そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第74日  宗谷岬へ(稚内市・ユースホステル「モシリパ」へ)

2016年06月12日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月13日(土) 晴 (猿払村・ライダーハウス「やませ」
              ~宗谷岬~稚内市・ユースホステル「モシリパ」)




ついにこの日が来た、宗谷岬への最終日。「高名の木登り」。気を引き締めて、交通事故などに気をつけていこう。

3時、起床。

3時5分、すでに東天が明るみはじめている。オホーツク海上には二十七夜月。


3時40分、出発。ケータイの天気予報では、雨で雷も、とあったが、予想外の晴天。無風だが、やや肌寒く、ダウンを着用。

3時41分、オホーツク海の日の出。旅の神様は、試練のあと、最後にご褒美を用意していてくれたようだ。感謝、感謝。


3時47分、太陽が海上を照らす。


3時55分、右側から朝日を浴びつつ歩く。土曜日でもあり、まだ車はほとんどなし。


牧草の上に影が映っている。自分のまわりに虹が見えブロッケンのような現象。すぐに体が温まり、ダウン脱ぐ。


4時15分、「道の駅 さるふつ公園」。


海側にいろいろなモニュメントがあり、いくつかを写した。道の駅の建物は道路の反対側。

「松浦武四郎宿営の地」。


「北海道人・松浦武四郎」碑文。




「いさりの碑」。つまり「漁の碑」。「人間は神々と力を競うべきでない 人間は自然の摂理に従うべきだ」、と。




「ほたて化石群」。


インデギルカ号遭難者慰霊碑。700人以上が遭難した旧ソ連船座礁の慰霊碑。


観光案内板あり。


右手はずっとオホーツク海。潮鳴りを聞きながら歩く。浜鬼志別漁港を出ていく漁船。


4時45分、浜鬼志別川。河口方面。


川の名の由来――オ・ニ・ウシ・ペッ「О-ni-ush-pet 川尻に・木が・群生する・川」  オ・ヌ・ウシ・ペッ「О-ni-ush-pet 川尻・(魚が)豊富・である・川」、と。


5時15分、貝殻の山の上のカモメ。


エゾカンゾウが咲いていた。


5時30分、太陽がもうあんなに高くなり、


遠くの岬は知来別。


6時40分、知来別橋。


7時30分、徐々に左手が丘陵になって、猿払村と別れ、


第2苗太路(なえふとろ)橋。


猿払村から、


下苗太路川。上流方面。


稚内市へ。宗谷岬まで19㎞の表示。


下流方面。




河口にはたくさんの海鳥。


7時35分、第1苗太路橋。


上苗太路川。上流方面。


下流方面。


8時、チエトマナイ駅逓所跡。


8時15分、東浦漁港を眼下に見つつ、長い坂を上っていき、丘陵部に入る。


坂の途中より振り返れば、猿払は彼方。みんな見納めである。


両側が樹林の中を通り、




9時25分、一の沢川にかかる関泊橋。


一の沢川、上流方面。


下流方面。


エゾフウロ。


9時30分、時前川にかかる峰岡橋。


時前川上流方面。


下流方面。


その後、両側は開け、


9時45分、目梨泊に向けて、一気に坂を下っていく。


9時55分、目梨川にかかる目梨泊橋。


目梨川上流方面。


下流方面。






10時、防風柵の並ぶ大きな坂。これで3つ目。あと9㎞の表示。


宗谷岬の東側は、西側と違って、丘陵地帯がいくつかあり、人家もほとんどまったくない。西側は湾になっているが、東側は崖のようなところが多く、その分、自然の宝庫でもある。


反対側は、たくさんの風車が回っている。




宗谷海峡の彼方に、サハリンも見える。




10時35分、ふたたび坂を下り、やっと平坦地を歩くようになる。


10時40分、泊内川にかかる泊内橋。下流方面。




上流方面。


10時55分、海沿いを行く。左手は急な斜面が続く。海沿いの道路に出た後は、平らながらカーブを繰り返し、


11時5分、豊岩遺跡群。縄文文化やオホーツク文化などの遺跡がある。




その先の海上に、竜神島。


海岸に沿って、




11時15分、知志矢橋。


河口に海鳥。


来し方の丘陵を振り返る。


11時40分、「日本最北端の学校」稚内市立大岬小学校。


大型トラックが、クラクションを2回鳴らして、エールを送ってくれた。

11時50分、「日本最北端の郵便局」宗谷岬郵便局。


12時、宗谷港。




12時15分、宗谷岬に着く。




7年ぶりである。カミさんに電話をして到着の報告をした。

土曜日なので、そこそこの人出があり、中国人も目立つ。

チリの国旗を持って記念撮影をしているグループもあった。「最北端到着バンザーイ」などと言っていたので、外国人が徒歩で宗谷岬に到達したようだ。途中で出会ったこともないので、もしかしたら日本海側を縦断してきたのかもしれない。何かテレビカメラマンのような人もいて、モニュメントのところからいっこうに動こうとしないので、


「宗谷岬」の歌の碑の方へ行き、でもボタンは押さない。


また目を凝らせばサハリンが見えたので、しばらく眺めたりした。




戻ってもまだ占拠していたので、どいてもらって、写真に撮った。他の人たちも待っていたようで、次々と写していた。歩き旅の同好の士ではあるが、無神経なので相手にしなかった。


稚内へのバスが、12時40分にあり、その後は15時なので、ゆっくり感慨に浸る間もなく、やってきたバスでユースホステルに向かった。バス待合所の、熊出没情報。


14時、途中でセイコマに寄って買い物をして、ユースホステル「モシリパ」に着く。宿泊、素泊まり 3400円。

夜、風呂のあと、一人でビールで乾杯。課題はやり遂げた。日本海側、四国一周、太平洋側と歩き、何はともあれ今日、日本外縁の歩き旅は終わり、ここに円環は閉じることとなった。


2015年 第74日(佐多岬より136日)

歩数  55481歩    (佐多岬より累計  6992840歩)
距離  31.5㎞     (佐多岬より累計  4654.5㎞)
費用  7634円     (佐多岬より累計  613676円)


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2 コメント

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Unknown (晴耕雨読)
2016-06-16 07:03:26
お疲れ様でした。
膨大な量の写真と情報で楽しませていただきました。

私も今年の夏は10年ぶりに宗谷岬を目指します。
オロロンラインを走るので管理人様の
以前の旅を読んで参考にさせていただきます。
晴耕雨読様 (「そぞろ神」管理人)
2016-06-28 19:52:35
コメント有難うございました。ご返事が遅れてすみません。
最後に、礼文島の様子と、旅のまとめを書くつもりですが、雑事にかまけて先延ばししております。
小生がオロロンラインを歩いたのはもう8年も前のことなので、かなり古い情報になってしまっていると思いますが、それを差し引いてご利用いただければありがたいです。
拙いブログをお読みいただき、また、コメントをお寄せいただきましたこと、感謝いたします。
では、よい旅をなさってください。

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