katsura's note

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近況報告

2005年06月02日 | Weblog
今日、とある友達O君と飲みに行きました。
(とは言え、今日は飲めない日だったので、私はジュース片手にだったのですが…(苦笑。)

本当は今日、会社の同期のKさん、そしてKさんと共通の知人のYさんとご飯を食べに行く予定にしていたのだけど、私の退社時間が読めなかったので、ご迷惑おかけするのも。。。と思い、前日になって遠慮することを伝えていました。

で、今日の残業中。
携帯が鳴り、電話を見てみたら同期のMさんから「今、近くで友達と飲んでいるんだけど、近くに誰かいたら誘って来ない?」とお誘いが。
その時点で仕事を切り上げられなかったので、「時間的に行けそうだったら、行きますね~。」とお伝えして、残業中の同期のNさんに内容を伝え、またまたお仕事続行。

その後、Nさんはどうするかなー。
と思っていたら、今度はO君から携帯に電話が入ってきました。
「今日思ったよりも早く仕事が終わったんですけど、お仕事どんな感じですか?」と。
そろそろ仕事を切り上げようと思っていた矢先+先日電話もらっていながら、実現できなかったO君飲みの計画もあったので、
「じゃ、飲みに行きますかぁ~!」と、私。
すると、O君も「行っちゃいますかぁ~」と明るい返事が。
(という成り行き+今日を逃すとなかなかスケジュールが読めない忙しい+延期続きだったO君のことを考えると、Mさんのお誘いを断念するしかない…とのことに。Mさん、ごめんなさい!また今度ぉ~♪)

雨が降る日ではありましたが、O君も気を利かせてくれて場所は恵比寿に決定!

お店を決めていなかったのですが、O君とどこ行く~なんて言いながら、最近できたばかりの小籠包子のお店に。

行くと、雨の日にも関わらずほぼ満席。
隣に来ていた合コングループの大声にもめげず、約半年振りの再会ということもあり、お互い近況報告。

この半年、お互いいろいろありまして。。。
いろいろの大きな部分を占めるのが転職。
O君の場合は転職と言っても同業種へ、私の場合は全くの異業種へなんですけどね。

このO君。
以前にも書いたことがありますが、友達は友達なのだけど、詳しく言うと妹の元彼。妹とは別れたけど、妹とO君も未だ友達だし、我が家もO君のことは応援しています。
お互い福岡で生まれ育ち、たまたま東京に出てきたこともあり、弟のような友達のようなO君とは東京に来てからたまに飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。

なぜだか、気を遣うことなく、素で話せるんですよね。
それは、素の姿、つまり“家にいる自分”を見られているからかもしれません。
実家で食卓を囲みご飯を食べたり、テレビを見ながら、「○○って××だよね。。。」とか、そういう部分を共有しているせいか、、、。
そういうことも実は結構大事なのかなって思ったり。
“外にいる”自分と“家にいる”自分ってそんなに大差ないように見えて、実はちょっと違った一面もあったりなかったり。
何か同じテーマや事象にぶつかった時、その人がどう反応して、どういう行動を起こすかという傾向を知っているって、結構大事じゃないかなって思います。

それはともかくとしても、今日も飲みながら、小籠包子や空心菜の炒め物等を頂きつつ(どれも結構美味しかったぁ~♪)、いろんな話をしていました。
テーマを決めている訳じゃないけど、今日は妙に2つの話題で盛り上がりました。

それは、、、お互いの転職により見えてきた視点、発見(→その一)。
そして、近頃の傾向、動向、視点について(→その二)。

なんだか、カタイ話ばかりをしているようなトピックのようですが、実際真面目な話もするし、笑えるようなことも話すんですね。

まずはその一。
料理人であるO君は数ヶ月前、勤務先が変ったばかり。お店が変り、当然師匠(と呼ぶのか?良く解りませんが…)も変わり、かなりの発見があった様子。
そこには師匠それぞれの“こだわり”“夢”“作り方”“サービス”の視点、やり方が全然違うのだとか。因みにどちらもそれなりのお値段を頂戴するお店、しかも、成功しているお店と言えるかと思います。

前の職場の方は、お店の経営よりも自分が作りたいものに対して作法にもこだわる方。料理も純和風のこだわりと持ち、包丁捌きが素晴らしく、包丁を握った時の立ち姿たるやオーラが違うそう。

