そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第42日  新宮市・ビジネスホテル紀州へ

2016年02月12日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月21日(月) 雨 (串本町・みさきロッジユースホステル
    ~那智勝浦町・JR紀伊浦神駅~新宮市・ビジネスホテル紀州)




7時35分のバスで串本駅へ向かうべく準備していると、Sさんがやってきて車で串本駅へ送ってくれるという。早朝からわざわざ有難い。感謝。車の中で、いろいろの話。日本一周をしていた若者を泊めてやり今でも付き合いがあるということや、財布を落とした旅の女性に金を貸したことや、自身の27キロオーバーの交通違反のこと、家族のこと等々。串本駅で、お礼を言って別れるときに、もらいものだがトンネルを歩くときに役立つんじゃないかと思って、と言って反射テープのたすきを渡された。いろいろ有難う。お達者で。


8時01分、串本駅発の紀勢本線で紀伊浦神駅へ。

8時45分、JR紀伊浦神駅。今日はここから。ゴアの雨具を着て、傘をさし、出発。国道42号線の熊野街道を、海岸線に沿って北上。


昨日と同様、本日も強風波浪注意報発令だが、昨日ほどひどい天気ではない。

8時50分、雨に煙る玉の浦。


渡船乗り場。


那智勝浦町案内図。


9時15分、玉の浦トンネル(322m)。白線のみで歩道なし。Sさんにいただいたタスキを早速着用。


9時45分、落合博満野球記念館の案内。


9時50分、太地町に入る。


太地町案内図。




9時55分、太地駅にて小休止。ダンプは、すさみの時ほどではないものの、相変わらず何台か通っている。こちらはまた別の現場からのもののようだ。

10時20分、遠くに町立くじらの博物館のモニュメント。


森浦湾。


10時30分、再び那智勝浦町へ。


市屋第二トンネル作業所入口を通過し、


10時35分、鯨浦トンネル。


10時40分、湯の浦トンネル。ここが通学路って!!


11時、湯川駅にて小休止。自販機の飲料の補充にやってきた男性2人に、ダンプのことで聞いてみたところ、高速道路のあちこちにある奥の現場と土やセメントなどを42号線で運搬すること、高速や国体のみならず、2012年の台風被害の復旧のダンプもあるとのこと。42号線は3年程前までは静かだったが、自民党の二階が高速道路を持ってきたので、いまや交通事故も多発し「死に(42)号線」と呼ばれている、と。これは先行き明るくないぞ。だがまあ、一喜一憂しても始まらず、淡々と歩いていこう。

11時10分、湯川案内図。ゆかし潟は大ウナギの生息地なのか?


左手に、若葉がしっとりと雨に煙って、絵のごときゆかし潟。注意報が出た割には、風はさほどでもない。






11時30分、湯川トンネル。ここは人道トンネル(旧湯川トンネル、278m)が右手にありホッとする。そちらを通行。


12時15分、「道の駅なち」にて小休止。隣接する那智駅には「日本サッカーの祖 中村覚之助 顕彰碑」。日本サッカー協会のマークの八咫烏は、熊野出身の中村覚之助にちなんだもの、だそうだ。


12時40分、熊野古道案内図。


その先、大狗子トンネル(170m)。


12時50分、白菊の浜。
 

海は荒れている。




12時55分、小大狗子トンネル(283m)。この新しい両トンネルはともに歩道あり。


13時30分、新宮市に入る。


13時35分、佐野王子跡。




熊野参詣道案内図。


神武天皇聖績狭野顕彰碑


14時10分、熊野古道高野坂入口。


15時10分、JR新宮駅。


15時20分、宿到着。宿泊、素泊まり 4000円。

しばらくして雨が上がったので、近くのスーパーへ買い物。缶ビールを買って、この旅で2回目の乾杯。雨の中、いささか厳しい2日間だったので、自分で自分を労った。
しかし、途中の浜にサーファーがいたのには驚いた。

明日は休養日。那智見学の予定。

歩数  30427歩  (累計  2225588歩)
距離  28km    (累計  1455.5km)
費用  7364円   (累計  228240円)


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