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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

年賀状の顛末

2016年01月10日 00時00分01秒 | 紹介

 元旦に配送が間に合うように気合いを入れて書き上げた年賀状であるが、何枚かは届かずに戻ってきた。自分の手元にある転居通知や、転勤の挨拶状、喪中による欠礼通知等をアクセスで作製した住所録データのメンテナンスを行った上で、投函した物である。送信一覧、未送信一覧をプリントアウトし、拝受した年賀状を点検しながらの作業が数日続いた。98%は届いたようで、未だ返信が続いている。

 

 元旦を迎えてから9日となるが、今届く年賀状は新年を迎えてから書いた物と思われる。本来ならばそれでよいはずで、年末に書くことの意味は元旦に届いた方が、相手もうれしいはずであるとの思いこみや、郵便局の宣伝による物である。今の時点で届く年賀状は、よく目を通すため、それはそれでよいと思っている。たとえは悪いが、気の抜けたビールのようであるといえば失礼に当たるが、かえって何か事情があるのであろうと勘ぐったりもする。人はそれぞれ考え方等が違うので仕方ない。

 

 送信済みのリストを見るとチェックが入っていない方の消息が不明なのは気がかりであり、遅くなっても返事が届くと安心する物である。年齢が自分より上の方はなおさらで、その意味では一斉にいただく方が妙な気遣いをしないで済む。自分勝手なことを申し上げ、気を悪くされては困るのであるが、率直な気持ちを申し上げたかった。

 

 パソコンや携帯メールでの新年の挨拶は、何件かあったが、年賀郵便に比べるとほんの僅かであった。電子メールが主流になり得ないのは何か理由があるのかも知れない。電子メール自体は大変便利な物であり、郵便に比べ費用も安くつくし、瞬時に相手に届く。ただし、相手のアドレスが無い又は不明であれば意味はないが、自分の年代でも五分の一ぐらいは分かっている。全員が分からないと二度手間になるため、無理もある。早さや費用だけではない部分もあるので、取って代わることはないであろう。儀礼的な年賀状が徐々に少なくなっているのも事実で、習慣自体の変化も無視できない。

 

 いただいた年賀状の中には来年からはご遠慮したいとの通知があった。また、大学の先輩に当たる方からは同じ卒業期の修了生同士が年賀状をお互いに出さないとの方針を決めたようである。企業等でもわざわざ多忙な時期に同じ組織の者には虚礼廃止とかで出さないところも多くなっている。徐々にではあるが、意味がない年賀状は寧ろ止めた方がよいのであろう。かといって、前触れもなく止めるのも失礼と思われるし、止めるタイミングも難しい。