鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

地味主人公ルキアン・超覚醒、第30話~第35話まとめ版

連載小説『アルフェリオン』まとめ読みキャンペーン、第2週目です。
今晩は第30話~第35話を更新。

今晩は、スーパールキアンナイト!(^^;)
見どころは何といっても第35話「パンタシア」。主人公のルキアンが超覚醒か!?
いや、機体の方が超覚醒しただけで、別に乗り手のルキアン本人は変わっていないという話もありますが…。ともあれ、鬱回想から延々と続く妄想と独白を経て、ゼフィロス・モードを爆発的に発現させるルキアンから、目が離せません。

ナッソス家の四人衆とギルド側のキャラとの戦い、ロボット戦闘のシーンも充実です。

謎の組織「鍵の守人」も登場し、旧世界に関する情報が一気に明らかになるのも見逃せませんね。新キャラも続々。

アマリアとフォリオムの解説&実況も好調ですし、シェフィーアが偽名を使って傭兵として出てくるところなんかも面白い(ネタバレやんけ^^;)。初登場で正体不明のキャラだった頃から、シェフィーアさん、何かと格好いいです。

ただ浮かばれないのは、ナッソス四人衆の一人、パリスです。ルキアンに「正々堂々と一騎討ちだ!」と言われて戦ってみたら、シェフィーアさんが裏でルキアンに助言するわ、ルキアンはチートな超覚醒をやってのけるわで、パリスは騙し討ちにされたような感もなくはないです(汗)。それでいいのか主人公…。

そういえば、ルキアンだけでなく、何気にグレイルも超覚醒(笑)するんですよ。
第31話「御子」の回です。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第35話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ――空振りして武器を地面にめり込ませたように見せかけ、わざと大きな隙を頭上に作ったか。素人だと思っていたが。
 ――僕は連想したんです、竜の力を。そして上空に向けての攻撃なら、強力なブレスを放っても街を巻き込む可能性は低い。
 相手の被害の状況を確認しながらルキアンは言う。
 若干、レプトリアの動きが重くなっている。本来の竜の場合であっても、炎の息や電光の息と比べれば、凍気の息それ自体の威力は劣る。だが本当に恐ろしいのは、敵を凍結あるいは麻痺させ、動きを奪う効果の方なのだ。
 アルマ・ヴィオでの戦いの基礎さえ知らないにもかかわらず、ルキアンは機体を己の身体同様に扱い、一流のエクター相手に奮闘している。その戦いぶりに、シェリルは彼のエクターとしての才能を垣間見た。
 ――先ほどの一瞬、あの少年は《竜》のイメージと自らをひとつに重ね、人ではなく竜と化し、機体と完全に一体になっていた。驚くべきは彼の想像の力、いくら魔道士の卵であるとはいえ、ここまでとは。それに、受けたダメージは積み重なる一方だというのに、彼の《パンタシア》の力は逆に高まり続けている。
 レプトリアの身体からゆるやかに蒸気が立ちのぼる。機体の発する熱を一時的に上昇させ、内部にまで入り込んだ氷を溶かしているのだ。
 ――ドラゴンブレスとは油断した。だがそんな手は何度も通用せん!
 地を蹴ってレプトリアが反撃に転じる。回避すらできずに倒れるアルフェリオン。とうとう衝撃に耐えかね、甲冑の右肩にひびが入り、音を立てて砕け散った。
 ――駄目だ。強すぎる……。これが本当のエクターなのか。
 降りそそぐ流星のごとき敵の攻撃は、さらに同じ箇所を正確に狙ってくる。ルキアンは機体を動かすことすらできない。
 ――何をしようと、力の差は埋めがたいぞ!!
 パリスの攻撃が続く。このままでは、アルフェリオンが破壊されるよりも先に、乗り手のルキアンが苦痛で気を失ってしまう。
 ――身体が砕けたみたいだ。痛くて、何も感じられない。もう僕は……ダメかもしれない。
 ――右腕部の動力筋、第一、第二、断裂。右肩の伝達系組織、中枢ラインの反応がありません。補助系統のラインも途絶えれば、腕は完全に制御不能になります。
 非常事態であるにもかかわらず、アルフェリオン・ノヴィーアの声は滑稽なほど平静であり、感情の起伏にまったく欠けている。そんな奇妙な警告に違和感を覚えることさえないまま、ルキアンの意識は急激に薄れてゆく。
 ――胸部装甲に亀裂、《ケーラ》に攻撃が達する危険があります。脱出してください……。脱出してください。


7 根深い自己否定…



 ◇

 《機体=仮の我が身》から受ける激痛に苦しむあまり、もはやルキアンの中では、朦朧とした意識に浮かぶものと現実との区別が曖昧となっていた。
 ――結局、何もできなかったじゃないか。やっぱり僕は駄目なんだ。
 自らの身体の存在する感覚すら失い、ルキアンの心だけが冷たい精神の谷底に落ちていった。
 ――でも僕だって、それなりに頑張ってる、はずでしょ?
 何故か、幼い頃からこれまでの記憶が鮮やかに浮かび上がる。過ぎ去った経験は憎々しいほどに明確なかたちをとり、ルキアンの辿ってきた仄暗い心の旅路が、残骸の山のように次々と重なって現れる。

  そこに光はなかった。
  少年の瞳から無邪気な輝きが失われたのは、
  いつのことだったろうか。
  思い出の中の時間が、新しい記憶の方へと巻き戻されてゆく。
  時が辿られるにつれ、夕暮れの道を行くように、
  記憶の中の風景を包む翳りは次第に深くなるばかり。

 ◇

 ――どうした、少年? 早く立て、立って戦え!!
 念信。音としての声にはならないが、激しい思念でシェリルが呼びかける。だがルキアンからの正常な返事は完全に途絶えている。
 本人の意思によらず、いや、本人が拒否したいにもかかわらず、めくられてゆくルキアンの記憶のページと、それに対する彼自身の解釈のページ。それらは、開かれたままの念信を通じてシェリルの心へと漏れ伝わってくる。
 ――何という、孤独で、暗いあきらめに満ちた心。
 少年の精神に巣くう虚無の果てしなさ、魂の奥底まで伸びた自己否定の根深さに、彼女は言葉を飲み込む。

 《どうせ》、どうせ僕は。僕なんか……。
 思っても、願っても、そんなの何の力にもならない。
 《やっぱり》、また駄目だった。

 だがシェリルは敢えて問う。
 ――そんなに駄目だというのなら、やめてしまえばよかろう?
 ルキアンの心が微かに反応した。彼の意識を現実の世界に引き戻そうと、シェリルは続ける。
 ――やめられまい。いま、君の心をのぞかせてもらって……いや、成り行きで否応なく見せられたというべきか……それで私にはようやく漠然と分かった。どうして君にそこまで強いパンタシアの力があるのか。少年、君自身、気づいているか? 自分は駄目だと思いこんでいながら、それでも今まで立ち上がって生きてきたのは何故だ? 何度倒れても、懲りずにまた、あきらめを深めるだけのために、失敗するだけのために、そのたびに起き上がって手を伸ばし続けてきたのは、どこの誰だ!?
 再び目覚め始めたルキアンの心を、シェリルの声が揺さぶる。
 ――君はあきらめたくなかったのだろう? 現実がどうあろうと、せめて想いの中だけでも……。それが無意味な空想だとは、むなしい妄想だとは、認めたくなかった。なぜならその想いの世界だけが、君のたったひとつの自由の場であり、君の帰れる、君が安らいでいられるところだったから。だからどうしても失えなかったのだろう?


8 主人公超覚醒!? 僕にとって空想だけが…



 ◇ ◆

 暗闇の中、幼い姿をしたルキアンがしゃがみ込んでいる。
 ――こんなの違う。何で僕だけ、だめな、いらない子なの? 何で僕だけ、どこにいてもうまくいかないの? 僕が本当に帰っていいところって、どこなの?
 銀の前髪の奥に表情を隠し、引きつるような、かすかな声ですすり泣いている。
 ――《おうち》に帰りたいよぅ……。

 今度は成長した少年ルキアンが、深くうつむき、握りしめた拳を振るわせながら立ちすくんでいる。
 ――帰る? 僕の本当の《家》なんて、この世界のどこにも無かったじゃないか。

  そう、気がつけば居場所はひとつしかなかった。
  手も届かぬほど果てしない闇の底に向かって
  僕は転がり落ちてゆくしかなかったのだ。
  でもそれ自体は苦痛ではなかった。
  この漆黒と静謐だけが、僕を受け止め、抱きしめてくれた。
  魂の深き淵。
  この無限のくらやみの中でだけ、
  僕の想いの翼は
  本当に自由に羽ばたくことを許された。

 ◆ ◇

 ――そう。この世でただひとつ、君の帰れる場所であった空想の世界。たとえそこが美しい光の園ではなく、どれほど暗い影につつまれていたとしても、虚ろな夢の庭であったとしても……その中で羽ばたく想いの翼は、唯一、君が手にした自由への大切な鍵だったのだろう?
 ――空想の世界。自由への鍵。この世界で僕がたったひとつ手にしたもの……。
 うわごとのように答えたルキアンに対し、シェリルは力強く断定的に言った。

  人にはみんな、見えない翼がある。
  夢や空想という名の、どこまでも飛べる羽根がある。
  それこそがパンタシアの力。
  現実への絶望が深いほど、
  あるいは現実が理想を失って著しく歪んでいるときほど、
  内なる幻想の翼は、いっそう大きく羽ばたこうとする。
  まずは君自身が認めることだ、己にその翼があることを。

 ――僕の、つばさ……。そ、そうだった!
 正気に返ったルキアンに向け、待っていたかのように彼女は叫ぶ。
 ――現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか? 《拓きたい未来》を夢見ているのなら、ここで《想いの力》を私に見せてみよ、ルキアン・ディ・シーマー、いまだ咲かぬ銀のいばら!!

 ◇

 鼓動……。ルキアンの胸の奥で何かが脈打った。

 突然、パリスは自分の身体を不可思議な力が通り抜けていったように感じた。何が起こったのか分からないうちに、透明な恐怖が指先から頭まですべてに染み渡っている。
 ――これは。全てを飲み込もうとする、この冷たく暗い妖気は……。
 巨大な黒い魔物が目の前にそびえ、こちらに迫ってくる。彼にはそう思えた。


9 果てなき妄想が、記憶の檻さえも突き崩す



 ◆

 ルキアンの記憶の中、いや、現実の記憶と空想とが入り交じったイメージの中。薄暗い深緑につつまれた森の奥に向かい、一本の小道が伸びる。苔むした老木の根元に銀髪の子供がうずくまっていた。小さい身体、華奢な背中いっぱいに、あどけない男の子が背負うには重すぎる孤独が、影のように染みついている。
 弱々しい、かすれた声で、幼いルキアンはつぶやく。
 ――おうちに帰りたいよぅ……。
 いつの間にか、黒い衣装に身を包んだ女が彼の前に立っている。腰まで届く長い髪も同じく闇の色、彼女の背中には漆黒の翼があった。
  ――私と一緒に、本当の家に帰りましょうね。
 翼をもった黒衣の女は、そっと手をさしのべる。
 みじめな幼子は不意に顔を上げ、何かに気づいたかのように周囲を見回した。しかし、誰もいないことを知ると、再びうつむいてすすり泣き始める。
 黒衣の女は血の気のない真白い手を伸ばし、彼の頭をなでた。だが彼女の手はルキアンの身体を通り抜ける。指先は、むなしく宙をつかむ。
 ――もう泣かないで。私の大切な……。
 ルキアンの額に、彼女は届かない口づけをした。ガラス玉のような瞳に感情の光を見て取ることはできなかったが、その背中には一抹の寂しさが漂っているようにもみえる。黒き闇の天使は翼を開き、いずこへともなく消え去った。

 ――リューヌ。あの頃からずっと見守ってくれていたんだ……。
 心象の世界の中に立つルキアンが、瑠璃色のフロックをまとった現在の彼の姿に変わる。いま再び、恭しく差し出された白い手を、ルキアンはしっかりと握りしめた。
 ――すべては御心のままに。《我が主(マスター)》よ。
 闇を司るパラディーヴァは、厳かにひざまずく。

 ◆

 周囲に重い魔力が満ちあふれ、冷たく息苦しい霊気が渦を巻いてアルフェリオンに流れ込んでゆく。地面の砂や木の葉が舞い上げられ、古びた遺跡の壁から剥がれるように石粒が落ちる。
 ――この毒々しい力、先程までと大きさも桁違いだ。これが同じ人間から発せられているとでも?
 目に映る風景がたちまち色を失い、どす暗い闇の色に塗りつぶされたようにシェリルには思えた。彼女は直感的に感じ取る。
 ――違う。こんな途方もない妖気が人間のものであるはずはない。精霊や妖魔の類か? 何か強大な力を持った存在が確かに居る。どうした、この私が震えているとは。
 この場に降臨した恐るべき何かを、彼女の心や体が知覚している。得体の知れない寒気がする。
 ――ルキアン? この感じは彼の霊気だ。あの絶大な闇の力の中に、小さい点のようだが、確かに感じられる。取り込まれず、それでいて完全に融合している。
 にわかに空が暗くなり、立ちこめる黒雲。気圧が急変し、周囲の気温も異常な速さで低下する。自然界の霊的バランスを狂わせるほどの巨大な力が発生しているのだ。
 ――あの白銀のアルマ・ヴィオの様子が急に完全に変わった! 理由は分からんが、今朝と同じか。
 あまりにも濃い魔力、いや、暗い情念に満ちた妖気の渦に巻かれ、パリスは吐き気すら感じる。


10 ゼフィロス・モード、真の発現!



 ルキアンの《目》が不意に見開かれた。実際の彼の身体は《ケーラ》の中に横たわって動かない。開いたのは彼の心の目である。
 アルフェリオンに流れ込む霊気の渦が、さらに風を呼び起こして竜巻のように成長する。
 ――目覚めよ、呼び声に答えよ、僕のパンタシア。思い浮かべるんだ、あれの姿を。《風の力を宿した飛燕の騎士》を。そして力を貸して、リューヌ!
 突風の壁の向こうで機体が青白く輝き始める。白銀のアルマ・ヴィオの姿がみるみるうちに変わってゆく。まず頭部から、兜の両脇に伸びる角のような部分が小さくなるに連れ、額の部分が光り、そこから翼を思わせる飾りが左右に伸びる。頑丈な肩当てや分厚い胸甲は縮み、甲冑全体のシルエットがずっと細身になりつつあるようだ。
 ――シェリルさん、これが僕の《想いの力》です。見てください、僕がずっと心の奥で育てていた《銀のいばら》を!
 激しい気流の壁を切り裂き、光が一閃する。途端に竜巻は天に昇ってゆくかのように消え去った。姿を現した《それ》の手に握られているのは、輝く三つ叉の刃を持った槍。
 そして最後に、背中の6枚の翼が2枚の流線型の翼に変わった。流れるような形の羽根は、まさに燕を思わせる。

 ――無駄なことだ!!
 竜巻が消え、アルフェリオンの姿が再び現れるやいなや、パリスはレプトリアを駆って突撃した。今度こそ勝負を決しようと全身の力をこめたレプトリアの攻撃は、たしかにアルフェリオンを正確に狙って繰り出されたはず。しかも、人の目ではとらえられぬ刹那の間に。
 だが手応えは無い。光の爪、敵を引き裂く必殺のMTクローは空を切っていた。
 ――まさか、かわしたのか?
 パリスが焦っているのは、単に渾身の一撃が当たらなかったからではない。
 ――どこにいる? 今の攻撃を回避することなど不可能なはず。それを、かわすどころか、一瞬で俺の間合いの外に出ただと。あり得ない、あんなところに!?
 闘技場の端、観客席のある古びた石積みの斜面の前に、彼は白銀色の機体を発見した。

 ――あ、あれ? 攻撃を避けようとしただけなのに、ひとっ飛びでこんなところまで……。どうなってるんだ?
 先程までと全く異なる機体の具合に、ルキアンの方も戸惑っていた。
 ――これは何、リューヌ? 分かるんだよ、何でか分からないけど、全部分かるんだ……。僕の周りに何があるか、どんな大きさの建物がいくつぐらい、そして何が動いているのか。これって、目で見てるんじゃないよね? 左右、上、いや、後ろの方まで手に取るように分かる。気持ちが悪いよ、落ち着かない。
 動揺気味のマスターに対し、リューヌはいつも通りの口調で静かに告げる。
 ――我が主よ、それがゼフィロスのもつ《超空間感応》による感覚です。今、あなたは自分の周囲の空間に存在するものを個別に把握しているのではない。空間そのものを丸ごと認識しているのです。そこに存在するものは、たとえどれほど速きものであろうと、姿なきものであろうと、ゼフィロスの《眼》から決して逃れることはできない。
 超高速の己をさらに凌駕する速さを誇り、しかも底なしの妖気をまとう敵を前にして、レプトリアもわずかに後ずさりする。
 ――怯むな! これしきのこと!!
 自らの機体に鞭打つかのように、パリスは意を決してなおも先手を取った。瞬間移動さながらに、広場の端まで一気に跳躍する速さだ。


11 目覚める銀の荊―ダメ主人公に才能が?



 だが……。レプトリアの輝く光のかぎ爪を、白銀の騎士の手にした三つ叉の槍が受け止めている。
 ――見切られただと。いや、人の目では追い切れない速さだったはず。まさか、当てずっぽうか?
 互いの刃が火花を散らすせめぎ合いから、パリスはさらに一撃を繰り出す。だが、機体の触れ合うほとんどゼロ距離からの攻撃が、またもや外れてしまった。しかも、アルフェリオンは敵の爪を武器で受け止めたのではなく、身体をひねる動きだけでかわしたのだ。
 ――これは何だ。これは! こんなことがあるか!?
 一瞬、練達の繰士パリスも我を忘れ、力任せに相手を押し倒そうとする。アルフェリオンは、あっけなく弾かれるように後ろに飛んだが、翼を開き、ひらりと宙で一回転して後方に着地する。
 その様子をじっと観察していたシェリルは、ルキアンの操る機体の特性が、速さ以外の点でも大きく変化したことに気づいた。
 ――おそらく今の形態に変わってからは、運動中枢や全身の伝達系、あるいは感覚器などにほとんどの魔力をつぎ込んでいるというところか。その分、装甲や結界などの守備力は下がり、パワーも格段に落ちた。先ほどまではルキアンのアルマ・ヴィオの出力の方が上回っていたが、今では反対に押し負けている。すべては、あの圧倒的なスピードと鋭敏な感覚を得るための代償だというわけか……。
 だが彼女は満足げに言った。
 ――それにしても、あれほどの《変形》を経た後の機体であるにもかかわらず、彼は何とか上手く使いこなしている。恐るべき共感レベルの高さ、いや、エクターとしての才能?

 その間にも、ゼフィロス形態のアルフェリオンとレプトリアは、ぶつかり合う二つの疾風のごとく、常識を越えた高速の戦闘を繰り広げていた。いずれの動きも肉眼ではとらえきれない。両者が激しく衝突する音で、位置がかろうじて分かる。だが音のしたときには、その場所にはもういないのだ。
 シェリルの目をもってしても、しかもティグラーの魔法眼を通して強化された動体視力であるにもかかわらず、闘技場を縦横無尽にふたつの影が飛び交っているとしか把握できない。
 空中で両者が交差した後、地上に降りたレプトリアが急旋回し、振り向きざまに背中のMgSを放った。青白く輝く雷撃弾が飛来する。だが炸裂するはずの魔法弾はアルフェリオンを通り抜け、奥の遺跡の壁に激突してようやく発動した。
 ――残像か? さすがに速い。だが!!
 MgSを放つと同時に、魔法弾にも劣らぬ速さで突進していたレプトリアは、弾を回避したばかりのアルフェリオンに飛びかかった。
 ――雷撃は、おとり? くぅっ、パワーが足りない……。
 レプトリアの爪をかろうじて受け止めるも、勢いに乗った敵に押され、アルフェリオンは地面をすべるように後退する。
 ――速くなったのはいいが、腕っ節は弱くなったようだな!
 素早く飛び上がったレプトリアが、機体の重さを乗せてMTクローを叩き付ける。地面が割れ、砂や石が舞い上がった。
 後ろに飛び退いたアルフェリオンの方で何かが光った。土煙を貫いて光の筋が宙を走り、レプトリアの足元に突き刺さる。光は鞭のようにうねり、なおもレプトリアを追う。魔法力で形成された鎖・MTチェーンだ。
 輝く鎖の先端には同じくMT兵器の刃が付いている。生き物のように襲いかかる鎖を、レプトリアは巧みに回避する。
 だが2本、3本、鎖の数は次々と増えた。
 ――同時に4方向からだと!?
 さすがにかわしきれず、MTチェーンの一本がレプトリアに命中した。
 鎖に気を取られていると、今度はアルフェリオンの本体が攻撃を仕掛けてくる。絶叫しながら槍を振り下ろすルキアン。飛燕の騎士の槍先は次第にレプトリアに近づき、直撃はしないにせよ、機体をかすめるようになり始めていた。繰り出される高速の突きは、一撃ごとに鋭さを増してゆく。
 全力を出しているとはいえ、パリスは徐々に追い詰められつつあった。
 ――負けられん。ここで勝たねば、ナッソス家の勝機が!!


12 決着、全方位から自在に襲う「縛竜の鎖」



 だが相手のルキアンは、今この瞬間にもゼフィロスとの交感レベルを爆発的に高め、すでに従来のフィニウス・モードのときと遜色ないほどにゼフィロスを操れるようになっていた。アルフェリオン自体も、パラディーヴァと融合したため、今までとは比較にならない膨大な魔力を宿している。
 ――とらえることのできないものを狩る者。風の力を宿した、飛燕の騎士。
 ルキアンはその姿をイメージし、自らの身体と同様に白銀の機体を動かす。
 ――行け、《縛竜の鎖》よ!!
 彼が念じると、4本のMTチェーンが不規則な軌道を描き、レプトリアに向けて殺到する。繰り出される鎖の動きも矢のように速い。
 ――くっ! 地面すれすれか!?
 光の鎖に足元をすくわれ、レプトリアが初めて倒れた。
 動きが止まったが最後、他の3本の鎖もたちまち飛んでくる。今の状態では回避できず、チェーンの先端に付いたくさび型の刃先が、レプトリアの脚に突き刺さった。さらに一本が首に絡みつき、最後の一本も後ろ脚をとらえる。
 たった一瞬の隙が、状況を大きく変えた。これではパリスは完全に動きを封じられたも同然だ。光の鎖を引き絞りながら、ルキアンが念信で伝える。
 ――降伏してください。もう勝負は付いています……。僕は相手を殺すために戦っているのではありません。

 ――ザックスの兄貴、すまねぇな。後のことは頼む。
 別の念信でパリスはそうつぶやいた。
 ルキアンは、自分に対しては無言のパリスに、もう一度呼びかける。
 ――これ以上の争いは無意味です。降伏してください。
 レプトリアがふらふらと立ち上がる。軽量化を最優先した高速型のため、その機体は意外なほど華奢な作りである。脚にまともにダメージを受けてしまっては、もはや動くことさえ困難らしい。
 パリスはなぜか微かな笑いとともに答えた。
 ――いいか、若造。最初に言ったろ、俺が剣を置くのは相手を倒したときか、相手に倒されたときだけだと……。
 次の瞬間、レプトリアは不自由な動きでアルフェリオンに飛びかかろうとする。だが四肢に絡みついた細い光の鎖が、恐るべき強靱さでその動きを封じている。あとわずかのところで、レプトリアの牙は届かなかった。
 ――お願いです。もう戦いをやめてください。僕はあなたを……いいえ、誰も、もう誰も殺したくない!!
 悲壮な声でルキアンが言った。
 しかしパリスは怒号を上げて彼の言葉を遮る。
 ――甘い、甘すぎる。素人同然の相手に無様に敗れ、しかも敵から情けをかけられるなどとは、機繰騎士として俺は死ぬよりも苦痛だ。そんな屈辱を受けるならば……。今すぐ俺を殺せ! 殺さぬなら、こちらが君を殺すぞ。
 ――そんな、命を失ってまで守る名誉なんて……。
 わずかな隙を見逃さず、残る全力をかけてレプトリアが襲いかかった。ゼフィロスの装甲は薄く、黒い竜の牙が肩に食い込む。ルキアンは慌てて突き放そうとするが、レプトリアは決して離そうとしない。
 ――本当の繰士とはこういうものだ。よく見ておくがいい!!
 パリスがそう叫ぶと同時に、リューヌがルキアンに警告する。
 ――我が主よ、敵は自爆する気です。ゼフィロスの防御力では、こちらも大破を免れません。とどめを刺すのです、早く。

 ――申し訳ない、カセリナお嬢様……。ナッソス家に勝利を!!
 パリスの最後の言葉が終わろうとするとき、ゼフィロスの手にした槍がレプトリアを深々と貫いた。
 ――えっ?
 何が起こったのか分からないルキアン。
 彼の心の中にリューヌの冷たい声が浮かぶ。
 ――お許しください、マスター。しかし、たとえどのような手段を使ってでも、あなたを守ることが私の使命です。
 ルキアンの意思に反し、リューヌがアルフェリオンを動かしたのだ。
 三つ叉の槍は敵の《ケーラ》を完全に貫通していた。乗り手が即座に息絶えたため、自らも《命》を失ったレプトリアの機体は、急に力が抜けたように地に崩れ落ちる。
 ――そんな。そんなのって……。
 ルキアンは言葉を失う。彼は呆然と宙を見つめたままだ。アルフェリオンも地面に膝を付き、動きを停止した。ゼフィロス・モードは解け、白銀の騎士は元の姿に戻ってゆく。


【第36話に続く】



 ※2007年6月~7月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第35話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか?
    拓きたい未来を夢見ているのなら、
       ここで想いの力を私に見せてみよ、
  ルキアン・ディ・シーマー、いまだ咲かぬ銀のいばら!

  シェフィーア・リルガ・デン・フレデリキア
   (ミルファーン王国「灰の旅団」機装騎士)

  ◇ 第35話 ◇


1 未来を賭けた一騎討ち、ルキアンの挑戦!



 真昼の一瞬の静寂を切り裂き、鳥と獣のいずれともつかぬ声が古都の石壁に響いた。家々の窓は閉め切られ、日頃の賑わいも人の波もみられぬ大通り、2体のアルマ・ヴィオが睨み合い、鋭い鳴き声で相手を威嚇する。
 白銀の鎧をまとう、翼をもった竜の騎士、アルフェリオン。
 黒き蜥蜴あるいは竜の体に疾風のごとき速さを秘める、レプトリア。
 一定の距離を取ったまま両者は動かない。

 ――市庁舎周辺に不穏な動きがあると聞いて来てみたら、また君か。どうやって市街に入ったのかは知らんが、ことごとくナッソス家に刃向かうとはな。君は危険だ、今度こそ倒さねばなるまい……。
 冷たく険悪な口調でパリスが告げる。今朝の戦闘でアルフェリオンの力を知っているためか、いつもの気楽さのようなものが彼の言葉に感じられない。
 ――僕だって別に、ナッソス家に恨みがあるわけでも、そ、その、あなた方と戦いたいわけでもありません。
 ルキアンの心に不意にカセリナの姿が浮かぶ。
 初めて出会ったときの、凛とした印象の中に危うい儚さを漂わせる姫君。
 かすかに無邪気さを浮かべ、ルキアンの手帳に書き付けた言葉。
 そして広間での再会、憎悪の火をともしたカセリナの瞳。

  ――あなたも私の敵だったの。ギルドの艦隊の人間だったのね。

  ――私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。

 気高くも冷え切った彼女の声。敵意をむき出しにした言葉が、次々と鮮烈によみがえってくる。それらをルキアンは必死に消し去ろうとした。
 かろうじて冷静さを保ち、彼はパリスに尋ねる。あまりにも愚直に。
 ――やっぱり……どうしても戦わなければいけませんか?
 相手の答えは決まっていた。レプトリアが、体側に生えた翼状の器官を広げ、けたたましく吠えたてる。
 ――今更、何を言うかと思えば……。すでに私は剣を抜いている。それを再び置くのは、敵をすべて倒すか、自分自身が敵に倒されたときのみ。
 無駄だということはルキアンにも分かっていた。
 もう後には引けない。自分の心を何度も確かめ、覚悟したはず。
 今にも刃を交えようとする2体のアルマ・ヴィオの後方で、シェリルたちの乗ったティグラー3体は依然として動かない。むしろ、これから起こる戦いを見届けようとしているかのようだ。
 ――僕は《いばら》になる。シェリルさんにもそう言ったばかり。
 ルキアンはついに決意し、ある提案をパリスに行った。
 ――分かりました。あなたがナッソス家のために戦わねばならないように、僕にも戦う理由があります。しかし、この場所で戦っては、市街に大きな損害を与えるばかりか、街の人々を犠牲にしてしまうことだって考えられます。それは、あなただって望まないでしょう? ナッソス家の誇り高き繰士とお見受けして、僕は乞います。市民を巻き込まずに戦える場所で勝負をしてください。この願いは聞いてもらえますか。お願いします……」
 迷いもなく一気に言ってのけたルキアンに、パリスも堂々と応じる。
 ――よかろう。良い気構えだ。そういうことだから、そこのティグラーたちは戦いに手を出してはならない。よいな?
 彼が念信を送ると、シェリルが答えた。
 ――もとより我らにそのつもりはない。ただ、私は、貴殿らの戦いを見届けたい。それはお許し願えるか?
 ――立ち会うと? よかろう。残りのティグラーに守備を任せ、君は我々と共に来たまえ。では白銀のアルマ・ヴィオのエクターよ、戦いの場所へ……。


2 ルキアンの切ない記憶 想いの力なんて…



 ◇ ◆ ◇

 白壁に開かれた窓を通じて、うろこ雲の浮かぶ青い空と、いっそう濃い蒼のレマール海が見える。それは簡素な土壁に掛けられた額と絵のようだ。
 かすかな潮の香りと湿り気を帯びた風が、コルダーユの港の方から流れてくる。体にまとわりつくような生ぬるさはいくぶん薄らいでおり、それと混じり合う心地よい冷たさが、じきに来る秋を予告していた。
 研究所の一室、二人の少年を前に、カルバ・ディ・ラシィエンの熱心な講義が続く。残暑にもかかわらず、カルバは敢えて額に汗を浮かべながら、胸元のクラヴァットをきっちりと締めている。さらに黒のベストの上に、魔道士特有の長いクロークまで羽織って正装していた。
「アルマ・ヴィオになぜ人が乗るのか。たしかに《繰士》とも呼ばれるけれど、エクターは単なる乗り手や御者ではない。もうひとつ、エクターには大事な役割がある。さて、まずは昨日の復習からだ、ルキアン」
 入門祝いにカルバが与えた革表紙のノートに、少年が懸命に羽根ペンを走らせている。先日、知人の紹介で半ば押しつけられるように弟子入りしてきたばかりの、地方の落ちぶれた貴族の末子。そう言えばまだ聞こえはいいが、実際には、貴族の体面を損なわぬかたちで親が《口減らし》を行ったも同然だ。
 気が小さく、人見知りが激しく、何をやらせても不器用この上ない。真面目さだけが取り柄。いや、頭はそれなりに良いし、魔道士に必要な直感や霊性も平均以上には備えている。しかしあまりにも、やることなすことすべて要領が悪すぎる……。ため息をつきながら、カルバは少年の名をもう一度呼んだ。
「ルキアン? ノートを取る時間は後であげるから、まず答えたまえ」
「え? は、はい、すいません……」
 蚊でももう少し大きな声で鳴くのではないかと思うような、小さな声。
「それは……人の《パンタシア》の力がないと、アルマ・ヴィオは、えっと、何だったかな……。そうだ、この世界に漂う魔力、《アスタロン》でしたか? そ、それを、動力に変換できないから、です?」
 彼の答えにカルバは途中までうなずきかけた。そして意味ありげにルキアンの顔をのぞき込み、首をかしげている。
「そうかな? パンタシアとエクターの役割の基本は理解できたようだが、今の解答にアスタロンは関係ない。惜しいな。アスタロンは、魔力そのものとは違うんだ。まだルキアンには詳しく教えてなかったが、ヴィエリオ、説明してみなさい」
 黙って座っていた長い黒髪の若者が、年齢の割に大人びた声で答える。
「はい、先生。魔力は、我々の現実世界およびこれと対をなすアストラル・プレーンの両側にまたがるような具合で作用し、効果をもたらします。たとえ魔力が何らかの《結果》を《表側》の世界で発生させる場合であっても、結果発生までの《過程》は、《裏側》の世界においてアスタロンまたは《霊子素》と呼ばれる媒介項を通じて進行します。勿論、アストラル・プレーンを人が物理的に知覚することはできず、修行を積んだ魔道士があくまで霊的次元でその存在を直感しうるのみです。ましてやアスタロンの存在を証明することは、現段階では不可能だと言われています。ただし、仮説の上に仮説を重ねることになりますが、アストラル界というものを仮定し、そこにおいて魔力を媒介するアスタロンの存在をさらに仮定すれば、魔法の発生と作用の基本的諸原理をひと通り整合的に説明できることも確かです」
「その通り。ルキアン、アスタロンの話はいずれ詳しく教える。先程の質問に話を戻そうか。自然界に満ちあふれている魔力は、敢えてたとえればアルマ・ヴィオの燃料のようなものだ。しかし、それだけではアルマ・ヴィオは動けない。魔力を動力に変えるためには、エクターのパンタシアの力が、いわば触媒として不可欠なのだ。だからエクターは、乗り手であると同時にアルマ・ヴィオの《器官》でもあることになる。では、ルキアン、パンタシアとは?」
 カルバは再び尋ねる。時々こうして質問を投げかけないと、この少年は書き写すことばかりに必死で、師の話を自分の頭で理解しながら聞いていない場合がある。
「えっと……。パンタシアとは、人間の……心の力、というか、妄想、いや、間違えました、《夢想》する力。《心の中に何かを思い描いて、それを現実にもたらそうとするほど強い想像――創造――の力》です。それが魔力をこの世の力に変える、そうだったと思います」
 緊張して妙な言葉も混じったにせよ、ルキアンは比較的正確に答えることができた。それというのも、この《パンタシア》という概念を、なぜかとても彼は気に入っていたからだった。
 ――夢に想うものを、現実にもたらそうとする強い想像・創造の力……。
 ルキアンは頭の中で繰り返した。
 少年の解答に満足げに頷くカルバ。彼がさらに講義を続けようとしたとき、部屋の反対側で声がした。
「お父様ったら、またお昼の時間になっても続けているんだから。みんな、そろそろお昼ごはんにしましょう? お腹を空かせたメルカが、半時間も前から文句ばかり言って、手が付けられないわ」
 ――ソーナ。
 ルキアンは遠慮がちに振り向いた。部屋の入り口に立っている娘と目が合い、彼は慌ててうつむく。強く、美しい眼――理知的な意志の光を瞳にたたえる娘に、少年は否応なく惹かれるものを感じていた。馴染みにくい新たな環境の中、彼女を近くで日々見られることは、ルキアンの生きる力の素にさえなっている。
 にっこりと笑って、片目を閉じてみせる金の髪の少女。
 だがそれはルキアンに対してではない。
 隣のヴィエリオが、ソーナの方へ微かに笑みを返す。
 ――想ったって、現実とかけ離れすぎていることばかりじゃないか……。
 ルキアンは背を向け、黙って意味もなくペンを走らせた。
 ――そう、想うところまでなら誰にでもできる。だけど、いくら想いを現実に変えようとしてみても……。結局、《想いの力》なんて、無力な場合の方が多いじゃないか。
 紙面に押しつけられたままのペン先が、インクの黒い染みを広げてゆく。
 揺れ動く、そよ風。
 銀色の前髪が弱々しげに揺れた。


