鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

ナッソス城をめぐる決戦始まる! まとめ読み第40話~42話分

連載小説『アルフェリオン』まとめ読みキャンペーン、今晩は第40話~42話分を追加です。

目次からどうぞ

なお、目次の分量が多くなったので2つに分けました。
第1話~39話までを目次1第40話以降を目次2としてあります。

第40話、帝国軍のエース、ライ・ド・ランツェローが登場です。
ランツェ郎、とにかく言動ひとつひとつが鬱陶しい(笑)。いちいち気にさわる。何にでも難癖を付けるひねくれ者のくせに、やる気のないヤツかと思いきや、変なところで正義感や熱血ぶりを発揮し、一度こうと決めたら頑固で絶対譲らない。
それでもって、チートなほど強い(^^;)。
いわゆる典型的な「ウザキャラ」ですな。いや、そのつもりで書いていたのですけど、何か憎めないんですよねぇ…。

帝国軍の新兵器ゼーレムの実戦テストを行うための最新型陸上戦艦、アプゾルスが登場。ランツェローをメンバーにお迎えです。船のクルーたちは、みんな一癖ありそうですが、悪いヤツとは思えない。邪悪の化身みたいに言われていた帝国軍なのに、いかにも悪そうな奴は誰もいない…。

 きれいなキャラしてるだろ? でも敵役なんだぜ(笑)。

いや、帝国軍は「悪役」というより、自分たちの正義を信じて戦ってるんでしょうから、余計にタチがわるい。前にシャリオさんも言ってましたね、「正義」と「正義」との戦いだからこそ救いがない、と。

悪役といえば、むしろ帝国軍と戦う側、特に「鍵の守人」のウーシオンなんか、黒さ爆発ですけどね。だいたい笑い方が「クックック」ですし(^^;)。邪悪すぎる。同じく帝国と戦うグレイルが乗ってるのも、悪役感全開のゲテモノ巨大クローと触手のある機体ですし。対するランツェローの格好いい騎士機体の方が、どう見ても正義側っぽい。ガノリスのレジスタンスのロスクルス隊長も、美形悪役(笑)って感じですし。いいのか?

オーリウム王国では、ついにナッソス城をめぐる攻防が始まりました。
飛空艦の艦隊戦、ミトーニア市をめぐる戦いで勝利を収めたギルドに対し、もう後のない、ナッソス側。一種の中ボス戦というか、重要な戦いなのに、相変わらず主人公が傍観しているところが何ともいえません(^^;)。でも、まぁ、見ててください。

兵力では劣るナッソス公爵が、それでも自信満々であるのは、謎の秘密兵器「盾なるソルミナ」に期待しているため。このソルミナをめぐって、これから大変なことになってゆくのでした…。

アレスやパラス騎士団もウラで相変わらず動き回っています。
そして、ネタキャラかと思われていたリーン嬢に悲劇が…。ファルマス様の悪役ぶり、容赦ありません。ヨシュアンが倒されたので、もう怖いものナシ。王宮の反メリギオス派は一掃されてしまうのでしょうか? 獲物が多くて、ムチ使いエーマ女王様が牙を研ぎながら待っています(怖)。パラス騎士団、聖騎士団と言いつつ、変態度の高いキャラ多すぎです(><)。

ただ、リーンはやればできる子。弓しか取り柄のないドジなテンプレ眼鏡っ子ですが、その腕前は恐ろしい。あの細腕でどうやって引くんだという巨大で強い弓をいつも持ち歩いてますし。なぜか耳がエルフ(笑)。『アルフェリオン』の中では、この手の一見ダメっ子で実はできる子というキャラが最も怖い。鬱回想から激妄想でいきなり超覚醒かまします(^^)。気をつけろ!

ともあれ、お楽しみください。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第42話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


14 戦乙女の恐るべき力―強襲、イーヴァ!



 レヴァントス。アリジゴクを模したと言われる重アルマ・ヴィオだ。地底を自在に掘り進むことができる能力と、重アルマ・ヴィオ特有のパワー、ギルドの重装汎用型以上に分厚い装甲を持つ。このような局地の防衛戦に向いた機体である。
 ――レヴァントス? そんな珍しい機体、しかも、複数だと!?
 ギルドの繰士は、ここにきて初めて、王国有数の資産を持つナッソス家の軍備に驚愕する。だが、さすがに戦い慣れたエクターたちだった。相手がレヴァントスだと分かってしまえば、いかに強力な敵でも対処の方法はある。
 数体の犠牲は出たが、まだまだ――そう思ったとき、側面から新手の敵が攻撃を仕掛けてきたのだ。先程までの戦いの間に忍び寄っていたらしい。しかも部隊全体が、整然と、疾風さながらに迫ってくる。
 何かが目の前を横切った。それをギルドの繰士が見たとき、すでに彼の機体をMTレイピアが貫いていた。装甲の隙間を巧みに狙った刹那の突き。こんなことができる繰士は、ナッソス家の中でも、ただ一人しかいない。

 再び地上を風が吹き抜けた。そしてまたひとつ、さらにひとつ。
 たちまち、ギルドのアルマ・ヴィオの残骸の山が築かれた。
 流れる髪にも似た造形。その下の無表情な仮面に、赤く光る二つの目。美しくも鬼気迫る顔つきは、どこか般若をも思わせる。
 再びその機体が動いた。いや、一瞬で姿が消えた。ギルド側の重装型に比べ、そのアルマ・ヴィオの全高は一回り低く、幅は華奢とも言えるほど細身だった。だが速い。それは、大男の騎士たちを小柄な少女が楽々と倒していくような光景だ。
 ――ちょこまかと動きやがって!
 魔法合金の実体を光の槍先が覆う強化型のMTランスが、鋭く繰り出される。だが、そのアルマ・ヴィオは槍よりも速かった。
 ――そんな鈍い攻撃など、この《イーヴァ》に当たりはしない。
 凛とした娘の声。
 ギルドの繰士の攻撃は、鈍いどころか練達の機装騎士にすら避けがたいほどのスピードを誇っていた。だが、その槍先はすべて見切られている。
 ――もっとも、当たったところで、イーヴァに傷ひとつ付けることはできないわ。
 少女の心の声は、美しいが取り澄ました響きでギルドのエクターに伝わる。


15 待ち受ける四人衆



 ――おのれ! まさか、ナッソスの《戦乙女》、カセリナ姫……。
 MTランスが突き出された。機体をひねってかわすかと思いきや、赤紫と白の美しいアルマ・ヴィオは、正面にそのまま立っていた。
 ――やったか!?
 だが、手応えはなかった。信じ難い眺めが一瞬だけ見えた。MTランスの上にアルマ・ヴィオが爪先で乗っているのだ。次の瞬間、背後に飛び去りつつ、イーヴァは敵の機体を撃破した。
 ――ギルドの重装歩兵隊の列を寸断します! ケヴィンの隊は私に続きなさい。三の隊形で! そしてドミーの隊は一の隊形で打ち合わせ通りに。続いて、エリオの隊は……。
 カセリナは瞬時に状況を読み、適切な配置を指示したかと思うと、先頭に立って突き進む。彼女に付き従う部隊は、陸戦型ティグラーの改良版であるティグラーⅡが中心だ。しかし、俊敏な鋼の猛虎も、イーヴァの速さには遠く及ばない。
 ――ザックスも私と一緒に来てくれるわね。
 彼女は澄んだ冷たい声でつぶやく。
 ――パリスの仇を、《白銀のアルマ・ヴィオ》は必ず倒しましょう。
 ナッソス四人衆に復帰した、あのザックス、シャノンとトビーの父が答える。
 ――無論です。この命に代えてもお嬢様をお守りいたします。
 イーヴァに勝るとも劣らない速さで影が飛んだ。レーイのカヴァリアンとさえ互角の戦いを繰り広げた、黒き疾風の竜《レプトリア》である。

 恐るべき二人の敵が、決戦の場についに姿を現した。
 しかも、ナッソス家には四人衆のうち二人がまだ残っているのだ。《古き戦の民》の若き勇者ムート、彼の愛機である曲刀の重騎士ギャラハルド。そして四人衆の長レムロス・ディ・ハーデンは、実力も機体も秘めたまま、ナッソス公爵の側で命を待っているのだった。


16 クレヴィスの策



「昆虫型重アルマ・ヴィオ、《レヴァントス》ですか。私も実物を見るのは初めてですよ。しかし、あんな古典的トラップとして使うなどとは、さすがのナッソス公爵もアルマ・ヴィオに関しては素人のようですね」
 クレヴィスの眼鏡のレンズが、彼の内心の読みを映し出すかの如く光った。
「極端に足の遅い陸戦型重アルマ・ヴィオは、後々のことまで考えて配置しないと、戦況に取り残されたまま、《死に駒》で終わってしまうものです。それでも戦い慣れていないエクターに対しては、あの圧倒的な存在感だけでもって、恐怖とプレッシャーを与えられるでしょうが……。我々ギルドの精鋭部隊にとっては、陸戦型重アルマ・ヴィオなど、下手に相手にせずに放っておけば大した敵ではありません。それではカル、予定通り、次の段階に移りますか」
 クレヴィス副長の言葉に対し、カルダイン艦長は苦笑混じりに答える。おそらく煙草を探しているのだろうか、艦長は懐を片手で探っている。
「頼む。しかし、先日のレプトリアといい、ディノプトラスといい、そして今度はアリジゴクのお出ましか。趣味の悪い博物館のようだ。金持ちのやることというのは分からんな」
 クレヴィスは溜息をついたかと思うと、一転、空気を切り裂くような、小さくとも鋭い声でヴェンデイルに指示する。
「では、ヴェン、他の機体は少々見逃しても構いませんから、《イーヴァ》と《レプトリア》を決して見失わないよう、追い続けてください」
「了解。相変わらず、とんでもない速さだな。おまけに雲も出てきたし、正直、追い切れるかどうかは五分ってとこだけど。できないとは言えない状況ってか」
 さすがのヴェンデイルでさえ、肩に力が入らざるを得ない。そんな自分に気合いを入れ直すように、彼は頬を両手で軽く叩いた。
 艦橋からナッソス城付近の戦場を睨みつつ、クレヴィスは心の中でつぶやく。
――いかなる戦略も、《計算外の災厄》によって一瞬に覆されてしまうことがあります。そして、我々の想像を超える能力を秘めた旧世界のアルマ・ヴィオは、そういった《災厄》の最たるもの……。ちょうど、ミトーニアを手中に収めかかっていたナッソス家の作戦が、ルキアン君とアルフェリオンによって水泡に帰したように」
 なおもイーヴァとレプトリアがギルドの戦列を突き崩してゆく様子を、ヴェンデイルが必死に伝えている。それにもかかわらず、クレヴィスの表情には、むしろ先ほどよりも余裕が浮かんでいるようにみえた。
「そういう意味では、狙い通り、相手の切り札の何枚かを現時点で使わせることができました。しかし、こちらの被害も予想より大きい。ナッソス家の戦乙女とレプトリア、さすがに侮れませんね。後は、あてにしていますよ、レーイ・ヴァルハート……」


17 ギルドの後退、追撃するカセリナだが…



 クレヴィスの言葉を受け、カルダイン艦長も、地上の部隊に新たな命令を出す。
「よし、先鋒隊に《後退》を指示!」

 ◇

 ――敵のアルマ・ヴィオが退却してゆく?
 カセリナは状況の変化に気づいた。彼女たちの獅子奮迅の活躍により、ギルドの先鋒隊もひとまず体勢を立て直そうとしているのだろうか。
 MTレイピアを構えるイーヴァの目が、赤く光った。
 ――しかもギルドの戦列の中央部が手薄。いま突撃すれば、敵軍を分断できる。そのまま突破して背後に回り、城の本陣の部隊を出してギルドを挟み撃ちに……。
 カセリナの脳裏に鮮明なヴィジョンが浮かんだ。
 ――この機を逃すわけにはいかない。
 ギルドの前衛をなす重装汎用型の群れは、素早い後退ができず、従来よりも密集して盾を構えながら、無様にのろのろと退いている。
 ――皆の者、一気に追撃する! 狙うは敵陣の中央、私に続け!!
 そう言うが早いか、カセリナのイーヴァの姿が砂煙に消えた。配下のアルマ・ヴィオ、ティグラーⅡの群れも彼女を見失うまいと疾駆する。
 ――お嬢様?
 即断すべきでないと進言しようとしたザックスであったが、カセリナの瞬時の判断に、言い出す間を失ってしまったらしい。みるみる最後尾に置き去りになったレプトリアも、一瞬で姿を消し、黒い風となってイーヴァの傍らに飛び去った。

 ◇

「メイ、バーン、ラピオ・アヴィスとアトレイオス、出撃してください。例の《黒い石柱》を確実に破壊すること。他の敵に目をくれる必要はありません」
 クレドールのブリッジでは、クレヴィス副長が矢継ぎ早に指示を告げる。それをセシエルが次々と《念信》で伝え始めた。
「サモンのファノミウルは、ラピオ・アヴィスとアトレイオスを護衛し、アトレイオスの降下を支援。おそらく敵はディノプトラスを防空用に出してくるでしょう。他にもまだ切り札を持っているかもしれません。プレアーの方にも、気をつけてやってください」


18 カセリナの戦いに戸惑うルキアン



 ◇

 ミトーニア上空に停止していたギルド艦隊のうち、飛空艦ラプサーだけが静かに動き始めた。艦橋では、副長のシソーラ・ラ・フェインが、相変わらず艦長よりも大きい態度で仕切っている。
「仮に敵が射程の長い対艦砲を持っているとすれば、そろそろ、その間合いに入ってもおかしくないわね。操舵長、いつでも回避できる態勢をお願い。カインのMgS・ドラグーンが届く距離以上に、不用意に城に近づいちゃだめ。対魔法結界は最強度に展開! しばらく艦砲や対物結界が使いにくくなっても構わないから」
 赤毛に金色のリボンを揺らしながら、シソーラは眼鏡の奥でにやりと笑う。彼女は念信士と思われる男の頭をぽんと叩き、タロスなまりの強いオーリウム語で言った。
「カインのハンティング・レクサーを甲板へ。プレアーのフルファーには、出撃のタイミングを任せると伝えて」
 一瞬、シソーラはノックス艦長の方を真剣な眼差しで見つめる。そして、彼にも聞こえるようにわざとらしく吹き出した。
「こらこら、そんな顔するんじゃないの、艦長殿! レーイがいなくても、プレアーは一人できちんとやってくれるわよ。信じましょ」
 金色のオールバックの頭を抱えながら、ノックスは真面目くさって答える
「いや、その、すまない。あぁ、カインがしっかり守ってくれる。いかにこの距離でも、弾さえ届きさえすれば、あいつは決して的を外さない。大事な妹のことなら、なおさらだろう」

 ◇

 相変わらずルキアンは、クレヴィスの隣で待機していた。こうしている間にも、イーヴァによる甚大な被害を伝える艦橋内の会話が、ルキアンの耳にも立て続けに入ってくる。
 自分でも何と表現してよいのか分からない気持ち。戸惑いと、嘆きと、悲しみと、いや、そういった類型的な心情には分類できないような、混沌とした思いが少年の心を埋め尽くしている。
 ――カセリナが、カセリナが、戦って、い、る……。嘘、でしょ。これは何かの間違いだよね。そんな、カセリナが……。
 先日、日頃は穏やかなクレヴィスが鬼神の如く戦う様子を目にしたとき、ルキアンは衝撃を受けた。それとはまた違った意味で、ルキアンは今、カセリナの戦いに驚きを隠せない。
 荒れ狂う嵐のように、あるいは猛獣のように、ギルドのアルマ・ヴィオを倒してゆく――いや、敢えて言えば、中に居るエクターも含めて《殺戮》してゆく――カセリナの超越的な強さと無慈悲なまでの戦いぶり。それが本当にあのカセリナによるものであるのかと、ルキアンにはいまだに信じられなかった。否、目の前の現実を知れば知るほど、ますます信じられなくなり、逆にその現実が幻ではないかという思いが強まるだけであった。


19 届かない思い、届かない言葉



 ――あんなに優しくて愛らしい笑顔だったカセリナが、なぜ?
 ルキアンは初めての出逢いを思い起こし、空しく反芻する。

 ◆

 「あ、読まないで! こ、困る……困ります!!」
  真っ赤になったルキアンは、こわばっている舌を必死に動かす。
  恥じ入る彼を尻目に、カセリナは、ルキアンのか細い文字を辿っている。
  愛らしい桜色の唇が、微かに弛んだような気がした。
  カセリナはペンを取り出し、同じページに何やら書き付けている。
  彼女はルキアンに向かって手帳を差し出した。
  生真面目に澄んだ少女の瞳が、今までの清冽さを和らげ、心なしか無邪気に光る。
 「はい、どうぞ。それで、あなたのお名前は?」

  赤く染まった頬の熱さすら忘れ、彼は返された手帳を見る。

    降りそそぐ春の光の中で、
    闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
    僕は戸惑い、力無く震えている。

  今しがたルキアンが書きかけて、途中で終わっていた詩である。
  白紙のままだったはずの続きの部分に、別の筆跡が優美に並んでいた。

    それでも僕は、やがて歩き出すよ。
    心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
    優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。

 ◆

 ブリッジに漂う張り詰めた空気が、ルキアンを回想から現実に引き戻す。
 ルキアンは、呆然と、ただ単純に問うた。

 ――ねぇ、カセリナ。君は……。
 ――なぜ君は戦うの?
 ――なぜ君は人を殺すの? なぜ、君に人が殺せるの?

 返事などあるはずはない。
 相手に向けられていない、相手を無視した問いかけは、ルキアンを再び妄想の世界に引き込んだ。
「嘘、だよね。君が人なんか殺すわけないよね……」
 ルキアンの心が目の前の現実から離れた反面、彼の声は現に口に出された。
 その震える声を聞きつけ、クレヴィスが彼を見た。
 なおもルキアンは、壊れた玩具のように、緩んだ口元から問いを垂れ流し続けた。
「ねぇ、カセリナ、君じゃないよね。そうだと言ってよ」
 黙って見つめていたクレヴィス。なぜか彼の目からは、いつもの笑みが消えている。そして何も言わずに、彼は再び正面に視線を向けるのだった。
「君が人を殺す。そして君も殺されるかもしれない。そんなの、そんなの嘘だよね」
 ルキアンの言葉だけが空しく漂う。
 次第に問いかけの声も小さくなって、やがて沈黙した。

 届かない思い。届かない言葉。


【第43話に続く】



 ※2008年3月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第42話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


7 君と世界との「和解」?―天の剣と少年



 クレヴィスが目を細めて見つめている。こうして彼が意味ありげに微笑んでいるとき、それはルキアンの僅かな経験からすれば、決まってクレヴィスが大事な内容の話をするときだ。
 あまりに軽く発せられたわりには、話の中身が不釣り合いに観念的で、むしろ悪い冗談かと思えてくるような質問だった。普通の人間ならば、いや、ルキアンも、少し考え込まざるを得なかった。その一方で、ルキアンの心の中では、実は即座に答えが出かかっていたのである。しかし彼はそれを取り消したのだ。

 ――世界も、人間も、美しくない、かもしれない。僕にとって、本当に美しいものは空想の中にしかなかった。これまで、僕はそう思っていたし、これからもその気持ち自体は変わらないかもしれない。だけど……。

「あ、あの……」
 声を詰まらせたルキアン。クレヴィスは彼の心の中を見通したかのように頷いた。
「今の質問に対して自信を持って断言しようとするのは、特別に幸福な人と特別に不幸な人――もちろんそれは本人の《主観》においてという意味ですが――だけかもしれません。大半の人間にとっては、世界も人も、美しくもあれば醜くもある。同じ人間の目にとってさえ、その時々の境遇に応じ、世界も人間も、美しく見えることもあれば醜く見えることもある」
「えっ?」
 戸惑いながらも、ルキアンはクレヴィスの話に惹き付けられてしまった。クレヴィスの瞳が、なお柔和さを漂わせながらも、併せて鋭い光を放つ。
「つまり、人間も世界も《捨てたものではない》というところなのでしょう。《人生についての常套句》としては、いささか使い古された感もありますが、大筋では外れていないと私は思いますよ。多くの人間は、適当なところで世界や他者と《折り合い》を付けざるを得ない。世界や人間が美しいか、醜いか。いずれにせよ、《私たちは、この世界だけの中で、この人間たちと共に生きてゆくしかない》のです。これは動かし難い事実、人間の生の大前提です。ならば……」
 クレヴィスの言葉をルキアンが、おずおずと継いだ。
「すべて醜いと思って嫌悪しながら、いやいや諦めの中で生きるより、世界も人も美しいんだと思っている方が、とりあえず《楽》かもしれないです。その方が、普通は幸せだと思います。それを前向きって呼ぶのは、ちょっと違和感がありますけど」
 彼の言葉を受け、クレヴィスの口元が緩んだ。その表情の意味は、ルキアンには計りかねるものだった。
「では、あなたにそれが出来ますか?」
「えっ? 僕、ですか」
「この《世界》と《和解》しようと思いますか、あるいは《妥協》点を見いだせますか? それとも、もっと別なことを、あなたは……。どうですか、ルキアン・ディ・シーマー君」
 クレヴィスの言葉が、ルキアンの心に突き刺さる。口ごもったまま返答出来ずにいる少年の前で、クレヴィスは両手を組み、その上に顎を軽く乗せた。
 じっと黙って、ルキアンの答えを待つクレヴィス。だがルキアンには、同様に沈黙し続けることしかできなかった。静寂を破り、クレヴィスの声が、静かに、だが力強く部屋に響いた。
「《旧世界の遺産》として、現世界においては比類のない力をもつアルフェリオンは、いわば人間界に投げ降ろされた《天の剣》のようなものです。《ステリア》の恐るべき力は、かつて旧世界を滅亡させ、今後、現世界の行く末をも左右するでしょう。その《剣》を手にした人間が、どういう理由でそれを振るうのか、この世界と自分との関係をどのように考えているのか、私も関心を持たざるを得ないでしょう。違いますか?」
「そ、それは……」


8 現実からも空想からも逃げた果てには…



「ネレイのギルド本部で私が言ったことを覚えていますね、ルキアン君」
 今でもはっきりと覚えている。自らの運命の転機となったあの言葉を、このか弱い少年は心の中で反芻した。

 ――あなたは現実の中で疎外感を覚えていたかもしれません。繊細な心が欠点や邪魔物にしかならないようなこの世界を、無意識のうちに憎んでいたかもしれません。けれどもルキアン君、あなたはこの世界とはまさに異質であるがゆえに、この世界にとってなくてはならない人なのです。

 クレヴィスの意図を徐々に理解し、頷いたルキアン。
「そうですね。幼い頃から、僕には本当の居場所がないと感じていました。そんな現実から逃げ、空想や妄想の世界に閉じこもっていました。そして僕がアルフェリオンの乗り手となった理由も、最初は、これまでの《日常》が何か大きく変わって新しい世界が広がるんじゃないかと漠然と思ったからでした。あの事故をきっかけに、結局、僕はそれまでの現実から《新しい現実へと逃避》しただけだったんです」
 ルキアンはさらに続けた。
「いま考えてみると、アルフェリオンに初めて乗った頃の僕は、それまでの現実から逃げただけじゃなく、《空想の世界からも逃げた》んです。あの頃、僕は、現実離れした妄想にも――例えばソーナのこととか――飽き飽きしかけていて、悶々として居場所が本当に無くなっていたんだと思います」
 彼の言葉に同意するかのごとく、クレヴィスが再び口を開いた。
「現実に疲れて空想の世界に逃げた人間が、もし空想の世界にも居られなくなったら……。待っているのは破滅のみです。そのような人間は、大変危険なものです」
 ルキアンは、その言葉に恥ずかしげに頷く。だが彼の瞳に、ふと明るい光が浮かんだ。
「でも、クレドールのみんなと出会って、クレヴィスさんに出会って、僕にも《夢》ができました。僕の夢、その《想い》は、たしかに今の世界の現実とは食い違っているかもしれません。だけどそれは、現実に背を向けた単なる空想でもないんです。現実とは違う想いの力で……その、理想っていったらいいんでしょうか……現実と向かい合い、現実とは違うからこそ、現実を変えられるかもしれない。争いばかりの世界が、矛盾に満ちた世界が、別に天国や楽園になんか変わらなくったっていい、ただ《優しい人が優しいままで笑っていられる》ような、そんな世界が当たり前になればいいなと、僕も思うんです」
 不意にルキアンは我に返り、赤面した。
「あ、あの、すいません。僕ばかり喋って」


9 現実、想いの力、パンタシアの本質



 クレヴィスは穏やかに笑みを返し、ルキアンに話の続きをするよう求めた。
「あ、ありがとうございます。その、以前の僕は、空想の世界に逃げているだけでした。でも気づいたんです。現実が変だと思ったとき、ただ逃げたり心を閉ざしたり、運が悪いとか不幸だとかあきらめたり、何でも自分が悪いんだと悲観したり、逆に何でも世の中やまわりのせいにして憎んだりするんじゃなくって……上手く言えないんですけど、その……現実に対して疑問を感じたとき、どうして僕は、それを誰かに問いかけてみたり、身の回りのほんの少しのことからでも変えてみようと挑戦したり、そうしなかったのかなって。気づいたんです」
 ルキアンは頬を上気させながら言った。
「何となくは、気づいてたんですが……。あの人に、《シェリル》さんに言われて、僕はやっと分かったんです」

  現実への絶望が深いほど、
  あるいは現実が理想を失って著しく歪んでいるときほど、
  内なる幻想の翼は、いっそう大きく羽ばたこうとする。
  まずは君自身が認めることだ、己にその翼があることを。

「《それが現実だ》という理由だけで現実が正しいとされるのなら、そんなの間違ってると僕は思います。そうじゃなくて、善いから、美しいから、面白いから……そういう理由があってこそ、初めて現実は正しいって言えるんだと思うんです。そして、善いとか、美しいとか、面白いとか、それは現実に対する《人の想い》です」

  ――現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか?
  《拓きたい未来》を夢見ているのなら、
   ここで《想いの力》を私に見せてみよ!

 シェフィーアの言葉を胸の内に改めてよみがえらせた後、猫背気味に座っていたルキアンは姿勢を正し、クレヴィスを正面から見つめて言った。
「夢や空想というのは、《現実から逃げるためのものじゃなくて、現実を変えるためのもの》だと思います。矛盾に満ちた《世界》の中で、その矛盾と戦いながら自分らしく生きてゆくために、ひとりひとりの人間に備わっている、えっと……。あれ、その……」
 途中まで勢いで説明し出したものの、的確に表現できる言葉を見いだせないルキアン。そんなルキアンの肩にクレヴィスは優しく手を置き、代わりに自分の言葉で続けた。
「そう、《己の想いを描き、自らの意思によって現実に働きかけ、今の現実とは異なる未来を創造しうる力》です。あなたにも分かったようですね。それが《人》の力、《パンタシア》の本質」


10 人の世の不条理に砕かれる夢想



 クレヴィスは、ゆっくりと席を立った。
「この現実とは異質な者だからこそ、現実に対し、これを変え得るほど強く切り結ぶことができる。しかし、一歩間違えば、その異質さゆえに疎外感に苛まれ、現実を憎み、その者の怒りは世界や人々すべてに向けられてしまいかねない。諸刃の剣――はからずも天は、旧世界においても、現世界においても、そういう種類の人間に二度もアルフェリオンの力を委ねた。興味深いことです」
 ルキアンを部屋に残し、クレヴィスは満足げな表情で出て行こうとしているかのように見えた。と、彼の歩みが止まった。
「これは私の直感ですが、リュシオン・エインザールは剣の諸刃の一方……つまり、己の《想い》を現実の中で形にするために《いかなる手段を用いるか》ということと、それを《何に向けるか》ということ、その二点において決定的に誤ってしまったのかもしれません。ルキアン君は、もう一方の刃となれるのか、それとも新たなエインザールとなるのか。おそらくエインザールも、あなたとよく似た想いから、ひょっとするとよく似た境遇から、この世界の矛盾や歪みに気づいた。問題は、そこから先です」
 本当はそこで、《僕はエインザールにはならない》と言いたかったルキアン。しかし、結局、単純にそう言い切る自信は無かった。
 だが、困惑した面持ちの彼に、クレヴィスがにこやかに片目をつぶってみせた。
「安心してください。私も、そしてシャリオさんも、あなたを信じています。ルキアン君が憎しみにとらわれて《紅蓮の闇の翼》を再び目覚めさせることはないと。そう信じているからこそ、私たちは、ルキアン君の手に《天の剣》アルフェリオンを委ねることができるのです。いま、改めて問います。その《剣》を手にする覚悟が、つまり、あなた自身の《理由》をもって明確に自覚したうえで《戦う》という覚悟があるのなら――それを我々に示してください。いつまでも《巻き込まれた者》として、今後もなし崩し的に戦いに加わってゆくことは、何より、あなた自身のためになりません。このあたりで、一定のけじめが必要です。厳しい言い方のようですが……」

 ◆ ◇

 ――そして僕は《繰士(エクター)》になることを選んだ。自らの決意と共に。

 クレドールの艦橋、ルキアンは今、ナッソス城を目の前にしている。クレヴィスの指示があれば、いつでも出撃する心構えが出来ていた。しかし、別の思いが、やはり彼につきまとって離れようとはしなかった。
 ――カセリナ。僕は君と戦いたくない! 誤解を解きたい。もう一度、会って話し合えば……。どうして僕らが戦わなければいけないの? そんなの、悲しすぎるよ。

 だが少年のそんな願いは、これから始まる戦いの苛烈さを、この世の不条理を、あまりにも甘く見た夢想にすぎなかった。


11 盾のイメージ、ソルミナの正体は?