今の職場の方は、経営方針がしっかりしていて、作りたいものを作るのに、作法よりも効率をも計算する、手間暇よりも実務的な部分も大事にする方。
料理は見た目“和”なんだけど、意外性のある素材の組み合わせ等の斬新さをさりげなくこなす和洋折衷タイプ。

なるほど。。。
全然違うということです。

どちらも成功していても、方法が違う。
以前は前の職場のような所に憧れていたO君だったのだけど、今の職場の方に出会って見方が変ってきたのだそう。どっちが良いのか分からなくなってきた、と。

そうかもしれないですね。。。
でも、それはどちらも体験してみたからわかること。
それなりに苦労もしてきているO君だからこそ、気付いたことじゃないかと思います。

私の職場もある意味、旧来型のやり方とある意味ノウハウを生かした新しい試みの部分とでかなりの見方、見え方の違いがあります。

それはともかくとして、現在の職場でO君も楽しんで仕事している様子。
顔を見ていても、それが目に見えて分かるようなところもあるし、本人から実際に話を聞いてみて納得の部分とがあり、本当は“O君、何か相談したいこととかあるんじゃないか?”と思っていたのだけど、以前の職場にいた頃に抱えていた悩みは今のところ解消されている様子。
それを実感できて、私もなんだか嬉しくなりました。

そして、話は移りその二(近頃の傾向、動向、視点)。

最近の傾向。
これについては、食べ物の話から生まれたのだけど、、、

私もO君もかなりの美味しいもの好き。
それ故、美味しいお店を見つけたり、美味しいものを見つけると報告することがありますし、また、たまに「どこか美味しい店見つけた?」と聞くこともあります。

お互いに食べに行くことが好きなので、どこどこの店の○○がどうだったとか具体的な話をするのだけど、食事って料理だけじゃなく、サービス、マナーとかそういう部分も多いに関係してくることを意識しています。

例えば、美味しいお店でもサービスがなってないと、トータルではまぁまぁという評価になってしまうし、サービスを期待しないようなお店(例えばラーメン屋さんとか?!)ではかなり美味しくないとそんなに感動しなかったり。。。あと、意外に大事なのが、せっかく良いお店なのに、お手洗いがひどい店とか、これも結構残念度を上げる要因になったり。。。

そんな話をしていたら、ふと思い出したことが。

それは以前私が経験したことなのだけど、当時お気に入りだった、ちょっと洒落たお店に知人と一緒に行った時のこと。
その方とは初めて食事をご一緒したのだけど、その食べ方たるや本当に凄かったんです。
イタリアンだったのですが、すごい勢い+猫背で低い姿勢のまま、それこそかきこむようにスパゲティーを食べるんです。スパゲティーをどう食べようがそれはそれぞれの自由だと思っているし、そこまでマナーに拘る私ではないのですが、極端な話、フォークで塊となったパスタを手前に寄せて、かきこむような、そんな感じとでも言いましょうか。あまりの勢い+低い姿勢で食べることに集中しているので、顔の表情すらわからず、その方が美味しいと思っているのかさえ、全然分からない。。。

とにかくビックリしたと共に、量が足りないからと、一通りコースを食べた後、もう一回同じコースを平らげたその方。因みに私はその方が二通りのコースを食べ終わるのとほぼ同じ位のタイミングで一通りを終えたのですが。。。

世の中にはいろんな人がいるんだなぁ。。。って思った瞬間でもありました。

そんな話を会話ついでに思い出して話をしていた時、O君もこんなこと言うのもって思ってましたが、やっぱり“食べ方”にもある程度の節度というかそういうの大事ですよね。。。と口火を切ってくれた。

食べ方だけでなく、暗黙の了解というのものがあるのも飲食店に限らず、どの世界にもあるのかもしれませんが、、、

例えば、東京には無数の飲食店がありますが、そこには看板もない店、一見さんお断りのお店、価格表のない店、スーツコードのある店、暗黙の了解的ルールが存在するお店、等などありますよね。

しかも、入ってみないとその店のポリシーだとか、入ってみても何度も通ってみないとその暗黙のルールが分からないお店も多数あります。

そういう一見見えない、書いても教えてもくれないルールに気付かないととんでもないことになったり、恥をかく(しかも後々に恥をかいたことを知るなんて)こともありますよね。