3 円形闘技場



 ◇ ◆ ◇

 ――なるほど、円形闘技場跡とは考えたな。
 ルキアンの言葉に従い、戦いの場である前新陽暦時代の遺跡に赴いたパリス。蛇のような首を伸ばしてレプトリアが周囲を見渡す。
 いま3体のアルマ・ヴィオがいるのは、市街の東の外れ、周囲の土地から盆地のように陥没した広い空間である。単に物理的に周辺と隔絶された様相を呈しているだけではなく、この場所だけが時間に取り残されているかのごとき、一種、不思議な空気の漂うところであった。
 前新陽暦時代の頃から、平時の貿易上の集積地としても戦時の要衝の地としても、ミトーニアは中央平原の中心となり栄華を誇っている。古代の繁栄ぶりの面影は、市庁舎に残された例のモザイクの壮麗な床からもうかがえるが、他にも大きな遺跡が同市の内外に多数残されている。この闘技場も遺跡のひとつだ。価値ある文化遺産を傷つけてしまうことは、ルキアンにも非常に残念である。しかし街の人々の命や安全には代えられないと、彼はやむを得ず決断した。
 シェリルのつぶやきが、ルキアンとパリスに念信で伝わる。
 ――旧世界が滅亡した後にどれほど経ってからのことか、我々の時代と直接につながる範囲での古代、つまり前新陽暦時代が始まった。極度に衰退した文明は改めて発展し始め、やがて《レマリア》の大帝国が、旧世界の《エルトランド》に変わる《新たな大地=イリュシオーネ大陸》における覇者となった。現在の《レマール海》という地名も、沿岸周辺国を統べたレマリアの名に由来する。
 ――エルトランドって、旧世界の《地上界》に当たる大陸のことですか?
 今、ルキアンは、特別な自覚のないままに《地上界》という言葉を使った。たしかにクレヴィスやシャリオとの会話では、この言葉がごく当然に用いられている。だが一般的には、旧世界が天と地の2つの世界に分かれていたことなど、果たしてどれほどの者が知っていようか。
 ――そうか。分かっているのだな……。
 シェリルは若干の感嘆を込めてそう言うと、何事もなかったかのように、古代世界の話に戻った。
 ――歴代の皇帝の治世が続くうち、レマリアの社会は爛熟し、やがては熟し過ぎた果実が腐ってゆくのと同様、人心は荒廃していった。レマリアの民は旧世界人の過ちを忘れ、異民族を支配しながら怠惰と悦楽に浸り続けた。このミトーニア、当時の言葉でいえばミソネイアに住むレマリア人たちも、安逸な日々の中で退屈しのぎの娯楽ばかりを求めていたらしい。アルマ・ヴィオを闘技場で戦わせたのも、娯楽の一環。そしてレマリア帝国も崩壊し、前新陽暦の時代も終わった。ここに残る苔むした瓦礫の山から、ミトーニアの人々は何を学んだのか。そう、何を。
 ――ほほぅ、一介の傭兵風情にしては、なかなか博識だな。
 冷やかしたパリスに対し、シェリルは面倒そうに答える。
 ――どうだかな。それより、この地に眠るレマリアの民たちも、貴殿らの戦いを草葉の陰から眺めているかもしれない。早く見せろと催促しているぞ。
 むき出しの地面では草が伸び放題だが、所々、赤茶けた土の間から石畳の一部が顔をのぞかせる。その空間の周囲をひな段状の観客席がぐるりと取り囲む。遺跡全体としては、鉢を思わせる形状であろう。壮大な規模の観客席、その最上層はちょっとした丘のような高さにまで達している。だが周囲の遺構は今ではかなり風化・倒壊しており、実際に残っている構造物は3分の1程度だろうか。
 それらの古代の遺産に見おろされ、アルフェリオンとレプトリアが地上で向かい合っている。闘技場の端、少し離れた場所にティグラーが立つ。

 ルキアンとパリス、両者はいつでも戦える構えである。
 この期に及んで、いま以上に時間を引き延ばす意味もない。先に動きを見せたのはルキアンの方だ。
 ――僕は戦います。本気ですから!
 アルフェリオンが一歩踏み出そうとしたそのとき。
 ――本気? そんな隙だらけでもか。
 何の前触れもなくレプトリアが跳んだ。両者の距離が瞬時に詰まる。


4 一方的に叩きのめされ続ける主人公 !?



 ◇

 ――速い!?
 そう思ったとき、ルキアンは自らと融合した機体の《全身》に痛みを感じていた。続いて何かが頭に浮かぼうとする次の瞬間、そのまた次の瞬間、状況の理解もできないままに無数の攻撃が飛んでくる。
 ルキアンが気づいたときには、アルフェリオンが地面に仰向けに倒れてゆく途中だった。そこでようやく最初の回避行動が可能となる。背中に大地の衝撃を感じ、それから地面を転がるように機体をひねる。間一髪、アルフェリオンが一瞬前まで倒れていた場所で、土煙を巻き上げて大きな爆発が起こった。
 魔法弾の炸裂の名残、空気中にかすかに漂う電流のような感触を、ルキアンは金属の《肌》で感じていた。
 ――致命傷を受けるのは、かろうじてかわしたか。運だけは良いようだな。その機体がいかに堅固な装甲を持っていようと、ここまで近接してMgSを放てばさすがに風穴が開く。それは今朝の戦いでも実証済みだ。
 白煙と土煙の混じり合う視界の向こうから、パリスの声が伝わってくる。
 ルキアンは立ち上がろうとしたが、《痛み》のあまり機体がよろめき、アルフェリオンは片膝を着いてしまう。生身で負った傷でないとはいえ、ダメージは繰士本人にも相当の苦痛となって感じられる。
 ――何が起こったんだ? 敵のアルマ・ヴィオが飛んで、気がつけばこちらは地面に倒れて。いつの間にか、体中に傷。い、痛い……。
 姿勢を崩しながらも立ち上がったアルフェリオン。
 だがすでに、レプトリアの爪による攻撃が襲ってくる。黒い竜の前脚の残像が目に映った瞬間には、機体のまた別の部位に続けて打撃が。ルキアンは、もはや打たれるがまま、されるがままであった。

 ――苦戦どころか、これでは《戦い》のかたちにすらなっていない。決定的なダメージは受けずに済んでいるが、時間の問題だろう。もし少年が他のアルマ・ヴィオに乗っていたなら、今頃はもう12、13回程度は死んでいるところだ。これでは冗談にすらなるまい。
 シェリルはティグラーに乗ったまま、じっと様子を見守っている。
 ――だが、ここで手を出してナッソス家と事を起こすのもまずかろう。それに《機繰騎士(ナイト)》の建前から言っても、一騎打ちに介入するのは褒められたことではない。もし少年がここで命を落としたなら、所詮はその程度だったということで片付けるしかあるまいか。
 レプトリアの鋭い牙で腕に噛み付かれ、そのままの勢いでアルフェリオンは地に押し倒される。苦しむ白銀の騎士を視界にとらえつつ、密かにティグラーの目が光った。
 ――しかし、それはそれで、面白くも何ともない……。

 倒れたアルフェリオンに覆い被さるように、レプトリアが食らいつく。その深く切れ込んだ口には、肉食恐竜さながらに、槍先のような牙が並ぶ。凶暴なうなり声。強靱な顎の力によって、腕の装甲の一部が食いちぎられた。
 ――この場所では街全体を巻き込むゆえ、あの強大な光の《剣》を使うことはできないだろう。だが小さな危険でも封じておくのが闘いというもの。
 パリスは攻撃の手をゆるめない。
 苦痛に耐えられず、ルキアンは声もなくうめいた。声を出そうとしても出るはずはないが、さすがに自らの腕の肉を引き裂かれているのと同様の感覚、叫ばずにいられない。
 ――今朝のような《再生》の時間はやらぬ!
 素早く飛び退いたレプトリアが、再び飛びかかる。アルフェリオンの胸部を前脚で踏みつけ、右腕を破壊しようと食いついてくる。


5 思わぬ助言?



 ――そこで抱きつけ! そして頭突きだ!!
 ――えっ?
 痛みで意識がぼやけていたルキアンは、何も考えられず、急に飛び込んできた念信に反射的に従った。牙をむいて見下ろすレプトリアに対し、その脚も胴体も構わず、アルフェリオンが力任せにしがみつく。
 ――離せ!!
 ルキアンが今までとは全く違う動きに出たことに、パリスは予想を外され、急いで敵の腕を払いのけようとする。だがスピードでは劣っていても、パワーならアルフェリオンの方が上だ。
 無我夢中のルキアン。アルフェリオンの上体が急激に起き上がり、敵の細い顎すれすれを兜の先端が通り過ぎる。たしかに歴戦の強者であるパリスに対し、いかに不意打ちとはいえルキアンの攻撃など当たりはしない。だがレプトリアの姿勢は崩れ、足元がふらついた。
 そのわずかな隙にルキアンは立ち上がる。
 ――そ、そうか。こうなったときは、組み付いてしまえばいいんだ。どんなに動きが素早くても、一度つかまえれば、ともかく敵の動きを止めることはできる! いや、あ、あの、シェリルさん?
 我に返ったルキアンは、念信が彼女のものであることに気づいた。いつの間にか、呆気ないほど素早く鮮やかに、他者には感じ取れぬ一対一の念信の《回線》が二人の間に開かれている。
 シェリルは答えず、鋭く指示を出す。
 ――まず、アルマ・ヴィオの性能には頼りすぎるな。《乗って》いるという気持ちだからそうなる。それは君自身の《身体》だと思え。基本だ。
 ――は、はい!
 ルキアンの先ほどの攻撃を受け、レプトリアは速さを生かした本来の戦い方に切り替えた。距離を取って攪乱しながら一撃を与えて離脱、その繰り返しで、相手にダメージを蓄積させてゆく戦法である。
 ――ぼやぼやするな! 剣でも槍でも、装備されている武器を出して間合いを稼げ!
 不慣れな戦い、強敵の猛攻。ルキアンは気が動転し、武器を使うことを忘れていた。いや、相手のあまりの速さに、使いたくても使えなかったのかもしれない。
 ――わ、分かりました。
 腰の収納部からMTランサーのシャフトが飛び出す。アルフェリオンはそれを引き延ばして構える。柄の先端部分にまばゆい光が輝き、斧槍のような複雑な刃が形作られた。
 ――ひどい構え方だが、いま教えている暇はない。大振りしても外すだけだ。とにかく相手に当てろ、引っかけるつもりで脚を狙い、まずは少しでも動きを封じろ!
 だが、あのレーイの剣をもかわすレプトリアの俊敏な動きに対し、ルキアンの腕ではかすりもしない。狙うどころか、MTランサーを振り回して相手を寄せつけないよう、それだけで精一杯だ。
 パリスはそれを嘲笑する。
 ――長物を装備していて助かったな。何とも無様な闘いぶりだ。
 ――無様でも何でもいい。僕のやることはみんな、もともと格好良くなんかないんだ! とにかく必死で戦う、それだけです!!
 ルキアンはそう叫んで、相手の足元をなぎ払おうとした。
 攻撃は読まれており、レプトリアは流れるような動きで回避する。
 ――そうだ、少年。最初より動きがましになってきている。
 ルキアンには、シェリルの声がとても心強く聞こえた。的確な指示以上に、心理的な支援の効果の方が大きいのかもしれない。
 瞬間、瞬間、彼は必死に次の手を読もうとする。そのたびにレプトリアの牙や爪がアルフェリオンに傷を与えるが、今度は武器を構えているため、簡単に懐に飛び込まれることはない。
 ――考えろ、考えろ、止まるな、考えろ!!
 ルキアンは自分に言い聞かせた。
 ――僕の身体。これは僕の身体。そう思えば、どうすればいいか、もっとよく分かるはずだ。
 彼は自らの心の中を探った。それは、いま自分と一体化しているアルフェリオンの能力を探るということ。己の力に気づくということ。


6 ルキアン反撃!? 己と竜をひとつに…



 ――アルフェリオンは、翼を持った竜の化身。そう、白銀の竜だ。
 すぐにルキアンはイメージをつかみ取った。彼はそのイメージを広げ、想像する。膨らむ幻想。
 ――白銀の竜は、雪と氷の谷の果てに住むという、氷の竜。だから、アルフェリオンにも……。そうか、これがある!
 ルキアンは武器を大きくかざしてレプトリアに真正面から突っ込む。
 ――少年、何を馬鹿な!?
 シェリルが止めるのも構わず、ルキアンはMTランサーを力一杯振り下ろした。その衝撃で大地に地割れが走り、沢山の土や砂が舞う。
 ――上を取られた、上だ!
 シェリルが伝えたときには、レプトリアはバネのような身体を生かしてアルフェリオンの頭上に飛んでいた。
 ――この時刻、太陽も真上、かわせまい!!
 とどめの一撃を狙い、レプトリアの爪から、さらに長い刃のような光の爪が伸びる。だが……。
 ――かかった!
 突然、兜が開いてアルフェリオンの口が現れ、凄まじい雄叫びとともに突風が吹き抜ける。それは、白く輝く極低温の吹雪。
 ――これは、凍気の息(ブレス)!?
 レプトリアの動きが宙で一瞬止まった。アルフェリオンにあとわずかで必殺の一撃を加える距離にあったが、突然もがき、落下するように地面に降りる。さすがにパリスは上手く着地した。だがレプトリアの首や脚や胴、あちこちが凍結し、白い霧氷がこびりついている。


【続く】



 ※2007年6月~7月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第34話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ――ベルセア……生きてる? 
 ――あぁ。しかし、俺ら揃って、敵に指一本触れられないまま脱落とはね。これじゃ恥ずかしくてバーンに合わせる顔がないぜ。
 ――そうね。ルキアンにも、大きな顔できなくなっちゃうか……。とりあえず、そっちも動けることは動けそう?
 命は取り留めたものの、結局、ベルセアとメイでさえ、パリスの操る《レプトリア》には歯が立たなかった。


6 止まらない独走、パリスの勝利…



 ――こちらパリス。ギルドの戦闘母艦から降下した陸戦型1体と、ついでに飛行型1機を撃破した。《奇跡の船》クレドールなどと世間で騒がれていても、所詮は空の海賊やゴロツキの冒険者の寄せ集め、他愛もない。
 パリスが味方に念信を入れている間、レプトリアは赤い目を爛々と輝かせ、周囲の獲物をうかがっていた。蛇のように細長く伸びた首が、金属で覆われていると思えないほどしなやかにうねっている。
 ――このまま城門まで突破する。俺に続け!
 パリスがそう伝えるが早いか、レプトリアは疾風のごとく飛び出した。背後から彼の戦いを見守っていた陸戦型・高速仕様のリュコスが6体、懸命に後を追う。ナッソス家も一筋縄ではゆかない。主力とは異なる別働隊が、目立たぬよう少数で忍び寄っていたのだ。

 たった1体のパリスのレプトリアのために、彼の進路付近に位置するギルドのアルマ・ヴィオは皆、為すすべもなく撃破されていく。熟達のエクターの手で旧世界の機体が十分に実力を発揮すれば、現実はこうなのだ。もはやパリスを止められる者は誰もいなかった。
 ――あきらめるんだな。現世界の凡庸なアルマ・ヴィオが何体たばになろうと、無駄な悪あがきにすぎん。レプトリアは《レゲンディア》クラスの機体、最初からそちらに勝ち目などない!
 レプトリアのあまりの強さに、乗り手のパリスすら悦に入っている。
 いわゆる《レゲンディア》――元々は、ハンター・ギルドの発掘屋たちが、掘り出した機体のオークションの際に使っていた隠語である、神話上の魔物や聖獣を意味する古典語に由来するという。旧世界のアルマ・ヴィオの中でも特に優れた能力を持ち、なおかつ保存状態も極めて良好で劣化の少ない機体が、別格扱いでそう呼ばれているのだ。

 ◇

 戦いの様子を上空から注視するクレドールの乗組員たち。
 さすがのクレヴィスの唇も、微かにではあったが、苦々しそうに歪んだ。
「ギルドの地上部隊がミトーニアの守備隊と抗戦し、なおかつナッソス家の先鋒隊と衝突していたとき、別の方向から手薄なところを突かれましたね。そういう事態もあり得るとは思っていましたが、まさかたった1体であれほどの働きをするとは。敵ながら、見事だと言わざるを得ませんか……」
 頼みのメイとベルセアがあっけなく倒されてしまったことで、艦橋のクルーたちにも動揺が生じていた。顔には出さないが、これまでに起こったことのない事態に誰もが不安を覚えているに違いない。
 そんな雰囲気を敏感に感じ取ったのか、ずっと無口であったカルダイン艦長が、敢えて荒々しい声で一喝する。
「何をぼんやりしている! 戦いの中じゃ、そうそう運良く敵ばかりが倒れるとは限らない。仲間が倒れたり死んじまったりすることも、当然あり得るってだけの話だ。いいか、ここは戦場だ。山賊や夜盗相手の戦いとはわけが違う。気を抜くと……死ぬぞ」
 後は何事もなかったように、カルダインは上着の胸ポケットから煙草を取り出し、黙って火をつけている。それだけで十分だった――かつてタロスの革命戦争で幾度も死線を乗り越えた艦長の言葉には、理屈では抗しがたい力が漲っていた。


7 魔少女の予言―銀の荊と飛燕の騎士



 一瞬、静まりかえったブリッジ。

 すると突然、艦橋の入り口が開き、何者かが中に足を踏み入れた。
 ふわり。音もなく、白いものがゆらゆらと揺らめくように。
「くすっ」
 無邪気でいてどこか薄気味の悪い、かすかな笑い声が聞こえた。
 簡素な純白の衣装と、その色にも見まごうばかりに白い、血の気のない肌。
 長い黒髪の少女が背後に立ったとき、にわかに漂った強い霊気に、艦橋にいた人々はみな寒気を覚える。魔道士でもない普通の人間にさえ感じられるほど、娘の内に秘められた魔力は強大だった。

   銀のいばらの芽は頭をもたげ、
   はがねの刺を持つ蔦は たちまち地を覆う。
   いばらを踏みつけた者は、抜けない刺の痛みに震えるだろう。
   暗闇から芽吹いた あのいばらには、
   弱々しく揺れる花の仮面の裏側に、おそろしい毒があるから。

 謎めいた言葉、あるいは歌。それを口にする、エルヴィンの冷たい声。
 彼女の虚ろな目は、艦橋の硝子を越えてミトーニアの方角に向けられている。
 少女の唇がつり上がり、口元だけが微笑んだ。
「大丈夫。風の力を宿した飛燕の騎士は、すでに一度目覚めているのだから。すべてを写し出す鏡には姿なき敵の影が浮かび、竜を繋ぎとめる鎖は敵をとらえ、空に住まう精霊たちの鍛えた槍は敵を貫く。私には見える」
 エルヴィンはそう告げると、霧が引くように艦橋から出て行く。
「くすくすっ」
 薄暗い廊下の奥から、かすかに笑い声だけが聞こえた。
 それだけを後に残して。

 ◇ ◇

 勢いに乗るレプトリアは、行く手を遮るギルドのアルマ・ヴィオをなおも蹴散らし、疾風のごとく城門前まで駆け抜けた。パリスの配下であろう6体のリュコスは、ただ遅れぬよう後に着いていくだけで精一杯であり、また、それだけこなせば十分であった。
 ――ははは、あっけないものだ! ギルドの力などこの程度か。どうだ諸君、俺はここにいるぞ。遅い遅い。
 勝ち誇って笑うパリス。
 ミトーニアの門の前に立ち、レプトリアの動きが止まって、ようやく人の目にもその姿が完全に露わになった。周囲ではギルドと市民軍の戦いが激しさを増しているが、その戦場をたちまち越し去ったのである。
 ギルドのエクターも市民軍の兵士たちも、あの黒い陸戦型が何かの魔法でも使ったのではないかと、呆然と眺めている。
 城門付近で戦っていたギルドの陸戦型が数体、一斉に飛びかかる。だが、それを全てかわして相手を打ち倒すことは、レプトリアにとって赤子の手をひねるに等しかった。
 尖った舌を出し入れしつつ、レプトリアは、息を――あるいは吸気・排気の音を発する。耳障りな、神経をいらだたせる響きだ。黒き疾風の竜の力の前に、もはや攻めかかろうとする者はいない。パリスはミトーニアに難なくたどり着いたばかりか、城門周辺の敵をも一掃したのだ。
 ――ザックス兄貴、まだ手こずってるのか。俺は予定通り、先にミトーニアに入城して、市庁舎周辺の事態の鎮圧に向かう。そちらの先鋒隊の接近も、俺の部下に手引きさせる。悪ぃな、おいしいところをいただいて。じゃぁ、武運を祈る……。
 パリスは古い兄弟分のザックスに念信を送ると、今度は市壁の守備軍に呼びかけた。
 ――ナッソス四人衆筆頭、パリス・ブローヌ、要請に応えて参上した。さぁ、ミトーニア市民軍の諸君よ、この扉を早く開けたまえ!


8 争いに不向きな彼が、なぜ敢えて戦う?



 ◇

 ――落ち着け、落ち着くんだ。僕はここで、まず何をすればいい!?
 自分にそう言い聞かせるだけでルキアンは必死である。
 その隙にティグラーの鋭い牙でアルフェリオンの喉笛を狙おうと思えば、いつでもシェリルには可能なはずだった。しかし彼女はそう望まず、3体のティグラーもバリケードの前に立ちふさがったまま動こうとしない。
 ――どうするつもりだ、少年? もし一歩でもこの守りを越えようとするならば、私は君を討つ。
 シェリルが《念信》で伝えてくる。彼女の予想通り、ルキアンはしばらく返答できなかった。呆れたような調子で、シェリルはさらに告げる。
 ――気が散っているようだな。市民たちがまた暴れ出さないかと、そんなに落ち着かないか。敵と向き合っているときに余計なことを考えるのはやめたまえ。それでは命がいくつあっても足りない。
 ――す、すいません……。
 無意識のうちに、つい謝ってしまったルキアン。こうした反応はもう、彼の本能に近い次元にまで刻み込まれているのだろうか。
 ――アルマ・ヴィオの乗り手としては、君のセンスは悪くない。ろくに念信も使えぬ初心者らしいが、それにもかかわらず、機体と見事に一体性を保っているのは少々驚きだ。だが結局、君は戦士には全く向いていないようだな。
 当然のことを指摘されながらも、ルキアンは少し不機嫌そうに答えた。
 ――そんなこと、僕にだって……分かってます。
 ――ならば、なぜ戦う? 正直言って、君のような繰士の相手をするのは初めてだ。他人の流血をひどく怖れる手で震えながら剣を握り、引っ込み思案の心で気迫負けしながら敵と対峙する。そこまでして、なぜ君が戦う必要があるのだ?
 戦う理由。どれだけ迷っても、この場に適当な表現は思い浮かばず、ルキアンは馬鹿正直に答えるしかなかった。
 ――たしかに僕は血を見たくない。争いも大嫌いです。敵と傷つけ合いたくないどころか、ほんとは誰ともぶつからずに、どこか遠いところで、隅の方で静かにいられたらと思っていました。だからなのか、そういう、何ていうのか、僕みたいな……争いごとに向いてない人の気持ち、よく分かるんです。
 語り始めたルキアン。シェリルは黙って聞き続ける。
 ――でも世の中には、《帝国軍》や《反乱軍》のように何でも《力》を基準にして判断し、《力》によって物事を進めようとする人たちがいます。相手の方が自分より弱いと分かったり、相手が力に訴えることを避けていると分かったら、それにつけ込んで自分の言い分を無理矢理に押し通そうとする人たちがいます。相手の《言葉》に耳を貸そうとはせず、相手の立場を考えず、どうすればもっと今より自分の方だけが得をするか、そればかり考えて一方的に他人を犠牲にする人たちがいます。あの《神帝》ゼノフォスのように。
 ルキアンは残念そうに告げた。単に帝国軍や反乱軍のことだけを言っているのではなく、彼自身がこれまで生きてきた中での体験も、心の中で反芻されているのだろう。言葉の端々に、辛い思いがにじみ出ていた。
 ――そんな人たちがいるから……どんなに穏やかで争いの嫌いな人だって、苦しめられたあげく、本当は争いたくないのに、《戦う》ことを選ばないといけない場合も出てくるんです。だけどやっぱり、決して望まない争いの中で、どれほど心が痛むか、言いようのない苦痛を抱えながら戦うことがどんなに辛いか、僕にはよく分かるんです! 分かってるからこそ、そういう思い、他の人にはさせたくない。
 ――だから僕が戦うことに、決めたんです……。


9 北の国の伝説、イバラに刺があるのは…



 シェリルはしばらく言葉を返さなかった。そして意外な問いを投げかける。
 ――君は、なぜ荊(いばら)に刺があると思う?
 唐突な質問に面食らうルキアン。
 ――ミルファーンに、こういうおとぎ話がある。君はオーリウムの人間だから聞いたことはないかもしれないが……。
 入り江にひたひたと打ち寄せる波のように、静かに、淡々と、ルキアンの胸にシェリルの思念が伝わってくる。
 ――世界に人間が現れるよりも昔、生きとし生けるものすべて、草や木にまでも心があったという。そこに《いばら》がいた。その頃のいばらには、まだ刺がなかった。いばらは優しく強い心の持ち主だった。だから自分と同じような他の草木が獣に踏みつけられたり食べられたりして、いつも泣いているのを、黙って見ていられなかった。そこである日、いばらは神に願ったという。

  私に《とげ》をください。
  私を踏みつけ、むしり取ってゆく獣たちが、
  それと引き替えに刺されて痛みを知ることになれば、
  獣は草木にも鋭い爪があるのだと怖れ、
  木々や花たちに簡単には手を出さなくなるでしょう。
  それができるなら、私はどんなに傷ついてもかまいません。
  他の草木がもう辛い思いをしなくて済むのなら。

 シェリルは尋ねる。
 ――こんな夢物語と同じようなことを、現実の中で行おうとでもいうのか。ならば覚悟はあるか? 他の者の痛みを代わりに己の身に受け、自らの血と敵の血にまみれた、孤独で傷だらけの荊の戦士になる覚悟が。
 さらに彼女は念を押すように言う。ルキアンに対して賞賛も呆れも、肯定も否定も感じさせない、とても気持ちの読み取りにくい透明な心の声で。
 ――敵に傷つけられ、敵を傷つけることでますます傷ついてゆくのは君だ。疲れ果てた君が、結局、現実の中では英雄でもなんでもない、ただのお人好しにしかなり得なかったとしても……それでも戦うか?
 ――でも、あの……。
 ルキアンは彼女の話を遠慮がちに遮った。
 ――人のためとか、自己犠牲とか、英雄的な振る舞いだとか、多分そんなんじゃなくって……。単に《自分自身がそうしたいから》なのかもしれません。《いばら》だって本当はそうだったんじゃないでしょうか。平気で他人を力で踏みにじる、身勝手な人や狡い人ばかりが大きな顔をし、穏やかに暮らしている人がどこまでいっても割を食うような……そんな世の中を目の前にして、そういう状況を一番見ていられないのが僕自身だから、というだけかもしれません。
 この間の様々な事件が、ルキアンの脳裏に浮かんでは消える。師のカルバが《神帝》ゼノフォスのバンネスクに対する攻撃によって行方不明になり、ルキアンたちの住んでいた彼の研究所も何者かに破壊され、みんな散り散りになってしまった。ルキアンを暖かく迎えてくれたシャノンやその母・弟も、理不尽にならず者たちの犠牲になった。そしてルキアンが知った旧世界のことも――光に満ちた《天上界》の影で、あの《塔》の残虐な人体実験に送られた人々、衛星軌道上から降り注ぐ破壊の光によって命を奪われていった《地上界》の人たち。
 彼の脳裏に浮かんでは消える生々しい記憶が、言葉にならぬイメージのまま、シェリルの心に突き刺さる。
 嘆きながらも、ルキアンは断固としていった。
 ――そういうの、黙って見ているだけなんて、もう嫌だと思ったんです。もっと、こんなふうに世の中が変わっていけばいいなって、僕にも夢ができた。だから戦うんです。

  《優しい人が優しいままで笑っていられる世界のために。》

 ――そうか。そんな大それた考えが出てくるとは思っていなかったが。夢想ばかりしているようでいて、《拓きたい未来》があるのか、君にも。
 シェリルは仕方なさそうに心の中でつぶやく。
 ――やれやれ。私も甘い。


10 「少年、今のは貸しておく…」



 ルキアンを過剰に刺激せぬよう、シェリルのティグラーは緩慢に一歩踏み出した。何気ない動作であったが、その間、巨大な鋼の虎の気配は消えていた。達人の域にある動きだ。
 ――そこから少し下がれ、少年。
 さらにもう一歩、性能と釣り合う限界までの甲冑をまとったティグラーが、その超重量に似合わぬ自然な動きで前進する。
 ――いいから君は待ちたまえ。大丈夫だ、市民に攻撃などしない。
 シェリルはルキアンに告げる。
 なぜ彼女の言葉を信じたのかは分からないが、ルキアンは言われる通りにしていた。そう、抗し難い言霊とでもいうのか、無意識のうちに。
 抗戦派側のアルマ・ヴィオが動いたのを見て、市民は口々にわめき始めた。
「敵が向かってくるぞ!」
「は、早く止めないか、何をしてるんだ! こっちのアルマ・ヴィオは?」
「踏みつぶされるぞ、逃げろ!!」
 先ほどまで剣や小銃を手に気勢を上げていた人々も、思わず怖じ気づく。ルキアンが畏敬の念すら感じた重武装のティグラーが、じわじわと向かってくる様相は、とても人間が立ち向かえるものには見えない。あっという間に市民たちは浮き足だち始める。
 獰猛な鋼の虎の巨躯と、その前にさらされた鼠の群れのごとき人間たち。
 にらみ合い。無言の秒間。
 両者の間に火花が散るも、流れは最初から決していた。
 かろうじて成立していた均衡が崩れ去ったのは――シェリルのティグラーが石畳の街路に響き渡る轟音で咆吼し、上半身を猛々しく立ち上がらせたときだった。おそらく攻撃してこないと分かっていても、背後の市庁舎まで揺るがしかねないその迫力に、人々は本能的に恐怖を感じたのだ。

 ――こういうものだ。人は、頭では死を忘れて情熱に浮かされたとしても、本能の次元では死への恐怖を決して拭い去れない。体は無意識に反応し、それは意識をもすぐに支配する。少なくとも生きていて、壊れていない限り。
 そう言いながらシェリルは、散り散りになって後退していく市民たちの様子を見つめていた。
 激昂から恐慌へと一転した人々をなだめるかのごとく、リュッツ主任神官とシュワーズ市長秘書が再び群衆の前に進み出てくる。事態を荒立てず、抗戦派兵士に対して改めて説得を試みようとしているのだろう。手を合わせ、祈るような仕草を見せながら、リュッツがバリケードの方に懸命に呼びかける。その背後では、反対側の市民たちに向け、シュワーズが大きな身振りで何か叫んでいる。
 二人の様子を見て、ルキアンは少し安心する。
 ――少年、これで余計な心配はしばらく必要なかろう。今のは貸しておく。
 シェリルはルキアンにそう言ってから、別の者との念信に切り替えた。
 ――レイシア、ナッソス家とミトーニアの動向は把握しているな?
 ――はい、シェリル様。城門が開きます。
 いずこからともなく念信の返答があった。感情の匂いのしない、旧世界に存在したという機械の人形を思わせる、年齢不詳の女の声である。答えの中身も極めて素っ気なかった。だが、言外に含まれるものを、シェリルは非常に信頼しているようだった。
 ――そうか。守備隊があっさり入城を許したということは、ギルドではなくナッソス側のアルマ・ヴィオか。しかし予定より早いな。今の時点でギルドの囲みを突破できたと? ただ者ではあるまい。
 ――記録に無い例の機体だと思われます。識別不可能です。動きが速すぎて、ロストさせないように追うのが精一杯でした。その機体に率いられていたリュコスが6体、ミトーニア側のアルマ・ヴィオと共に城門前の支配を確立しようと動いています。ナッソス家の先鋒隊を城内に誘導するため、その進路の確保を進めている模様です。
 ――分かった。レイシア、気づかれないように監視を続行せよ。私の迎えの用意も頼む。ギルドとナッソス家、いずれがミトーニアを押さえるにせよ、この街の現状は長くは続くまい。