◇ ◇

 風走る草の海を見おろし、丘の中腹にそびえ立つナッソス城。
 その威容は中央平原の覇者に相応しく、歴史的にも不落の堅城として名を知られてきた。頑強な城壁には多数の強力な呪文砲が口を開けていた。城の周囲を取り巻き、陣地や砲台が幾重にも築かれている。
 だが、敵陣から絶え間なく降り注ぐ魔法弾を受けながらも、ギルドの陸戦隊はじわじわと進撃を続けていた。ナッソス家の部隊は、地の利と鉄壁の防御施設、さらには入念に練り上げられた――正規軍の参謀たちが見ても感嘆するであろう――布陣を武器に、公爵の指揮の下でよく戦っている。しかし、数ばかりではなく一人ひとりの技量においても勝るギルド側を、さすがのナッソス軍も防ぎきることは難しいようだ。

 クレドールの艦橋。刻々と伝わってくる状況を聞きつつ、カルダイン艦長とクレヴィス副長らも戦いの行方を見守る。
 ブリッジの一段高いところにある席に腰を落ち着け、カルダインはいつものように泰然と構えている。時折、その目がやや大きく見開かれ、主戦場の方をにらむ。もっとも、ミトーニア市の上空高くにあるギルド艦隊からは、肉眼ではナッソス城や敵陣の大まかな構造までは捉えられても、アルマ・ヴィオ同士の闘いまでは視認することなどできない。
「こういう状況になることは、ナッソス家としても予想できたはずですが。正攻法でいかに上手く戦っても、このままでは敵はこちらの部隊にじわじわと押しつぶされるでしょう。まさか援軍など期待してもいないでしょうし。とはいえ……」
 味方の善戦にどこか納得のいかない様子で、クレヴィスは顎に手を当て、首をわずかに傾げた。カルダインが、姿勢を変えずに唸るような声で返事を返した。
「さぁな。ギルドが真正面から《正攻法》で攻めてくるとは、むしろ相手にとっては意外であったか。いや、そんなはずもあるまい」
「そうですね。かつて、ゼファイアの空の海賊カルダインは、寡兵をもってタロスの大軍を相手にしたからこそ、奇襲を駆使する必要があったわけです。でも今や、多勢をもって、しかも有利な状況で敵に向かう場合は……」
 傾げたままの首、クレヴィスの目線が、隣に立っていたルキアンの視線とぶつかる。
「どう見ますか、魔道士として。私の直感では、例の石柱は何らかの《結界》を張るための兵器、あるいは防御用の空間兵器だと見立てました。たぶん旧世界のね。だが、我々の部隊と陸上で白兵戦に入る前に、相手は何らの結界も防壁も作動させませんでした」
 クレヴィスはにっこりと目を細め、微風の囁きの如く、心地よくつぶやいた。
「私の直感は――はずれでしたかね。あるいは、こちらの《方陣収束砲》のような艦砲に対する、奥の手の《盾》なのでしょうか。私の心には、そういうものが、何らかの《盾》のイメージが浮かんだのです」
 何と答えてよいのか分からず、黙って突っ立っているルキアン。
 そのとき、背後からカムレスの野太い声が聞こえた。クレドールが《揚力陣》で重力を制御して浮遊、停止状態にあるため、彼の手は舵輪を握りながらもじっと動かなかった。
「副長、あの黒い石の塔は、対艦用か対アルマ・ヴィオ用の兵器だという見方もないか? いや、アルマ・ヴィオに使うのなら、今の距離ではもう味方の機体も巻き込んでしまう。分からんな。ただの飾りじゃないのか」
「ふふ。飾りだったなら、それはそれで、取り越し苦労で済むじゃありませんか。攻撃兵器という線は確かにあります。だからこそ、こちらの艦隊も城から距離を取っているのですしね。地形からしても、山や森などの遮蔽物のない大平原にある城ですから、私ならあそこに強力な要塞砲を据えておくかもしれません。そうすれば、敵は多大な犠牲を出さすには近づきようがないでしょうね」


12 敵陣の弱点? ナッソス家の反撃!



 二人のやりとりの後、艦長が言う。
「いずれにしても、方陣収束砲と同様、そう何度も使える兵器ではないようだな。もし回数を気にせず使えるものならば、この決戦で最初から出し惜しみなどしないだろう。最も効果的な一瞬を狙い、こちらの出方をうかがっているのかもしれん。いずれにせよ、敵が動きに出なければ、粛々と攻撃を進めるだけのことだ。が、別の罠がある可能性もある。そのときは……」
 すべてを語らずに再び押し黙ったカルダイン艦長に、クレヴィスは思惑ありげに片目を閉じてみせる。

 ◇

 一方、城の天守の塔から戦場を睨み、指揮を執るナッソス公爵。彼の傍らには、ナッソス家四人衆の現リーダーであるレムロスが付き従っていた。
 公爵は、鷹のような鋭い目つきでミトーニア市を一瞥し、市壁から、市街の所々に立つ塔へと視線を移し、そして上空を見た。雲が少し出てきたせいか、高空にあるギルドの飛空艦の姿は見えなくなっている。
「優勢なときほど戦いは急くなというが、ずいぶん慎重なものだな。おそらく敵艦隊は、この城に対し、自らの大型呪文砲の有効射程すれすれの距離を取っておるのだろう」
「《盾なるソルミナ》の石柱を見ただけで、それが何らかの兵器だと見抜いたのでしょう。さすがは魔道士、クレヴィス・マックスビューラー」
 表情を抑えた固い声で答えるレムロスだが、公爵は不敵な笑みすら浮かべている。
「相手に魔道士が居ることなど予想の範囲内。だが、ソルミナの真の力は、いかに大魔道士の英知をもってしても分かるまい」

 ソルミナは盾。
 そして、盾というのは人に対するもの。
 ゆえに最強の《盾》とは、人の何に対して……。

 謎事のようにつぶやくと、公爵は激戦の続く場に向け、窓の方へと力強く手を差しのべた。
「ふん。それ以前の問題だ。勝ちを望んで慎重になるあまり、隙を見せたな、ギルドのゴロツキどもよ。数を頼みに包囲網を絞り込んでくるつもりだろうが、おかげで横列を不用意に伸ばしすぎ、陣形を薄くしすぎたな。しかも、正面からの戦いでは無敵の重装型も、小回りの悪さや足の遅さが時に致命的となるのだよ……」
 すでに公爵の意を察し、レムロスは胸に手を当てて一礼する。
 公爵は言った。
「敵の重装歩兵隊が《レヴァントス》の砂地まで来たら、手はず通り、攻撃に移らせろ。だが、くれぐれも無理はするなともカセリナに伝えよ!」


13 地中の罠、レヴァントス



 ◇

 その間も、ギルドの重装汎用型アルマ・ヴィオの部隊は、応戦するナッソス軍のアルマ・ヴィオの戦列を長大な横列隊形で圧迫し、陣地ごと包囲し尽くそうと進んで行く。
 王エルハインのギルド連合からの先鋒隊《エルハインの冠》と並んで、先頭に立っているのは、北の大ノルスハファーンを中心とするエストージー地方のギルドから選び抜かれた手練れたちである。彼らの乗機にしても、ギルドの技術者によって十分に整備され、魔法合金のプレートアーマーに身を固めた最新の重装アルマ・ヴィオばかり。旧世界の技術も知りうる限り取り入れているのであろう、白銀や鉄(くろがね)の色に輝く装甲に対しては、通常の魔法弾など無力に近い。
 ――どうしたどうした、ナッソス家といってもこの程度か。我ら《氷雪の鉄騎隊》は、ノルスハファーン・ギルド最強!
 黒塗りの甲冑をまとい、雄牛のごとき二本の角を持った兜を被ったアルマ・ヴィオ。それを操るエクターが、勝ち誇って心の声で叫んだ。そこにナッソス家のティグラーが飛び掛かるが、二本角の《騎士》は、手にした巨大な槍で吹き飛ばすようになぎ払った。
 ――敵陣突破だ、続け!
 彼の機体の後、同じく槍を持った重装型が十数体、一斉になだれ込む。
 その迫力に押され、正面からぶつかっても到底勝ち目がないとみたのか、その場にいたナッソス家のアルマ・ヴィオたちは、慌てて背後に退く。
 堅牢な守備を維持してきたナッソス陣にも、これで亀裂が入る。そう思われたとき……。

 大地を揺るがせ、山の如き体躯をもって突き進むギルドの機体が、がらりと開けた砂地に踏み行った途端。
 爆発が――いや、爆発ではない。竜巻さながらに砂煙を巻き上げ、地面に亀裂が。表土が地底に吸い込まれていくように、一瞬にして陥没が生じた。ギルド側のアルマ・ヴィオは足元をすくわれ、機体のバランスを崩す。素早い動きのできない重装型は、いとも簡単に倒れ、今度はそこからなかなか姿勢を元に戻せない。その超重量が災いし、地面に出来たすり鉢状の巨大な穴に飲み込まれそうになっている。
 ――何だ、これは!? 足元が、姿勢が制御できない。
 ――こちらもだ。落とし穴か?
 最初の一箇所だけではない。砂地のあちこちに大穴が口を開け始めた。
 事の真相に気づいたギルド側のエクターの1人が、慌てて念信で伝えている。
 ――落とし穴じゃねぇぞ、これは……。昆虫型重アルマ・ヴィオ、《レヴァントス》!
 その念信を最後に、彼の声は途絶えた。すり鉢状の大穴の底からハサミのような角が二本、出し抜けに現れ、彼の乗っていた汎用型の機体がその餌食となり、首を引きちぎられたのだ。
 恐るべき二つの凶器は、再び地中に姿を消した。


【続く】



 ※2008年3月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第42話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 結果的には、憎み合い傷つけ合うためだけに
 二人が出合ってしまったのだとしても、
 そんな出逢いさえ、
 僕らの未来にとって無意味だったとは思いたくない。

◇ 第42話 ◇


1 盾なるソルミナ



 中央平原の彼方、朝露に濡れる草の大海の果て、昇り始めた太陽。
 青き薄闇に支配されていた大地が、朝の光のもと、再び彩りを取り戻す。日の出をきっかけに、ギルドの陸上部隊がナッソス城に向かって攻撃を開始した。
 最前列、光の盾・MTシールドを張り、長槍を構えた巨大な鋼の戦士が整然と横列をなす。ペゾンやゾーディーなどの汎用型を基本とし、通常の甲冑の上に追加の装甲を重ねた、重戦士のごときアルマ・ヴィオの群れである。華々しく先陣を争うような突撃ではなく、敵軍を包み込むように威圧する、重厚感のある進軍だ。
 背後に陣取った陸戦型アルマ・ヴィオも、味方の進撃を支援するため、MgSを斉射し始めた。重騎士たちの頭上を越え、多数の魔法弾がナッソス家の陣地めがけて飛んでゆく。長大な砲身をもつ遠距離用のMgSがうなり、鋼の猛虎・ティグラーが吠える。魔法弾の雨を降らせる、多連装のMgSを装備した機体も見える。

 対するナッソス家も万全の構えで待ち受ける。
 城の天守に当たる塔では、自らも上半身に鎧をまとったナッソス公爵がギルド側の動きを見つめていた。彫りの深い顔に、さらに深く窪んだ鋭い目。
「奔放な賞金稼ぎやゴロツキどもの寄せ集め、手柄を争って我先に殺到してくるのかと思えば、さすがにそれほど愚かな連中でもないか。相当な規模の軍を率いたことのある者が、指揮を執っているようだな」
 四人衆のリーダーであるレムロス・ディ・ハーデンも、伸縮式の遠眼鏡を手に公爵の傍らに立つ。
「おそらくは《旧ゼファイアの英雄》、カルダイン・ヴァーシュ。かつてゼファイア王国の空の海賊や義勇兵を束ね、大国タロス共和国の軍と互角に戦い続けた強者です」
 40代も後半にさしかかろうとする経験豊かな機装騎士だけあって、レムロスは、敵軍の総攻撃を前にしても落ち着いていた。上品に刈り込まれた口髭を撫でながら、彼は敵の将カルダインの用兵を評する。
「空の海賊ならではの神出鬼没の戦法を駆使し、タロス軍を悩ませた男。今回も、俊敏な陸戦型でこちらの背後や側面を攪乱するような作戦に出てくるか、空から飛行型で急襲でもしてくるのかと思いきや、重装備の汎用型を並べて戦列を押し上げてきたか。慎重ですな」
「今は亡きゼファイアの亡霊が、何故にオーリウムの現状を、この国の人間の先頭に立ってまで守ろうとするのか。厄介なことだ」
 公爵は不敵に笑っている。ギルドに包囲され、しかも決定的な制空権をも敵に掌握されてしまった彼らが、なぜこうも悠然と構えていられるのか。その答えは公爵の言葉にあった。
「だが、いかにギルドがあがこうと、城に達することはかなわぬ。遥か前新陽暦の時代以来、この城は戦乱の中央平原において一度たりとも落ちていない。丘に宿る地霊の加護と、大地の無尽蔵の魔力を操る旧世界の兵器……」
 城の周囲に立ち、天高く伸びる、例の四本の黒き石柱。そのうちの一本が正面の窓から見える。それに公爵の眼差しが向けられた。
「《盾なるソルミナ》の力がある限り、何者も恐れるに足りぬ」


2 アトレイオスに攻城刀を装備



 ◇

 ギルドの飛空艦隊は、ナッソス城から一定の距離を取り、高空から戦場を見おろしている。問題の《盾なるソルミナ》――ギルド側にとっては、危険な匂いのする謎の構造物――の正体を見極め、空から臨機応変に対処しようとしているのだろうか。
 飛空艦クレドールの格納庫では、メイ、バーン、ベルセア、サモンの四人が待機していた。
 愛機のリュコス、鋼の狼の体を気遣うように見上げ、ベルセアがつぶやく。
「ガダックのおっさんがコイツを寝ずに直してくれたおかげで、俺も何とか参戦できる。リュコスの脚の損傷が思ったより深手でなかったのは、奇跡的だったな。で、メイのラピオ・アヴィスはどんな感じ?」
「うん、間に合うかどうか微妙。さっきから技師のみんなは、もうすぐもうすぐって言ってるんだけど……」
 向こうの方で翼を休めるラピオ・アヴィスと、その機体の周囲で忙しく動き回る技師たちを眺め、メイは溜息をついた。昨日、ナッソス四人衆のパリスに撃破されたにもかかわらず、メイもベルセアも幸い怪我らしい怪我はしていないようだ。
 ボロボロの革のマントをまとったサモンが、相変わらずぼんやりした口調で言葉少なに応じる。
「そのときは、いつもの倍、俺が働くさ」
 腰に差した二本の剣。長刀の方の柄を、彼は黙って握りしめる。
「おめぇら、よくそんなにのんびりしてられんな。もう戦いが始まっちまったぞ!」
 薄暗い格納庫の中、バーンの大声が天井にまで響き渡った。
 彼の背後には、自慢の《蒼き騎士》ことアトレイオスの勇姿がある。魔法金属の甲冑を身に付けた、汎用型アルマ・ヴィオがそびえ立つ。その足元には、アトレイオスの背丈をも超える長さの抜き身の《剣》が、化け物じみた存在感で横たわっている。
 小山のごとき鋼の塊の前を、腕組みしたバーンが落ち着かない様子で行ったり来たり。その姿は、あたかも巨人用の剣を見上げる小人のようだ。
「今日こそは、この《攻城刀》が久々に大活躍だぜ。あのヘンテコな黒い柱が何だか知んねぇが、これでたたき壊してやる」
 剣を振り回す動作をして、バーンは一人で悦に入っている。
 ベルセアは亜麻色の長髪をキザな手つきでかき上げた。
「ほんと、腕力馬鹿が振り回すには格好の相棒だ。まぁ、そんなに焦りなさんな」
「馬鹿が何だって? あ、そういや、ルキアンは」
 バーンは急に思い出したかのように、あたりを見渡した。
「ブリッジでまだクレヴィーと打ち合わせてた」
 ぶっきらぼうに答えたメイに、柄にもなくバーンが表情を曇らせる。
「そっか……。でも、あいつ、覚悟は出来たとか何とか言ってやがるが、いいのかよ。今朝にしても無理に笑顔を作ってる感じだった。大丈夫なのか」
 メイは大げさに肯き、意味深な目つきで他の三人に言った。
「そうねぇ、シソーラ姐さんが言ってたことが、ちょっと気になるかな。実はルキアン、ナッソスのお姫さんと知り合いになっちゃったらしいのよ。でね……」
 わざとらしく声を潜めて彼女は告げた。悪気はないのだろうが、不謹慎にも半分はルキアンのことをからかっているように聞こえる。
「ルキアン、あの名高い戦乙女に恋しちゃったのかも! このメイ様の推理は完璧だわさ」
 お喋りなメイに、ベルセアは呆れて苦笑している。
「美貌のお姫様と運命の出逢い、しかも何とお互いは敵同士だった、ってか? どこの三文小説だよ。でも実際には笑えない話だな。カセリナ姫が凄腕のエクターだってことは、俺も噂には聞いてる。もしルキアンと彼女が戦場で再び出合ってしまったら、お前らどうよ?」
 そう言うとベルセアは肩をすくめた。おどけた身振りで、重苦しい結論を敢えてごまかそうとするかのように。
「顔を知ってる相手との戦いは、ベテランのエクターでも結構きついぜ。それが若い娘相手なら、なおさらだろ……」


3 ギルド対ナッソス家、両軍が激突!



◇ ◇

薄明を切り裂き、陽の光が平原に満ちる。朝の日差しがみるみる強まっていく中、ついにギルド部隊の最前列がナッソスの守備隊と交戦状態に入った。
 生身の人間の戦にたとえれば、重騎士群の一糸乱れぬ突撃――通常の機体の上に鋼色に光る魔法合金の追加装甲をまとい、大型のMTシールドとMTランスで武装したギルド側の汎用型アルマ・ヴィオが進撃する。これにより、戦いの幕は切って落とされた。兵力の差を誇示するかの如く、帯状に広がった横列の陣形で、ギルド方は敵陣を飲み込もうと言わんばかりに一斉に迫る。狼や虎を模した陸戦型による「急襲」とは異なり、スピード感はない。だが、巨大な鋼の騎士たちが整然と押し寄せてくる光景は、動きは緩慢ながらも、相対する敵軍に強い圧迫感を与えずにはいないだろう。そして戦慄をも。
 中央平原にぽつんと置き忘れられたような丘と、その中腹に立つナッソス城を遠く睥睨するかのように、ギルドの飛空艦3隻は、なおもミトーニアの遥か上空に留まっている。飛空艦クレドールの《目》、《複眼鏡》で戦いの様子を注視するヴェンデイルが、少し声を震わせて言った。興奮か緊張か、なおも声が揺れている。
「敵軍も火炎弾を中心に相当の物量で砲撃してきてるけど、こちらの先鋒隊を止めることはできないようだね。へぇ、なかなか……。お城の近衛隊も顔負けの動きじゃん。さすがは機装騎士崩れの連中ばかり、いや失礼、《エルハイン・ギルド連合》から選抜した精鋭だけのことはある」
 軽口を交えるヴェンデイルとは対照的に、今度はセシエルが緊迫した口調で報告する。彼女の方は、味方部隊からの《念信》を受けることによって戦況を把握している。
「先鋒隊《エルハインの冠》の後方に展開している《エストージー・ギルド連合》の部隊から、新たな念信が入ったわ。支援砲撃を続けつつ、黒のA-33の地点まで前進するとのこと」
 セシエルの座席の前には、ピアノの鍵盤を思わせる器具が何段にもわたって積み重ねられている。これは、飛空艦に搭載されている大型の念信装置をコントロールするためのものである。飛空艦搭載型の念信装置は、アルマ・ヴィオのそれとは比較にならない性能をもち、多数の異なる相手との念信を同時に行うことに適している。こうして見ている間にも、複数の《回線》を巧みに瞬時に切り替えつつ、セシエルはクレドールの《耳》の役目を粛々と遂行していた。
 反面、飛空艦の念信装置を使いこなすためには、念信士としての優れた素質と十分な経験が必要となる。ナッソス領での戦いが始まって以来、昼も夜もなく任務についているセシエル。そう、彼女の代わりを務められるクルーは、ごく限られているのだ。端正な横顔にも疲労の色が蓄積されつつあった。
 セシエルを心配そうに一瞥すると、クレヴィスはいつも通り穏やかに答える。「決戦」の最中でも、彼の様子に何ら普段と変わった点は見当たらない。
「了解しました。ただし不用意に前に出すぎぬよう、それでいて先鋒隊を孤立させぬよう、打ち合わせ通りの陣形を維持せよと伝えてください……。まぁ、さすがにエストージーの繰士たち、そんな分かりきった指示など余計なお世話といったところですか」
 眼鏡のレンズ越しに、自らの目でも地上の戦場を睨みながら、クレヴィスはつぶやく。
「王国の北方、エストージー地方のギルド連合。かつて私も籍を置いていたことがありましたが、あそこには北の都ノルスハファーンの繰士たちがいますからね。王国第三の都市だけあって人材は豊富、実力も確かです」
 今回の戦いには、オーリウム全土のギルドから腕に覚えのあるエクターたちが集まってきている。基本的には各地の支部単位で、あるいは複数支部の連合というかたちで部隊を形成しているようだ。クレドールの艦橋内でも、北から南、都から辺境まで、多数のギルド支部の名前が飛び交う。


4 あの日、クレヴィスの問いに少年は…



「さて……」
 何か言いかけたまま、クレヴィスは目を閉じた。
 彼の隣に待機しているのはルキアン。相変わらず存在感はなく、黙っていると居るのか居ないのか分からない地味な少年だが――彼の瞳の輝きは、以前とは徐々に変わってきているように見えた。
 ルキアンは、昨日のことを思い出していた。《繰士(エクター)》にならないかと、不意にクレヴィスに告げられたときのことを。

 ◆ ◇

 昨日の午後、パリスとの激戦に勝利し、クレドールに帰還したルキアン。己の魂がアルフェリオンとの融合を解き、その身に戻った後も、ルキアンは《棺桶》のようなケーラの中に横たわっていた。しばらくして我に返った彼が艦橋に立ち入るや否や、勝利を讃えて駆け寄る仲間たち。嵐のようなその騒ぎが一段落した頃、クルーたちの背後で、クレヴィスがにこやかに微笑んでいた。

「お疲れのところ、申し訳ありませんね」
 昼間でもあまり明るいとは言えない艦内の廊下、歩きながらクレヴィスが言った。
 ぼんやりした足取りで、ルキアンが後に続く。
「いえ、僕自身は大丈夫……な感じです。今朝、疲れが頂点に達してしまって。それより後は、何ていうのか、もう疲れているのかいないのか、自分でもよく分からなくなっていました」
「そうですか」
 クレヴィスは不意に立ち止まる。一息、二息、沈黙が続いた後、彼は思い出したかのように言った。
「先程の戦いで、アルフェリオンの新たな力を引き出したのですね」
 《ゼフィロス・モード》です、とルキアンは答えようとする。しかし頭がぼんやりしており、考えたことがすぐに口をついて出てこない。その代わりにクレヴィスの言葉が続いた。
「私が思うに、あなたの心の変化が、力の発動の引き金になったのではありませんか?」
 ルキアンは、小さく息を呑み、微妙に驚いたふうな表情でクレヴィスを見た。廊下の壁に掛けられたランプの灯りが、淡い燈色の光となってクレヴィスの眼鏡に映し出されている。レンズの奥ですべてを見通しているかのごとき、微笑みの他には明確な感情を浮かべてはいない、魔道士の表情。彼の問いかけを、ルキアンは気だるげに肯定する。
「それは……。はい」


5 回想―またも白昼夢に浸る主人公?



 クレヴィスは再び歩みを始めた。背中で束ねられた彼の金色の髪が、緩やかに揺れつつ、ルキアンの視界の中で次第に遠ざかってゆく。質問を――しかも重要な質問を――投げかけたにもかかわらず、黙って先へ歩いて行くクレヴィス。怪訝に思ってルキアンはさらに告げる。いや、独り言かもしれない。
「あの直前まで、ほとんど意識を失っていて。というより、僕は夢の中に……それとも回想、妄想の中にいたように思います」

 ◇

 ――おうちに帰りたいよう。

 ふと、幼い子供である自分の姿が、ルキアンの意識に再び浮かび上がった。銀髪の小さな男の子が、大木の根元にうずくまり、声を抑えて泣きながら、身を微かに震わせている。

 ◇

 前方、クレヴィスは、ひとつの部屋の前で足を止めた。
 ルキアンも歩幅を広げて彼のところに近づく。その間、少し甲高いルキアンの声だけが、低い天井に響いては廊下の奥の薄闇に消えていった。
「でも、シェ……いや、シェ……リルさん、の言葉が、僕を引き戻してくれたんです」

 ◇

 ――ならば、なぜ戦う? そこまでして、なぜ君が戦う必要があるのだ?
 ――だから僕が戦うことに、決めたんです……。

 シェフィーアと交わした念信が、すぐそこで肉声となって響いているかのように、ルキアンには今もはっきりと聞こえる気がした。もちろん、それは妄想に過ぎないにせよ。

 ――そうか。そんな大それた考えが出てくるとは思っていなかったが。夢想ばかりしているようでいて、《拓きたい未来》があるのか、君にも。

 アルマ・ヴィオを降り、姿を見せたシェフィーアの様子が、ルキアンの脳裏に鮮明に浮かぶ。気品の中にも野性的な魅力をもつ不思議な女性。それでいて、飄々としてつかみどころがなく、冷徹さと無邪気さを併せ持った、得体の知れない機装騎士。澄んだ青い瞳が印象に残っている。

 ――この世でただひとつ、君の帰れる場所であった空想の世界。たとえそこが美しい光の園ではなく、どれほど暗い影につつまれていたとしても、虚ろな夢の庭であったとしても……。

 ――現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか? 《拓きたい未来》を夢見ているのなら、ここで《想いの力》を私に見せてみよ、ルキアン・ディ・シーマー、いまだ咲かぬ銀のいばら!!

 「内緒だぞ」と、シェフィーアがルキアンの頭に手を置き、銀の髪を軽くかき乱した、あのとき。彼女の手の感触。今もそれが頭の上に残っているように、少年は思った。



「ルキアン君……。ルキアン君?」
 クレヴィスの声が聞こえた。考えてみれば、先ほども聞こえたような気がするが。廊下に立ったまま、自らの回想の世界に没入していた少年は、クレヴィスの何度目かの呼びかけにようやく気がついた。


6 「世界は、人間は、美しいですか?」



「す、すいません!」
 ルキアンは慌てて声の方に急いだ。ドアの向こう、春の午後の穏やかな光の差し込む部屋。真ん中に楕円形のテーブルがひとつだけ置かれた、小さな会議室を思わせる様相だ。テーブルに沿って、古びた木製の椅子が並んでいる。赤いクッションと、赤い生地の張られた背もたれ。《赤椅子のサロン》の名の由来となった椅子である。ルキアンの正面、それらのひとつにクレヴィスが座っていた。

 白日夢から現実に引き戻され、慌てて部屋に飛び込んできたルキアン。彼に着席を促すかのように、クレヴィスは黙ってうなずいた。
 他方のルキアンは、どぎまぎした有様で突っ立ったままである。
「あ、はい。その、ぼ、僕……ぼんやりしてて。すいません」
 少年の視線は、室内を曖昧に泳ぎ、天井のシャンデリアや床の絨毯などに無秩序に向けられた。しばらく間があった後、ルキアンの眼差しは、目の前に座っているクレヴィスの向こう、壁に飾られた一枚の絵に引き寄せられた。
 見事な色づかい、特に黄金色の淡い光の描写にルキアンは感銘を受けた。この絵が、本職の、しかも一流の画家によるものでなく、趣味の絵描きが片手間に仕上げた作品だと知ったなら、ルキアンの驚きはさらに大きくなるであろうが。キャンバスに表現されているのは、少し高いところにある白い小窓から、光の差し込む部屋。そこには、ヴァイオリンに似た楽器を大事そうに抱えた童女と、恐らくその楽器を弾くためのものであろう弓を、無邪気に頭上にかざしている童子とが描かれていた。
 いかにも何らかの寓意を思わせる、奇妙な題材の絵に興味をそそられるが、今はそれに見とれている時ではない。ルキアンは視線を元に戻し、椅子に腰掛けた。
「あぁ、あの絵は、ソル・アレッティン卿が描いたものです」
 二人の目が再び合う。事情が分からず、きょとんとしているルキアンに対し、クレヴィスは表現を変えてもう一度告げる。
「ですから、あれは、アクスのディガ副長の作品ですよ。驚きましたか?」
 アクスの副長と言われてルキアンも理解した。彼が話しているところを、ルキアンはほとんど目にしたことがない。優雅ながらも少し辛気くさい、知的ながらも神経質な感じのする三十代くらいの貴族だ。彼とは対照的に野卑で荒っぽい元海賊のバーラー艦長の隣で、ディガ副長は、いつも黙って座っている。そんな様子を見て、ルキアンは何となく親しみのような気持ちを覚えることがあった。自分に少し似ている、とでも。
「本当ですか。すごいですね! でも、僕、聞いたことがあります。都市国家マナリアは、芸術の都と言われていて、あそこには絵や彫刻のパトロンになる豪商も沢山いるんですよね。ディガ副長ほどの腕があれば、絵で十分に生活していけそうですが……」
「いや。彼はマナリアの都市貴族、それもかなりの門閥家の生まれですから、わざわざ絵で生計を立てる必要なんてありませんよ」
 呆れたように笑って首を振るクレヴィスに、ルキアンは途中まで言いかけ、言葉を飲み込んだ。
「それなら、どうしてわざわざ」
「彼にも《理由》があるんでしょう。あなたにも、私にも、それがあるのと同様に」
「僕の、理由……」
「そうです。そして私が確かめたいのは、ルキアン君の《理由》なのです」
 しばしの沈黙。クレヴィスは、唐突に、明日の天気の話でもするようにあっさりと、根本的な問いをルキアンに投げかけた。
「ルキアン君。あなたは、この《世界》が美しいと思っていますか。それとも醜いですか。あなたにとって、この世界とは何ですか? そして《人間》については、いかがです?」


【続く】



 ※2008年3月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第41話・後編


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11 闇の地下聖堂に眠る大地の巨人



 ダンがまだ語り終えないうちに、ラファールは呟いた。あまり抑揚のない物静かな声だが、その響きには、聞く者の身体を凍り付かせるような得体の知れぬ迫力がある。
「それは、俺たちが考えるべきことではない」
 間髪入れずに否定され、ダンは、文字通り、豆鉄砲を喰らった鳩のようにきょとんとしている。そんな彼に一歩近づくと、ラファールはダンの肩に右手をぽんと置いた。動作や気配をまるで感じさせないような、不思議な身のこなしだった。
「い、いきなり何だよ?」
 人の肩に親しげに手を置くなどと、日頃は人間的な匂いを感じさせないラファールのキャラクターからは、考えにくい。ダンは正直驚いている。
「これが俺の手ではなく剣だったなら、お前の首は今ごろ飛んでいたぞ……。長生きしたければもう少し言葉を選んで話すがいい、ダン・シュテュルマー。今のは聞かなかったことにしておく」
 一瞬、ラファールの口元が、微かに、本当に微かに緩んだように見えた。目の錯覚だろうかと、ダンは慌ててラファールの方を見直している。
 そのときには、ラファールはすでに背を向け、要塞の内部へと戻りつつあった。
「パラス騎士団は王家の剣だ。《剣》が感情に流される必要はない。剣をどう使うかは、それを手にする持ち主が考えること」
 春の月光が、黄金の鎧に降り注ぐ。同性のダンであっても、思わず息を呑むほどの美しさ――去りゆくラファールの姿は、まるで金色の蝶が暗闇に舞っているかのように、神秘的な輝きに彩られていた。何か言いたげな表情をしながらも、ダンは黙って見送るのだった。

 同じ頃、月明かりに照らされた地上とは対照的に、夜の外界よりもさらに暗い闇に塗りつぶされた、ケールシュテン要塞の地下。一切の光を拒否するかのごとき、その闇のもつ暗さには、何か邪悪な意思の力のようなものが感じられる。地下に掘り抜かれた広大なドーム、漆喰塗の壁には、魔方陣を連想させる奇妙な記号や文字がびっしりと描かれている。
 不意に、暗黒の地下大聖堂に、ぼんやりと浮かぶ青白い光があった。続いて別の場所に同様の光がひとつ、そしてまたひとつ……。次々と明滅している。それらの気味の悪い光を放っているのは、透明な物質でできた高さ数メートルの柱であった。底知れぬ闇の空間に、角錐状の水晶柱が無数に立ち並ぶ。
 発光を繰り返す水晶柱に囲まれている空間の中心部には、どうやら巨大な穴が開いているようであった。地の底深くに口を開けた、地獄へと続く通廊さながらに。目をこらすと、穴の縁から中心の方に向かって、一本の橋を思わせる構造物が突き出しているのが見えた。それは穴の真ん中に当たる場所まで伸び、そこで途絶えている。その先端部は少し広くなっており、10人近い人間が集まれるほどの円形の舞台のような形状になっている。底なしの穴の真上、仮にここから落ちたらひとたまりもないだろう。
 だが、先ほどからその先端部で座禅と同様に足を組み、瞑想を続けている者がいた。濃紺色の簡素なローブをまとい、ターバンに似たものを頭に巻いている。パラスナイツの一人にして大魔道士として名高い、アゾート・ディ・ニコデイモンである。
 しばらくすると、彼の背後で、穴の中心部へと橋を渡ってくる者があった。振り向きもせず、アゾートは気配だけですべてを理解したようだ。
「その様子だと、旧世界の少女を連れてくることができたようですね」
「もちろん、手はず通りさ。あの子たち姉妹も感動の再会……というわけ。しかし相変わらず怖い人だねぇ。《神の目・神の耳》の境地に目覚めた魔道士様には、こちらが何も言わなくてもすべて分かってしまうんだから」
 そう言って皮肉っぽく笑ったのは、エーマだった。
「しかし、不思議なもんだね。この《大地の巨人》が動いているところは、いまだに想像できないよ」
 足元に広がる別世界のような大空洞を、彼女は訝しげにのぞき込んだ。


12 大地の巨人の正体が、ついに明らかに!



