ツバメ日記

登山と日々の出来事

涙が出そう、、、、

2016-07-18 11:29:59 | 日記
17日、大阪へ帰る母と嫁を乗せて熊本駅に向かった。

少し、時間が有るので熊本城に寄ってみた。

熊本城は二の丸から中へは入る事が出来なかった。



至る所で石垣が、自慢の石垣が崩落しているのだ。

長塀も倒れている。



宇土櫓も辛うじて建っているが付随する建物は倒壊した。





遠目では、何ともないようだが天守閣も痛々しい。




新幹線の待ち時間で熊本名物「太平燕」を食べたけど美味かった。



新幹線に乗り込んだ母と嫁を見届けて、少しプチ観光。

小学2年生の時、水前寺公園の美しさに感動したが岡山の後楽園や金沢の兼六園を

知ってしまった大人になった私は今回は何にも感動しなかった。

池の水、通常に戻ってます。



宮本武蔵の墓である、武蔵塚を見物する。



武蔵の墓である、武蔵塚。



熊本地震の影響で東屋に灯篭が倒壊しています。



そして武蔵が籠って「五輪の書」をしたためた、岩窟 霊厳洞に向かう。





いよいよ霊厳洞。




洞内の、この大岩に座って「五輪の書」をしたためたのでしょうかね。



ホンマものかどうか不明ですが、佐々木小次郎を打倒した木刀が展示してあります。



そして武蔵が描いた絵画。



時計を見れば17時近く、良い時間つぶしになりました。

今から高速をぶっ飛ばして帰阪してもJHの高速料金 深夜割引の恩恵が受けられそうです。

父の願いと母の想い。  そして私の故郷。

2016-07-18 08:35:57 | 日記
田舎の長男だった父は持っていた農地を本家に譲渡したがっていた。

私を凄く可愛がってくれて大好きだった爺ちゃん(父の親)が、大変な怠け者だったと

聞いたのは私が40歳を過ぎてからだった。

結婚当初、荒れ果てた田んぼを米作りが出来るまで父と母が手入れして農地として再生した。

そして爺ちゃんの借金を返済する為に、炭鉱が閉山になって現金収入の道が無くなった

父は長男だけど三男に実家を託して私達家族を連れて大阪に出た。


2月末に亡くなった父は12人の妹弟を食べさす為に母と再生した、農地を相続していた。

三男が亡くなり田んぼを借りて米作りをする、息子と暮らす本家の嫁さんに何度も農地を譲渡すると

連絡していたようだが三男さんが亡くなって、人が変わったのか「いらない」の一点張りだった。

父が亡くなり私も本家に電話して再度、父の願いでもある農地譲渡を連絡したが、相変わらず

頑なである。


今回の帰省は農地と今年80歳になる母の元気なうちに、両親の墓参りと姉妹に会いたいとの

要望もあったので80歳の母の付き添いで嫁さんも同伴、嫁さんと母は新幹線で熊本入り、

私は母の親戚に配る土産と荷物を持って青プリで熊本駅で母と嫁を拾うという事になった。

14日に熊本駅で母と嫁を乗せて生まれ故郷の天草に向かう。

8人兄弟で6人姉妹だった母は存命の姉妹4人で姉の家に泊る事に急遽なったのだが、明け方まで

馬鹿話をして本当に楽しかったらしい。

15日に地元の農業委員会に出向いて父から農地を相続した事、現在の借主さんとの父との

契約解除手続きと行っていると生前、父は本家が農地を貰ってくれない場合は町に寄付をしたいと

申し出ていた事を役場の課長が言っていた。

今の借主さんに売買をする事などの手続きをしてきたが8月の農業委員会の会議で審議されて

売買が成立するとの事だった。


私の故郷、天草は隠れキリシタンの島である。

今でも弾圧されたキリシタンの首塚など多数、遺跡が残る。




父の実家は火力発電所が出来て、跡形もないが私も何年か住んだので当時の事を

良く覚えている。




父を生まれ育った海へと帰したいとの母の願いをかなえます。



城跡へ登って海を眺める、曲岬という天橋立みたいなもんが有ります。



眼下の泥水みたいな池は葉っぱが一枚も湖面に浮かぶ事が有りません。

夜な夜な竜が葉っぱを拾い集めるとの伝説がありました。

そして港に敵が攻めて来た時に堰堤の、どこかの石を取り除くと池の水が港に流れ込んで敵船を沈めるとの

言い伝えもあります。



幼い時は雲の上に頭をだした雲仙を、ずっと富士山だと思ってました。



親戚巡りに墓参りとして16日はプチ観光。

崎津の天主堂。

中は撮影禁止ですけど畳張りの教会です。




そして大江天主堂。



岩場の景勝地を眺めていたら釣り師用に橋が渡してあるけど、国立公園に

こんなもん渡してエエンやろか?





小学4年生で、大阪に来て大阪弁に馴染めず天草が恋しくて恋しくて、何度帰りたいと思った事か?

それが大阪ですでに46年、家族はみんな大阪生まれの大阪育ち。

田舎の方言も、もう半分は理解出来ず、私が知っている親戚が亡くなり、母が亡くなれば

農地を清算する私は、もう故郷を訪れる理由もない、、、

故郷は遠くで想うもの、大好きな故郷では、もう私は生活出来なくなっていました。