11 「僕は、イバラになるんだ」



 シェリルは再びルキアンに念信を送る。
 ――さて、おしゃべりは終わりだ。幸か不幸か、もはや私と戦う暇など君にはなくなった。ナッソス家のアルマ・ヴィオの一部がギルドの囲みを突破し、ミトーニアもそれを受け入れたのだよ。混乱がなかったところをみると、市民軍の指揮系統は、アール副市長の息のかかった者たちが事前にほぼ掌握していたようだが。
 ――そんな……。じゃぁミトーニアは本当に、ナッソス家の兵力を市内に呼び込み始めたっていうんですか。クレドールやラプサーの力でも……止められなかった? みんな大丈夫なんだろうか!?
 ――今は自分の戦いのことを考えるべきだ。城門から入ったナッソスのアルマ・ヴィオは、もうこちらに向かっている。まず市庁舎周辺を完全に統制下に置こうとしているのだろう。おそらく君のことも、すでに相手に感づかれてしまっているに違いない。
 だが、それにしても奇妙なのはシェリルだ。ミトーニア方に雇われていると言いつつルキアンに攻撃を仕掛けず、ここにいながらにして、ミトーニアやナッソス家の動きを把握しているかのようでもある。傭兵らしき者だとはいえ、アルマ・ヴィオの扱いも常人離れしている。
 ――あ、あの、あなたは一体、何者なんですか? シェリルさん。
 ――ただのシェリルだ。もっともそれは、誰かさんが適当に付けた、ここでの私の名前にすぎないが……。君が知る必要はない。それより来るぞ!
 ミトーニアの城門からルキアンのいる場所までは一直線である。門から大通りが伸び、その先に広場、そして市庁舎が位置している。あの信じがたい速さを誇るレプトリアにとっては、距離とさえ言えない程度の距離だ。
 ――来た!
 ルキアンも異変に気づく。アルフェリオンの強化された《目》や《耳》が何か巨大な物体の動きををとらえ、機体が地面の震動を感じ取る。
 思い出したかのように、彼は慌ててクレドールに念信を送った。
 ――そうだ! セシエルさん、聞こえますか? セシエルさん!
 向こうも今か今かと待ち受けていたのか、ほぼ間髪入れずに返事があった。
 ――ルキアン君!! それで……そう、もう気づいているのね? ナッソス家のアルマ・ヴィオが1体、城門から市庁舎の方に向かっているわ。今朝、ルキアン君が戦ったあの機体よ。
 ――はい。艦長やクレヴィスさんの指示は?
 ――指示も何も、そのアルマ・ヴィオを撃破せよと! 今はあなたに全てがかかってるって、クレヴィーが言ってるわ。
 一瞬、ルキアンは躊躇したが、気持ちは定まっていたようだ。
 ――分かりました。でも、その、ここでは狭すぎて、家々や市民を巻き込んでしまいます。どこかできるだけ広い場所……なるべく大きめの広場か何か、いや、もっと、とにかく広いところです! 市街にありませんか?
 彼は昨晩の広場での戦いを思い出す。周囲の建物を破壊したり火災を起こしたりせぬようにと、細心の注意を払いながら戦ったにもかかわらず、結局は、思うようにいかなかった。街の人々を巻き込むという最悪の結果だけは避けられたにせよ。
 わずかな沈黙の後、セシエルが答えを見つけたようだ。
 ――そうね、そこから市門に向かって戻り、大通りと最初に交差している道を東へ真っすぐ、ただ真っ直ぐ。今は公園のようになっているのかしら、よく分からないけれど、もう長らく放置されている遺跡があるわ。
 ――遺跡? そういえばミトーニアには、僕たちの時代の《古代》の遺構が沢山残ってましたね。広さは十分そうですか?
 ――他の場所よりはね。《複眼鏡》でヴェンに見てもらったところ、あれは《前新陽暦時代》の闘技場のようだと言ってるわ。アルマ・ヴィオ同士の格闘を当時の人々が眺めて楽しんでいたって、物語に時々出てくるでしょう? それ以上のことは分からないわ。

 セシエルに礼を言い、クレドールとの念信を終えたルキアン。
 ――もしここで僕が戦いを避けてしまったら、ナッソス家と抗戦派がミトーニアを完全に押さえてしまうかもしれない。そうなれば戦いは長引くだろう。長引けば長引くほど、その間に帝国軍はオーリウムに近づき、ギルドや議会軍にとって状況はどんどん不利に……。
 彼は何度も繰り返して念じた。自分自身に言い聞かせるかのように。

 ――そう、僕は《いばら》になる。荊になるんだ。


【第35話に続く】



 ※2007年6月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第34話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 愛する者のためになら、誰だって戦士になれる。
   大切な人を守りたいのも、人間の当然の心だ。

 だから戦いはなくならない。
   互いの愛する者を守るために、
 本来は望まなかったはずの争いを、
   いつの間にかそれが絶対に正しいと思い込んで……。

 (レーイ・ヴァルハート)

  ◇ 第34話 ◇


1 膠着状態の戦場に、迫るナッソス軍



 アルフェリオンを威嚇する低いうなり声。地響きを伴って、敵のティグラーが体を揺さぶる。鋼の虎が身にまとう甲冑の表面では、魔法合金の盾をも貫く角状の突起が、その姿を誇示するかのように陽の光を生々しく反射している。同じく両脚に備えられた分厚いブレードも、獣が微動する度にきらめく。
 ルキアンは動かないのではない。不用意には踏み出せないのだ。敵の数も力量もこちらを上回る。そして何より、彼には攻撃を躊躇する理由があった。
 ――ここで戦ったら、沢山の市民を巻き込んでしまう。それどころじゃない、早くあの人たちを止めなきゃ! でもどうやって……。
 市庁舎を占拠し、市長らを拘束した抗戦派に対し、反対する市民たちは武装して押し寄せた。ルキアンはアルフェリオンを盾にして彼らを守りつつ、だが同時にその守るべき市民たちが、次の瞬間にも再び暴徒化しかねないということをも、気遣わねばならない状況に陥っていた。
 目の前の敵・シェリルとの戦いにも、ルキアンは乗り気ではなかった。交わした《念信》から感じ取ることのできた、ある種の威厳と気品。ルキアンはそれに一定の感銘を覚えていた。そして無駄な争いを必ずしも望んでいない、相手の姿勢。この点はルキアン自身と共通している。
 ――僕は、この人とは戦いたくない。
 当初から衝突を回避しようと努めているルキアン。ここに至って、彼の戦う意志にはますます陰りがみえてくる。

 ◇ ◇

 だが、そうして睨み合っている間にも、ナッソス家の地上部隊はミトーニアに迫っている。敵方の城とミトーニアはさほど離れていない。足の速い陸戦型はおろか、重装騎士さながらに武装した汎用型でさえも、このままではじきに街へと到着するだろう。
 ナッソス四人衆の精鋭2人の操る、あの恐るべき相手も市門へと向かっていた。荒野を駆け抜け、疾風のごとく走り去る漆黒の機体。旧世界の超速の魔獣《レプトリア》2体だ。

 ◇ ◇

 ミトーニア市の城門付近では、街を包囲するエクター・ギルドの陸上部隊と市民軍との戦いが続いていた。ミトーニア側は、堅固な市壁とそこに据え付けた強力な砲列を頼みに、徹底的な防戦の構えである。いかに荒くれの腕自慢が揃ったギルドの繰士たちといえども、予想以上の抵抗に攻めあぐねていた。
 膠着状態の戦場。その上空に向かって三つの巨大な影が近づいてくる。ギルドの飛空艦3隻――陽の光を覆い隠さんばかりに長大な、白き翼を羽ばたかせ、悠然と浮遊するクレドールの姿もあった。
「あれじゃ、市壁は手つかずも同然だ。壁の外側の陣地を、あそこと、こちらと、他にも若干押さえた程度か……。俺たちもナッソス家の空中竜機兵の奇襲で足止めを食らったけど、ギルドの地上部隊もかなり手こずってるな」
 《鏡手》のヴェンデイルが、《複眼鏡》で地上の戦況を確認する。
「クレヴィー、この状況のままだと、じきにギルドの部隊はナッソス軍に背後からも攻められて、挟み撃ちになる」
 冷静な観察者、クレドールの《眼》の役割に徹しようとしながらながらも、ヴェンデイルの声には苛立ちが現れている。
 だが、対するクレヴィスの表情には、特に目立った感情の色は見られない。カルダイン艦長と視線で何か合図を交わしたかと思うと、クレヴィスはセシエルに《念信》を送るよう指示を出した。
「《アクス》は、敵飛行型に対する警戒を続けつつ、艦砲でラプサーを支援。セシー、連絡を。ただし市内に被害が及ばぬよう、極力、市壁への直接攻撃は避け、周辺の敵陣地を狙って妨害せよと。バーラー艦長は荒っぽいですからね。ふふ」
「了解。《ラプサー》の方も準備はできてるって」
 昨晩、若干の休息を取ったせいか、セシエルの集中力は日頃以上に高まっているようにみえた。凛と背筋を伸ばし、念信の水晶球に手を添え、別の手でも複雑な制御板を意のままに操作している。
 クレヴィスは目を細めて頷いた。
「ラプサーに搭載のアルマ・ヴィオも、打ち合わせ通りの体制ができていますね? この状況なら、さほどの困難はなく地上に降ろせるでしょう。降ろすだけなら……容易ですがね」
 窓外からの日差しを受け、ツーポイントの眼鏡が光る。
「クレドールもラプサーの支援にあたります。セシー、さっそくサモンに出撃を指示。《ファノミウル》を出して敵の対空放火を牽制。ラプサーからレーイが切り込んだら、こちらもすぐに《リュコス》を降ろして、続くカインの降下を支援。カインの機体は、今回、色々お荷物を抱えてますから」
「えぇ、分かったわ」
「お願いします。で、《アトレイオス》は《攻城刀》装備で待機。それでよいですね。カル?」
 クレヴィスは背後の艦長席に座っているカルダインを見上げて言った。
「ナッソス軍の陣容によっては、アトレイオスの武装を変える必要もなくはないですが……。レーイがいますから、彼が何とか対応するでしょう」


2 活路を開くか!? 強襲降下艦ラプサー



 クレドールの艦橋から指示が出るが早いか、残りの2隻も行動に移った。
 いち早く前に出た飛空艦ラプサー。その形状は、やや扁平な船体に鋭角的な甲冑が幾重にも重なったような、カブトガニや三葉虫を想起させる奇異なものだ。強襲降下艦――この特別な船は、今回のような攻城戦において威力を発揮する。アクスやクレドールの火力に支えられつつ、ラプサーが徐々に高度を下げてゆく。
「このタイミングだと、ナッソス家の先鋒隊と鉢合わせか。《鏡手》は、敵軍の侵攻状況を報告! 下部《接舷塔》の全砲門開け、《カヴァリアン》と《ハンティング・レクサー》の降下を支援する」
 謹厳なわりに、どことなく頼りなく聞こえるノックス艦長の口ぶり。ラプサーの艦橋を見渡すと、やはり賞金稼ぎや野武士のような風体の男どもが多い中、彼一人の雰囲気だけが変にいかめしく、規律を絵に描いた軍人のような態度で浮いている。実際、以前は議会軍の士官だったのだが。
「しかしこれは、ミトーニアからの対空放火も半端じゃないな。さすがに王国最大級の自由都市、市壁の防衛線も並みの要塞以上か……」
「何よその格好。艦長殿、肩に力が入り過ぎじゃないの!」
 シソーラは、やれやれと笑いながら、ノックスの背中を勢いよくはたいた。艦長の隣の席で、彼女は脚を組んでふんぞり返っている。これではどちらが艦長なのか分かったものではない。
「いざとなれば下手に回避せずに、この艦を《壁》にぶつけちゃいなさいな。にわか軍隊なんぞにギルドをなめてもらっちゃ困るワケよ、ヴェルナード」
 相変わらず過激なことをいうシソーラ――だが、強襲降下艦は、実際にそういう使われ方をすることがあるのだ。いわば船体のあちこちが衝角のような構造だから、敵方の城壁に艦を接触させてアルマ・ヴィオを突入させたり、地上から対空砲火を放つ塔を体当たりで破壊することもある。甲殻類を思わせる強固な鎧に身を包んだ姿は、元々そういった運用の仕方に由来する。
 おそらくこの船の《鏡手》であろう、クルーの1人が緊迫した声で告げる。
「ナッソス家のアルマ・ヴィオ、いよいよお出ましだ。敵の第一陣、ティグラーとリュコスを中心に陸戦型が約30、ミトーニアに高速で接近中。あと2、3分もあればギルドの陸戦隊と接触するぞ!!」
「さて、と。来たわね……」
 呑気そうに聞こえるシソーラの声にも、彼女なりに緊張感が増す。念信係の肩をぽんとたたいて、彼女は叫ぶ。
「プレアーの《フルファー》は出撃せよ! 後は《ファノミウル》のサモンに従うようにと。それから念信手、降りるタイミングは任せると、レーイの方にも伝えて」

 ◇

 シソーラがアルマ・ヴィオの出撃を指示すると同時に、ラプサーも速度を増し、ミトーニアに急接近した。激しい砲火にもひるまず、頑強な装甲と大きな図体には似合わない俊敏な動きで、さらに高度を落とす。
 地上、複雑な多角形型の市壁を堀が取り巻き、その外側に相手方の陣地が転々と築かれているのが見える。ギルドの部隊と市民軍が一進一退の衝突を繰り返す中、はるか上空のクレドールとアクスから敵陣めがけて多数の魔法弾が打ち込まれる。堀のあちこちで水柱が立ち上り、水蒸気が立ちのぼった。風の精霊魔法が小規模な嵐を起こし、突風が敵のアルマ・ヴィオを翻弄する。主として威嚇のための砲撃であり、過度の爆発や炎上を伴う魔法弾の使用は控えられているようだ。
 味方の飛空艦2隻に後方から援護され、ラプサーはさらに高度を下げる――いや、地上へと突撃する。船腹の装甲も非常に厚く、そこから地面に向かって強固な角のようにもみえる《接舷塔》が大きく突き出している。強襲降下艦独特の構造だ。飛空艦同士の戦いにはあまり向いている船だとは言えないが、その分、地上の敵を掃討する際に本領を発揮する。味方のアルマ・ヴィオを降下させる間隙を開くため、大地に雨のごとく魔法弾を降らせながら、敵に有無を言わさずラプサーが接近していく。

 ――プレアー・クレメント、《フルファー》、行くよ!
 開かれたハッチの奥、見事な枝振りの《牡鹿の角》が、暗がりから姿を見せた。それに続いて鎧をまとった巨人の身体、旧世界の異形のアルマ・ヴィオだ。金属的な高い鳴き声とともに、その背でコウモリを思わせる黒い翼が開く。
 ――《鳥》になれ!
 船から飛び出した機体が、乗り手の少女の声とともに瞬時に姿を変える。飛行形態に変形したフルファーは、螺旋の如き複雑な軌道を描きながら、地上からの攻撃を見事に回避し、雲の下へと降りていく。
 ――俺がしっかり場所を作ってやるから、気をつけて降りてこい。間違ってもプレアーを泣かすなよ。
 カインに念信を発すると、レーイも出撃した。
 ――レーイ・ヴァルハート、《カヴァリアン》、只今より降下を開始する。
 小銃型の手持ちのマギオ・スクロープ、《MgS・ドラグーン》を構えて、一本角の兜を身につけた汎用型アルマ・ヴィオが飛び降りた。次の瞬間、機体の背後に輝く光の翼が伸び、風にあおられて落下しつつ、ふわりと気流をとらえる。


3 激突、レーイ対ザックス!



 《翼》で制御しているとはいえ、やはり凄まじい速度で落下しているため、瞬時に変化していく大地との距離。だがその条件をものともせず、カヴァリアンの《銃》が地上に向けて精確に火を噴き、敵方のアルマ・ヴィオを次々と撃ち倒してゆく。
 ――な、何だあいつは!? 人間業じゃない!
 繰士の心の動揺を鏡に映すかのように、ミトーニア側の《リュコス》の一体が不意に足を止めた。
 ――はっ!?
 刹那、目の前に影が舞い降りる。リュコスは身動き一つとれぬまま、上空から走った光の白刃に脚を破壊され、地に崩れ落ちた。土煙を巻き上げて着地するカヴァリアン。
 間髪入れずに、レーイはMgS・ドラグーンを背に固定し、二本目の光の剣を抜き放つ。なおも敵方のアルマ・ヴィオが激しく殺到するも、もはや姿勢と足元の安定したレーイの敵ではなかった。二刀を手にしたその《剣》さばき、MTサーベルを振るわせたらギルドのエクター中、最強。
 が、そのとき……。

 ◇

 輝く靄のごとき球体がカヴァリアンの周囲を覆ったのと、ほぼ同時だった。
 視線の彼方から強力な雷撃弾が飛来し、球状の結界と衝突して空気を揺るがす。カヴァリアンは《結界型MTシールド》を発動して無事であったが、近くにいた他のアルマ・ヴィオは、混戦状態の敵味方のいずれをも問わず、相当の被害を被ったようだ。
 ――どこから? 長射程のマギオ・スクロープか、何!?
 レーイが地平の向こうを見たとき、新たな衝撃が襲いかかる。今度は機体の正面。黒い影が鋭利な爪をかざしてカヴァリアンに肉薄する。さながら瞬間移動のように。
 ――あの距離を一瞬だと!? 飛行、型か……?
 腕を突き出し、結界を前面に集中して見えない敵を防ぎながらも、カヴァリアンの機体はみるみるうちに背後に押されていく。飛び散る火花。光の刃と牙がぶつかり合う。

 ――正直、君には驚いたよ。ギルドにも良い乗り手がいたものだ。
 降ってわいたかのような敵から、出し抜けにレーイに念信が届く。だがその間も、両者は激しい戦闘を続けていた。念信から感じられる雰囲気からして、相手は初老の男のようだとレーイは思った。
 ――未知の敵の、しかも加速した《レプトリア》の不意打ちを何とか避けたとはな。反射神経だけでは今の回避は間に合うまい。魔道士か。いや、普通の繰士のようだが、ならば旧世界人の言う《超能力》か何かだと?
 いかに強化されたカヴァリアンの《目》をもってしても、敵の黒い獣の動きを十分に追うことはできなかった。剣を構えた瞬間、敵はもう手の届く範囲にはいない。同じく目にもとまらぬカヴァリアンのMTサーベルが、空を切った。剣の間合いで敵に攻撃をかわされることなど、レーイにとっては本来あり得ないはず。
 敵は余裕をみせ、レーイを翻弄でもするかのように呼びかけてくる。レプトリアの速さのおかげとはいえ、人の感覚を越えたその動きを自由に操るナッソス家のエクターも、尋常な腕前ではなかった。
 ――レプトリアの加速を真正面から受け止めず、剣で爪を巧みに受け流しつつ、背後に飛び退く。瞬時の判断力もたいしたものだが、やはりその機体の並外れた機動力もあってこそ。それも旧世界のアルマ・ヴィオのようだな。
 ――どうかな? いずれにせよ、どんなアルマ・ヴィオであろうと、そちらの速さには追いつけないと言いたげだが。姿を見せろ!
 レーイがそう言うが早いか、カヴァリアンは、即座に剣を背中のMgS・ドラグーンに持ち替えて発射した。
 ――魔法弾の軌道が曲がった!?
 得意の早撃ちをかわされた瞬間、レーイは次弾を放っていたが、再びあっけなく方向を反らされてしまう。
 ――それがMgSの軌道をねじ曲げる件の兵器……。やはり、クレドールの少年が今朝戦ったという、旧世界の超高速の陸戦型か。どんな魔法か手品かは知らないが、こちらの飛び道具も通用しないというわけだ。
 MgS・ドラグーンに変えて、再び剣を右手に構えたカヴァリアン。同時に左腕が目映く輝き、魔法力の盾、MTシールドが形成される。
 敵はその間に悠然と間合いを取り、恐るべき姿を現した。全身漆黒の機体は、爬虫類、いや、四つ足のほっそりした恐竜を思わせる体つき。あたかも大地を滑空するかのように、超速で駆けるための翼。
 ――ほぅ、こちらのことを少しは知っていたようだな。私は、ナッソス家の四人衆が一人、ザックス・アインホルス。いや、かつて四人衆であった者だと言うべきか。君の名を聞こう。
 ――俺はレーイ・ヴァルハート。ギルドの戦士。それ以上でも以下でもない。
 その名を聞けば、ザックスも知らないはずはなかった。
 ――ギルド随一の繰士と呼び声の高い、あのヴァルハート。確かにな……。本来ならば、もっと別な形で手合わせ願いたかったが……。これもナッソスの殿とカセリナ姫の御ため、参る!!
 レプトリアがバネのような動きで大地を一蹴、轟音と共に、その姿はレーイの視界から瞬時に消失する。
 いったんは戦いの場を退き、剣を鍬に持ち替え、妻や子供たちと静かに暮らしていたザックス。だが今や彼は、再び勇猛なる戦場の鬼神に戻っていた。


4 ベルセア、まさかの惨敗!?



 ◇

 ――あれは、いったい何? レーイは何と戦ってるのよ!? 
 ミトーニア上空、深紅の翼を羽ばたかせ、ラピオ・アヴィスが接近してくる。一足先に出撃し、ナッソス軍の動きを追跡してきたメイ。彼女は、市の城門を目前にしたところで、未確認の敵、謎の影と戦うレーイの姿を発見した。
 光の剣と盾を自在に操り、レーイのカヴァリアンが前後左右に激しい打ち合いを続けている。だが彼と交戦中の相手の動きはあまりにも俊敏で、上空からはただの黒い物体としてしか把握できない。
 強いて言うなら、あの速さは――アルマ・ヴィオというより、もはや砲弾だ。それをカヴァリアンが剣で必死になぎ払っているようにも見える。
 敵の正体を確認する間もなく、メイの念信に連絡が飛び込んでくる。
 この感じは、セシエルの心の声だ。
 ――こちらクレドール。いま、リュコスが降下した。ラプサーみたいに街に接近するのは無理だから、少し離れたところにしか降ろせなかったわ。場所を伝える、援護して!!
 ――了解。それからレーイが敵に押されてるようだけど、まさかね。どっちみち、あたしはベルセアの援護に向かって問題ないでしょ? だって、あいつはレーイだからね。
 メイはわざとふざけてみせた。そして、途中から深刻な声に変わる。
 ――レーイのくせに、苦戦なんかしてんじゃないわよ、まったく、さ。悔しいけど、あんな凄い速さの剣さばきで戦っているところに、あたしが出て行ったって……足手まといにしかならない。
 ラピオ・アヴィスは急速に方向転換し、ベルセアの乗ったリュコスの支援に駆けつける。

 ◇

 同じ頃、地上では、硝煙に霞んで見えるミトーニアに向かい、持ち前の俊足を生かしてリュコスが走る。駆け出して間もなく、火系の魔法弾が機体の周囲に何発か着弾し、次々と爆炎を呼び起こす。
 ――狙ってんのか流れ弾かは知らないが、俺のリュコスがこんなトロい砲撃くらうかっつーの!
 軽口をたたきながら、ベルセアは愛機を巧みに操る。金属の輝く肌をまとった狼は、火の海と煙の壁の中を突っ切って、軽快なフットワークで敵弾をかいくぐっていく。
 ――こんな調子なら、城門まであとひとっ飛びだぜ。このへんじゃ、お仲間さんも善戦してるようだしな。
 進路前方にギルドのアルマ・ヴィオ数機を確認し、余裕のベルセア。彼が口笛でも吹きたくなったそのとき――突然、それらのアルマ・ヴィオの群れが何者かに襲われ、瞬時になぎ倒された。
 ――おいおい、褒めた途端にこれか……。だが気をつけろ、相棒よ。何か見えたが、敵だな。今のは何なんだよ!?
 自らと一体化しているリュコスに、ベルセアが思念を送る。
 ――残念だ。確認できなかった。あまりに動きが速く……。
 必要最低限、機械的な声が帰ってきた。普通のアルマ・ヴィオの返事は大体似たり寄ったり、そんなものだ。
 ――せいぜい前はよく見て走れってか。何!?
 目で理解する前に、機体=身体に激震が伝わる。一瞬、ベルセアの目の前が真っ暗になり、ほとんど跳ね上げられるような姿勢でリュコスが空中に舞った。半分は回避し、半分は敵からの打撃を受けた結果だ。
 相手の接近の気配すらなかった。攻撃前、攻撃後、敵は己の位置を全くさとらせていない。姿無きアルマ・ヴィオ。
 だがベルセアも腕は確かだ。吹き飛ばされたリュコスは宙で一回転して姿勢を戻し、見事に着地する。
 ――そこか!?
 いま着いたばかりの地面を蹴って、リュコスが果敢に飛び出す。しかし手応えは空しかった。今度は確かに気配も察知しての反撃だったはずだ。それにもかかわらず、敵は戦いの間合いから離脱し、とうに近くにはいない。
 ――なんて速さだ、ほんとに相手はアルマ・ヴィオなんだろうな?
 急に寒気を感じ、ベルセアは慎重に周囲を警戒する。昼間の日差しのもと、しかも視界を遮る背の高い木々は生えていない。それでも敵の姿をはっきりと捉えることができないとは……。
 ベルセアには動揺する余裕すらなかった。敵の第二、第三の攻撃、それ以上の攻撃が息つく間もなく飛んでくる。かわし続けるのは不可能だ。致命傷は避けたものの、ついに直撃を受けてしまい、リュコスの動きが重くなった。
 ――ちっ! 後ろ脚をやられた。これはさすがに冗談じゃ済まねぇぞ……。
 音もなく迫る伝説の影の魔物のごとく、敵は反撃の機会も与えぬまま、ベルセアを圧倒する。


5 強敵・ナッソス四人衆! メイも敗北?



 ◇

 リュコスの位置を確認したメイが、ラピオ・アヴィスの翼を駆る。その速さは陸戦型とは比べ物にならない。鉤爪を開いた赤い怪鳥が、地上めがけて猛然と滑空する。
 ――動かないでベルセア、あんたも当たっちゃうわよ!!
 空から急降下して襲いかかると同時に、ラピオ・アヴィスは氷結弾を放ち、敵の動きを少しでも封じようとする。
 リュコスの周囲の地面を白い凍気が覆うが、肝心の敵には冷気の魔法弾は避けられてしまった。一瞬見えた敵の姿。だが続いてラピオ・アヴィスの鋭い爪が掴みかかったのは、空っぽの地面に対してだった。そこに、もう何も見あたらない。
 ――凍結の呪文をMgSに込めたのは、賢明な選択だったな。だが上空から狙ったところで、魔法弾が地上に届いたときには、俺はもうそこにいない。
 見知らぬ繰士からの念信。敵のエクターだとメイが思ったときには、下から雷撃弾に狙い撃ちにされていた。
 翼に被弾し、ラピオ・アヴィスの姿勢が崩れる。
 ――くそ! これってルキアンが今朝戦った旧世界の……。さっきレーイが戦っていたのも、こいつと同じ?
 根性だと言わんばかりに、メイは必死に上空に舞い上がろうとする。ラピオ・アヴィスも、傷ついた翼を力の限り羽ばたかせ、彼女に応えた。鋭い鳴き声が辺りに響き渡る。
 ――動け、ラピオ・アヴィス! ルキアンが互角に戦った相手だったら、あたしは、まだ負けられないんだ!!
 しかし彼女の意気込みも及ばなかった。続く敵弾にラピオ・アヴィスは尾を貫かれ、もはや飛行困難な状態に陥ってしまう。
 ――馬鹿にするんじゃないわよ。いま、一撃であたしを殺れたくせに、わざわざ翼や尾に当てただろ!?
 強がってみせたものの、メイには次の手がない。
 ――飛行型でも、いや、ラピオ・アヴイスでさえスピード負けするなんて。不覚。これじゃ、レーイだって苦戦するわね……。
 墜落は免れそうだが、動きの自由がまだ利く間に不時着した方が良いのは確かだ。白煙を上げてふらふらと地上に向かうラピオ・アヴィス。敵の飛行型が周囲にいなかったのが、せめてもの幸いだった。
 ――俺はレディーに手を上げるのが何より嫌いなんでな。そこでおとなしく休んでるがいい、お嬢さん。ついでに教えとくが、俺はパリス・ブローヌだ。ナッソス四人衆のパリス、覚えておきな……。
 何故か心地よい響きの、しかし多分にキザな感じの中年男の声。大地に足音だけを残して、黒い機体は城門の方へと消えた。


【続く】



 ※2007年6月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第33話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


5 旧世界の歴史は予め定められていた!?