 あまりの巨体のため、すぐには全体の形を把握あるいは想像することのかなわぬ何かが、この闇の底にいる。暗黒の空間にうっすらと浮かぶのは、白の色?――白く塗られた城塞が眼下に存在している、そういう錯覚にとらわれそうだった。
 大地の《巨人》と呼ばれるだけあって、一見、その白き機体は人間に似た姿をしているように思われる。ぼんやりと確認できる上半身の輪郭は、その巨大さをのぞけば、姿自体の点では人間に似ている。影の形状から察するに、人と同様の頭部があり、おそらくは腕も二本であろう。
 だが、予想される《巨人》全体の大きさとの兼ね合いから言えば、この上半身は釣り合いを欠いている。かなり小さすぎるのだ。人の似姿をもつ上体の遥か下に、何か巨大なものが――もしかすると《本体》が――明らかに存在しているのである。

 心地よく響く声で、アゾートが語り始めた。
「ダイディオス・ルウム教授。狂気の天才科学者と恐れられ、天上界から地上界へと追放された男。彼がパルサス・オメガの生みの親です。開発者が異常であればこそ、この機体の前提にある……そうですね、旧世界の言葉で言えば《設計思想》というのでしょうか、それも明らかに狂っています」
「ほんと。この趣味の悪さじゃ、狂っていると言われても仕方がないわね」
 エーマは大魔道士の言葉に肯き、真っ赤な髪をかき上げた。
「《大地の巨人》という名前は、この機体の当初の姿に対して付けられたものです。かつて天空人が《滅びの人馬》と恐れた姿に。伝説のケンタウロスを思わせる、逞しい荒馬の体と、人型の上半身。地を駆ける無敵の覇者というに、確かに相応しい勇姿であったことでしょう」
 彼の言葉が信じられないとでも言いたげに、エーマは肩をすくめ、声を立てて笑う。
「本当? それが今や、この始末。似ても似つかない化け物、もう何の生き物をまねたのか分からない、醜悪な魔物になってしまった」
 立ち去ろうとするエーマに、アゾートは語り続ける。
「そこが《異常》なのです。《アルマ・マキーナ》を作り出したとき、旧世界の人間たちは忘れるべきではなかった。自分たちよりも遥かに強い力をもつ人形、あるいは機械の下僕たちが、創造者である人間の手綱から離れてしまったときの恐ろしさを。この機体は自ら考え、自ら進化する……。もはやそれは独立した意思、ひとつの主体。そこが、この機体のもつ《異常さ》に他なりません」
 黒革の衣装が、わずかな明かりのもとで妖美な艶を見せる。すらりとした長身のエーマの姿が次第に遠ざかってゆく。彼女はふと歩みを止めた。
「たしかに異常ね。しかし、状況自体が異常な今の世界では、まともなものに頼っていては生き延びられない。たとえ神に祈るのであろうと悪魔に魂を売るのであろうと、肝心なのは、それが役に立ってくれるかどうか。化け物頼みも、この際、まぁ仕方が無いんじゃない?」
 毒々しい含み笑いを浮かべ、エーマは姿を消した。


13 自己進化機能の秘密? イリスの動揺



 ◇

 《パルサス・オメガ》の眠る巨大な縦穴。その縁から中心へと、空中を一本の通廊が伸びる。先端部分は、宙にぽっかりと浮いた円形の舞台のようになっている。《大地の巨人》の覚醒を見届けるための特等席というところであろう。
 そこでは魔道士アゾートが瞑想を続けていた。肌を突き刺すような、神々しくも鬼気迫るオーラ。外貌までにも現れ出た、充ち満ちた金剛の如き不壊の精神。アゾートの様子を見ていると、もはや生身の人間ではなく、魂を持った神像が言葉を発しているのではないかという錯覚にとらわれる。周囲の空気をすべて己に従えているかのような、近寄り難いほどの威厳を身にまとっている。
 橋を渡り、二人の女性が近づいてくる。すらりとした長身の方はエーマだ。彼女に背中を押され、追い立てられているのはイリス。エーマと比べると子供のように小柄に見える。
 座禅を組み、背を向けたまま、アゾートは旧世界の少女に言った。
「今さら、君たち姉妹に対する我々の非礼を詫びたところで、誠意など感じてもらえるわけもなかろうが……。私個人としては、ともかく詫びておきたい」
 世人が魔道士に対して抱きがちな虚弱なイメージとは異なり、大柄で逞しい体格。年齢不詳ながらも、とうに中年の域には達しているのであろうが、引き締まった背中と、真っ直ぐに伸びた姿勢。床に置かれた一体の像のごとく、彼は座したまま微動だにしない。
「この期に及んで弁解などすまい。だが、これだけは伝えたい……。この世界すべてを支配しようとするエスカリア帝国によって、現在、オーリウムは存亡の危機に瀕している。どうしても君たち姉妹の力が必要なのだ。たとえ遠き時代の見も知らぬ世界の出来事であろうと、何の罪もない民たちが戦火の犠牲になるのは、君も望まないだろう?」
 圧倒的な存在感をもって迫ってくるアゾートの言葉。にもかかわらず、イリスは上の空で聞いていた。何か別のことに気を取られている様子である。足元をふと見やった途端、彼女は、自分たちの下に居る巨大な何かから目を離せなくなったのだ。これまでずっと、心を持たない人形さながらに無表情を貫いていたイリス。だが、彼女の表情に微かな動揺が浮かぶ。
 ――こ、こんなことが?
 《それ》が何であるかは確実に理解できる。けれども、イリスの瞳に映るものは、彼女の知っていた頃の《それ》の姿とは全く違っていた。
「旧世界の少女よ。自分の見ている《巨人》の姿が、悪い夢だとでも言いたげだな……。意外なことだ。パルサス・オメガの《自己進化機能》について知っている君なら、この機体がいずれこのような異形の姿に成り果てるということも、多かれ少なかれ理解できていたはずであろう。……違うのだな。すべてを知っていたわけではないのか」
 イリスの心を完全に読み取っているかのような、アゾートの言葉であった。たとえ背を向けていても、イリスの霊気の揺らめきや、体温の変化、もしかすると心音や脈動のひとつひとつさえも、この大魔道士は把握しているのかもしれない。
 沈黙するイリスに、いや、もともと言葉を口に出すことのできないイリスに、アゾートは語り続ける。
「これは、人の持つ歪んだ思いが、かたちを取って現れたもの。己の内なる醜さと向き合っているのだと本当は気づいているからこそ、人は、この《巨人》の醜悪さを余計に忌み嫌うのであろう」
 アゾートの言葉をイリスは否定も肯定もしない。だが、人の次元を超えて宇宙と合一するかのごとき、悟りの境地に至った魔道士にとっては、心を閉ざした娘の意識の内奥すらも、手に取るように明らかだった。
「分かっている。君の驚きの最大の理由は、もっと別のところにあるのだと。つまり、《大地の巨人》は休眠状態にあったはずなのに、なぜ自己進化機能が作動していたのか……。自然界の神秘の根源に関わる《第五元素誘導》(*1)の魔法技術と、旧世界の科学の産物である《マキーナ・パルティクス》とを組み合わせた、自己進化システム(*2)。誠に怖ろしいものだ」

【注】

(*1) イリュシオーネの現在の魔法学によれば、自然界のあらゆるものは、火・水・風・土の四つの元素から構成されると考えられている。いわゆる「四大元素」である。だが旧世界の魔法学では、四大元素の他にもうひとつの元素が存在すると考えられていた。すなわち、火・水・風・土のいずれの属性も有さない未分化の元素である。旧世界の魔法学者は、これを「第五元素」と呼んでいた(五番目での元素であるというよりも、より根源的な元素であるということになるが)。第五元素は、特定の霊的操作を加えることにより、火・水・風・土のいずれの元素にも変化する。
 《第五元素誘導》とは、未分化の第五元素に働きかけ、四大元素を思いのままの状態で生じさせる技術をいう。これによって、すべてのもの、自然科学上のあらゆる元素を生み出すことが理論上は可能なはずである。だが実際には、この技術が十分に発展しないうちに旧世界が滅亡したため、特定の元素を作ることしか実現されずに終わった。アルマ・マキーナ(=ロボット)の素材に必要な元素のうち、例えば、水素、酸素、炭素、ケイ素、鉄、銅、チタン、マンガン、モリブデン等々は作り出すことが可能であったという。生成し得ない元素は、霊的に特殊な構造を有する元素、代表的には金や銀である(現在のイリュシオーネにおいても、銀製の武器がバンパイア等の不死の魔物に対して特別な威力を発揮することは、銀に固有の霊的構造と関係があると考えられている)。そのため、高度な魔法と科学を兼ね備えた旧世界においてすら、やはり錬金術(金を創り出すという意味での、狭義の錬金術)は不可能であると主張されていた。

(*2) パルサス・オメガの自己進化および自己再生機能は、第五元素誘導によって生み出された原子・分子をマキーナ・パルティクス(=ナノマシン)で配置することによって行われる。ゆえに、必要な元素が周辺に存在しない場合であっても、それが第五元素誘導により生成しうる種類の元素であれば、再生や進化は可能である。同様の技術は旧世界の一部のアルマ・ヴィオにも転用されている。おそらくアルフェリオンの再生や変形も、その一例であろう。


14 機械の仮面、狂気の科学者ルウム教授



 自分の考えをアゾートに確実に言い当てられていることに、さすがのイリスも当惑する。そんなイリスの様子を見るのが、エーマには楽しくてたまらないようだ。
「残念。悔しいかい? 気の遠くなるような長い時間、こんな化け物を守るために眠り続けていたなんて。いや、悔やむ余裕もないか。頭の中が真っ白になってしまったかねぇ」
 エーマの口調に異様な高ぶりが加わる。歪んだ喜びをたたえた目。
「これが現実というものさ! 受け入れるか受け入れないか、あんたの気持ちなんて関係なく、目の前の事実は今ここに存在しているんだよ!!」
 異様な興奮を浮かべつつ、彼女はイリスの美しい金髪をいきなり鷲づかみにし、絡め取るように指で弄んでいる。
 本来は伝説の雄々しき人馬の姿であったパルサス・オメガが、今や得体の知れない化け物に、ただ敵を破壊し尽くすことだけに特化した奇怪な《兵器》に変わり果ててしまったことに、イリスは目まいすら覚えた。
 そして、少しずつ事態を把握するにつれ、イリスの脳裏に浮かんだのは――忘れもしない狂気の天才科学者、ダイディオス・ルウム教授のことであった。

 ◆ ◇ ◆

 機械の仮面を思わせる異様なものを、ルウム教授は常に身に付けていた。頭部の左半分から、左目、左頬の部分までを覆う正体不明の装置である。機械の《半面》とでも表現すればよいのだろうか。
「初めまして、お嬢さん」
 そう告げた四十代ほどの科学者、彼の声や口調は礼儀正しいものだった。謎の装置に隠れていない部分の顔つきは、やや神経質そうな雰囲気を漂わせているとはいえ、とても理知的・紳士的である。すっきりと整った鼻、切れ長の目、緩やかに波を描きながら首の辺りまで伸びた黄金色の髪。白衣も似合っている。
「あなたには何か特別な力があるようですね」
 教授がそう言ってイリスに顔を近づけたとき。《半面》に備えられた大小複数のレンズが、機械音を立て、せわしく回転した。すべてのレンズが、自分を――顔や身体の隅々だけでなく心の中までも――凝視しているようだと感じ、思わずイリスは背筋が冷たくなった。
 一瞬、教授の口元に微かな笑みが浮かぶ。
 隣にいたチエルの背後に、おずおずと引き下がろうとするイリス。だが姉は、苦笑しながら妹を押し戻した。
「こら、あなたもご挨拶なさい」
 教授のことは、イリスも話には聞いていた。天上界との戦争が始まった当初、地上界には勝つ望みなど全くあり得なかった。ところが、一人の天才科学者の協力をきっかけに、地上軍は次第に反撃に転じるようになった。しかもその科学者は、元々は天空人だというではないか。
 姉に何度も促され、イリスは恐る恐る手を伸ばす。
 握手した教授の手は、不思議と温かく、人間的に感じられた。だが、それと同時に、彼の暖かい体温の裏側に何か冷たい影が潜んでいるように、イリスは直感したのである。


15 イリスの力、そして…



 ◆ ◇ ◆

 遠い過去の記憶を呼び覚まされたイリス。今になって思えば、あのときの不吉な直感は確かであったのかもしれない。
 不意に、遠くで耳障りな金属音が響いた。鎖の鳴る音だ。その方向を見た途端、イリスは息を呑む。
 近衛隊の兵士たちに腕をとられ、橋の向こうから姿を現したのはチエルだった。焦点の定まらない虚ろな瞳、半開きの口。魂の抜け殻のようなチエルは、兵士に手を引かれるまま、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらにやってくる。利発で気丈な元の彼女の姿は、そこには無かった。
 橋上で姉妹の視線がぶつかる。
「……イ、リ、ス?」
 ぼんやりとした言葉。すべてに絶望したと言わんばかりに、チエルはそれまで以上に脱力し、崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまう。肩から床へと垂れ下がる黒髪も、本来の見事なツヤを失っている。
 他方、イリスの様子も明らかに変化する。怒り。初めて見せた感情の奔流だ。身体を震わせ、唇を歪め、彼女はうつむいた。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか……。チエルは、あたしが大事に可愛がってあげただけだよ。でも、あんたも人間だったんだ。そういう表情も可愛いねぇ」
 喉の奥から絞り出すように小声で笑い、エーマは、なおもイリスの頭髪をなで続けていた。
 ――お姉ちゃんに、何をした!?
 周囲の暗がりに火花が走る。いや、そのように感じられた。
 重力を無視し、イリスのしなやかな髪が、花開くようにふわりと宙に浮かぶ。
 ――許せない。
 淡い空色であった彼女の瞳が、濃さと輝きを瞬時に増し、青白く燃える炎の色に煌めいた。この変化に呼応し、爆発的な霊気の迸りが付近を覆い尽くす。
 その場にいた兵士たちは次々と意識を失って倒れてゆく。
「何という凄まじい魔力の解放、それに伴って荒れ狂う思念波。やはり普通の人間ではなかったか」
 泰然と座していたアゾートは、そのまま長衣の袖を翻した。輝く霧状の結界らしきものが彼の身体を包む。
「だが、この力こそ、パルサス・オメガの覚醒に必要なもの」
 イリスは絶叫した表情のまま、立ちすくんでいる。なおも解き放たれる力。自分の意思では制御できないらしい。
 エーマは両手で中空をかきむしるように、苦しげな声でうめいていた。さすがにパラス騎士団の一員だけあって、普通の兵士よりも卓越した精神力や魔法に対する抵抗力を、彼女も持っているようだ。だが魔道士でもない彼女には、イリスの放つ強力な思念波から直接に身を守るすべは無かった。
「あ、頭が、割れそうだ!」
 エーマは立っていることすらできず、床に片膝をついた。間もなく両掌も。そして遂に耐えきれず、白目を剥いて前のめりに倒れかけた、そのとき……。

 ◇

 気を失ったはずのエーマの目が大きく見開かれ、身体の動きが止まった。ふらりと立ち上がり、彼女はイリスの方をじっと見つめる。依然としてイリスの魔力は暴走状態にあるが、先程までとは異なり、エーマは全く影響を受けていないように見える。
 何らかの異変に気づき、アゾートが嘆息混じりにつぶやく。
 「なるほど。何故このような、さしたる力も持たぬ者がパラスナイトであるのかと不思議に思っていたら。そういうことであったか」


【第42話に続く】



 ※2008年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第41話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


6 リーンの不運、あざ笑うファルマス!



「ところで」
 これまで黙っていたルヴィーナが尋ねる。
「ヨシュアン殿の……ご遺体が発見されたときの状況を、詳しく教えてください」
《遺体》という一言の前で言葉が詰まった。彼女の蒼白な表情に、無念の思いがありありと浮かんでいる。
「日没後まもなく、かつてのお狩り場の離宮跡にて、うつ伏せに倒れている状態で発見されました。ご遺体の様子から考えると、殺害直後だったようです」
 ジェイドの返答に、ルヴィーナは疑わしそうに首をかしげる。
「お狩り場の離宮跡? 森の、かなり奥まったところではないですか。よく見つかりましたね」
「えぇ。私も、むしろその点が不可解です。一体、誰が発見したのですか?」
 セレナも頷いた。
 一瞬、ジェイドが気まずそうにリーンの方に視線を向けた。
 リーンは、いつになく真剣な表情でセレナを見つめる。
「私、です……」
「あなたが? なぜそんな時刻に、あのような場所に居たのです。いや、誤解しないでください。あなたを疑っているわけではありません」
 そう言いつつもセレナは、リーンの一挙一動、一言も見落とすまいと、鋭い眼差しを向けている。
「その……。実は。いつものように、子猫ちゃんたちに餌をあげようと思って、でも近くにいなくて。心配になって、森の方まで探しに出たんです……。狼や野犬に襲われたりすると、いけませんから」
 眼鏡の向こう、今にも泣き出しそうなリーンの目。セレナの疑問をジェイドが即座に否定した。
「リーンは無関係です! こいつは団長のことを兄のように慕っていました。一番悲しんでいるのは、こいつなんですよ。ひどいではありませんか。リーンをレグナ騎士団の見習いに取り立てたのも、ヨシュアン団長本人です。リーンにとって団長は恩人なんです!」
 ジェイドのあまりの剣幕に、セレナも思わず弁解する。
「誤解を与えてしまったようですね。私は、ただ、事実を聞きたかっただけなのです」
 隣で涙目になっているリーンを見おろし、ジェイドは心の中で叫んだ。
 ――可愛そうに。なんてツイてねぇ、間の悪いヤツなんだよ、リーン!

 ◇

 同じ頃、例によってハープシコード風の楽器を華麗に奏でつつ、ファルマスが頬を緩めていた。目を細めながら、いつもよりオーバーな動作で鍵盤に向かう美青年。狂喜っぷりは演奏にも影響し、ひとつひとつの音にも異様なまでの高揚感が漂う。
 最後に両手の指全体で鍵盤を一気に叩いた後、教会のドーム内を思わせる天井を見上げ、ファルマスは高笑いした。
「あははは!! 天は、やっぱり味方すべき相手をよく選んでるよね。この幸運、この偶然!」
 彼も、さきほど近衛隊士から、ヨシュアン殺害事件についての報告を受けていた。ヨシュアンの死は、もとよりファルマス自身の手によるものだ。ファルマスは、ヨシュアンの遺体が発見された経緯を知って狂喜しているのである。
「それにしても、あの見習いの機装騎士……。何て不幸な娘なんだろうね! 僕、ちょっと同情しちゃうなぁ」
 ファルマスは突然に立ち上がると、舞台めいた動作で両手をかかげ、天を仰いだ。勿論、同情の意識など、彼の顔つきには微塵も感じられない。
「よりによって、こんなときにあの現場をうろつくなんて、言い逃れできないな。不幸の星の下に生まれた落伍者は、どこまで運に見放され、惨めなんだろうね。神様ってひどいな! あはははは」


7 一触即発!? 二つの機装騎士団



 ファルマスの唇が冷酷な薄笑いを浮かべる。そのくせ、彼の瞳は無邪気に澄み切っている。
 ――ヨシュアン殺害の件はうやむやに終わらせるつもりだったけど、うまい具合にあの娘が出くわしてくれたおかげで、もう完璧。おまけにレグナ騎士団まで一掃できそうだよ。
 有頂天になっているのだろうか、しまいには一人舞台のように、誰もいない部屋の中で天井に問いかけ始めた。あまりの狂気ぶりが、小憎らしいほど上品な仕草や表情と融合し、鬼気迫る様相となっている。
「この緊急時に、王宮を守護すべき大任を負っているレグナ騎士団長は、情けないことに死亡。こともあろうに、殺害者は何と団員! あらら。こんな不名誉続きじゃ、もうレグナ騎士団は解散だよねー?」

 ◇

 その晩、レグナ騎士団の詰め所を、武装した近衛隊が取り巻いた。
 黒ずくめの剣士ダリオルと、長髪を夜風になびかせた音魂使いエルシャルト、そしてセレナを伴い、建物の中にファルマスが入ってくる。
「やぁ、これはどうも。こんばんわぁ。レグナ騎士団の諸君!」
 憎々しげに笑っているファルマスに対し、レグナ騎士団員は皆、殺気立っている。
「ちょっと、そんな怖い顔でにらまないでよ。セレナさんみたいじゃない……」
 そう言ってファルマスは、隣にいるセレナに微笑みかけた。
 セレナは露骨に顔を背けると、申し訳なさそうにリーンを見つめる。
 奥の方で震えているリーンの姿が目にとまると、ファルマスは意地悪く尋ねた。
「おやぁ? そこの眼鏡のお嬢さん。何をそんなに怯えているのかなぁ?」
 リーンをかばうように、ジェイド副団長が間に割って入る。
「こんな夜分に、武装して当騎士団の館に来られるとは、穏やかではないですな」
「いや、僕はね、事態を重く見たメリギオス猊下の命により、ここにやってきただけだよ。ほら!」
 ファルマスはメリギオスの書状を得意げにかかげた。
「リーン・ルー・エルウェン。君に聞きたいことがあるんだ。僕と一緒に、ちょっと来てくれないかな?」
「わ、私は本当に、野良猫の子供たちに餌を……」
 リーンが泣きながら告げているにもかかわらず、ファルマスは館全体に響くほどの大声で笑った。
「あははは。子猫? もしかしてリーンちゃん、賢そうな眼鏡っ子なのに、実はお馬鹿さんとか? そんな出任せの嘘を付くなら、もっと上手いウソを付いた方がいいよ」
 ファルマスの目が、一転して冷酷な光を放つ。
「彼女には、レグナ騎士団長殺害に関与した疑いがかかっている。事件直後、普通なら人の通るはずのない現場に居合わせたなんて、一応は調べないとダメでしょ? それに、遺体の状況はレグナ騎士団の皆さんも見たよね。団長と親しい彼女なら、警戒されずに背後から刺すことも可能だし。そうでもしなきゃ、あのヨシュアン団長に手傷を負わせるなんて、絶対できないよ」
 彼はにっこり笑って、こう言った。
「少なくとも、僕なんかの腕じゃ、無理だね」
 彼の指示により、近衛隊士たちがリーンの身柄を確保しに向かう。それを止めようとするレグナ騎士団の人々に対し、ファルマスが手を振った。
「おっと、邪魔しないで。猊下の命は、事実上、国王陛下の命と同じだよ。妨害すれば、皆さんも反逆罪になりかねないかも。それに、ここにはパラスナイトが4人も揃っているんだからさ、まさか力ずくでリーンちゃんを守ろうなんて、夢にでも考えない方がいいと思うね」


8 衝撃、「ネタキャラ」が過酷な運命に…



 だが、レグナ騎士団員に代わってセレナが立ちはだかった。彼女の怒りに満ちた形相に、近衛隊士は身を凍らせる。そして彼女はファルマスと睨み合う。
 ファルマスは白々しく小首をかしげている。
「あれぇ? セレナさん、何でそんなことするのかなぁ。熱でもある? それともセレナさんは、猊下の命に背くつもり? 今のは冗談だよね」
 セレナは悔しそうに立ち尽くしていたが、ついに諦めて引き下がった。
「ファルマス……。リーンさんに手荒なまねをしたら、たとえ貴方でも許しませんよ」
「やだなぁ。僕がそんなことするはずないじゃない。でも、前にも似たようなセリフを貴女の口から聞いたような気がするけど……。結局、どうだったっけ?」
 ファルマスの挑発に乗らず、セレナは拳を握りしめて耐える。連行されていくリーンが彼女とすれ違う。悲しそうな、恨みがましいような視線を、リーンはセレナに投げかけた。うなだれるリーンの後ろ姿を見つめ、セレナは胸の奥で自嘲する。
 ――いつもそうだ、私は。あの旧世界の姉妹のときだって、何も助けてあげられなかった。悪いと言いながらも、パラス騎士団員としてただ任務を遂行し、見過ごしただけだった!

 ◇

 独房の隅で、冷たい石造りの壁に身を寄せ、うずくまるリーン。手の届かない高いところに開いた小窓から、月の光が漏れてくる。
 彼女が嗚咽し、すすり泣く声が聞こえる。
「……私、何でいつも、こうなるのかな。私、何もしてないよ?」
 リーンはぼろぼろと泣いている。いかに機装騎士見習いとはいえ、ほんの最近まで、普通の村娘だったのだ。
「わたし、ただ、猫ちゃんが可愛かっただけだよ? お腹空かせて、かわいそうと思っただけだよ?」
 次第に泣き声さえも微かになる。
「……どうして私、こんなところに、来ちゃったのかな? 私、ただ、都に出てみたいなって、ちょっと思っただけだよ?」
 かすれた声で団長の名前を口にし、リーンは膝をかかえた。
「弓以外に何の取り柄もない私を、ヨシュアン団長が初めて褒めてくれたから、本当に嬉しかった。でも、どうしていつも上手くいかないの」

「運命なの? でも、そんなのに負けたくないよ……。誰か、助けて」


9 荒野に忘れられた要塞、うごめく秘密?



 王エルハインを出て、辺境の東部丘陵の方に向かって進んでゆく。旅人が一日歩きづめに歩き続けると、次第に家々はまばらとなり、やがては牧草地や田畑さえも姿を消してしまう。そして気がつくと、周囲の風景は、赤茶けた地面に石ころだらけの乾いた平原に入れ替わっていることだろう。荒涼とした大地を申し訳程度に覆う草も、生きているのか枯れているのかよく分からない様子だ。丈の短い雑草以外には、灌木が地にへばりつくように生えているのみである。
 一説によると、現世界の古の時代、つまり前新陽暦の時代が始まったばかりの頃には、このあたりは豊かな森だったという。乱伐が進み、植林などの手当も何も施されず、しまいには周辺にあった町と共に放棄された結果、このような荒れ野だけがぽつんと残ることになったのだと。あるいは、旧世界の頃に付近一帯に何らかの《汚染》が生じ、以後、まともに植物が育たない土地になってしまったのではないかと、うがった見方をする学者もいる。
 この荒野には、かつては木々に覆われていたのかもしれぬ、変わり果てた岩山が所々にそびえている。岩山のいくつかには、砂と石に半ば埋もれるようにして、前新陽暦時代のものと推測される非常に古い都市の跡が点在する。
 周囲に目をこらしてみると、ひときわ大きいテーブル状の岩山が遠くに見いだされよう。そこには、何か大きな建築群らしきものが、岩山と一体化するような形で連なっている。それが、オーリウム王家の所有する《ケールシュテン要塞》である。《レンゲイルの壁》がまだ存在しなかった時代、隣国ガノリスの軍が国境を突破し、オーリウム領内深くにまで攻め込んでくることがしばしばあった。当時、エルハインすらガノリス軍に脅かされかねない状況であったため、万一の場合に王家が難を逃れる場所として、に比較的近い要害の地にケールシュテンの要塞が作られた。
 だがその後、オーリウムの軍事力が強化され、レンゲイルの要塞線も完成した結果、ガノリス軍が領内にまで侵入することは希となった。時代の流れの中で、いつしか放置されつつあったケールシュテン要塞であったが、近年、なぜか国王軍によって大幅に改築されていたのである。それも、メリギオス大師の命によって……。

 町はおろか一軒の人家さえもない夜の荒野は、完全な闇の世界だ。月が比較的明るい今夜でさえも、岩山とケールシュテン要塞は、闇の空間にさらに濃い漆黒色の固まりとしてそびえ立っていた。と、何か小さく光るものが見える。岩棚状の場所に開けた見晴台のようなところに明かりがぽつんと浮かんでいる。誰か人が居るのだろう。


10 「巨人」に対する、ダンの本能的な疑念



 静寂に包まれた空間に、素朴な感じの若者の声が不意に生じた。
「こんな時間に、人っ子一人来そうにない荒野で見張りとは、イマイチ気合いが入らないぜ。近衛隊に任せて、ちょっと休憩に来た」
 夜空を背景に浮かび上がるシルエットは、上半身に鎧をまとっているようだった。白いマントが月の光を受けながら揺れている。マントにはパラス騎士団の竜の紋章が誇らしげに描かれていた。手持ちのランタンの作り出す明かりの中、若さに満ちた、引き締まった顔が見え隠れする。短く刈り上げられた黒髪、本当は黒色ではないのかもしれないが、夜の世界ではいずれにせよ真っ黒にしか見えなかった。まだ少年の面影を色濃く残す、爽やかで元気良さそうな好青年、ダン・シュテュルマーである。
「ちょっと、いいか?」
 ダンは、遠慮でもしているのか、少し声を落として誰かに尋ねている。
 その視線の先、城壁の際に、荒野を見おろすようにして別の若者が立っていた。ダンと同様、彼もパラス騎士団の装束をまとっている。だが、ダンのように胸甲だけを付けているのではなく、大きな肩当てや籠手等々、完全武装した昔日の騎士のごとく、黄金色の甲冑で全身を固めている。その姿から、この男が誰なのかは明らかだ。目映いばかりの華麗な出で立ちの奥に、パラス騎士団でも最強クラスの実力を秘めた機装騎士――人は畏敬の念を込めてこう呼ぶ、黄金の騎士・ラファール、と。
 鎧と同じく見事な黄金色の髪を風になびかせ、ラファールは、フッと鼻で笑ってダンに反応したのみである。自分だけがこの世の存在ではないとでも言わんばかりに、他人から超然としているのがラファールの常だった。人間らしい暖かさなどとは無縁の、凍てついた眼光。城塞の壁際から特にどこを眺めるとでもなく、漂う夜風さながらに、眼下に広がる大地へと目線を流している。
 そんなラファールの姿に苦笑すると、ダンは伸びをするようにして両手を頭の後ろで組み、大きな音でわざとらしく溜息をついた。
「はぁ。退屈だ!」
 予想通り、ラファールからの返事は帰ってこない。二人の間を、岩山の麓から舞い上がるように、一陣の風が吹き抜けた。ダンは大声で語り続ける。
「ラファールってさ……何と言えばいいのか、その、凄いなと俺は思うよ。何でいつも、そんなに平然としてられるんだ?」
 あいかわらず無言のままのラファール。真冬の月のごとく、美しくもそれ以上に冷ややかな、ある種の極北的な美を横顔に浮かべ、彼は身じろぎもしない。竜の紋章の描かれた白いマントだけが、さわさわと風に揺れていた。
 ダンはいたずらっぽく笑い、鼻先を指でこすった。何か企んでいるようだ。そんなときの彼は、普段よりも余計にあどけなく見える。少年のよう、いや、その面差しは子供っぽいとすら形容できるだろう。
 突然、ダンは軽業師のように素早く何度か側転すると、逆立ち状態で動きを止めた。そして今度は逆立ちのまま進み、ラファールの隣まで近寄ってゆく。
「なぁってば? ラファール……」
 それでも静かに眼前の闇を見つめている黄金の騎士に、ダンは、なおも頭と足が反対になった姿で話しかける。
「俺は、こういう単純明快!な人間だからさ、自分で言うのも何だが、普段からあまり悩まない。でも、そんな俺でも不安なんだよ。おいおい、無視すんなって。なぁ?」
 何とも珍妙な光景だが、ラファールはダンの姿を気にすることもなく、やっと口を開いた。それも必要最低限に。
「大地の巨人……。パルサス・オメガのことか?」
「あぁ、そうそう。あの化けもんのこと。よっ、と!」
 ダンは逆立ちをやめ、次の瞬間には元通りに立っていた。急に真剣な目つきに変わり、彼はラフアールに問いかける。
「上手く言えないんだが、あれはダメだ。ダメだダメだ! ぶっちゃけた話、あんな怪物に頼って戦おうなんて、どこか間違ってるだろ。根拠はないんだが、あの《巨人》に邪悪なものを感じる。あんなものを甦らせようと、なぜ猊下がお考えになっているのか、俺には分からない。大丈夫なのか?」


