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  鏡海亭 Kagami-Tei  ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

明晩、闇の御子の覚醒? まとめ版第43~45話

連載小説『アルフェリオン』まとめ読み、第43話~45話分を追加しました。
目次からご覧になると便利です

ますます激しさを増すナッソス城の攻防戦。傍観していた主人公ルキアンもついに出撃か。その背後で旧世界の謎がさらに明らかに。

まとめ版のアップも、明日で完了です。
明日追加予定の第46話~48話は、かなり濃い濃い内容になります。
ルキアンの過去や彼の正体に関する伏線が色々出てきます。
そして、ルキアンが超覚醒?
これまではアルフェリオンの機体が覚醒していただけですが、ついにルキアン本人の力が目覚める? 闇の御子の本領が発揮される明晩にご期待ください。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第45話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 ――そうだ。僕は、あの鬱積した何かを、息苦しい《日常》を飛び超えたくて、メルカを置き去りにして旅立とうとした。クレドールに乗れば何かが変わるんじゃないかって。でも、カルバ先生やソーナの居ない今、僕がメルカをしっかり守らないといけなかったのに。分からないよ……。
 メルカのことについても、ルキアンは揺れ動く二つの思いの中で苦しんだ。
 ――決意したのに。エクターにもなったのに。
 結局、自分が本質的には何も変わっていないような気がして、少年の心は暗い影に覆われていった。だが、そこで立ち止まってはいけないということ、わずかにでも考え、ほんの少しでも自分なりに現実や己自身と向き合って行かねばならないということ。それが分かる程度には、ルキアンは実際には変わっていたのだ。

 《オーリウムの銀のいばら》。

 この言葉が不意に意識をかすめた。少なくともそれは、今のルキアンにとって、これまでとは違う新しい自分、平たく言えば《あるべき自分》の姿として描いているものかもしれない。
 ――僕はステリアの誘惑に負けたくない。兵器にはなりたくない。だけど、僕は僕のままで、たとえ血を流してでも《いばら》になるんだ。そして戦う、《優しい人が優しいままで笑っていられる世界》のために。それは本当の正義じゃないかもしれない、僕の自己満足かもしれない。でも、分からないけど、前に出るんだ。

 ――ここで進まなきゃ、また何も……見えなくなる。


7 盾なるソルミナ、発動! 公爵の決断



 ◇

 謎の4本の黒い石柱、すなわち《盾なるソルミナ》の正体についてクレドールの艦橋で憶測が行われていた頃、ナッソス城では公爵が思い悩んでいた。まさに問題のソルミナの発動をめぐり、彼は揺れていたのであった。
 ――落ち着いて考えろ。今の時点でソルミナを使ってしまってよいのか。
 現在の戦況や今後の作戦に関わる様々な要素が、公爵の頭の中に浮かんでは消える。
 ――もし敵主力が第二・第三の防衛陣を突破し、城門にまで攻め寄せてきた場合、ソルミナが使えなければ我が方には持ちこたえる手段が無くなる。だが……。
 天守の望楼から、公爵は戦場に目を向けた。
「カセリナ……」
 冷徹な指揮官であろうとし続けている彼だが、溺愛する娘の名が自然と口を突いて出た。
 ――下手に手出しをすれば、シールドの中でカセリナと対峙する敵は、すぐさま相討ちを企てかねない。カセリナを救い出すには、ソルミナの力に頼るしかないのか? ともあれ、今のままではまずい。レプトリアと共にパリスとザックスを失った今、ギルド側が《レゲンディア》クラスの機体をさらに投入してきたときには、カセリナのイーヴァしか対抗できる機体はない。
 彫りの深い顔、さらに深く窪んだ目に悲壮感を漂わせ、公爵は溜息をついた。
 ――そのために。そのためにこそ、大切な娘を敢えて戦場に出したのではないか。たとえ最低の父親だと言われようとも、この戦、決して負けるわけにはいかぬのだと。
 公爵は、泰然と控えているレムロスの方をちらりと見やった。
 ――ギルド側は、パリスを倒した《銀の天使》を完全に温存している。さらに、魔道士クレヴィス・マックスビューラーの操る、あの恐るべき《空飛ぶ鎧》も。これらの機体に対し、イーヴァ以外で互角に戦えそうなものは、レムロスの《あれ》のみか。
 続いて公爵は、自軍と敵軍の主力がぶつかり合う戦場から、城の側方へと注意を向ける。相変わらず轟音が止まない。長さ10メートルを超える鋼の巨剣同士の打ち合う音は、いまだに途絶えていなかった。バーンのアトレイオスとムートのギャラハルド、双方がなおも互角に死闘を続けていることがうかがえる。
 ――それにレムロスの言ったように、万が一、ムートが敗れた場合、ソルミナの《柱》は破壊されてしまう。それでは元も子もない。
「では、ソルミナを放つとしても……。ギルドの飛空艦隊はまだ動かないか、レムロス?」
 公爵の口調には苛立ちがはっきりと現れている。その目や口元に浮かんだ怒りは、今にも表情全体に溢れ、爆発しそうである。
「いいえ。相変わらず、こちらからの砲火とあちらの主砲の射程距離ぎりぎりのところに浮遊したまま、動く気配はありません」
「いやに慎重だな。こちらが飛行型アルマ・ヴィオをほぼすべて失った現状、ギルド側にとっては、城に飛空艦を近づけて艦砲射撃や爆撃を行う手もあろうに。考えたくはないが、敵は《柱》に気づき、何らかの強力な魔法兵器だと考えて距離を保っているのか」
「残念ながらそう考えられますな。いわば本隊を囮にし、こちらの《レゲンディア》クラスの機体を引きつけ、その間に少数精鋭で一気に《柱》を叩く作戦に敵が出てきたということ。それが、すべてを物語っております」
 公爵とは対照的に、レムロスは常に冷静である。いや、ナッソス家の危機、あるいはカセリナ姫の危機にもかかわらず、どこまでも静かな彼の態度は異様とさえ感じられるほどであった。ザックスがエクターを「引退」した後、かわってナッソス家に仕官してきたレムロスは《四人衆》の中では新参者だ。だが、頑固なまでに格式にこだわるナッソス公爵は、エクターとしては異例のレムロスの家柄の良さやこれに見合った気品漂うレムロスの言動を気に入り、彼をたちまち重用するに至った。いまやレムロスは、一介のエクターどころか、公爵の軍師としての立場すら確立しつつある。
「ギルドの飛空艦をまとめてソルミナに巻き込めれば、と思ったが……。やむを得ん。いまソルミナを放てば、敵陸戦隊のうち、いかほどを射程にとらえることができるか」
「敵軍は全体的に後方に展開しておりますが、そのうち最前線の戦列をなす重装汎用型の半分ほどと、先行したいくつかの陸戦型の部隊は葬ることができます。何より、カセリナ様をおびやかすレーイ・ヴァルハートをはじめ、《柱》に迫ったギルドの精鋭たちをまとめて片付けられることは、非常に大きいかと」
 しばし無言で沈思した後、公爵は敢えて激情を抑え、低い声でつぶやいた。
「レムロス。ソルミナを発動するよう、術者たちに伝えよ」
「心得ました」
 レムロスは慇懃に一礼すると階下に向かった。
 わずかな警護の者たちとともに、望楼の最上層に残されたナッソス公爵。
 八角形の部屋のそれぞれの壁面には大きな窓が広がっている。苦渋の決断を行った公爵の心情とは裏腹に、室内は皮肉なほど明るい輝きに満ちており、陽の光が燦々と行き渡っていた。
 部屋の中央に置かれた円卓。公爵はゆったりと腰掛ける。計算し尽くしたかのように、家臣の一人が見事なタイミングで茶の用意をしてきた。公爵はカップを手に、不敵な、それでいてどこか悲しげな、何ともいえない微笑を浮かべる。
「ギルドの者どもよ、旧世界の超兵器《盾なるソルミナ》の力に恐怖するがよい。人の子である限り、人間である限り、何人たりともソルミナの前には無力なのだ」

 そしてまもなく、一瞬、空が赤く染まった。そんな気がした。


8 消えた仲間たち!? 城を覆う赤き結界



 ――今のは、何?
 ラピオ・アヴィスを操り、バーンとムートの戦いを上空から見守っていたメイ。何の前触れもなく、彼女の意識はおぼろげになり、さらに五感すべてを失ったかのごとき異様な浮遊感にとらわれた。エクターとしてラピオ・アヴィスの機体と一体化し、その赤き翼を通じて風を感じていたメイだったが、唐突に機体から解き放たれて宙に投げ出されたような気がした。
 次の瞬間、彼女は明確な意識を取り戻し、すぐに五感も回復された。
 目を見開き、握り拳をつくってみる。だがそのことによって、メイは新たな異変に気づく。本来ならばラピオ・アヴィスの機体を通じて伝わってくるべき視覚や触覚が、いつの間にか彼女の身体自体の感覚に還っていたのだ。
「ラピオ・アヴィスの意識が感じられない。違う、それどころじゃないって! あたしは機体に乗っていない? そんな馬鹿なことが」
 思い出したかのように慌てて周囲を見渡すメイ。
 陽光。広がる緑。ぼんやりと木立が見える。
 微風が頬をなでてゆく。
 その現実的な心地よさに促され、彼女は改めて自らの手で――ラピオ・アヴィスの翼や脚ではなく――自分の頬に触れてみた。
 両足は大地を踏みしめている。二、三歩進んでみると、ほどよく茂った下草が足元でカサカサと鳴った。草の匂いがする。
 小川の流れ。呆然としたメイの耳に、せせらぎだけが響いては消えていく。
「ここは……」

 ◇

 メイに異変が起こったことを、バーンも念信を通じて知った。
 ――返事しろ、メイ! 何があった?
 だが彼女からの答えは返ってこない。それどころか、念信の先に相手のメイが《居ない》ことをバーンは感じ取ったのだ。そんな奇妙なことがあるはずはない。
 代わってムートからの念信が入ってくる。
 ――どうやら《あれ》のせいか。久々の良い戦いに水を差しやがって。おい、あんた、バーンとか言ったな。聞こえてるか?
 ムートの声はそこで途絶えた。正確に言えば、ムートからの念信が、バーンにはもう届いていないのである。
 今の今まで、バーンの愛機アトレイオスと激しくつばぜり合いを繰り広げていたはずなのに、何故かムートの操るギャラハルドだけがそこに残されている。上空を見上げると、ラピオ・アヴィスの姿もない。いずれの機体も忽然と消え去ったのだ。
 ――つまらないな。勝つためとはいえ、こんなのは戦士のやるべき戦い方じゃないだろ。
 落胆気味にムートはつぶやく。気の抜けたようにギャラハルドの右腕がだらりと下がり、手にした巨大な曲刀が地面にめり込んだ。

 ◇

 時を同じくして、ナッソス方の《ディノプトラス》と交戦中であったサモン、単機で別の《柱》を攻撃に向かったプレアーも、機体と共に姿を消した。
 いや、居なくなったのは彼らだけではない。ギルドの陸戦隊のうち、敵陣深くまで先行していたいくつかの部隊は皆、神隠し同様に消え去ったのである。

