秋の祭典時に今回の代参人4名がくじで選出され、その一人に小生も当たりました。
小生は今回が4回目の代参になります。3回目の代参からは大分間が開きました。
代参は春の祭典に合わせ行うことになっており、4名で相談し、昨日無事参拝を済ますことが出来ました。
早朝、乗用車に乗り合わせ、東北自動車道を南下し鹿沼ICで降り、10時30分頃本社に到着。


古峯神社が鎮座する古峯ヶ原(こぶがはら)は標高は約700m、面積は500haに及ぶと言います。


御祭神は 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。


日本武尊が焼津の原の火難を除かれたと言う故事から火伏せの神様として知られています。よって代参の際は必ず鎮火のお札を頂きます。
また海神の怒りを鎮め奉ったという故事から海上安全や大漁満足、そして五穀豊穣の神として農漁村の人々から信仰を集めています。
さらには国家安泰はもとより、家内安全・商売繁盛・交通安全など総ての開運・除災・心願成就の神として崇られるに至ったとされます。
由緒や御神徳など詳しくは古峯神社の公式サイトから見ることが出来ます。
社務所にてご祈祷の手続きをします。


講中の代参人と一般の参拝者では異なります。
こちらが講中のお札。


これが申込用紙。


講中のお札、代参人のお札、そして講員のお札(2種)を記入。代参人は名入りのお札を受けます。
持参した講中代参簿を添えて申し込みます。
待ち時間の間、暫時視察。


待合室の一つ。


大広間。


天狗の間。


我々がご祈祷を受けたのは5番目で11時半過ぎからでした。


祈祷中の撮影は禁止です。代参人を代表して小生が玉串を奉奠しました。
30人ほどが同時に祈祷を受けましたが代参は4講中でした。祈祷を受けたお札をいただき無事終了です。


本社前の食堂で少し遅めの昼食。帰途、今回は観光はなしで道の駅2カ所に寄り道し夕方無事帰着。
中華料理店で打ち上げ兼祭典打ち合わせの直会と相成りました。








水墨画「猫柳」

2025年03月30日 | 水墨画:草花
本画仙 色紙 
 

早春になると里山の河原や湿地に可愛い姿を見せる猫柳。
正に名前のごとくモフモフとして猫の尻尾のよう。思わず触ってみたくなるというものです。
滲みの出る和紙に筆で濃淡墨の点を打つと自然に猫柳の雰囲気に。ここでは本画仙張りの色紙を使っています。
猫柳は葉を出す前に白銀色のふっくらした花穂を着け、しばらくすると蕊(しべ)が展開してきます。
実は猫柳は雌雄異株。よく観察したことはないのですが、雄花は蕊の先端にオレンジ色の葯が付き、雌花はオレンジ色の蕊は無く白いワタ毛が密集して見えると言います。
それにしても柳は非常に強く、元田んぼだった耕作放棄地にはいつの間にか柳が定着していることが多い。
元々湿気を好むため繁殖するには好条件な訳です。里山では普通に見られる風景となりました。
コメ価格の高騰が騒がれる中、元はコメが作られ放棄された田んぼで可愛げな姿を見せる猫柳はどんな気持ちなのだろう。


 

春まき長ネギをトンネルに種播き

2025年03月29日 | 畑:葉菜類

春まき長ネギの種播きをしました。
老朽化したハウスを解体してからは露地で育苗しています。
長ネギを早くから穫ろうと思えば早く播く必要がありますが、当地では通常の露地は4月半ば頃です。
トンネルで半月ほど早めの種播きをするというわけです。3月半ばに播いたこともありますが、今は無理はしません。
苗床を作る場所には1ヵ月ほど前に苦土石灰、有機肥料、化成肥料を施し十分に耕耘しています。
種播き前に管理機の逆転ローターで耕耘を兼ね畝を盛ります。