【続く】



 ※2008年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第41話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 悪夢に命を与え、現実の中に形として表現してみたいと思うこと。
 それは、ある種の人間のもつ本能なのだ。
 (ダイディオス・ルウム教授 旧世界の天才科学者)

◇ 第41話 ◇


1 第41話「封印の姉妹」再掲開始  ※注 このテキストは再々掲版です。



「たっだいまー! それにしても腹減ったぁ」
 家のドアが開いたかと思うと、元気な声とともにアレスが飛び込んできた。まるでここが自分の家だと言わんばかりの勢いと口ぶりだ。
 その大声で目が覚めたのか、奥のベッドで眠り込んでいたミーナが上体をそろそろと起こした。
「あ、おかえり…。アレス、君? あ、フォーロックも。遅かったのね」
 彼女は寝ぼけ眼をこすりながら、しばらく周囲を見回していた。すでに窓の向こうには夜のとばりが降りている。玄関のランプの光に照らし出される二人の姿が、ぼんやりとしたミーナの視界に浮かぶ。
「あ、あら? 私、寝ちゃったのか。少し横になるだけのつもりだったのに…。いけない、晩ご飯!」
 彼女は慌てて飛び起きようとしたが、すぐに姿勢を崩し、二、三度咳き込んだ。ベッドに座って苦しげに息をするミーナを、フォーロックが手慣れた様子で支えている。
「さては、今日、アレスたちのおかげで楽しくはしゃぎすぎたんだな? 無理すんなって。料理ぐらい俺が何とかするからさ」
「ううん。ありがとう、もう大丈夫。それよりイリスちゃん、あたしが寝てる間、退屈だったでしょ。ごめんね」
 沈黙……。返事はない。気になったミーナは部屋の中を見回した。次第に彼女の表情が真剣になってゆく。
「イリスちゃん? どこにいるの?」
 虫の知らせとでもいうのか、ミーナは、不意に漠然とした嫌な予感を覚えた。
 レッケの低いうなり声がした。食卓の下にうずくまっていた《彼》は、何かを訴えようとするかのごとく、しかし戸惑った様子で声を上げている。すべてを知る者は、語ることのできない、この魔獣だけなのだ。
 幼い頃からの友であるアレスは、すぐにレッケの異変に気がついた。だが、何かあったという可能性は認めたくないものである。この期に及んでも。
「やだなぁ、ミーナさん。急に何を怖い顔してるんだよ。あいつは行儀が良すぎるっていうか、静かすぎて、居ても居なくても分かんないことがあるから。レッケも、吠えんじゃねぇってば。腹減ってんのか?」
 次いでアレスは脳天気にイリスの名を何度か呼んだ。しかし相変わらず答えはない。つい今まで笑っていたアレスの目つきも、さすがに険しくならざるを得なかった。
 フォーロックはずっと黙っていた。部屋の薄暗い明かりではよく見えないだろうが、彼の表情はアレス以上に急変し、わき起こる何らかの強い思いを押しとどめようと、固くこわばっている。
 そんな彼の様子に気づくこともなく、アレスは無理に笑ってみせる。
「あはは。なんつーか、ほら、あいつ……時々、不思議な行動するからさ。俺、ちょっと、そのあたりを見てくるよ。畑をフラフラうろついたり、星空に向かって一人で話しかけたり、どうせまたそんなところだよ。じゃぁ、晩メシ頼むぜ!」
 口では冗談を言いながらも、彼の手足は全力で動き出そうとしている。立ち尽くすフォーロックの傍らをアレスが走り抜ける。開いたままのドアから、獣顔負けの俊敏さで夜の田園に飛び出していった。
 レッケも素早く立ち上がり、後を追う。白い体が闇に浮かび、消えてゆく。


2 真実、決意したフォーロック…



 彼らが入ってきたとき、家のドアには確かに鍵が掛かっていた。《開いていた》のではない。フォーロックが鍵を開けたのである。
 だが実際には、フォーロックとアレスの留守中、エーマがいったん鍵を外して中に入ったのは言うまでもない。一瞬の隙にイリスを連れ去る際、エーマは知らぬ間に鍵も再び掛けていったのだろう。事の露見を少しでも遅らせるために。
 音もなく忍び寄り、何の痕跡も残さず消え去ってしまう恐るべき能力――それは伝説に名高い、闇に潜む霧の魔物を思わせる。

 フォーロックは心の中で叫んだ。
 ――うかつだった! 跡をつけられていた? 気配などなかったぞ。
 後悔と自嘲、そして怒りの入り交じった何とも言えない顔つきで、彼は拳を震わせる。
 ――儲け話にひょいひょいと乗って、事情を知ったら心変わり……。馬鹿だった。だが、そのときにはもう、奴らに利用されてたってことか。本当に俺はバカだ!
 ただ事ではない様子をミーナも感じ取っていた。心配そうに見つめるミーナをなだめるように、フォーロックは彼女の肩を抱き寄せる。
「ばれちまって……るよな? そりゃそうだ、お前、カンはいいから。分かった、後で話す。今はとにかくアレスを連れ戻さないと、あいつも危ねぇ」
 フォーロックは、一度は腰から外しかけていた剣を急いで帯び、壁に掛かっている小銃を手に取った。
「俺はアレスを探す。いいか、俺が入ってくるまで、何があってもこのドアを開けるな」
「フォーロック……。気をつけてね」
 大柄な賞金稼ぎを、ミーナは弱々しく見上げる。フォーロックは少しかがみ込むと、無精髭だらけの顔をすり寄せる。触れ合う肌を通して、彼の低い声がミーナに心地よく響いた。
「必ず無事に戻る。なぁに、俺は不死身さ。たとえ地獄に落ちたって、地獄の鬼の首を狩ってこの世に舞い戻り、金に変えてやるよ」


3 月光の下、二人の女の運命が交錯する



 ◇ ◇

 王エルハインの郊外で、フォーロックの家からイリスが消えた晩――街を見おろす丘の上にそびえる王宮は、不思議なほどの静穏につつまれていた。
 夜空から降り注ぐのは、現し世の月《セレス》の放つ優しげな輝きだ。もうひとつの月、歓迎されない闇の青い月《ルーノ》は当分は姿を現さない。
 王の城の本館と東館の敷地の間には、自然の川を利用した堀が流れている。黄金色の月光をゆらゆらと映す水面。清流のせせらぎが、身震いするほどに美しく、安らかに聞こえてくる。
 川に架けられた橋の上、一糸乱れぬ隊列を組み、靴音も整然と、数名の警備の近衛隊士がやってくる。その先頭に立つ一人の騎士、白地に金の縁取りも鮮やかな胸甲が輝く。純白のマントが微風に吹かれ、生地に描かれた黒き竜の紋章が揺らめく。これは、パラス・テンプルナイツの装束に他ならない。
 騎士は橋のたもとまで来ると、何者かの姿を認め、隊列の動きを止めた。部下たちを待機させたまま、美しきパラスナイトは石造りの橋の上を歩んで行く。肩口で丁寧に切り揃えられた金色の髪が、サラサラと夜風に遊んでいた。
 橋に立つ先客の影は、彼女の足音を聞き、静かに振り返る。
 続く沈黙。やがて口を開いたのは、パラスナイトの方だった。
「たしか、貴女は……。レミア王女の指南役のディ・ラッソ殿?」
 名を呼ばれたディ・ラッソ、すなわちルヴィーナは穏やかな表情で微笑み、さらに目を細めて相手を見やった。
「これはこれは。パラス聖騎士団の、セレナ・ディ・ゾナンブルーム殿」
 穏和な笑みの向こうに、隙あらば相手の心の奥底までも射貫くような眼差しである。東館に居る内大臣派の人々と、メリギオス大師の懐刀も同然のパラス騎士団とは、普通に考えれば犬猿の仲であろう。静けさの中に、火花散るような状況になっても不思議ではない。
 だが、セレナの表情は意外にも柔らかであった。生ぬるい気温、独特の妖艶な空気感をまとった春の夜風を、胸一杯に吸い込むように大きく呼吸すると、彼女はルヴィーナの方に歩み寄った。
「月を、ご覧になっていたのですか?」
「はい。今晩は雲ひとつ無く、月の輝きが見事ですわ。これで満月であれば……。惜しくも端が欠けていますね。残念ですこと。お役目、お疲れ様です」
 そう告げて品良くお辞儀したルヴィーナ。
「ありがとうございます。お役目? えぇ、まぁ、そういうところでしょうか」
 ルヴィーナの側に近づいたとき、セレナは不思議な感覚にとらわれた。ふと気がつくと、全身が何か暖かいオーラに包まれているように感じたのだ。
 ――柔らかく、優しい感じだが、強い力……。以前は神官だったと聞いていたが、これほどの術者だとは。
 自らも魔法の使い手であるセレナは、ルヴィーナのまとう霊気を感じ取り、思わず一歩退いた。
 流れるような空色の髪を揺らし、ルヴィーナはセレナを見つめる。
「ご心配なく。私は神聖魔法の術者ですから、他人に危害を加えるような呪文は知りません。それに……」
 ――心を読まれている? そんなはずはないが。
 ルヴィーナの瞳が目の前で自分を凝視しているような錯覚に、セレナは陥った。
「セレナ殿。貴女のようにお美しい方を傷つけることは、どんな術者でもためらうことでありましょう」


4 ヨシュアンの死、突きつけられた事実



「いいえ。お戯れを……」
 我に返ったセレナは、無意識に鋼の胸当てに手を当てた。その冷たい感触が、彼女の心を澄み渡らせた。
 ――何というのか、近づいてはいけない気がするのに、引きつけられてしまう。たおやかで生真面目な神官だが、得体の知れない影、闇を感じる。
 橋の欄干に手をかけ、ルヴィーナはしばらく夜空を見上げる。そのままの姿勢で彼女はつぶやいた。
「かのパラスナイトともあろうお方が、自ら巡回に出てくださるとは。勿体ない、ありがたいことです」
「いや、これには色々と……。貴女に言っても仕方がないのでしょうが」

 そのとき、橋の反対側から駆けてくる者がいた。手に弓を携え、甲冑を鳴らし、いや、甲冑の重さのため、右に左に揺れながら走ってくる女性が。見るからに、鎧を着て走ることにまだ不慣れな有様だ。それでも、長い黒髪をなびかせて懸命に走っている。
 見覚えのある姿に、ルヴィーナは心の中でつぶやいた。
 ――あの娘は、夕方の……たしか、リーンと言いましたか?
 ルヴィーナとセレナが何事かと見つめる中、リーンは足元の石につまづき、勢いよく前に転がった。カエルをつぶしたような情けない格好で、弓を握ったまま地べたに伏している。
 言葉も出ず、顔を見合わせたセレナとルヴィーナ。
「あいたたた……」
 リーンは目に涙を溜めて起き上がり、片方のレンズがすでに割れている眼鏡を掛け直した。そしてルヴィーナの姿を見た途端、ただ事ではない様子で叫んだ。
「ル、ルヴィーナ様! 大変です、団長が、ヨシュアン団長が!!」

 ◇

「あ、あの……」
 うつむいたままのリーンが、ルヴィーナの衣の裾をぶっきらぼうに引っ張った。
「ルヴィーナ様、お気を確かに」
 レグナ騎士団の詰め所、その堅固な石壁に弾かれてしまったかのごとく、か細いリーンの声があたりに漂った。団員たちが集まった広間の中央、白い布を掛けられたヨシュアンの遺体が横たわっている。
「そんな……」
 ルヴィーナは、まだ信じられないという顔つきで立ちすくむ。言葉を失い、指先や肩が震えていた。
 二人に続き、数人の近衛隊士と共にセレナが入ってきた。瞬間、広間に険悪な空気が走る。重く沈んでいたレグナ騎士団員たちから、突き刺さるような厳しい視線が次々とセレナに向けられる。あたかも、神聖な団長の遺体に近づくなとでも言わんばかりに。現状では、ヨシュアンの死はパラス騎士団の陰謀だとささやく者も少なくない。石でも飛んでこないだけ、まだましだった。
「パラス騎士団の機装騎士であろうと、私は私です。尊敬すべき名剣士であるブラントシュトーム殿が殺害されたと聞けば、一人の騎士として、人間として駆けつけるのは当然のことではありませんか?」
 セレナは真顔で語りかけた。彼女の生真面目な言動と、愁いを帯びた優美な面差しに、団員たちも微妙な表情を浮かべている。小さく溜息をつくと、セレナは張り詰めた雰囲気をものともせず、堂々と進んでいった。その気品と威圧感に、団員たちもただ見つめるばかりである。


5 魔法? セレナの疑問…



「これはこれは、パラス騎士団のゾナンブルーム殿ですか」
 団長の代理を務める若き副団長のジェイドが歩み出てきた。日頃は鷹揚で人好きのする性格の彼であったが、この状況では顔つきも暗くならざるを得ない。青い髪を爽やかに刈り上げた横顔にも、嘆きと不安、そして怒りが充ち満ちている。
 握手する二人。
 ――いかに病に冒されていたとはいえ、あのヨシュアン・ディ・ブラントシュトームが、何者かに殺害されるなどとは考えにくい…。
 不審そうな表情で遺体を一瞥するセレナ。彼女の気持ちを察したのか、ジェイドが苦しげに答える。
「背後から首を一突き、頸椎に深手を受けて即死です」
「まさか? 団長ほどの剣士を一撃で、しかも背後を取るとは……」
 セレナの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ジェイドは語気を荒らげて断言する。
「騙し討ちとしか考えられません! だが、いかに不意打ちであっても、ヨシュアン団長に手傷を負わせるのは、いや、体に触れることさえ不可能に近い」
 セレナの気高い顔立ちを、真正面から見つめるジェイド。そして忌々しげに問いかける。
「例えば、貴女にそれができますか?」
「――言いにくいことを、はっきりと口になさるのですね」
 横目でジェイドを睨んだ後、セレナは長い睫毛を伏せた。硬い靴音を、ひとつ、またひとつと響かせながら、彼女はヨシュアンの遺体の傍らを通り過ぎる。
「私たちパラス騎士団のことを、あなたが快く思われていないのは仕方がないでしょう。とはいえ副団長ともあろう方が、このような事態において私情を交えた物言いをするのは、感心できません」
 物静かな美貌から一転、想像もできなかったセレナの鋭い視線に、ジェイドも気後れしているのだろうか。彼は、しどろもどろに答える。
「いや、それは……。ご無礼を。私は、ただ。そういう意味に解されてしまったのなら、お許し願いたい」
 よせばよいのに、口べたなリーンがおずおずと助け船を出す。
「え、えっと。ゾナンブルーム様は、優れた剣士であるだけでなく、そのぅ……魔道士も一目ほどの、すごい魔法の使い手と聞いてます。だから、今の話の例としては、適切ではないんじゃないかと…思うのであります」
「口を慎め、そういう問題ではない」
 ジェイドが小声で言い、慌ててリーンの口を塞ぐようなそぶりをする。リーンとしてはセレナを持ち上げたつもりなのだろうが、実際には、話の文脈をまったく弁えていない発言だ。
 セレナの表情がさらに険しくなったのを見て、ジェイドとリーンは青くなっている。しかしセレナは別のことを考えているようだった。二人の様子など眼中にない様子で、彼女は自問した。
 ――魔法。いや、魔法? まさか!?


【続く】



 ※2008年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第40話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 妙に威勢の良い艦長と、対照的に冷めた副長の姿とを背後から観察しつつ、艦橋の奥から、白衣の女が溜息混じりに言った。
「艦長、ご機嫌ですね、この朝早くから。私も個人的には嫌いじゃありませんが、副長も指摘されたとおり、このお酒臭いのはちょっと……。艦長が率先して風紀を乱すというのは、示しがつかないのでは?」
 《ゼーレム》開発主任の魔道士、ジーラ・ド・エンドゥヴィアだ。
「ま、朝から煙草臭いアタシが言っても、説得力ゼロか…。ところで艦長、ランツェロー殿は、まだ到着されませんか? 作戦の実施前に、最低限の打ち合わせはしておきたいと思いますし」
 ジーラの言葉にも全く遠慮を見せず、カトローン艦長は敢えてもう一杯、錫製のピューターから喉に酒を流し込んだ。それを見てデミアーノ副長が、隣で固まっている。
「あぁ、なんせ、あのひねくれ者のお坊ちゃんだからな。腕は確かだが、念には念を入れて打ち合わせしておかないと、何をしでかすか分かったもんじゃない」
 艦長は口元でニヤニヤ笑いながら、切り立った山脈の彼方を見つめた。
「だがよ、ジーラ博士。帝国軍きっての厄介者、面白いじゃないか。早く会ってみてぇと思わないか?」
 わざとらしく、ジーラが咳払いする。彼女は話題を変えた。
「それで、艦長。単刀直入にお尋ねしますが、早々にアプゾルスが《ブレニエル・パス》に向かわされたのは、本当はどういう裏があるんです?」
 ブレニエル・パスというのは、アディーエ公国から山脈を越えてガノリスに至る峠道のことだ。ジーラの問いにしばらく黙っていた艦長は、デミアーノ副長と顔を見合わせ、やがて声を落として語り始める。
「ま、いずれ分かることだ。極秘事項だがよ、一蓮托生の博士には話してもいいだろう。実は、明日に峠を通る輸送部隊の荷には、《あれ》が紛れ込ませてあるってことだ。アルマ・ヴィオ担当ではないにせよ、軍の研究者のあんたなら知ってるだろ? 《パ・シヴァー》のことは」
 《パ・シヴァー》という言葉を聞いた途端、ジーラの表情が真剣味を帯びる。いや、彼女の後ろに遠慮がちに立っていたマテュース・ド・ラムリッツの方が、いっそう表情を変化させた。細い黒縁の眼鏡を光らせ、半ば反射的に口を突いて言葉が出た。
「パ・シヴァー。PT兵器を装備した次世代の汎用型のプロトタイプ。あれは《ルガ》タイプのアルマ・ヴィオとも、互角に戦える性能だと聞いています」
 アルマ・ヴィオ開発の専門家・ラムリッツには、よほど思うところがあったようだ。指先が微かに震えてさえいる。武者震いの類であろうが。
 何とも言えぬ表情の研究者二人。彼らを前に、艦長は語り続ける。
「最近、ほら、軍でも噂になってるだろ? 帝国軍、それも上層部に、ガノリス連合と通ずる裏切り者がいるんじゃねぇかって話……。《パ・シヴァー》の件も、ガノリスのレジスタンスに筒抜けになってる可能性がある。奴ら、パ・シヴァーを前線配備させないために、いや、あわよくば強奪しようと、奇襲を掛けてくるかもしれん。もし俺がレジスタンスだったら、必ず狙うね」


7 着任早々、目障りなランツェロー?



 デミアーノ副長が、説明口調で艦長の言葉を継いだ。
「その場合、最も奇襲に適している場所が、ブレニエル峠というわけです。ガノリス本土への攻撃の際にも、ブレニエル越えで進軍した部隊は、複雑な地形を知り抜いたガノリス軍の攻撃に攪乱され、結局、突破自体には成功しませんでした。王が落ち、背後から包囲され、ようやくブレニエルの守備隊も降伏したものの」
 眠そうな薄目の表情のジーラ。彼女も仕方なさそうに肯いた。もともとクセの強い黒髪が、寝ぐせのせいか、さらに乱れている。
「そうね。あの細い街道、両側の崖から待ち伏せされれば、厄介だわね。何かあった場合には近隣の部隊から援軍は来るのでしょうけど、不測の事態ということもある。そのために、アプゾルスが遊撃隊として臨機応変に備える……か。まぁ私としては、かわいい《ゼーレム》の、ヴィアちゃんの実戦データがさっそく取れそうで好都合なんだけど」
「ガノリスのレジスタンスは、見た目よりずっと手強いぜ? なんせ、あいつが健在なんだから。《デツァクロン》の中でも屈指の機装騎士、レオン・ヴァン・ロスクルスがよ」
 敵ながらも天晴れとでも言いたげに、ある種の敬意を込めて艦長がつぶやく。
 それに対し、しばらく静まりかえった艦橋。やはりロスクルスの実力は、帝国軍といえども皆、認めるところのなのであろうか。朝の静寂も手伝い、張り詰めた空気。

 そのとき、背後で大げさに拍手する者があった。
「はぁ? そのロスクルスさんとやらが居たって、何だかんだでガノリスは帝国に負けたわけでしょ」
 帝国軍の制服をまとった茶髪の青年が、白いサーコートを肩に引っかけ、艦橋の奥の方へとゆっくり歩いてくる。彼の後ろには、艦のクルーが困った顔で付き添っていた。
「まさか、あれがランツェロー?」
 ジーラの耳元でマテュースがささやく。同じく艦橋内もざわめいた。
 鼻眼鏡の向こうから上目遣いに睨むように、不敵な表情でライは言う。
「こんな大層な船に、《荒鷲》様を筆頭にご立派な人たちが集まって、何びびってんです? やれやれ。こっちは夜中に馬を飛ばしてきたんで、正直、眠いんですけど……。しばらく仮眠させてもらっていいですか?」
 そう言いつつも、すでにライの足は艦橋の外へと向かっている。
 突然の登場と高慢な言動に、周囲の人々は言葉も出ず、呆然と見つめていた。
 艦長は鼻で笑い、口元を緩めて頷く。なぜか楽しそうな表情である。
 新しい煙草に火をつけ、ジーラ博士が言った。
「私も失礼して、一本だけ。まぁ、お手並み拝見といきましょう? 我らの帝国きっての機装騎士、ライ・ド・ランツェロー様の……」


8 完全に空気化していた主人公、久々に…



 ◇ ◇

「もうすぐ夜が明けますか。周辺の地理に暗いこちらが夜襲を避けたことは、ナッソス家の計算通りといえば計算通りでしょう……」
 今の時刻を確認し、クレヴィスは懐中時計の蓋を閉じた。
 その姿を誇示するかのごとく、ミトーニア市上空に巨大な翼を広げるクレドール。同じくギルドの飛空艦、ラプサーとアクスの姿もあった。もはや同市からの攻撃を受ける恐れはない。
 昨日の夕方、ギルドとミトーニア市との講和会議が開かれ、ミトーニアはギルド側の要求を全面的に受け入れた。同市は武装解除し、議会と国王への忠誠を改めて宣言。同時に、ナッソス家への人的・物的支援すべてを停止したのである。これと引き替えに、条件通り、ミトーニアの自治権は従来通り認められ、市長や参事会をはじめ当局の関係者も責めを問われぬこととなった。
 市街から伸びる幾つもの塔や、街を守る城壁が、夜明け前の闇の中に黒々とそびえている。その堂々とした姿は、遥か高空にあるクレドールの艦橋からでも見て取れる。
「ミトーニアの街、こうして見る限り、ほとんど以前のままですね。良かったです」
 窓辺に身を乗り出すようにして、ルキアンがミトーニアを眺めている。眠そうに目をこすりながらも、彼の表情はいつもより少し嬉しそうだ。
「そりゃ、おめぇが頑張ったからだぜ!」
 分厚い手でいきなり背中を叩かれ、ルキアンは驚いて振り返った。
「……バーン? お、おはよう」
「よぉ、ミトーニアの救世主殿!」
 そこで言葉を飲み込み、豪快にあくびをしたバーン。徹夜同然で任務に当たっていた艦橋のクルーたちから、無言の圧力がかかる。特にセシエルが眉をつり上げてこちらを見ている。
「わ、悪ぃ。あはは。セシー、ま、まぁ、朝からそんな怖い顔すんなって」
 気まずい雰囲気に苦笑いすると、バーンはルキアンに言った。
「正直、すげぇよ。たった独りでミトーニアを戦火から救ったようなもんだ。おまけにあのレーイでさえ苦戦したっていう、ナッソス家の黒い恐竜みてぇなヤツまで倒したんだろ。お前、本当にルキアンなのか?」
「い、いえ、その……。僕じゃなくって、アルフェリオンの性能のおかげですよ。それに、いろんな人が沢山助けてくれたから」
 恥ずかしげにうつむくルキアン。声がだんだん細くなってゆく。
 そんな彼の様子に大げさに頷くと、バーンは大笑いした。いや、再びセシエルに睨まれ、途中で笑い声を落とした。
「今の様子で、やっぱりルキアンだって安心したぜ。アルフェリオンの性能って……それを言っちゃおしまいだが、いや、なに、俺が褒めてるのは、そんな凄いアルマ・ヴィオを自由に操れるっていうお前の腕だよ」
 早朝から独りで元気をふりまくバーンの姿に、クレヴィスは呆れた様子で微笑んでいる。
「バーン。そろそろアトレイオスに乗って待機していないと、メイやベルセアに叱られますよ」
「いやぁ、それがだ。あいつらさ、昨日の戦いでナッソス家の黒いヤツに手も足も出ずにやられちまったせいか、妙におとなしくてよ。まぁ、俺だって、わざわざ馬鹿でかい《攻城刀》を持って出たわりには、結局役立たずだったけどな」
 なぜかクレヴィスは窓の外を見つめながら、意味ありげな調子で答える。
「攻城刀は今日の戦いで必要になります。必ずね……」
 肩をいからせ、大股で艦橋から去って行くバーン。


9 ナッソス城にそびえる、謎の黒き石柱



 苦笑しながらルキアンが彼の背を見送っていると、クレヴィスが、同じく意味深な調子で尋ねてくる。
「ルキアン君。あの《柱》の並び方をみて、ちょっと気になりませんか?」
 ツーポイントの眼鏡の奥から、クレヴィスの鋭い視線が眼下の大地を射た。薄明の中、彼方まで広がる、緑の大海のごとき中央平原――ミトーニア市の郊外に小高い丘がひとつ、ぽつんと取り残されたようにそびえている。
 丘の中腹には、ナッソス家の城があった。昼間であれば、鮮やかなオレンジ色の屋根と白亜の城壁が見事に目に映るはずだ。単なる城壁だというよりも、堅固な建物が壁状に本館の周囲を囲んでいると表現した方が正確であろう。城壁をなす建物には多数の窓があり、そのいくつかには明かりも灯っている。ランディやシソーラとともにルキアンが訪れた城の本館は、城壁の内側にある。いくつかのドーム状の建造物や沢山の尖塔を備えた本館のシルエットは、壮麗であった。
「柱って、あ、あれ……ですか?」
 まだ外は薄暗くてよく見えないため、ルキアンは眼鏡を少しずらしたり目を細めたりして、クレヴィスのいう《柱》をようやく発見した。
「かなり、大きいものですね。城壁よりも高いみたいですけど、1本、2本……4本、ありますか?」
 天を突くような石柱が4本、丘の周囲に立っている。まだ陽は昇っていないとはいえ、柱の質感は多少なりとも把握できる。黒曜石を思わせる、冷たい漆黒の肌だ。
「あれって、何でしょう? 窓も屋根もなく、塔でもないようですし。記念碑にしては大きすぎますし。いや、そういえば、並び方が……乱雑ですね」
「そう。もし4本の柱が何らかの装飾のためのものならば、一定の規則性をもって――例えば丘の四隅に立てられたり、整然と並べたられたりしているのが普通です。それが、位置がまったくバラバラですね。その不規則さがかえって不自然なのですよ。よほど変わった美的センスの持ち主が作ったのなら、話は別ですが」
 首をかしげるルキアンだったが、クレヴィスの次の言葉で何かを理解したようだ。
「冗談はさておき、仮に最も都合の良い場所、あるいは《効果の高い場所》を選んで一本一本立てていった結果、あのような配置になったのだとしら、どうです?」
「そうか、もしかして。大地の《霊脈》ですか!?」
 急にルキアンが珍しく大きな声を出したため、ブリッジの人々の視線が彼に集まる。セシエルは人差し指を立て、形の良い唇に当てている。
「ルキアン君ったら……。でもさすがに魔道士の卵ね」
 幸い、先ほどのバーンの場合とは違い、彼女の目は笑っていた。何事もなかったかのように、セシエルは艦の念信装置に再び意識を集中する。
 慌てて頬を真っ赤に染め、あちこちに頭を下げているルキアン。
 そんな彼の姿をよそに、クレヴィスの声が艦橋に淡々と響いた。
「そう。あの《柱》は、大地を走る霊的な力の流れを見定め、それを吸い上げるために打ち込まれている可能性が高いのです。あの丘自体、地形的にみて自然力の守護を強く受けています。まぁ、気の利いた設計者なら、地霊の加護も計算に入れ、つまり対魔法防御の効果の高い場所を選んで城を立てるのですが」
 窓辺を後にし、席に戻るクレヴィス。カルダイン艦長と目が合う。
「カル、昨晩の会議でも言った通り、うかつには城に近寄れません……。特に空からの接近は危険です。結界を発生させるためのものか、あるいは攻撃兵器、一種の要塞砲か、あの柱の正体が分からない限り」
 無言で肯いた艦長に、クレヴィスは不敵に微笑んだ。
「しかしあれが何であろうと、まぁ、何とかしますがね」


10 待ち受ける美しき敵、皮肉な運命…



 地平線の向こうから、平原を経て次第に丘の方へと、明けの白い光がいつの間にか達していた。城の丘一帯に展開するナッソス軍の陣容も、次第に露わになる。丘の周囲には水堀や空堀あるいは塹壕が走り、にわか作りとは思えぬ、小規模な城にも比肩する砦が立ち並んでいる。MgSの重砲を備えた砲台も、あちらこちらから敵を狙い打つ構えである。
 やがて登り始めた太陽。
 煌々たる朝日に照らされ、小山のごとき人の影や獣の影が無数に浮かび上がる。敵軍の侵攻を阻むための杭や柵の向こう、温存されていたナッソス軍の主力部隊のアルマ・ヴィオが、整然と配置についているのだ。
 その中に、一段と白く輝く機体が見えた。仮面を思わせる顔は、優美にして怜悧。鋭く切れ込んだ目が赤く光る。装飾であると同時に首の部分を保護するためのものであろうか、後頭部から魔法合金製の曲線的な垂れが幾重にも折り重なり、背中へと伸びている。女性の髪を連想させる造形だった。
 ――ギルドの者たち、どこからでもかかって来なさい。ナッソス家の力を見せてやる。
 その美しきアルマ・ヴィオ、イーヴァを操るエクターが言った。
 ――パリスの命を奪った白銀のアルマ・ヴィオ、私が必ず倒す!
 ナッソス家の勇ましき姫君、戦乙女の化身ことカセリナが、いまルキアンたちの前に立ちはだかるのだった。

 ◇ ◇

 空陸両用艦《アプゾルス》は、もちろんエスカリア帝国にて、つまり現世界において建造された船に他ならない。そのわりに同艦の内部の雰囲気は、いわゆる《旧世界風》の淡泊な様相である。
 旧世界風――装飾過剰の傾向のある現世界の様式に比べ、ひとことで言えば、色合いも装飾もシンプルなのだ。いま目の前に伸びている廊下にしても、床から天井まで一様に白っぽく、飾り気もなく、平板な箱の中に居るような気分になる場所だった。鮮やかな色つきの壁紙が貼られているわけでもなければ、緻密な寄せ木細工の床板が敷き詰められているわけでもない。現世界の建物や艦船の内部であれば、例えば金色の化粧漆喰のツタが壁を這っていたり、得体の知れない獣や小天使の彫刻が天井の片隅でしかめっ面をしていたり、といった風景のひとつぐらいあってもよさそうなものだが。
 旧世界の技術に入れ込むあまり、エスカリアの人々の美的感覚までもが、いまや旧世界人のそれに近づきつつあるのだろうか。
 そんな殺風景な廊下に、ジーラの甘ったるい声が響いた。
「さぁ、ランツェロー殿。ここですよ」
 彼女より何歩か後ろの方に、ライ・ド・ランツェローが、半分寝ているような顔つきで突っ立っている。あまりに返事が遅いため、ジーラは思わず振り向いた。
 話半分で生あくびしているライ。エスカリア人の男性としては、彼の背丈は平均的だ。それに対して背の高いジーラ。ちょうど二人の目線が同じ高さでぶつかった。
 ジーラの鳶色の瞳を面倒くさそうに見つめた後、ライは鼻メガネを指で少し押し上げた。わざとらしく、黒いレンズで目を隠そうとするかのように。
「はいはい。ガキじゃないんだから、いちいち返事がなくても聞いてますって……。別に任務は明日なんでしょ? もう少し寝かせてくださいよ。それに、俺のことはライでいいです。ランツェローって呼ばれるの、あんま好きじゃないんで」
「あら。実は、名門ランツェロー家という響きが、お気に召さないとでも?」
 ジーラもジーラで、遠慮というものを知らない大胆不敵な性格のようだ。ほとんど初対面かつ名家の誉れ高き機装騎士に対し、高飛車な目線でからかうように皮肉を言っている。
「……さぁね」
 ライは小声で吐き捨てるように言った。名門や御曹司という言葉は、本人としては癇に障るようだ。
「早くしてくださいよね。俺、もう少し寝たいし」
「まぁまぁ。眠気も吹き飛ぶような可愛い娘を、これから紹介してあげようって言ってるんだから」
 呪文鍵で何重にも封印された分厚い金属の扉を前にして、ジーラはライに向かって余裕げに笑っている。その様子は、年下の子供を軽々とあやしているかのようだ。彼女も相当の曲者である。
 ジーラが素早く何節かの呪文をつぶやき、指を中空に走らせて図形を描く。軋むような音とともに、扉はおもむろに開いた。


11 忠告?