 ――お父様。《盾なるソルミナ》を使ったのね。
 カセリナは事の成り行きを理解した。
 結界型MTシールドのドームの中で、彼女はレーイと壮絶な《戦い》を続けていたはずだった。互いの機体がふれあうほどの間合いで、いずれかが一瞬でも気を抜いた瞬間に勝敗が決するであろう、静かながらも凄まじい精神的な消耗戦を。
 だが今や、イーヴァの視覚を通して周囲を見渡すカセリナの前に、レーイの操るカヴァリアンの影も形もなかった。
 ――レーイ・ヴァルハート、恐るべき戦士。だがもう遭うことも……。いけない、また、目まいが。
 死地から解放された安堵感からか、カセリナは気を失いそうになった。もはや機体の体勢を保つことすら困難なほど、彼女は力を使い果たしていたのである。とはいえ、これで窮地を脱したことは間違いない。

 ◇

 他方、上空のクレドールからは、ナッソス城に生じた《異変》をはっきりと見て取ることができた。
 おそらく《盾なるソルミナ》によって創り出された結界であろう、赤い光の幕あるいはバリアのようなものが、ナッソス城とその周囲を球状に覆い隠している。結界の表面は刻々と色合いや明暗を変化させ、ひときわ赤色の濃い縞模様が、蛇の類を思わせる動きでうねり、いくつも動き回っているように見える。その様子は、まるで結界自体が生きていると言わんばかりのものであった。

「先程から呼びかけ続けているけど、念信がまったく通じないわ」
 セシエルは緊張した面持ちでそう告げ、なおも念信装置と向き合う。続いてヴェンデイルも、両手を挙げてお手上げのポーズを示した。
「駄目だ。中で何が起こっているのか、全然見えない」
 不意に起こった奇怪な事態に、クレドールの艦橋が騒然とする。クルーたちの動揺を沈めるように、穏やかな、なおかつ威厳のある口調でクレヴィスが指示を出す。
「あの《結界》から一旦は距離を取るよう、付近にいる部隊に至急伝えてください。詳しい事情が判明するまで我々もうかつに動いてはいけません。次に何が起こるか、まだ分かったものではないですからね」
 眼鏡のレンズの奥で目を鋭く光らせ、クレヴィスは不敵な微笑みと共に言った。
「まぁ、必要以上に恐れることもありません。あのような奥の手を使わねばならないところまで、ナッソス家もいよいよ追い詰められているということですよ」
 肉眼でもはっきり確認できる紅色の結界を、ルキアンも艦橋の窓辺まで進んで注視する。ある程度の不規則さで明滅し、それでいて一定のリズムを鼓動さながらに刻む結界表面の様子は、何らかの意志をそこに感じさせるものであり、どうにも薄気味悪い。
 ――メイやバーンは大丈夫かな。レーイさんたちも。
 シャリオの言った《伝説》のことがルキアンの頭によぎった。
 ――「心の檻」に閉じ込められた者たちは、二度と戻ってくることはなかった。
 嫌な胸騒ぎがする。
 ――僕は、僕は……また、こうして見ているだけに終わってしまうのか。


9 ついに出撃、主人公ルキアン!



 メイやバーンのことを心配するあまり、高ぶるルキアンの思いは、彼らと共に過ごしたこの間の記憶を過度に生き生きと脳裏に浮かび上がらせる。縁起でもないとルキアンは首を振ったが、これではまるで「走馬燈」のようではないか。あのメイたちのこと、きっと大丈夫だと彼は自らに言い聞かせようとした。だが、そうすればするほど、胸の内に現れる記憶の幻灯はますます鮮明になり、ルキアンの意識から離れようとしない。

 特に、コルダーユの街で初めて出会ってからの短い日々の間に、メイとの思い出がこれほどにも積み重なったのかと、ルキアン自身、改めて気づかされた。

 ◆ ◇

「こらっ、少年! もっとシャキッとしなきゃ駄目じゃないの」
 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、メイは人差し指でルキアンの額を小突いた。
「私はエクター・ギルドのメイ。本当の名前は長ったらしくてあまり好きじゃない。メイオーリア・マリー・ラ・ファリアル。だからメイって呼んで。キミは?」

 ――ルキアン君、ほんとに短い間だったけど、なかなか面白かったよ。
 コルダーユ沖の戦い、多数の敵アルマ・ヴィオに追い詰められたルキアンとメイ。そのときにメイが覚悟を決めて告げた言葉だ。

「何、ぼーっとしてるのよ、少年っ!!」
 メイがルキアンの肩を勢い良くひっぱたく。
 少し間があった後、ルキアンは慌てて彼女の方を見た。
「あ、ボクですか。は、はい?」
「食べてる、キミ? ほらほら」
 パンを盛った編みかごを差し出して、メイが笑う。

「今ここで思い切って飛び込んでみたなら、ひょっとして何かが変わるかもしれないって……そんなふうに感じる瞬間。たいていは幻想かもしれないし、思いこみにすぎないかもしれない。だけど、そういう場面、これまでキミにも色々とあったでしょ?」
 メイの髪が揺れて、彼女の香りがふんわりと宙に漂った。

 そして何よりも強く思い出されたのは、メイがミトーニアでルキアンに告げた言葉だった。
「ルキアンがどんな過去を背負っているのかは知らない。でもさ、キミはもう一人じゃない。アタシらがいる」
「最後には帰って来いよ、それでいい。それでいいんだから……」
 不意に、激情家のメイがルキアンを抱きしめる。突然に抱きすくめられたルキアンの方が、身体と心を硬直させて立ちすくんでいる。

 ◇ ◆

 ルキアンの中で何かが燃え上がった。
 その炎の高まりは、ルキアン自身の表層的な思いとは関わりなく、たちまち大きくなり、彼の理性を支配した。

  僕が居てもいいところ。
  僕が独りで居なくても済むところ。
  僕が帰ってきてもいいところ。
  僕が必要とされるところ。

 ――ただ、それだけが欲しかった僕は、あの《日常》から飛び出したんだ。変わらない閉ざされた毎日の中で悶え苦しみ、窒息してしまいそうだった僕に、メイたちが新しい日々をくれた。

 そのことに対する感謝の念との対比なのか、ルキアンの思いの底で幼い日の彼が泣いた。閃光の如く、心が真っ白になり、空虚な白き精神空間をあどけない声が生々しく引き裂く。

 ――《おうち》に帰りたいよ。

 そして現在のルキアンの意識に戻る。クレドールに来てからの毎日を、彼は噛みしめるように回顧した。

  僕の《居場所》。
  大切な、はじめての仲間。
  やっと会えた。
  そう思えたことが、生まれて初めて心から味わえた幸福だった。

 誰に話しかけるでもなく単に情熱の迸りから、続く言葉はルキアンの口を突いて出た。
「今度は僕が助ける番なんだ……」

 動き始めた情熱、あるいは熱に浮かされた妄想はとどまるところを知らない。

 微熱を帯び始めた少年の体の中で、忘れがたく魂に刻まれた記憶が甦る。
 あのパラミシオンの《塔》に出向いた際、旧世界の異物であるアルマ・マキーナから仲間たちを守るために、永劫にも近い時の中で忘れられた草原を駆け抜け、アルフェリオンに乗り込むルキアンが思ったこと。

 ――じっと見ているだけなんて、もう嫌なんだ。

 その想いが、いま再び。

 ――僕は自分の翼を信じる!

 いや、本人も自覚してはいないかもしれないが、あの《塔》をめぐる戦いの時から、今のルキアンは変わっていた。ミトーニアでの戦いは、彼の中の何かを呼び起こしたのだ。

 僕は《いばら》になる。

 《銀の荊》――シェフィーアの語った、最果ての北国の昔話が思い出された。

  私に《とげ》をください。
  私を踏みつけ、むしり取ってゆく獣たちが、
  それと引き替えに刺されて痛みを知ることになれば、
  獣は草木にも鋭い爪があるのだと怖れ、
  木々や花たちに簡単には手を出さなくなるでしょう。
  それができるなら、私はどんなに傷ついてもかまいません。
  他の草木がもう辛い思いをしなくて済むのなら。

 一体、何度迷ったら気が済むのだろうか。ルキアンは誓いを繰り返す。ミトーニアの街で、彼がつぶやいたように。再び。

 ――そういうの、黙って見ているだけなんて、もう嫌だと思ったんです。もっと、こんなふうに世の中が変わっていけばいいなって、僕にも夢ができた。だから戦うんです。

  《優しい人が優しいままで笑っていられる世界のために。》

 ◇

 ルキアンは意を決してクレヴィスのところに歩み寄り、背筋を伸ばし、真剣な眼差しで告げる。
「あの結界の中で何が起こっているのか、中のメイたちが大丈夫なのか、僕に偵察させてください」
 この場面を予想していたかのように、クレヴィスはすぐに目を細め、意味ありげに微笑んでルキアンに尋ねる。
「危険ですよ? 結界の中に入った者は、二度と戻ってこれないかもしれません」
「でも、その、もしそうだったなら、なおさら助けに行かなければ!」
 クレヴィスは溜息をついたが、彼はどこか嬉しそうだ。
「分かりました。アルフェリオンの力ならば、事態を打開できる可能性もあるでしょう。ルキアン君には、これまでにもクレドールやギルドの窮地を救ってきた《実績》がありますし。ともあれ、我々には他に有効な手立てがないのです。繰士ルキアン・ディ・シーマー、出撃していただけますか」

 直ちに返答し格納庫に向かおうとしたルキアンに対し、クレヴィスは、ぽつりと付け加える。
「カセリナ姫と戦うことになるかもしれませんよ?」
 雷に撃たれたかのように、ルキアンの歩みがはたと止まった。
「彼女をなるべく傷付けたくない、あるいは話せば分かるなどと、中途半端な気持ちで戦えば、いかにアルフェリオンでもたちまち倒されてしまうでしょう。カセリナ姫はレーイと互角に戦えるほどの戦士なのですから」
 無言で立ちすくむルキアン。彼が敢えて考えることを避けている点に、クレヴィスは正面から切り込んだ。先程までとは異なり、彼の目つきもいつになく厳しい。
「端的に言えば、おそらく、彼女はあなたを殺すことを少しもためらいません。想像できますか? 彼女にはそれほどの覚悟があるということです。もし、ルキアン君に同様の覚悟ができないのなら……」
 しばしの沈黙。艦橋内にも重苦しい空気が満ちた。ヴェンデイルなどは、二人の様子を心配そうに何度も振り返って見ている。
 と、クレヴィスは不意に表情を和らげ、再び口を開いた。
「ならば、まぁ、四の五の言わず《逃げる》ことですよ。ふふふ。状況の偵察とメイたちの救出に全力を尽くしてください。頼りにしています」
「え? は、はい……」
 拍子抜けしたように、とはいえ胸をなで下ろしつつルキアンがうなずいた。
 実際には、彼は思考停止しているだけなのだが。カセリナと戦うことなんて考えたくない、どうしても戦うことになったらそのときに考えようなどと、そういう具合であった。

 ◇

 ルキアンは一礼し、ぎこちない足取りでブリッジを出て行った。
 あれほど燃え盛っていた情熱も、カセリナの話を出され、いささか萎えてしまった感がある。最初の勢いはどこへやら――クレヴィスとの一連のやり取りを気恥ずかしく思いながら、彼は廊下を進んでいく。