 ◇ ◇

 風吹く丘の上。手入れの行き届いた木々が、夜の郊外に黒々と立ち並んでいる。豊かに茂った生け垣に囲まれて、白壁に煉瓦屋根のこぢんまりとした屋敷が建っていた。麓に転々としていた街の灯火もわずかになり始めた頃、屋敷の一室、薄明かりの漏れる窓の向こうで、時を告げる仕掛け時計の音が聞こえた。
 そして、かすかな声も。
「星々は動き始めた。北の空にひとつ冷たく浮かんでいた銀の星は、その従者たる常闇の守護星を伴い、天球における自らの運行を早めている。そして火の衛星の赤さが色濃くなり始めたのに呼応して、あの星も本来の輝きを取り戻す時期にきている」
 古い天球儀を傍らに、深紅のケープをまとった女性が夜空を仰ぎ見た。
 星を読み、天空のことわりを解し、人や世の行く末を見通す者。魔道にも深く通じたタロスの占星術師、アマリア・ラ・セレスティル。遠見の水晶によって、遥かレマール海を隔てたオーリウムで戦うルキアンとアルフェリオンの姿を見通し、さらにはガノリスでのグレイルの覚醒をも見守ったことは、《紅の魔女》アマリアにとってはごく簡単な術にすぎない。
「緑翠の星はすでにその力強く……しかし、彼(か)の元に本来あるべき気まぐれな風の遊星は、いましばらく天宙(そら)を漂うだろう」
 彼女の意味ありげな言葉は、夜空に浮かぶ実際の星々のことを指しているのではないようにも思われる。眼差しも顔色も変わらぬまま、アマリアの声の響きだけがわずかに重くなった。
「水の守護星は目覚めた。だがその主なる星は未だ暗く……いや、その弱々しい光は消えつつあると言うべきか。フォリオム、どう見る?」
 小さなランプひとつが灯るばかりの部屋の中、暗がりの向こうから、老人の声がアマリアの言葉に続いた。
「たしかイアラとか言ったかの? 《あらかじめ歪められた生》は、あの娘には重すぎたか。彼女は自分自身の心の壁によって囚われている。彼女が己の運命と向き合い、《あの存在》の掌から抜け出すために最も必要なものは、何も《御子》としての特別な力ではない。生きようとする……ひとりの人間としての意志の強さに他ならぬよ。それが決定的なんじゃが」
 堅い木が石の床を打つ、乾いた音。暗闇から生えてきたかのように、緩やかにねじ曲がった杖が見えた。
「そもそも《あれ》が人の世に《御使い(みつかい)》を遣わすのも、絶対者の定めた予定調和が《人の子》の《意志》の力によって歪められる場合があるからなのじゃ。そのほころびを《修正》するのが彼らの役目。時の経過による自然修復が難しいほどに、予め定められた道程から人の歴史が大きく外れた場合には、そうやってしばしば《書き直し》が行われてきた。勿論、人間はそれには気づいておらぬ。リュシオン・エインザールをはじめとする、ごく例外的な者をのぞけば」
 アマリアは椅子に深く腰掛け、眠ったように沈黙している。そんな彼女を前に淡々と話し続けるフォリオムの姿は、子守歌を歌い、お伽の物語を語る老人のようにみえた。影絵さながらにぼんやりと揺れていた彼の姿が、次第にはっきりとした形を取っていく。
「しかしあの時点で気づいても、旧世界にとってはもはや遅かったのじゃよ。結局、人の子はみな絶対者の定めた因果を展開する《駒》でしかなかった、ということをただ知って、だからといってどうしようもできなんだ。人類が母なる惑星にとどまらず、星の海に《天空植民市群》を作り上げたことも、豊かな大地が《永遠の青い夜》に閉ざされ、魔の世界となり果て、《アークの民》がそこから旅だったことも――その結果、人間が《天空人》と《地上人》とに分かたれていったことも、要するに《旧陽暦》時代の歴史すべてが最初から筋書き通りだったのだと、エインザール博士は思い知らされた。その流れを変えようとすることが、《人の子》には許されぬ行いだったともな」
 普段より実体化の度合いを強めたフォリオムは、深い緑色のローブをまとい、白く長い髭を口元や顎に生やした、いにしえの魔法使いか老賢人を思わせる姿である。
「お主が間違いなく未来を見通せるのも、ことによれば、この世に生起する出来事が予め一定の筋書きにしたがっているからかもしれんのぅ。それならば、何らかの力で事前に読み取ることもできる。ほっほっほ。」
 椅子に背をもたせかけたまま、アマリアは、乾いた口調で言う。
「あまり楽しくない冗談だな。もし本当に未来が変えられないなら、人は占いなど聞きに来るまい。何もせずとも変わらぬし、何をしても変えられない……ならば最終的には無意味だ。それに私も、未来に何が起こるかまでは読めても、その結果までは読めないことも多い」


6 恐るべき「御使い」たち



「はての。いつも言っとるように、お主にはもう少し可愛げがないといかん。そう何もかも真正面から返答されても困るわい。ともかく、考えてみよ。人間の中から《アークの民》が現れ、その血を受け継ぐ者たちが《天空人》として生き、残された《古い》人間たちは《地上人》として大地に残された。こうして人が二つに分かたれたこと――二千数百年に及んだ《旧陽暦》の最終局面で、《新しい人の子》が生まれるに至ったこと――これは果たして偶然じゃろうか?あるいは《人類の進歩》だとか《旧世界の魔法科学文明》のもたらした《結果》だとか、そう説明すれば済むことだと思うかの?」
 パラディーヴァの翁の目が、くらがりで光を増した。
「たしかに、《アークの民》は人によって選ばれ、人の力で《星の海》に送り出された。計画を決めたのもみな人間自身じゃ。ただ、その過程において――もし旧世界人たちが《主体》として振る舞っているようにみえ、自分でもそう意識しつつ、実は因果律の定めを現実化する役割を自覚なしに担っていたのだとしたら、どうかの?」
 アマリアは椅子から立ち上がると、部屋の隅の棚から膝掛けを取り出した。
「冷えてきたな、フォリオム。いや、パラディーヴァには寒暖など関わりないことか……。失礼、ご老体の言いたいことは分かる。《アークの民》や《天空人》の件は、《成り行きの結果》でも《人間の意志の産物》でもなく、《予め定められた必然》だったというのか。しかし《アークの民》というのは、《永遠の青い夜》によって変わり果ててしまった《母なる星あるいは地上界》から、種としての人類が滅びぬように選ばれた者たちなのだろう? つまりは《永遠の青い夜》という降ってわいた災厄がなければ、《アークの民》など選ばれる必要はなかった。それでもやはり《必然》なのか、違うのか」
 彼女の口元が微かに緩んだのを、フォリオムは見逃さなかった。
「こらこら、《年寄り》を試すものではないぞ、アマリア。お主も分かっているだろうに。まさに《偶然》を装い、《あれ》はこの世に一定の《契機》を与える。そうやって蒔かれた《種》とも知らずに、人間たちは物事の流れを受け取り、さらなる現実へと展開させてゆく。偶然の災害を《天》災と呼ぶことにしたとは、昔の人間は物の本質をよく見抜いておったものよ……」
 ふと、フォリオムの瞳の中で感情らしきものが揺れた。あるいは、外観的にそう見えただけで、目の錯覚かもしれない。部屋の出窓には、簡素な白い野花の鉢植えが置かれている。その向こうの星空をフォリオムは見つめる。
「昔、エインザール博士は、リューヌだけでなく、わしにも時々語っていた。《新たな人の子》を創造すること、言い換えれば《人間》をより《高次》の存在へと《昇華》させるという《目的》が、《何か》によって自分たちの歴史に予め定められているような気がする、と。《解放戦争》の始まる以前から、博士はそう感じていたらしい。直感の鋭い男であったからの」
 しばらくアマリアは無言で話を聞き続けた。淡い黄金色の灯火のもと、彼女の髪もよく似た色の光を浮かべている。
 フォリオムの知識は深い。《地》のパラディーヴァは、同時に《智》のそれでもあるのだろうか。エインザールの戦いの背景にあった本当の事情を、当時の断片的な情報に頼りつつも、彼は的確にとらえていた。
「そして《地上界》の勝利が確実となり、二つに分かたれた《世界》及び《人》がひとつに還ろうとしていた頃、皆が勝利への期待に酔う中で、博士の不安だけはいっそう強まった。仮に、人間の歴史に先ほど言ったような《目的》が定められていたとしたら、自分たちの戦いは、連綿と続いてきた旧世界の歴史をいったん白紙に戻すことを意味するのではないかと。それが現実となったとき、《目的》の実現に向かって因果の輪を着々とつなげてきた《力》の側からの、つまり《あれ》からの、何らかの反作用が必ず生じるのではないかという漠然とした危惧を持っておった。それは、途方もない妄想・杞憂のたぐいであるように思われた。じゃが、たしかに《天上界》の崩壊によって、因果の定めは、もはや修正し難いほどに覆されることになった。《あの存在》の前では塵以下にすぎない一人の《人の子》、リュシオン・エインザールによって、世界の向かうべき方向は大きく変えられたのじゃよ。いま思えば、だから……」
 押し殺したような声でフォリオムは付け加える。

  《御使いたちが、それを見逃すはずはなかった》


7 世界を統べる因果律と、もうひとつの力



 ◇ ◇

「するとリュシオン・エインザールは、二度と戻れないと分かっていながら、最後の戦いに向かった。そういうことなの?」
 娘は甲高く声を上げた。どうも落ち着かないその声色に比べて、彼女の髪は、見る者に神秘的な印象を与えるものであった。険峻な高山の谷間で冷たい水をたたえ、生き物の気配もなく静まりかえる湖――そんな場所の水面はしばしば、こういった白みがかった緑色をしている。ちょうど彼女の髪のように。
 彼女の隣には、同じ色の髪をもち、顔の作りもよく似た年上の女性が立っている。例の《ネペントの一族》の姉妹だ。姿は似ていても、全体的な印象は好対照だった。姉シディアの方が、落ち着いた優雅な雰囲気である。他方、高い声で好き放題にさえずる小鳥のような妹のエイナは、まだ十代で表情にあどけなさが残り、髪型が姉に比べて短いせいもあろうが、とても活発な感じを受ける。
「そうですね。エイナお嬢様……。だが未来に希望がないわけではなかったと思いますよ。むしろ未来に希望をつなげるため、エインザールは最後の戦いに赴いた。クククク、なかなかの英雄ぶりではありませんか。彼も漠然と予感していたのです。《あの存在》の力とは異なる《もうひとつの力》が、因果律にしばしば影響を与えていることを」
 好感の持てる姉妹とは対照的に、お世辞にも近寄りやすいとは言いがたい、魔術師ウーシオンが答える。顔立ちは意外に、いや、相当の美形だと言えるほど整っており、男性にしてはとても美しい流れるような髪をしていた。だが、薄ら笑いを浮かべた冷たい口元や、無表情な目つき、陰湿そうな顔つき等々、見れば見るほど病的な要素にあふれている男だ。しかも話し方には――特に小声で気味悪く笑う声には――背筋が寒くなる。
 そんな彼にも不自然さを感じないのか、あるいは慣れっこになっているのか、ネペントの姉妹たちは普通に話に聞き入っている。案外、ウーシオンも見た目ほど怪しい人間ではないのかもしれない。冷笑的な物言いが気にならなければ、彼の話には豊かな博識も感じられる。
「ククク……きわめて単純化して言えば、この世界のことがらは、歴史の縦糸たる《必然の力》のようなものと、それを揺さぶる《偶然の力》のようなものと、両者の相互の影響のもとで生成し、流転しています。我々の世界は基本的に前者によって因果的に定められています。その《必然の力》自体、またはその力を司る何かが、おそらく《あの存在》と呼ばれているのでしょう。しかし、《あの存在》の因果律の枠内における《特異点または作用点》を通じ、《もう一方の力》も、この世界に影響を及ぼしうるのです。《作用点》は《人の子》のかたちを取ります。特定の人間を媒介とする力の《流出》……。その《作用点》である人間こそが、《御子》と呼ばれる者たちです。かつてエインザールがそうであったように。クックック……」
 彼の話に半信半疑で、しかめっ面をするエイナ。それが目にもとまっていないような表情で、心地の悪いウーシオンの語りは続いた。
「だが《あの存在》の側にも、この《像世界》の現実において、直接的に力を行使するための化身――《御使い》がいます。《御使い》たちは、《あの存在》が世界や人に対して影響力を及ぼすための単なる道具ではなく、自らの明確な意志を持ち、《あれ》の定めにしたがって因果系列を維持・発展させるためには、あらゆる手段を用いるのですよ。フフフ。人間の持つような大儀や道理などとは無縁に、目標の達成のみを最大限に追求する彼らの手段は、我々の価値観からみる限り、往々にして狡猾・非情・卑劣・残忍……もっとも、彼ら自身はそんな意図や感情は持ち合わせていないでしょうが。結果としてそういうものになりがちなのです。ある意味、人間にとってもっとも忌まわしき敵は、この《御使い》たち……」


8 人が人でないものと戦うための「鎧」?



 退屈そうな顔をしていたエイナが手を打った。
「ねぇ、ウーシオン。だったら、《御使い》なんてご大層な名前をつけられているわりには、そいつらは悪者じゃないの?」
 冷笑――この言葉がこれほど似合う男はいない。ウーシオンは一笑に付した。別に悪気はないのだろうが、それは、慣れているはずのエイナにも決して気持ちよいものではない。
「ククク。お嬢様、《善》や《悪》とは関係ありません。《あれ》の予定調和のシステムの中には、我々の価値に基づいて個別に判断すれば、善悪両方の要素が含まれています。だが、その善悪は《人の子》の基準に過ぎません。《あの存在》や《御使い》にとっては、予め定められた因果律に従ってこの《像世界》における現象を生起させていくことが、我々の概念でいうところの《善》であって、因果律を乱すものはすべて《悪》ということになるのです。ですから《御使い》にしても、場合によっては我々にとって《天使》であり、場合によっては《悪魔》でもあるのです。いや、《神》や《天使》、《悪魔》などという概念によって、《あの存在》と《御使い》を説明しようとするのは筋違いでしょうが」
 二人のやりとりを見ていたシディアがため息をついた。感嘆したのか、呆れたのか、それは分からない。彼女は、静かに、しかし力を言葉に込めてつぶやいた。自らの決意を確認するかのように。
「《あれ》や《御使い》が何であろうと、ただひとつ言えることがあります。もしこの世界の事象が、人の歴史が、一人一人の行いが、すべて因果律によって予め定められた結果なのだとしたら、私たちは《生きた人形》か《駒》でしかなく、《主体としての存在性》を喪失する。未来が決定されることにとって、人間の《意志》が意味を持たないのだとしたら、そんな世界に《人間の尊厳》を求めることは空しい。たとえ何が《敵》であろうと、私たち《鍵の守人》は、《御子》と共に戦わねばなりません。すべての《人の子》のために……」

 ◇

 三人の背後では、《帝国軍》の侵攻に備え、《オンディーヌ》の出航準備が進められている。開かれた船腹から、巨人の兵士――いや、汎用型のアルマ・ヴィオが列をなし、次々と自ら乗り込んでいく様子もうかがえる。それらの統一的なシルエットからして、この艦に搭載される機体は、ほとんどが同じ種類であるようだ。だが搭乗口までの距離がありすぎ、周囲の照明も不十分であるため、どのような形や色のアルマ・ヴィオなのか、いかなる武器を持っているのか、細部までは把握しがたい。
 それほどにオンディーヌは大きいのだ。いったい何百メートルあるのか、あるいは1キロ前後の長さがあるのかもしれなかった。艦首はおろか、船体の大半は、遠く闇の向こうに隠れて見えない。
 ネペント家の姉妹は去り、一人残されたウーシオンはつぶやく。
「よいお覚悟ですね。シディアお嬢様は……。ククク、考えてもみてください。《アルファ・アポリオン》の力は、この世界を七度も灰にすることができると恐れられていました。人間にとって、いや、《人と人との戦い》のために、そんな途方もない力が必要だったとでも? あれは本当は《何のため》の兵器なのか……。そう、あれは……」
 ウーシオンは目を血走らせ、珍しく興奮気味に笑った。
「《人が、人でないものと戦う》ための剣であり鎧なのですよ。それを身にまとうことができるのは、エインザールを継ぐ《闇の御子》のみ。おそらくその者こそ、《ノクティルカの鍵》の力を発現させる《通廊》となりうるかもしれません。クク、ククク……」

 ◇ ◇

 自らの真の役割を未だ知らざるルキアンは、人の世界の成り行きに翻弄されたまま、ミトーニアにいた。市庁舎前に続く大通りをバリケードが遮り、さらにその手前には、黄金色に縁取られた甲冑をまとう重装型のティグラー3体が立ちふさがっている。
 それらと対峙する白銀の天使、アルフェリオン・ノヴィーア。


【第34話に続く】



 ※2003年1月~2007年5月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第33話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  いま汝に為せることを為せ。

 ◇ 第33話 ◇


1 フォーロックの家に匿われたアレス…



「あ、どうも。わざわざ、ありがとう……。ございます」
 アレスは恐縮気味に礼を言った。彼としては最大限に礼儀正しい言動のつもりなのだろうが、見た目にはどうにもぎこちない。
 隣の席で無言のままお辞儀をしたのは、旧世界の少女イリスだ。
 華奢な身を椅子に委ね、輝く天蛇を思わせる艶やかな髪を自然に垂らし、夢見心地の瞳をぱっちりと開いて微動だにしない様子は、神秘的であると同時に、人形のように愛らしかった。
 反面、イリスの表情は堅く、もちろん言葉は無い。その冷たい美貌は、機械仕掛けの精密な人形のようである。
 顔を伏せ、無関心な視線をテーブルの表面に向けたままのイリスとは対照的に、アレスの振る舞いは忙しなかった。先程の一瞬の行儀良さなど忘れたといわんばかりに、上下左右、物珍しそうにキョロキョロしている。
 決して豪華ではないにせよ、それなりに小綺麗な室内に2人は居た。壁や床から調度に至るまで石材を随所に用いた様式は、王国北部の商家を連想させる。実際、この王都エルハインまで来ると、文化や風土の点では北国の雰囲気が強くなるのだが。
 アレスたちにお茶を運んできた若い女性が、目を細めて笑った。
「珍しく可愛らしいお客さんね。この人のお友達といったら、たいてい、荒っぽい傭兵さんや発掘屋さんばかりなんだから」
 《傭兵さん》や《発掘屋さん》という表現には、子供っぽい、品の良い素人臭さが満ちていた。
 誰もが同じ第一印象をもちそうな――彼女の《白さ。》 雪のように白い肌という表現は、十中八九、大げさで陳腐な表現になってしまうものだが、彼女の場合は例外である。だが、空恐ろしいほどの白さは、病的な弱さをも感じさせた。彼女の朗らかな笑顔とは裏腹に……。
 アレスの向かいに座っているフォーロックが、大げさに肩をすくめる。彼自身もいわゆる野蛮な発掘屋、ジャンク・ハンターだ。
「可愛らしい? この娘(こ)はともかく、一人前の繰士をつかまえて、それはないだろ」
 フォーロックはアレスと顔を見合わせて笑ったが、すぐに心配そうに振り返っていた。
「休んでなくて大丈夫か? ミーナ、後は俺がやるよ」
「……ありがとう。でも大丈夫。今日は調子がいいから。元気なお客さんが来てくれたのだし、私も元気を分けてもらわなくっちゃ」
 ほのかに水色がかった銀髪を揺らし、ミーナは首を振った。比較的背が高いせいか、彼女の身体は余計に細く感じられる。
 言われるまでもなく病弱そうなミーナの姿は、アレスの目には、どことなくイリスと重なって見えた。
「あのさ――ミーナさんって、どこか悪いの?」
 呆れるほど単刀直入な質問だ。それゆえにまたアレスらしいが。
「うん、少しね。でも慣れてるから……。私もお仲間に入れてもらっていい?」
 彼の不躾さにも眉をひそめることなく、ミーナは笑顔でテーブルに着いた。
 端正ながらも無機質になりがちな、灰色の石壁が目立つ空間の所々に、草木がさりげなく飾られている。ほっとするような緑色のアクセント。無骨なフォーロックにそんな趣味があるとは思えないから、たぶんミーナの手によるものだろうとアレスは思った。
 少々野暮ったいが剛毅な戦士フォーロック、繊細で弱々しいミーナ。恋人同士の彼らは、訳あってこの家で共に暮らしていた。不似合いゆえに、かえってお似合いなのかもしれない。
 2人を見つめる少年に、フォーロックは親しげに言った。
「本当に、まぁ、ここを《隠れ家》に――しばらく俺たちの家に居候してもらって構わないよ。人を隠すなら人の中とは言うが、エルハインの街では情報屋の類が目を光らせているからな。誰かが君たちを捜しているというのなら、とっくに情報屋にも話が回っていると思う。俺が追っ手の立場だったら、そうするだろうよ。その点、ここは心配ないさ」
 彼は窓の方を顎でしゃくった。
 外の景色が見える。白っぽい地面に細長い木々が規則的に立ち並んでいる。その奥には畑が広がり、ぽつぽつと農家が点在し、小さな神殿の塔も顔を出していた。だがお世辞にも町の中とは言い難い風景だ。ここが王都の郊外、市街からさほど離れていない場所だとは意外であろう。


2 冒険少年アレス、しばしの安らぎ?



 素朴な農村地帯に、故郷の村を思い出したアレス。柄にもなく遠い目をしている彼の肩を、フォーロックがポンと叩いた。
「アレス。ワケありで急いでいるのは分かるが、ブロントンのところに行くのは明日にした方がいい。さっきの話じゃ、昨日も強行軍で野宿だったそうじゃないか。今日は一日ゆっくり休め。体力をつけておかないと、肝心の時に困るぞ……。そうだ、今晩のために旨いもん買ってきてやるからよ」
 《でも俺たちには、時間が》と言いかけたアレス。それでも彼なりに気を使ったのだろう――そこで言葉を飲み込んだ。
 代わりに彼の口から出た感謝。
「ありがとう。何から何まで。スリから財布を取り返してもらったうえに、こんなことまでしてもらって。フォーロックさんのような親切な人に会えて運が良かった。嬉しいぜ、俺!」
 子供のようにはしゃぐアレス。
 だがイリスは相変わらず、口元さえ緩めないまま、暗い目をして座っている。

 ◇

 アレスの背後で柱時計が鳴ったかと思うと、時を同じくして、近くの神殿からも正午の鐘が聞こえてきた。郊外の静かな丘陵地に、少しこもったような、ブロンズが柔らかに奏でる時の音が響く。
 ひとときの談笑の後、フォーロックは思い出したように言った。
「盛り上がってきたところ、残念だが――仕事の話で街に行かなきゃならないんだ。あぁ、君たちはゆっくりしていてくれ。押しつけて悪いが、もうしばらくミーナの話し相手になってやってくれないか」
「仕事? もしかして、アルマ・ヴィオで悪者と戦うとか?」
 興味津々のアレス。お上品な茶飲み話よりも、冒険やら発掘やらといった事柄の方が、やはり彼の性には合うらしい。
「ははは。そんなご大層なことじゃない。ハンター・ギルドの方に何か儲かる依頼が入ってないか、見に行ってくるだけさ。俺の日課みたいなもんだ。ブロントンのおっさんが来ていたら、君たちのことを話しておくよ。ミーナ、2人を頼む」
 フォーロックはミーナに軽く口づけすると、上着を肩に引っ掛け、足早に出ていった。

 ◇

「ごめんね。あれでけっこう忙しい人なの。私は今のままで、お金が無くてもこれで幸せなのに。彼ったら、もっと稼がなきゃって、いつも無理して……」
 話の途中で、ミーナは激しく咳き込んだ。
「大丈夫? やっぱり寝てなくちゃ」
 心配そうなアレスに、彼女は無理に笑顔を作って見せた。
「ありがとう。軽く咳が出ただけ。さっきも《慣れてる》って言ったでしょ。小さな頃から病気がちで、いつも寝てばかりだったから。特殊な体質のようなものだって、前に施術師から聞いた。病気は薬や魔法ですぐに治せるけど、病気にかかりやすい体質までは、魔法でもどうにもならないって」
 ――そうか。だからお金が要るんだな、フォーロックさん。魔法で病気を治すのって高いからな。俺の父ちゃんだって、もっと腕のいい施術師の術で癒してもらえたら、あんなことにはならなかったかも……。
 アレスは寂しそうに納得した。
 《現世界》の言葉が分かりづらいせいもあるだろうが、イリスはミーナの話に何の同情も見せていない。置物のように行儀良く座っているだけだ。
 ――こいつ、本当に変わってるよなぁ。
 横目でイリスを眺めた後、ふとアレスは、奥の暖炉の上を見やった。
「ねぇ、ミーナさん。あそこの壁に飾ってある楯、随分立派だけど、何かスゴイ魔法の楯とか?」
 緻密な細工によって下地に描かれた獅子や竜の絵、その真ん中に堂々と金色の孔雀の紋章が入った、実戦に使うのは勿体ないような逸品だ。
 訪ねられたミーナの方も首をかしげ、ごく簡単に説明した。
「実は私もよく知らないけど、あれは、フォーロックが何かの剣術大会でもらった賞品だったと思う。ごめんね。私、武器にはあまり興味がないし、よく聞いてなくって……」
「すごいな。剣の腕も立つんだね。俺も早く、フォーロックさんみたいなエクターになりたい」
 だがミーナはアレスの言葉に気乗りしない様子で、微かに表情を曇らせた。
「アレス君は、どうしてエクターになったの?」
「いや、たまたまアルマ・ヴィオに乗ってるけど、俺なんかまだエクターじゃないよ。でも俺、いつか必ず父ちゃんみたいになるって、子供の頃から夢なんだ。ウチの父ちゃん、世界中を旅して回った冒険者で、けっこう有名なエクターだったんだぜ。でね……」
 目を輝かせて勢いよく語り始めたアレスは、もう止まらない。
 ミーナはどこか悲しそうな顔で聴き入っていた。
「父ちゃんはずっと前に死んじゃったから、代わりに早く立派なエクターになって、母ちゃんに楽な暮らしをさせてやりたいんだ。俺、アシュボルの谷っていうところに、母ちゃんと一緒に住んでた。ラプルスの山の中にあって、ちょっと不便だけど、いいところなんだ。知ってる?」
「そうね……。アシュボルの谷?――は知らないけれど、ラプルスの山々のことは、絵で見たりして知っているわ。本当に素敵なところみたいね。そうだ!もし私の病気がもっと良くなったら、フォーロックと一緒に、アレス君の家に遊びに行きたいわ」
 ミーナの申し出にますます気をよくして、アレスは椅子から立ち上がりそうになるほど、大げさに喜んだ。
「本当? ミーナさん、絶対元気になるって約束だぞ! それで、谷に遊びに来るって。な、イリスも一緒に――あれ、イリス?」
「……」
 2人のにぎやかな会話をよそに、そっとお茶を飲んでいたイリスは、感情の光のない目でアレスを見るのだった。


3 「あの存在」の掌の上で踊る人間たち



 ◇ ◇

 崖下を流れゆくモスグレーの川面を眺めながら、グレイルは無言で立ちつくしていた。右手を胸に当て、わずかにうなだれた彼は、生まれては消える水泡を凝視する。
 彼の隣、空中にふわふわと漂うフラメアは、炎のかたちではなく人の姿を――例の赤い髪の娘の姿を取っていた。彼女はその場でゆっくり旋回したかと思うと、今度は小さな鬼火を手のひらの上に呼び出し、お手玉のように弄ぶ。
「ちょっと、グレイルってば。いつまで黙ってんのさ。退屈して化石になっちゃいそうだよ……」
 言葉遣いはともかく、声そのものは意外に愛らしい。
 無視されたフラメアは、グレイルに向かって舌を出し、また炎と戯れて暇つぶしを始める。彼女が息を吹きかけるたびに、炎は丸くなったり、人の形になったり、色々な動物をかたどったりと、見た目を変えてゆく。そして最後にはグレイルの顔真似になった。フラメアは、揺らめく火炎で創った主人のマスクとにらめっこして、ひとりでケラケラと笑っている。
 だがグレイは、彼女の芸当に見向きもしていない。
 岩山の間を巡り迷った風が、足元から吹き上げ、彼の前髪を散らかした。
「ルージョ、キリオ……」
 やっと開かれた彼の口から、今では失われてしまった友の名が出た。
「あのとき、俺にもっと力があったら、お前たちを死なせずに済んだのに。なのに、俺には何もできなかった」
 胸に当てた手を震わせ、グレイルは上着の生地を握りしめた。
「これこれ、お兄さん。そんなことしたら、シワができちゃうよ」
 そういう問題ではないだろうに、呑気に忠告するフラメア。
 グレイルの横顔を仕方なさそうに見つめた後、彼女は溜息と共に言った。
「だーかーらぁー。マスタぁー、あのね、あれは、仕方がなかったんだって」
 その軽々しい口調に神経を逆なでされることもなく、グレイルの表情に変化はみられなかった。
 フラメアは心の中でつぶやく。
 ――仕方がなかった。そうなんだ。考えてみれば、あれが、古の契約に定められた《条件》だったんだよ。あんたにとって一番必要な人間を……。
 そうかと思えば、急に彼女は、いじけた小娘のような口ぶりになった。
「恨めばいーじゃん。あたしを」
 ふて腐れた感じの物言いが続く。どこまで本気なのか、よく分からないが。
「はっきり言って、あたしはアンタの友達を見殺しにした。助けようと思えばいくらでも助けることができた人たちを。分かってるはず、憎いだろ?」
「いや、俺は!」
 グレイルが強い調子で話を遮った。
「だからな、俺は、俺は、自分に腹が立ってるんだ!! 自分の不甲斐なさに」
「ほぅ……」
 焦点が宙に合っているような、妙にあどけない瞳で、フラメアがのぞき込む。
「俺は今日まで、いつも己を卑下して、いつも、何かにつけて物事は上手くいかないもんだと最初から決めつけて。そんな投げやりな生き方をしてきたから、自分の中にある力に気づくこともできなかったし、フラメアの声も全く聞こえなかった。それで、とうとう大事な仲間まで失っちまった。どうして今まで目を覚ますことができなかったのかと思うと、悔しい。この気持ちをどうしたらいいのか、自分でも分からないくらいにな!!」
 声を荒らげたグレイル。
 反対にフラメアは、パラディーヴァ特有の冷たい物言いに変わった。実体なき紅蓮色の髪を、あたかも風に揺れるごとくにそよがせながら、同情という言葉からはほど遠い、透徹した獣の目でマスターを一瞥する。
「たしかに代償は――大きかった。こんなことを言っても、急には分かってもらえないだろうけど、その代償がなければ、アンタの運命の歯車が再び動き出すことなど無理だった。それが《御子》としての宿命なんだよ」
 グレイルの理解を必ずしも求めていないのだろうか。現世(うつしよ)に生きる人間には計り知れない謎事を、フラメアは語り始めた。
「運命の歯車をさび付かせ、堅くつなぎ止めていたのも――それは自分自身の意思であるように見えて、本当は違う。《御子》として生まれてきた時点で、アンタの未来は最初から閉ざされる運命(さだめ)にあったんだ。酷い言い方だけど、生まれてから今日まで、結局はずっと《あの存在》に翻弄されていたんだよ。人間の力なんて、所詮はそんなもん。《あれ》の手のひらの上で踊っているだけ。でもマスター、アンタなら、その手のひらを飛び出すことができるかも。それこそが御子という特異なものの力。そう、御子というのは……」


4 「鍵の守人」の登場で物語は急展開?



 ◇ ◇

「御子というのは、この世界で唯一、絶対者の定めた予定調和を攪乱する不確定要因として、作用し得る存在。いわば《因果律の外にあるダイス》のようなもの。そうした者がこの世に生を受けたことは、《あの存在》にとって具合が悪いのだよ」
 言葉の響きが微妙に空気に絡みつくような、湿って、低く、通りの良い声で、男はつぶやいた。深き森の国土に似合う、ガノリス語の重厚な語調。
 似合いの片眼鏡を掛けた、細面の紳士だ。暗い茶色に銀色が混じった頭髪は、若白髪なのだろうか。彼の顔つきそのものは、三十路を迎えてさほどの歳月を経ていないふうにも感じられる。しかし、些細な仕草や、身にまとった落ち着いた品格のごときものは、もっと老成した人間を思わせる。多分、実際の歳よりも見た目が変に若いのかもしれない。
 実際、そうなのだろう。かたわらで彼のことを《父上》と呼んだ者は、年若い少女などではなく、すでに大人になって久しい美女であった。周囲にたたずむ他の数名の者に説明するように、彼女は言う。
「《あの存在》という言葉が何を指すのか、それは誰にも分かりませんわ。ただ、あなた方も知っての通り、私たち一族が伝承してきた知識によれば――おそらく《あの存在》とは、この世界に予定された未来を実現してゆく何らかの根源的な力、もしかすると《因果律》それ自体、あるいは因果律の管理者のような何かだと考えられます。勿論、管理《者》という表現は不適切なのでしょうが」
 肩先まで真っ直ぐに伸び、そこで不意に優雅な曲線を描き、跳ねている白緑の髪。女性としては非常に長身の部類に入る背丈と、黒目がちな大きな目。隙の無い厳しさを持ちながらも、堅苦しさを感じさせず、柔らかな雰囲気の彼女は、完璧過ぎていささか面白味に欠ける感さえあった。
 2人の他にも、数名の人間がそこに居た。
 何かの倉庫、いや、雰囲気はそれで合っているとしても、もっと巨大な空間である。陽の差し込む窓の類がひとつも無いそこは、恐らく地下にある施設かもしれない。
 金属の櫃や木箱等を山のように乗せた台車が、そこかしこで、ひっきりなしに行き来している。それらを押している者たちは皆、紺色のローブのようなものを服の上に羽織っていた。誰もが武装しているものの、正規軍の兵士ではない。奥の方には、アルマ・ヴィオらしき大きな影も見える。
「急げ! 帝国軍は待ってくれないぞ」
 先ほどの男が、作業する者たちを急かす。
「我らが軍国ガノリスも、あっけないものです。やはり帝国軍相手に、現世界の兵器ではさすがに勝ち目がありませんか。ククク……」
 絹の衣が頬を撫でるような繊細さと、幽鬼のささやきのごとき不気味さで、誰かが笑った。白と紫の生地に金の輝きのちりばめられたクロークを、少し着崩したふうに身に付けた青年が――その出で立ちからして、恐らく魔道士――冷淡な調子で話を再開する。
 別段、悪意など無いのだろうが、傍目にはあまりに冷ややかな彼の声。人の肌の暖かみのようなものは、微塵も感じられない。サラサラとした長い金髪は、背後から見ると女性の髪のようにみえる。
「シディアお嬢様の今の話を、補足しておきましょうかね。《あの存在》が司る世界というのは、我々にとっての世界。つまり他の《像世界》ではない、我々が認識している《像世界》という意味です。お解りですか、エイナお嬢様?」
 そう尋ねられた娘は、最初から理解を拒否するような、訳が分からないと言った様子で首をかしげた。どことなく、先程の白緑の髪の美女に似ている。妹、なのだろうか。歳は随分若く、ひょっとするとまだ十代かもしれない。
 そんな彼女の態度に、気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべて、魔道士は話を続ける。恐ろしげな微笑をたたえた口元。
「《世界それ自体》は本来的にはひとつですが、観察者が属する《存在群》の違いに応じて、認識の差異が生み出す平行世界としての《像世界》は無限に多様です。しかし同時に、それぞれの《存在群》に属する主体に認識可能な像世界は、常に唯一かつ不変なのですよ。クククク……」
 薄気味悪い美形の魔道士の態度に、さほどの驚きも見せないところをみると、周囲の人間は、相当長い間、彼に慣れ親しんでいるのだろう。
 例の《父上》と呼ばれた男が、彼の言葉にうなずく。
「いまウーシオンの言った通り、我々にとって唯一の世界は、《この像世界》に他ならない。この代え難い、たったひとつの世界の運命が、いま問題なのだ。それは《あの存在》にとっても同じこと。あれが遣わした《御使い》たちも、すでに我々のことに感づいているかもしれぬ。いや、そもそも帝国軍からして、気づかぬうちに奴らの手駒の役目を果たしているのだ。そう、知らぬ間にな。帝国軍がこの施設の存在に気づくのも、時間の問題だろう。長くはあるまい、ガノリス王国も……。そうであろう、シディア?」
 白緑の髪の美女、いや、美姫という方が妥当であろう気品を漂わせた女が、静かに頷く。
「えぇ、父上。数日中には、主だった都市にエスカリアの旗が翻ることになるでしょう。それでもまだ、バンネスクの王都のように《天帝の火》によってこの世から消滅させられるよりは、遙かにましですわ」
「確かに、生きている限りな。それにしても《エレオヴィンス》がゼノフォス皇帝の手に渡るとは、因果なものだ。《神帝》などと、古の《天帝》にでもなったつもりか」
 父と娘の会話に、氷のごとき魔道士ウーシオンも加わる。
「この王国が滅びるか否かなど、それ自体としては、我々には関わりのないことです。現に我々《鍵の守人》は、あなた方《ネペントの一族》を筆頭に、旧世界の崩壊から前新陽暦時代を経て、多くの王朝の興亡の間、代々、様々な俗世の姿に身をやつし、《伝承》を守護してきました……。いずれ《御子》の現れる、その時代のために。そして今や、御子はすでに覚醒し始めた様子」
 彼は上目遣いに、視線で天を指すかのような仕草をした。
「時を同じくして、今年は予言された年。天に《2つの月》が昇る日は近い。それまでに、この《ファイノーミア》のごたごたに整理が着くことを祈りたいものですね。アルヴォン様?」
 ネペント一族の当主、アルヴォン・デュ・ネペント、例の片眼鏡の男は答える。
「《御子》の出現は《あの存在》にも当然に把握されていること。此度の大乱が起こったのも、間違いなく、あれの差し金だ。神帝ゼノフォスの壮大なる野望は、《あの存在》の御使いである《奴ら》がお決まりの仕方で事を運ぶための、隠れ蓑にすぎん。そうやって、人類の歴史はすでに前新陽暦の頃から奴らに操られ、さも自然な成り行きのような外観を伴って、密かに度々の《修正》を受けてきたのだ。奴らにしてみれば、我々《人の子》など、ただの塵や埃に等しい。だがな、そんな塵ひとつにも魂の力があるということを、奴らは思い知るべきなのだ」
 アルヴォンは剣の柄を握り、力強く叫んだ。
「この《飛宙艦オンディーヌ》がある限り、たやすく敗れはしない。《鍵の守人》の力を、《人の子》の力を、奴らに見せつける時が来た!」
 彼の手の向けられた先には――奥深く底無しに広がる影の中で、金属の巨塊が、見る者を圧倒するスケールの船体を横たえ、眠りについている。旧世界の《解放戦争》の末期、天空軍と星の海で戦うために建造されたという、伝説のオンディーヌだ。