 ◇

「何なんです、この悪趣味な部屋は?」
 昼間の陽光が差し込む廊下に比べ、そこに入ると急に薄暗くなった。足元に横たわる太いコードかパイプらしきもので、ライは爪先を引っかけそうになる。気のせいか、その何かの感触は、ヌメヌメとして生き物のようでもあった。思ったより広い室内、触手のごとき気味の悪い管が床面を縦横に走っている。
 ライは呆れた様子で、目線を足元から徐々に上げていった。と、一瞬、彼の背中がぴくりと微動したかのように見えた。
「こいつ……ですか。もしかして」
 ライは黒眼鏡を再びずり下げ、不可解そうに正面を見つめている。
「そう。これが《ゼーレム》、名前はヴィア。さぁ、マスターにご挨拶なさい」
 天井に届くほどの高さの巨大な硝子製のカプセル。それに向かってジーラが片目を閉じてみせる。
 硝子の中に何か靄のような、影のごときものが漂っていることは、ライにも分かっていた。その影はみるみるうちに濃くなり、淡い光を放ち始める。呆気にとられている間に、影は光へ、さらには人のような姿を取っていた。
「妖精? いや、これがゼーレム、か」
 透き通った青白い輝きを放つその存在には、ある種の幽遠な美しさが感じられた。だが見とれる間もなく、同時に不気味で邪悪そうな印象をも、ライは目の前のゼーレムから受け取った。幻灯に映し出される像さながらに、実態なき体がふわふわと浮いている。白い衣をまとっているようにも見えるが、どこまでが衣なのか肌なのか、区別が付かない。
 その異様な存在は、カプセルをのぞき込むライの方に近寄り、彼と同様に相手を硝子越しに見つめている。血の気のない、のっぺりとして能面を思わせる表情。よく見ると、うら若い娘を模したようにも感じられる容貌だ。だが人間の顔には有るものが、《彼女》には無かった。
 ライの顔つきをニヤニヤと観察しながら、ジーラが言う。
「ゼーレムに口はない。もっとも彼女は物を食べたりするわけじゃないから、口を付けるか付けないかは、見ている方の気分の問題にすぎないけど」
 ジーラは不意にライに背を向け、目の前の机に置かれていた書類を事務的に手に取った。
「本当はね、口がないのは、ゼーレムの設計思想の象徴なのよ。兵器に意思など必要ない、無駄口は叩かなくていいってね。ゼーレム開発の模範とされた旧世界の《パラディーヴァ》のこと、少しぐらいは知ってるでしょ? パラディーヴァが一種の《人格》や《感情》を持っていたことは兵器としての欠陥だったという仮定のもと、ゼーレム計画は出発した……」
 無言のライをよそに、ジーラは淡泊な口調で続けた。
「でも、その仮定が正しいとは言えない可能性も残っている。そうねぇ、もし《心》が無意味なものだったり、生き残るために邪魔になるものだったなら、なぜ私たち人間は心をもっているのかしら……なんてね。だから、最終的な実験体のひとつであるこの子、ヴィアには、敢えて少しだけ《心が与えられている》のよ。勿論、当初の計画通りに心を全く持たない実験体も別に何体かいて、他の場所で今頃はテストが始まっている。比較のためにね」
 ジーラの冷淡な口調と対照的に、なぜかライは複雑な面持ちでヴィアを見つめている。つい先ほどまでは白けたような様子で、いい加減に話を聞いていたにもかかわらず。

 静寂を破り、出し抜けにヴィアが声を立てて飛び回り始めた。
「キャハハハ! ワタシハ、ヴィア。テキハ、カンゼンニマッサツスル。オマエハ、テキカ? イヤ、オマエ、ワタシノマスター。メイレイシロ、メイレイシロ。ヒャハハハハ!!」
 さすがのライも言葉を失っている。いや、この傲慢な若き機装騎士ですら、いくらかの恐怖を本能的に感じ取っているのだ。
「何なんだよ、こいつは……」
「あら、ずいぶんな言い方ね。今日から、この子はライの分身なのに。まだ今はこんな感じだけど、どこまで育つか。それはあなた次第よ、ライ・ド・ランツェローさん」
 ジーラは悠々と椅子に座り、足を組むと、ライを値踏みするかのようにじっと見ている。
「ひとつだけ忠告しておこうかな」
 彼女の声が、いっそう冷たい響きを帯びた。
「矛盾してるような言い方だけど、この子にあんまり思い入れを持ちすぎない方がいいかもね」
 ライは素っ頓狂な声で返答した。
「はい? 何かと思ったら、そんなこと。誰がこんな《化け物》に……」


【第41話に続く】



 ※2007年11月~12月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第40話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 自らが心を持って生まれてきたことの
 本当の痛みの意味も知らぬまま、
 なぜ人よ、私を創り、心など与えた?

◇ 第40話 ◇


1 帝国軍の問題児、ド・ランツェロー登場



 4日前――ガノリスの都バンネスクの近郊に位置する、ある街にて。
 もっとも、この時点では、すでにバンネスク自体は《天帝の火》によって跡形もなく消滅している。同王国特有の広大な森林に覆われた丘陵地帯を背後に従え、侵略者エスカリア帝国の旗のひるがえる建築群があった。煉瓦造りのその館は、これまでガノリス軍が使用していたものだ。
 建物の一室、革張りの表紙のついた仰々しい文書を手に、ひとりの中年紳士が歩き回っていた。壁の時計を何度も確認しながら、渋い顔をして何かを待っているようだ。青地に赤い襟、随所の縁取りに金モールも鮮やかな上着。白のズボンに革の黒いブーツ。彼の服装は、帝国軍の制服に他ならない。立派な肩章や、誇らしげに飾られたいくつかの勲章等からみて、おそらく上級将校クラスの軍人であろう。
 頭髪は薄いが、対照的に髭は豊かであった。見事に刈り込まれ、両端が勇ましく上向きに跳ねている口髭を、彼は落ち着かない様子で撫でる。そうかと思えば今度は背後の窓に歩み寄り、外を覗いては執務用の机にまた戻ってくる。
「遅い! 遅すぎる……。あの男、まさか今回の件で嫌気がさし、軍を辞めたのではあるまいな。謹慎中にもかかわらず、連絡もろくに取れないというではないか。まったくもって信じ難い!」
 彼は忌々しげに呟く。
 そのときドアがノックされ、同じく帝国軍の制服を着た男が入ってきた。ゆっくりとした、重々しい動作での敬礼。そして慇懃ながらも、上官に対して親しみも滲ませた口調で、彼は報告する。
「局長、ド・ランツェロー殿が到着されました」
 こちらは若干若く、三十代くらいに見える。例の青と赤の衣装の上に、彼は黒いコートをまとい、白の剣帯を掛けている。これが帝国軍の正装であった。
 局長と呼ばれた先ほどの男は、面倒そうに席を立つと窓から街路を見下ろした。帝国軍の一台の馬車が、いま着いたばかりのような様子で止まっている。長時間待っていたわりには、局長の表情は、待ち人と会うのが気に入らないとでも言いたげである。
 その微妙な表情から何か察したのであろう、もう一方の男が皮肉っぽく言った。
「《コルプ・レガロス》――白馬に乗った聖騎士様の登場というわけですか。いや、あの方はもう、《元》コルプ・レガロスでしたね」
 溜息とともに、局長はうなづく。
「困ったものだ。合理化された我が軍の階級制度にさえ、まだ《機装騎士(ナイト)》などという過去の遺物が残っておる。あの妙な称号や、それに伴う特別扱いの指揮系統があるために……時には佐官クラスの者でさえ、自分が彼らに対して上官として振る舞うべきか、同輩として接するべきか戸惑っておる。現場の混乱を考えると、百害あって一利なしだ。ライ・ド・ランツェローなど、その害悪の典型ではないか」

 ◇

 階下の馬車から誰かが降りようとしていた。茶色い髪、若い男のようだ。赤い襟と黒いブーツも見える。彼も帝国軍の制服を着用しているのだが、羽織っているコートは黒ではなく、白地に金という派手なものである。形状も異なっている。他国の機装騎士と同様、擬古的なサーコートを制服の上にまとっているのだ――ブーツの足首付近までが隠れてしまうほどの丈がある。
「どうも」
 素っ気ない声で、彼は御者に礼を言った。
「荷物を部屋までお運びしましょうか?」
「いや、いい。自分で持って行くから。大事な物も入ってるんでね、あまり他人にさわらせたくないんだよ」
 冷たくそう言われ、確認するように何度か相手の顔を見た後、御者は席に戻ろうとする。と、サーコートの男が、どういうわけか少し機嫌を損ねたような目つきになった。
「あ、俺さ、部屋まで運んでくれとは頼んでないけど……荷台から降ろすぐらいは手伝ってもらえると助かる」
 そう言われて渋々戻ってきた御者は、革張りの大きなトランクを慎重に運び出す。


2 左遷と思いきや、極秘任務が…?



 彼に続き、古典的な白の騎士装束を羽織った例の男が、馬車から降りてくる。二十代半ばかと思われる、短めの茶色の髪に眼鏡の青年だ――いや、彼の《眼鏡》は、旧世界の発掘品をまねて最近作り出された特殊なタイプであった。レンズの部分は透明ではなく真っ黒だ。いにしえの時代、真夏の海岸などに出かける際、目を日差しから守るために使われていたものだという。当時の事情を知らない現世界人にしてみれば、視界が悪くなるだけの目隠しだと思うことだろうが。丸い小さなレンズの付いたそれを、彼は鼻眼鏡風にずり下げて掛けていた。これではあまり日よけの意味を為さない。たぶん、単なるファッションなのだろう。
「では、お気を付けて。ド・ランツェロー様」
 御者からトランクを受け取ると、彼、ライ・ド・ランツェローはぶっきらぼうに答えた。
「はぁ? お払い箱になるヤツに、気をつけて行けも何もないでしょ。でもまぁ、そういうアンタの好意は受け取っとくよ」

 ◇

 来た道を戻ってゆく馬車の音。館内では、軍靴でカツカツと階段を上る足音。ほどなく局長の部屋がノックされ、ライの姿が現れた。
 敬礼した後、姿勢自体は正しつつも、ふてくされた顔で彼は突っ立っている。放っておいたら壁にでも寄りかかり始めかねない雰囲気である。
 そんなライに呆れた眼差しを向けると、局長は諭すように言った。
「若いな、貴殿も……。《コルプ・レガロス》を退団させられたからといって、そういう投げやりな態度はなかろう。気持ちは分からんでもないが、一体、家門にこれ以上の傷をつけて何の得がある?」
「そりゃどうも。別に、昔からこうなんですけどね」
 局長は心の中で忌々しげに言った。
 ――殿下の御学友だと思い、若造が調子に乗りおって。大人しく宮廷にでも上がっておれば良かったものを。ランツェロー家の息子が道楽半分でエクターに居座るなど、傍迷惑にもほどがある。
「それで。俺の処分について結論が出たというわけですか? ガノリス方面統轄人事局長殿……」
 長たらしい役職名をわざわざ全て口にしたところは、何やら皮肉のようにも聞こえる。淡々とした口ぶりながらも、その抑揚のない声が、かえって苦々しく響く。
 彼の挑発的な態度を無視して、局長はそそくさと用件を伝え始める。
「ライ・ド・ランツェロー、貴殿の新たな配置先が決まった。この部隊が本国から到着次第、そこでエクターとして活躍してもらいたい。詳しくは書類に目を通してくれたまえ」
「活躍……ね」
 ライはわざとらしく大きな声で言うと、そこから先の言葉は心の中に収めた。
 ――要するに左遷だろうが。何だこれは? 飛空艦たったの1隻で独立特務部隊とは、危なっかしいったらありゃしない。いくらヘボいガノリス軍の残党が相手だからって、これでは沈めてくださいと言ってるも同然だ。左遷どころか、敵さんに《処分》してもらおうって話かよ?
 咳払いが聞こえた。局長はわざとらしく身振りを交え、大仰に言った。
「ちなみにその飛空艦とは、先頃建造されたばかりの飛空戦艦、いや、空地両用艦《アプゾルス》だ。話には聞いたこともあるかと思うが。《絶対の》という言葉(エスカリア語)に由来する名前の通り、たった一隻でひとつの艦隊にも匹敵する力をもつ、わが軍でも最強クラスの新鋭艦だ」
 今までいい加減に話を聞いていたライ。だが、にわかに彼の目に鋭い光が浮かぶ。
「アプゾルスって、あの……。まさかもう完成していたのですか。そりゃ面白い。で、任務は?」
「現時点では極秘の任務だとしか言えない。ともかく艦に到着してから詳細を聞きたまえ。貴殿の新しいアルマ・ヴィオもあちらに配備済みだ」
少しでも早く厄介払いをしたいといわんばかりに、局長は告げた。
「では。貴殿の立派な後ろ盾にはせいぜい感謝するのだな……」


3 現在の世界に居てはならない存在…



 ◇ ◇

 昼間の騒ぎは幻だったのではあるまいか。そう疑ってみたくなるほど、ただ静かに、ランプの炎だけが音もなく揺れる部屋の中――イリスはアレスたちの帰りを待っていた。
 夕食の準備までの仮眠のつもりが、病弱なミーナは、すっかり眠り込んでしまっている。賑やかな来客に半日振り回されたせいだろう。
 窓辺から宵の闇を眺めるイリス。
 地平線まで続くかのような広大な畑、また畑。点々と農家の明かりが見える以外、視界すべてを早くも漆黒が塗りつぶしていた。この郊外の集落の背後にある、賑やかなエルハイン市街とは、似ても似つかない侘びしい夜景だ。
 遠い目をしたイリスは、囚われた姉チエルのことを心配しているのだろうか。見知らぬ現世界にその身をひとり置いた自分の状況が、急に不安に思えてきたのだろうか。あるいは、旧世界のことを思い返しているのであろうか。無表情な彼女から、その内面を読み取ることは難しい。
 外の暗がりから、おぼろげな灯りに照らされた室内へとイリスは目を転じる。彼女が振り返ったとき、長い髪が揺れ、薄闇に黄金色の粉を撒くように、キラキラと輝きを浮かべた。見る者を幻想の世界に誘う、霊妙な光。

「うふふ。本当に綺麗な髪だねぇ」
 女の囁き声。突然、誰かがイリスの耳元で言った。
 ほぼ同時に、低いうなり声が聞こえた。イリスよりも先に異変に気づいたのは、テーブルの下で丸くなって寝ていたレッケである。《彼》は純白の毛を逆立て、牙を剥く。だが無闇に飛び掛かったり動いたりしないのは、目の前のイリスの身を案じてのことなのだろう。何かを威嚇しつつ、状況を冷静に読んでいる……。カールフは、犬や猿よりもずっと賢いのだ。
 ――誰!? どうやって入ってきたの? 気配さえしなかった。
 イリスは恐る恐る振り向こうとした。
 だが、反抗を許さぬ鋭い声とともに、首筋に短剣が突きつけられる。
「おっと。下手に動くんじゃないよ。いや、あんたにも分かるように言ってあげようか、旧世界のかわいいお嬢ちゃん」
 そして、意外にも流暢な古典語で女は告げる。祈祷や呪文の詠唱を想起させる重々しい雅語の響きは、それゆえにいっそう、脅迫の言葉を真に迫ったものにしている。
「声ヲ上ゲテハナラヌ。私ノ言ウ通リニセヨ。サモナクバ、汝ノ命ハ勿論、ソコノ女ト獣ノ命モナイ」
 革の手袋をした白い腕が、その見た目とは裏腹に、荒々しくイリスの口を押さえる。
「いいかい、言うことを聞かないと、外で剣を振り回しているお馬鹿さんたちも無事じゃ済まなくなるよ? 勘違いしてもらっちゃ困るね。あたしは、奴らがいなくなった隙を狙って来たわけじゃない。アレス君だったかしら。あの子も、あたしにかかれば、三秒であの世行きさ」
 再び現世界の言葉がそう告げる。黒いマントをまとった真っ赤な髪の女が、イリスの背後に立っている。それが誰かを知り、普段は感情を表さないイリスも恐怖に襲われた。指先が微かに震え始めた。そう、忘れもしない、ラプルスの地下遺跡で彼女たち姉妹を捕らえようとした張本人、パラス騎士団のエーマがそこに居るのである。
「不思議かい? こんなドア、何の役にも立たないよ。他ならぬパラス騎士団に追われてるんだ、せめて腕の良い魔道士を呼んで、家の周りを結界で何重にも囲んでおくべきだったろうに。それにあたしは、気配を消すことにかけてはパラス騎士団でも随一なのさ」
 イリスは悲しげな想いを、一瞬、目に浮かべた。
 ――アレス、ごめんね。お別れよ……。
 あまりにも諦めが早すぎるかもしれない。
 だが彼女の天性の直感は、自分が足掻いても無駄なことを――無駄どころか、いたずらに犠牲を増やすだけにすぎないことを――確実に把握していた。やはりパラス・ナイトは他の戦士とは次元が違いすぎる。仮に、今ここにアレスやフォーロックがいたところで、為すすべもなくエーマに倒されてしまうだけだろう。
 ――本来、私は現在の世界に居てはならない者。使命のために時を超えて生かされた命。そんな私のために、いま生きている誰かを犠牲にしてはいけない。
 ほんの最近のことにも思える遠い過去、あの日の光景がイリスの脳裏をよぎる。


4 イリスの決意と、エーマの憎悪



 ◇ ◆ ◇

「チエル、イリス、後は頼む。我ら《地上人》の末裔のため、時が来たら、後の世で《パルサス・オメガ》を目覚めさせるのだ。相応しくない者の手に渡る事なきよう、それまで《巨人》を守り抜け。任せたぞ。お前たちは私の誇り、きっとやり遂げると信じているよ……」
 天井が崩れ、折れ曲がっていく柱。燃え盛る炎の向こう、なぜか彼女たちの父は笑っていた。
「《さよなら》とは言わないからな。お前たちは遠い未来に再び目覚める。そのとき、私の魂もきっと側で見守っている。だからまた会う日まで、《おやすみ》と言おう」
 日頃はずっと気難しかった彼が、皮肉なことに、最後の別れの瞬間に最高の笑顔を見せた。
 ――パパ! 嫌だ、こんなの嫌だ!!
 煙に巻かれながらも引き返そうとするイリス。そんな彼女の手をチエルが引っ張った。
「駄目よ、イリス! 私たちが生き延びなくてどうするの? そのために、みんなも、お父様も……」
 何度もぐずり、決して言うことを聞こうとしない妹の頬を、チエルが泣きながら張り飛ばす。だがチエル自身も混乱してわめき、叫んでいた。姉としての責任も感じ、かろうじて正気を保っている状況だ。
「来なさい! いいから、行くわよ! 生きるのよ、早く!!」
 もはや手のつけようもないほど、火はますます燃え広がる。充満する煙の向こう、二人の娘の、長い黒髪と同じく金の髪が揺れ、やがて見えなくなった。

 ◇ ◆ ◇

 ――再び目覚めてから、ほんのわずかだったけれど、楽しいこともあった。アレス、会えて良かった……。
 イリスは悲しい決意をする。その身を犠牲にすることによって、彼女はアレスたちを守ろうとしているのだ。恐怖に震えかけていたその表情から、いつものように感情が消失する。
 ――私は、この全てを賭けてでもパルサス・オメガを守らねばならない。場合によっては、《大地の巨人》の覚醒の《鍵》である私自身の命を絶ってでも、悪の手には渡さない。
 イリスはレッケに向け、無言で首を振る。その目が訴えかけていることを、白い魔物は正しく受け止めたようである。《彼》は寂しそうに鼻を鳴らした。
 奥のベッドでは、このやりとりに気づかず、ミーナが心地よさそうに寝息を立てている。
 素直に従う様子をみせるイリスに、エーマは言った。
「そう、良い子ね。あたしは別に強盗でも山賊でもない。こっちだって、無意味な血は流したくないからねぇ。黙って着いてくれば、他の者に手出しはしない。それにあんたも、そろそろ姉さんに会いたいだろ、えぇ?」
 急に目を細め、優しげな笑みを浮かべたエーマ。
 姉という言葉を耳にした途端、イリスは過剰に反応し、声の出ない喉を絞って必死に何か叫ぼうとする。
 エーマは、白々しい作り声で穏やかに告げながら、イリスの髪をそっと撫でる。
「さぁ、一緒に来てもらうよ。姉さんも会いたがってる」
 イリスを引き立ててエーマが向かった先、なぜか家の扉が開いたままになっていた。頑丈な扉に、鍵まで掛けてあったはずなのだが。不似合いなほどの静寂と、極度に張り詰めた空気の中、夜風がそよそよと部屋に入り込んでくる。
 にわかに強くなり始めた風に、暗い情念のこもった言葉が流れゆく。
「結構な姉妹愛だこと……。ハァ? 兄弟とか、家族の絆とか、そういうのには反吐が出るんだよ。気に入らないねぇ!」
 憎しみと狂気に満ちたその現世界の言葉は、残念ながら、いや、幸いなのか、旧世界人のイリスには全く聞き取れなかった。
 なおもイリスの髪を不気味に撫でまわし、エーマは口元を歪める。
 ――大事な姉さんの次はあんたの番さ、イリス。チエル同様、涙も枯れ果てるほど可愛がってあげるから。ふふ、楽しみ……。


5 岩山に潜む、帝国軍の新型艦!?



 ◇ ◇

 地平線の彼方が白み始め、徐々に薄赤く染まりつつあっても、まだ朝日が昇るまでには少し時間がある。春とはいえ氷点下に達する朝の寒さの中、通り過ぎる風を切り裂くように、灰白色の断崖が麓の森からそびえている。
 ここはガノリス王国と隣国のアディーエ公国との間に位置する山脈である。屏風のごとく林立する切り立った岩山は、芸術を志す者にとっては格好の題材となっている。反面、旅人にとっては難所である。だが現状では、ガノリス王国に南から陸路で入ろうとする者は、眼前に広がる奇岩地帯を越えて行くしかない(*1)。
 それでもガノリスとの貿易のため、この山脈を通る旅人は後を絶たない。そこで峠越えの前に装備を調え、英気を養うための宿場として、山間の小国にすぎないアディーエも、それなりに豊かな発展を遂げてくることができたのである。

 連なる岩山のひとつの影に隠れるようにして、巨大な鋼の異物が夜明けを待っていた。それは飛空艦……だろうか? 規模からすると、飛空戦艦クラスであり、クレドールよりも一回り大きい。艦橋のそびえる本体は、左右にある短い翼も含めて見ると、三角形に近い形状である。その裏面には橇(そり)を思わせる脚部があり、大地の上でしっかりと艦体を支えている。さらに本体から前方に向け、砲台を備えた首のような部分が伸びている。その底面にも、艦を支える脚上の構造物がみられる。巨体を彩るのは主に二つの色合い――黄土の大地の色と、濃い木々を思わせる色。
 首の長い鳥が地表すれすれで羽ばたいているかのような、独特の形状をもつ船。その艦橋の窓辺に二人の男が立ち、朝焼けの外を眺めていた。
 一方は四十代、中背だが筋肉質、いかにも闘士という体格だ。おそらく無精髭であろう、あまり手入れのされていない口元と顎の髭。大雑把に後ろで括った赤茶色の髪。帝国軍の制服の着こなし方も、何やらいい加減である。男の面構えは精悍で眼光も鋭い。数々の戦いをくぐり抜けてきた、海千山千のやり手なのであろう。帝国の士官というには野暮ったく、荒々しく、むしろ山賊や海賊のボスといった風貌である。
 懐から、へこみだらけの使い古したピューターを取り出し、彼は朝っぱらから火酒をあおった。そして、耳ざわり良く響く低い声で、呆れたふうにつぶやく。
「しかしさぁ、カノン君よ。こんなんでいいのかねぇ。まだお仲間同士の顔見せすら、ろくに済んでいない状態で、いや、まだ艦に来てねぇ奴だっているってのに、いきなり実戦とはよ……。俺らって何なんだろうなぁ」
「はい、我々にそれだけ期待が寄せられているのであると、私は考えます。失礼ですが、艦長、作戦中に酒は控えていただかないと困ります。軍紀が……。なお、私はカイノンであります」
 隣に立つ長身の男が、いささか真面目くさった口調で答える。もうすぐ三十代に手が届く年代であろうが、彼の表情には、いまだ少年を思わせる初々しさが時折見て取れた。控えめながらも強い精神力をうかがわせる、鋭い目つき。多少、つり目気味だ。ひょっとすると新調したのであろうか、黒いコートの生地には仕立てたばかりのような張りがあり、襟もきっちりと立っている。剣帯の白の色も、本当に真白い。
「お堅いねぇー、カノン君は。これは酒じゃねぇ、命の水、目覚めの良くなる霊薬さ」
 艦長と呼ばれた髭の男は、取り澄ました青年の背中を親しげに叩いた。そして、不意に真面目な表情に代わり、青年の顔を見上げるようにのぞき込む。
「この仕事は手強い。頼むぜ? 我が片腕のカイノン・デミアーノ副長」
 整った顔つきだが、あまり表情豊かでないクールな副長は、声を抑え気味にうなずいた。サラサラとした金色の髪を額で二つに分けている。
「勿論です、カトローン艦長。《荒鷲》と勇猛を轟かせる艦長のもとで、こうして初めての副長の職務を果たせるとは、光栄の極みであります」

【注】

(*1) いったんオーリウムを経てガノリスに入国する方が、たとえ距離的にかなり遠回りになるとしても、結果的にずっと安全かつ容易に旅ができる。だが、紛争の絶えない両国の関係は近年ますます悪化しているため、オーリウム当局もガノリスへの国境をそう簡単には開かないのが現状なのである。


6 プロジェクト・ゼーレム



「俺と同じ船に乗ってみて、光栄というより、呆れたんじゃねぇか。噂のライ・ド・ランツェローといい、俺といい、この艦はヤクザもんが多いぜ? 君のようなヤツが、しっかりと手綱を握ってくれねぇと困る」
 酒臭い顔をすり寄せ、艦長はデミアーノ副長と肩を組んで豪傑笑いをした。ただの酔っぱらいの親爺のようだが、この男、エスカリア帝国の飛空艦隊の中でも、常勝不敗といわれるほどの勇将であった。そんな彼、アルトリオ・ド・カトローンが主力艦隊から外され、新たに一特務部隊の長とされたときには、帝国軍人の中でもちょっとしたニュースになるほどであった。カトローンは優秀だが、服務態度にあまりに問題があったためではないか、と。だが実際には、勿論、左遷ではない。彼は――帝国軍の今後の新兵器開発の鍵を握る大いなる野望のため――そう、《プロジェクト・ゼーレム》の最終的な実地試験のために抜擢されたのである。
 そして、帝国軍の最新技術を惜しみなくつぎ込んだ新造艦《アプゾルス》が、彼らの任務のために投入されたのであった。


【続く】



 ※2007年11月~12月に鏡海庵にて初公開
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謎めいた記憶、ルキアンは何者!? 第36~第39話まとめ版追加

連載小説『アルフェリオン』まとめ読みキャンペーン、今晩は第36~39話分を追加しました。目次からお入りください

ルキアンがエクターになることをようやく決意する「繰士の誓い」の回や、ファルマス様の「天才」の一端と相変わらずの天然悪役ぶりが発揮される「微笑と非情」前後編の回など、今回も見所が多いです。

これまで物語の舞台は主にオーリウム王国でしたが、このあたりからガノリス王国でもストーリーが動き始めます。

ガノリスに進駐した帝国軍側のキャラもついに登場。
おまけに怪しげな疑似パラディーヴァのようなものまで開発している様子。
帝国軍に制圧されたガノリスでなおも抵抗を続けるレジスタンス、ロスクルス隊長も登場です。そして以前に登場した謎の組織「鍵の守人」とグレイルが接触します。

そして、ルキアンは一体何者!?という怪しげな描写が出てきます。
ルキアンって、物語の初期には平凡な少年でしかなかったですが、実の両親は誰か分からず養親のもとで精神的に虐待されながら育ったという事実が、次第に明らかになってきましたよね。幼い頃から苦労を重ねてきたルキアン…。
しかし、30話台に入ってくると、養親に引き取られる前のルキアンの記憶が部分的に登場します。幼い頃に姉(あるいは姉貴分?)のような子がいたという話です。さらには、幼少時の記憶が大幅に欠落していることが明らかになってくるんですね。
ひょっとして記憶を操作されてるのでは? ルキアンって、本当は何者なんだ?という疑問が色濃くなってきます。