 そのとき、ルキアンは既視感のある光景に出くわした。
 薄暗がりの先に白いものがふわりと揺れる。
 幽鬼が舞うような、あるいは妖魔の誘惑であるような、現実味のない眺めだ。
 反射的に背筋が冷たくなった。
 それが恐れなのか、嫌悪感なのか、緊張なのか、彼自身にもよく分からない。

「くすっ……」

 一度聞いたら耳にこびりついて離れない、悪夢に出てきそうな笑い声だ。
 玩具を見つけた子供にでもたとえればよいのだろうか。魔少女エルヴィン・メルファウスの意識は、明らかにルキアンに向けられている。
 素通りは許されないだろう。今回も。


【第46話に続く】



 ※2009年8月~11月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第45話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 赤い翼を羽ばたかせ、上空を旋回するラピオ・アヴィス。アトレイオスとギャラハルドの間で先ほど起こった一瞬の激突を、メイは心の中で反芻する。
 ――あの馬鹿、結局、何も考えずに真っ向から。でも今の打ち込みは、敵のエクターにとっても予想を超えるものだったみたいね。
 鋭く見据える彼女の瞳に、地上でしのぎを削る二体のアルマ・ヴィオの姿が映った。
 ――最初から読めていた攻撃なのに、こちらが受け一方に回らされるとは。とんでもない力業だぜ。こんな大剣をあれだけの速さで打ち込めるなんて、さすがにギルドの飛空艦のエクター。久々にワクワクしてきたぞ。
 何か嬉しそうにムートがつぶやく。《古き戦の民》、戦闘部族出身の彼にとって、強敵との出会いは恐怖どころか悦楽でさえあるのかもしれない。
 いかに豪腕を誇るギャラハルドでも、盾を構えた左腕のみでバーンの渾身の一撃を受け止めるのは無理だったらしい。盾を持った左手の下に剣を持った右手を交差し、ギャラハルドは巨大な丸盾を両手で支えていた。その盾にめり込むように、アトレイオスの攻城刀が、今なお火花を散らせながらギャラハルドを押している。ギャラハルドは両手でも止めきれず、片膝を突いてようやくバーンの初撃を完全に受け切った。
 ――しかも、俺に膝を突かせるとは流石だ。だが何とか止めた。今度は俺の番だな。

 ◇

「あの光は、MTシールド?」
 カセリナとレーイの戦いを、城の天守から見守るナッソス公爵。望遠鏡を手にした彼の手が震え、続いて肩や背中にまでもわななきが広がった。レーイの取った行動の意味を理解したのだ。追い詰められたレーイが、とどめを刺そうとするイーヴァを、自らの機体カヴァリアンと共に結界の中に閉じ込めたこと――その壮絶な意味を。
 喉元につかえて声にならない言葉を、荒い息と共に公爵はようやく吐き出した。
「もはや勝つことも逃げることもできぬと悟り、カセリナと相討ちをはかる気か」
 公爵は、隣に控えるレムロスに何らかの指示を与えようとした。
 そのとき、ただでさえ轟音飛び交う戦場の中で、ひときわ大きく鳴り響いたものがあった。巨大な割れ鐘の叫び、いや、崖の上から何本もの鉄骨が互いに激しくぶつかり合いながら落ちていくような、ともかく鋼の塊同士の衝突する音だ。しかも、その音は城のすぐ背後で生じている。
 音が耳を叩き付けてくるだけでなく、振動が頭蓋骨にまで響き渡るようだ。不快な表情をする公爵に、レムロスは現実を冷静に指摘した。整った口髭の下、淡々と彼の唇が答える。
「MT兵器が普及し、最近の戦場ではあまり耳にしなくなりましたな。実体をもつ鋼の巨剣同士のぶつかり合う音というのは。あの様子から察するに、敵はムートと互角に剣を交えているようです。ギルドの精鋭、相当の使い手だと見ました」
 公爵の瞳に動揺の影が走った。
「というと、ギルドのアルマ・ヴィオが地上に降下し、《柱》を守るムートと交戦中であると?」
 レムロスは神妙な顔で頷き、進言する。
「ムートほどの繰士が敗れるとは思えませんが、万が一という事態もあり得ます。その場合、いかに無敵の《盾なるソルミナ》といえども、発動前に《柱》を破壊されれば……」


5 心の檻と四つの塔、昔話に隠された謎



 クレドールの艦橋、《複眼鏡》で戦況を監視中の《鏡手》ヴェンデイルが、地上の仲間たちの動向を伝える。彼の言葉を一言たりとも聞き漏らすまいと、クルーたちは耳をそばだてている。
「《柱》の一本を守る敵アルマ・ヴィオとバーンが戦いに入った。あれは、この前の晩にクレドールを奇襲してきた機体のひとつ、例の丸盾を持った重装甲の汎用型だ。エクターの腕も生半可じゃない。手強いね」
 持ち前の軽やかな声質ながらも、余計な感情は交えず、淡々と状況を伝えるヴェンデイル。その間も、彼は複眼鏡を構成する多数の《眼》の視線を四方八方に走らせていた。
 続いて、艦の念信装置を制御しているセシエルが割って入った。
「メイからの連絡によると、《柱》はあらゆる魔法攻撃を受け付けず、破壊するには直接的な物理攻撃、それも相当の破壊力をもった打撃以外に手はないと言っているわ」
 秀麗な面差しを少しうつむけ、ピアノの鍵盤を思わせるコンソールを彼女は器用に操作していた。
「バーンとアトレイオスの馬鹿力に頼るしかないというわけか。副長、《攻城刀》を持たせておいて正解だったな」
 舵輪を手にしながら、操舵長のカムレスが野太い声で告げる。現在、クレドールは、ナッソス城からの魔法弾の射程ぎりぎりの距離まで近づき、上空に浮かんで待機している。船を操るカムレスにも、今のところ急な仕事は無さそうだ。
 操舵長の言葉に、クレヴィス副長がいつも通り穏やかに答える。決して楽観的な状況ではないのだが、事態が厳しければ厳しいほど、彼の冷静な物言いはクルーたちをかえって落ち着かせるのであった。
「えぇ。ここはバーンに切り開いてもらうしかありません。強いて言えば、《柱》を破壊する前に、あの頑丈な敵との戦いでアトレイオスの肝心の攻城刀が折れたり曲がったりしないかと、それがいささか心配です。以前の彼には、熱くなると加減というものをすっかり忘れるところがありましたから。ふふ、まぁ最近は大丈夫だと思いますけどね」
 そう言うとクレヴィスは、傍らに突っ立っているルキアンに目だけで微笑んでみせる。ルキアンは、慌てて、真剣な顔でやたらに大きく数度うなずいた。そんなルキアンの様子を見ているのかいないのか、クレヴィスは独り言のようにつぶやく。彼の表情は平然としているものの、一瞬、ごくわずかに瞳が曇ったように思えた。
「レーイはカセリナ姫と睨み合ったままですか、ヴェン? こちらの方が危機的です」
 クレヴィスの問いかけにヴェンデイルが答える。若干、声のトーンを落として。
「MTシールドの中で相変わらずどちらも動かない。いや、動けないと言った方がいいのかな」
「そうですか。カセリナ姫の危機に対し、ナッソス公爵は冷徹な指揮官として振る舞うのか、父としての情に従って動くのか。ランディの話を聞いている限り、公爵はかなり直情型の人物のようですから、姫を救うため、戦況全体を顧みずに可能なすべての手を打ってくるかもしれません。ただ、仮にそのような私情に走れば、カセリナ姫の無事と引き替えにナッソス側には必ず隙ができ、作戦にも無理が生じます。いや、《無理》ではなく《破綻》と言った方がよいでしょうか。しかし、このままカセリナ姫がレーイと相討ちになれば、いや、今の状態でレーイのところに釘付けになっているだけでも、ナッソス家の戦力は大きく削がれることになります」
 クレヴィスは心の中で付け加えた。
 ――レーイ、あなたはすべてを読んだ上で命を賭けたのですね。この変化、どう転んでもギルドの有利に展開するでしょう。いや、ひょっとして、あなたが考えているのは……。

 ――カセリナが助かるかもしれない。
 クレヴィスの言葉に、ルキアンは少しほっとしたような気がした。だが、仲間のレーイの命が失われるかもしれない状況に、彼は複雑な表情でうつむく。
「ルキアン君」
「……」
「大丈夫ですか、ルキアン君?」
「は、はい!?」
 様々な憶測や想像を巡らせ、自分の世界に入り込みつつあったルキアン。クレヴィスの言葉で現実に引き戻された。
「おそらく、じきに、あなたにもお願いをすることになるかもしれません」
「僕に、ですか?」
 戦いに出向くことになるのかと、ついつい暗い顔を見せてしまった正直なルキアンに対し、クレヴィスは眼鏡の分厚いレンズを光らせて言った。
「予想外の状況になった場合、あなたに動いてもらわねばなりません。敵を倒すためにではなく、むしろ仲間を守るためにね」
 その言葉の意味するところが分からず、ルキアンは怪訝そうな顔つきをしている。クレヴィスは話を続けた。
「あの《柱》、敵方が精鋭中の精鋭を守備に配していたところをみると、やはり何らかの重要な魔法兵器である可能性が高くなってきました。仮にあれが旧世界の兵器であった場合、我々のもつ装備では対応できないかもしれません。そのときは、アルフェリオンの力を頼りにしたいのです」

 何と返事してよいのか思い悩んでいるルキアンの背後で、聞き慣れた女性の声がした。
「その《柱》のことなのですけれど……」
 足早に歩いてきたのか、少し息を荒らげながら、シャリオが艦橋に入ってきた。腰まである長い黒髪を後ろで一本に結び、旧世界風の白衣を羽織っているところからして、まさに今まで《仕事中》だったのだろう。もちろん《船医》としての、である。
 シャリオは遠慮がちに切り出した。
「わたくしが戦いのことに口をはさむのは、差し出がましいかもしれません。それでも、お伝えしたいことがありますの」
 話の続きを促すように、クレヴィスがにこやかに肯いた。
「シャリオさん、ひょっとして《おとぎ話》との関わりですか? やはりあれが旧世界の兵器であると」
 それまで堅い表情であったシャリオの目が、はっきりと輝く。
「はい。さすがはクレヴィス副長ですわね。あの《柱》を連想させる昔話を以前にどこかで聞いたことがあり、先日からずっと考えていました……。先ほど、不意に思い出して調べてみたのです」
 ある昔話をシャリオは手短に語り始めた。クレヴィスとルキアン以外の大方のクルーは半信半疑といった様子で聞いているが、シャリオは気にせずに続ける。

