定年 再就職とシネマの日々(旧かんちゃんSr.のオヤジな日々)

あと3年で70の大台です。再雇用の職場も定年、パート仕事をしています。映画と写真を愛しているオヤジです。

やりきれぬ切なさ

2020年06月30日 23時26分00秒 | 日記
母の供養のために踊る男。

弔いの場で、母が好きだったブルース・スプリングスティーンの♬涙のサンダロードを、カセットテープで流そうとするが、レコーダーが故障している。
困り果て時折泣きながら、アカペラで踊る息子、棺の真ん前で。
踊れば踊るほど、葬式は白けていく。

数々の表彰を受けた警官だが、仲間には人望がない。犯人を追い詰める様も、常軌を逸しているノーコントロールさ。それは彼が情緒不安定だから。

ひとり黒人のバディだけが、相棒を心底心配している。
主人公は妻と別居し、娘の親権を裁判で争っている。円満な家庭を築いているバディの日常との対比。

人生が下降線に乗る主人公であるが、母を精一杯弔おうとする心情は僕にも理解できる。
主人公のその後、を知りたくなる作品。
僕はハイロウズの♬サンダーロードの方が好きだけれど。


5年で休館

2020年06月30日 09時51分00秒 | 日記
SNSで休館の告知を見た。
新型ウィルスさえ出現しなければ。

まさかこんな所に、のロケーションにあり、
小学校の教室にひな壇を組んだようなミニシアターである。

映画館マニアは不要不急で密に飛び込む人種であるが、最もワクワクするのは、短期間単館でしかやらない作品を鑑賞する時にある。
商業ベースには乗らない独立系の作品を観ることができる場所。

その意味では、惜しいスペースがひとつ休んでしまう。いかにも残念無念。

JR中央沿線で、あとの頼みはポレポレ東中野のみ、併せて早稲田松竹、川越スカラ座を、僕は応援し続けます!


曖昧な年齢を描く

2020年06月29日 19時06分00秒 | 日記
はちどり(2018 韓・米)

パラサイトと並んで傑作との評価を持つ。舞台は1994年、ソウルのソンス大橋が崩落した年、韓国は高度成長の途上にいた。中学2年の主人公ウニはいつもイエローのベネトンのデイバッグを背負っている。3人兄妹の姉はジャンスポのリュック、兄はソウル大学合格に望みが繋げるような高校に入るよう、父親から常にプレッシャーをかけられている。
両親は餅(トック?)屋。母は兄の自死ののち、抜け殻のように。父は母の目を盗んで浮気。姉は家庭の空虚さを感じつつ遊びまくり、兄は勉強ストレスのはけ口とばかり主人公に暴力を振るう。
中2ウニは恋愛のほかに、一通りの悪さもする。別の中学の親友と漢文塾(書道塾?)にも通う。
そんな時、塾教師としてやってきたミステリアスな女性(ソウル大生)と出会い、人生の道標を学ぶことになるのだが...。
1994年は、韓国にとって混沌とした年。北の金日成が没した年でもある。
韓国映画界は女性監督たちの台頭らしい。本作もアラフォーであるキム・ボラ監督の私小説的な色を持つ。
人生最初の試練といえる高校受験に直面しているわけではなく、高2のように進路選択を迫られてはいない中学2年生。ふわふわと揺れているばかりでない微妙な年齢を、キメ細く描いているところ、印象的な作品である。
(クドクドと長い日記、反省)







ランボーは健さんの美学

2020年06月28日 09時35分00秒 | 日記
S.スタローンのロッキーは全編観ているが、ランボーシリーズは見たことがなかった。

頭の中の情報がこんがらかり、サイボーグ的なアクション作品かと思っていた。
第1作公開からすでに30年以上も経つのに、DVDでも見ていなかったなんて。

ベトナム戦争のトラウマに、自ら蓋をして生きる無口な主人公。ボソっと発することばに、純な人間性が滲む。

悪に対する義憤を胸に抱き、その駆逐をいつ決断したのか、わからないほど無表情。

溜めの美学である。溜めに溜めた末に、敢然と悪に立ち向かう一人で。これは東映仁侠映画における高倉健の世界である。

遡って観るぞ、このシリーズ。


餃子のグラデ

2020年06月26日 20時05分00秒 | 日記
中華は続くよ...

昨日の福しんに、餃子のサブスク1ヶ月500円というのがあって、一瞬気持ちが動いたが。通勤経路に福しん無し。

ということで、昨日から餃子の残像が脳裏に張り付いて、今夜はスーパーで生餃子。

博多餃子、賞味期限が翌日で2割引。生産は静岡県だけどね。
餃子の焼きには自信はないが、何だかうまく焼けたので、アップします。
フライパン上の位置による焼きのグラデーションはご愛嬌である。
大きさは一口サイズ、味もよしよし。白ご飯2杯目は我慢したところ。

明日は土曜出勤、仕事は山盛り。