近日中に追加予定の40話台のまとめ版に入ると、ルキアンの怪しさがさらに…。
「盾なるソルミナ」のあたりで、怪しさ爆発です。
こいつ一体何者なんだという。

ともあれ、いよいよ、まとめ版もあと9話で最新話に追いつきます。
かなり大変でしたが、もうすぐ第1話から最新話まで一気に読める状態が整いますね。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第39話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 天才vs奥義? ヨシュアンの切り札



 ◇ ◇

 日没後しばらく経ち、オーリウムにも夜が訪れた。王城の丘の向こうに広々と続く森、そのただ中に開けた小さな草原も、木々の作り出すいっそう濃い闇に取り囲まれていた。
 所々に立つ黒い影は、かつてこの場所にあった建物の名残である。崩れた壁の一部が石碑のように立ち、草むらから顔を出す。穏やかに降り注ぐ月の光が、それらの石造りの遺構をおぼろげに浮かび上がらせていた。
 夜の森の光景は、眼前で続いている激しい戦いには不似合いなほど静謐であった。暗がりに煌々と輝くのは、ファルマスが天空を指してかかげた剣だ。いま、この瞬間も風の精霊の力が刃に次々と集まり、火花のごとき霊気の閃きを放つ。
「何か言い残すことはないかな? ヨシュアン団長」
 輝きを増してゆく魔法の光に照らされ、ファルマスの緩んだ口元が見えた。
 返事はない。ヨシュアンの影は多少ふらついているようにも見える。先ほどの炎の魔法で受けたダメージが意外に大きかったのだろうか。うねった長い髪が正面に垂れ下がり、彼の表情は分からない。
「本物の剣士をなめるなよ、ファルマス……」
 ヨシュアンが頭を振った。夜風に吹かれ、顔にかかっていた髪が脇に流れる。不敵な笑みが見えた。なぜか彼は背後に下がる。これでは、剣の届かない間合いに自分から出て行くようなものだ。かといって魔法を避けるにしては、この程度の距離を取ったところで意味がない。
「あらゆる武術において一流である反面、超一流の域に達したものは何もない。それが貴様の弱点だ。要するに、何でもできるが《奥義》をひとつも持たない。それは達人同士の戦いでは致命的となる」
 ヨシュアンは腰を落とし、剣を担ぐような不思議な姿勢で構えた。
「問題は技の数ではなく、技の質なのだ。剣にせよ魔法にせよ、《奥義》というのは通常の技とは次元が違う。普通の技をどれほど集めたところで、真の奥義には通用しない」
 だが彼の言葉を受けても、ファルマスは相変わらず無邪気に微笑んだまま表情を変えない。むしろ今まで以上に心底楽しそうに笑っているようだ。
「おやぁ? やっと団長もお喋りになったね。そうそう、楽しくやろうよ。でも残念! せっかくの楽しいひとときも、これで終わりみたい……」
「あぁ、終わるのは貴様だがな」
 ヨシュアンの目が光った。野獣さながらの雄叫びを上げ、彼は今まで以上の巨大な闘気を解放する。近づけば弾き飛ばされそうな勢いで、渦巻くように、体中から底知れぬ強さで戦いのオーラが立ち昇っている。相当の大技、いや、奥義を繰り出すつもりなのだろう。
 対するファルマスは、何の動揺も際だった反応もみせず、単に目を細めただけだった。

 そして――かすかな笑い声と共に振り下ろされる剣。

 閃光が周囲の森を飲み込む。爆風のごとき気流によって木々は倒れ、あるいは折れて吹き飛ばされてゆく。竜巻が通り過ぎたかのように、あたりは一瞬で破壊の渦に巻き込まれた。


7 子猫とリーン



 ◇ ◇

 エルハインの王城は広大である。城の本来の敷地自体も大きいが、その周辺にある森にも、庭園や練兵場、馬場などは勿論、城の別館などが点々と存在する。それらの部分も含めると、都の北にある丘陵一帯がすべて王宮の延長であると言えなくもない。
 王宮の東館の庭に流れる小川の一本を辿って歩いてゆけば、やがて城壁にぶつかる。その城壁の扉を抜け、いったん裏側に回ると、城壁に隣接して建つ古めかしい建物の前に出る。ここが、いわばレグナ騎士団の詰め所である。ツタに覆われた石造りの強固な外観は、鎧兜に身を固めた騎士たちが戦いを繰り広げていた、かつての時代を彷彿とさせる。王城の本館が《城館》あるいは《宮殿》とでも表現すべき、王の住まいとしての華麗な建造物であるのに対し、この建物は文字通りの戦闘用の《城》という様相である。実際ここは、オーリムが王国として統一される以前の戦乱の時代から存在していた、王城の中でも最も古い部分のひとつなのだ。
 その詰め所に向かって、近衛隊の騎士と思われる二人が城門から出てくる。一方は、無駄のない細身ながらも肩幅のある、引き締まった体躯をもつ男。他方は若い女のようだが、月明かりに浮かぶ影は、何か長いもの――大きな弓をもっている。
「見回り、お疲れ様でした。ジェイド隊ちょ……いえ、すいません、副団長」
 弓を持った女性、レグナ騎士団のリーン・ルー・エルウェンは、大儀そうに頭を下げた。
「どうした。声が少しかすれてるぞ。風邪でも引いたか?」
 できの悪い部下ほど可愛いというわけでもなかろうが、副団長はリーンの方を心配そうに眺めている。
「いえ、大丈夫、です。私、ちょっと裏で用事があるので、それでは。お疲れ様でした」
「お、おぅ。また例のヤツらか? 気をつけろよ、もう暗いから。おいおい、そんなに慌てて、転ぶなよ!」
 詰め所に続く道から枝分かれして、奥の林へと伸びる小径。そこを駆けていくリーンの背を目で追いながら、ジェイドは苦笑した。
「しかし、暗いから気をつけろだの、転ぶなだのと、これが機装騎士に対して言わねばならん言葉か。困ったものだ……」

 ランプをかざしながら、林の中の真っ暗な道を進むリーン。
おそらく植林されたものなのであろう、適度に間隔を空けて立つ木々の間に、満月の明るい光が上から降ってくる。風に木の葉がサラサラと揺れる音が、微かに聞こえる。静かだ。
「こんばんは」
 彼女は急に立ち止まり、親しげに挨拶した。周囲には誰もいない。
 不意に、足元で子猫たちの鳴き声がした。
 武装したリーンは、動きづらそうにしゃがみ込み、話し始める。
「見回りで遅くなってしまいました。ごめんね」
 彼女は子猫の一匹の頭をなでる。おそらく兄弟なのであろう、似たような小さな虎猫が4匹、甘えた声をたてながらリーンの手や足元にじゃれついている。
「今日もまた失敗ばかりで、副団長に怒られてばかりでした。みんなは元気だったかな?」
 あまり抑揚のない、呑気だが明るくもない声で、彼女は子猫たちに声をかけ続ける。
「リーンはですね、大事な眼鏡が割れちゃった。どうしよう……。今月のお休みに、新しい服を買うはずだったのに。お金、無くなった」
 勿論、返事があるはずもない。暗闇で一人、ぶつぶつと話し続けるリーンの姿はかなり奇妙であった。動物に声をかけているわりには、変に丁寧な言葉づかい。そのくせ、ぶっきらぼうな口調。
「いいんだ。支給される騎士団の服があれば、私服はいらない。別に誰に見せるわけでもないし」
 子猫は平和そうな顔つきで、リーンの指を舐めている。
 その一匹を抱き上げると、彼女は不慣れな手つきで頭をなでた。
「みんなのお母さん、今日も迎えにこなかったね」
 リーンは子猫を地面に降ろすと、名残惜しそうに背を向け、城の方に続く道に一歩踏み出した。
「さびしいね……」
 黒髪が夜風になびいた。
 機装騎士、あるいは射手というには、意外にほっそりとした背。
 月光を反射してつやつやと光る黒髪が、一瞬、不思議な金色の輝きを放ったように見えた。いや、目の錯覚だろう。
 髪の間から、少し尖った耳が顔を出している。
 とぼとぼと歩き始め、詰め所に帰って行くリーン。


8 秘剣炸裂! ファルマス、まさかの敗北!?



 ◇ ◇

 剣に宿らせた風の精霊たちの力をファルマスが解き放ったとき、ヨシュアンも己の闘気のすべてを込めた剣をその豪腕で振り下ろした。二つの激流がぶつかり、あるいは二匹の竜が身をくねらせ咬み合うかのように、両者の放った攻撃が真正面から衝突する。周囲の地形が変わってしまうのではないかと思わせるほど、地を裂き、木々をなぎ倒し、夜の大気を振るわせる。
 次の瞬間、森は再び静まりかえったかと思うと――なおも、いくつかの大木がメリメリと音を立てて倒れた。土煙や草の葉の破片が暗闇に舞っている。
 やがて月明かりのもと、剣を手に立つ二人の姿が浮かび上がった。双方とも凍り付いたかのごとく、身じろぎもしない。
 しばし睨み合いの続いた後、ファルマスが口を開いた。よく見ると彼の額には血が流れている。
「さすが王国一の剣士、だね。剣圧によって、離れた敵を斬るなんて、英雄物語に出てくる作り話だと思ってたけど。本当にできるんだ……」
 先ほどまでとは違い、今度はファルマスの方が苦しげな様子だった。息も絶え絶えという話しぶりである。
「僕の放った疾風の刃が団長の技で打ち消されたばかりか、逆に僕まで斬られちゃったかな? 避けたつもりだったんだけど、さすがに、完全にかわすのは不可能だったみたいだね。あ、あれぇ……?」
 突然、ファルマスは吐血した。彼の胸部にも傷が開いているのか、裂けた服の生地が、じわりと赤に染まる。自分でも意外だと言わんばかりの顔で、ファルマスは珍しそうに自身の血を眺めていた。
 ヨシュアンの足元からファルマスの方に向かって、地割れのようなものが生じていた。それがヨシュアンの放った攻撃の跡だ――卓越した剣士が全身の気を剣に込め、振り下ろすことで生まれる究極の一撃。離れたところにいる敵でさえも、その剣圧によって、かまいたちのように切り裂くことができるという。
 油断無く、再び剣を構えるヨシュアン。彼は低い声でつぶやいた。
「どんなに無敵の剣士であっても、魔道士の魔法に正面から立ち向かってはかなわない。それゆえ昔から剣士たちの間では、魔法使いと戦うための奥義が編み出され、密かに伝承されてきているのだ。今の斬撃のように。俺が魔法を使えないことに油断して、下手に魔法を使ったのが命取りになったな、ファルマス。剣での戦いを続けていたならば、剣と同時に拳や蹴りを自在に使いこなせる貴様にも、勝機があったかもしれんのに……」
 白いシャツに滲む血。胸を押さえつつ、引きつった荒い吐息を混じえながらも、ファルマスは不敵な口調で答える。
「なるほどね。僕が技におぼれたって言いたいのかな? 凄かったよ、今の攻撃は」
 この期に及んでファルマスはニヤリと微笑んだ。
「――ちょっと、痛かったじゃない」
 彼は声を震わせ、不気味に笑っている。感情の壊れている狂気の天才も、さすがに若干の怒りや動揺を覚えているのだろうか。
「でもヨシュアン団長。技に、いや、奥義におぼれたのは貴方の方だよ」
「何だと? 深手を負って、とうとう負け惜しみか」


9 卑劣な罠―微笑むファルマス!



「まぁ、聞いてよ……。もし問題の奥義というのが通常の斬り合いの状況で使える技だったなら、団長の性格から考えると、今までの戦いの中でとっくに使われていたはず。僕は今頃、奥義で斬られてあの世行きだっただろうね。そう、だから僕は予想していた。団長のいう奥義とは、もっと特殊な技だとね」
 血まみれになりながらも、へらへらと笑っているファルマスの表情は、異様を通り越して壮絶でさえある。
「で、僕が強力な風の精霊魔法を使おうとしたら、予想通り団長は、同様の威力のある奥義で応える構えを見せた。でも、それって、釣られたんだよ?」
「ほう。あれは誘いの隙だったとでも言いたげだな。そんな深手を負っておきながら、よくも言えるものだが」
 呆れた口調で言い放ち、わざとらしく鼻で笑ったヨシュアン。だがファルマスの次の言葉を聞いた途端、ヨシュアンの顔から血の気が引いた。
「アタマ堅いなぁ、団長さーん。正直に言っちゃうとさ、僕の風の魔法はとどめの一撃ではなくて、単なる《おとり》だったんだよね……。団長ほどの使い手に隙なんてあり得ない。でも隙を作ってもらう必要があった。そう、奥義に集中すれば、どんな剣士でも、さすがに他のことにまで完全に注意は行き届かない」
 いつもの無邪気な残虐さが、ファルマスの表情に戻った。
「要するに、あの瞬間に注意をそらしたんだよ。だってこんな低いレベルの魔法、普通だったら、鍛えられた剣士にかかりっこないもん!」
 彼がそう言ったとき、ヨシュアンの身体に異常が現れ始めた。
 剣を手にした腕の感覚がおかしい――血や神経が通っていないような気がする。足も重い。痺れたような、あるいは石のごとき、自分の身体の一部でない感さえある。
「体が、う、動かない? 何をした、ファルマス!?」
 ヨシュアンは両手で剣を握り、相手に向かって構えたまま微動だにしない。いや、動きたくても身動きが取れないのだ。
 ファルマスは嬉しそうに目を細めて近寄ってくる。
「ただの《麻痺》の呪文だよ。普通の人でも精神力が強ければ、この魔法をかけられたときに抵抗して、無効化することができてしまう。《眠り》の呪文なんかの場合もそうだけど、便利な反面、精神を鍛え抜いた相手には全く通用しない困った呪文だよ。でも悔しいよね? 素人どころか名剣士なのに、全く気のつかない間に魔法をかけられれば、こんな安っぽい術に引っかかっちゃうんだもん!」
「卑怯な! 風の精霊魔法がおとりだったとは、こういうことか……」
「卑怯? 頭を使ったと言ってよ。あぁぁ、そうか、魔道士が同時に二つの魔法を使うなんて、あり得ないと思ってた? だから僕、わざわざ精霊を呼び出したんだよ。精霊魔法の場合、いったん精霊を呼び出しちゃえば、あとは術の完成をいくらか任せておけるからね。そうやってできた余裕を使えば、《麻痺》のように簡単な呪文なら平行して準備することぐらいできるよ? さすがに高度な呪文は無理だけど」
 悔しさが顔中ににじみ出ているヨシュアンだが、もはや喋ることすらできなくなっている。全身を細かく振るわせ、今まで以上の憎しみのこもった目でファルマスを睨み付ける。
 ――こんなところで終わってしまうのか? 俺がいなければ、王子やジェローム内大臣はどうなる。この国はメリギオスの思うがままだ!
 平然とヨシュアンの隣まで来ると、ファルマスはにっこり笑って肩を叩いた。
「それに、風の魔法で団長を倒しちゃったら、魔法の使える者がやったという証拠を残すようなものじゃない。その点、麻痺の呪文は便利。団長が死んじゃえば、自然に効果も消えて、魔法自体の形跡は残らない……。でもそうなると、暗殺者が団長を剣で殺害したように見えちゃうね。団長に剣で勝てる人なんているわけないのに。何だかウソっぽいかな? ははは」
 無垢な子供を思わせるファルマスの顔つきが、突然、凄惨な殺人鬼のそれのように一転する。彼はヨシュアンの耳元でささやき、彼の首筋に剣を突きつけた。
「楽しかったよ。バイバイ、これで貴方は伝説になれるね」


10 ついに姿を見せた、帝国軍のゼーレム…



 ◇ ◇

 ランプの淡い光に照らされた空間。フラスコやビーカーに似た多数の実験器具や、山と積まれている書類を背景に、高さ2メートルほどの硝子作りのカプセルが部屋の中央に立っている。硝子の表面には、呪文の文字列や幾何学模様などがびっしりと刻み込まれていた。床や壁には、不気味に脈打つ触手のごときものが、おそらく儀式魔術用のパイプか何かが、縦横に張り巡らされている。
 カプセルの中には、黒い霧、あるいは影のような《何か》が封じ込められている。魔法で強化された特殊な硝子の向こう、その何かが不自然にうごめく。さながら生きているかのように――いや、本当に生きているのではないかと思われる。
 白い長衣をまとった魔道士らしき女が、不思議なカプセルの様子を観察していた。彼女は《影》の様子を目で追いつつ、手にした分厚い書類の束をめくっている。二十代後半から三十代程度であろうか、肩口でうねるようなクセの強い黒髪と、妙な色気のある厚めの唇が特徴的だった。
 彼女の後ろには、同様に白い長衣をまとった魔道士風の男が立っている。金髪をオールバックにし、細い黒縁の眼鏡をかけたその姿は、端正ながらもいささか堅苦しそうな雰囲気である。女性の方よりもいくらか年下に見える。二人は、おそらくルキアンの師のカルバのように、机上の実験やアルマ・ヴィオの開発等を主に手がける技術者的な魔道士なのだろう。
「調子は上々ね。細かい調整の余地も残っているけど、それはまぁ、これから実戦データを取りながら手を加えても遅くないわ」
 女はそうつぶやくと、眠そうな目をこすった後、大きく伸びをした。
「あとは《ゼーレム》のマスターの到着を待つのみですね、ジーラ博士」
 オールバックの眼鏡男が尋ねる。ジーラと呼ばれた女魔道士は、何か含みの有りそうな言い方で答えた。
「えぇ。《この子》のマスターになる、ライ・ド・ランツェロー君――腕だけは超一流のエクターだということは、あなたも聞いているでしょう?」
「勿論です。軍の本陣の《コルプ・レガロス》の中でも、屈指の機装騎士であったとか」
「でも、今はもうクビよ、クビ」
 側にあった椅子に座ると、ジーラは気だるそうな様子で足を組んだ。
「彼、バンネスク攻めのときに重大な命令違反をしたそうよ。知ってた、マテュース? なんでも《天帝の火》の発射を妨害しかねないようなことをしたのだとか。それって、命令違反どころか、下手すれば反逆じゃないの」
「しかしそんなことをして、ランツェロー殿は、よく無事でいられましたね」
「そこは事情があるのよ。本来なら重罰に値するけれど、なんせあの名門の生まれだし、畏れ多くも、皇帝陛下の弟君や妹君の親しい御学友様だったんだそうで。裏で色々と取引があったんでしょうね。何より、戦時のまっただ中、あれだけの技量を生かさないのは勿体なすぎる。処置に困った軍のお偉いさんは、やんちゃの過ぎる厄介坊ちゃんを、あたしたちに体よく押しつけた。そういうことかも」
 二人の魔道士は、ジーラ・ド・エンドゥヴィアと、マテュース・ド・ラムリッツである。ジーラは軍の《ネビュラ》つまり人工精霊兵器の開発に主に携わっていた研究者であり、同じく軍の研究者であるマテュースは、若いながらもアルマ・ヴィオ創造の俊才と言われていた。

 ふと訪れた沈黙。
 すると突然、声が聞こえた。二人とも喋っていないにもかかわらず、である。

 ワタシハ、ヴィア。
 テイコクノテキハ、マッサツ、マッサツ。
 ヒャヒャヒャヒャヒャ!!

 例の黒い影が、人のような姿を取り――いや、厳密に言うと少女のような姿を取り、感情の匂いのしない、乾いた不気味な声で高笑いしていた。
 カプセルの中で硝子を突き破らんばかりに跳び回る影。赤い目のようなものが二つ、薄暗い室内で光った。


【第40話に続く】



 ※2007年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第39話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 力自体に善悪はなく、使う者しだいで善にも悪にもなる。
 そんなことは私にだって分かります。
 分からないのは……
 それなのになぜ神様が、悪い人にまで
 力をお与えになるのかってことです。
 (リーン・ルー・エルウェン)

 ◇ 第39話 ◇


1 技のデパート!? ファルマスの実力



「こういうの、知ってる? 元々はナパーニアの古い剣術なんだけど」
 意味ありげにニヤニヤ笑いながら、ファルマスは手にしたサーベルを鞘に戻した。
 ――戦いの最中、抜いた剣を収めた? そして再び斬り込む姿勢……。
 少し意表を突かれたヨシュアンだが、顔色ひとつ変えず剣を構える。
 ――おそらく一撃必殺を狙った抜刀の技。初撃の速さで勝負する気か。
 剣の柄を握ったまま、ファルマスは相変わらず憎らしげに笑っている。目を細め、緩む口元。満面の笑みが完成したと同時に、一陣の風のごとくファルマスの姿が消えた。
 激しく鋼のぶつかり合う音。大柄なヨシュアンの懐に、ひとまわり小さいファルマスが踏み込んでいる。つばぜり合いの中、ファルマスがおどけた声でささやく。
「あれぇ? 今のも防がれちゃった。僕の切り札だったのに……」
 彼は残念そうな顔で言ったかと思うと、何の気配もなしに次の一撃に移った。
「なぁんて、嘘だけど」
 目を爛々と輝かせ、ファルマスはヨシュアンの方を見る。先ほどまで互いの剣を交えていた二人だが、ヨシュアンは瞬時に退いていた。
「へぇ、今のもかわしたの。すごぉい。正直、あり得ないよ」
 わざとらしく、極端に緩慢な口調でファルマスが言う。彼は右手に剣を携え、もう片方の手を、左の拳を眺めて首をかしげた。
 ヨシュアンは対照的に無表情に剣を構えている。相手を凍り付かせるような鋭い眼差しで、彼はファルマスを見やった。
「なるほど、今の打撃、ただの格闘慣れした剣士というレベルではあるまい。小細工というには過ぎた技だな……。拳法の修行でも積んだのか」
 ファルマスは大げさに拍手した。
「さすが団長! あんなに密着した状態で拳の技が来るとは、予想してなかったでしょ? でも結局、かわしちゃうんだもんな」
 その言葉が終わらぬうちに、いつの間にかヨシュアンの目の前でファルマスが笑っていた。空間を飛び越えたかのように、息のかかりそうな距離まで近づいている。
「何!?」
 ヨシュアンの剣が空を切る。ファルマスは再び間合いの外に立っていた。
「こういう特殊な足運びの技も、僕は知ってる。あ、そうそう、魔法じゃないよ。瞬間移動だって思った? で、魔法っていうのはね……」
 だが言葉の途中で、ファルマスの無駄口を剣の閃きが遮った。ヨシュアンもさるもの、同様に一瞬でファルマスとの間合いを詰め、十分な防御の余裕も与えぬまま、怒濤のごとき斬撃を次々と打ち込む。目で追いきれぬほどの速さで、豪雨のように襲いかかるヨシュアンの剣。ファルマスは一方的に守勢に追い込まれ、一歩、また一歩と退いている。
 剣技にキレがあるのは勿論、ヨシュアンは腕力も半端ではない。彼の一撃は重く、その力をかろうじて受け流しているファルマスの剣は、いつ弾き飛ばされてもおかしくないように見える。ファルマスもさすがに大きな傷は負っていないが、服の所々を切り裂かれ、かすり傷程度はあちこちに生じている。勝負が付くのも時間の問題だと思われたとき……。
「だから、団長さん。話を聞いてよ」
 目映い閃光が二人の間に走り、周囲の森を突き抜けた。両剣士の激しい闘気がぶつかり合う中、異質な気が――ほとばしる魔力が――辺りに満ちた。
 漂う煙、何かが焦げた臭い。
 足元の下草は焼き払われ、その間から顔を出す建物跡の礎石にも、表面に黒い焦げ跡が付いている。
 ヨシュアンは胸元を押さえ、微かに身体をふらつかせた。周囲のものと同じく、彼のマントにも生々しい焼け跡がある。
 彼の様子を見て、ファルマスは呆れるように笑った。
「ほらね。せっかく教えてあげようと思って、《魔法》というのは、と、親切な僕が言いかけていたのに。人の話を途中で邪魔するから……」
 ファルマスの表情から笑みが消える。
「そう、魔法というのはこんなふうに使うんだって」


2 「天才」ファルマス、力の本質とは…



 狂気の美青年は、剣を手にした右手を高くかかげた。それに呼応し、森の精気がざわめいたように思える。木々が揺れ、風が満ちる。ファルマスの刃に向かって膨大な魔力がそこかしこから集まっている。
「魔法を使う……だと? しかも剣で打ち合いながら、いつの間にか呪文の詠唱を完成させていた。いや、呪文を唱えた気配さえなかった」
 剣を握るヨシュアンの手に、さらに力が加わる。表には現れないにせよ、彼の胸の内には少なからず動揺が走っている。
「ヨシュアン団長は剣一筋だから分からないかもしれないけど、今のは、まぁ、魔道士が一般的に使う……そうだなぁ、要するに普通の炎の魔法。普通っていうのも、変な表現なんだけど。で、これから見せてあげるのが、普通じゃない魔法? この手の魔法を使うことは、魔道士よりもむしろ精霊使いの領分だからね」
 ファルマスが天空に向けて突き上げた剣を、風が取り巻く。最初はそよ風のようであったが、次第に肌を刺すような魔力をみなぎらせ、強まる気流は辺りの草や枯れ葉を舞い上がらせ始めた。
「風の精霊って、何だか僕にちょっと似てる感じがする。相性が結構いいんだよね」
 気楽そうな口調だが、時折、言葉の端々に血も凍るような恐ろしさが漂う。無邪気な残酷さを存分に発揮し、ファルマスは言った。
「ね、口で説明するより実際に見てもらった方が、やっぱり、よく分かるでしょ? 僕は天才《騎士》でもなければ《剣》の天才でもないってさ。ましてや、天才格闘家でもなければ、魔法の天才でもないよ」
 うつむきながら、彼は陰惨な声で付け加える。
「僕は、普通の人より少し物覚えがいいだけ……。何て言うのかな、物事の《コツ》を掴むのが、子供の頃から人一倍早くて。目と頭がちょっと良くできてるのかも」
 その間にも、ファルマスの剣を中心に、二人の周りに物凄い勢いで魔力が集まってくる。姿は見えないにせよ、呼び出された多数の精霊たちが、ファルマスの剣を媒介として現実世界に巨大な力を作用させようとしているのだ。
「どういうわけか僕には、どんなに速い動作もどんな複雑な技も、この目でひと通り把握できちゃうんだ。そして、この頭は、一度でも見聞きしたことは確実に覚えてしまう。それは武術に限らない。例えば一回聴いた曲なら、すぐに弾けるよ。そういえば、さっきも新しい曲を弾いていたせいで、この《決闘》に遅刻しちゃった。あはは、ごめんなさい!」
 ヨシュアンの目に戦慄が走る。修羅場をくぐり抜けてきた練達の剣士であっても、ついに感情の揺らめきが、微かだが明らかに表情に出た。
 ――そうか。ファルマスの《天才》というのは、剣や魔法など、何か特定の事柄に天性の素質を持っているという意味ではない。あらゆる技能や知識を後天的に《習得する能力》に、こいつは異常に優れている!?
「そう、その顔、いいね! やっと分かったみたいだね。でも、僕の能力の本質、ヨシュアン団長は知っちゃった。困ったなぁ。そんな大事なこと、知られたからには……」
 人を食ったような声が、ヨシュアンの脳裏に反響した。
「ごめん、消えてもらっていいよね?」
 何らの罪悪感も、憎悪や敵意の欠片も浮かべないまま、彼は、己の剣に凝縮された魔力を一気に解き放とうとする。


3 暗闇に漂うグレイル、そこに現れたのは?



 ◇ ◇

 突然に行動不能となり、夜空から森に落下していったエクシリオス。地面に激突するかと思われたとき、激しい目まいに襲われるような感覚と共に、グレイルの目の前が真っ暗になった。
 今の一瞬の記憶が欠落している。その直後、彼はどことも分からぬ闇の中にいた。
「ここは? 異世界に飛ばされたとか、そういうとんでもないオチになってないだろうな。しかし、このふわふわした、足元に何も無い感じ……」
 相変わらず呑気なマスターに、フラメアが慌てて突っ込む。
「だから浮いてるんだって! 宙に浮いてる!」
「俺たち、とうとう天国行き? 冗談……。いや、本当に宙を漂ってるぞ」
 我に返ったグレイルは、エクシリオスの機体を通じ、自分の置かれた状況をようやく理解した。アルマ・ヴィオの手足を動かしてみても、周囲に何も触れるものはない。
 一転してフラメアが真面目な口調になる。
「この場所の主は何らかの方法で重力を操っているみたいね。旧世界につながる者なら、そんなの簡単か……。ほら、お出ましだよ、マスター」
 一心同体。何も説明されなくとも、今のグレイルにはフラメアの指示する場所が分かる。彼はエクシリオスの魔法眼の暗視力を上げて確認した。
 下の方に灯りがひとつ。ランタンのようだ。光が揺れる。こちらに向かって何か合図をしているように見えた。それと同時に、徐々に沈んでゆくような感じで、この空間の底に向かって機体が引き寄せられ始める。
「降りてこいってか。拉致まがいの強引なお誘いに続いて、これまた強引な口説き方をするんだな、正体不明のお嬢様たち」
 グレイルの《目》に、女性らしきふたつの影が映っていた。だが、彼の言葉をフラメアがすかさず訂正する。
「マスター、よく見てみ。クロークを羽織っている方は男だよ。でも、あのサラサラの長髪はうらやましい。いや、あれは反則!」
「あ、あぁ。暗くて分かりにくかった。ずいぶん華奢な体型だな。で、あちらは本当に女だが……それにしても背が高い。おまけに頭は小さいときてる。いったい、何頭身あるんだよ」

 ◇

「とにかく暗くて何も見えない。どうにかしてくれ、フラメア」
 手探りでハッチを開け、グレイルがアルマ・ヴィオから降りてくる。
「明かり? 光の玉でも鬼火でも、自分で出せるだろうに。魔道士殿」
「その、何だ、面倒くさい……。そう言わずに頼む」
「やれやれ、フラメア様がいないと何もできないんだから」
 グレイルの声に応え、彼女は姿を現した。いや、実体化の度合いを高めたといった方がよいだろう。少女のかたちを借りたパラディーヴァが、グレイルの背後に浮かんでいる。うねる真っ赤な髪は炎のごとく。揺らめく火焔を思わせる、ひらひらとしたフリルのついた紅色の衣装。
「あいよ、マスター」
 彼女が指をぱちんと鳴らすと、暗闇の一点に火柱が立ちのぼり、周囲の外壁に沿って炎が走る。気がついたときには、見上げるような紅蓮の壁によって辺りは完全に囲まれていた。明かりどころの騒ぎではない。暗黒の広間は、もはや隅々に至るまでその姿を照らし出されたが……。
「あ、熱っ! やり過ぎだろ、殺す気かー!!」
 両手で火の粉を払いつつ、グレイルは足元に迫る猛火を避けて跳び回っている。
「ごめんごめん。長いこと魔法なんて使ってなかったから、調子狂っちゃったよ。かなり加減したつもりだったのに」
 フラメアが指をもう一度鳴らすと、炎の壁はみるみるうちに低くなり、火勢も弱まった。
 落ち着いて見ると、ここは思ったより遥かに広い。アルマ・ヴィオ数体が自由に動き回れるほどだ。しかも頭上に向かっては、天上が見えないほどに高く伸びている。壮大な地下空間を前に、グレイルは今更のように驚嘆している。


4 時を超え、動き始める旧世界の盟約?