  昔々、聖なる杯を護る不思議な城がありました。
  杯を奪おうとして城に近づく者は、門をくぐった後、
  いつまでたっても中に入ることができませんでした。

  城には恐ろしい魔法がかけられていたからです。
  そう、「心の檻」に閉じ込められた者たちは、
  二度と戻ってくることはなかったのです。

  城の周りには四つの魔法の塔が建っていました。
  これらの塔がある限り、
  すべての悪意ある者から城は守られたのでした。

  どんなに強い騎士も、心にまで鎧をまとうことはできません。
  塔の魔法に魅入られた者は、異界の檻の中を永遠にさまよい、
  いつしか朽ち果ててゆきました。

 語り終えて一息吸い込むと、シャリオはクルーたちの顔を見渡しつつ、威厳をもって告げた。
「皆さん。イリュシオーネの昔話や伝説の多くが、実は旧世界の出来事を比喩的に伝えるものであると考え、わたくしはこれまで研究を続けて参りました。そして、いま申し上げた昔話も、もしかしたら旧世界の時代のことを暗に指しているのではないかと考えたのです」
 突然の申し出に呆気にとられているクルーたち。まさかとは思いつつも、シャリオの語った話の内容にはナッソス城の《柱》を想起させる点が確かにある。皆、互いに顔を見合わせ、首を傾げている。
 そんなとき、カルダイン艦長が口を開いた。煙草をくゆらせながら、地鳴りのような重々しい声で。
「いずれにせよ、ナッソス城の《柱》が何であるのかは、今のところまったく分かっていないわけだ。できるだけ多くの状況を想定して動いた方がいいだろう。あの《柱》が先ほどの昔話にあるような効力をもつ《兵器》だと考えておくのも、予想の選択肢がひとつ増えるという意味で有効なことだと思うが」
 クレヴィスも艦長の発言に賛同する。
「確かに。あの《柱》が何であるのか、様々な予測を立てて我々は戦いに臨みました。しかし、人間の精神に影響する兵器だという可能性については、考えなかったですからね」
「あ、あの……」
 これまで黙っていたルキアンが、細い声でつぶやき、何か言いたげにしている。
「何ですか。言ってみてください、ルキアン君」
 クレヴィスに後押しされ、ルキアンはおずおずと話し始めた。
「も、もしですけど、シャリオさんの昔話の通りだとしたら、僕たちはどうすればいいんでしょう。あの、その、というか……《心の檻》や《異界の檻》っていうのは、何なのでしょうか。《檻》に吸い込まれると、死ぬまで出てこれないってことですか?」
 一気にそこまで言い、少年は頬を赤らめている。
 ルキアンの発言に何か得るところがあったように、クレヴィスが目を細めた。
「そこが問題です。何しろ、あらゆる者が抗えないほどの力を持っているわけですから、単なる幻覚を見せる程度の兵器ではないでしょうね。例えば、敵の心に働きかけ、それに反応したことを引き金に、相手を現実と夢の狭間にあるような一種の亜空間に送り込んでしまう……儀式魔術によってそういう《罠(トラップ)》を仕掛けることは、魔道士としての立場から言わせてもらうと不可能ではないですよ。ただし、そのためには通常では得られないほどの膨大な魔力が必要です。それも一時のものではなく、安定的に供給されないといけません」
 彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ルキアンが思わず手を打った。一同の視線が集中し、恥ずかしそうに何度も頭を下げる少年。
「す、す、すいません。つい。でも、今朝、クレヴィスさんが言っていたことと、今の点は結びつきます。なぜ、黒い《柱》があんなに不規則な位置に並んでいるのか。それらが、魔力を吸い上げるために、大地を走る霊脈の場所を選んで建てられた結果なのだとしたら。ち、違うでしょうか?」


6 不幸でないことと幸せであること



「なるほど! ルキアン君、さすが魔道士の卵だねぇ。結構それらしい話じゃん」
 半ば納得し、半ば冷やかすような調子で、ヴェンデイルが最初に答えた。
 続いて対照的に堅苦しく、カムレスが言う。
「あぁ。できすぎた推理のような気がしないでもないが、可能性のひとつとしてはそう考えておいた方がいいように思う。確かに納得できるところがある」
 カムレスは、額の大きな傷跡をなでながら、あながち間違いではないという表情をした。
 クレヴィスも少年の隣で満足げにうなずいている。
「私もおおむね同様の推理をしています。あの《柱》は要塞砲のような直接攻撃系の兵器ではないでしょう。もしそうであったなら、ギルドの陸戦隊の進撃が始まった時点で敵方はそれを放っていたはずです。仮にそのような強力な攻撃兵器であったとしても、もはや混戦状態の現時点では、敵味方もろとも消滅させる気でない限り撃つことはできないでしょう。楽観的観測かもしれませんが、ナッソス公爵がそれほど愚かな人間だとは思えませんし」
「あれが防御用の結界兵器であったとしても同じことが当てはまる。今さら結界を張ったところで手遅れ、まったく無意味だ」
 手短に告げると、艦長はパイプを再び口にした。象牙に似た白い材質でできており、植物のツタや葉をあしらった細緻な彫り物の施された、上等そうなパイプである。
 カルダイン艦長に目配せしつつ、クレヴィスが話をまとめようとしている。
「まぁ、可能性だけであれこれ話していても埒が明かないですがね。とはいえ、あれが仮に兵器なのだとすれば、一定の確実さをもって推測できることが三点あります。一つ目に、まだ使用されていないという事実からして、敵味方が入り乱れた状態になった後でも使用できる兵器かもしれません。何と言えばよいのか、先ほどのシャリオさんのお話が真実味を帯びてくるのですが……例えば、敵意を持つ者だけを選んで効果を及ぼすことが可能である兵器、いや、ある時点で効果範囲内にまだ居なかった者だけを、つまり後から一定の範囲に入り込んできた敵だけを選んで発動する《魔法》だと、考える方が現実的でしょうか」
 クレヴィスの推理を聞くにつけ、たしかにシャリオの語った昔話の一節が、ますますそれらしく思われてきた。そう、城に近づく《悪意を持った者》に作用する魔法、という部分である。ルキアンは眼鏡の奥で目を丸くしつつ、心地よい語り口のクレヴィスの話に傾聴していた。
 徐々に腑に落ち始めたような仲間たちの様子を見ながら、クレヴィスはさらに述べる。
「まぁ、そうした《魔法》の効果を今すぐ何の制約もなく発動できるのなら、敵はすでにあの兵器を使用していてもおかしくありません。そうではない点からみて、二つ目に、おそらく何度も使えるものではないということ。この艦の《方陣収束砲》と同様、大量の魔力をチャージする必要があるため、短期間のうちに使用できる機会はおそらく一度きり……。最後に同じくこれも、まだ敵方が《魔法》を発動してこないという点から推測されるのですが、三つ目として、有効な効果範囲の相当に狭い兵器かもしれません」
 ヴェンデイルがそこで合いの手を入れた。
「なるほどねぇ。てことは、いまナッソス公爵は、ギルドの部隊が有効範囲内にできるだけ沢山入ってから奥の手を使おうと、手ぐすね引いて待ってるってか?」
 クレヴィスはシャリオに一礼し、片目を閉じてみせる。
「ともあれ実際に事が起こってみないと、すべては憶測の域を出ません。あまりとらわれすぎるのも適切ではないですね。それでも、シャリオさんは、我々の想定していなかった状況に気づかせてくれました。助かります」
 ほっとした様子で艦橋から出て行こうとするシャリオだが、ふと立ち止まり、困ったような顔つきでつぶやいた。
「でも、わたくし、医師としては失格ですわ。トビー君は、一命は取り留めたにせよ、まだ予断を許さない容態ですし、シャノンさんは今も精神不安定でまともに会話すらできないというのに……。それなのに、執務中、よそ事の昔話などを思い浮かべているなどとは。情けない」
 船医としての強い使命感をもって己を責めながらも、旧世界の謎を解き明かしたいという知的欲求には逆らえない。その点については、彼女は驚くほど欲望に正直だ。シャリオは、一種、開き直ったような何ともいえない表情をしていた。この人は悲しいほどに探求者なのだろう。時空を超えた知の迷宮に挑むその面差しは、どこか蠱惑的ですらあった。
 最後にシャリオは、ルキアンの名前を呼んだ。
「ルキアン君。どの時点で来てもらうのがよいかは判断の難しいところなのですが、戦いの状況に区切りがついたら、シャノンさんやトビー君、それにメルカちゃんにも会いに来てやってくださいね。辛いとは思います。でも、お願いします。大人のわがままなのですけど、あの子たちにとって、ルキアン君は重大な《鍵》なのです。彼らが未来を再び開くための……」
「え、えっと、あの、その、十分には分からないのですが、シャリオさんのおっしゃることは、何となく分かる気もします。は、はい」
 戸惑いながら、格好の悪いお辞儀をするルキアン。

 ◇

 シャリオが去り、艦橋も元の状態に戻った後、ルキアンは医務室に残された三人のことを何度も思い浮かべた。
 ――あのとき僕が撃っていたら、シャノンもトビーも、おばさんも、あんなことにならずに済んだかもしれない。だけど、だけど、僕の中の《引き金》が次第に軽くなるのも怖くて仕方がないんだ。僕が《戦い》を簡単に決意できるようになってしまえば、いつか《ステリア》の力に魅入られて、ただの兵器になってしまわないかと。
 ミトーニアの街でメイに打ち明けた不安を、ルキアンは再び心の中で繰り返した。その不安は、漠然とだが、しかし強烈で直感的な力をもって、否定しがたい重さで彼にのしかかってくる。正直なところ、ステリアの絶対的な力の誘惑が、常に心の底で待ち構えているのが分かるのだ。先日、幻のように彼の脳裏に浮かんだ、あの《巨人》の姿――炎の翼を持ち、血塗られた大鎌を手にした《エインザールの赤いアルマ・ヴィオ》――《アルファ・アポリオン》のイメージと共に。
 ――だったら、僕はなぜ敢えて《戦場》なんかに飛び込んだんだろう。自分で選んだのに、完全に矛盾してる! でも、それは、それは、単にあの《日常》から僕が逃げ出したかったからなんだと思う。どこでもいい、あそこではないどこかへ。苦しかったんだと思う。分かってる、そんなの勝手だって。他人からみれば、僕の苦しみなんて、ほんの些細な問題、恵まれた日常の中の不満に過ぎなかいじゃないか。だけど……。

 一瞬、ソーナの美しい横顔が、ルキアンの脳裏に思い浮かんで消えた。
 燦々と日差しの降り注ぐ浜辺で、手を取り合って歩く《二人》の姿。
 《独り》、取り残され、波打ち際の残響だけがルキアンの耳に淡々と響く。

 レマール海の静かな湾内に、単調なリズムで寄せては返す波。
 その皮肉な穏やかさにルキアンは思ったものだ。
 世間的に見れば衣食住には困らず、決して不幸ではないけれど、
 だからといって幸福だと心から笑ったことなど一度もない、
 自分の日々のようだと。

 《不幸でないこと》と《幸せであること》はまったく別物なのではないか。
 何不自由ない生活の中で、息苦しさだけを感じ続けて人生を終える人もいる。
 悲惨な暮らしの果てに、この世を去るときに笑っていられる人もいる。
 たとえ苦しいことがあっても、自分が《不幸》だと嘆くことがあっても、
 それと同時に《幸福》だと感じられる人が側にいて、
 そう感じられる時があって。
 それが一番大切な問題ではないのだろうか。

 幸せの数と不幸せの数との間には、決まった相関なんてまったくない。
 いずれか片方が多い人も居れば、両方とも多い波乱に満ちた人も居る。
 幸福か不幸かなど、所詮は主観的なものだという話もある。
 だけど僕には、どちらもない。

 生まれてこなければよかったとは絶対に思っていない。
 でも生まれてきて良かったと思った瞬間もあまり記憶にない。
 これを傲慢だとか、寂しい人だとか、世の中は笑うのだろう。
 生きたくても生きられない人がいるのに、と人は言う。
 そう告げられると僕の感情は揺さぶられる。
 だけど、倫理的な問題はともかく、それは本当は話のすり替えだ。
 頭では理解できても、一時の感情は動いても、
 僕の《現実》には刺さらない。心の底までは決して照らせない。

 いずれにしても、このままではいけないのだと。
 ルキアンはよく思ったものだ。
 ともかく動かなければ、《ここ》を出なければ。

 《この日常を越え出なければ》。


【続く】



 ※2009年8月~11月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第45話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 昔々、聖なる杯を護る不思議な城がありました。
 杯を奪おうとして城に近づく者は、門をくぐった後、
 いつまでたっても中に入ることができませんでした。

 城には恐ろしい魔法がかけられていたからです。
 そう、「心の檻」に閉じ込められた者たちは、
 二度と戻ってくることはなかったのです。

          (イリュシオーネの伝説より)

◇ 第45話 ◇


1 ナッソスの重戦士、攻守一体の盾!