鍬でならしかまぼこ形のベットに仕上げます。


ベットに数㎝間隔の浅い播き溝を付けます。


品種はタキイ種苗のホワイトスター。揃いが良く美味しいので、近年は専らこの品種です。


小生多くはばら播きですが、さすがにネギ苗はすじ播きです。
黒いゴマのような種です。


これでは分りにくいでしょう。確かに播いています。


基本間引きはしないのでごく薄播きにします。
指で播き溝を埋めるようにして覆土するのが小生流。


鍬で軽く鎮圧。


籾殻くん炭を土が見えなくなる程度に掛け、乾燥と土が固まるのを抑えます。


少し早い種播きなのでくん炭で地温を上げ酸性の改良も多少期待。
やや乾燥気味なのでたっぷりと灌水。


トンネル支柱をし、0.03㎜のポリを掛けます。


トンネルのポリは、昨年の水稲のプール育苗に使ったものの再利用。
今はポットやトレーの利用が多くなっていると思いますが、小生は未だ昔ながらの育苗です。
ハウスと違って発芽までが不安定になりがち。上手くいくでしょうか。

ボリューム満点で柔らかい「縮み雪菜」の茎立ち

2025年03月28日 | 畑:花菜類

我が家ではトウを穫る目的で作っているナバナ類が何種かあります。
アスパラ菜はすでに終わっていますが、他は立春以降の度々の寒波襲来で例年とは様相が違います。
一方、葉物として作っている「縮み雪菜」は昨年11月上旬から抜き穫り収穫を開始して以来穫り続けてきました。
「縮み雪菜」は最後まで間引くような収穫を続けたため大株になり、低温にも晒され一層美味しくなりました。
かつて好んで作っていたターサイを止め「縮み雪菜」一本にしたことから量も多く、さすがに葉物として穫りきることは出来ませんでした。
アブラナ科野菜は冬を越し春になれば自然にトウが立ちます。当然残っている「縮み雪菜」も同様です。


通常は3月になると外葉が枯れ小さくなってきます。しかし、今作はもともと大株が残った上、耐寒性が増したと見えかつてないボリュームとなりました。
残された株数はそれほどでもないのですが、何れも大きく隙間はあまり見えません。


「縮み雪菜」はトウも美味しいので、葉物として穫り残した場合は茎立ち菜として利用するつもりでした。
我が家では茎立ち菜として作っている「仙台雪菜」があります。しかし、同じ雪菜でも「縮み雪菜」は全く別物。
「仙台雪菜」はいわゆる伝統野菜ですが、「縮み雪菜」はターサイから育種されたもので姿形が全く異なります。
ターサイのトウも美味しかったけれど「縮み雪菜」の方が明らかにボリュームがあります。


ターサイはトウがすんなり伸びるのに対し、「縮み雪菜」はどっしり感のある伸び方です。
特に今作は大株になり新葉の枚数が多く生長も良いため頗るボリュームが豊かになったと思われます。


外葉とトウの新葉はすぐ区別がつきます。
外葉は光沢があり多少変色していますが、新葉は光沢があまりなく柔らかい。やはり縮みは細かく沢山あり肉厚です。


トウは早いものでも伸び始まったばかり。やはり他の茎立ち菜と同様例年よりは遅いようです。
外葉は除いて穫ります。1株だけでこのボリュームは初見。


「縮み雪菜」の蕾、新葉、茎何れも柔らかく旨味があり茎立ち菜としても大変美味しい。
こちらはチンゲンサイ。


まだ残っており、やはりトウが伸びています。


「縮み雪菜」のようなボリュームはありません。


もちろん食するのに支障はないものの「縮み雪菜」に比べると食味はずっと落ちます。
それでもチンゲンサイを好む郎党がおり、助っ人はこちらも多少穫っているようです。

代参講とは(古峰ヶ原講)

2025年03月27日 | 暮らし

 当集落には鎮守の神様があります。
 当神社はいわゆる代参講と言われるもので小生が講中の代表を仰せつかっています。実は小生は30年も代表を務めているのです。 その経緯については何れ記したいと思っていますが。
 当神社に専任の宮司はいません。 小生も氏子になっている旧村レベルの神社の宮司に当神社の宮司もお願いしています。 宮司は代参講の一員でもあります。