【続く】



 ※2003年1月~2007年5月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第32話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


7 改めて問われる、ルキアンの戦う理由



 ◇ ◇

 ミトーニア市庁舎は、神殿からほど近い距離の所にある。
 庁舎前からは、細長い公園といっても誇張ではないほどの、一見すると街路とは思えない規模の大通りが延びる。日頃は多数の市民たちで賑わうこの場所も、今日は死んだように静まりかえっている。いつもと変わらぬたたずまいを見せているのは、通りを飾る季節の花々や緑の木々だけだった。
 そして、平和な商業都市ミトーニアにはまさに《場違い》であるはずの構造物が、我が物顔で大通りの真ん中を遮っている。それは、木材や土嚢、瓦礫、家具等々の雑多なものを積み上げて築かれたバリケードだ。
 その周囲では、抗戦派の兵士たちが数十名、いつでも発砲できる状態で銃を構えている。彼らの背後にそびえ立つのは、恐らくティグラーと思われる陸戦型アルマ・ヴィオが3体である。
 そこから7、80メートルほど通りを下がったところに、多数の市民たちが群れ集まっている。ときおり大声を出して気勢を上げながら、彼らは抗戦派のバリケードと対峙する。
 張りつめた空気の中、白と青の長衣をまとった白髪頭の男が一人、群衆の間から歩み出た。リュッツ主任神官だ。彼は両手を上げたまま、ゆっくりと、堂々とした態度でバリケードの方に近づいてゆく。
「我々は、争いをするために来たわけではない。同胞同士で銃火を交えるのがいかに空しいことか、それは誰もが知っていること」
 必ずしも通りの良くない、しかし誠実さに満ちた声でリュッツは叫んだ。
「ミトーニアの紋章の意味を知らぬはずはあるまい……。2匹の獅子が互いに手を携えるあの紋章は、かつて血で血を洗う争乱が続いていた中央平原の歴史を、二度と繰り返さぬようにとの、平和への誓いが込められたもの。このミトーニアの紋章を旗印として戦いをするようなことは、愛すべき故郷に対し、恥ずべき行為。今ならまだ間に合う。市長や参事会の方々を解放し、武装を解くのです!」
 ミトーニア神殿の長は、バリケードを守る兵士に向かって説得を始めた。
 反応らしい反応は無いが、相手もとりあえず黙ってリュッツの話に耳を傾けている。いかに抗戦派の者であろうと、神官に軽々しく発砲するような真似はしないだろう。
 リュッツを見守る市民たち。その前方には、自らの身を楯とするかのごとく、アルフェリオンの白銀の巨躯が。万一のことがあれば、文字通り楯となり、人々の命を護らなければならない。
 ――まずいな。この、眠気みたいな……気を抜くと倒れそうな感覚。かなり疲れてる。こんなに長い時間、アルマ・ヴィオを使いっぱなしだなんて、初めてのことだし。でも、頑張れ。僕がみんなを守らなきゃ。
 ルキアンは己の心に檄を飛ばした。早朝からずっとアルフェリオンを操っており、しかもレプトリアとの戦いで一度大きなダメージを被ったため、彼の精神的疲労は極度に高まっているはずだ。
 それでもルキアンは大きな使命感に支えられていた。自らの望み通り、人間同士の醜い争いを止めさせることに、いま彼は協力しているのだから。
 ルキアンの気分は高揚すらしていた。ある意味、不謹慎ではあろうが、それは彼の偽らざる気持ちだった。
 ――僕は、良い意味で、みんなの役に立てている、のかな? あんなにどうしようもなかった、《いらない人間》の僕が、必要、なんだよね……。
 だがその高まる心に水を差すように、不意に、あのときナッソス公の言い放った言葉が思い浮かんだ。

  要するに君というのは、具体的な目的もなく……ただ自分が必要とされた
 からといって、それに喜びを感じて暴徒どもに力を貸す、いわば《理由を持
 たぬ抜き身の剣》のような人間だな。戦う理由を、いや、自分の存在意義と
 やらさえ、結局は他人に預けている。


8 市民たちの突然の暴走。そのとき…。



 ルキアンは公爵の言葉を反芻し、改めて応える必要に迫られた。
 いま、彼は一瞬忘れかけてしまったのだ。誰かに必要とされることによって己の存在意義を実感するためになど、もはやそんなことのために戦っているのでは、ないはずだったということを。
 《戦う理由を得た》今の自分が、《戦うことで理由を得ようとしていた》あの日の自分に、戻ってはいけない。そう戒しめつつ、ルキアンは自答する。
 ――たしかに僕は、必要なら《剣》にでも何にでもなる。でもそれは《剣》となることによって自分の存在意義を得るためじゃなかったはずだ。僕が戦うのは《優しい人が優しいままでいられる世界》のためなんだ。みんながそんな世界で穏やかに笑っていられたらいいなって、僕もそんな世界で暮らしてみたいと思う、《願い》のためなんだ。忘れちゃいけない。戦いの中で進む道を見失ったら、僕はきっと《ステリア》の力に魅入られてしまう……。
 こうした思いを巡らせながらも、ルキアンの視線は、地上の神官リュッツと抗戦派の動向とに注がれていた。

 そのとき、付近がにわかに騒がしくなった。
 リュッツの説得に全く応じようとしない抗戦派の兵士に対し、待っていられなくなった市民たちが、声を荒らげて詰め寄り始めたのだ。市壁の外で飛び交う砲弾の音が、彼らの神経をなおさら苛立たせている。
「期限の夜明けはとっくに過ぎているんだぞ!! もしギルドの飛空艦が街を破壊しにやってきたら、どうするつもりだ?」
 市民たちは口々に怒鳴る。何人かの男が、鞘に入ったままの剣を高く掲げ、ガチャガチャと派手に揺らして勢いを付けている。
 ホウキを手にした中年婦人も、大声で騒いだ。
「あたしたちは戦争なんか嫌だよ! アールと一緒に心中なんて馬鹿らしい!」
「そうだ、アール副市長を出せ! 反逆者アールを引きずり出せ!!」
 誰かがこう言ったのを皮切りに、人々は抗戦派の首領アールの名を連呼して走り出した。
 いったん動き出した人の波は、凄まじい速さで流れる。ただでさえ異常な状況の中、些細なことから、たがが外れた群集心理は、その獰猛さを刹那のうちに露わにした。
「待ちなさい! 無茶をしてはいけません!!」
 必死に押し止めようとするリュッツだが、もはや彼の言葉に聞く耳を持つ者はいない。一触即発どころではなかった。このままでは流血の惨事もあり得る。
 ――こんなにも、あっけなく……。冗談だろう?
 一瞬の暴走に、同行していたシュワーズ秘書も目を疑う。凶暴化した人々に押し倒されないよう、道の端に身を寄せ、さすがの彼も呆気にとられていた。
 バリケード目がけて殺到する市民たちを、ルキアンもアルフェリオンを動かし、無理矢理にでも止めようとする。
 ――ダメだ! いけないよ、こんなの。こんなの!!
 だが、気が付くと銀の天使の足元近くを、いましも多数の人間が通り過ぎてゆく。下手に動いたら踏みつぶしてしまうだろう。どうしようもない。
 ルキアンは捨て鉢になって祈った。
 ――頼む。早まらないで、抗戦派の人たち!
 彼の声が伝わるはずはなかろうが、抗戦派の兵士たちは幸いにも発砲を差し控えた。やはり同じミトーニア市民なのだから、躊躇は当然あるのか。
 市民の最前列が兵士たちともみ合いになる。銃剣をかざして威嚇する兵士。投石する人々。石に混じって野菜くずや木切れも飛び交っている。
 下手にどここかで銃声でもしようものなら、間違いなく銃撃戦が始まりそうな雲行きだ。
 それだけは避けたい、と、ようやくアルフェリオンが動き出したとき……。


9 ミトーニアの守護獣



 ◇

 轟く砲声のごとき爆音で、《獣》の雄叫びが耳をつんざいた。
 市民と抗戦派の兵士との小競り合いにより、騒然としていた大通りが、一瞬、凍ったように静かになった。
 鋼の猛虎・ティグラーの雄叫びだ。
 抗戦派のバリケードの背後に待機していた3体の陸戦型が、威嚇するようにその巨体を誇示しつつ、ゆっくりと進み出てくる。
 些細な動きにさえ威厳と品格があった。乗り手もただ者ではないだろう。
 逞しい四肢に十分な力を感じさせながらも、虎たちはやや重そうに足を運ぶ。それもそのはず――本来の装甲の上に、金色の縁取りも勇壮な、分厚い魔法合金の甲冑をさらに装備しているためだった。
 それだけではない。これらのティグラーは、生来の武器である牙と爪に加えて、接近戦用の様々な武装を備えていた。背中や肩の部分には、サイの角のように頑強な突起物が生え、胴体と前足には、緩やかなカーブを描く抜き身の刃が、陽の光を反射して生々しく輝いている。
 こうした重装備ゆえに、3体は通常のティグラーよりもひと回り大きく見えた。一歩一歩のあゆみにも重アルマ・ヴィオ並みの地響きを伴い、ミトーニアの守護獣はじわじわと前進してくる。
 兵士たちともみ合い、罵声を上げていた街の人々は、3体の巨獣を前にして、冷水をかけられたかのように勢いを失っていた。
 急いで次の行動に出るべきなのだが、ルキアンの中では、冷静な判断よりもある種の感嘆の方が上回っている。
 ――こ、これって、これも……ティグラーか!?
 戦場慣れしているはずもない少年が一時の驚きに心を委ねてしまったのは、仕方のないことだろう。
 バリケードの向こうに身構える敵。その強固かつ絢爛な姿と相応に、機体は見事なまでに手入れされ、磨き上げられている。一介の在野のエクターから国王の近衛隊に至るまで、あらゆるところで用いられるティグラーではあれ、これほど立派なものを有する部隊は、数えるほどしか存在しないだろう。
 ――感心している場合じゃない! だけど、どうしよう……。
 戸惑うルキアン。ここで衝突でもしたら、足元にいる市民たちを完全に巻き込んでしまうことになる。暴動どころではない、大惨事だ。
 幸い、相手も性急な行動は慎んでいる。そうでもなければ、機敏さを欠いたルキアンは、すでに2、3発の攻撃を受けていただろう。他方、市民たちが今以上に進もうとするなら戦いも辞さぬという、断固たる姿勢も敵側には見て取れた。
 低くうなったかと思うと、鋼の牙をむき、吠えるティグラーたち。
 乗り手の意図によるものというよりも、アルマ・ヴィオ本来の、多分に動物的な反応だ。目の前に立つ未知の存在――アルフェリオン・ノヴィーアに警戒心を抱いているらしい。元々の虎よろしく、ティグラーは獰猛ながらも慎重な性向をもつ《生き物》なのだ。
 それに対し、もっと冷血的な、竜のごとき咆吼が轟いた。それでいて鷲や鷹のような猛禽を想起させる、高くて鋭い鳴き声……。アルフェリオンだ。時には《人》の身体を有しながらも、やはり獣的な性格をもつのがアルマ・ヴィオである。人に化身した魔竜、荒鷲の力を具現した天使。


10 立ちふさがる謎の女傭兵、その正体は?



 その間にも抗戦派の兵士たちは、銃口を向けて人々を威嚇しつつ、整然とした動きでバリケードの背後に退いた。これと入れ替わりに、ティグラー3体が前に出てくる。
「同じミトーニア市民の血を流すつもりか!? 戻れ! 帰れ!!」
 誰かが叫んだ。ヤジに混じって、《帰れ》という声が斉唱される。
 ティグラーに乗っている繰士が誰なのか、知っている者も当然いるようだった。一人の中年の婦人が、そのエクターの名前らしきものを狂ったように叫びながら、地べたに座り込んでいた。
 抵抗の意思を示しながらも、市民たちは少しずつ押し戻されざるを得なかった。が、このままで済みそうにもない。
 アルフェリオンのわき、大通りの傍らに退避していたシュワーズ秘書が、ルキアンに懸命に何か伝えようとしている。
 ルキアンは《耳》をすませた。魔法眼による視力と同様、感度を上げれば、アルマ・ヴィオは生身の人間とは比較にならない聴力も発揮できる。
 ――ルキアンさん! 聞こえますか、ルキアンさん! あなたの《念信》で、ともかく話し合いになるよう、抗戦派のアルマ・ヴィオに連絡してみて下さい。駄目でもともとです!!
 返事の代わりに、アルフェリオンの顔がシュワーズの方に向けられた。
 ――えぇ、やってみます。あちらのエクターも、そんなに無茶苦茶な人たちじゃなさそうですし。えっと、とりあえず、これで……。
 独り、そうつぶやいた後、ルキアンは可能な限り汎用性のある《帯域》を選んで語りかける。

 彼の行動を予見、いや、まるで期待していたと言わんばかりに、即座に敵方からの答えがあった。
 出し抜けに返されてきた念信。ルキアンはつい唖然としてしまう。
 ――見慣れぬ機体だが、貴君の所属を言いたまえ。
 乗り手の心の声には、ティグラーの印象と同様、厳かな気品があった。極めて冷静だが、それでいて穏やかさや柔らかさというものは、あまり感じられない。もとより好意などは期待できないにせよ、むき出しの敵意も伝わっては来ない。
 明らかに自分よりも上手だと、ルキアンは感じた。少なくとも魔道士の卵である彼には、念信から相手のイメージや人柄を感じることぐらいはできる。
 気後れしたのか、しばらく無言のままのルキアン。
 3体のティグラーのうち、真ん中の1体が軽く身体を振るわせる。これに乗っている者が、今の念信の相手に違いない。
 ――どうした、少年。私の声は聞こえているのだろう?
 そこでルキアンが思い浮かべたこと……。
 それがそのまま、向こうに伝わってしまった。意識的に《声》を送ろうとしたわけではないのに。念信に不慣れな者にありがちなことだ。
 敵方の繰士は、丁寧にもそれに答えた。
 ――いかにも私は女だが。それを理由に貴君が遠慮することなど微塵もない。
 彼女は毅然と言った。
 練達の繰士が持つオーラのようなものに、ルキアンは圧倒され始めた。
 ――何を謝っている? 変わっているな、君は。いや、まだ子供か……。
 相手が淡々としているだけに、ルキアンは余計に自分が不格好に思えてくる。このままではいけない、と彼も必死に答える。
 ――ぼ、僕は、ルキアン、そして、その、僕は……。
 ――心の内を漏らしすぎだ、少年。念信の使い方ぐらいまともに覚えておくのが、繰士の心得というものだろう。まぁいい、貴君はギルドのエクターではないが、ギルドの船に乗っているのだな。嘘ではあるまい。
 今度は彼女が名乗った。
 ――私はシェリル。ミトーニアの防衛のため、雇われた傭兵のようなものだ。だがギルドとは関わりがない。当然、私はこの街の人間でも、市民軍の兵士でもない。それゆえ、市民たちがこれ以上騒ぎを続けるというのなら、私は彼らをためらわずに撃つことができる。
 冷たく言い放つ声。


11 止まらない争い…無念のルキアン。



 シェリルは比較的若いようだが、世慣れた雰囲気からして、うら若き乙女という年頃でもなさそうだった。
 ――メイよりも、かなり年上かな。シソーラさんぐらいか?
 今度はうっかり相手に伝わらないよう、ルキアンは慎重に心の中で思った。
 ――でも傭兵にしては何か違う。どちらかというと、宮廷の貴族みたいな感じで。分からないけど、荒々しさがない。でも物凄く強そうだ。何だろう、この人は一体……。

 そのとき、戸惑うルキアンに、別の波長で念信が入った。
 これでは心が混乱する。実に不可解なシステムだ、と彼は改めて思う。
 ――ルキアン君! 聞こえる? 緊急事態よ、ルキアン君!
 クレドールからの念信。例によってセシエルからだ。
 ――今朝から城と街の間で待機していたナッソス家の部隊が、急に動き出したわ。そっちに向かってる! ねぇ、聞こえてる?
 ――は、はい、聞こえています。
 ルキアンの脳裏に、例の黒き疾風の竜、《レプトリア》との戦いが露わに蘇った。あのときは出鼻をくじかれ、いったん様子見に入ったナッソス軍だったが、とうとう本格的な攻勢をかけてくるのだろうか。
 ――暴動が起こるかもしれないって、連絡してくれたわよね。実際、抗戦派も焦っているみたいよ。恐らくアール副市長は、破れかぶれでナッソス家に助けを求め、ミトーニア全体をナッソス軍の手に委ねようとしているのかもしれない。そうやって、是が非でもギルドの地上部隊に対抗し、また、市民たちの反抗をも封じ込めようという魂胆……。
 ――でも、それじゃあ、抗戦派は、市門を開いてナッソス軍を引き入れるつもりなんですか? そんな無茶苦茶な!!
 誇り高き自由市、それも王国随一の古都ミトーニアが、街を他の君主の支配下に委ね、ましてや軍隊を踏み入れさせるなどと……。こんなことは、オーリウムの貴族の――それゆえルキアンの――普通の感覚からすれば、本来あり得ないはず。彼は呆れるばかりだった。
 唖然とする彼の胸の内に、セシエルの声が響く。
 ――とにかく距離はわずかだから、ナッソス軍の……陸戦型、足の速いリュコスやティグラーは、もうすぐミトーニアに着くわ! いま、メイが空から追跡している。クレドールを近づけようにも、ミトーニアからの対空砲火が激しくて危険……。できるだけ急いでバーンとベルセアを地上に降ろすけど、ルキアン君も援護をお願い! 特に、あなたが早朝に戦ったという旧世界のアルマ・ヴィオを、何とかしないと!!
 ――そんなこと言ったって! あの、その、こっちでは……。
 ルキアンは、今度は慌ててシェリルとの念信に切り替えた。すっかり気が動転してしまい、2つの念信に応ずるだけで精一杯だ。
 ――何なんだ、何なんだ、これは!!
 ルキアンはただ無闇に、無意味に叫ぶのだった。
 そして痛恨の思いでわななく。
 ――どうして、何で……そんなに、戦いがしたいんだよ? 何で。


【第33話に続く】



 ※2002年12月~2003年1月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第32話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  善対悪の戦場であるというよりは、むしろ無数の主観的な《善》が
  ――それぞれの信じるものがぶつかり合うのがこの世界だから、
  それゆえ人間の争いはいっそう激しく、残酷で、終わりがない……。
                    (シャリオ・ディ・メルクール)

 ◇ 第32話 ◇


1 現状からも運命からも、僕は逃げない



 ルキアンは再びアルフェリオンに乗り込むと、立ち上がった巨人の視点から、ミトーニアの広場を一望した。
 広場という名に反してそれほど広いというわけでもない、むしろ小さく愛らしい街の《中庭》は、たちまち人だかりに覆われている。まるで、アリの巣の近くに角砂糖が置かれ、それを知ってアリたちが次から次へと這い出し、群れ集まってくるような、そんな光景だった。
 人垣の真ん中では、1人の男が大きな身振りで何か叫んでいる。多分あれが、さきほど駆け出していった市長秘書のシュワーズだろう。彼を飲み込まんばかりの勢いで詰め寄る市民たち。そんな人々を押し止めるように、白髪頭の神官が両手をかざしている。主任神官リュッツに違いない。
 上から冷静に眺めてみると、異様な有様だとルキアンは思った。
 戦闘の結果、広場の周囲の建物はあちこちで倒壊し、丁寧に敷き詰められた石畳の地面の上には、ミトーニア側のアルマ・ヴィオが3体、群衆の行く手を邪魔する壁のごとく横たわっている。その間を忙しく動き回る沢山の市民。
 およそ日常的とは言えない光景を平然と見つめている自分に、ルキアンはふと気付いた。そして、そんな自分自身に驚くのだった。
 ――よく分からないけど、僕は、何か変わってしまったのかもしれない。いや、《かもしれない》じゃなくって、実際、そうなんだと思う。
 彼は心の中で皮肉っぽくつぶやいた。
 ――こんな鋼の化け物に乗って、見知らぬ街にやって来て、そこで戦って。今までの僕には想像もつかなかった出来事ばかり。でも僕は、感情も理屈も置き去りにして、知らない間に状況に順応し始めている。人間って、こんなにも都合の良い生き物だったのかな。
 とりとめなく思いを巡らせながら、ルキアンは周囲を見渡し、警戒を続けた。一度は退却した抗戦派側の部隊が、増援を連れて反撃してくる事態も当然に予想されているからだ。
 ――嫌だな。また戦わなきゃいけないとしたら。本当は、自分には関係ないって、全部投げ出し、どこかに逃げてしまいたい。だって戦うたびに、僕は人を殺しているに違いないんだから。僕は敵の血も見てない、死体も見てない、だけど、敵のアルマ・ヴィオに乗ってた人は、死んでるはずなんだ!! 怖い。感覚が麻痺していくことが。平気で戦ってる僕は、おかしいんじゃないかって。争うのは嫌だ。人を殺すのはもっと嫌だ。でも僕が戦わなかったら、ギルドとミトーニアの間にもっと大きな戦いが起こり、沢山の人たちの命が犠牲になってしまう。だから……。
 何度目か、もう数えられないほど、生まれては消えた葛藤。
 覚悟というのは、必ずしも激しい決意として現れるばかりではない。痛々しい気持ちながらも、ルキアンはむしろ静かに誓った。
 ――たとえ僕が、泣きながら剣を手に取り、血まみれになって争わなければならないとしても……僕がその苦しみに耐えることで、他のみんなが血を流し合わなくて済むのなら、優しい人が優しいままでいられるのなら……争いなんて好まないのに、自分の心に反して誰かと争い、僕みたいに悲しい思いをする人が、そんな人が少しでもわずかで済むのなら。
 祈念のように、ひょっとすると呪詛のように、彼は繰り返した。
 ――僕は、逃げるわけにはいかないんだ。今の状況からも、戦いからも。そして、この世界でたった一人、アルフェリオンの繰士として予め定められた、自分自身の運命からも……。


2 市民たちの動きに、希望が…?



 ◇

 シュワーズが沢山の人々に囲まれ、演説めいたことを続けているうちに、朝の太陽は、本格的な真昼の輝きで地上を照らし始めていた。
 もしこんな状況でなければ、広場はもっと違った形で賑わっていたのだろう。花や野菜を売る市が立ち、威勢良く客を呼び込む物売り。無邪気に走り回る子供たち。チェスに興じる老人。風に乗って流れてくる、辻楽師の笛やヴァイオリンの音。野外に開けたカフェで談笑する紳士。拍手を受ける大道芸人……。
 だが、そうした日常の風景は、ここにはもはやあり得なかった。
 広場に面した神殿の前では、この場所を二度と抗戦派に明け渡すまいと、銀の天使が翼を広げ、仁王立ちしている。
 他方、集まった市民たちの動揺は徐々に収まりつつあるようだが、市庁舎で起こったクーデターについて、事態は正しく伝わったのだろうか。
 シュワーズとリュッツが神殿の方へと引き上げてくる。
 人々もすぐには解散することなく、広場に留まったままである。
 そびえ立つアルフェリオンの足元で、シュワーズが手を振った。ルキアンに降りてこいと言いたいらしい。

「市庁舎で起きた事件、なかなか本当だと信じてもらえなかったのですが……。いや、今でも街の人たちが信じているとは、必ずしもいえません」
 シュワーズは言う。思い出したかのように、額に流れる汗をぬぐいながら。
 声を枯らし、過剰なばかりの身振りと共に、荒々しく市民に訴えていたシュワーズ。だが今は、チーフを取り出して眼鏡を拭く彼の様子も、本来の上品な態度に戻っていた。
 彼の一端の雄弁家ぶりに感心しながらも、ルキアンには、市民たちの受け止め方が心配だった。
「シュワーズさん、それじゃあ結局、街の人たちは……」
「いやいや、そんな残念そうな顔をしなくても大丈夫」
 彼はルキアンの言葉に途中で割って入ると、力強くうなずいた。
 リュッツ主任神官が、広場の群衆の方を見ながら言う。
「街の皆さんは、とりあえずシュワーズさんの話が本当かどうか、市庁舎に出向いて確かめようと言っています。勿論、抗戦派の軍がすんなり通してくれるとは考え難いのですが、人々はそう主張して譲らないのですよ」
「そんな、危険じゃないですか? 相手は、市長さんに銃を向けるような人たちです。街の人にだって、必要なら力ずくで、発砲してでも言うことを聞かせようとするかもしれません!!」
 思わず声を裏返らせ、疑問を投げかけるルキアンに、シュワーズはごく冷静に応じた。
「あなたの言う通り、危険を伴う試みではあります。それでも実際に市長が監禁されているのだと分かったら、相当数の市民は、抗戦派に対して抗議行動を起こすと言ってくれました。すでに武装してきている人も沢山います。ことによっては、抗戦派との間で銃火が交えられるかもしれません。しかし、抗戦派の企みを阻止しなければ、ギルド側の総攻撃が始まり、ミトーニア全市民の生命が脅かされます。それは誰もが理解していることです。ギルドもさすがに、もう長くは待ってくれないでしょう? 私も知っていますよ、議会軍やギルドには時間がないのだと。帝国軍はガノリス王国を半ば制圧し、この瞬間にも、オーリウム国境に向けて迫っていますからね」
「それは、そうですが。でも……」
 ルキアンは言葉に詰まり、不安と希望、なおかつ諦めの入り交じった視線を向けた。
 彼も本当は受け入れつつある。現実というものを――《完璧な答え》など希であり、人は《少しでも間違いの少ない答え》を、《どれにも絶対的な正誤は付けようもない不完全な選択肢》の中から、それでも選ばねばならないのだと。そうした決断からは逃げられず、逃げるべきでもないということが、この世に生きる者に負わされた重い十字架、あるいは《責任》なのだと。あのときのクレヴィスやシャリオとの会話が、ルキアンの心によぎった。
「では、ともかく、ちゃんと市庁舎の様子が確認できたら、ギルドとミトーニアの市街戦は避けられるかもしれないんですね?」


3 ルキアンとシュワーズ、二人の願い



 シュワーズにも、即答することはためらわれた。だが難しい顔つきながらも、彼は希望的な観測を示す。
「……念のため、最悪の事態を考えておく必要はあります。しかし、シュリス市長や市参事会の方々においては、エクター・ギルドの出した条件を受け入れるという意見が大勢を占めているのです。従って、抗戦派のアール副市長らと合意することができれば――いや、残念ですが、この期に及んでは、彼らを排除することができたとすれば。あるいは」
「分かりました。僕もギルドの飛空艦に、今すぐそれを念信で伝えておきます。こちらの事情さえ明らかになれば、きっと分かってくれると思うんです!」
 全面戦争を回避できる可能性があると知り、ルキアンは水を得た魚のように、アルフェリオンのケーラに乗り込もうとする。
 シュワーズは慌てて彼を引き止めた。
「ルキアンさん、待って下さい。あなたにもうひとつ、お願いがあります……。そう、実際問題として、抗戦派の部隊が市民たちに発砲することは十分にあり得ます。それ以前に、市庁舎周辺は抗戦派のアルマ・ヴィオが完全に封鎖しているのです。ですから、その……」
 言いにくそうに切り出すシュワーズ。
「万一の場合には、あなたのアルマ・ヴィオで街の皆さんを守っていただきたいのです。いや、必要とあらば戦ってほしいのです、あなたに」
 意外にも、ルキアンは即座に首を縦に振る。覚悟はできていた。
「僕自身はそのつもりでした。しかし街の人たちが、ギルド側の繰士である僕を信用してくれるなんて、考えにくいですよ? 一体、何を根拠に、市民の皆さんが僕を受け入れるのか……」
 シュワーズは笑いながら、手刀で自分の首を切るようなジェスチャーをしたかと思うと、すぐさま真剣な表情に戻った。
「それは《私の命で》――もしルキアンさんが裏切った場合には、私の命を差し出すと言っておきました。いや、あなたに助けてもらった命なのに、それを使ってあなたを困らせるというのは、いかに身勝手なことか、承知しています。それでも、私はミトーニアを、この大切な故郷を救いたいのです」
「シュワーズさん……」
「それに加えて、リュッツさんをはじめ、神官の方々が懸命に説得してくださったおかげです。だから、後はルキアンさん――申し訳ありませんが、あなたが街の皆さんの前で、貴族としての誇りに賭け、繰士の名に賭けて、誓ってくだされば」
 シュワーズに続いて、リュッツも深々と頭を下げる。
「お願いします。私たちが頼りにできるのは、あなたしかいないのです」
「そんな、どうか頭をお上げ下さい。僕なんかに……。でも、分かりました。ミトーニアを戦火から救うため、僕にできる限りのことをさせていただきます。それで、もし不幸にも、抗戦派との戦いになってしまった場合は」
 微かにうつむいた後、己の言葉を噛み締めるようにして、ルキアンは改めて顔を上げた。
「アルフェリオンの全ての力を使ってでも、街の皆さんを守ります」


4 プレアー撤退? メイも苦戦し…。



 ◇ ◇

 ――メイ! 危ない、後ろ!!
 自らも敵の猛攻を受ける中、プレアーは半ば反射的に飛び出していた。
 プレアーの思念に反応し、飛行形態のフルファーが大鹿の角を振りかざす。牡鹿の頭とコウモリの翼を持つ異形の巨人は、物凄い勢いで突進しながら、強引に人型への変形を試みる。その変化もまだ途中のまま、フルファーは片腕を伸ばし、光の楯・MTシールドを張り巡らした。
 同時に、メイのラピオ・アヴィスが紅の翼を羽ばたかせ、反転した。その機体の通った軌跡を貫き、敵方の放ったMgSが走り抜けてゆく。
 対する敵のアルマ・ヴィオ、空の巨竜ディノプトラスは、怒りの雄叫びを上げ、次なる攻撃に入ろうとする。
 ナッソス家の《空中竜機兵団》とギルド艦隊のアルマ・ヴィオとの戦いは、双方とも互角で勝負のつかぬまま、なおも繰り広げられていた。
 メイは辛くも危機から脱したが、その直後、背後で別の衝撃を感じるとともに、プレアーの悲鳴を心にとらえる。
 ――しまった! プレアー!!
 急旋回したラピオ・アヴィスの魔法眼に、姿勢を崩し、落ちていくフルファーの姿が映った。
 ラピオ・アヴィスの後ろから迫っていた敵のMgS、切り裂くような風の精霊魔法の攻撃を、プレアーの機体が代わりに防いだのだ。だが、追いつくのに精一杯だったフルファーは、シールドの展開が遅れ、運悪く機体にもダメージを受けてしまった。
 ――大丈夫? 返事して、プレアー、しっかりして!!
 必死に呼び掛けるメイ。だが返事はない。
 その間にも敵の追撃が容赦なく迫る。
 メイはラピオ・アヴィスのスピードと小回りの良さを生かし、襲いかかる2匹の魔竜と、その上から刃を繰り出す《竜騎士》の間をすり抜けようとする。
 ――どけ! これでも、落ちないかっ!!
 赤き鋼の猛禽が正面を向いたまま回転し、3門のMgSが次々と火を噴いた。今回の作戦に備え、ネレイのギルド本部で新たに取り付けた武装である。
 手応えはあった。
 だが間髪おかずに、煙の中から分厚い曲刀が振り下ろされる。
 ――なんてヤツ? 今のをかわした!? いや、プレアーを早く!!
 メイは急いで離れようとする。が、先程から対決し続けている手強い敵は、彼女を逃さなかった。
 ――どうした、お前の相手は俺だ。
 天翔ける竜を駆り、ラピオ・アヴィスの行く手を阻む相手。そのエクターは、まだ少年臭さが抜け切らぬ心の声で、挑戦してきた。
 ナッソス家四人衆の若き勇士、ムートの操る《ギャラハルド》だ。攻撃する敵からすれば嫌になりそうなほど、見るからに頑丈な黒と青紫の鎧。それ以上に強固な丸楯と、巨大な刀。兜の頭頂部では、鎖を下げたような、弁髪を思わせる飾りが音を立てて揺れている。
 ――忌々しいガキだね。あんたの相手をしている場合じゃないんだ!!
 必死のメイ。本気で頭に来たらしい。
 しかしこの強敵、そう簡単に片づけることもできそうにない……。
 幸いにもプレアーは無事で、彼女からの念信が飛び込んできた。
 ――メイ! 大丈夫!! ゴメン、いったん離れる!!
 フルファーは翼に敵弾を受け、機体のバランスを取るのが困難なようだ。
 だがディノプトラスは他にもいる。ムートにメイとの勝負を任せ、残りの2機がフルファーを追って降下していく。
 今の状態では、プレアーに勝ち目はない。
 とどめとばかりに槍を構え、一挙に落とそうとする2体の空中竜機兵。


5 カインとサモンが参戦、形勢逆転か?