 ナッソス城のある丘にそびえ立つ黒い石柱めがけ、ラピオ・アヴィスがなおも急降下してゆく。雲間を突き抜け、羽ばたく赤い翼。最初は、地上に投げ落とされる矢のように真っ逆さまに迫っていたが、地上へ近づくにつれてメイは速度を調整していた。自らの腕と同様に、彼女はラピオ・アヴィスの両翼を自由自在に動かす。機体や翼の角度を刻々と変化させ、風をとらえ、細心の注意を払って空気の抵抗を操るのだった。
 ラピオ・アヴィスの上にかがみ、じっと地上を睨むアトレイオス。深紅のラピオ・アヴィスとは対照的に、アトレイオスの機体のすべては青系統の色で統一されている。頭頂部から後頭部にかけてのトサカ状の飾り以外にこれといった装飾の無い、簡素な兜は、鮮やかな瑠璃色だ。その兜の下で輝く目が、単機で待ち構える敵のアルマ・ヴィオ、ムートの《ギャラハルド》の動きを計っている。
 ――急いで降ろせ! あの生意気な小僧をお仕置きしてやる。
 喧嘩っ早いバーンが念信でメイに伝えた。だが、メイは《操縦》に全神経を集中しているのだろうか、まともに取り合わず、短い怒声で応答しただけだった。
 いや、メイには考えがあったのだ。彼女は不意に慎重な声になり、バーンに告げる。
 ――アンタね、変だと思わない?
 ――何が。
 ――なんで敵方は撃ってこないのさ。あいつの機体も、黙って見てるだけ。MgSを装備していないとか、まさかね。
 その間にも、二人の眼下の大地は見る見る近づいてきた。バーンが催促する。
 ――はぁ? お前こそ余計なことを考えてる場合か。早く俺を降ろせ、早く《柱》を撃て。
 メイの言う通り、地上や城からの砲火はなかった。たしかに、構造上、連射のできないMgS(マギオ・スクロープ)では、飛行型アルマ・ヴィオのような俊敏な相手を撃ち落とすことは困難である。実際、この世界の《対空砲》というのは、主に《足の遅い大きな的》である《飛空艦》を攻撃するための兵器だと考えられている(*1)。しかし、それにしても形ばかりの攻撃さえ無いのは奇妙だった。
 特に、地上で待ち受ける強敵、《ギャラハルド》が撃ってこないのは不可解である。先ほどまでは、上空から見るとオモチャの兵隊のように小さかったギャラハルドの姿が、一瞬ごとに大きく変わっていく。だが、黒っぽいギャラハルドの機体は、右手に曲刀を持って肩に担ぎ、左手に巨大な丸盾を構えたまま、悠然と上空を見上げている。
 ――そうね。裏があるかも知れないけど、ここは攻めるのみよ!
 メイの思念に同調して、ラピオ・ヴィスのMgSが石柱に狙いを定めた瞬間。

 ――えっ?

 ほとんど同時に彼女は機体を旋回させた。何らかの強烈な衝撃を受け、ラピオ・アヴィスは姿勢を大きく崩され、落下しかけた。必死に立て直し、上昇するメイ。
 ――まだだ、戻ってくるぞ!
 バーンが叫ぶ。アトレイオスはすでにMTシールドを展開しており、輝く光の幕のようなものが機体の碗部に盾状に広がっている。
 ――了解!
 機体の姿勢をほぼ九十度傾けたラピオ・アヴィス。間一髪、今までラピオ・アヴィスの翼のあった位置を、黒い物体が凄まじい速さで通り抜けていった。
 メイの巧みな動きに感じ入るように、ムートがつぶやく。
 ――へぇ、やるじゃないか。さすがはギルドの飛空艦のエクター。
 そう言いつつ、彼はギャラハルドの左腕を動かした。上空から何かが落下してくる。いや、地上に向かって急速に戻ってくる。よく見ると、その黒い塊とギャラハルドの間を、《光の鎖》が結んでいた。光の鎖・MTチェーンによって、ギャラハルドは落ちてくる何かを巧みに振り回し、操っているらしい。
 ギャラハルドの頭上で何回か円を描いた後に、鋼の物体が地上にめり込み、地震のごとき揺れが起こった。
 それを見ていたメイが声を上げる。
 ――た、盾?
 ――言ったはずだ。前の戦いのときとは違い、今回は俺の足場がしっかりしていると。
 ムートの念信の声が妙に無邪気に感じられる。そう、ギャラハルドは、あの巨大で分厚い丸盾を投げたのだ。しかも鎖鎌のように、盾をMTチェーンで自在に操ることができるらしい。
 危険を何とか避けた今になって、メイは真実を理解し、思わず戦慄した。
 ――あんな鉄の塊みたいなのをくらったら、華奢な飛行型なんて一撃で終わり。
 ――あぁ、一撃目はMTシールドで何とか受け止めたが、凄い衝撃だったぜ。下手すりゃ落っこちるかと思った。
 そう答えたバーンを挑発しようというのか、ムートが念信を送ってきた。
 ――正直、油断していたようだな。それでも避けたのは立派だ。普通なら、シールドで受け止めたところで、機体は吹っ飛ばされて落ちてくる。上手く受け流したか。

 そのとき閃光と共に、ラピオ・アヴィスのMgSが出し抜けに発射された。
 前触れらしい前触れもほとんどなく。
 ――ふん、油断はアンタの方さ。お喋りな戦士君。
 前方の黒い石柱のところで爆煙が立ちのぼる。強力な爆発力を持った火系の魔法弾が、柱を直撃したのだ。
 瞬時の動きで柱を正確に射止めたメイに、さすがのバーンも目を見張る。
 ――やるじゃネェか。いつ撃ったんだよ?って感じだったぜ。
 ――たとえ陸戦型の重アルマ・ヴィオでも、これだけ真正面から当たれば無事じゃいられないよ。まして、あんな柱、簡単なもんさ。
 誇らしげに言う彼女に対し、ムートは不敵に微笑するだけだった。

 石柱を包む煙は、たちまち風に散っていく。そこで彼らが目にしたものは……。
 その状況を言葉にしようにも、すぐには声にならず、メイが息を飲み込んだ。
 ――そんな。傷ひとつ、付いて、ない?
 ガラス状の黒い光沢を浮かべた石柱は、何事もなかったように天を突いて立っている。
 動揺したメイたちを狙い、ギャラハルドが再び丸盾を投げる。しかも投げられると同時に、盾の縁に沿ってMTの刃まで展開していた。
 ――同じ手を何度もくらうか!
 今度は余裕を持って回避したメイ。
 地上では、ブーメランさながらに戻ってきた盾を、ギャラハルドが受け止めた。しかも片手だけで。
 ――あの石柱には一切の魔法攻撃は通用しない。生半可なMTの刃も通りはしない。もし破壊できるとすれば、あんたの相棒の持ってるような大型の攻城刀を、何度も全力で打ち付けるしかないだろう。
 そこまで言った後、ムートの口ぶりが真剣なものに変わる。
 ――だがそんなことは、俺を倒さない限りは絶対に無理。分かっただろ、降りてきて戦え、青い騎士。
 ――おぅ、だから売られた喧嘩は買ってやるって、さっきから言ってんだろ。メイ、ここはやはり俺の出番だ。
 バーンの言葉に肯いたメイ。アトレイオスを降ろすために、ラピオ・アヴィスが地上に近づく。もちろん、ここで下手に邪魔をしてくるようなムートではなかった。息の合った動きでアトレイオスが地上に降り、ラピオ・アヴィスは再び上空に舞い上がった。
 赤茶けた砂利の目立つ地表。《蒼き騎士》アトレイオスと、ギャラハルドが対峙する。いずれも分厚い甲冑をまとった重装汎用型アルマ・ヴィオ、手にしている武器は互いに巨大な鋼の塊だ。力で相手をねじ伏せるタイプの機体。中に乗っている者も含め、奇遇にも、似たもの同士だ。
 機体の全高よりも長大な剣、攻城刀の柄を両手で握り、刀身を肩に担いだアトレイオス。攻城刀は、ほぼ真っ直ぐで片刃。刃のある側の刀身を、MTの光の刃がさらに覆う。
 対するギャラハルドは、右手に曲刀、左手に攻防両用の丸盾を構え、まるで大地から生えてきたかのように、揺るぎない体勢で構えている。
 バーンもいつになく真剣だった。不用意に突進せず、機をうかがっている。
 ――隙がねぇな。さすがはナッソス四人衆ってとこか。
 二体のアルマ・ヴィオをメイが上空から見つめる。
 ――腕力馬鹿が二人……。どちらの武器も小回りは利かない。当たれば必殺でも、外れれば、そう簡単には次の攻撃に移れない。

 睨み合いが続く中、バーンは次第に焦り始める。
 ――間合いを詰めねぇと、あの厄介な盾が飛んでくる。いったんあれを振り回されたら厳しいな。だがよ、盾をかわして無理な体勢で近づけば、今度はあの馬鹿でかい剣を避けられなくなっちまう。どうする?


【注】

(*1) MgSは魔法を《発射》する呪文砲であり、魔法弾を放つためには、呪文を唱えて魔法を使う場合と同様に一定の時間が必要となる。ただし、魔法弾をMgSに装填すると同時に、呪文の詠唱に相当する《抽出》という作業も予め行っておけば、一発目の弾を即座に発射できる状態にしておくことは可能である。しかし二発目の弾を撃つためには、結局、再び弾を込めて《抽出》の時間を取らなければならない。先込め式の火縄銃などと同様、MgSは連射できない兵器なのである。MgSの構造上のこのような限界のため、イリュシオーネにおいては、敵方の飛行型アルマ・ヴィオに対する籠城側の有効な迎撃手段は、同様に飛行型アルマ・ヴィオを出して攻撃することに限られる(この意味において、ナッソス軍がギルド側に制空権を奪われたのは痛手である)。


2 レーイ反撃、決死の秘策とは?