 赤いカーテンさながらに、空洞を壁沿いに取り囲む炎。その輝きに照らされ、前方に例の二人の姿が浮かび上がる。その一方、ウーシオンが拍手と共に言った。
「ククク。素晴らしい。あのような巨大な炎の壁を作り出すことさえ、火のパラディーヴァにとっては、まばたきする程度のことらしいですね。それに、私たちは一瞬で炎によって包囲されてしまっている。こちらが少しでも妙なそぶりをみせれば、逃げ場のないまま猛火に焼き尽くされるというわけですか。嫌いじゃないですよ、そういう容赦のなさは……」
 クロークの裾を揺らめかせ、彼は続いてグレイルを見つめる。ウーシオンの薄い水色の瞳が鋭い眼光を帯びると、時折、銀色にもみえた。
 彼の視線に反射したかのように、グレイルの肩や首がぴくりと動いた。身体に不自然に力が入っている。
 ――魔道士? しかも、俺なんかとは比べ物にならないレベルの術者だ。視線を向けられただけでも、突き刺すみたいな力が腹の底まで伝わってくる。
 一見、どこを見ているのか分からないような、無表情でぼんやりとしたウーシオンの眼差し。それでいて、グレイルは心の深層までも見通されている気分になってしまう。
 立ち止まったグレイルの前に、今度は、すらりとした長身の美女が現れた。その背丈もさることながら、まず目に付いたのは、彼女の神秘的な色の髪だった――白銀に淡い青磁色を溶かしたような不思議な色合いの髪は、肩口まで豊かに流れ、そこで外向きに跳ねている。
「非礼をお詫び申し上げます。やむを得ぬ事情があったとはいえ、我らの《御子》をお招きするにはあまりにも不躾な真似をしてしまったことを、どうかお許しください」
 彼女は深々と頭を下げた。そして再び顔を上げると、品の良い微笑を浮かべ、右手をさしのべる。
「私はシディア・デュ・ネペントと申します。《鍵の守人》を束ねるネペント家、その長女です」
 グレイルも妙に改まって握手する。
「ガキのお守り? いや、鍵の……守人って言ったか? 何だそりゃ。ともかく、俺、いや、私はグレイル。その、グレイル・ホリゾードだ。よろしく」
「グレイル様、火のパラディーヴァ・マスター。そして、そちらがパラディーヴァ……。初めて見ました」
 シディアと目の合ったフラメアは、皮肉っぽく告げた。
「フラメアだよ。随分と一方的な招待じゃないか、ネペントのお嬢さんとやら」
「申し訳ありません。広範囲に念信を発して呼びかけては、この場所が帝国軍に探知されてしまいます。交信するあなた方も見つかってしまう可能性がありました。そこでパラディーヴァにだけ直接気づいてもらえるような、ある特定の思念波を送り続けていたのです。しかし、その方法では具体的なメッセージまでは送れませんでした」
「ほぅ。そこにいる悪そうなお兄さんを使って、あたしたちに《電波》をしつこく飛ばしていたのは、そういうわけ」
 傍らで涼しげに聞いている魔道士に向け、フラメアが舌を出すような仕草をした。
「悪そうに見えるなどというのは、とんだ誤解ですよ。私は善良なウーシオン・バルトロメア。《鍵の守人》に所属する魔道士です。よろしく。クククク」
「だから、そのクククっていう笑い声が、いかにも悪者っぽいんだってば……。ねぇ、マスター?」
 グレイルの耳元でフラメアがささやいた。わざわざ言葉にするまでもなく、しかも小声で話すという面倒なことをせずとも、パラディーヴァとマスターは心で語り合うことができるはずなのだが。当のグレイルは、つかみどころのない現状を呆れて傍観しているような様子だ。
 そんな彼に対し、シディアが真剣な表情で訴える。
「グレイル様、急かせてしまって恐縮なのですが、父があなた方にお会いしたいと申しております。一緒に来てくださいませんか? すべてはそこでご説明いたしましょう」


5 抵抗する者―我らが母なる森の祝福を!



 ◇ ◇

 同じ頃、ガノリス王国のある地方都市にて。市壁の際に始まり、背後の山へと伸びる丘陵の上から、帝国軍に接収された倉庫街が見える。壁のように連なる煉瓦造りの建物。その間を走る通りに、相当大きい人型の影が点々とそびえている。肉眼でも確認できる大きさのそれらは、汎用型のアルマ・ヴィオだ。
 木立に身を潜め、丘の上から帝国軍の様子をつぶさに観察する十数名の人影があった。春とはいえ、寒冷な気候のガノリスでは、夜になると気温は急激に低下する。彼らの服装は、その寒さに十分対応したものとなっている。森の国に似合うダークグリーンの毛織りのコートに、同色の厚手のエクター・ケープ。どことなく烏帽子を思わせる、高く伸びた黒い帽子。この特徴的な服装は、ガノリス王家の近衛隊のものだ。ただし、従来のような華美な装飾部分と、そして階級章は外されている。
 深緑のコートをまとった一群のうち、声を抑えて一人の女が言った。
「冷えてきましたね。ロスクルス様……いや、ロスクルス隊長」
 彼女はそう言ってマフラーを締め直した。赤土を想起させる色の髪は、イリュシオーネの女性にしては珍しく、耳が半分出る程度の短さにまで切り詰められている。こざっぱりとして端正な雰囲気を醸し出しているものの、冷たい夜風の中では寒そうにも感じられる。
 ロスクルスと呼ばれた者――彼女の隣にいる男は、対照的に長い藤色の髪を風になびかせている。精悍な横顔が、雲間に見え隠れする月光に照らし出された。すでに若者という年齢ではなく、30代も後半くらいのようだが、気勢の衰えなど一切感じさせない若々しさだ。
 彼こそ、近衛隊最強の十人の機装騎士《デツァクロン》の一人、レオン・ヴァン・ロスクルスである。帝国軍によって王が焦土と化し、各地の主要都市や城塞が陥落した現在、事実上崩壊した正規軍に変わり、なおも彼はレジスタンスを組織して抵抗を続けていた。
「そう、冷えてきた。それに見よ、月も厚い雲間に隠される……」
 厳かな口調でロスクルスがつぶやく。感情の匂いの無い、あくまで静かに染み通る、凍てついた夜気を思わせる響き。それでいて、彼の声には圧倒的な力強さがある。
「帝国の者共には、ガノリスの夜の寒さはいささか厳しかろう」
 彼が目を閉じると、長い睫毛がひときわ目立った。切れ長の目を再び開き、彼は射るような眼差しを帝国軍の部隊に向ける。
「去るがよい。そう、貴様たち帝国の兵は、この地に居てはならないのだ」
 ロスクルスは音もなく立ち上がり、背後に姿を消した。風の中に、彼の声だけが残された。
「行くぞ。我らが母なる森の祝福を……」
 彼と同じ言葉が整然と復唱された――《我らが母なる森の祝福を》と。
 丘の木立の背後から、数体の汎用型アルマ・ヴィオが立ち上がる。
 他方、市内に続く道に集まった別の人間の一団もあった。近衛隊とは違う風体の男が先頭に立っている。無精髭が目立つものの、彫りの深い精悍な面構え。使い古しの穴だらけのマントと、縮れた黒髪が風に揺れている。一見、野武士か山賊を思わせる無頼の中年男にして、同業者の間では知らぬ者のない冒険者だ。
「いいな、奪うべき武器と食料の内容は打ち合わせの通りだ。残りの武器・弾薬・食料は、とにかく奴らが二度と利用できないよう、すべて投げ捨てるか焼いてしまえ!」
 そう指図するが早いか、彼は赤茶けたマントを翻し、小銃を手に駆け出す。
「ヨーハン隊長に続け、遅れるな!!」
 残りの者たちも後を追い、夜の闇に紛れていった。


【続く】



 ※2007年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第38話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 アレスとイリスに迫る、エーマの影



 すると、後ろで拍手が聞こえた。
「やるじゃないか、アレス。それだけ使えれば、少なくとも剣士としては一人前だ」
「あ、フォーロックさん! やっと帰ってきたか。遅いからミーナさんが心配してたぞー」
 にっこり笑って握手するアレス。
 だが、お互いの手も離さぬうちに、アレスは心配そうな顔でフォーロックの方をしげしげと眺め始めた。
「疲れてるのか、フォーロックさん? 何だか昼間よりも顔がちょっと暗くない?」
「……そ、そうか。込み入った仕事の話で、気が滅入っちまったのかもな。気を使わせてすまなかった」
「ふぅーん。俺も難しい話は苦手だし、分かるような気がする」
 そう言ってアレスが練習を再開しようとしたとき、フォーロックが思い出したかのように呼び止めた。
「ちょっと待った、アレス。お前、突きに入る前に、わずかだが動きにいつも変なクセがあるぞ。手練れの相手には、あれだとすぐに読まれちまう」
「へぇ、そうなんだ。俺、剣の基礎ぐらいは父ちゃんに習ったけど、後は勝手に考えてやってたから。なんだっけ、自己流ってやつ?」
 答えるよりも早く、フォーロックは先ほどのアレスの練習をまね、手本のようにやって見せた。アレスとは比較にならない、自然で素早い身のこなしだ。
「こんな感じかな。ほら、やってみな」
「……って、ひょっとして教えてくれるのか?」
「あ? まぁ、構わないぜ。夕食が待ってるから、少しだけだぞ」
 目を輝かせて頷くアレス。フォーロックは周囲を見回している。
「二人で稽古するには、うちの庭じゃ狭いな。あぁ、あそこでやろうか」
 彼は家の裏を流れる小川の方を指さし、アレスを誘った。

 ◇

 そんな二人の様子を、遠くの木の陰から見つめる者がいた。
 すでに夜風と呼んでもよい、ひんやりとした空気の流れに、長い髪が揺れている。暗がりの中では黒っぽく見えるが、実際には赤だ。真っ赤に染めた髪……。
 黒のマントが風に吹かれるたび、その下から薄闇に白い肌が浮かぶ。夜気に晒した両の腕と脚は、女性のものだ。ヴェストと短いスカート、ブーツ、二の腕より下の部分を覆う長い手袋、すべて真っ黒な革製の衣装を身につけている。
 一見、彼女は、無造作に木にもたれかかっているだけのようだ。しかし、それでいて気配を完全に消していた。姿が見えないのではない。たとえ視界に入ったとしても、見えていることを相手に感じさせないのである。普通の人間にできる芸当ではないが、あのパラス騎士団の一員にとっては――中でも隠密行動を得意とするエーマにとっては――ごく簡単なことにすぎない。
 畑道を歩き、小川の岸辺に降りてゆくアレスたち。彼らの姿が小さく見えなくなるまで、エーマは鷹を思わせる視力で追った。
「おいしい話に飛び付いてみたものの、捕まえた獲物が可愛くなって、こっそり隠れて飼うことにしたっていう? そこそこ腕の良い便利屋だと聞いていたけど、こんな甘ちゃんだったとはねぇ」
 こぢんまりとしたフォーロックの家、窓の奥に淡い灯りが点っている。絵本に出てきそうな穏やかな眺めだ。そんな平穏な空気を切り裂くように、シャドー・ブルーの瞳から鋭い視線が走る。エーマは口元を緩め、声を立てずに笑った。
「ま、情が移ったかどうかには関係なく、あの子たちを見つけて連れ帰った時点で、あんたの役目は終わってたのさ。お馬鹿さん……」
 酷薄そうな細い唇を染める、鮮血のごとき紅色のルージュ。
 舌なめずりした後、彼女は動いた。いや、一瞬で視界から消えていた。


7 開かれる記憶の扉? 夕闇の幻想…



 ◇ ◇

 それぞれの夕空。
 残照の果てに馳せる各々の思い。
 だが誰にでも同様にやがて訪れる――夜。

 アレスがフォーロックに剣の手ほどきを受けていた頃、なおもルキアンは同じ場所に立っていた。クレドール最上層の回廊には、いつの間にか、もう誰もいない。ランディも下に降りていってしまったが、酒の臭いが微妙に漂う。
 ガラスの向こうをぼんやり見つめるルキアン。銀髪の少年は手すりに両手を乗せ、細い顎を支えている。正面の景色に残るほのかな明るさに意識を奪われ、自らの周囲がすっかり暗くなっていることにも気づいていないかのようだ。
 いや、むしろ暗がりが心地よいのであろうか。回廊の奥、天井、足元、いたるところに夜の影が静かに迫っている。だが、いつもと違い、ルキアンは闇の奥底に何も感じなかった。
 ――おかしいな。こうしていても、リューヌをほとんど感じない。
 彼は周囲の暗闇を見渡してみた。そのような即物的な方法で探しても無駄であると知りつつ。
 ――まだ《回復》していないのかな。ずっと眠ったままみたいだ……。
 ルキアンは自分自身に問うてみた。
 ――もしリューヌがいなくても、僕は戦えるのだろうか? 今日だってリューヌがいなければ、僕は死んでた。いま、ここに、こうして立っていることもあり得なかった。
 そう考えると心細くなったルキアン。不意に、昔どこかで同じような気持ちを感じたことがあったと彼は思った。いや、思い出したのだ。彼の忘れていた記憶を、夕暮れが微かに呼び覚ましたのである。
「そう、夕暮れだ! 何で、これまで一度も気づかなかったんだろう?」
 空っぽの廊下にルキアンの独り言が響いた。
「今みたいに、もうすっかり暗くなった夕方、心細い気持ちで歩いていたとき……。ずっと昔、いつ? 思い出せないほど前、僕が本当に幼かったとき?」
 彼の口から、途切れ途切れに言葉が漏れる。
「そのとき、僕は……。僕は、そのとき……独りでは、なかった?」
 はっきりとしたものが何もない、黄昏色の虚ろな記憶の中に。
 隣に誰かがいる。
 小さな手を、しっかりと握る、もうひとつの小さな手……。
 失われた幼き時代。ルキアンは無意識に懐に手を差し込み、例の子豚のぬいぐるみに手をふれようとした。そのとき。

「いけない」
 突然、通廊の向こうから声がした。
 ルキアンは驚いて大声を上げ、尻餅をついてしまう。
「それ以上、思い出してはいけない」
 硝子の鐘の音色を想起させる、透き通った少女の声が静寂を貫いた。
「エルヴィン?」
 寒気を感じながらルキアンは名を呼んだ。
 逢魔が時をさまよう、現世(うつしよ)ならぬ者のごとき、白いドレスの少女。普段以上に巨大な霊気のうねりをまとい、エルヴィンがルキアンの前に立っている。
 ――なんて霊気の強さなんだ。人間とは思えない。
 ルキアンが身動きできず、身体をこわばらせていると、エルヴィンは青白い手をすぅっと伸ばした。
「な、何を?」
 出し抜けに、頬に痛い感触を覚えたルキアン。
 つねっているのだ、エルヴィンが。
 無表情にルキアンの頬をつまんだまま、彼女は言った。
「まだ思い出しては駄目。ものごとには、そのために予め定められている《時》がある」
 漠然とした夕暮れの思い出に残る、手のぬくもり。それが再び記憶の淵に沈もうとしていたとき、ルキアンは別の新たな感触を手に感じた。
 手を握っているのはエルヴィンだった。
 声にならない叫びを上げ、ルキアンは身震いする。冷たい。単に、あるべき体温の暖かみが感じられないのではなく、明らかに冷たかったのだ。
 彼女はルキアンを引っ張って促す。
「帰りましょ。こんな時間に、そんな気持ちで、こんな場所にいると、戻ってこれなくなるかも……」
 薄気味の悪さと何とも言えない胸の鼓動を感じながら、ルキアンは黙って従うのだった。


8 「怪電波」を辿るグレイルたちだが…



 ◇ ◇

 夜の暗闇に広がる木々の海。その上空に、アルマ・ヴィオらしき影がひとつ、ぽつんと浮かんでいる。月明かりを反射し、硬質な冷たい光を放つ羽根。同様の堅牢な質感をもつ身体。節くれ立った手脚。その姿は甲虫が羽ばたいているかのようだ。それでいて、ハサミの付いた巨大な腕をも備えた様は、カニやエビのような甲殻類を連想させる。
 だが、この機体の全体的な形状は、昆虫型や魔獣型のアルマ・ヴィオではなく、人間を模した汎用型のそれに近い。人ではなく、人に似た妖魔をモデルにしたものであると表現する方が恐らく正確なのだろう。これこそ、異形の姿ゆえに、それ以上に恐るべき性能ゆえに、旧世界の時代に《魔界の重騎士》と呼ばれていたアルマ・ヴィオ――エクシリオスに他ならない。
 その乗り手であるグレイルは、現在、広大なガノリス王国をフラメアの指示に従って移動していた。漆黒に塗りつぶされた森林地帯が、ひたすら続く眼下の光景。まだ宵の口なのだが、人家の明かりは見当たらなかった。こんな場所に大きな街などなく、村や集落さえ、ごく希にしか存在しない。アルマ・ヴィオの魔法眼の暗視力によっても、闇の中に続く広漠とした木々の絨毯が見えるのみである。
 ――それにしても、本当に同じような景色ばかりだな。一面に木、木、木……。しかも夜だろ。《場所》が確実に分かるのか? そもそも、人なんて本当にいるのか?
 いい加減に飽きたという様子で、グレイルが尋ねた。いや、尋ねるというよりも、単に《思った》だけかもしれない。それに対し、もう一人の自分が自分の中で思考するかのように、パラディーヴァの声が心に浮かんでくる。
 ――大船に乗ったつもりでフラメア様に任せなさい、マスター君! ほら、感じるわよ、怪しい呼び声がザワザワだわさ。おまけにこの思念波、何かの力で増幅されているみたい。
 ふざけた調子でフラメアが答えた。
 ――《こいつ》ねぇ、ずっと前から、こうやって夜空に《電波》を送ってくる。誰なのかは分かんないけど。
 ――何だそりゃ……。お星様の世界と交信ってか?
 ――違うよ、マスターじゃあるまいし。どうやって知ったのか、あたしたちパラディーヴァにしか分からない特殊な波長の思念を、この辺りから広範囲に飛ばしてる。偶然ではあり得ない。旧世界の関係者様だってことは間違いないよ。敵意は伝わってこないし、むしろ歓迎されてるみたいかな。でも、向こうの正体を突き止めるまで油断は禁物ね。
 とはいえ、仮にも魔道士の端くれであるグレイルにすら、霊気の波動やテレパシーのようなものは何も感じられない。いまだ彼は半信半疑だ。
 ――大丈夫なんだろうなぁ。それ、ただの危ない人じゃないのか。
 ――あんたが言う? 電波の主、ひょっとしてマスターの同類かもよ。ふふふ。
 ――どういう意味だ! いや、待て。今のは……。
 何の前触れもなく、グレイルも変化を感じた。周囲の空よりも冷たい、ふわりとした空気の層を突き抜けたような感覚。いや、それは物理的な感触ではなく、霊的な次元で把握された印象だが。
 ――気をつけろ。何かを通り抜けなかったか。この感じ、結界?
 ――げっ、これは《そよぎのエオレウス》、偏向性閉鎖歪空間……。
 フラメアが素で慌てたのと同時に、突然、下方の森一帯が赤い光を放った。
 ――何だよ、その、容赦なく怪しげなものは!?
 エクシリオスと一体化している繰士のグレイルには、身体が金縛りにかけられたように思えた。抗し難い力に引き寄せられ、機体が制御不能となり、急激に落下し始める。
 ――旧世界のバカ高い空間兵器! 今頃、どうしてこんな所に?
 ――解説はもういい、何とかしろ、フラメア!
 ――無理! ひぃぃぃ、落ーちーるー!!


9 「鍵の守人」と「御子」、ついに接触か?



 不格好にもがく姿勢で固まったまま、なおも落下してゆくエクシリオス。ぼんやりと赤みを帯びて光る森に吸い込まれるかのように、物凄い勢いで地表に接近する。
 ――油断するなって言ったヤツは、誰だーっ!
 いや、本当に吸い込まれたのだ。森の木々と衝突するかに見えたとき、《魔界の重騎士》の姿は一瞬でかき消えた。地表の不思議な光も、その直後に消滅する。そして夜の森は、何もなかったかのように静寂と暗黒を取り戻すのだった。

 ◇

「何か飛んできて、引っかかりましたかね? ククク……」
 そう言って頭上を眺めると、白と紫のクロークをまとった青年は前髪をかき上げた。彼の長い金色の髪が、滑るようななめらかさで指に絡む。そして鈍い光を放ちながら、白く細い手から流れ落ちる。
 《鍵の守人》の魔道士、ウーシオン・バルトロメアが、広間の床一面を使った魔方陣の中心に立っている。現世界の通常の魔道士には全く縁が無いであろう、見たこともない記号やシンボルが描かれ、それらが薄暗がりの中で青白く輝く。魔法陣の円周に沿って連なる文字列は《力の言葉》、すなわち呪文であろう。その文章は荘重な古典語で記されている。だが、これまた現在の世界ではもはや使われていない、失われた表現や語彙が目に付く。
 しかも無数のケーブルが天井から床へと垂れ下がっている。地下室らしき、窓の無い箱の中のような広間。その壁や天井のあちこちには、明滅する光の玉と共に、時計や何らかの計器を思わせる不可思議な装置が埋め込まれている。同じく壁際には、人の背丈ほどもある正体不明の機械が並び、静かではあれ、ファンの回るような音を立てて作動していた。
 魔法と科学の融合――これは旧世界の科学道士の用いた高度な儀式魔術の類であろう。表面で小さな光が星屑のごとく明滅する丸い装置を、ウーシオンは片方の掌に乗せていた。普通のリンゴ程度の大きさである。その奇妙な物体は、数本の細いケーブルで床や天井とつながっていた。彼は古典語の呪文を何度か唱えた後、ケーブルを一本一本外してゆく。ビロード風の生地で出来た黒い巾着の中へ、ウーシオンは謎の球体を大事そうにしまい込んだ。
「まずは《御子》の一人目をご招待。それに炎のパラディーヴァのお嬢さんですか。クククク、賑やかになりそうです……」
 やがて部屋の灯りが消え、美しくも不気味な青年魔道士の笑い声だけが残された。


【第39話に続く】



 ※2007年9月~10月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第38話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 あまりにも早すぎた勇者の死。
 残されたものは、ただひとつ。絶望だけでした。
 それでも私たちは
 背負いきれぬ全てを代わりに背負うしかありませんでした。
 英雄ではない、この身に。

 ◇ 38話 ◇


1 癒し手ルヴィーナ、不治の病との闘い



 エルハイン城の広大な敷地の外れ、点在する池や小川のような水路に囲まれて、王宮の東館が建っている。真白い壁に煉瓦色の屋根をいただいた姿は、こぢんまりとまとまった可愛らしいたたずまいである。王子や王女の住む宮殿であり、少なくとも表面的には浮き世の政務とあまり関わりのない場所であるせいか、城内の他の区域とは違った牧歌的な雰囲気も漂う。
 建物の端の方には、時を経て色褪せた空色の屋根をもつ、小さな塔が見えた。タマネギ型のその屋根は、細い塔が帽子を被っているかのようにも見えて面白い。多分、館に付属する礼拝堂のものと思われる。今日のような晴れ渡った日に塔に登れば、鳥の目でエルハインの街並みを俯瞰できるのみならず、郊外の田園地帯の果てに夕日が沈んでゆくところさえ、手に取るように眺めることができるだろう。

 そうした絶景を楽しめるはずの場所で、一人、溜息をつく者がいた。
 最上層に開いた窓のところに人影が――この塔の屋根と似た淡い空色の髪の女性の姿が、見え隠れしている。オーリウム人には比較的珍しい、クセのないサラサラとした真っ直ぐの髪質だ。
「どうして駄目なのかしら? あと少し……。たぶん、呪文のこの箇所さえ適切な文言に置き変えれば、効果が現れるかもしれないのに。いつも、あと一歩なのに!」
 机の上を覆い尽くすだけでは足りず、古びた図書が床にまでうずたかく積まれている。空色の髪の女は、今まで読んでいた本に付箋を挟むと、手近な本の山の上に乗せた。
「でもそのためには、また魔方陣の構造自体を構築し直さないと……」
 おそらく新陽暦初期の頃の文献であろう、羊皮紙を綴じ合わせた古びた本を彼女は開く。周囲には、かび臭い匂いのする巻物もいくつか転がっている。
 ここは展望のための部屋というよりも、奇妙なことだが、塔の屋根裏を利用した勉強部屋か何かのように見えてならない。天井も平らではなく、所々に太い梁がむき出しになっている。決して広くない室内は、大小無数の本であふれかえっていた。正確には、勉強部屋などというよりも――しばしばこの手の塔に籠もって研究する、占星術師や錬金術師の書斎に近い有様だと表現した方がよかろう。
 この部屋は、一応は、いや、一応どころか立派な神聖魔法の使い手である、ルヴィーナ・ディ・ラッソの事実上の《研究室》なのである。少女時代にシャリオと神殿で寝食を共にしていたということからも分かるように、もともと彼女はエリートの神官であり、特に治癒系の神聖魔法の秀才として将来を期待されていた。諸々の事情で王宮に来て《還俗》した後も、ルヴィーナは可能な範囲で研究を続けているのだ。
 彼女の研究は、近年までは、どちらかといえば個人的な知的探求という性格の作業であった。ちょうどシャリオが、王国各地の伝説やおとぎ話をヒントに旧世界の歴史を読み解こうと試みているのと同様に。しかし、身近に居る《不治の病》の人間のことを深く知るようになってから、ルヴィーナの研究の目的は変わっていった。そう、今や王宮でも数少ない王家の真の護り手であるレグナ機装騎士団長、ヨシュアン・ディ・ブラントシュトームを病魔から救うため、彼女は寸暇を惜しんで新たな魔法の考案に励むようになったのだ。

 ――ここ最近になって、ヨシュアン殿の病状が急激に悪化している。急がないと間に合わなくなってしまう。
 いにしえの呪文書を読み解くルヴィーナの作業にも、自然と力が入る。
 王国一の剣豪である堂々たる騎士ヨシュアンが、発作によって力無く倒れそうになる場面に、先日もルヴィーナたちは遭遇した。近頃、発作の起こる回数も増えている。
 彼女は部屋の中を行ったり来たり、机に向かったかと思うと、今度は立ったままで本を広げる。ときおり、床に座り込んで周囲の資料をかき回していることもある。その様子は、王女に対して学問だけではなく行儀作法をも教えている者らしくない。《研究》のことになると、格好も何も、とにかく我を忘れてしまう質なのである。普段は気品に満ちた貴婦人なのだが……。


2 いわく付きのダメっ子? リーン登場!



 落ち着かないルヴィーナ。すると、部屋を遠慮がちにノックする者があった。実際には、すでに何度もドアを叩く音がしていた。だが今の彼女の耳には入らなかったのである。
 読みかけの文献を手にしたまま、ルヴィーナは扉を開けた。
「巡回中です。お邪魔をしてすいません」
 開かれたドアの先、かつての馬上の騎士がまとったようなサー・コート風の衣装に、黒いエクター・ケープを着けた男がそう言った。この出で立ちからして、ヨシュアンと同じく、王宮を守護するレグナ騎士団の者だろう。パラス騎士団も同様の任務を負っているが、特に東館はレグナ騎士団の《縄張り》である。
 ルヴィーナより多少若い、二十代半ばの機装騎士だ。精悍な短い青の髪、何本かの前髪を額に垂らしている。やや肌の色が濃く、はっきりとした目鼻立ち。耳のところで銀色に光る輪はおそらくピアスだろう。
「これは、ジェイド殿。ここのところ人手不足とはいえ、副団長自ら見回りをなさるとは、お疲れ様です」
 本を持った手を慌てて背中に回し、ルヴィーナは軽く会釈した。
「変わったことは? 無いようですな。例の治癒魔法のご研究中ですか。いつもヨシュアン団長のために……我ら団員みな、ルヴィーナ殿には感謝申し上げております」
 ルヴィーナの邪魔をしてしまったと思っているのか、ジェイド副団長は申し訳なさそうに一礼した。彼は手にしたランプをかかげ、苦笑いする。
「その、ルヴィーナ殿、もう部屋の中はこんなに暗い。そろそろ灯りを点けませんと、目を悪くしますぞ」
 冗談やお愛想があまり得意ではなさそうな、生粋の武人という性格が、彼の堅い笑顔に浮かんでいる。
「言われてみれば……。そうですわね。調べ物にすっかり夢中で」
 そう言って彼女が上品に口元を抑え、微笑んだとき。
 突然、ジェイドの後ろの暗がりの方で、何か大きなものの転がり落ちる気配がした。副団長が振り向いた先は、塔の狭い螺旋階段である。続いて、石造りの床に金属がぶつかる響き、その他にも色々な物が投げ出され、滑り落ちたかのような音が聞こえた。
「あ、あの、今のは?」
 ルヴィーナは怪訝そうに尋ねた。ジェイドがあまり心配そうな顔つきでもないため、いずれにせよ、彼女もさほどの大事ではないと理解しているようだが。
「やれやれ……。お騒がせしてすみません」
 副団長は敢えて下まで見に行こうとはせず、慣れた調子で何かに呆れている。

 やがて誰かが階段を登ってきた。
「い、痛いです……」
 勢いよく転げ落ちたにしては、案外落ち着いた声が聞こえてくる。薄暗い影から、本人の姿より先に大きな弓が見えた。
 そっと様子をうかがうように、レグナ騎士団の黒いエクター・ケープをまとった者が、すなわち機装騎士が顔を出す。若い女性のようだ。射手の割には目が悪いのか、目を何度も細めてルヴィーナの方を見ている。
「すみません、ジェイド隊長。それに、ルヴィーネ……様」
 緩やかに波打った黒髪から、ぴんと尖った両耳が顔を出している。彼女の容姿は最初は十代の娘のようにも感じられたが、ランプの明かりに照らし出された表情は、すでに成人は過ぎている程度の年頃のものに思える。
「その、わたくし……ルヴィーネではなく、ルヴィーナです」
 小さな咳払いをした後、ルヴィーナは彼女の言葉を訂正する。どういう顔をして良いものやら、困っているようにも見える。
「失礼であろう! それに、私も隊長ではなく副団長……」
 そこまで言いかけて、ジェイドはやれやれと首を振る。
 副団長たちの声が聞こえていないとでもいうふうに、女機装騎士は自分の弓を入念に点検し、壊れたりしていないことが分かると、嬉しそうに小脇に抱えた。
「あぁ、不幸中の幸い。良かった。これは大事な大事な弓なので……」
 塗装や装飾のあまり施されていない、森の野武士の持つ弓のような素朴な作りだが、こんな華奢な女性に引けるのかと思うほどの大きな強弓だ。
 彼女は、いつの間にか手にしていた眼鏡を頭の上の方にかかげ、光に透かした。そして、しょんぼりした顔でつぶやく。
「涙です。片方、割れちゃった」
 この世界で眼鏡というものは、特にレンズは、職人の丁寧な手作業によって磨かれ作り出される貴重な工芸品なのだ。壊れたから気軽に買い換えるというわけにもいかない、とても値の張る買い物である。
「せっかく貯めたお給金が……」
 ひびの入ったレンズを残念そうに指先でつついている彼女。お世辞にも機装騎士らしいとは言えないその姿を横目で見ながら、副団長は改めて溜息をつく。


