そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第71日  道の駅 マリーンアイランド岡島へ

2016年06月09日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月10日(水) 雨 (雄武町・「開拓入口」バス停
               ~枝幸町・「道の駅 マリーンアイランド岡島」)




昨日は、到着直後に昼寝。15時~17時30分、荷物整理、記録、夕食。その後、今朝の2時15分に起床するまで、国道沿いだったが車の音も感じなくて熟睡した。起床時、降雨。

3時35分、出発。霧雨、無風。あたりはまだ薄暗く、対向車に察知してもらうべく、エレキを点灯して国道238号線(オホーツクライン)行く。


4時、当沸川、上流側。


下流側、オホーツク海波静か。


川の名の由来――アイヌ語でトーウツ(Tō ut 沼脇)。鮭上る川なり、ut は「あばら骨」。地名ではウツ・ナイ(あばら・川)と同じに使う。トー「沼」あばら骨のような形でついていた小川の意か、と。


4時10分、雄武川、上流側。


下流側。


川の名の由来――アイヌ語でオムイ(О-mu-I 川尻・塞がる処)。暴風時川尻塞がる川なり。(註 川尻塞がるもの(川)となる。)、と。


4時40分、セイコマで、野菜ジュース、おにぎり等買い、朝食。

5時15分、「道の駅 おうむ」へ。小休止、用足し、洗面。道の駅は街中であり、裏に草地があるようだがその上にテントは気が進まない。結局、バス待合所泊まりが正解だった、との結論。


6時15分、小雨の中を歩き、廃屋あり。この建物を取り巻いて、かつてどのような生活があったのだろうか。


6時20分、オホーツク海沿いに、牧草地。雨のため動物の影は無し。


6時40分、音稲府川、上流側。


下流側。


音稲府橋。


7時10分、右手は、フキ、イタドリ、笹、オホーツク海。


7時30分、単調な雨の道。時おり通る車は、もろに水飛沫を浴びせかける車と、ふくらんで避けてくれる車。総じて、大型車は避けてくれる比率が大きかった。


7時55分、幌内川にかかる幌内橋。


幌内川上流側。


下流側。


幌内で、向こうから来たチャリダーの青年と話。埼玉から来たといい、昨夜は枝幸の道の駅で泊まった、道の駅は枝幸市街から7~8㎞手前側にある、とのこと。ここまででコンビニはなかったかと聞かれ、「道の駅 おうむ」の近くに2件あることを教えた。こちらからも、この先にコンビニはなかったかと聞いたが、枝幸の市街からこっちはなかった、との答え。おやおや、ツーリングマップルには載っているんだが。手持ちの食料もわずかなので、若干あせるが、まぁ、行ってみるしかない。お互いに頑張ろうと、握手で別れた。

8時5分、右手にバス待合所発見。


「川北」バス待合所といい、背後はオホーツク海というすばらしいロケーション。次回にはぜひ泊まってみたい‥‥が、次回はあるかな。


8時20分、今度は左手に。


「8番」バス待合所。


すぐに、枝枝幸川にかかる北の橋。


上流側。


下流側。


8時40分、左手は防風林。


8時50分、枝幸町に入る。


音標(おとしべ)集落に入る。枝幸市街まであと37㎞だから、道の駅までは、37(-7~8)㎞。宗谷岬まで、158-31=127㎞。


イタドリの向こうはきれいな入り江になっている。




9時、彼方に音標岬とゴメ島(トンナイウシモシリ)。


左に防風保安林、


右は、牧草地の向こうにゴメ島。


ゆるいアップダウンの後、音標の集落を抜けて、

9時45分、音標川にかかる音標橋をわたる。


音標川上流方面。


下流、河口方面にはたくさんの海鳥。




川の名の由来――アイヌ語のオ・テシ・ウシ・ペッあるいは、オ・ト・ウシ・ペッ(川尻に鱒の多い川)あるいは、(川尻に沼多いもの)という意味。夏から秋にかけてはサケ・マスがたくさん遡上する、と。


エゾカンゾウ。


11時、風烈布(ふうれっぷ)ではお祭りだった。子供神輿が、雨のためビニール袋をかぶされて、軽トラに乗せられていた。


青年たちが「わっしょい わっしょい」と囃して、子供たちはそれに呼応していた。


手作りらしき飾りや、


風烈布神社ののぼりが、雨に濡れていた。


11時10分、風烈布川。川の名の由来――アイヌ語のフレ・プ(赤いもの)即ち、赤い川の意味。ただし、実の赤いこけももや苺もフレ・プといった。そこから来たのかも知れない。この上流はやまべ釣りのメッカである、と。


風烈布川にかかる青柳橋を渡る。


上流側。


下流方面。


11時50分、左手にも牧草地。


右手はオホーツク海。


12時10分、乙忠部(おっちゅうべ)にて、右手にセイコマートあり。牛乳、食パン、マーガリン、ソーセージなどを買い、手前の乙忠部バス待合所にて昼食。30分、休止。どうやらチャリダーの彼は見落としたようだ。

13時15分、雨止まず。ただ歩く。足がこれ以上痛くならないように祈りながら。








左手遠くかすんだ山、樹林、牧草、笹、イタドリもしくはフキ、アップダウンの国道、イタドリ、笹、牧草、笹、浜辺、波、‥‥全体を覆っているのが雨。これの繰り返し、もしくは微々たるバリエーション。

14時5分、海岸防風保安林。


まだ歩く。






14時55分、徳志別川にかかる徳志別橋。


上流側。中景の丘の霧が上がりつつあり。


下流側。


川の名の由来――普通はアイヌ語のトプッヘッ(あめます)を思わせるが、トプッヘッ(大竹多き川)の意味で伝承されており、由来ははっきりしない。上流では1977年におよそ1900万年から600万年前に生息していたというデスモスチルスの化石が発見された、と。


15時10分、山臼へ。枝幸まで13㎞の表示。シカ飛び出し注意。


15時15分、追茶呑辺(おっちゃらべ)川にて岡島の集落に入る。


上流側。


下流側。


15時50分、「道の駅 マリーンアイランド岡島」に着く。

そばに「はまなす交流広場」というキャンプ場があり行ってみたが、芝生が雨を吸ってコンディションはよろしくない。

道の駅の売店でビールとつまみを買い、女性の事務員に尋ねたところ、閉店後に売店の庇の下で寝ている人はけっこういますよ、との答え。16時30分の閉店を待って、さっそく設営。宿泊、無料。


今日の行程は、50㎞弱、といったところか。ともあれ、今夜はこの旅最後のテント泊である。明日は民宿、明後日はライダーハウスを予約した。風呂が、洗濯が待っている。そしてあと100㎞で宗谷岬が‥‥。


2015年 第71日(佐多岬より133日)

歩数  78028歩    (佐多岬より累計  6827491歩)
距離  48.5㎞     (佐多岬より累計  4553㎞)
費用  1946円     (佐多岬より累計  598294円)


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