 ◇ ◆ ◇

  堅い木と木の打ち合う音。練習用の木剣がぶつかり、不似合いに小気味よい音がした後、一方の剣が宙を舞った。
 それを目で追い、金髪の少年は悔しそうな表情で頭上を見た。両側に茂った木々の間に、青空が川のように細長く開けている。地面に落ちた木剣を拾おうと彼は素速く駆け寄るが、それ以上の俊敏さで、もう一方の人物が地面の木剣を脇に蹴飛ばした。同時に、少年の喉元に切っ先が突きつけられていた。幸い、木製の剣先であったし、実戦でもないのだが。

「分かったか、レーイ。いま俺がやったのと同じようにして、今度はこっちの剣を奪ってみろ」
 少年に木剣を突きつけていた男は、おそらく剣の師匠か何かであろうか、厳めしい口調でそう言った。
「それから、戦いの最中に、落とした剣を無理に拾おうとするな。どうぞ斬ってくださいとわざわざ隙を作っているようなものだ」
 木剣を構えた男は、見た目には狩人か野武士を思わせるような出で立ちである。森に溶け込む深緑と茶色が中心の質素な衣服、毛皮のヴェスト。濃い茶色の髪は肩口くらいまでの長さだが、彼の口元の髭と同様、お洒落というより無精のせいで伸びたもののようだ。
「でも、ヴィラルド……。素手で戦えというの?」
 現在のレーイよりもかなり弱々しい、とても剣士とは思えないような話しぶりでレーイ少年は言った。いや、少年というより、まだ子供だ。
 ヴィラルドと呼ばれた男は大声で笑った。
「違う。とっとと逃げろ」
「え、逃げるの?」
「そうとも言う。だが、あくまで防御の一環だ。戦いを諦めるというわけではない」
 ヴィラルドは木剣の先でレーイの背後を指した。牧場の柵だとか家の扉の支え棒だとか、その程度の用途に使えそうな手頃な材木が積んである。レーイ少年の腕より少し細い程度の太さで、両手で持って振り回せないこともない。
「たとえば、そこの手頃な棒を取って構えろ。それで相手の剣をかわしながら、悟られないよう、剣を拾える位置に徐々に戻るんだ。決して無理をせず、自信があるなら丸太ん棒で戦い続けてもいい。使い方と場合によっては、丸太や杖も剣より厄介な武器になることがある」
 そしてヴィラルドは告げた。
「いいか、逃げるときは逃げる。だが、勝つために逃げる。最後まで諦めるな」

 ◇ ◆ ◇

 ――ヴィラルド……。
 レーイは心の中でつぶやいた。
 こうしている間にも、次の瞬間、レーイの命はこの世から消え去ることになるかもしれない。《ステリア》の力を発動させたイーヴァは、時間をも操る人知を超えた能力を発揮し、レーイのカヴァリアンを一方的に追い詰めていた。
 これまで決して敗れたことのないギルドの栄光の騎士カヴァリアンも、今や無様に地を這っている。右腕を切り落とされ、片脚も破壊されたこの機体にとっては、身動きの取れぬまま、残された左腕でMTサーベルを構えるのが精一杯であった。
 対するイーヴァは、《彼女》の最終兵器であろう輝く光の槍を手に、満身創痍のカヴァリアンを仕留めようと構えている。荒ぶる戦乙女の振るう、旧世界の超兵器《神槍のファテーテ》だ。
 イーヴァを中心に荒れ狂う強大な魔法力。その嵐の中心で本性を現し、凍った美しさを見せるイーヴァの真の《顔》は、ますますもって不気味であった。冥府の女王、あるいは死せる美姫、それは乗り手の心の闇を象徴しているようにも思われた。気高く可憐なカセリナの中に同居する暗部、大切な者たちに対する思いの裏返しである情念。
 ――私は戦う。たとえどのような力を使おうとも、守ってみせる。
 うわごと同然に繰り返されるカセリナの心の声。
 ――だから力を貸して欲しい、イーヴァ、あなたの力を。

 カセリナの中の心象風景が、イーヴァの内に秘められたステリアの力と一体化し、異様な様相に変わっていく。

 得体の知れない暗黒の空間。
 純白の羽衣一枚をまとったカセリナの姿が宙に漂っている。
 それはあたかも闇の祭壇に捧げられた生贄のようでもあった。
 足元からどす黒い妖気が立ち込め、カセリナを取り巻き、無数の漆黒の蛇と化して彼女の体や手足を絡め取っていく。
 だがそれは苦痛ではなく、カセリナの表情は恍惚としていた。
 虚ろな瞳。
 もはや闇の力に取り込まれたかにみえるカセリナの魂。

 最後に彼女は、ある言葉を無意識に思い浮かべた。
 戦いの前、想いを寄せる人がナッソス家から離れるときに告げた言葉を。

 ――お嬢様、私は、帝国に組みする戦いには正義を感じられません。

 なぜここで思い出したのか。理由は分からない。彼女の胸の奥に最も強く刻み込まれていたものが、自然に現れ出たのであろうか。
 ――デュベール?
 暗黒の空間に、にわかに亀裂が走った。
 幻の世界の中でカセリナを飲み込もうとしていた闇は、たちまち霧散した。
 漆黒の蛇たちも、朽ち果てるように彼女の身体から落ちていく。
 ――私、私は。

 ◇

 ――MTシールド、最大展開。

 ぽつりと、レーイが念じた。

 輝く球状のバリア、結界型MTシールドがカヴァリアンの周囲を包む。
 ――この光は!
 我に返ったカセリナは、なおも狂気と正気との間で揺らめきつつも、周囲の変化を理解した。白熱する光のドームが大地に形成されている。その中にいるのはシールドを張ったカヴァリアンのはずだが、何故かイーヴァの姿もそこにあった。
 ――以前の空中戦のときと同じだ、カセリナ姫。敵を圧倒すると、つい間合いを詰めすぎるのは、貴女の悪い癖なのか。そして一瞬、心に隙があった。詰めが甘い。
 結界型MTシールドによって、レーイはイーヴァの攻撃を防ごうとしているのではなかった。二体のアルマ・ヴィオは、互いの機体が触れ合うほどの狭い結界の中に押し込められている。レーイは、いわば檻の中に自機とイーヴァを一緒に閉じ込めたのだ。

 その狙いとは……。


3 託された思い…命燃え尽きるまで



 ――まさか、相討ちを?
 レーイの予想外の出方に、カセリナは瞬時に様々な判断をめぐらせる。しかし、かえって進退きわまる現状に気づかされることになった。肩を寄せ合うような窮屈な空間では、イーヴァの俊敏な《足》は生かせない。身動きが取れなければ、レーイからの攻撃を回避することも難しい。仮にイーヴァの攻撃が先にカヴァリアンに致命傷を与えても、次の瞬間にはカヴァリアンのMTサーベルもイーヴァをとらえるだろう。たとえその場合、カヴァリアンの方は破滅することになろうと。
 一瞬の隙も見せられない状況のまま、密着した間合いで両者が睨み合う。
 ――なぜ、そこまでして。命を捨ててまで、何のために。
 カセリナには理解できなかった。《愛のためには戦わない》といった相手がすべてに代えても戦い抜こうとする理由が何なのか。
 ――こうなっては、その《光の槍》も容易には使えまい。閉じた結界の中で巨大な破壊力をもつ攻撃をすれば、貴女のアルマ・ヴィオも無事では済まないだろう。
 死を目前にしても一切動じないレーイに、カセリナはますます脅威を感じ始めた。念信を通じて相手に伝わってしまわぬよう、彼女は密かに思考を巡らす。
 ――シールドを中から破壊することはできる。でも、それに乗じてヴァルハートから攻撃を受ければ、今の状態では避けられない……。これは?
 不意にカセリナは目まいを感じた。
 ――こんなにも力を消耗するなんて。覚醒したイーヴァに私が追いついていない。
 レーイが読んでいた通り、いかにステリアの力を借りようとも、時間に干渉するなどという途方もない《魔法》をこれ以上繰り返すことはカセリナにも困難であった。エクターである彼女自身の力が、さすがに限界に近づいている。
 そのことをレーイも確信した。
 ――カセリナ姫が光の槍で俺にとどめを刺せば、そこで姫の精神力もおそらく尽き、彼女の機体は戦いから脱落する。そうなれば、すでに二体のレプトリアを倒され、《レゲンディア》クラスの機体の大半を失ったナッソス家の戦力など、後は陸戦隊や艦隊のエクターたちが突破してくれる。ギルドの勝利だ。

 ――これで良かったのだろうか、ヴィラルド。

 少年時代のレーイが、主であるヴィラルドの居なくなった空っぽの部屋に立っている。
 武具以外には遺品らしい遺品など無かったが、部屋の隅に置かれた粗末な収納箱の中に、他の雑多な品々と共に一冊の使い古された革表紙の手帳が見つかった。それを開き、しばらく目を通した後、少年は泣き崩れたまま立ち上がれなくなった。

 ――エレノア。

 レーイは、ヴィラルドと一緒に暮らしていたのであろう山小屋から、剣を手にして駆け出した。泣きながら、しかし何かの熱に浮かされて。そしてエレノアを見つけた彼は……。握っていた剣の感触が生々しくよみがえる。剣に貫かれて血を流しながらも、自らを手にかけた少年をなぜか抱きしめた、あの赤毛の女戦士。彼女がエレノアなのであろう。

 ヴィラルドの言葉がレーイの思いの中で再び響く。

 ――最後まで諦めるな。

 そして、いまわの際にエレノアが語った言葉。

 ――これは報いなのだ、憎しみの連鎖から抜けられなかった私と奴の。
 ――いいか、もう二度と、情念に縛られた手で剣を握るな……。自らの愛や正義のために戦う者は、たしかに強い。だが、それ以上に強くなって、不毛な争いの鎖をひとつでも多く断ち切れ。

 皮肉にも、死によって、彼女は長い長い悪夢から解き放たれたのであろうか。
 穏やかな表情のエレノアの姿が、レーイの脳裏に浮かんだ。
 結局、生きている間には彼女が手に入れられなかった安らぎ。
 血で血を洗う戦い、一族の怨嗟の果て。
 エレノアがようやく手にしかけた普通の静かな時間。
 それを、たとえ運命のいたずらにせよ、彼女から生命と共に奪い去った者は、
 レーイ自身だ。

 ――エレノア、俺は償いのために戦っているのではない。そうしたところで、貴女が喜ぶとも、俺が赦されるとも思っていないからだ。勝手だと言われるかもしれないが。俺は、あなたが最後に託した思いのために戦う……。そのために剣を振るうことで、この手が新たな罪にまみれ続けようとも。

 ――それでも俺は逃げない。生きて、最後まで重荷を負い続ける。矛盾した存在であるこの身が、いつか死によって解放されるまで。

 カヴァリアンが、普通であればもはや戦闘の継続すら難しい状況に陥っているにもかかわらず、繰士のレーイの闘志は鈍るどころかますます高まっている。

 ――もちろん、俺は簡単には死ねない。この命、燃え尽きるまで、生きて戦う。

 ――何なのよ、あなた、何なのよ、レーイ・ヴァルハート!!
 レーイの異様な情熱は、対するカセリナの狂気すら覚まさせるほどに強烈なものであった。彼女は寒気を感じ、思わず叫んでいた。
 しかし、さすがにカセリナも第一級のエクターだ。心の動揺をたちまち鎮め、相手に付け入らせる隙は与えない。

 まったく身動きできないまま、極限的な消耗の中で対峙するレーイとカセリナ。
 彼らの分身であるカヴァリアンとイーヴァ。
 一秒、一秒が果てしない時間のように感じられる。
 両者のいずれかが次の動作に移った時点で、戦いは決するだろう。


4 うなる攻城刀、バーン渾身の一撃!



