そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第41日  那智勝浦町・JR紀伊浦神駅駅へ

2016年02月08日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月20日(日) 雨 (串本町・みさきロッジユースホステル
   ~那智勝浦町・JR紀伊浦神駅~串本町・みさきロッジユースホステル)




那智勝浦で宿が取れず、今回もユースに2泊することになった。というわけで、今日は空身で行ける所まで行って、JR紀勢本線とバスでユースに戻る計画。

7時35分の串本行きのバスに乗ろうと準備したが、日曜のためお休み。うっかり。

7時45分、しかたなく徒歩出発。霧雨の中を北上する。途中で風が強くなり、雨も本降りとなったので、傘のほかにゴアの雨具も着用。

9時、JR串本駅着。ただちに出発。

9時15分、橋杭公園より、橋杭岩を写す。国道42号線(熊野街道)は、串本の市街を抜けると海岸線に沿って行く。




橋杭岩は、陸地側から紀伊大島に向かって大小400くらいの岩が、橋の杭のごとく並んでいる。国指定名勝天然記念物で、南紀屈指の観光スポットである、と途中でもらったパンフレットにあり。
橋杭岩のいわれとしては、昔弘法大師が天の邪鬼と串本から大島まで一晩で橋をかける賭けをした。大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで、賭けに負けてしまうと思った天の邪鬼が、ニワトリの鳴きまねをして弘法大師を騙し、もう朝が来たと勘違いさせた。そのため弘法大師が諦めて作りかけのままで去ったので、橋の杭のみが残った、というもの。

9時30分、橋杭岩横通過。




9時50分、振り返って橋杭岩。


しばらくは、なんとか写真をと思ったが、強風波浪注意報のとおり、雨、風ともに強くなり、橋杭岩のみ写真に撮って、カメラは、ザックの中へ。したがってこの後は写真はなし。

風雨厳しい。とくに海からの風が激しく往生した。傘が、メリーポピンズのアンブレラのごとくたわみ、壊れるのではないかと思われるほどだった。とりわけ、岬の先端部や橋の上では身を隠すすべとてなく、傘もさせないところもあった。雨か風のどちらかだったらまだしも、両方だったので難儀した。ゴアの雨具も、防水機能が弱くなっており、雨水が肌着まで浸透してきて寒かった。さらに、日曜だったのでダンプからは免れたが、国道42号線は自動車もそこそこ来るし、しかも歩道はほとんどないし‥‥と、まあ弱音ばかりだが、長旅ではこんなことはつきものでもある。結果論だが、ユースに2泊は正解だった。

12時30分、ようやく海岸線から離れ、やや内陸部に入って、那智勝浦町に。せめてここだけは記録しておこうと思い、ザックカバーをとり空のザックからカメラを取り出して1枚だけ写した。


12時45分、紀伊浦神駅。今日はここまでで行動打ち切り。太地までは無理としても、せめて下里までは行きたかったが‥‥。


13時3分、紀伊浦神駅発のJR紀勢本線で串本駅へ戻る。駅にはSさんがいて、雨が降っても歩くのか、それで今日はどこまで行ったのかい、などと冷やかされてしまった。たった4駅分しか歩いてないのだから仕方ない。

14時32分、串本駅発のバスでユースへ帰る。

14時、宿に着く。


歩数  33084歩  (累計  2195161歩)
距離  23.5km  (累計  1427.5km)
費用  7093円   (累計  220876円)