 そのとき、遠く離れた艦隊の方から青白い閃光が放たれた。
 強大な破壊力からして味方飛空艦の主砲かと思われたが、あの距離から、こんな針の穴を通すような砲撃は不可能に近い。
 それができるのはただ一人、そして、ただひとつのアルマ・ヴィオ……。
 ――お兄ちゃん! お兄ちゃんだね!?
 プレアーは、感極まって半泣きで叫んだ。
 そう。カイン・クレメントの乗る《ハンティング・レクサー》は、その名に違わず、ディノプトラスの翼を正確に射抜いた。
 通常の呪文砲ならば、発射と発射との間にある程度の時間がかかるのだが、ナッソス家のアルマ・ヴィオ目がけ、立て続けに第二、第三の攻撃が続く。
 命中しそうもない距離から確実に狙い撃ちしてくる相手に、空中竜機兵団の猛者たちも、不意を突かれて守勢に回ることを余儀なくされた。
 常に慣れ親しんでいる心強い声が、プレアーの胸に響いた。
 ――今のうちに戻れ。無理するな。
 ――うん! ボク、絶対お兄ちゃんが助けてくれるって信じてた!!
 帰還しようとするプレアーを、見事に援護するカイン。空中戦の能力をほとんど持たない彼の機体は、クレドールの飛行甲板に立ち、そこから狙撃を行っているのだ。
 甲冑姿の騎士をそのまま大きくしたような外見は、確かに《レクサー》タイプの汎用型アルマ・ヴィオに違いない。だが近衛機装隊の重装型シルバー・レクサーや、議会軍の高機動型ブラック・レクサーとも違い、迷彩のような深緑と黄土色の機体である。
 特に目立つのは、左右の肩から1門ずつ伸びる、長射程MgSの砲身だ。脚部にも多連装MgS。手にしているのは、通常より2倍以上も銃身の長い、銃座付きのMgSドラグーン。汎用型にもかかわらず、これでもかというほどの火力を備えている。アルマ・ヴィオ改造に偏執的なほどのこだわりをもつ、カインらしい。
 それだけではない。クレヴィスの提案により、一挙に敵を蹴散らすべく、さらなるアルマ・ヴィオがギルド艦隊から飛び立っていたのだ。
 不意に音もなく、高空から急降下してくる何かがあった。あくまで静かに、気配を悟らせず、それでいて驚くべき速さで。
 ハンティング・レクサーに翼を撃たれ、力を削がれたディノプトラス。その上に乗った《騎士》めがけ、頭上から鋭い鉤爪がつかみかかる。
 見事な奇襲だった。舞い降りた空の狩人は、刃物のような爪を持つ両足で、空中竜機兵を鷲掴みにした。フクロウのごとき重飛行型アルマ・ヴィオ、ファノミウルだ。
 練達の繰士サモン・シドーは、いつも通りの寡黙さで、無言をもって終わりを告げる。相手をとらえたままファノミウルの腹部の広角型MgSが白熱化し、近接距離から魔法弾を直撃させ、あっという間に飛び去った。ディノプトラスもろとも、これでは助かりようがない。


6 「退く」ことの意味―それぞれの思い



 ――形勢逆転ね。どうする?
 挑発するようにメイが言った。
 ラピオ・アヴィスとギャラハルドが対峙する。
 敵に突然の援軍が現れ、さすがのムートも不利を悟っただろうか。
 見る者が見れば、彼の風体から明らかなのだが――もともとムートは、好戦的なことで知られる辺境の古き戦闘部族の出身だ。そんな環境で育った彼も、敗北よりは死を選ぶという恐るべき戦士である。しかし、このまま戦い続ければ、カセリナまで命を落とす可能性もあった。
 もはや彼に残された味方は、そのカセリナと、もうひとりのエクターのみ。
 ――くっ。新手が居たとはな。そろそろ、潮時か。
 何故か意外なほどあっさりと、勇猛果敢な繰士は退却を認める。
 その言葉に過剰に反応したのはカセリナだった。
 ――まだよ! ここまで来たのに、あと一歩じゃないの……。
 戦士としてのムートの誇りを、誰よりも知っているのは他ならぬ彼女である。彼がこれほどあっけなく敗北を認めることは、考えもしなかった。だが、彼にそのような決断をさせたのは――否、彼をそうした人間に変えたのは、カセリナ自身であるということを、彼女は十分には理解していない。
 ――何を言ってんだ、お嬢様。冷静になろうぜ。俺たちが命を賭してでも戦い抜かねばならないとすれば、それは城を枕に討ち死にするときだ。こんな空の上でくたばるのは、どうも気持ちが悪いだろ?
 戸惑うカセリナ。
 と、地上から別の念信が入った。同じく四人衆のザックスからである。
 ――お嬢様、いったん引いて下さい。これは殿の直々の御命令ですぞ。状況が変わったのです、さぁ!
 ――ザックスか。しかし……。分かりました。お父様がそこまでおっしゃるのであれば、何か事情があってのこと。悔しいが、やむを得ないわね。
 父の、そしてムートやザックスの気持ちも考え、カセリナも渋々承知した。
 イーヴァを乗せたディノプトラスが、口から猛烈な火炎弾を吐いて敵を威嚇したかと思うと、素早く退いた。
 他方、イーヴァと剣を交えていたカヴァリアンも、敢えてその場から動かなかった。左右の手で構えたMTサーベルから、黄色い光の刃が消えていく。
 レーイは無言で敵の撤退を見つめる。

 ――逃げる? 今のうちに一気に!! レーイ、サモン、何してるのよ!
 メイがすかさず追撃にかかるが、それを予想していたかのように、クレドールから念信が入る。
 ――メイ、深追いは好ましくありません。戻りなさい。
 ――でもクレヴィー、いま攻めたら勝てるのに!?
 柔らかな溜息とともに、クレヴィスは告げた。
 ――あの奇襲を防ぎきり、全員が無事だったというだけでも、我々は十分な戦果を上げたことになりますよ。おまけに手強いディノプトラスを3機も落とした。何が不満ですか?
 ―――それは、そうだけど……。あんな強いヤツらをみすみす逃したら、後でまた厄介なことにならないかと思って。
 メイが周囲を見回すと、レーイとサモンはすでに帰途についている。変に熱くなって我を忘れたりせず、程良い引き際をわきまえた彼らは、さすがに戦いを生業にする者らしかった。
 仕方なく2人を追って戻るメイに、クレヴィスが優しく諭すように言った。
 ――ふふ。あなたの勇敢さは大したものですよ。しかし、カルの言いぐさではありませんが、我々は軍や機装騎士ではありません。結局ギルドの戦いは商売です。被害を最小に抑えつつ、確実に最大限の成果を手に入れること。むやみに命を賭してまで、勝利の名誉など追求する必要はないのです。いいから、帰還して下さい。分かりましたね?

 《商売》などという似合わぬ口上を述べたせいか、クレヴィスは苦笑いしている。彼は艦橋の窓際に立ち、地上のミトーニア市を見やった。
「とはいえ、飛空艦3隻がまんまと立ち往生させられ、結果的に向こうの作戦に余裕を与えてしまったのは確かですね。その間、ミトーニアの情勢がどう変わったか。ナッソス家もあの街を黙って手放すはずはありません。相手の出方次第では、我々も勝負に出ることを余儀なくされるでしょう。ルキアン君、あなたの思いが届くかどうか……」


【続く】



 ※2002年12月~2003年1月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



9 目覚めぬままに…グレイル、散る?



 ◇ ◇

 帝国軍のヴェ・デレスの一隊は、余裕の様相で地上のグレイル機を見下ろしていた。
 ――まだ1体残っていたか。わざわざ倒されにやって来るとは、ガノリスの奴らめ、森の猪のようだな。
 ――猪か。だが魔法を使う猪とは珍しい。見ろ、《蛍》を放ったぞ。
 冗談交じりの《念信》をかわす帝国のエクターたち。彼らは、魔法による攻撃など恐れていないようにみえる。普通の繰士なら、敵が《蛍》をばらまいただけでも、その後の呪文を恐れて逃げ出してしまうかもしれないが。
 ヴェ・デレスの右肩から右腕に沿って、長大なMgSが伸びている。各機ともその砲門を地上に向ける。
 大きく膨らんだ肩当て付近にも、多連式の速射型MgSが装備されている。重アルマ・ヴィオでもない限り、これだけの火力を持っている機体はそうそう見かけない。
 またヴェ・デレスは左腕の方が不自然に太いのだが、これは、何らかのシールドまたは結界の発生装置を内蔵しているためらしい。

 魔法を放った時点でグレイルはお終いだ。間髪を入れずに、MgSの雨が彼に降り注ぐだろう。それでも彼は攻撃を止めようとしなかった。逃げたところで、どのみち助かりはしまい。
 ――炎の精霊よ、我が魔弓となりて、灼熱の矢を……。
 呪文の詠唱が残り一言で完成しようとする、そのとき。
 極限状態の中で、何かがグレイルの心に繰り返し引っ掛かる。精神集中が乱れた。
 ――何だ、この感覚は? 大事なときに!!
 時が止まっているかのような意識のうちに、彼は不意に思い出す。
 ――そう言えば、似たような感覚を覚えた。昨日の深夜……。俺は、誰かのことを、いや、遠い昔の友人のような人々のことを、忘れている気がしてならなかった。それは誰なんだ? この感じは、いったい何なんだ!?
 しかし迷っている暇はない。グレイルは急いでもう一度呪文を唱え直そうとする。が、何かが依然として妙に気に掛かる。
 ――なぜ迷ってる? 未練だぞ。今さら、過去や未来などと。
 自分にそう言い聞かせるも、彼の胸中には生理的に引っ掛かるものがあった。どうしようもない。この奇妙な気分がいかなる理由によるのか、それが分からないことが余計に苛立ちを煽る。
 彼の意思とは半ば無関係に、様々な連想が脳裏を駆けめぐる。その中には、あの《妖精》についての幼年時代の記憶もあった。いや、他の何にも増して、その光景が何度も心に立ち現れるのだ。
 ――妖精? どうして? いや、俺がいま必要としているのは、炎の精霊の呪文。無駄なことを考えるな。もう一度、呪文を!!
 そして彼は、最後の魔法を一気に解き放った。はずだったが……。

 直後、叩き付けるような衝撃とともに、グレイルの目の前は真っ暗になった。
 頭が、腕が、全身が痺れている。痛みのあまり身動きが取れない。
 ――動け!! くそっ、何も見えない。魔法眼も完全にイカレたか!
 グレイルは重心を維持することすらできなかった。
 ヴェ・デレスの雷撃弾の斉射を喰らい、彼のアルマ・ヴィオは黒焦げになって煙を上げている。やがて片脚が膝の部分から折れ曲がり、機体はあっけなく背後に崩れ落ちた。地面に衝突した際、腕も外れてしまった。
 もはやアルマ・ヴィオは完全に沈黙した。
 自らの《身体》が、つまり機体が大破したショックにより、グレイル自身も気を失った。


10 運命の暗転の日、選ばれなかった者



 ◇

 ――俺、死んだ? 死んだのかな。
 グレイルは身体の感覚をすべて失い、虚ろな意識のままで、果てしない暗闇に包まれていた。
 ――あっけないもんだな。こんなのか、人生って? 笑っちゃうよな。ちょっと終わりが早すぎる気もするが……。
 様々な出来事が心に蘇る。これぞ、死の直前に人が見るという記憶の走馬燈なのかもしれない。じきに己の魂は天に召されるだろう、と彼は思った。ということは、まだ自分は生きているのだろうか?と考えもしたが、彼にはもう起きあがる気力すらなかった。
 ――でもさ、どうしてあのとき、あんな失敗したのかな?
 真っ白になった彼の頭に浮かんだのは、《あの日》のことだった。少年から大人へと移り変わろうとしていた頃、王立研究院への推挙を決める試験のとき、なぜか簡単な呪文をしくじってしまったことを。
 ――天才とか言われていたのにな。どうして、あんな間違いを? でも、考えてみれば、あれから良いことひとつもなかったか……。
 あのときの失敗が、今から思うと何かを象徴しているように思われた。それは運勢、いや、運命――人の力では抗い難い、因果律のようなもの。
 グレイルの唇は、気の抜けた笑みをたたえていた。
 ――へへ。たぶん、あのとき俺は何かに《選ばれなかった》んだよな。そう。それから、何かが壊れて、どんどん崩れ落ちていったような気がする。一体、どうしちまったんだろ?
 あれこれ思いを巡らせているうちに、彼は不思議と安らかな気分に包まれた。
 ――まぁ、いっか。何かに見放されたのかもしれない。そう言えば、《妖精》も、いつからか見えなくなってしまったし。突き放されたって感じだったな。俺は、何かに負けたんだ。《選ばれなかった者》なんだ。
 強烈な眠気がグレイルを襲う。おそらくここで目を閉じれば、永遠の眠りにつくことになるのだろう、と彼は思った。
 ――さよなら……。って、何に、誰にさよならなんだ? 別に何もないじゃないか。馬鹿みたい。最後まで。

 黄泉の国への扉に手が掛かったそのとき、漆黒の闇の中に《炎》がぱっと浮かんだ。そして、破鐘のような大声がグレイルの頭の中で響く。
 ――待ちなさいよ、ふざけるな!! 起きろ、この軟弱魔法使い、こら!!
 あまりの騒々しさに、グレイルはめまいがした。だがその突き刺すような感覚が、間一髪のところで彼を現世に連れ戻したらしい。
 ――この声は? うるさいヤツだな……。
 何が何やら理解できないグレイルの手に、誰かが噛み付いた。
 痛い。現実なのだろうか?
 ――おい、ちょっと! 人の話聞け! バカー!!
 聞き慣れぬ若い娘の声に、グレイルが顔を上げると、そこには……。
 幼い頃に見た、あの《妖精》が居た。
 火炎を思わせるような縁取りやフリルの付いた、ヒラヒラした真っ赤な衣装。
 すらりと伸びた、長くて華奢な腕と脚。
 これまた燃え盛る焔のごとく、大きくうねった赤い髪。
 無邪気で、やんちゃな、それでいて全く正反対の、異様な威圧感を秘めた目。
 ――やっと聞こえたか、この鈍感!
 彼女は口をとがらせ、グレイルの背中を小突いた。
 ――幻なのか? あのときの、妖精……?
 ――違う。あたしは妖精じゃない、パラディーヴァだよ。フラメアって言うんだ。
 ――パラディーヴァ?
 フラメアは、ぶんぶんと音がしそうなほど、何度も大仰に頷いた。
 ――いいかい、根性なしの魔法使いさん。アタシはねぇ、アンタのために今日まで待ってたの。古の契約によって、アンタの剣となって戦い、楯となってアンタを守るために。ワカル?
 ――お、俺は悪い夢でも見ているんだろうか?
 怪訝そうなグレイル。フラメアはわざと彼の耳元で大声を出した。
 ――また噛み付いて欲しい? さっき痛かったでしょ、本当だってば。
 と、彼女は急に真剣な表情で告げる。
 ――時間がないの。よく聞いて。アンタは間違ってると思う。基本的な、重大な間違いを犯したまま、今日まで生きてきて……その間違いに気づくことなく、無謀な戦いを仕掛けて死んでいこうとした。あと一発、敵のアルマ・ヴィオがMgSを発射したら、アンタは本当に死ぬよ。了解?
 半信半疑のまま、グレイルは機械的に頷いた。
 ――分かった。で、あたしのマスター様、アンタの間違い、教えてあげようか? もしこれを聞いて、それでもアンタに立ち上がる気がなかったら、そのときは本当に死んじゃえばいい。


11 グレイル、覚醒



 強引に話を進めるフラメア。
 だが彼女の次の言葉は、グレイルの心を揺さぶり、長いこと彼の気持ちに取りついていた黒い霞のようなものを、無理矢理に吹き払うのだった。
 ――あなたがずっと《選ばれなかった》のは、何かに見捨てられたからでもなければ、あなた自身にその資格がなかったわけでもない。後で《もっと大きなことのために選ばれる必要があった》から、選ばれないままだったの。
 ――もっと大きなことのために?
 ――本人の意思に反してでも、宿命はあなたの進む方向を変えたの。それを今日まで不本意だと感じてきただろうけど、今になって運命の歯車は動き始めた。考えてもごらんなさい……本当の切り札っていうのは、他よりも後になって使われるからこそ切り札なんじゃない! あなたは落伍者ではない。自分でそう思い込んでしまっただけ。さぁ、目を覚ます時間よ。悪い夢から覚めて。
 フラメアは無垢な男の子のような笑顔で頷いた。
 ――俺が、本当に為すべきこと……。それが始まろうとしている今まで、俺はずっと選ばれないままだった。いや、だからこそ、俺はいまここに居るわけだし、ここでフラメアと出会い、俺にしかできない何かに取りかかることができる。それは、確かに……。
 彼女に手を取られ、ぼんやりと立ち上がるグレイル。だが彼の目の輝きは、半信半疑ながらも、今までとは全く違う強さを見せている。
 ――そうかもしれない。何のことはない、物は考えようってワケか。
 彼の言葉を待っていたかのように、フラメアは一転して恭しく跪いた。
 ――承知しました。私の親愛なる主(マスター)よ、御心のままに。
 幻の中、彼女は激しい炎の姿となって宙に消えた。

 ◇

 ――誰かが俺を呼んだのか? いや、気のせいか……。
 カリオスは、何かが胸の奥を走り抜けるのを感じた。
 彼の気持ちに感応した魔獣キマイロスが、地平の果てにも轟けと、ひときわ大きく遠吠えする。
 反乱軍の籠もる要塞線《レンゲイルの壁》を遠く望みつつ、カリオスとキマイロスは再び戦場に躍り込んでゆく。

 ◇

 見るも哀れに被弾し、地面に横たわるグレイルのアルマ・ヴィオ。
 帝国軍のMgSが、今にもとどめの一撃を放つべく、狙いを付けている。
 そのとき急にハッチが開き、転がるようにしてグレイルが這い出してきた。
 ふらふらと立ち上がったかと思うと、また前のめりに倒れそうになりながらも、髪を振り乱して彼は身体を起こした。

 ◇

「……何?」
 暗い部屋の隅で、イアラは身を起こした。
 彼女は彫像のように身体をこわばらせ、宙の一点を――いや、カーテンの向こう、窓の向こうに意識を向けている。
 涙で赤く充血した目は、遠くのどこかを確かに見つめていた。

 ◇

 酔っぱらいのようによろめき、肩で息をして、グレイルは荒い声でつぶやく。
「運命だか天の采配だか知らないが……。心を――なめんなよ!!」
 忘れていた本気。凄まじい形相だ。
 気迫のままに、腕を天空にかざして《召喚》の呪文を唱え始める。

  我は汝の名を呼ぶ。
  いにしえの契約に従い、竜王の門より我がもとに出でよ。
  炎を司りしパラディーヴァ、烈火の乙女……。

「フラメアー!!」
 グレイルが召喚呪文を唱えたかと思うと、一瞬、真っ赤な閃光が空を覆い、揺らめく炎のごとき光が天空から大地を貫いた。その光景は、あたかも雲間で竜が身をくねらせ、大地に舞い降りるかのようだった。
 付近の空気が一変する。
 刺すように乾いた霊気の波動が空を埋め尽くし、見渡す限りの森の木々は、巨大な魔力に共鳴してざわめき始めていた。

 ◇

 アマリアは椅子から立ち上がると、白いショールを肩に掛けた。
 おもむろに二、三回、凛々しい面差しで彼女は頷く。
「当然だ。これは定められていたこと……」
 庭園に設けられた緑木の迷路の中、彼女は、館に続く小道に足を向けた。


12 魔界の重騎士・エクシリオス



 ◇

 帝国軍が異変に気づいたとき、グレイルの姿はどこにもなかった。
 何かが太陽の光を遮る。
 上空には気配すら無かったにもかかわらず、視界の彼方、遙か雲海の果てから瞬時に飛来したものが。
 風を切るように巨大な鉤爪が現れ、ヴェ・デレスの1機を鷲掴みにしたかと思うと、物凄い力でそのまま握りつぶした。
 ――ガノリス軍の新型? 重アルマ・ヴィオか!!
 残りのヴェ・デレスは、突然現れた敵に魔法弾を浴びせかける。
 だが帝国軍のエクターたちは、戦慄すべき結果に直面した。
 ――まさか、これだけの集中砲火を、こんな至近距離から受けて無傷だと!?
 何発打ち込んでも同じだった。一切の魔法は無効化されている。
 ――敵の機体は、レベルA+以上のとてつもない結界を展開しているぞ! どの魔法弾も全然歯が立たない!!

 爆煙が消えていくに従って、謎のアルマ・ヴィオが姿を現す。
 不気味な影。
 それは人のような形をしながらも、人間そのままの似姿ではない。
 空中に悠然と浮かぶ機体。その側面で大小様々の《腕》がうごめく。本来の2本の腕よりも遙かに大きく、ハサミ状の鉤爪を備えた腕が、左右の肩の後ろから伸びている。さらに、鋭利な一本爪の付いたムチのようにしなやかな腕が、横腹付近に2、3対。
 何とも表現し難い。敢えて言えば、蟹の化け物を背負った鎧の騎士だ。
 しかも翼が生えている。だがその翼も――鳥や蝶など、空を飛ぶ生き物本来のものというよりは、甲殻類の器官を思わせるような、頑丈で節くれ立った異様な造りだった。

 フラメアが勝ち誇ったように笑う。
 ――ナメてもらっちゃ困るよ。《アスタロン速度干渉結界》を展開した機体には、魔法力による攻撃は通用しないの。もう何をしたところで無駄だって。
 突然ケーラの中に転送されたグレイルは困惑している。
 ――こ、これは……。
 恐るべきパワーが彼の魂に伝わってくる。底無しの魔力の渦に取り込まれているようで、思わず震えが出そうだった。
 ――魔界の重騎士《エクシリオス》よ。乗り心地はどう?
 フラメアの声がグレイルの心に浮かぶ。
 自分の中に、別の誰かの声。それはアルマ・ヴィオの伝えてくる意思よりも、もっと直接的で、グレイル自身の心との境目が曖昧だ。この不慣れな感覚にも、彼は戸惑いを隠せない。
 無邪気な冷酷さでフラメアは言った。楽しそうにすら。
 ――さっさと片づけちゃおうよ。あたしたちには、もっと大事な用がある。


【第32話に続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン



5 君がどんなに孤独(ひとり)でも…



 ◇ ◇

「俺の守るべき《お姫様》も、これがまた、なかなか世話が焼ける……」
 すっかり陽は昇ったというのに、依然として薄暗い室内で、アムニスはささやいた。
 風もない部屋の中、神秘的な輝きをまとったアムニスの黒髪が、そよそよと揺らいでいる。長身のパラディーヴァは、実体なき霧のような姿で窓際にたたずむ。
 全て締め切られたカーテン。本来は燦々と日の光が降り注ぐはずの、贅沢な作りの窓も、今では無用の長物だった。
 もう長いこと、食事の出し入れの時以外には滅多に開かないドア。
 床に散乱した紙くず。油絵の具の匂い。
 何の欠乏もない、この豪華な個室は、本来の立派さとは裏腹に、いまや陰惨で重苦しい空気に支配されている。
 周囲よりもいっそう暗がりの濃い、部屋の隅で――ぼんやりとしたランプの明かりのもと、うずくまるようにして絵を描いている娘が居る。
 イアラ。彼女は何も喋らない。
 時折、嗚咽ともすすり笑いともつかぬ声を、微かに発するだけだ。
 水のパラディーヴァ・アムニスは、来る日も来る日も、イアラの姿をじっと見守っている。
 変わらない日々。
「俺のマスターは半ば《壊れて》しまっているかもしれない。だが必ず、彼女が再びこの窓を開いて、自由に外の世界を飛び回る日が……。その時がそう遠くないうちに来ることを、俺は信じている。彼女には《御子》の力がある。お仕着せの宿命の糸を断ち切り、自らの手で紡ぎ直すことのできる、可能性の力が宿っている。それは、彼女が自ら捨て去らない限り、《あの存在》の手によっても決して奪えないものだ」
 人の心を惑わせる美しい妖魔のごとき、この世ならぬ魅力をもつ横顔。
 だが美しさ以上の何かが、アムニスの全身を包んでいる。あたかも永遠の哀しみを思わせる、吸い込まれるような、切々とした物寂しい雰囲気が。
 それでいて彼の瞳の奥には、強い情熱の光が見て取れる。
「君がどんなに孤独(ひとり)でも、俺は最後まで君を信じ、いつも側にいる。たとえどれほど君の心の闇が深くなっても、俺はいっそう強い明かりをかかげて、君の行く先を照らし続ける。《予め歪められた生》に負けてはいけない。強く生き、倒れずに立っていること、抗うこと――それもすでに、君と俺にとって、《あの存在》との戦いの一部なのだから。わが主、イアラよ」

 ◇

 姿なき絶対者の手によって、歴史のからくりが着々と進行していく一方で、いまだ目覚めの時を迎えぬ御子たち。
 彼らは自らの運命を、そして使命を知らない。
 ましてや、己の運命を変えるすべを知るはずもなかった……。


6 グレイルの回想―運命が狂い始めた日



 ◇ ◆ ◇

「それでは、わがメデティティア魔道学院より王立中央魔道研究院へ推挙されることになった、名誉ある諸君の名を発表する」
 この式典のために、漆黒の長衣と黄金造りの宝尺で正装した院長が、堂に入った声で読み上げる。外貌の点から言うと――神秘的な眼光を別にすれば、日頃は地味な初老の男にしか見えない院長だが、今日は格別の威厳を漂わせていた。
 院長と同じ舞台上に、同じく学院所属の魔道士たちが居並ぶ。
 他方、緊張と興奮の入り交じった眼差しで壇上を凝視しているのは、彼らの弟子たち。おおむね16、7から20歳くらいまでの男女だ。彼ら、学院の若き魔道士たちは、揃いの制服を、紺色の長衣に鮮やかな朱の帯とケープを身に付けている。
 ところでイリュシオーネの魔法学者の間では、人は誰でも魔法の源となる《パンタシア》の力を持っている、というのが通説である。そのくせ、己の内に潜むパンタシアの力を実感し、自在に制御できる者の数となれば、急激に限られてしまうことになる。パンタシアを意のままに操るために必要な、天賦の感性を備えた人間だけが、魔道士になれるのだ。
 仮に天才というものが、世間的に言われているように《天性の能力》であるとするならば――本来的にはむしろ《環境の産物》だと思われるが――魔道士というのは、その意味において確かに《天才》であろう。
 しかし現実は厳しい。それらの天才たちの中でも、現実に一流に、いや、二流も含めて一応真っ当な魔道士となれるのは、ごくわずかだ。が、今ここに集まっている青少年たちには、大なり小なり可能性が残されている。
 そして、将来を夢見る魔道士の卵たちの中には、まだあどけなさの残るグレイル・ホリゾードの姿もあった。

 ◆

「私はいまだに理解できんよ……。どうして君ほど優れた成績の者が、あんな初歩的な呪文を、よりによって本試験で間違えるなどとは。誠に残念なことだ、グレイル君」
 後日、院長はいつもの平凡な表情に戻って告げた。
「君を推している先生たちも、少なくなかったのだがね。まぁ君は、実力さえ出せれば、本当は才能があるのだから。諦めずに頑張りたまえ」
 諦めたくはないが、しかし――とグレイルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。現在と同様、少年時代からおよそ整っていたとは言えない頭髪を、無意識に掻きながら。
 イリュシオーネでは、大学や魔法院への入学試験というのは、事実上存在しない。かつての時代とは違って誰でも入れるのだ。入る資格だけならば……。ただし裕福な貴族や大商人の師弟をのぞけば、実際には推薦試験が、つまり学費を免除してもらうための試験が、入学テストのようなものである。そう、一介の職人や小農民の子の場合、たとえ入学はできても莫大な学費が払えないからだった。
「いや、すいません。あははは。本当は、俺、いや、僕は王都バンネスクのような都会の暮らしは苦手ですからね。それに王立研究院ってのも、本当は堅苦しそうで、どうも。そんな気持ちでいましたから、思わず集中力が抜けてミスっちゃったのかもしれません」
 予想外の言葉に、院長は低くうなった。
「グレイル君……」
「大丈夫ですよ、先生。修行は続けますよ。自分で。当面は《拝み屋》でもやるか、それともエクターになろうかと考えてます。親戚に(※ガノリス王国の)エクター・ギルドの繰士がいるんですよ。実は、今までも見習い兼助手をして、小遣いを稼いでいました。不器用そうに見えても、これで結構、小器用なんで」
 彼はわざと茶目っ気を出して笑った。
 《拝み屋》というのは、要するに金で雇われて悪霊払いをしたり、呪いを払ったりする祈祷師のことだ。何しろ善悪様々な魔法の渦巻くこの世界、需要は多い。占いとならんで、悪霊・悪魔払いは、駆け出し魔道士の重要な収入源である。
 ルキアンの師匠カルバのように、まともな研究所を構えて日々研究に励むことができる魔道士など、全体から見れば少数なのだ。それこそ一流といわれる魔道士だけだろう。
 それでも拝み屋や占い師として働く者は、真っ当な魔道士の部類に入る。中には詐欺師同様の振る舞いに及んで、例えば《自分は錬金術にあと一歩で成功するから、少し研究資金を出してくれませんか?》などと嘘を付き、人の良い金持ちから金を騙し取ったり、もっと酷い場合には、殺し屋まがいの《呪い屋》になったり、野武士や山賊にまで身を落としたりする者もしばしば見られる。

 ◇ ◆ ◇

「それで結局のところ、ジャンク屋兼エクターだもんな……。ま、占いや拝み屋よりは儲かる稼業だけど、何せ命を張る商売ときたもんだ」
 本人だけではなく、聞いた者まで脱力させられるような、大きな溜息。
 不信心者なのだろうか、いい加減なのだろうか、グレイルは、馬鹿にするような調子で神の名を口にする。
「あぁあ。いと高きところにまします神さんよ、どうか明日も俺らの命がありますように、頼むぜ、っと」
 彼は無言で空を見つめ続ける。特に何を眺めているわけでもなさそうである。


7 勇気か自棄か、命を捨てて戻る道



 ……と、不意にその目つきが鋭くなった。
「あれは?」
 そう言うが早いか、グレイルは動き出していた。煉瓦の山の上に呆けて座っていた今までの様子が、嘘のようである。何だかんだ言っても、本業の繰士だ。
「ヤバイじゃないか。帝国軍の部隊!!」
 ジャンク・パーツを集めた例のアルマ・ヴィオに駆け寄り、大慌てでハッチを開く。
「痛てっ」
 棺桶のようなコックピット、いや、《ケーラ》の中に勢いよく飛び込んだまではよかったが、グレイルは角に頭をぶつけてしまう。
「とにかく、早くこの機体を隠さないと」
 のっそりと起動した汎用型アルマ・ヴィオ。もともと、背後の森の中に隠してあったのだが、もう少し本格的に姿を潜めることが必要らしい。
 アルマ・ヴィオの魔法眼を通じて、上空の敵機の様子が目に映る。まだ距離がありすぎて正確な形を認識できない。とりあえず、翼の他に、手と足と人型の身体を持つシルエットだ。ずんぐりした大きな翼が左右に広がる。それらの下から、さらに細い翼が、吹き流しのように後方へと伸びている。
 翼を持つ汎用型。天使のような、いや、むしろガノリス人にとっては悪魔としか言いようのない姿だ。飛行型ではないにもかかわらず、見る見るうちに接近してくるほどの速度。その事実が、すでに帝国軍の技術力の高さを物語っている。
 空中に浮かぶケシ粒のようだった敵の影は、グレイルが呆気にとられている今、この瞬間にも、はっきりと形をとらえることができるほど大きくなっていた。敵のアルマ・ヴィオの肩から腕にかけて伸びる筒のような物体――長射程MgSの砲身まで判別できる。さらには色までも。ダークグレーの機体をベースに、肩当てや籠手、胸甲等の部分は銀色や紫色らしい。
 ――ツイてない! こんな時にかぎって、《ヴェ・デレス》じゃないか。それが1、2、3……おい、8、9体も……1個中隊!? どこを攻撃しに行った帰りなのか知らないけど、俺たちみたいなザコの敗残兵なんて相手にせず、さっさと戻って寝てろ!!
 もし《生身》の状態であれば、グレイルは舌打ちしたい気分だった。
 《ヴェ・デレス》は、汎用型とは思えない機動力の高さゆえに、帝国軍の先鋒隊の主力アルマ・ヴィオとなっている。群れをなして空から急襲し、強力な火力でたちまち相手を撃破する。それによって、ガノリス王国の重要な都市や城が一体いくつ奪取されたことか。
 ――前に俺たちが居た部隊も、あのアルマ・ヴィオたった数機のせいで、全滅させられたっていうのに……。しかも今度は数が違う。一対一でも勝ち目は薄い。それがあんなに沢山来られたら、逃げるが勝ちだ。
 苛立ちながらも、グレイルはともかく森の奥深くへと後退し始める。
 木々の中で息を潜め、じっと耐える。
 時間の流れが変わった。時の刻みがあまりに遅く感じられる。
 だが、無事に敵をやり過ごせつつあると彼が思ったとき、最悪の事態が発生してしまった。
 空中から一斉に火を噴く敵のMgS。幸い、それらはグレイルのアルマ・ヴィオに向けて発射されたものではなかった。が……。
 9体の敵機から放たれる閃光が、次々と大地に突き刺さる。
 冷たく乾いた気候のせいもあってか、たちまち森に火が付いた。さらには火炎弾まで投下され、火勢はますます激しくなった。赤く揺れる不気味な炎は、じわじわと広がり、一面の深緑の樹林を舐め尽くそうとし始めている。
 ――ルージョ! キリオ!!
 グレイルは、丘の上に残してきた友たちの名を叫んだ。
 地べたに屈み込んでいた自機を反射的に起こし、彼は一歩踏み出した。しかし、続く二歩目がすぐには出ない。
 勝てるわけがないのだ。
 ヴェ・デレスと比べれば、グレイルのアルマ・ヴィオなど動く鉄くずにすぎない。反撃もままならないまま、跡形もなく破壊されるだろう。昨日までの戦いを通じて、彼は身をもって理解している。
 一瞬、迷いが生じた。
 が、グレイルはすぐに仲間のところへ急いだ。それは恐らく、勇気ゆえではない。投げやり、破れかぶれ、と表現した方がよいかもしれない。
 何かを考える余裕など今のグレイルにはなかったが、無意識的にも――友と生き延びるために戦いに向かったのではなく、共に死に花を咲かせるために戦う、という気持ちの方が強かったに違いない。
 それほど絶望的なのだ。この戦いは。
 ――だが俺は、ここで逃げるほど、そこまで落ちぶれちゃいない。
 地響きを立て、必死に林道を走るグレイルの機体。
 ――そうか? 本当にそうなのか? 俺は、単に俺は……捨てるものが無いだけじゃないんだろうか。ここで全てが終わってしまっても別にもういいか、なんて思ってるから、こうやって無謀な戦いに向かうことができる? 明日も明後日も、来年も、どうせ何も変わらないって……そう思っているから、未来を、命を、捨てることに恐れを感じないだけなのかもしれない。
 突然に心に生じた動揺を、グレイルはすぐさま振り切った。そんな暇があったら、一歩でも早く仲間たちのところに行きたかった。
 ――分からない。分からないけど、とりあえずあいつらだけは、唯一、俺が失いたくない仲間だ。ずっと一緒にやってきた、信じ合える奴らだから。
 敵から身を隠すことなどもはや考えず、グレイルのアルマ・ヴィオはひたすら急ぐ。距離的には、あの丘はほんの目と鼻の先なのだ。