 ――こいつ、さっきまでの荒っぽい戦い方のわりには、こうして静かに向き合ってみるとまったく隙が無い。無理に仕掛ければ向こうの思うつぼだが……。
 愛機アトレイオスの《目》を通して、バーンは、真正面に立ちふさがった敵方の《重戦士》ギャラハルドを注視する。
 鮮やかな青の鎧に身を固めたアトレイオスと、黒を主体とした甲冑の所々から赤い関節部分がのぞくギャラハルド。いずれの装甲も、平均的な汎用型アルマ・ヴィオのそれに比べると倍近くの厚みがある。それぞれの機体が手にした武器も、これまた半端なものではない。アトレイオスは、刃渡り20メートルを超える化け物じみた攻城刀を両手で握り、右肩部に担ぐように構えている。対するギャラハルドの手にした曲刀は、長さに限っていえばアトレイオスの攻城刀の3分の2程度ではあれ、刃の幅や厚さについては逆に攻城刀を余裕で上回る。両者とも並外れた重装甲ながら、それでいて互いに相手に対して一撃で致命傷を与える攻撃手段をも備えているのだ。
 ――俺とヤツの剣は五分五分。だがよ、あの《盾》がある分、あちらが有利か。守れば鉄壁、攻めに使えば必殺ってか。まったく、とんでもないモノを持ってきやがって。
 自慢の攻城刀を振りかぶったはよいが、次の一手がなく、攻めあぐねるバーン。両者は睨み合ったまま動きを見せない。いや、ムートの方はむしろ余裕の構えで待ち構えており、バーンだけが焦っているようにもみえる。
 ――下手な小細工が通用する相手でもないしな……。やめたやめた、似合わネェんだよ、無いアタマで俺があれこれ考えたところで!
 バーンが結論を下したとき、アトレイオスは電光石火の速さで突進し、瞬時にギャラハルドを攻城刀の間合いにとらえた。いや、そのときにはすでに刀が振り下ろされていた。何が起こったのかが明らかになる前に、耳をつんざくような音が最初に響き渡る。もはやそれは爆音。鋼と鋼の衝突が大気を震わせ、地面や空さえも揺さぶっているかのようだ。


【続く】



 ※2009年8月~11月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第44話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 しばらくの休息の後、彼が再び立ち上がって走り出そうとしたとき、別の足音が、いや、蹄の音が近づいてきた。急に馬のいななきを耳にして、アレスは慌てて振り返る。
 馬上には、見覚えのある男。彼の名をアレスはつぶやいた。
「フォーロックさん?」
「いきなり突っ走りやがって。まぁ待て」
 厳しい表情でフォーロックは告げる。彼も慌てているようだ。わざわざ馬に乗ってアレスの後を追ってきたなどと、尋常ではないだろう。
「でも、イリスが。あいつに何かあったに違いない!」
 詳しい事情は知らない。だがイリスの身に何らかの異変が起こったことを、野生児アレスは直感的に悟っていた。そして、気がついたら彼はフォーロックの家を飛び出し、走り続けていたのだ。
「分かってる……。分かってるさ」
 ひとこと、ひとこと、言葉を噛みしめるフォーロックの様子は、アレスに対してというよりも、自分自身に言い聞かせているようにみえた。

 ◇ ◇

 姿を消したイリスの身を案じ、アレスが夜の中へと駆け出した頃。
 同じく、《パルサス・オメガ》を復活させようとするメリギオス大師の企てが、ケールシュテン要塞の地下で着々と進められていた頃。
 つまり昨晩――夕刻にミトーニア市とエクター・ギルドとの間で講和会議が開催された後、武装解除の手続きの進む市内には、そこかしこにギルドのエクターたちの姿が目立つようになっていた。
 確かに見た目には胡散臭い冒険者や荒くれ野武士を思わせる連中であり、実際、中身もそのような人間たちなのだろうが、少なくとも街の人々が予想していたよりは遥かに整然と行動していた。洗練された自由都市ミトーニアの市民に比べ、繰士たちのやることなすこと、いささか不作法なのは普段通りだが。とはいえ、幸いにも、街や市民たちに暴力を加えたり罵詈雑言を浴びせたりするような者はいない。市参事会のお偉方たちが恐れていた略奪行為に及ぶ者など、もしろん皆無といってよい。無頼の賞金稼ぎや傭兵稼業のエクターたちの寄せ集めではあれ、さすがに《ギルド》という組織、必要最低限の統制は取れているのだろう。
 大通りに跋扈する繰士たちの群れを、街の人々は家の扉を閉め、二階の窓、雨戸の向こうから不安げにのぞいている。おそらく地方のギルド支部から出てきたのであろう、独特の南部訛りのあるオーリウム語で何やら叫んでいるエクターがいたり、そうかと思えば、まだ夜も更けていないのにすでに酔っぱらい、レマール海近辺に伝わる民謡を下卑た声で放吟している者たちもいる。

「何あれ。歌のつもり? そういや、キミの同郷人じゃない?」
 繰士たちの唱う音程外れの歌を聞き流しながら、短髪の若い女が、タロス訛りの強いオーリウム語で連れをひやかしている。その言葉だけでもすでにメイだと分かるのだが、彼女の男装を見れば一目瞭然だ。丈の短いダブルのジャケットと、膝下までの丈のぴったりとしたズボン(ブリーチズ)は、いずれも鮮やかなエメラルド色。サーベルと拳銃をこれ見よがしに腰にぶら下げている。
「すいません。たしかに、コルダーユのあたりで、よく聞く歌ですね」
 彼女の隣、山のような荷物を抱えたルキアンが少し遅れて着いてくる。
 そんなルキアンを見て、メイは仕方なさそうに、しかし気分は悪くないという顔つきで言う。
「で、なんでキミが謝るの。エクターになっても、ルキアンはルキアンってことか。まぁ、そこが、らしくていいんだけどさ」
 自分だけ手ぶらで身軽なメイは、面白がってルキアンの背中を何度もはたいている。いつも相手の肩や背中を引っぱたくのは、彼女なりのコミュニケーション手段のようだ。
「い、痛い……です。しかも、荷物、重いんですけど」
 両手で麻袋や木箱をいくつも抱え、ふらふらと危なっかしいルキアン。
 艦のクルーたちから頼まれた日用品の調達か何かだろうか。いや、物資の補給というよりは、メイの個人的な買い出しに付き合わされているようにもみえる。


6 帰るべき場所、闇の深さを知らず…



 華奢で中背な身体、いや、どちらかというと少し小柄な身体で、ルキアンは大荷物を抱えながらメイの後に着いてくる。ひ弱な少年には若干きつい買い出しの仕事だが、それでいて意外に辛抱強いルキアンのこと、腕力の尽きるぎりぎりまで我慢し続けるかもしれない。
 メイは時々振り返ってルキアンを見る。いや、次第に彼女の振り返る回数が増えてきた。何だか、気が気でないようだ。
 ――ちょっと無理させすぎたかな。あんまり我慢して、いきなり荷物を落っことすんじゃないよ。
 そんな彼女の気持ちなど知らず、ただ懸命に木箱と麻袋を抱えるルキアン。
「まぁ、そこがルキアンらしくていいんだけど。それにしても、こんな頼りなさそうな子が結構な腕前のエクターだなんて、いまだに驚きね」
 ミトーニアの繁華街、街がギルドに降伏した状況であるにもかかわらず、食堂や飲み屋は普段通り開いている。ギルドのエクターたちが押しかけ、むしろ賑わっているように見えなくもない。しかし、普段よりも柄の悪いよそ者たちの大騒ぎする声が、あちこちの酒場の中から通りにまで聞こえてくる。

 やがて二人は四つ辻に差し掛かった。と、ルキアンが不意に立ち止まる。
 ――あれ? あの人は……。
 左に折れる道の方、商家の立ち並ぶ通りの奥へと、ルキアンと同じ18歳前後の年頃の少女がそそくさと歩いていく。もうすっかり暗くなった市街だが、道に面した家々から灯りが漏れ、彼女の姿がぼんやりと照らされる。ランプを手に付き添っている使用人風の男たちや、彼女自身の整った身なりから考えて、この街の比較的大きな商人の娘というところかもしれない。暗くてはっきりとは見えないが、おそらくタロス共和国あたりからの輸入品と思われる、素人目にも上等な生地で作られた衣装を身にまとっていた。
 ルキアンの視線を感じたというわけでもないだろうが、ふと、娘は振り返り、すぐに何事もなく去っていった。
 清楚ながらも気の強そうな彼女の雰囲気に、ルキアンは、先日出会ったナッソス家の姫とどことなく似たものを見て取る。
 そして彼女の名を、ルキアンは心の中でつぶやく。
 ――カセリナ?
 彼はぼんやりと宙を見つめ、遠い目で今度は実際にその名を口にしかけた。
「カセ……」
 そこで我に返り、ルキアンは一人で頬を微妙に染めた。
 ――いや、いくら近くだとはいえ、まさかこんなところに居るはずなんて。
 そう、現実には全くの人違い、見間違えなどするはずのない次元の話だ。ただ単に、カセリナの姿を、通りすがりの娘に一方的に投影しているだけだった。

 ◆ ◇

 あのとき、穏やかに降り注ぐ春の光の中に立っていた、ナッソスの姫。
 凛とした気色の中に、ある種の脆さ、張り詰めた危うさがわずかに垣間見えていた。

 ――見かけない人ね。お客様? 私はカセリナ。この家の娘です。

 愛らしい桜色の唇から紡がれた、初めての挨拶。
 たとえそれが、今ここにある現実ではなく単なる回想であろうと、記憶に残るその優美な響きはルキアンの気持ちを改めて高揚させかけた。

 不意にルキアンの脳裏に、あのとき、彼が途中まで書き綴った詩が浮かんだ。

   降りそそぐ春の光の中で、
   闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
   僕は戸惑い、力無く震えている。

 だが突如、彼の胸の内にある風景が暗転する。
 怒りを内に秘めながらも、気位の高そうな取り澄ました顔で、今度はカセリナが冷たく言い放った言葉。

 ――そういえば、そこのシーマー殿とかいう方も、エクターなのですね? あんなに優しげな顔をしていらっしゃるわりに、人は見かけでは分からないものですわ。

 非難に満ちたカセリナの視線がルキアンに突き刺さる。どのような雄弁よりも強く、彼女の眼差しが告げていたのは、彼に対する露骨なまでの憎しみ。嫌悪感。

 ――あなたも私の敵だったの。ギルドの艦隊の人間だったのね。私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。

 想像の中で再び、ルキアンは一瞬の淡い光の世界の中から、いつもの暗闇の底へと叩き落とされた。そして現実に立ち返ったのか、いまだ夢の中なのかよく分からないまま、彼は自問する。

 なぜ僕はカセリナのことを思う。
 ただ失望を反芻するために? 痛みを思い起こすために?
 たとえそれが苦痛でも、その生々しい感触を僕は忘れたくないのだろうか。
 刻まれた痛みが、僕にとっての生の実感だとでもいうのだろうか。

