そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第69日  紋別市・「ライダー&チャリダー共和国」へ

2016年06月07日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月8日(月)  (湧別町・五箇山キャンプ場
                ~紋別市・「ライダー&チャリダー共和国」)




5時30分、出発。直後にパラパラときたので傘をさしたがすぐに止んだ。以後は曇で、やや暖かい。


出発直前に、キャビンの出口で転倒。バランスを崩して段差を踏み外し、しかもそれを修正できずに横転、仰向けにひっくり返ってしまった。こういうのを「もんどりうって」というのだろう。樹間の空が見えた。旅の疲れが出たか、それとも加齢による運動神経の老化か。幸い掌の皮がむけただけでそれ以上の怪我はなく、一安心。宗谷岬が近づいてきた。「高名の木登り」である、気をつけよう。

テントサイト下の広場に、保存されているスノープロウをつけた貨車移動機(橙色)と客車(青色)。旧湧網線が廃線になって30年近くになるが、地元の人の心の中に残り続けているのを感じる。




国道242号線に向い、コンビニで野菜ジュースを飲んで、その後、国道238号線を行く。

途中のタンポポは、すっかり白い綿毛になっている。つい10日ほど前は緑の牧草地に黄色いアクセントを添えていたのだが‥‥。




7時10分、湧別大橋。




橋梁の間から湧別川の上流方面。


下流方面。


7時30分、廃屋。
「人住まぬ 不破の関屋の 板ひさし 荒れにし後は ただ秋の風 」という『新古今和歌集』の藤原良経の和歌を思う。季節は違うが。


ノコギリソウ。


7時50分、綿毛の牧草地。


8時10分、シブノツナイ湖にそそぐ信東川、下流方面。


遠方にシブノツナイ湖。


8時30分、こちらも綿毛の牧草地。


8時35分、左手、叢の奥の小川にかかる旧名寄本線の鉄橋。薄日差す。


8時45分、シブノツナイ川。上流側。大きなフクロウが枝にとまっていたが、デジカメの用意をしているうちに気づかれて逃げられた、残念。


川の名の由来――「湧網線沼の上駅のそばのシブノッナイ湖に入る川」とあるが、名寄本線の誤りか? シュプノツナイ Shupun-ot-nai うぐい魚・多い・川)であった。道南の大沼に注ぐ宿野部川もShupun-ot-pe(もの―川)で、同じ意味である、と。


川を渡り、紋別市に入る。


8時50分、草に埋もれる旧名寄線跡。




道路には鉄路の痕跡。


8時55分、もう少し先にも同じく、




9時、路傍の草むらにエゾカンゾウ。


白樺の林の先に、


9時15分、コムケキャンプ場入口。


「コムケ鳥獣保護区 自然景観保護地区」。野鳥の鳴き声しきりなり。


9時45分、コムケ湖。


11時50分、オホーツク紋別空港。




エゾタンポポと、


ハマナス。




12時20分、オホーツク流氷公園。




12時30分、オホーツクラベンダー畑。


12時40分、藻鼈川。


橋の上から、オホーツク海方面を見ると、「道の駅 オホーツク紋別」の巨大なカニの爪のモニュメント。


こちらは利尻タンポポ。


その後は、国道238号線のバイパスを歩き、アップダウンのあと、新渚滑橋を渡って、大きく回り込み、

途中の道路分離帯のツツジの花。。


15時15分、今日の宿の「紋別ライダー&チャリダー共和国」に着く。宿泊、素泊まり1800円。

宿泊客は小生1人だけ。寒かったので、女将さんがストーブをつけてくれた。彼女と話。名寄線が来なくなって、紋別は取り残されてしまった。それに対して、遠軽は列車が残ったので、今では大きな町になっている。遠軽は「町」、紋別は「市」なのに全然違う。紋別にはやっと総合病院が出来たが、それまでは遠軽までバスで行かなければならなかった。路線が残るか否かは決定的な差を生む、と。


2015年 第69日(佐多岬より131日)

歩数  60984歩    (佐多岬より累計  6695043歩)
距離  37㎞       (佐多岬より累計  4467㎞)
費用  3839円     (佐多岬より累計  596218円)


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