でも、そのルールって何の為に存在するのか?って、あまり真剣に考えたことがなかったりもしたりして。。。

話をしていてちょっと見えてきたことがあったのですが、一つの見解としては、それは“質”による分類、差別化かもしれません。

その“質”って、人だったり、マナーだったり、お金だったり。

人の場合は、一見さんお断り=紹介でないと入れない店=紹介されることにより、紹介者に恥をかかせないことや紹介者と同じような感覚の持ち主を期待しているところがあるでしょうし、
(例:高級料亭やお寿司やさん...etc)

マナーの場合は、ある程度のマナーを守れないと、料理を愉しむに値しないとまで言わないものの、それなりの用意・準備を整える必要性がある(もしくは期待されている)のかもしれませんし、
(例:ホテルのメインダイニング...etc)

お金の場合は、ある一定のお金を持っている層でしか共有できないような“もてなし”を提供できない可能性も多々あるかもしれません。
(例:政治家が集まるお店だったり、接待で使う料亭だったり...etc)

で、O君と話したのは、少なくとも恥をかかないような相手と行くことや、同じような感覚を持つ人とでないと行けないお店があるなということ。

幾らお金を持っていても、あるお店にはスニーカーじゃ行けないこともあるだろうし、作法があまりになっていない人とは格式ある純和風のお店には行けないとか。。。

上記のような感覚を持ち合わせているかいないかで行くお店が変ってきたりします。
上記のような感覚を持ち合わせていない人と一緒だと、お店選びをする時に、選択基準がズレてきて、「なぜ今日は△△のお店にしないのか?」という点が共感できなかったりして、大変だったりします。。。

たまたま私がすっごく勢い良く食べる上記の例の人との話をしたことで、O君もそれと似た話をしてくれました。

そうだよね、、、意外に取るに足りないようなことなんだけど、細かいことのようで、実は大事だよね。。。と。
だって、心配しながら食事していたら、本当に美味しいものを頂いていたとしても、精神的にストレスを抱えることになったりすることで、美味しいが“ほどほど”という印象になることもあるし。

環境や状況によって、モノや人、事柄に関する感じ方は様々。
ただ、自分自身が気をつけることで事態を悪化させない努力はできる訳で。。。
気をつけたいね。。。という話になりました。

だって、人を変えることは難しいですから。
だから、人は同じような感覚の人と一緒にいた方が心地よいし、そういった意味でも類は友を呼ぶのかもしれません。

なんだか長々と書いてしまいました。

O君と有意義な会話ができたことで、いろんな視点に気付き、また、一つも二つも学ばせてもらった気がします。
同時にO君も何か感じていた様子。
時にはっとさせるようなオトナな、オニイ的な意見を言われることもあるのだけど、私の特性をある意味知っているだけにその言葉が「おおっ!」っと、突き刺さることも。

先日、O君と飲んだ時にはっとさせられたことがあったのだけど、それはあえて、O君には直接言わなかったことがありました。

それからしばらくして妹からこんなことを聞いたことがありました。「O君から電話があって、先日はちょっと生意気なこと言ってすいませんでしたと伝えて欲しいって。で、正直どうやったと~?」と。

その時初めて、「あっ、O君も気付いていたのか、、、」と。
私的には年下のコに「生意気なこと、かつ、かなり的を得たこと」を言われることが少ないので、正直気にはなっていたのだけど、妹にもそのことを話したら、「よー見と~やん。(←よく見ている=分かっているね)よー、K子さんにそんなことを言えたもんだ、とも思うけど、かなり的を得とうのも事実やね。」と。
その答えを聞いて、さすがは我が妹と思ったこともあったっけか。

O君に関しては、自分の特性をある意味見破られているところも事実なので、正直認めざるを得ない部分も含め、いい指摘をしてくれる友の一人とも思っているふしがあります。

今後、成長目覚しいO君。
これからも頑張って欲しいと思う青年の一人です。

追伸:

これまでの職場での経験の話を通してお互い話していたのが、仕事においては、今“お金”よりも“経験”を重視しているということ。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ』という言葉、分かる気がするよね。。。なんて話してました。

確かにぬくぬくとして、それなりにやっていく方法がない訳じゃないし、お金を優先するのであれば、別の選択肢もあるのだけど、それを敢えて選択しないということも共通点。それで満足できないんでしょうね、少なくとも今は。
やりたいことがあるなら、“今”やっておかないと“後で。。。”がきかなくなった時に後悔したくないですから。

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