8 御子の宿命、用意されていた哀しい舞台



 そして、ついに。
 ――大丈夫か? 返事をしてくれ!!
 坂道の先、森が切れた。
 ――キリオ!?
 聞き慣れた念信の声は、帰ってこなかった。
 ――ルージョ? おい、生きてるか? 大丈夫だろ!?
 グレイルの心には何の反応も浮かばない。
 凍り付いた湖面のごとく、静かで、無情なほどひっそりと。
 ――こんなときに、悪い冗談、だよ、な……。緊急事態なんだぞ。おい。
 自分の視界に何が映っているのか確認できぬまま、もしかすると眼前の光景を映像として認識せぬまま、彼は繰り返し呼び掛けた。

 ようやく魔法眼が、グレイルの脳裏に像を結ばせる。
 人のかたちをした影が、視界を遮るものが、目線の高さには見当たらない。
 もっと地面の方、猛火の海の中に、鋼の塊が2つ転がっていた。
 仲間のアルマ・ヴィオが2体。変わり果てた姿で。
 グレイルはそれを直視するのが怖かった。怒りで哀しみを打ち消そうとするかのように、彼は上空に向かって絶叫した。

 ――嘘だろ……。こんなのありか?
 アルマ・ヴィオの腰の左右に付けられた箱状の装置が、ゆっくりと開いた。それらの中から、発光する小さな物体が、点々と空中にこぼれ出てゆく。
 ――どうして。どうして、こうなる?
 無感情につぶやくグレイル。
 その痛ましい気持ちを慰めようとするかのごとく、雪のようにふわりと、ぼんやりと青白く輝きながら、周囲に流れ去ってゆく光の群れがあった。
 蛍さながらに。
 そう、それは《蛍》だった。魔法戦用の《ランブリウス》だ。
 ――道連れにしてやる。一矢も報えずに、ただ死んでたまるか!
 グレイルは呪文の詠唱を始める。残る魔力の全てを込めて。

 ◇ ◇

「このままで良いのかの、わが主よ?」
 しわがれた、穏やかな老人の声が言った。だが姿はない。声音だけが宙を漂っている。
「聞いておるのか、アマリア。あの男は死ぬぞ……」
 差し迫った会話の内容とは裏腹に、《地》のパラディーヴァ・フォリオムの口調はあくまで落ち着いていた。まさに夜明けの大地のごとく。全てを包み込む静けさで。
 紅の魔女アマリアは、何の返事もせず水晶球を見つめたままだ。透明な球面には、勝つ見込みのない戦に身を投じたグレイルの姿が映っている。
 瞬きもわずかに、夢うつつで心はここにあらず、魂だけが異界に吸い込まれるているような眼差し。アマリアは水晶を凝視する。
 水晶球に映るグレイルのアルマ・ヴィオの様子を見て、フォリオムは溜息を付いた。多分、わざと大きく。彼なりにアマリアを急かしているつもりなのだろうか。
「哀れなことじゃて。あれしきの呪文、唱えるだけ無駄なのにのぅ……。敵と差し違えようとしているつもりでも、自滅するだけだろうよ。通用せん」
 なおも身じろぎひとつせず、一言も発しないマスターに対し、フォリオムはやっと声を大にした。それは柔らかではあれ、断固として有無を言わせぬ口ぶりである。
「いま《御子》を失うわけにはいかぬ。一人たりともな。……それは十分理解しておろう? まだ今なら間に合う。なぜ彼に救いの手を差し伸べぬ、紅の魔女よ? お主の《ノヴィム・アーキリオン》なら、一瞬であの国まで転移できるものを」
 小さく首を振り、フォリオムの言葉を押し止めるアマリア。彼女はやっと口を開いた。
「確かに。造作もないこと……。しかしな、フォリオム。私がここで手を出したら、彼個人は生き延びることができるにせよ、《御子としての彼》は今後ずっと眠ったままになるだろう。運命を変えるのは本人だと、ご老体も言ったではないか?」
「この状況で何を! もはや一秒を争う。わが主よ、早くアルマ・ヴィオを!」
 アマリアは頑として動こうとしなかった。
「パラディーヴァ・マスターとして覚醒できなければ、グレイル・ホリゾードはただの人間だ。御子としての役割も期待できなくなる。彼が置かれているこの状況は、まさに星の導きによるもの。もし彼が目覚められるとすれば、今しかないのだから……。そのためのきっかけとして、用意された舞台。いかに残酷であろうとな。だから私が手を貸すわけにはいかない」
 周囲の空気に冷たく染み通るような声で、彼女はつぶやく。
「そういうものだ。御子の宿命とは」


【続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第31話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  時には小さな塵が精密な機械を狂わせてしまうように、
  人間が偶然もたらしたに過ぎない些細なノイズが原因で、
  大いなる現世(うつしよ)のシステムに
  致命的エラーが生ずることもある。
  それゆえ御子たちの力は、
  《あの存在》にとって唯一の脅威となるだろう。
  御子の力、それは
   ――絶対者の引いた路線を白紙に戻し、
      新たな未来を作る不確定性の力。
  (リュシオン・エインザール)

◇ 第31話 ◇


1 第31話「御子」の再掲を開始です!



 一面の草原の中、ミトーニア市から伸びる街道を目で追っていくと、やがてナッソス城のある丘が見えてくる。
 丘の周囲の土地は真っ平らではなく、多少の起伏を伴っている。上空からの眺めは、緑がなだらかに波打つ海のようだ。こうした緩やかな凹凸以外、見渡す限りの平原には、これといって目立つ地形的特徴はない。
 クレドールの《複眼鏡》を構成する多数の魔法眼のうち、いくつかの《目》が地上の様子を探っている。付近には特に遮蔽物も存在しないため、いったん夜が明ければ、ナッソス軍の布陣を明瞭に把握することができる。
 結局、昨晩も床の上では眠れなかったヴェンデイルだが、その疲れを見せる様子もなく、彼は歯切れの良い声を上げた。
「動きがないね――日の出前に、ナッソス家の一隊がミトーニアの方に向かい始めたのに、どういうわけか城と街の真ん中辺りでずっと待機したままだよ。残りの主力部隊は、相変わらず城の守りを固めて持久戦の構えだ。……で、どうすんの? もう太陽もあんなに高く昇ってしまったし」
 そうですね、とだけつぶやいた後、クレヴィスの言葉がしばらく止まった。
 彼はミトーニア市の方角に視線を向けたまま、じっと沈思している。地上からの魔法弾を避けてクレドールが高々度にいるため、いま肉眼でミトーニアを見たところで、緑の上の小さな黒い塊のようにしか感じられないであろうが。
「多分、今朝早くルキアン君とナッソス家のアルマ・ヴィオが交戦した際に、何かあったのでしょう。アルフェリオンの戦闘力を目の当たりにした結果、敵軍がとりあえず自重しているとも考えられます。あるいは……」
 何事かの策を背後に含み持ったような、穏やかではあれ怜悧な微笑を浮かべ、クレヴィスは言った。
「貴重な戦力を本当にミトーニア救援のために割くべきなのかと、ナッソス家の指揮官たちが今頃になって躊躇しているのかもしれません。先程のルキアン君の報告が正しいとすれば――ミトーニアの市民軍の一部がギルドの地上部隊と戦闘状態に入ったのは、あくまで市庁舎を占拠した抗戦派の指図による結果であって、本来、市当局には戦う意思は無いようですからね。もし現段階で抗戦派が鎮圧されたりでもすれば、ナッソス家の援軍は無駄骨ということになります。抗戦派とナッソス家とが通じているのは確かだと思いますが。……もう少し様子を見てみましょうか、カル?」
 クレヴィスとは対照的に、カルダイン艦長は厳しい顔つきで押し黙ったまま、ブリッジ最上部の席に鎮座している。彼が無言であればあるほど、重厚な存在感と近寄りがたい威圧感とが醸し出される。
 奇妙な二人……。
 クレヴィス副長ほど、戦場にはおよそ似つかわしくない物腰の人間も珍しい。ただ、常に絶やさぬ微かな笑みには、人ではない精霊や半神の英雄さながらの、周囲の事情から超然とした余裕が感じられるとでもいうべきか。それゆえ、生理的な次元において、見る者はかえって底知れぬ怖さを覚えるかもしれない。
 他方、カルダイン艦長は、華々しさや感傷的な情とはほど遠い、戦いを金で請け負う本物のギルドの戦士だ。戦うために必要でない心の揺らめきを、一切停止しているかのように見える。
 副長の呼びかけが耳に入らなかったのでは、と思わせるほど――いささか長い間の後、カルダインは頷いた。
「ミトーニアへの対応は、今しばらくお前の判断に任せる。だが、あまり悠長に構えていることはできない。ミトーニア市の開城に手間取れば、ナッソス城の攻略にも遅れをきたし、最悪の場合、《レンゲイルの壁》への議会軍の攻撃作戦にも影響が出てくる。時間がないのだ。もう《帝国軍》は間近まで迫ってきている」
 不動であった艦長は、懐から煙草を取り出し、ようやく姿勢を崩しかけた。が、彼は再び椅子に深く腰掛け直すと、重々しく腕組みする。
「とはいえ、ミトーニアへの総攻撃を避けられるのであれば、それに越したことはない。議会軍のお偉方にしてみれば、世間への大義や建て前というのも重要だろう。誰が敵か味方か分からんような今の不安定な情勢の中では、なおさらのことだ……」
「えぇ。正規軍と組んだギルドが多数の一般市民を戦闘に巻き込んだということになれば、世論が悪い方向に傾く恐れがあります。特に、他の自由都市からの反発は激しいでしょう。現在中立の都市までが、反乱軍を支持することにもなりかねません。かといって、このままミトーニアを放置しておくのも具合が悪い」
 クレヴィスは微かに首を振った。そして溜息を――そのわりに、彼の様子はさほど深刻そうには見えない。


2 「端役」であるはずの人間が…



「時間が許すぎりぎりまで、市街戦という最後のカードは手持ちの札に含まれないものと考えておき、戦わずに開城させる手だてを探すべきでしょう……。しかし、今の状態では相手は話し合いに応じない。本来なら手詰まりだというところですが、幸い、全く運に見放されたわけでもないようですよ」
 彼の眼差しには、何故か確信めいたものが浮かんでいた。
「敵地の真ん中で《彼》を自由に飛び回らせておくのは、無謀極まりないことではありますが、反面、危険を冒してでも試してみる価値のあることです――ルキアン・ディ・シーマーが、ある種の攪乱要因として働くことにより、思いがけぬ可能性が生じるかもしれません。私には、そんな気がするのです。事実、コルダーユでも、パラミシオンでも、彼は我々の予想外の結果を引き起こしました。どう表現すればよいのでしょうか、ルキアン君は、良くも悪くも場の状況を変える何かをもっている気がします。水面に投じられた石。因果の流れを二転三転させる賽子(さいころ)。いや、妙な例えですが、もっと違う言葉でいえば……」
 ゆったりとした大げさな身振りと共に、クレヴィスは語る。
「主役がいて、脇役たちがいて、形の上では筋書きも決まっているような、そんな《舞台》の上で――横からひょいと出てきた《端役》であるはずの人間が、いつの間にか物語全体を違う方向に持っていってしまう。予定調和的に何事かを成し遂げるというよりは、むしろ物事の所与の前提条件を根底から流動化させてしまうような、そういう不思議な力をあの少年は持っているのかもしれません」
「相変わらず彼に入れ込んでいるようだな。期待し過ぎるのもどうかとは思うが、可能性というものは、たしかに信じられない結果に結びつくことがある。……それでも、最終的にミトーニアへの総攻撃が必要となったとしたら、やむを得ないがな。そういう汚い仕事は、俺たち以外の誰の役回りでもあるまい。正規軍の奴らにしてみれば、エクター・ギルドなど、所詮、勝つためには手段を選ばぬ胡散臭い傭兵の群れにすぎん」
 割り切った口ぶりで艦長は告げた。その後のクレヴィスの返答を気にするわけでもなく、彼は煙草をくわえ、窓の向こうを見据える。
 拍子抜けするほど平然とした態度に、いや、不敵な態度に終始する艦長。船のすぐ近くで、レーイたちとナッソス家の空中竜機兵団との戦いが、なおも続いているにもかかわらず。
 革命戦争の際に多くの修羅場をくぐり抜けたカルダインに言わせれば、今の状況など、遠くの火事程度の危険にしか感じられないのかもしれない。
「やれやれ。そうやって偽悪ぶるのは、貴方の良くない癖ですよ、カル……」
 苦笑いしながら、クレヴィスは話題を変えた。
「それはそれとして、まずは降りかかった火の粉を払っておくのが先決でしょう。じきにレーイが片づけてくれると思いますが、今すぐにとはいかない様子ですね。ナッソス家の繰士たちも、いずれ劣らぬ手練れ揃いのようですし、さすがに重飛行型が相手となると、汎用型のカヴァリアンやフルファーでは分が悪い。この際、相手方に揺さぶりをかける意味も込めて、敵のアルマ・ヴィオ部隊を一気に排除しましょうか。サモンの《ファノミウル》と、それからラプサーに連絡して、カインの《ハンティング・レクサー》にも支援に出てもらいます」


3 創造主の矛盾と人間の尺度



 ◇

「……レーイったら、何を遊んでるのかしら」
 同じ頃、飛空艦ラプサーの艦橋でも、シソーラ・ラ・フェインが戦いを注視していた。棘のある批判的な口調とは裏腹に、彼女は何らかの点でレーイに同情するかのように、仕方なさげに首をかしげた。
「たしかに手間取っているようだが――本気を出していないと?」
 珍しくノックス艦長が尋ねる。軍士官あがりの彼にしてみれば、ある意味で当然なのだが、彼は戦闘中、必要以外の私語には一切応じない。たった今も、持ち前の厳格なまでの几帳面さをもって、刻々と変化する戦況を全て見逃すまいと構えていた。
 シソーラは人差し指を立て、意味ありげに左右に振った。ノックス艦長に向かって、貴方は何も分かっていないと言いたげである。
「彼が手を抜いているわけではないけどね……。むしろ本気よ、本気。レーイを真剣にさせるなんて、敵も相当の凄腕じゃないの。アルマ・ヴィオとの一体感といい、剣や槍の腕前といい、あれだけのエクターは滅多にいない」
 勇敢ながらも堅物の若き艦長ベルナード・ノックスは、いつもながら、姉御肌の(また実際、年上の)シソーラ副長に頭が上がらない様子で、話を聞いている。
 以前オーリウム議会軍の艦隊に所属していたノックスは、飛空艦の扱いには長けている。だがアルマ・ヴィオに関しては、全く知識がないわけではないにせよ、プロからみれば素人にすぎない。シソーラは、その気になれば自らアルマ・ヴィオに乗ることもできる。
「レーイは本気を出しているけど……。《全力》を出していないと言ってるの。いくら空中戦で不利だとはいえ、レーイが真の力を発揮していれば、この戦いはとっくに終わってるはずよ」
 金鎖で首にぶら下がっていた眼鏡を、シソーラはゆっくりと掛けた。
「でも今は、何だか試合でも楽しんでいる感じね。レーイも相手の実力を認めているのかもしれない。たぶん相手のエクターは女。それも、ウチのプレアーみたいな若い子。最初、レーイが戸惑っていたようだもの。そりゃまぁねぇ、あの人に、うら若き乙女の命が奪えるはずなどないでしょうけど……」
 彼女は不意に冷淡な口調になった。
「人の世の争いは醜い。純真そうな子供が暗殺の短剣を隠し持っていることもあれば、女や幼子を楯にしてくる卑劣な敵もいる。そこで剣を振るわないのは自由だけど――そうやって人の道をつらぬこうとするのであれば、代わりに自分の命を捨てる覚悟が必要になる。戦いというのは本質的に汚い。要するに殺し合い、つぶし合いなんだから、人間らしい感情を先に出した方が負けちゃうワケよ。良いとか悪いじゃなくて、許せるとか許せないとかじゃなくて、とりあえずそれが現実」
 彼女の言葉にはそれ相応の重みがあった。大規模な虐殺や粛正を伴う、あのタロスの革命戦争の渦中で生き抜き、全てを失ってオーリウムに亡命してきた人間の言葉だ。
 反対にノックス艦長は、職業軍人ではあったが、軍を辞めてエクター・ギルドに入るまでは実戦経験すら持たなかったのである。他の多くのオーリウムの軍人と同様に。
 シソーラが失った家族の話も知っているだけに、ノックス艦長は、黙って彼女の言葉に聴き入るしかなかった。
 祖国タロスなまりのオーリウム語で、シソーラはつぶやく。ノックスにとっては、余計にその言葉の響きが痛々しく感じられた。
「もしかすると、そんな現実は、戦いという特殊な状況だけに限らないかもしれないわね。人生という戦場で、人間的な《優しさ》を貫こうとする人は、自分の中のその優しさを守るために、自身の大切なものを犠牲にせざるを得なくなる。だって、人が生きるということは――特に、成功や幸福を味わうということは――自覚の有無にはかかわらず、必ずどこかで他人の犠牲を伴っているのだから。それに対して《痛み》を覚えてしまえば、そこから先には進めなくなる。だから人は無神経を装って、必死に言い訳しようとする。自分自身を正当化しようとする。私は努力したんだから。私には力があったんだから。他の人間ではなく、この私が選ばれたのだから。私は堂々と競争して勝ったのだから……。でも、それなら、人はどうして優しさなど持って生まれてきてしまったのかなって――時々思ったりするワケよね。違う?」
 ノックスもようやく口を開いた。
「確かに。いささか感傷的な言い方かもしれないが、笑わないで欲しい。今の世の中では、感じやすい繊細な心は、生きるための《足かせ》にしかなっていない。そんな優しい心を、真っ当に身に付けて育って《しまい》、それを失わずに生きてきて《しまった》人間は、その優しさゆえに生きづらくなっている。俺は思う――もしも《優しさ》が人として生きるために不都合なものなら、最初から人がそれを持っていなかった方が良かったはず。だが、そんなはずはないと思う。それが、優しさが人にとって大切なものだから、人はそれをもって生まれてきたのだと思う。そう信じたい……」
「でも現実には、貴方が言うように、《優しさ》は《足かせ》になっているかもしれないわね。こんな世界の中で人間が優しさを持っていることが間違いなのか、それとも、優しさを持つ人間が苦しまずには生きられないこの世界が間違いなのか、どちらが本当なのか私には分からない。だけど、ひとつだけ確かだと思うことがある」
 シソーラは顔を伏せ、いつもより低い声で言った。
「そうした矛盾を敢えて認めたかたちで、この世界が創られ、この人間という存在が創られたのだとしたら――そして、世界や人間をそういうふうに創った《創造者》が、万一、現に存在するのだとすれば――多分、それは《神ではないもの》ではないかと私には思える。もし本当の神であれば、そんなことはしないはず。全能であるにもかかわらず、間違ったものを間違ったままに創り上げるなど、永遠に終わらない人類の争いや苦しみの歴史を、最初から分かっていながら創り上げるなどということは、決してなさらないはず。でも、こう思ったりもする。それは《人間の基準》による勝手な考え方かもしれないって。つまり本来的には、この世界も人間も全て幸福であるように、真の神は創造したのかもしれない。その摂理を歪めたのが、私たち人間であるとしたら……。分からない。分からないけど、私は人間だから人間の基準でしか考えられないし、私たち人間がみんな幸せになれることが、一番正しい理想だと思う。それは仕方がない。何度も言うけど、結局、私は神でも獣でもなく人間だから」


4 消えた「妖精」―天才少年の転落?



 ◇ ◇

「ここも駄目か……。こんな小さな基地まで徹底的に潰してゆくなんて」
 木立を抜け、森の外れに開けた空間を前にして、グレイルは無念そうに天を仰いだ。
 あるべきものが無いのだ。ここには本来、ガノリス軍の《念信》の中継施設が存在するはずなのだが、グレイルが見いだしたのは、黒々と焦げ付いた窪地のような場所だけだった。
 彼は地面に屈み込み、炭化した柱の破片をつまみ上げた。
「多分、たった一発でやられたようだな。新型のMgSか。帝国軍の奴らときたら……」
 恐らくは愚痴であろうか、二度、三度と肩をすくめて独り言を口にしながら、グレイルは辺りを調べる。焼けただれた瓦礫を踏みしめ、何かを探しているようだが。
 独り言。それは彼の子供の頃からの習慣である。
 ただ、今とは違って、幼年時代の彼には感じることができた――他愛のない言葉に耳を傾けてくれた、何か、あるいは誰かを。

 ◇ ◆ ◇

「ママ、僕ね、妖精を見たんだよ。本当!」
 幼いグレイルは母親の腕を引っ張った。
 優しい目をして息子を見つめながらも、母は話半分といった調子で、取り合おうとしない。いつものことだと言わんばかりに、彼女は息子を抱き寄せ、仕方なさそうな顔で頷いた。温かい手が、濃い金色の髪を撫でる。
 だがグレイルは彼女の手から身体を引き離し、頬をふくらませた。
「本当だもん! 妖精いるもん!」
 それでいて再び、甘えるように母の腕の中に飛び込むと、彼は繰り返し言う。
「妖精ってね――あのね、知ってる? 赤い服を着て、髪の毛も真っ赤なお姉ちゃんなんだ。昨日、見たんだもん」

 ◇ ◆ ◇

 グレイルの脳裏に、幼き日々の記憶が不意に蘇る。
「妖精か。そんなのは、今どき、森の奥の奥にでも迷い込まない限り、出会うこともないだろうが」
 白けた口調でそう言うと、彼は軽く頭を抱える仕草をした。
 《妖精》らしきもの。小さい頃のグレイルは、後にも何度か、その存在を感ずることがあった。だが彼が少年になり始めた頃、それは彼の側から姿を消してしまった。いや、《見えなくなった》という方が正しいのかもしれない。
「それより、使えそうなお宝のひとつでも回収しないと。だが駄目か。こんな酷い有様では、弾薬や食糧はおろか、紙切れ一枚すら手に入らなさそうだ。当てが外れて、なんか余計に腹が減ってきたな」
 もはやガノリス軍の補給線は帝国軍によって各地で寸断され、おまけに手近な部隊とも離ればなれになってしまったグレイルたち。彼らの手元には、あとわずかな物資しか残されていなかった。
 帝国軍の追撃をようやく振り切った今、グレイルは付近の村や軍の施設を巡り、何か使えるものがないかと物色中である。その間、残りの2人の仲間たちはアルマ・ヴィオの《修理》――《手当て》と表現した方が良いかもしれないが――を行っているところだ。
 グレイルは、小高く積もった煉瓦の山に腰を下ろした。
 連日の戦闘と逃走の繰り返しのせいか、彼は妙にやつれて見え、肩を落としたその姿は、何となくみすぼらしく、ちっぽけにさえ思える。
「妖精を見ることができる子供ねぇ。末は立派な精霊使いか、天才魔道士か、なんて言われてたけど。今じゃぁ……」
 赤茶けた煉瓦をつかんで、遠くに投げる。
「ケチ臭い三流魔道士か。二十歳過ぎればタダの人って。それどころか、明日のことすらどうなるか分からない、こんな毎日ときたもんだ」
 良く晴れた空が、何故か忌々しい。ずいぶん自分も焼きが回ってきたかと、グレイルは自嘲気味に口元を緩めた。

 そんな彼の様子を見守るように、木々の向こうで揺らめくものがあった。
 ――あたしは妖精じゃないよっ。パラディーヴァだってば! それにねぇ、今のアンタには、あたしが《見えない》んじゃなくて、《見ようとしていない》だけだろうが。この、間抜け魔法使い! こっち向け!!
 森の中に浮かぶ炎は、鬼火でも幻でもなく、炎のパラディーヴァ・フラメアに他ならない。しかし、自らのマスターにここまで無礼な口を聞くパラディーヴァなど、彼女の他には居ないだろう。
 ――大人になるにつれて、あんたは自分の《パンタシア》の力をどんどん眠り込ませてしまったんだよ。だから、あたしのことが見えないんだって。でも、ずっとむかし、小さな頃のアンタは違っていた。見えていたんだ。偶然だけど、本当にあのとき、あたしはすぐ近くにいたんだ。一瞬、この子がそうかもしれないと思った。とっても大切な、小さな王子様。古の契約に従い、あたしのマスターになるべき《御子》かもしれない、たったひとりの……。
 宙に舞う炎は、寂しそうに風にそよいだ。
 やがて、森の暗がりに吸い込まれるようにして消えていく。


【続く】



 ※2002年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第30話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


6 アレスの受難、王に消えた財布?



 ◇ ◇

「腹減ったよー。何か食いてぇ……」
 2、3時間前に早めの朝食を済ませたばかりだというのに、アレスが情けない声で言った。
 彼の気持ちは分からなくもない。ちょうど街の人々は今が朝食時である。先程からひっきりなしに、こんがり焼けたパンの匂いや、何ともいえない旨そうなスープの匂いが漂ってくるのだ。
「おっ!? あんなところに食い物が!! ほら、イリス、こっちこっち」
 気力を失って力無く歩いていたアレスが、急に元気になった。彼はイリスの手を引っ張り、物凄い勢いで進んでゆく。
 イリスにしてみれば迷惑だろう。いや、迷惑かどうかは、彼女の表情からは見て取れない。例によって、感情のない人形が手を引かれていくような様子である。
 行く手に広場が見える。ちょうど市が開かれているようだ。しかも今日は、街の外からの行商人も加わる大市の日らしく、北オーリウム海から運ばれてくる魚介類や、中央平原北部の豊富な野菜や果物、あるいはイゼール森近辺の村々で作られる木彫りの工芸品まで売られている。
「すっげー! でっかい腸詰め!! あれ1本欲しいな。イリスも食う?」
 白い煙をもうもうと漂わせ、アレスと同じ年の頃の少年が、炭火で腸詰めを焼いている。たとえ空腹でなくても思わず引き寄せられてしまうような、ましてやアレスにとっては涎が止まらない光景である。
「ごめん。もー我慢できない。限界。俺、ちょっと買ってくる」
 アレスはそう言って、腰の革袋に手を突っ込んだ――が、突っ込んだはずの手が、空を切った。あるべきところに、あるべきものが無いのだ。
「あれ? おかしいな。俺の財布……」
 彼は青くなって、懐やポケットやらを引っかき回す。
「あれ、あれ、あれ!? さ、財布がない!!」
 思わず叫んでしまう。たぶん人混みの中でスリにやられたようだが。
 見るからに財布だと分かる皮の巾着を、目立つところにぶら下げておくなど、盗ってくださいと言っているようなものである。おまけにスリの方から見ても、街に不慣れで、かつ警戒心の全くないアレスは絶好のカモに違いない。
「ど、どうすんだよぉー。余計に腹減った……」
 がっくりと肩を落として座り込むアレス。自分の住んでいた村と大都市エルハインとの違いを、早くも思い知らされる彼であった。


7 剣豪を蝕む不治の病…



 ◇ ◇

「申し上げます!」
 広間の入口にレグナ騎士団員とおぼしき青年が現れ、ジェローム内大臣の側へと足早に駆け寄った。
「ジューラ少将がご到着です。会談の間にお通し致しました」
 その名を聞いたヨシュアンの目が、一瞬、鋭い光を帯びる。
 ジェロームは待ちかねていたかのように、深々とうなずいた。
「よく聞き知っておろう、マクスロウ・ジューラの名は。議会軍の水面下での作戦を一手に取り仕切っている男だ。ナッソス公爵家との戦いにエクター・ギルドの艦隊が参戦したことも、彼の働きによるところが大きい。油断ならぬ切れ者だが、味方に付けておけば何かと役に立つ。向こうも今回の話には関心があるようだ……」
 大臣の口をついてギルドの艦隊という言葉が出たとき、ルヴィーナの肩がぴくりと震えた。彼女は胸の奥で、思わぬ人物の無事を祈る。
 ――今頃はあの船も、クレドールも戦っているのかしら……。イリュシオーネの神々よ、どうかシャリオ姉様をお守り下さい。
 少女時代からずっと同じ神殿で暮らしていたため、シャリオとルヴィーナは親友、いや、それ以上に姉妹も同然の関係だった。
 ――手紙でも教えてくれなかったわね。どうして、わざわざそんな危険な船に身を置こうとするの? それに、毎日毎日、野卑なギルドの戦士たちと一緒に居るのかと思うと、私は姉様のことが心配で……。
 思い詰めたルヴィーナが立ちすくんでいる間に、ジェロームはすでに部屋から立ち去っていた。
「何か心配ごとでも? ルヴィーナ殿」
 彼女はヨシュアンの声で我に返る。
「あ、いいえ。その、遠くにいる友人のことを、不意に思い出したものですから。何でもありませんわ」
「きっと大切な方なのでしょう。しかし、ルヴィーナ殿がご友人の話をなさるのも珍しい」
 そう言ってヨシュアンが微笑んだ。と……。
 突然、彼の頑強な身体がよろめいた。
「ヨシュアン殿!?」
 隣にいたルヴィーナが血相を変えて支える。
「どなたか、手をお貸しくださいませ!」
 彼女とレグナ騎士団の仲間たちに抱きかかえられ、ヨシュアンは立ち上がった。やつれた様子で垂れ下がる髪。そして沈黙。
「大丈夫だ。いつもの軽い発作にすぎない」
 数度、ヨシュアンは不自然に咳き込む。
 ――私の体は、もう長くは保つまい。だが今しばらく生き抜かねば……。この国をメリギオスの好き勝手になどさせてたまるか。それに、私がいなければ、誰がジェローム様やフリート王子を、姫を、お守りできる!?
「心配は要りません、ヨシュアン殿。以前に私が居た神殿で、旧世界の強力な治療呪文の書かれた古文書を解読中だそうです。それが使えるようになれば、どんな病も治るはずですわ」
 見込みのないことを、さもあり得るかのように主張する言葉に、ルヴィーナは自責の念を覚えた。
 神聖魔法の知識を持つ者として、彼女はよく知っている――理屈の上では、魔法はあらゆる傷病を癒せるはずなのだが、現実にはいかなる呪文を用いても治療できない病が、少なからず存在することを。
 ちょうどヨシュアンの場合のように……。


8 平和な街角の風景に、少年は思う…



 ◇ ◇

 都に到着して早々、財布をすられて意気消沈のアレス。
 がっくりと肩を落とし、彼は広場の真ん中にある泉の傍らに腰掛けている。
「歩いているだけで財布がなくなるって、何なんだよ? まったく、信じられないところだな。都会っていうのは……」
 彼のぼやき声がかき消されるほどに、周囲の市場はますます賑わいをみせる。何やら、たたき売りのようなものも始まって、威勢の良い掛け声がそこかしこで飛び交う。雑多な音が混じり合い、全体としてひとつの音の塊、いや、独特の場の空気を作り上げていた。
 アレスとは対照的に、イリスはあくまで平然と――落ち着いているというよりも無感情な態度で、行き交う人たちを見ていた。興味深そうに、などといった形容はおよそ的外れだろうが……。
 自然の中で生まれ育ったアレスにとっては、めまいがしそうな数の人間で埋め尽くされた景色だ。しかし、イリスはごく慣れた様子である。
 もしかすると旧世界の街にはもっと多くの人間がひしめいていたのかもしれない、とアレスは思った。違う世界の人間、いや、《異なる時代》の人間であるはずのイリスが、都の中に自然と溶け込んでいるようにさえ感じられる。
 これからどうしようかと尋ねかけ、アレスは慌てて口をつぐんだ。
 ――いや、俺がしっかりしないと。イリスを守ってやらないといけないんだからな。
 話しかけても言葉を返さないであろうイリスの横顔から、アレスは泉の周辺へと目を転じた。
 この泉は、街の人々の手頃な休憩場所なのだろう。若い男女が肩を抱き合い、朝っぱらから熱っぽく語っているかと思えば、軽やかな音と共に、辻楽師が竪琴の調弦をしていたりする。
 鳥に餌を投げ、その様子を眺めている老人。たぶん日がな一日、彼はこうして鳥たちを見ているのかもしれない。
 泉の周りにそって、くるくると追いかけっこをしている子供たち。
 誰一人としてアレスの様子に気を止める者はいなかった。
 むしろアレスの方が、辺りの人間たちを見ているうちにふと思った。
 ――こんな町の真ん中に平気で泥棒が出たりするわりには、平和な風景だな。でも戦争が本格的になれば、みんな、こんな感じで暮らしていられなくなるのかな。もし《帝国軍》が攻めてきたら……その前に、ここでも反乱が起こったとしたら、どうなっちゃうんだろうか。
 アレスは珍しく哀しい気分に取りつかれた。だが目先の現実が、諸々の空想から彼を引き戻す。
 ――というより、お金、どうすんだ? まずそれだよ、それ。
 彼の身に起こった出来事を察し、レッケが同情するかのように頭をすり寄せる。信頼できる相棒に向かってアレスはつぶやいた。
「でも変だな。お前がスリに気づかないなんて、あり得ないのに……。あ!?」
 鈍いアレスもようやく気がつく。そう、逆に言えば、レッケが近くにいない時に盗られたということなのだ。《2人》はずっと一緒にいた――アレスがレッケから離れたのは、先ほど腸詰めを買いに出かけたときだけだ。
「それって、ついさっき、そこで盗られたってことじゃないか!!」
 あまりの大声に、落ちている餌をついばんでいた鳥たちが一斉に飛び去る。この辺りの鳥は人間を恐れないので、少々のことでは驚かないはずだが。
 アレスは背伸びしながら人混みを盛んに見回し始める。しかし、いくら探したところで、見ただけでは誰がスリか分かるわけがない。
「そうだよな。もうちょっと早く気づいていれば」
 再び落胆し、うなだれるアレス。似合わないだけに、余計に惨めさが漂う。