3 対峙するファルマスとヨシュアン…。



「こいつは、リーンは、あれしか取り柄がないもので。許してやってください」
 割れた眼鏡を右手でつまんだ彼女が、左手で大切そうに抱きしめている大弓。それに向けて顎をしゃくり、ジェイドは肩を落とした。
「本来、一流の射手というのは、高度な集中力をはじめ、騎士としての優れた資質を持っているものです。しかしリーンは、弓以外のことになると、何をやらせても間抜けで……。まったく、こんな機装騎士は見たことがありません」
 なおも鍵を落としただの、小銭が一枚足りないだのと探しているリーンを無視し、ジェイドの目が急に真剣になった。彼はルヴィーナに黙礼して事前に詫びた後、耳元に顔を近寄せる。
「失礼、お耳を。実はメリギオス猊下とパラス騎士団に、いよいよもって不穏な動きがあるようです。今は詳しく申せませんが、大事が起こってもすぐに動けるよう、心構えはしておいてください」
 そう告げたジェイドは、部下に呆れていた今までとうって変わって、怜悧な騎士の顔になっていた。
 ルヴィーナは恭しく頭を下げる。それは同時に、不安げな面持ちを隠すという振る舞いも兼ねていた。
「陛下やジェローム様のことも心配ですわ。もはやあなた方、レグナ騎士団だけが頼りです。ヨシュアン殿は治ります、私も力を尽くします」

 深刻な顔つきで階段を下りてゆくジェイド。すり減った石の階段は、確かに滑りやすいとはいえ――リーンが再び転びそうになり、慌ててしゃがみ込んでいた。

 ◇ ◇

 口笛を吹きながら、日没の迫る森の小径を行く一人の青年が居た。
 急に冷え始めた夜風に、ダークグレーの上着と柔らかな黄金色の髪をそよがせながら。夕闇に包まれてゆく道の先を、天真爛漫な笑顔で見つめる彼の表情は、穏やかながらも得体の知れない恐怖を感じさせる。
 美しくも狂気を秘めた横顔。パラス騎士団副団長――天才の名をほしいままにする機装騎士、ファルマス・ディ・ライエンティルスだ。
 木立が不意に開けた。
 野ざらしの白い石像を中心に、森の中にぽつんと存在する、小さな草の原。
 背後の木立の向こうにはエルハインの城がそびえている。さほど遠くはない。ここは、王城の建つ丘のすぐ裏手にある森なのだろう。
 周囲をよく見渡すと、建物の床石らしきものの名残が草の下から点々と顔を覗かせ、かつて柱を支えたであろう礎石もいくつか存在する。
 石像を挟んでファルマスと相対し、狭い野原の反対の端にも、もうひとつの人影があった。

「見ぃつけた……」
 普段よりもゆっくりした口調で、ファルマスが言う。その目は爛々と怪しい光を浮かべている。獲物を狙う、魔物のように。

 ◇

「自分から呼び出しておいて、約束の時刻をとうに過ぎているぞ、ファルマス……。さて、話とやらを聞かせてもらおうか」
 向かい側の小径から現れた男の声が、日の落ちた暗い森に響いた。茶色いマントを風になびかせ、隻眼の大柄な騎士がゆっくり近づいてくる。髭を伸ばした野性的な容貌に、優雅な金の長髪。ヨシュアン――レグナ騎士団の若き団長に他ならなかった。
 片目には黒い眼帯、もう一方の目が鋭くファルマスを見据える。さすがに王国に並ぶ者なき剣豪と言われるだけあって、静寂の中にも強烈な威圧感を漂わせる。
「いやだなぁ、ヨシュアン団長。大方の用件は分かってるくせに。だからわざわざ来てくれたんでしょ?」
 ファルマスは小馬鹿にするような顔で笑う。
 対するヨシュアンは、憮然とした表情で腕組みしている。そんな彼の姿を指さし、ファルマスが素っ頓狂な声で言った。
「睨まないでよー! ヨシュアン団長、ただでさえ怖い顔なんだから」
「くだらぬ遊びに付き合っている暇など無い。そういう態度を続けるなら、帰るぞ」
 声を落とし、ヨシュアンは汚物を見るような目でファルマスを睨んだ。
 双方とも何食わぬ顔をして、一寸の隙もない。さすがに達人同士、見事に殺気を抑えているのは分かる。が、それでも微かに漏れ出してくる怒りの気は、ヨシュアンのものだ。


4 決闘? 暗殺? ファルマスの陰謀



「あははは。怒った? ごめんね。じゃぁ、本題に入るよ」
 両手を広げ、踊るようなステップでくるくると回りながら、ファルマスが近づいてくる。
「僕も回りくどいことが嫌いだから、単刀直入に言うけど……ヨシュアン団長ってさ、もう、先、長くないんでしょ?」
 小首を傾け、片目を閉じてみせるファルマス。
「ふん。独りよがりの、相変わらずの天才馬鹿ぶりだな、ファルマス。意味不明な妄言などやめにして、相手にも明確に分かる言葉で、言いたいことをはっきりと言ったらどうだ?」
 まともに取り合おうとしないヨシュアン。
 わざとらしく何度も大げさに頷いて、ファルマスは告げる。
「実はね……。僕、これでもヨシュアン団長のこと、尊敬してるんだ。王国一の剣の使い手、いや、多分、イリュシオーネでも五本の指に入るだろうね。でも、そんな憧れの人が、じきに病の床に伏して武人らしくない最後を遂げるなんてさ、僕の美的感覚が許さないんだよ。今のあなたを見ていると可愛そう。嫌で嫌でたまらないんだ!」
 どこまで本気なのか、ファルマスは真に迫った悲しそうな顔で言った。
「団長のように英雄的な剣士は、やっぱり、伝説を残す義務があるもの。ベッドの上で死ぬなんて本望じゃないでしょう? 僕は優しいんだ。だから、憧れの団長のために考えたんだけどね……」
 そう言い終わるか終わらないかのうちに、にこやかに細められていたファルマスの目が、かっと見開かれた。何かが弾けたかのごとく、どす黒い巨大な殺気が辺りの木立を覆う。肌を刺すような、おぞましい気だ。
「《決闘》しようよ。分からないかな? 英雄としての死に場所を、花道を用意してあげようって、僕は親切に言ってあげてるんだけど」
 ファルマスの言動が常軌を逸しているのはいつものことだが、さすがに出し抜けに決闘などと言われては、ヨシュアンも面食らっているようだ。ただし《決闘》という表現自体はともかく、ファルマスの狙いを最初から予想したうえで、ヨシュアンもこの場所に来ている。
「決闘だと? 戯れ言もいい加減にしろ。はっきり、《暗殺》とでも言ったらどうだ」
 鼻で笑うヨシュアン。
「王から議会軍が離れたら、何か大きな動きが起こるだろうとは思っていたが……。なかなか尻尾を出さなかった狸たちが、こんな短絡的な方法で仕掛けてくるとは落ちたものだな。メリギオスの命令か?」
「だぁかぁらぁ、団長さん。僕の美的センスが許さないからだって、さっきから言ってるでしょ。ま、どうしても何か聞きたければ、僕を倒して力ずくで聞き出せばいいじゃない」
「そうか。だが、わざわざ話を聞く必要など無い。俺もこういう機会を待っていたのさ」
 ヨシュアンの手が剣の柄にかかる。彼も凄まじい闘気を解放したかと思うと、裏腹に淡々とした声で言った。
「貴様たちの野望は俺が潰す。生きて帰れると思うなよ……」

 突然、夕暮れの微かな残り陽に二つの剣がきらめく。次の瞬間には彼らは再び離れた。刃にかすめられた髪の毛が数本、宙を舞い、風に流されて飛んでゆく。
 剣を握る手を下げ、隙だらけの様子でファルマスが笑っている。
「うわぁ、危ない危ない。もうちょっとで死んじゃうところだった。やっぱりヨシュアン団長はすごいなぁ。あんなに鋭い斬り込み、生まれて初めて見たし、これからもたぶん見ることはないだろうね。今のは何とか受け流せたけど、次は無理かもー」
「本気でかかってこい、ファルマス。天才と呼ばれる貴様の力、実は俺も、一度は手合わせ願いたかったものだ」
 普通より分厚く重い刃のサーベルを軽々と構え、ヨシュアンが近づく。


5 謎の発言、ファルマスの「天才」とは?



「天才? 何か勘違いしてない?」
 ファルマスは、慌てて逃げるように一歩退いた。勿論、わざとだが。
「今のは本気だってば。僕の剣の腕なんて、せいぜい、あなたの剣を必死に受ける程度で精一杯だもん。それにしても、団長は世間のお馬鹿さんたちとは違うと思ってたんだけど、残念だなぁ……。僕を《天才騎士》とか《天才エクター》なんて呼ぶ人がいるけど、そんなの《不正確》な表現だから、やめてほしいんだよね。まぁまぁ、そう慌てないで、二人でゆっくり楽しもうよ!」
 今にも斬りかかろうとするヨシュアンに対し、ファルマスは無邪気に手を振っている。
「だってね、聞いてよ。僕、たまにダリオルさんに剣の練習に付き合ってもらってるけど、今まで一本も取ったことがないんだ。ラファールとも、たぶん10回やって1回勝てる程度なのかなぁ。神様みたいな剣聖ばかりのパラス騎士団の中では、僕なんて、ぱっとしないな。あ、でもアゾートさんは一応は魔道士だし、エーマさんやエルシャルトさんも、剣とは別の武器を使って戦う方が得意な人たちだから……数に入れちゃいけないか。あはは、だったら僕は、剣士としてはパラス騎士団で最弱だね!」
 気の抜けた声でぺらぺらと喋るファルマス。すぐにでも倒されそうに見えるが、実際には細かいところで巧みに距離を取ったり牽制したり、そう簡単にはヨシュアンを近寄せないのだった。
「たしかに剣術にしても、少しコツを覚えたら、すぐに上の下か上の並みぐらいの腕には達したんだけどね。さすがに本物の天才剣士と僕を比べるのは無理があるよ。じゃぁ、僕が何に優れてるのかって? えへへ、教えてほしい?」
 そこでファルマスの話が止まり、声が凄みを帯びる。
「なぁんて、ちょっと喋りすぎちゃった。口で説明するより、そろそろ、親切ついでに見せてあげた方が分かりやすいよね……」

 ◇ ◇

 珍客との会話に夢中であったミーナは、話疲れて再び横になった。彼女の側にイリスとレッケを残し、アレスは庭を借りて日課の剣の練習を始めている。
 暮れなずむ夕空。どことなく間の抜けた声で鳴きながら、鳥が群れをなして飛んでゆく。それ以外には音を立てるものもない静かな田園に、少年のかけ声だけが響いては消える。
 気合いと共に剣を振り降ろし、続いてなぎ払い、あるいは斬り上げる。鋭い突き、さらには惰力を利用して巧みに剣を振り回す。時折、蹴りも入れてみたり、背後に飛び退く動作を混ぜたりしている。雨の日も当然、いや、冬のラプルスに荒れ狂う厳寒の吹雪の中でさえ、毎晩欠かさずにアレスは鍛錬を続けてきた。日々の努力の積み重ねと、抜群の運動神経のおかげもあって、いまや一端の使い手である。
 持て余しそうなほどに立派な剣をじっと眺め、彼は一息ついている。
「父ちゃんの剣……。こんなに、ごつくて長い剣だと、実際に振り回してみるとかなり重たく感じるなぁ」
 村を出るときに母が手渡してくれた、父の形見だ。巻き貝を思わせる流麗な鍔が、まず見た目には特徴的である――優美な外見と同時に、敵の剣から手を確実に護り、受け流しもしやすいという機能性を兼ね備えている。そこから伸びる刀身は頑丈で、突くにも斬るにも向いた片刃の形状である。世界を股にかけた繰士の相棒だけあり、立派なものだ。
 普段と比べ、練習による疲労感がとても早く訪れた。だが、形見の剣を少しでも早く使いこなしたいと願うアレスは、再びそれを構える。


【続く】



 ※2007年9月~10月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第37話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



6 失われた過去の記憶、ルキアンは何者 !?



 下の階層へと戻る途中、階段の踊り場でルキアンは立ち止まる。そして、ふとポケットに手を入れた。
 柔らかな手触り。取り出されたのは、薄汚れてしまった子豚の小さなぬいぐるみ。あるいは布製の玩具。粗い縫い目は、お世辞にも上手だとはいえないが、素朴な手作りの味わいを醸し出している。
 ――僕は、どこから来たんだろう。そして、どこに向かっているんだろう?
 子豚のぬいぐるみを掌の上に乗せ、ルキアンはぼんやりと考えた。
 未来も分からないが、それと同様に、彼がどこから来た何者かも実は分からない。本人にさえ。両親も実の親ではなかった。そんなルキアンが、物心ついたときから手にしていた唯一のもの――それが、この子豚のぬいぐるみであった。

 ◇ ◇

 ルキアンの手にある古ぼけたぬいぐるみが、水晶玉にぼんやりと映っていた。薄暗い部屋の中、ランプのおぼろげな明かりが水晶の冷たい肌を照らす。
 さきほど眠りにつこうとしていた一人の女が、不意に何かを思い出したかのようにベッドから起き上がり、この場にやってきていた。クリスタルの輝きを夢うつつの目で見つめているのは、《地》のパラディーヴァ・マスター、《紅の魔女》アマリアである。
 就寝用の薄い衣の上にケープを羽織り、彼女は、机の上の大きな革張りの本――いや、ノートに掛けられた鍵を外した。
 天の啓示か、あるいは魔のささやきか。水晶玉の力を借りて、彼女は心に浮かんだ予言を分厚い冊子に書き付ける。
 羽根ペンがなめらかに文字を綴った。優雅だが、力のある筆跡だ。

  引き裂かれし二人。
  その本来の思いが、両者の邂逅によって取り戻されるとき、
  だが新たな悲劇が、たちまち二人をまた引き裂くだろう。
  再びの別れは永劫の別れとなる。
  そのとき青き淵に輝く光は潰え、憎しみの翼は羽ばたく。
  闇は解き放たれ、三つの凶星は滅びの天使を呼ぶ。

 ――やれやれ、夢の中でも未来が見えれば、さっそく書き残しておくとはの。おぬしの先読みの力も、因果なものじゃて。わが親愛なる主(マスター)は、落ち着いて眠れもせぬわ。
 暗闇の中から老人の声が聞こえた。彼自身は眠りを必要としない、人ならぬパラディーヴァだが。
 フォリオムの冗談を聞き流し、アマリアは真剣な表情で言った。
「あの少年から目を離してはならない。彼に関しては、良いことも悪いことも、我々の想像を超える早さで推移している。近いうちに、私も出向かねばなるまいな」
「分かっておるよ。リューヌもあのような状態じゃ。このままでは、ちと荒療治が必要かもしれん。お主には迷惑を掛けるが……」
 ただ、神秘的で端正な女性であるアマリアも、さすがに眠りの出鼻をくじかれては、気分がよいものではない。彼女にしては珍しく、少し不機嫌そうな――裸の感情のこもった顔つきで――つぶやいている。
「構わない。《闇の御子》は、我らエインザールの使徒の長(おさ)。彼を守護するパラディーヴァ、リューヌとやらは救わねばな。だが《封印》をいま解いてしまっては、すべては終わる。少し変則的な次善策を用いねばなるまい。それにしても、いい歳をした女の寝入りを邪魔するとは、あの少年もいささか無粋だな。いや、彼のせいではないか。彼の未来を勝手に幻視したのは、この私か……」


7 「一緒にいられれば、それだけで…」



 ◇ ◇

 正午を過ぎた後、午後2時、3時――時計の針が毎正時を指すたびに、柱時計の鐘の鳴る音も繰り返された。そして今も数度目の鐘が響いている。くぐもった音が、石造りの部分の目立つ壁や床に染み通ってゆく。
「遅いなぁ、フォーロックさん。もうすぐ日が暮れちゃうよ!」
 アレスはそう言うと、椅子に座ったまま、勢いよく伸びをした。
 食卓の向かいの席では、ミーナが申し訳なさそうに微笑んでいる。
「ごめんね、待たせちゃって。フォーロックがごちそうの材料を買ってきてくれたら、さっそく夕食の準備をするわ。もしかしてアレス君、お腹減った?」
「え? いや、俺は平気。へへ。えへへへ」
 ヤマアラシのように逆立った赤い髪をかきながら、照れ笑いするアレス。だが、間の悪いタイミングで彼のお腹が鳴った。絵に描いたようなお決まりの場面に遭遇し、ミーナも声を立てて笑う。一緒になって笑うアレスの声が、家中に響いている。
 そのとき急にミーナが咳き込み、苦しそうに胸を押さえた。
「やっぱり寝てなきゃ。無理しちゃだめだよ。のど、痛くない? 水か、お茶、飲むか?」
 心配そうに見つめるアレスに対し、ミーナは弱々しげに首を振る。
「ありがとう。でも今日は楽しい気分だから、ちょっと無理をしてでも起きていたいわ。もう大丈夫……」
 なおも数回、彼女の咳は続き、ようやくおさまった。
 二人の他にイリスも同じテーブルを囲んでいるのだが、ほとんど気配がしない。アレスとミーナの会話を聞いているのか、いないのか、もう何時間も似たような姿勢で行儀良く座ったままだ。目の前に出されたお茶とケーキにさえ、イリスはほとんど手を付けていない。
 イリスの足元では、アレスの相棒の魔物カールフ、レッケが床に伏していた。丸くなって目を閉じている姿は――額に角がなければの話だが――大きな犬に見えなくもない。ここ数日間の急激な環境の変化に《彼》もそれなりに疲れているのだろう、さきほどから眠そうな目を閉じたり開いたりしている。
 イリスはテーブルの下にそっと手を伸ばし、レッケの頭をなでた。

「でも、たしかに、ちょっと帰りが遅い。昨日もだったけど……」
 ミーナは不安げに窓の外を見つめている。もう、少し薄暗い。田園の上に広がる空の色は濃さを増し、青から濃紺へと近づいている。家の周囲の木々も、遠くの森も、黒々としたかたまりのように見え始めた。
「フォーロックったら、また真っ直ぐ帰らずに、ハンター・ギルドの人たちと飲んでるのかしら。今日はアレス君たちがいるのに、困った人なんだから」
 仕方なさそうにミーナはつぶやく。
「あの人ね、一杯だけ、一杯だけって言いながら、気がつくとビンを1本空けていたりするの……。あら? アレス君、どうしたの?」
 アレスはなぜか嬉しそうな顔つきで、黙って聞いていたのだ。
「あぁ、何でもないよ。ただ、あのさ、そうやってフォーロックさんの話をしているときのミーナさん、とても楽しそうだなって思ったんだ」
「そうかしら。そうかな。ふふふ」
 一瞬、恥ずかしそうに微笑んだ後、不意にミーナの表情が陰りを帯びた。彼女は再び目を外の風景に転じ、寂しげに言う。
「そう、楽しい……。私はフォーロックと一緒にいられるだけで、今の暮らしで本当に幸せよ。でも彼は、いつも私を《もっと幸せにする》と言ってばかり。大きな仕事で儲けて、病気も必ず治すからって。でもハンターやエクターの仕事は危険なんでしょ? 無理ばかりしていないかと、最近、特に心配なの」
 ミーナが真顔で尋ねたため、アレスは返答に迷う。困って天井を見上げている。
「そりゃ、危ないと言えば、普通の仕事よりは危ないかもしれないけど。でも、フォーロックさん、強そうじゃん! だから平気だよ。俺の父ちゃんも、冒険や戦いで怪我したことはほとんど無いとか言って、威張ってた。大丈夫さ!」
 ともかく思いつくことを並べ、彼女を安心させようとしたアレス。だが効果のほどは疑わしい。むしろ、普通は冒険や戦いの中で傷を負うことが多いからこそ、アレスの父の自慢が自慢になり得るのだが。
 ミーナは今度はイリスの方を見ながら、独り言のようにささやく。
「一緒にいられれば、それだけでいいのに……」


8 紫のフロックの男、衝撃の正体!



 ◇ ◇

「一緒にいられれば、私はそれだけで良かった。だけど、いつもあなたは、もっと遠くの方を見つめていた」
 淡い光をまとった金色の髪。そのしなやかな流れと同様に、ソーナの声もまた繊細だった。窓から差し込む夕日が、胸元の赤いスカーフの色を周囲の影から浮かび上がらせている。ほっそりとした体を包む黒い衣装。一見、彼女の眼差しは穏やかだが、その瞳に宿る普段の理知的な光は、今は感情の波に揺るがされている。
「置いていかれるのが怖かった。だから私も一緒に、遠くの同じ理想を見つめると決めた。でも……」
 外の方へ張り出した頑丈な二重窓。それを通して見えるのは、夕闇、その下に広がる平原。そして、点々と現れては消えてゆく赤い光、いや、それらは炎だった。立ちのぼる煙。多くの出城や塔を伴い、切り立った山脈のごとく延々と連なる巨大な城壁――見まごうはずもない、それは、オーリウムの誇る要塞線にして、現在は反乱軍の本拠となっている《レンゲイルの壁》だ。
「その理想のために、多くの人たちが犠牲になっている。お父様の造り上げた《アルフェリオン》が沢山の命を奪ってしまった。しかし、その手がどれだけ血に染まろうと、あなたの心は揺るがない……」
 彼女がそこまで言ったとき、背後から別の声が聞こえた。低く穏やかな響きでありながらも、確固たる意志を感じさせる。
「そう。揺らぎはしない。もし私がここで手を引いてしまったら、犠牲にした多くの命はすべて無駄になる。もはや取り返しがつかない以上、それらの犠牲に報いるためにも、私は同士とたち共に、この世界を必ず変えなければならない」
 落日が始まり、すでに室内を闇が支配し始めた。暗がりと溶け合う紫のフロック、背中まで届く藍色の長い髪。長身の男が立っている。
「ヴィエリオ!」
 すすり泣くような声を立て、ソーナは背後の影を抱きしめた。飛び込むように。
 ヴィエリオ・ベネティオール――ルキアンの兄弟子は、ソーナを優しく受け止める。彼女はヴィエリオの胸に顔を伏せたまま、声を震わせた。
「私もあなたと一緒に進む。でも、メルカやルキアンには何の罪もないのに……」
 かすかな溜息とともに、ヴィエリオは残念そうに言う。
「いや、ルキアンは……。彼には、どこか遠いところで静かに暮らしてほしかった。しかし今はもう、彼は私たちとは違う道を歩き始めている。ルキアンは《敵》になった」
「ルキアンが? それは、どういうこと!?」
 驚きのあまり、思わず顔を上げたソーナ。答えるヴィエリオの口調には、対照的に微塵の乱れもない。
「敵の戦士となった。そういうことだ。あの後も彼は《アルフェリオン・ノヴィーア》の乗り手にとどまり、エクター・ギルドの飛空艦と行動をともにしているらしい。彼自身はともかく、君も知っての通り、ノヴィーアは恐るべき兵器だ。我らの理想を脅かすほどに」
「まさか、あのルキアンが……。あんなにおとなしくて、争いを好まない人が。どうして」
 ソーナの動揺を静めようとするかのように、彼女を抱きしめるヴィエリオの腕にも、いっそう力が加わる。だがその腕のぬくもりとは裏腹に、彼の口調は氷の刃のごとく冷ややかだった。
「ルキアンにも彼自身の譲れない思いがあって、戦いの道を選び取ったのだろう。もし彼と戦うことになったとしても、私は躊躇せずに倒す……」
 ヴィエリオの物静かな横顔は、窓から差し込む残照の影となった。
 一転して、怜悧な光が瞳に浮かぶ。


9 メルカの見た悪夢、ルキアンの最期 !?



 ◇ ◇

 今度の夢の中でも――あの荒野は炎に包まれていた。

 乾いた草むらや立ち枯れた木々を舐め尽くし、風のような速さで燃え広がる火焔。みるみる勢いを増し、渦を巻いて荒れ狂う炎の様子は、あたかも自らの意志を持ち、命を宿している化け物にさえ見えてくる。
 鋼の巨人や巨獣の残骸。傷つき、血を流し倒れた兵士たち。持ち主を失い、地面に刺さったままのサーベル。うち捨てられた背嚢や小銃。
 多くの者が力尽き果てた凄惨な戦場で、見上げるように大きな二つの何かが、なおも敵意をむき出しにして対峙している。
 双方とも翼をもった、黒い影と白い影。

 両者が何なのか。両者の戦いの結末は……。
 そのすべてを《彼女》は理解し始めていた。もう何度も、この同じ場面を見たのだから。そして回を重ねるたびに、恐ろしい夢の中身は明確になっていった。

 ◇

「大丈夫ですからね。何があっても、私たちが必ずあなたを守るから」
 優しくささやくように、それでいて力強い思いを込めた言葉で、シャリオは言った。白い僧衣をまとった彼女の胸に、一人の少女が顔を埋めたままで震えている。少女の顔は見えないが、亜麻色の豊かな巻き髪とピンク色の大きなリボンから、それがメルカだと分かる。
「もう、やだよ……。こんなの、やだ……」
 メルカは、小さな手でシャリオの法衣にすがりつき、ほとんど聞き取れないほど弱々しい涙声で繰り返す。
「ルキアンが……」
 単なる夢・幻とは言い難い、抗し得ぬ現実感と明瞭さとをもつ何らかのヴィジョンを通じて、彼女には見えたのだ。

 全身を損傷し、大地に崩れ落ちた銀の天使・アルフェリオン。
 引き裂かれるように散り、風に吹かれる無数の黒い羽根のイメージ。
 そして、うつ伏せに横たわるルキアン。
 息絶えたかのごとく、彼の身体は微動だにせず、起き上がることもない。

 ◇

 どのくらい経ったのか、メルカは医務室のベッドで再び眠りについた。閉じられた目からは、なおも涙が流れ、頬を伝う。
 ベッドの傍らの椅子に腰掛け、シャリオはずっと見守る。ただ、時おり、彼女は部屋の奥の方にも目を向け、何か変化がないかと慎重に様子をうかがっている。現在、シャノンとトビーも、彼女の患者としてこの部屋で休んでいるのだ。
 音を立てぬよう、そっと近づいてきたフィスカ。彼女に向かってシャリオは頷いた。
「気持ちが安静になり、眠りも深くなるよう、薬を調合して飲ませました。でも果たして、これは薬でどうにかなる類のものでしょうか」
「えぇぇ? 薬、効かないんですか……。でもメルカちゃん、寝るたびに恐ろしい思いをするなんて、可愛そうですよぉ」
 さすがのフィスカも深刻な表情で答える。口調は相変わらず少し奇妙だが、それが彼女本来のものだから仕方がない。
 眠っているはずのメルカに遠慮するような様子で、シャリオは溜息を抑えた。
「何と言えばよいのでしょうか。彼女の繰り返し見ている《悪夢》は、疲れや不安のせいでもなければ、心の病などでもないかもしれません。端的に言えば、それがもしメルカちゃんの《力》のせいなのだとしたら?」
 フィスカは意味が分からず、首をかしげている。
 沈黙。白っぽい光で室内を照らす《光の筒》が、二人の頭上で不安定にちかちかと瞬き、また元の明るさに戻った。そろそろ交換しなくてはといった顔つきで、シャリオは天井を見上げた。そのまま天を仰ぐような目で彼女は語り始める。
「気になるのです。メルカちゃんは普通では考えられないほど直感の鋭い子だと、時々まるで未来が分かっているようだと、ルキアン君が言っていました。そのことは、ネレイで私自身も見知っています。何も知らされていなかったにもかかわらず、メルカちゃんは、ルキアン君がクレドールに乗ることになると明らかに予見していました。そう、《未来》を……」
 ベッドの傍らの椅子に腰掛け、シャリオはメルカを見守る。フィスカが話を理解しているか否かは問題でないといった調子で、自分自身に問いかけでもするように、シャリオはつぶやいた。
「ラシィエン家は代々続く優れた魔道士の家系。この子に特別な力があっても不思議ではありません。そして、その種の力というものは、しばしば何らかの《きっかけ》により、突然に本当のかたちで目覚めるもの。もしかすると、メルカちゃんを襲った今回の不幸が……」
 シャリオの胸元では、神々の力を象徴する聖なるシンボルが光っている。メダルのような形状をしたそれを彼女は握りしめた。
 ――これが試練であったとしても、オーリウムの神々よ、罪なき清らかなこの子をお守りください。どうか、あのときの私のような思いなど、決して……。
 彼女の白い首筋には急に鳥肌が立っていた。背後にいるフィスカには分からなかったが、シャリオの表情は何かを怖れ、あるいは憎悪に歪み、唇は震えている。


10 何を企む? ファルマス、狂気の微笑み!



 ◇ ◇

 ほぼ、日も暮れた時刻。エルハインの都の背後の丘に、広大な市街を見下ろして黒々とそびえ立つ王城にも、点々と灯りが輝いている。相次ぐ増築で複雑に連なる城郭のうち、奥まった建物にある一室から、窓の光だけではなく、不可思議な楽曲も周囲に漏れ出していた。ハープシコードを思わせる音色の独奏だ。だがその曲が普通ではないのだ。
 細かな音符の群れが狂ったように踊る楽譜を、機械仕掛けのような、あるいは魔法の技のごとき超絶的な指使いがひとつの曲として再現している。蔦や唐草を模した黄金色の化粧漆喰に飾られた《円卓の間》の白壁に、その人間離れした演奏が響き渡る。
 まさに無心という態度で、ひとしきり曲を弾いたかと思うと、演奏の主は急に笑い出した。誰もいない広間に子供のように無邪気な――ということは、子供ではないということに他ならないが――声が反響する。聞いているのは、天井のフレスコ画に描かれた巨大な神々ぐらいなものだろう。
「さて! 今晩も楽しい夜になりそうだよ。僕も仕事、仕事……」
 独り言というにはあまりにも大きな声で、彼は満足げに言う。男は立ち上がると、ビロードのような艶やかな光沢を浮かべるグレーのフロック・コートを、洗い立てであろう真白いシャツの上から羽織った。
 広間の一角、鏡面仕上げの壁に向かい、彼は首に巻いた漆黒のクラヴァットの具合を丹念にチェックした。そして腰に帯びた白と黄金色の派手な剣に触れる。瞬間、刃がきらめき、再び鞘に戻された。彼が抜刀して一振りしたその様子は、正面に向けて水を打ったかのように、スムーズで素早い。
 独りでにこにこと笑いつつ、彼は円卓の間を出た。
 同じく過剰な装飾で埋め尽くされた廊下。別の部屋から出てきた人影が、こちらを見て言った。
「ファルマス、お出かけですか?」
 大きな縁のついた帽子を小脇に抱え、落ち着いた声で尋ねたのは、同じくパラス騎士団のエルシャルトだ。薄暗い廊下では、長髪の彼の横顔は美しい女性のようにも見える。
 しばらく無言でにんまりしていたファルマスは、いたずらっ子のような調子で答えた。
「うーん。内緒!」
「おやおや……。珍しく副団長殿がわざわざ出向くとなると、例の旧世界の少女とあの少年の件でもないようですね」
 感心しているようでいて、少し呆れているようにも見える表情で、エルシャルトは微笑んでいる。仮にも王国最強、あるいは世界でも屈指の機装騎士団の者とは思えないほど、この《音霊使い》の表情は物静かで柔和だ。
 おもむろに、すれ違う二人。
 そのときファルマスはエルシャルトの耳元でささやいた。
「例のイリスちゃんと、あの誰だっけ……単純な子、そうそう、アレス君のことは、手配は済んでいるから。僕の仕事は、もっと手強い。そして、もっと楽しい。いわゆるこれは……」
 口元は笑ったまま、ファルマスの目は虚ろになり、狂気じみた殺意を帯びる。
「決闘。かな」


【第38話に続く】



 ※2007年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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