 然らば代参講とはどのようなものでしょう。
 そもそも田舎には古来様々な講と言われる組織がありました。
宗教・政治・経済など目的も講によって違いがありますが、当地では仏事に関わる講が代表的なものです。 集落の方が亡くなったときの助け合い組織のようなもので契約講と言われています。 現代では葬祭会館を利用するのが一般的になり、講は解消されました。
 代参講は崇敬する神社や寺院に集落を代表して参拝するために組織された講です。 大山講、伊勢講、富士講などは一般にもかなり知られた代参講でしょう。当集落の代参講は栃木県鹿沼市にある古峯(ふるみね)神社を参拝する講です。
 なぜここで改めて代参講について記すかと言えば、この度、小生もその代参人の一人に当たっているからです。
 当地にある鎮守様はその古峯神社から分霊を受けたもので127年になり、名称も同じく古峯神社。当然代参講はそれ以前からあったはずですが、正式な記録が確認できません。


 この代参講(組織)は古峯神社〇〇講中と呼称され、古峰ヶ原(こぶがはら)講と言われます。 古峰ヶ原は古峯神社が鎮座する周辺高原一体の名称で、当地においては言葉が訛って神社そのものも通称「こばはらさん」と呼ばれています。
 当神社のサイトによると講中の数は約二万を数え、崇敬者は二百万人を越すとしています。 さすがに実態はそんなにはないと推測しますが、とりわけ東北南部や北関東には沢山の講中があることが知られています。
 代参の方法はそれぞれの講中で違いがあるでしょう。 基本的には講中の代表が古峯神社を参拝して御祈祷のお札を受け、参拝に当らなかった講員にお札を授与するものです。
 当地の場合は本社から分霊を受けた鎮守の神社であり、祭典を行うとともに本殿、拝殿や境内の管理等もあることから講中の役員として世話人3名を置いています。 うち代表1名、会計1名で小生が代表を仰せつかっているわけです。
 当講中の代参は鎮守様の祭典の前までに行えばよく固定した月日は定めていません。 以前は春と秋の祭典に合わせ年2回の代参を行っていました。 しかし、負担が大きく現在は春の祭典に合わせ年1回に改められました。 秋は代参と同等の扱いとなっている郵便祈祷という制度を利用しています。 なお、コロナ禍のため代参を一時中止せざるを得ず復活したのは昨年からです。
 当講中の代参人はくじによって決められます。 祭典の折りそれまで代参人に当たっていない人がくじを引き次回の代参人4名が決定します。 全員一回りすれば新たなくじが始まります。
 代参に要する経費は講員全員で負担します。 実際には祭典の折り他の経費も合わせ徴収されます。
 昔、交通機関が発達していなかった頃は1泊2日の旅程で代参が行われていました。 本社には宿泊できる施設が整備されており、お籠り(参籠)と称していました。 代参がある意味行楽の面もあったことが分かります。 小生が代参に参加するようになって30数年になりますが、実際にお籠りする時代は終わっていました。新幹線や高速道路が整備され日帰りが普通になったことから旅費に要する経費は新幹線利用日帰りの日程で算定するように改められました。 但し、実際の交通手段や旅程については自主性に委ねられています。
 代参人の役割は言うまでもなく本社に参拝して御祈祷を受け神符(お札)を頂くことですが、色々と決まりがあります。
 忘れてならないのは代参時には必ず講中代参簿を持参すること。


これに社務所が代参人等の記載をします。 講中の参拝と一般の参拝とでは扱いが異なります。当講中で頂くお札は講中、代参人、他の講員分(2種)と4種ありよく確認して申し込むようにします。


 詳細は綴りにして誰が代参人になっても分かるように整理しています。
 祭典の主役も代参人であり、講中世話人とともに準備に当たります。 祭典の御祈祷の際は本社で頂いたお札を一旦本殿に奉り、御祈祷終了後に講中お札は本殿に納め、通常のお札は講員に配ります。
 代参人は講員に会計などの報告を行うとともに記録簿に記帳して次の代参人に引き継ぎます。


 以上が代参講の概要です。来るべき代参まで遺漏なきよう準備をします。