9 思わぬ助け? 謎の賞金稼ぎ



 と、不意に彼の後ろで声がした。
「痛ぇな、離せよ! そんなに引っ張らなくても自分で歩くから」
 アレスが振り返ると、2人の男が立っていた。
 騒ぎ立てている方は30歳くらいの小柄な男だ。貧相な顔つきは、取り立てて悪人には見えないが、どことなく小ずるい雰囲気かもしれない。言葉に南部地方の訛りがあるので、恐らくエルハインの住人ではなく余所者だろう。
「ちっ。今日はさい先良く儲けられると思ったのに。大体、財布をこれ見よがしに、ぶらぶらと下げている奴の方が悪いんじゃないか」
 背後で彼の腕を取り押さえている若者は、見た目には細身だが、筋肉質の精悍な体つきをしている。腰には拳銃と共に剣を帯び、その鞘もよく使い込まれた風合いである。飾りではない。他方の男を慣れた手つきで捕らえている様子からして、格闘術か何かの心得がありそうだった。
 全体的にみて、普通の市民や行商人ではないようだが。
「それは盗っ人の屁理屈だ。黙れ。ところで、そこの君……」
「俺?」
 突然語りかけられ、きょとんとしているアレス。
「そう。さっき、こいつが君から盗んだだろう? ほれ」
 若者はにこやかに笑って、革袋をアレスに投げてよこした。無造作に散らかした茶色の髪と無精髭がいささか野暮ったい雰囲気ではあれ、きりりと引き締まった顔つきは、よく見ると結構男前だ。
「俺の財布!」
 たちまちアレスの声に元気が戻る。分かりやすい。
「取り返してくれたんだ? ありがとう! ありがとう!!」
 嬉しさのあまり、何度も感謝の台詞を繰り返すアレス。
「礼には及ばない。こいつは、こう見えてもその筋では名を知られたスリで、わずかだが賞金もかかっている。こちらこそ、出かけるついでに《仕事》ができたというものだ」
「仕事?」
 アレスは直感する。この手の人間は父親の知り合いに沢山いた。幼い頃から幾度となく見てきている。
「ひょっとして賞金稼ぎの人? それも、もしかしたらエクターとか?」
 若干驚いたような表情で若者はうなずく。彼が賞金稼ぎだとは、言われてみれば風体からも納得がゆくが、エクターかどうかまでは、普通なら見ただけでは分かるまい。
「勘がいいな。どうして分かった?」
 アレスは得意げに、少し照れながら答える。
「何となく。その、雰囲気ってやつかな。俺の父ちゃんもエクターだったんだ。だから……」
「そりゃ奇遇だ。俺はエクターも一応やっているし、賞金を掛けられているヤツがいれば追いかけもするが、どちらかといえば本業は《発掘屋(ジャンク・ハンター)》かもな。旧世界の遺跡に潜って、邪魔な魔物が住み着いていれば、ぶった切って、お宝を掘り出して。そんな毎日さ。アルマ・ヴィオに乗るよりも、この腕とコイツで商売をしていることの方が多い」
 そう言って若者は腰の剣を叩く。
 彼がエクターだと知り、アレスは親しみをもって手を差し出した。
「俺はアレス・ロシュトラム。本当にありがとう!」
「アレスか。いい名前だ。俺は発掘屋の、というより、便利屋と言った方が良いかもしれないが、フォーロック……」
 2人が握手した隙に、スリの男が逃げようとするが、フォーロックは素早く彼の脚を引っ掛けて倒した。さすがにプロだ。
「おっと。逃げられては俺も困る。早い話、あんたは銭になるんだ。エクターが大物の賞金首ばかりを狙っていると思ったら大間違い。俺みたいなセコい賞金稼ぎもいて、不幸だったな」
 あっさり笑っているフォーロックだが、スリの男は役人に引き渡された後、罰として要塞の建築現場にでも送られ、過酷な強制労働を強いられることだろう。戦時中だけになおさらだ。
 悪人とはいえ、あくまで小悪党にすぎない。アレスはスリが可哀想な気もした。勿論、そんな同情をしていてはエクターなどできないと彼も知っている。そもそもアレスがこうして大きくなることができたのも、父親がエクターとして賞金を稼いでいた結果なのだから。
 自分の父――そこからの連想で、彼は大切なことを思い出した。
「そうだ、フォーロックさん。ちょっと聞いてもいいかな?」
 ジャンク・ハンターなら知らないはずはないだろう。この都のハンター・ギルドに属する腕利きの発掘人、ブロントンを。
 そう、アレスが母から教えられた人物、父の旧友である男のことを。


10 市長秘書シュワーズ



 ◇ ◇

 広場の周辺に生々しく残る戦いの跡を、ルキアンは複雑な思いで目に焼き付けた。理由はどうあれ、ここで直面している状況は、自分が招いた結果には違いないのだと、半ば己を責めつつ……。
 中央平原の華と称されるミトーニア市。その富裕で華麗な街並みの中でも、神殿前の広場の一角は、とりわけ美しい場所であった。だが今では、あたかも激しい地震に遭ったかのように、家々が随所で倒壊している。
 アルフェリオンに敗れた敵のアルマ・ヴィオが、その巨体を派手に地面に投げ出していた。それらの鋼の屍の下敷きになった建物も少なくない。
 ――甘かったんだろうか。MgSを撃たないようにとか、一生懸命に気をつけたつもりだったのに。でも、いったん戦いを始めてしまえば、結局、こうなっちゃうのかな。火事が起こらなかったのは不幸中の幸いだったけど、そういう問題じゃ、そういう問題じゃない……。ここに住んでいた人たちが家に戻ってきたら、自分の住むところが無くなっているのを見てどう思うだろう。
 抗戦派の部隊は広場からいったん撤退したようだが、とりあえず周囲の安全を確認するルキアン。
 ふと、瓦礫と化した一軒の家が視界に入った。
 崩れた壁や折れ曲がった柱の間に、不自然なほど色鮮やかなものが見える。窓辺を飾っていた花が、粉々になった鉢の上に散らばったまま、なおも咲き誇っていたのだ。素知らぬ顔で――それはそうだ、花に感情はないだろうから。
 破壊された建物と美しい春の花とのコントラストは滑稽ですらあったが、その奇妙な様相は、痛ましげな状況を余計に強調する。
 自責の念にかられ、ルキアンは家々から目をそらした。

 ともかく、勝利の喜びを感じられない戦いだった。
 敵を倒した快感に酔うどころか、気持ちが落ち着くに従って、ルキアンの胸の内では悲しい思いが広がっていくだけであった。
 敵の3体のアルマ・ヴィオがもはや動けぬことを、改めて確認した後、アルフェリオンは神殿の前に屈み込む。
 幸い神殿は無傷である。高い尖塔を備えた、すらりと細長い優美な建物だ。
 ハッチを開き、ルキアンは急いで機体から降りる。

 数名の人々が彼を出迎えた。
 1人の男が待ちきれない様子で走り寄ってくる。面長な顔に、細めの眼鏡。意外に強い朝の陽光が、楕円形のレンズに当たって反射していた。
 街を傷付けてしまったことを何と詫びようかと、ルキアンが言葉に困ったとき、男は感極まった声で告げた。
「あなたがルキアンさんですね? 私です。シュワーズです!」
「あ、お、おはようございます……。そうです。その、僕、ルキアンで……」
 ぎこちない口調でうなずくルキアン。
 シュワーズは親しげに彼の手を取る。細身の青年だが、握手する手に込められた力は、痛いほど強かった。
「ありがとう!! 何とお礼を言ったらよいのか。あなたの活躍のおかげで希望が出てきました。今ならまだ、抗戦派の暴挙を封じ込められるかもしれません。ルキアンさん――念信の《声》から想像していたより、ずっとお若いですね。にもかかわらず、あの戦いぶり。ベテランの繰士も真っ青の、機体との見事な一体感でしたよ。凄いですね」
 神経質そうな市長秘書は、普段の慇懃な口ぶりとはうって変わって、いささか興奮しているようだ。
 ルキアンが照れていると、シュワーズは真顔に戻って言った。
「……申し訳ない。今はゆっくりお話ししている時間がありません。抗戦派が増援を連れて戻ってこないうちに、大至急、私は街の人々に真実を伝えに行きます」
 ルキアンは呆気にとられて見ていたが、今にも駆け出しそうな市長秘書に慌てて尋ねる。
「あの、僕にも何かお手伝いできることはありませんか? 僕だって、この街を戦火から救いたいんです」


11 何かが吹っ切れた主人公?



 恐らく神官たちであろうか。シュワーズの背後にいる3人がルキアンを見た。知らず知らずのうちに、ルキアンは彼らの方に向かって真摯に語り始める。
「僕は戦いを望んではいません。いや、エクター・ギルドだって……。信じてください。本当はギルドの人たちもミトーニアと争いたくないんです!」
 一瞬、戸惑うように顔を見合わせた神官たち。
 そのうち最も年上の白髪頭の男が、柔和な笑みを浮かべてうなずいた。他の神官の態度から考えると、彼がこの神殿の長らしい。
 ちなみに、《前新陽暦時代》の異教の伝統が根強いミトーニアは、古くから神殿の影響力の弱い街であった。それゆえ現在でも他の大都市とは異なり、神殿の伽藍は比較的小さく、格から言っても地方の神殿より少し上という程度にすぎない。
 そのせいか、神殿の長の衣装も、通常の《正神官》――世間で最も普通に神官と呼ばれるのはこの位階の人々で、平均的な規模の神殿の主任神官を務めていることが多い――のものだと思われる。純白の下地に、袖や首まわりを飾る青という色彩は、大神官のシャリオの場合と同じだ。しかし彼女のように立派な長衣を重ね着しているのではなく、至って簡素な服装である。また四角い神官帽の高さも低めで、聖杖も手にしていない。
「我々も貴方の思いを信じたいものです……。同じオーリウム人が、いや、共にイリュシオーネに生きる人間が血を流しあうのは悲しく、愚かなこと」
 白髪頭の神官は、シュワーズの隣に来てルキアンに手を差し伸べた。厳めしい神官というよりは、人の良さそうな普通の小市民という雰囲気である。
「私はミトーニア神殿の主任神官、リュッツと申します。ギルドの若きエクターよ、どうぞよろしく」
「いえ、その、僕はギルドに属してはいません。ただギルドの飛空艦に――何て言ったらよいのか、えっと、居候しているんです」
 うつむき加減の姿勢で、少し頬を赤らめてルキアンは言った。
 リュッツ主任神官は不思議そうな顔をして尋ねる。
「ギルドの飛空艦に居候? 本職のエクターではないのですか? これは驚いた。貴方は一体……」
 話の途中で、リュッツは周囲を見回した。
「ご覧なさい。今の騒ぎを聞きつけて人が集まってきたようです。大変な騒ぎになっておりますな」
 彼の言葉通り、いつの間にか広場の周囲に人だかりができている。今まで抗戦派の部隊によって、広場に入る道は封鎖されていたのだが、その封鎖が解けたせいもあるだろう。
 事情を知らない市民たちは、自分たちの軍のアルマ・ヴィオが倒れているのを見て騒然としている。それにも増して、正体不明の白銀色のアルマ・ヴィオが神殿の前に鎮座している様相は、野次馬を引き寄せずにはいなかった。
 シュワーズは手を打った。
「今がチャンスです。抗戦派が市庁舎を占拠し、市長や参事会員の方々を監禁しているということを、みんなに伝えましょう!!」
 言い終われるが早いか、彼は広場の群衆の方へと走り出す。
「そう慌てずとも! いや、待てと言っても待つはずがないですか」
 リュッツは彼の後ろ姿に向かって手を振るが、それは無駄な試みだった。
「あの、僕は、どうしましょう……」
 ルキアンは、いったん主任神官に問いかけるも、思い直したかのように背後のアルフェリオンを指さす。
「いや、抗戦派のアルマ・ヴィオがまた来るといけませんから、僕はここを守ります。構いませんか?」
「え、えぇ。そうしていただけると助かります。しかし、むやみに動き回らないようにして下さいよ。ここに集まった人々にも誤解を与えかねません」
「はい、気をつけます。リュッツさんたちも、頑張って街の人を説得してください!」
 何かが吹っ切れたような勢いで、ルキアンは、アルフェリオンに駆け寄ってゆく。
 ――何とかなる? まだ間に合うかもしれない!!
 いつもは自信なさげな少年の目が、強い意思の輝きを帯びていた。自分にも何かができるはずだということを、心の奥底で見いだしたかのように。


【第31話に続く】



 ※2002年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第30話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  僕が、誰かのゲームの駒かどうか?
  そんなことは大した問題じゃないよ。
  だって僕自身、人生なんてゲームだと思っているから。
              (旧世界の映像記録より――ある若者の言葉)

◇ 第30話 ◇


1 大地の巨人はメリギオス大師の手に…



 薄明かりの中、頭上高く広がり、長い残響となって漂う声。
 寒々とした音の余韻は、この場所の広さと、がらんとした構造とを物語る。
 漆喰塗りのような肌をもつ滑らかな丸天井。広大なドームは、底面付近から天頂部に至るまで、見知らぬ文字や幾何学模様で埋め尽くされている。
 高さ数メートルはあろうかという角錐状の水晶柱が、床のあちこちに立ち並び、緩慢なリズムで明滅を繰り返す。目の届く範囲一杯に、青白い光が点々と浮かんでは消え、暗赤色の暗やみに霞んで見える。神秘的な美しさの間から、底知れぬ不気味さが滲み出てくるような、空恐ろしい光景だ。
 ドームの中央には、冥府へと続く底無し穴を思わせる、巨大な闇が口を開けていた。その縁のあたりから、数人の男たちの声が聞こえてくる。縦穴のあまりの大きさに、人影など小石のようにしか見えないが……。
 この奇怪な空間とは不釣り合いな、あっけらかんとした無邪気な声が響く。
「溜息が出ちゃうな……。真に絶大な力というのは、本当に美しい。神に選ばれた者だけが創り上げることのできる、美の極致だね。きっと僕は、一日中眺めていても飽きないだろうね!」
 年齢を度外視してあどけないとすら表現しうる、汚れなく透き通った眼差しで、金髪の青年が穴の底をのぞき込んでいる。
 少年じみた高い声とは裏腹に、彼の出で立ちは知的な大人の気品を漂わせる。スモークグレーのフロックは、タロス共和国産らしき緻密な生地から作られており、不要な装飾や柄を徹底的に排することにより、高価な素材がもつ風合いを最大限に、かつ、さりげなく生かしている。身体の線に完璧にフィットした上着の胸元には、寸分の隙もなく巻かれた黒い無地のクラヴァット。まさに、憎らしいほど洗練されている。
 彼、ファルマス・ディ・ライエンティルスは振り返った。そして、幼子がお気に入りの玩具を手にしたときのように、満面の笑みを浮かべて言う。
「本当に美しい……。猊下もそうお思いになりますよね?」
 隣に居た初老の男が頷いた。
 その姿は様々な意味で常人離れしている。2メートル近い大柄な背丈と、高齢ながらもがっしりとした体格、そして完全に禿げ上がった頭――あたかも鬼族の亜人を、例えばトロールを連想させる。
 猊下と呼ばれているこの男は、驚くべきことに、例のメリギオス大法司である。が、人目を忍んで来ているのであろう。大法司の地位を表す黄金造りの宝冠や、宝石をちりばめた聖杖は持っておらず、彼は真っ黒な法衣のみを身につけていた。
 最高位の神官の地位を誇示する正装をしていなければ、メリギオスの体からは、むしろ通常の人間以上にどす黒い世俗臭が漂ってくる。今ここに居るのは聖職者ではなく、奸智に長けた老獪な一宰相に他ならない。落ちくぼみ、異常なほどに切れ長の目には、彼の本質を示す貪欲な眼光がありありと浮かぶ。
「大儀であったぞ、ファルマス。伝説の《大地の巨人》がこうして我がもとにあるのは、そなたたちパラス騎士団の働きゆえ……」
 勿体ぶった口ぶりでメリギオスは答え、ファルマスと同じく、足元に広がる大穴の奥に目を凝らした。
 もうひとり、彼らの傍らにたたずんでいる者がいる。パラス騎士団の一員でありながら、同時にオーリウム王国屈指の大魔道士でもある、アゾート・ディ・ニコデイモンだ。
 濃紺のローブをまとい、同色のターバンのような布を頭に巻いたアゾートの姿は、どことなく東方の苦行僧を連想させる。彫りの深い顔立ち、柔和さの中にも厳しさを持った眼差し。求道の末に悟りを開いた聖者のごとき彼の容貌は、ファルマスの場合とはまた違った意味で年齢を超越していた。少なくとも40歳は過ぎているのであろうが――ひょっとすると、この世の始まりの時から全てを見てきたかのような、そういう印象すら感じさせる。
 ファルマスは、悦に入った様子で言葉を続けた。
「なんて言うのかな、うん、究極の兵器に相応しい至高の機能美だね。この荘厳さ、まさに美の権化……」
 縦穴の底に眠る途方もない大きさの物体――ファルマスの目に映っているものは、考えようによっては美しいと言えなくもない。だがそれ以上に、見る者を戦慄させずにはいないであろう、禍々しい鋼の魔神像とも呼べる代物だ。
「こんなに素晴らしい作品を生み出した《ルウム教授》を、異常者呼ばわりするなんて、僕は天上界の人々の趣味を疑うよ。まぁ凡俗には、この美しさが理解できなくて当然かな? しかし、いくら教授の才能が理解できないからといっても――これほどの天才を地上に追放しちゃうなんて、天空人というのは、つくづくお目出たい人たちだったんだね」
 声を半ば裏返らせ、彼は大げさに笑った。


2 史上最強のアルマ・マキーナ?



 深々と落ち込む不気味な空洞。その縁にある手すりに身を寄せかけて、ファルマスは勝手に笑い続ける。アゾートは勿論、メリギオスの存在すら全く意に介さぬかのように、独り芝居は演じられた。
「ルウム教授にしてみれば、かえって絶好の機会を得たと思ったかもしれないけどね。そう、《パルサス・オメガ》の力を十分に試す機会を……。結果的にテストに付き合わされた天上界の遠征軍は、ちょっと可哀想だったかも。だってそうでしょ? どう頑張っても勝てるはずがないんだから! おまけに、パルサス・オメガと唯一互角に戦えるはずの《空の巨人》まで、地上に寝返ったんでしょ? 要するに、身内のせいで滅びちゃったなんて。ふふ……。天空人っていうのは本物の馬鹿だね! いや、天空人の存在自体、壮大な冗談だったのかな」
 ファルマスは己の話に自ら頷きながら、心底楽しそうに微笑んでいる。
 その様子は滑稽どころか、異様以外の何ものでもない。彼の表情が無垢であればあるだけ、反対に冷酷さがいっそう際立つのだった。
 だが、そんなファルマスの言動に全く動じることのない他の2人も、それはそれで不可解な人々である。
 やっとファルマスが静かになったかと思えば、周囲の静寂の中へと自然に溶け込むような声で、アゾートが口を開く。先程からじっと目を閉じたままの大魔道士は、彼らの足元深く眠る《巨人》について語り始めた。
「猊下、この巨人は《生きた機械》なのです。アルマ・ヴィオと異なり、生命反応は全く感じられない。しかし鼓動が伝わってくるでしょう? 今もこうして……」
 鼓動といっても、それが明確な振動や音を伴っているわけではなかった。普通の人間には、何が起きているのか全く分からないだろう。いや、アゾート以外には――《神の目・神の耳》と呼ばれる彼の超感覚をもってしない限りは、大地の巨人は死んでいるも同然にしかみえない。
 にわかには信じ難いという態度で、メリギオスは眉を吊り上げた。
「機械、というと、これは《アルマ・マキーナ》なのか。ならば現世界人の我々には動かすことができまい?」
「いいえ、猊下……。乗り手による《操縦》を必要とせず、人間の思念によって自在に操ることができるという点で、パルサス・オメガは通常のアルマ・マキーナとは異なります。むしろアルマ・ヴィオに近い。しかし、これは生命体ではなく、あくまでも機械なのです。人間の頭脳を遙かに超える擬似的な知能を有し、さらには自己修復機能と自己進化能力をもつ、史上最強のアルマ・マキーナ。それが、このパルサス・オメガに他なりません」
 満足げな感情を目に浮かべながらも、メリギオスは表面的には冷静に言った。
「《帝国軍》は、予想外の早さで国境に迫っている。もはや一刻の猶予もならん。巨人を覚醒させるため、もう一人の旧世界の娘を今すぐ捕らえるのだ! 手段は問わぬ」
 2人のパラス・ナイトはひざまずいた。
 あくまで純粋な目をしたまま、頷くファルマス。嬉しくてたまらない様子で、彼は卑劣な策謀を披露する。
「すでに手は打ちました。あのアレスとかいう馬鹿みたいに単純な少年と、姉思いのイリスという娘、餌をまいたら簡単に針に掛かりますよ! ふふふっ、今から楽しみですね」


3 裏の主人公(?)アレス、王に到着



 ◇ ◇

 慌ただしく人の行き交う路上で、アレスは大きなくしゃみをした。
「おっかしいな……。風邪引いたかな? やっぱり、昨日、毛布一枚で寝たのがまずかったか」
 彼は鼻の頭をこすりながら、キョロキョロと前後を見渡している。
 その額には、植物の葉を模した小さな金属片やビーズ等を糸でつなげた、素朴な飾りが光っている。ラプルスの民の男が16歳になった日から身につける、伝統的な工芸品だ。中央部にはめ込まれた真っ赤な玉石が特徴的である。
 彼の服装も、典型的なラプルスの冬季の民族衣装――毛皮の襟の付いたコート、革製の胴着、防寒性に優れた分厚いブーツだった。
 こうした山の民の格好と、何かにつけて不慣れそうな振る舞いからして、誰が見てもアレスは、都に出てきたばかりの田舎の若者そのものである。
 朝市に買い物に行ってきたらしい中年婦人たちが、一杯に肉や野菜を抱えてアレスの側を通り過ぎたかと思うと、不思議そうな顔をして振り返っている。
 アレスとイリスの服装が周囲から浮いていることも、主婦連中の好奇の視線(あるいは親切にも、心配の眼差し?)を誘った原因のひとつかもしれない。だが何よりも目立つのは、一応は《モンスター》であるレッケを、つまり山岳地帯に棲む魔獣・カールフを連れていることだろう。
 都会の中だけで暮らしている人間は、普通はモンスターとは無縁である。魔物など、今ではせいぜい詩人の語る英雄伝説や、酒場でくだを巻くエクター連中の与太話に出てくるものであって、己の日常とは関わりのない世界の存在だ。そんな都の人々は、レッケのことを、何か珍しい外国の動物とでも思うのだろうか。
 今度はどこからともなく野良犬がやって来て、アレスの足元の匂いをかぎ回っている。ちょっとした仲間意識でも持ったのか、レッケがクンクンと鼻を鳴らす。だが薄汚れた白黒ぶちの犬は、角を生やした狼の姿に怯え、そそくさと逃げてしまった。
 入れ替わり立ち替わり、次々と流れていく通行人の行列。その数に圧倒され、アレスはぽかんと口を開けていた。
「にしても、すっげー人、人――人だかり!! どこからこんな沢山の人間が出てくるんだよ? それにこの、やたらとデカイ街。さすがは王様の都だぜ。今度、家に帰ったら、母ちゃんに自慢してやろっと」
 もう少し幅があれば、飛行型アルマ・ヴィオの滑走路にも使えそうだと――アレスが思わず考えてしまったような、やたらに広い大通り。
 道の両側の家並みにしても、ラプルスの谷間の寒村とは比較にならない。多くの建物は3、4階建て以上の高さを持ち、それを支える壁も、まばゆいばかりの純白色、派手な赤茶色、あるいはクリーム色、めまいがしそうな黄色等々、家ごとに様々な色で塗られている。
 時折、その壁を飾っているのが、等身大ほどもありそうな聖人の像や、奇妙な姿の魔物の彫刻、鋳物でできた看板などだ。窓辺には春の花々が丁寧に飾られ、街の風景に潤いをもたらしている。
 アレスの住んでいるアシュボルの谷一帯では、家というのは木と粗末な土壁でできており、普通は平屋か2階建てなのだと相場が決まっている。比較的大きくて立派な建物といえば、せいぜい神殿ぐらいのものだ。
 そもそも、これほど沢山の建物がひしめいている風景だけでも、アレスを当惑させ、それ以上に興奮させるには十分過ぎた。
「なんか、家の梁や壁に字が書いてあるぞ。時は金なり……。こっちは、何、1日幸せでいたければ、床屋に行きなさい? で、あっちは、沈黙は雄弁に勝る? 王国の未来は世界がうらやむ、だって。何かわかんないけど、すげぇ。これは意味不明だな。汝、コレコレセヨ?――読めないぞ、古典語のことわざか何かかな?」
 面白がって家々を観察しているアレス。よもや、本来の目的を早くも忘れかけているのではあるまい?
「それにしても広いな。歩いても歩いても同じような景色ばかり。というか、俺たち、迷ったかも……。ふぅ。こんなことじゃ、ブロントンって人を探す以前の問題だよ」
 王都エルハインは、ミトーニアやノルスハファーン等の大都市と比べてさえ、飛び抜けて広い街なのだ。10分も歩けば表門から裏門まで行けてしまうような、アレスの村と一緒にしてはいけない。
 途方に暮れたせいか、急に脚の疲れを感じたアレス。
 お世辞にも体力があるとは言えないイリスのことが、彼は心配になった。
「イリス、足、痛くない? もう少し歩いても大丈夫か?」
 彼女は黙って頷いた。いや、頷いたように見えた――だけかもしれない。イリスは相変わらず無表情に、どこが焦点なのかよく分からない目つきで、呆然と遠くを眺めている。
 ――コイツ、可愛いんだけど、何考えてんのか謎だよな。謎……。
 ほこりっぽい街の風に、イリスの金色の髪がふわりと揺れる。
 その様子を何気なく眺めながら、アレスは溜息をついた。


4 王家の守護者・剣豪ヨシュアン



 ◇ ◇

 エルハインの王城の東館――といっても、そこは本館から半ば独立した別の城であって、広大な敷地内にぽつんと離れた形で建っている。かつては夏の王宮と呼ばれ、文字通り避暑用の宮殿だったらしいが、現在は王子や王女の住む建物だ。
 その一室、中庭に面した比較的小さな広間から、澄んだ笛の音が聞こえてくる。贅沢な宮廷の常、名のある音楽家を呼んで演奏会を催しているのかと思いきや、そうではないらしい……。音そのものは、名演奏家レベルなのだが。
 実は、様々な楽器の達人として知られるフリート王子による、中でも彼の得意中の得意、横笛の演奏である。
 きらびやかに着飾った若い女官たちが、王子の周囲で、その見事な奏者ぶりに聴き入っている。いや、聴き惚れている。
 王子は今年で18歳。美人の誉れ高い王妃に似て、細面のすっきりとした顔立ちだ。これといって政務に関わるわけでもなく、毎日こうして楽器を奏でたり、絵を描いたり、馬に乗ったりしながら、退屈だが平穏な日々を送っている。
 少し離れたところで、楽器遊びに興じる王子の姿を見ている人々がいた。こちらは必ずしも平穏な心持ちではないようだ。
「陛下の御容態は日増しに悪くなるばかり。だがこの大変なときに、フリート王子といえば、いつもあの御様子……。まったく、朝っぱらからお戯れを」
 白い髭で覆われた顎を押さえながら、恰幅の良い貴族がつぶやいた。国王が最も信頼を寄せる側近、ジェローム内大臣である。
「これだから、古狸がますます付け上がるのだ!」
 大臣は声の震えを抑えようとする。それでも押し止めることのできぬ憤りが、宮廷人としての上品かつ鉄面皮な表情の裏から滲み出ている。
 現国王が病に倒れたのを良いことに、メリギオスが権力をほしいままにしている現状について、ジェロームは日頃から不満を抱き続けているのだ。彼は王の片腕と呼ばれる人物であるだけに、メリギオスの専横に対し、他人以上に怒り心頭なのだろう。
 内大臣の傍らでは、30歳前後の婦人が一人、ゆったりとした言葉で相づちを打っている。見目麗しい女性の目立つ王宮の中では、彼女は年齢的にも容姿的にも見映えがするとは言い難いが、気品ある立ち振る舞いと知性的な顔立ちは、それを補って余りあるものだった。
 彼女は、王子の妹のレミア王女に学問や行儀作法を教えている、ルヴィーナ・ディ・ラッソである。ルヴィーナには若くして高位神官への道が約束されていたが、希に見る才媛ぶりを王家に認められ、お抱えの教育係という形で城に招かれたのだという。
 ジェローム大臣の苦々しげな表情とは対照的に、ルヴィーナは王子の方をさりげなく見つめ、むしろ表情を和らげた。
 彼女の言わんとするところを読みとって、大臣は渋々同意する。
「分かっておる。あの方がお世継ぎでいらっしゃらなかったら、ああいった御様子でも一向に構わぬのだが。しかし……」
 内大臣を真ん中に挟んで、ルヴィーナの向かい側には、数名の機装騎士らしき人々が謹厳なたたずまいで立ち並ぶ。彼らはみな、昔の騎士が鎧の上に羽織っていたような、白いサーコート風の擬古的な衣装の上に、エクターの証、薄い生地を三重に重ねたエクターケープを羽織っている。
 黒いエクターケープと、肩に掛かった青と金の剣帯、コートに描かれた《塔》の紋章、という彼らの装束は――パラス聖騎士団と並んで近衛機装隊の双璧をなす《レグナ騎士団》のものである。
 内大臣の手前に居る男が、レグナ騎士団を率いる若き団長ヨシュアン・ディ・ブラントシュトームだ。生身での立ち会いであれば、王国中にかなう者なしと言われるほどの剣豪。緩やかに波打った金色の長髪、片目には眼帯、うっすらと伸ばした髭。野性的な雰囲気と貴族的な優雅さとが溶け合って、独特の風貌を生み出している。
 忠臣たちの心配を全く知らないかのように――実際、さほど理解していないのかもしれないが――フリート王子は、相変わらず女官たちの前で横笛を吹いていた。
 素朴でありながらも、どこか物悲しく、高度な技巧に裏打ちされた音。確かに王子の演奏とは思えぬほど卓越しており、内大臣ですら、一瞬、胸の内の憤りを忘れかけてしまうほどの妙技だった。ある意味、神業に近い。
 その繊細な音色に頷きつつも、ヨシュアンは表情を崩していない。目元は微かに笑みを浮かべているようにも見えるが、全体として複雑な面持ちだ。


5 穏和で凡庸な王子、迫る大師の陰謀…



 一曲終わって、王子は大臣たちに向かって遠くから手を振った。
「おや、ジェローム、来ていたのか。今朝は早いね。どうだい、もし良かったら一緒に」
 王子はひょろりと背が高く、元々細い目をさらに細め、朗らかに笑っている。サラサラとした金髪をおかっぱ風に刈り揃えた髪型と相まって、華奢な首筋を背後から見ると、まるで少女のようだ。美少年だといえばかなりの美少年だが、頼りないといえば全く頼りない……。
 フリート王子は音楽や絵画に並々ならぬ関心を示し、その芸術的才能については、専門家たちも舌を巻くほどである。反面、彼は政のことには興味を持たず、国政を動かし臣下を統率する能力にも全くといってよいほど欠けていた。人柄は明るく穏やかだが凡庸で、君主に必要なカリスマや威厳は持ち合わせていない。
 王になるのでなければ、実に愛すべき人間なのだが。そう、現実には――彼は大国オーリウムの王冠という非常な重圧を、近い将来、独りで担わねばならない人物として生まれてきてしまった。
 何に対して、あるいは誰に対してなのか、ジェローム大臣は溜息をつく。
「過ぎたことを悔やんでもどうしようもないが、もしも今頃、エルツ王子が御存命であれば……。いや、本当なら今頃はエルツ殿下が王位を継いでおられたはず。殿下さえいらっしゃれば、あの腹黒い坊主に王国を牛耳らせたりなど、させぬものを」
 無言のヨシュアンとレグナ騎士団の面々。それぞれ思うところがあるようだが、敢えて多くを語ろうとしないようだ。
 王子に聞こえぬよう気遣いながら、ルヴィーナがささやく。
「その頃のことは、詳しく存じませんが――あの一件は本当に残念な、不幸な事故でございましたね」
「事故? 事故などではない! 殿下はメリギオスに……」
 鋭く言った内大臣を、ルヴィーナは嫌味のない素振りで静止する。
「お声が大きゅうございます。この東館に居る者たちとて、全てがお味方とは限りませんわ」
「そうだな。わしとしたことが。今ここで信用できるのは、ルヴィーナとヨシュアンだけだというのに」
 彼女にしか聞こえない小声で言うと、大臣はばつが悪そうに苦笑いする。
「ヨシュアン、頼むぞ。万一の事が起こった場合、お前たちは命に代えても、陛下と妃殿下、フリート王子とレミア姫をお守りするのだ」
 そしてジェロームは心の中で嘆いた。
 ――パラス騎士団は、今やメリギオスの手先に成り下がってしまった。
 ヨシュアンの肩に手を置いた後、ジェローム大臣は表情を曇らせる。
「近衛隊の半数以上はファルマスの言いなりです……。国王軍の他の部隊にしても、次々とメリギオス大師に忠誠を誓っている様子。少なくとも王国北部・中部の各師団は、大師の手兵に等しいと考えざるを得ません」
 淡々と現実を見つめるかのごとく、ヨシュアンが耳打ちする。


【続く】



 ※2002年8月~9月に鏡海庵にて初公開
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