絵話塾だより

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2023年7月1日(土)文章たっぷりコース第4期・15回目の授業内容/高科正信先生

2023-07-07 17:12:21 | 文章たっぷりコース

この日から7月に入るということで、「この世には2種類の人間がいる」というお話を。
・今年ももう半分終わってしまった と考える人と
・今年はまだ半分も残っている と考える人。
さて、あなたはどちらでしょう?

今回の授業のテーマは、「子どもを生きる」でした。
心理学者の河合隼雄は、『子どもの宇宙』(岩波新書)の中で、
「一人一人の子どもの中に広い宇宙があり、そのことを大人になると忘れてしまう」と言いました。

絵本について考えるとき、よく話題に上るのは「自分の中の子ども」ということです。

保育現場や大学の教育学の授業で必須になる岡本夏木の代表作に、『幼児期 − 子どもは世界をどうつかむか −』(岩波新書)があります。

この中の「大きい子ども」という一説を読んでいきました。
西洋では長らく「子ども=小さな大人」と考えられていましたが、日本では既に12世紀の『梁塵秘抄』の中で「遊びは子どもの本質である」と捉えていました。

『幼児期−子どもは世界をどうつかむか−』(岩波新書)
https://www.iwanami.co.jp/book/b268768.html 

モーリス・センダックは『センダックの絵本論』(訳/脇明子・島多代、岩波書店)で
「人間という存在は、子どもが成長して大人になるのではなく、彼らは “子ども” という独自の生き方をしていて、それは何にも代えがたい。絵本の書き手はそれをこそ描いているのではないか」と言っています。

そして、『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)を紹介してくださいました。

 

『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=52#modal-content

犬・猫・アヒル・ニワトリを連れておでかけするたろうに、大人たちは「危ないから」といろんなアドバイスをします。たろうはとりあえずアドバイスを聞きますが、動物たちは彼の味方をしてくれます。
子どもは「子どもの時間」をしっかり生きているのだと実感できるお話です。

続いて、(高科先生によれば)「子どもを生きる」ことができる作家・長新太の絵本を2冊。

 

『つきよ』(作/長新太、教育画劇) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/1278/

 

『ぼくのくれよん』(作/長新太、講談社)https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000137890

いずれも、作家の中の「子ども性」が描かせた作品といえるでしょう。

次は、詩人・阪田寛夫の詩集『てんとうむし』(童話屋)から数篇を見ていきました。
「ねむりのくに」では、一人のおじいさんの中に若者と少年とおさなごがいるとうたっています。

『てんとうむし』(作/阪田寛夫、童話屋)http://www.dowa-ya.co.jp/books/poem/enjoy/tentomushi.html

児童文学作家のあまんきみこも、エッセイの中で「私たちは自分の中に、赤ちゃんの時代・幼年期・少年少女期・青年期・壮年期という木の年輪を抱えて生きている。私たちの中の思念は、驚くほど年輪の中心部分に支配され、指示を受けている。(子ども時代の経験がその人を形成している)」と言っています。

マリー・ホール・エッツの絵本『もりのなか』『またもりへ』(訳/いずれも まさきるりこ、福音館書店)では、お父さんがもう二度と子ども時代には戻れないという嘆きが描かれていますが、目の前に存在する子どもを見ていると、自分の中の子どもが息を吹き返すかもしれません。

だから高科先生は、子どもの現場にいる人たちは素晴らしいと思うのだそうです。

教育の現場に長くおられた教育評論家・遠藤豊吉は、世間一般では大学の先生が一番偉いと言われているけれど、実際には幼稚園や保育所の先生が一番えらいのではないかと言っています。
「子どもは独特の時間を生きている」という認識を持つのが、子どもを理解してアプローチする最も良い方法ではないでしょうか。

宮崎駿の著書『本へのとびら − 岩波少年文庫を語る −』(岩波新書)は、前半が宮崎監督が選んだ岩波少年文庫50冊の紹介、後半は児童文学感を語っています。
「子どもの文学のほとんどは、やりなおしがきくお話である」と言い、自身で制作するアニメも「この世に生まれてきて良かった」「この世は生きる値打ちに満ちあふれた世界である」という作品を作りたいと言っています。

 『本へのとびら−岩波少年文庫を語る−』(岩波新書)https://www.iwanami.co.jp/book/b226119.html

高科先生も、不条理を描いた大人の文学より、希望に満ちあふれた子どもの文学の方がおもしろいと思って、児童文学作家になったのだそうです。

休憩を挟んで後半は、今期のテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)の「Ⅳ. 文章修行のために」から「2. 土地の言葉を大切にする」「3. 感受性を深める」のところを見ていきました。

第二次世界大戦後の教育として、現場では標準語を使い、方言をなくすようにされてきました。確かに、標準語を使えば全国どこで暮らしている人にも話の意味は通じますが、土地の言葉を使う方が、迫力も説得力も増します。
井上ひさしや田辺聖子のように、50〜60年代から土地の言葉で小説を書いていた作家も居ますし、長谷川集平は『はせがわくんきらいや』(1976 すばる書房)で、絵本に初めて関西弁を取り入れました。80年代になると明石家さんまがドラマの主役を関西弁で演じるようになり、今ではお笑い芸人が出身地の言葉や地元のローカルネタで笑いを取るようになっています。

レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』(1996 新潮社)の中で、「自然の中に入ると感受性にみがきがかかる」と言っていますが、高科先生は「都会で暮らしていても風や雨や陽の光を感じることで感覚を磨くことができる」とおっしゃいます。
ドラマチックな経験の有無とは関係なく、耳や口や目や鼻や皮膚全体(五感)で真理を感得し、書きたいことが人に伝わるよう書けるようになりましょう。

次回が今期の文章たっぷりコースの最終授業となります。

最後の課題は、「(わたしにとって)ちょっとした贅沢とは?」です。
このテーマで、創作・エッセイ・コラム … どんなものでもかまいませんので、文章を書いてください。長さや書き方も自由です。

よろしくお願いいたします。

 

 

 


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