そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第42日  白老町・おぎた旅館へ

2016年05月06日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月12日(火) 曇のち雨 (室蘭市・室蘭ユースホステル
                             ~白老町・おぎた旅館)




4時15分、ユースから、イタンキ岬方面の海。日の出は4時18分。ずいぶん北東に来ているので日の出が早い。


4時45分、同じ場所を撮ってから、出発。無風、少し薄日が差しているが、予報では雨が接近中。


坂を下り、国道36号線(室蘭街道)へ。

国道37号線終点の東町三の交差点を経て、

6時15分、鷲別川手前で登別市へ。標識は見落とし。

7時30分、やや肌寒い風が吹いてきて、軍手をして歩く。コンビニで買い物ついでに気候について聞くと、この時期はこれが普通で、ゴールデンウィークが暖かすぎた、との返事。

8時55分、富浦町で、国道36号線から、道道701号線に入り暫時海岸沿いを行く。




9時30分、JR 登別駅にて小休止。


駅構内にあったヒグマのはく製。




駅前の、鬼と、


鬼っ子ゆーくん堂という温泉が出る小像。登別と鬼との関係の由来は不明。町おこしか。


9時55分、登別市から、


白老町に入る。


11時30分、マルヨシ水産の、巨大な広告。


ヒグマ、


鮭、


カニ。


12時10分、敷生川。


川の名の由来は、古くはこの一帯を敷生村と呼んでいた。シキ・オ・イ(鬼芽・群生する・所)から出たもので、後に「敷生」は語呂が悪いので、「竹浦」に改められた、と。


あとはただ黙々と歩いた。

12時55分、フシコベツ川。川の流れが変わり旧河川として残った、その川を意味する語であったと思われる、と。


14時、白老川。


川の名の由来として、「一説ではシラウオイ(Shirau-O-I)「虹・多き・処」が起源であろう。」となっているが、「虹」ではなくて「虻」ではないかな。


14時25分、白老駅。雨滴が飛んでくる。


14時30分、雨の接近を考えて早出した結果、いささか早く宿に着く。宿泊、2食付き 6000円。


宿泊手続きの後、まだ時間があるので、近くのポロトコタン(アイヌ語で「湖のそばの村」の意)のアイヌ民族博物館へ。入場料800円。








コタンコルクル(村長 むらおさ)の像。16m。




茅葺きのチセ(家)の中で、その昔のアイヌの人々の生活や、風習、行事などの話を聞き、






トンコリ(五弦琴)や


ムックリ(口琴)を聞いたり、


アイヌの古式舞踊を見たりした。


それから、一緒に踊ろうと会場から募ったが誰も出ないので、小生がステージに上ったら、男子高校生3人が続き、他にアイヌの人が8人で、その場で教えてもらってにわか踊りをした。終わって、記念としてオリジナルシールを貰った。


その後、アイヌ(ウタリ)の女性に少し話を聞いた。①今では純粋のアイヌはほとんどいない、なんらかの形で(血の濃淡はあるが)和人との混血だそうだ。②道内で登録されているアイヌ人は約3万人。③白老は、比較的アイヌの多い土地で、だからここに博物館が出来た。等々。

博物館では、先ほどの話の内容をビジュアルに理解できるようになっていた。










松浦武四郎がつくった地図がないかと売店の女性に尋ねたがないとのこと。その代わりとして、昨年開催した特別展の際の、パンフレットの裏側に地図が載っているということでいただいてきた。




ヒグマ。


「民族共生の人 松歌武四郎」の碑。


ただし、一昨日虻田の道の駅で話を聞いた男性は、この辺りは松浦武四郎よりも、近藤重蔵が主に探検した、と言っていた。

ポーランド人のアイヌ民族研究家のブロニスワフ・ピウスツキの像。


ポロトコタンでは、降ったり止んだりだった雨が、宿へ戻るころにはやや本降りになっていた。


2015年 第42日(佐多岬より104日)

歩数  64883歩    (佐多岬より累計  5294945歩)
距離  39.5㎞     (佐多岬より累計  3487.5㎞)
費用  7284円     (佐多岬より累計  500479円)


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