行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

あやしいニュースを見抜くための三つのアプローチ

2016-09-27 10:49:55 | 日記
ネットで流れた中国語翻訳版「日本企業集団撤退」の〝ニュース”については、昨日の授業でも「偽ニュースを見抜くためにはどうすればよいか」という文脈の中で言及した。ポイントは、①全貌を知りうる人物に直接聞く、②経験則から考える、③ロジックから判断する、の三つである。

①については、特別なルートを持っているメディアや専門家でなければ現実的でないので、ニュースの文脈から真実性を判断することになる。ソースが明記されているか、それが信頼できるか否か、表現が明確か、などに注意する。今回の場合、「日本経済新聞」であれば一定の信用度はあると言える。翻訳の問題につては別途、検討する。

②については、一般的、個別的なニュースの形式が問題となる。例えば、他のメディアも報じているのか、もし単独ならば特ダネなのか、特ダネであれば他メディアが追随しているかどうか。状況から見て公開情報と思われ、書き方も一般ニュースのスタイルなので、特ダネの可能性は極めて低い。だとすると「日本企業集団撤退」のニュース・バリューから考えて、他紙が書いていないのは不自然である。

③企業はそれぞれの私的利益を追求し、競争関係にあるので、戦争などの特殊状況を除いては、企業進出や撤退といった具体的な経営方針について統一した行動をとることはあり得ない。しかも、日系企業は中国に2万社あるとされ、それはつまり膨大な投資がすでに蓄積されていることを意味するので、集団撤退は経営のリスク管理からしても考えにくい。

この上、国際報道に常に付きまとう翻訳の問題がある。誤訳、誤解、さらには意図的な意訳まで、真意をそのまま伝えることには様々な障壁がある。それもまた、以上のポイントや、文脈全体の論理性から判断するしかない。たとえば、②③にも関連するが、「日本から来た230人の経済訪中団は史上最大規模とされ、中国で4、5日だけ活動し、こっそり去っていったのは常識にかなっていない。」との一文は逆に、「これほど多数の訪中団を送る以上、目的が撤退であるはずはなく、前向きな投資にあると考えるのが常識にかなっている」と読み替えなければならない。

翻訳には国情の違い、文化の違いも反映される。例えば、「ハイレベルの官僚(原文は「官」が団を組織し、抗議に来る」とあるが、「官」という解釈は、国有企業=政府を想定した中国的なくくり方だ。経済団体は確かに〝官僚的”ではあるが、私企業の個別利益を超越するような意思は持っていない。あくまで公共的な集合体に過ぎない。

興味深いのは、このニュースのスタイル、内容自体が、流言=デマを流布させる必要条件を備えていることである。『デマの心理学』で知られるG.Wオルポートは、デマの流布量(rumor)は、当事者にとっての内容の重要性(I=importance)と根拠のあいまいさ(A=ambiguity)との積に比例すると定式化している。

R~I×A

「日本企業集団撤退」の筆者は、中国経済の高い対日依存を訴えて重要性を強調し、中国側の報道がないことなどからあえて、報じられたニュース内容の不確かさにも注意喚起を呼びかけている。意識的にか無意識にか別にして、デマをさらに流布させる条件をしのびこませているのだ。私が「かなりの書き手」だと感じるのは、こうした仕掛けにもよる。

流言が流布する以上、それを招く土壌が社会にあることを裏付ける。流言を真実だと信じる、あるいはウソだとして無視できない社会心理がある。今回の場合うかがえるのは、中国経済に対する中国社会の不安、政治面における日中関係悪化への再認識を求める反省が、中国社会の深淵にあるということだ。こうした読み解きをすれば、日本もデマとして一蹴し、他人事として傍観するわけにはゆかない。

闇夜に突然、視界を広げる花火が打ち上げられたような後味を残した〝流言”騒動だった。