そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第57日  根室半島一周

2016年05月26日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月27日(水) 晴 (根室市・ライダーハウス インディアンサマーに連泊)



4時、出発。夜間の雨は止み、予報が外れて晴天なり。やや寒い風が吹いている。

4時20分、道道35号線の長い坂を下っていくと、右手の遠方に海が見える。


自然環境保全区の案内板。


4時25分、左手は朝日があたる湖沼群。




4時35分、丹根沼。


4時40分、海岸沿いにトーチカ。太平洋戦争中に北方の防衛のために築かれた。


4時50分、温根沼。


2人の釣り人がいて、アメマスを釣ろうとしたが、風が強くて釣果無し、とのこと。水中の魚にとって、いつも吹いているであろう根室半島の風がどのような影響があるのかと思ったが、まぁ、釣りをやらない人間には分からないほどデリケートなものなのだろう。

5時、遠方は太平洋。


5時40分、2013年3月31日に閉校の共和小学校。


「陽光さんざめく太平洋を望み 風吹き渡るはまなすの丘に立つ共和小学校の一一四年にわたる歴史とここより巣立った多くの有為なる人材を永くとどめるために『校訓』を刻す‥‥
明るく つよく 美しく ‥‥」


7時45分、くるくる回る根室歯舞ウインドファームの小型風力発電設備。


7時50分、デジカメではよくとらえられなかったが、左に知床連山、やや右寄りに国後島。


遥かなたに納沙布岬のオーロラタワー。


8時、風車も勢いよく回っている。


突然、大津美子の「ここに幸あり」のオルゴールが鳴った。8時の合図のようだ。これまで通ってきたところでも、朝夕にオルゴールの合図があったが、ウェルナーの「野ばら」などが多かった。「ここに幸あり」は初めて。でも、根室半島で聞く「嵐も吹けば 雨も降る‥‥」は何故か納得がいった。

8時5分、珸瑤瑁の漁村を遠くに望みつつ、




8時10分、珸瑤瑁(ごようまい)地区に入る。生まれて初めて見る文字。「珸瑤」は勘で読めたが、「瑁」の読みが外れた。


8時20分、「日本最東端の郵便局 珸瑤瑁郵便局」。


8時30分、2013年3月31日に閉校の珸瑤瑁小学校。「日本最東端の学校」の木柱が寂しそうである。




納沙布岬のオーロラタワーが遠くに見えるがなかなか近づけず。

9時、納沙布岬に着く。


納沙布岬の碑。







晴れているので、知床から北方諸島もよく見える。






寛政の蜂起和人殉難墓碑。


「寛政元(一七八九)年五月、国後島とメナシ(現在の標津町付近)のアイヌの人々が、当時
この地域の場所請負人であった飛騨屋久兵衛の支配人らに脅されて、僅かな報酬で労働を強いられ、やむなく蜂起し和人七十一人を殺害した。
松前藩は、ノマカップ(根室半島オホーツク海側)にアイヌの人々を集め蜂起の指導者三十七人を処刑した。このできごとは、“寛政クナシリ・メナシアイヌ蜂起”と称されている。
この墓碑は、死亡した和人七十一人の供養のために文化九(一八一二)年に造られたと刻まれている‥‥」とある。そうか? 和人の殉難は不幸なことだが蜂起は正当であり、松前藩の処刑は不当である。これを「根室市指定文化財」とするのも、アイヌ人に対して片手落ちである。


その他にも、右翼が建てた碑などがいくつかあった。

海鳥が飛び交い、波が洗う岬のはずれ。




納沙布岬灯台。








「四島のかけ橋」


北方館を見学。入場 無料。










択捉島、


国後島、


歯舞色丹島、


北の野生動物の標本などもあり。

また、歴史的文書も展示されてあり、興味深い。
近藤重蔵、





最上徳内、




新井白石、




大黒屋光太夫、



その他。

北方領土問題対策協会というところが発行している「北方領土」というパンフレットがあったのでいただいた。


その後、オーロラタワーに上り96mの高さから周囲を展望した。500円。








北方館にも望遠鏡があったが、やはりここからだと格段に良く見える。ただし、択捉島や色丹島はよく見えなかった。
歯舞群島の貝殻島などはまさに足下という感じ。全くの荒野で島全体が枯草色。家も番屋のようなものが2~3軒確認できた程度。
ロシアの漁船や沿岸警備隊の船舶が見えた。だが、漁港があるわけではなく、国後方面に戻る。

館内の清掃をしていたお爺さんに話を聞いた。――以前、花咲で海産物の仲買人をしていた、と。ここら辺のカニは全部ロシアから買ったものだ、ということ。漁業の主体は昆布漁で、今頃から10月までが最盛期。特に、7・8月に沖で獲るのが上もの。その際、貝殻島灯台など国境線すれすれのあたりは、ロシアにお金を払って獲らせてもらっているのだそうだ。天気については、霧の日が多く、昨日は15時から霧が出て見えなくなったので、早々と閉館になった。今日は良い天気なので遠くまでよく見える、と。振り返ってみたら、岬での晴天率は8割だった。(オーロラタワーから写真を撮ればよかったのにすっかり忘れてしまった。)

10時30分、さて、後は宿へ戻るだけ。
海上の知床連山を見たり、


11時、たくさんの馬が草を食む。


11時30分、トーサムポロ沼。




12時45分、北方原生花園。


あいにく花期はまだで、残りの水芭蕉だけ。ハマナスもノカンゾウも咲いておらず。タンポポの中をポニーが駆け回っていた。


根室半島の北側からは、午後いっぱい、海上に知床連山がよく見えた。




途中で、急に左足裏が激しく痛みだし、とうとう来たか、という気持ち。そろそろ2000㎞、元ジャイアンツの江川の「100球肩」ではないが、去年に続いて「2000㎞足」である。

あとはだましだまし歩き、日本最東駅のJR東根室駅に行くのは諦め、途中にあった「みなと湯」で、入念にマッサージをし、さらに薬局でバンテリンを買って戻った。あと20日弱、なんとか大事にならないでいってほしいところ。

4時50分、宿に着く。今日も泊り客は小生一人。

夕食後、女将さんから、サービスだと言って花咲ガニを1杯いただいた。甘くて美味しかった。


花咲ガニは実はカニではなくてヤドカリの仲間なのだと、根室の情報誌で知った。



2015年 第57日(佐多岬より119日)

歩数  70096歩    (佐多岬より累計  6130440歩)
距離  45.5㎞     (佐多岬より累計  4083㎞)
費用  3280円     (佐多岬より累計  541995円)



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