あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

町田康歌集「くるぶし」を読んで

2024-08-13 10:25:41 | Weblog

 

照る日曇る日 第2090回

 

冒頭の「あの時の愛と勇気と感動が今は呪ひとなりにけるかも」から始まり、「天の原ふるさけみれば春日なるアンガス牛に出し月かも」で終わる、57577の鋳型に嵌りさえすれば、なにをどう歌っても俺の勝手だ、という、げんざいのタンカ啖呵担架に乗っかった一大歌集である。

 

「するめ屋で買うたするめが不味すぎて井戸にはまって死んでまうなり」

「山村はスエズ運河を潰すkら連れていかない次の旅には」

 

結論からいうと、こんなの世の中に出す値打ちのないゴミみたいな歌集だと俺には思われるが、なんせ当代一流?の芥川賞までもらった人気作家だから、仕方なく書物にしてやったのだろう。

 

「団栗は後輩にやれしみじみと秘術尽くして俺は男だ」

「炒飯は先輩にやれほのぼのと奇術学んで儂は女だ」

 

AIに頼まなくても、自動的になんぼでもできる。これが基本的には無意味な歌集であることは、著者がいちばんよく分かっていると思うが、もしかして崩壊寸前の短歌界のグランプリがもらえるかもしれん、と思ったのではないかしら。

 

「敷島の道を間抜けが歩むなりほのぼほのぼとのの字抜かして」

「なめとんかチュッパチャプスなめとんかしばきあげんど人らしくしろ」

 

この節の大多数を占める、自分だけにしか分からないおのれの内面の意識の流れを、唾液を垂れ流しながらうたった、胸が悪くなるような歌と違って、同じように意味不明ながら、こちらはやたら元気で、ポップで、ナンセンスで、多少はアナルコサンジカリズムなので、3割がたはマシだが、吐き気を堪えながら最後まで読み通すにはかなりの根性を要する。

 

大谷が絶不調でもカブスの鈴木や今永がぐあんばっているのでうれぴい 蝶人

コメント
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