 ◇ ◆

 先ほどからルキアンの返事が無いので、メイは彼の方を見た。
 なぜかルキアンは立ち止まり、左に折れる道の奥を、すでに誰もいなくなった路地の先を見つめ続けている。
「おい、少年、返ってこいよ!」
 メイは悪戯っぽい微笑を浮かべると、ルキアンの耳を軽くつかんで引っ張った。
「あ、は、はい……」
 なおも一瞬、反応が遅れた後、ルキアンは返事をする。
 メイはわざとらしく溜息をつく。彼女がふと顔を上げると、そこにあったのは、いまだ夢の世界に脚を半分突っ込んでいるルキアンの顔。どこを見ているのか分からない、彼の虚ろな気持ちを浮かべた虚ろな眼差しだった。
「何、ぼんやりしてんの、この妄想王!」
 メイに額を小突かれ、さらに大笑いされ、やっとルキアンは現実に返って来られたらしい。
 微妙な空気だ。メイも何と言って良いものか分からず、しばらく二人は通りを進み続けた。丁寧に石畳で舗装された道。人工的に石の形を整えるのではなく、パズルのように自然石をその形に応じてはめ込み、巧みに地面を埋めている。メイの靴の硬い足音が響く。
「……少年、いま何か、暗いこと考えてたでしょ?」
 ぽつりと、メイが言った。
 ルキアンからの返事はない。彼は黙って後を着いてくる。
 彼女なりに何度か考えあぐねたあげく、ただ一人、メイはぶっきらぼうに言った。
 直感的に、本質のことを。
「その、何だ……。やだな、こんなのは。そりゃ、あたしだって知ってる。キミは正直すぎるから、態度で分かっちゃうんだよ、今、何を考えていたかさ」
 通りは盛り場を過ぎ、気がつくと、静まりかえった町外れに至っていた。
 ルキアンが見たメイの瞳は、あの時と同じだった。コルダーユ沖での戦いの後、夕闇迫る艦内の廊下で彼女が見せた、冷たく憎しみに歪んだ目。それと同じだった。
「いったん《闇》をのぞいてしまった人間に、そっちに行くなって言っても、無理なのは分かってる。ぶっちゃけた話、だからあたしは、いまだにエクターなんて人殺しをやってる。普通の人間がエクターなんてやるわけないだろ?」
 メイは手を振るわせ、ルキアンの知らないところで剣の柄を握りしめた。
「あたしだって壊れてるのかもしれない。は? 聞くなよ、いちいち。キミとコルダーユで初めて出会ったとき、バーンの馬鹿が言っただろ、あたしの昔のことは」
「メイ……」
 タロスの大革命の際、メイが両親を目の前で惨殺され、その後もおそらく過酷な日々を送ってきたであろうことを、ルキアンは思い起こす。なぜか、彼女の姉貴分であるシソーラ・ラ・フェインの顔を思い浮かべながら。いつもは騒がしく傍若無人なこの二人には、共通の血塗られた過去があるのだ。
 低い声でメイは言った。暗がりのせいで、自分の今の表情をルキアンに見られなくて幸いだったと、彼女は思った。
「《闇》からは逃れられない。それでいいよ。でも、どんなに心の暗闇に魅入られても、最後にはこっちに帰って来い。分かった?」
 直感的に心情を言い当てられて、ルキアンには返す言葉がなかった。
 そんな彼の手にずっしりと抱えられた荷物、そのうちのひとつを取り上げると、メイは言った。白々しい咳払いは、彼女の中の何を隠した所作だったのだろうか。
「え、偉そうなことを言うようだけどさ、いつかキミにも意味が分かる。ルキアンがどんな過去を背負っているのかは知らない。でもさ、ルキアン、キミはもう一人じゃない。アタシらがいる」
「最後には帰って来いよ、それでいい。それでいいんだから……」
 不意に、激情家のメイがルキアンを抱きしめる。突然に抱きすくめられたルキアンの方が、身体と心を硬直させて立ちすくんでいる。

 だが二人とも――ルキアン本人も含め――彼につきまとう闇の深さを想像するべくも無かった。

 いつか明らかになるその真実は、我々の思いを超越していた。
 地獄の深奥、醜悪の果て、光の一切届かぬ底なしの闇。
 ひとことで言えば、最悪だった。


7 全てを知る者? 動き出す「僧院」



 ◇ ◇

「じきに月は満ちる……。《封印(プロテクト)》は解かれるだろう。こうしていると、夜の地平の彼方から《パルサス・オメガ》の心音が、冷たい狂気に満ちた鼓動が、早くも伝わってくるようだ」
 声の感じから察するに、4、50代くらいであろうか。濃紺のローブを身につけた男がつぶやいた。頭からフードを深々と被っており、彼の素顔は分からない。その手には、背丈と同じくらいの細長い銀色の杖が握られていた。杖の上部には、同じく銀の輝きを浮かべた金属の輪が数個、知恵の輪さながらに複雑につながっている。
 静寂の中、ローブの男は天を見上げ、杖の先で星々の海を指した。動きに呼応して輪がぶつかり合う。澄んだ響き――その清らかな音は、単なる銀色の金属の放つものではなく、おそらく杖が銀そのものによって出来ていることを思わせた。
「愚かなり、メリギオス。《巨人》を使って帝国を牽制し、彼らと手を組んで王国を手中に収めようと企んでいるのだろうが、いずれ待っているのは、欲に囚われた者に相応しい末路のみ。考えてもみよ、パルサス・オメガを従わせることに比べれば、魔王を従わせる方がよほどたやすいこと。悪魔の類は、魂を差し出せば契約に応じてくれるかもしれぬ。だが人の命や魂など、パルサス・オメガにとっては何の価値もない。奴は、我々人類が滅びるまで、すべてを排除し、世界の《浄化》を続けるだけの《狂った機械》だ。いや、狂っているのではなく、それが奴の作られた本来の目的」

 ◇ ◇

 もうすっかり暗くなったミトーニアの街を、ルキアンとメイが歩いて行く。
 石畳の大通りは盛り場を抜け、やがて少し道幅を細めて比較的静かな住宅地を過ぎた後、再び大路となった。じきに、彼らの前方、黒々とそびえるミトーニア市の壮大な城壁が目に入ってきた。
 城壁の裏側には防御用の塔や通路がいくつも設けられており、沢山の灯りが行ったり来たりしている。ミトーニアの市民兵はすでに武装解除したため、現在、武装して防衛に当たっているのはギルドのエクターたちであろう。暗がりに点々と浮かび、動き回るランプの光は、疲労したルキアンの瞳には、ぼんやりと蛍のように映った。
 もしギルドとミトーニアが全面的な戦いに入っていたとしたら、この山脈のごとき市壁を自分たちは破壊し、乗り越えねばならなかったのだろうか、とルキアンは思った。
 城壁の手前には水堀が巡らされており、所々、その水際には市民らしき人影が見える。それらの人々の方を顎でしゃくって、メイが言った。
「夕涼み? こんなときに、よくもまぁ。ギルドのならず者たちが市内に来たら略奪されるなんて恐れていた連中が……いざとなると、人間、逞しいもんだ、うん。でもまぁ、少なくとも今なら、砲弾は飛んでこないしね」
 ルキアンに申し訳ないと思ったのか、あるいはルキアンの体力の無さを実感したからなのか、いつ間にかメイも、ルキアンに持たせていた荷物を自ら半分ほど抱えている。彼女の短い髪が夜風に微かに揺れ、薄暗い中で、ツンと通った鼻筋が影になって浮かぶ。
 普段は口うるさくて乱暴なメイだが、こうして見ると、さすがにタロスの上流貴族というのか、端正に整った雰囲気を感じる。何故か気になって、ちらちらと横目を向けるルキアン。

 ◇ ◇

 濃紺のローブの男に、別の声が応じた。この二人目も同様にローブをまとい、銀の杖を手にしている。フードの下から、すでに白髪の方が多く混じった長い髪がのぞく。
「あのルウム教授が、たとえ冗談にでも《地上人》を救おうなどと考えたはずもない。パルサス・オメガが覚醒すれば、遅かれ早かれ世界は、いや、最初にオーリウム王国は焦土と化す。いかに《人の子の歴史》が《あれ》の手から解放されるための筋書きだとはいえ、お主の祖国オーリウムは重すぎる代償であろうに」
 その話が終わるか終わらないかのうちに、最初の方の男が否と告げた。
「いや、《人の子》が、自分たちの意思で自分たちの歴史を紡いでいけるように、未来のために。ならば私は、祖国も、この命もすべて捨てられる。事の成り行きを知っていたにもかかわらず、いや、だからこそ、私は《家族》さえも捨ててきた。コズマスよ」
 家族のことを口にしたとき、彼の言葉の響きに微かな感情が浮かんで消えた気がする。

 ◇ ◇

「あ、あの。メイ……」
「はぁ? 何さ、少年。かしこまって」
 とてもではないが上品とは言えない、彼女のいつもの話しぶりが返ってきたことに、ルキアンは少しほっとした。そして苦しみが、素直に彼の口を突いて出た。
「僕、怖いんです」
「何が? あたしが? とかいったら、ぶっ飛ばすぞ」
 ルキアンは思わず吹き出した。大げさだが、その笑みは心を開くための後押しとなった。
「そんな。違います。ぼ、僕は、僕は、優しい人が優しいままで笑っていられるような世界のために、覚悟したつもりで……。その、だからエクターの叙任式を受けたんですが、でも、あの、怖いんです」
 そこで、彼の声がいつものようにか細くなった。
「クレドールやギルドの仲間が戦っているとき、僕も何かしなきゃって、思うんです。でも、戦うのが怖い。アルフェリオンに乗って戦い続けているうちに、僕は《ステリア》の力に取り憑かれてしまって、いつか、いつか自分がただの兵器になってしまうんじゃないかって」

 ◇ ◇

 コズマスと呼ばれた白髪の男は、声の調子を落とし、喉の奥から絞り出すように言った。
「人の世の喜びを味わい続けるには、この手も、お主の手も汚れすぎた。《鍵の石版》を解読して《ロード》のための《実験》を開始したときから、我々は人としての資格を捨てて悪魔となったのだ。何の咎もない者たちを次々と犠牲にし、この身に永劫の罪を背負い、《あれ》と戦うために闇に堕ちた」

 ◇ ◇

 珍しく口数少なく、黙って聞いているメイ。ルキアンは続ける。
「ナッソス家のエクターの人と戦ったときも、色々と、心の中に暗い気持ちや嫌な思い出ばかりが浮かんできて……。歪んだ気持ちが、不満や怒りが、自分の中で抑えきれなくなりました。なんていうか、それで激高して……。何かが許せなくなって、もう戦うことしか見えなくなって」
 だから何なのだと言えばよいのか、ルキアンには分からず、そこで次の言葉が出なくなってしまう。するとメイが、周囲を眺めてみるよう、彼に身振りで促した。
「ほれ、キミが戦ったから、この街は焼け野原にならずに済んだ。は、結果論? 細かいことはいいんだよ。いま、こうして市民たちは穏やかな時間を取り戻している。あたしらも、ミトーニアの兵も、あれ以上、死んだり傷ついたりせずに済んだ。それは確かでしょ、ルキアン少年」
「それは……。はい。でも」
 静かに、だが力強く、メイはルキアンを諭した。
「ルキアンを兵器になんてさせない」
「えっ……」
「クレヴィーだって艦長だって、そう考えているから、戦いへの参加をルキアン君の自由に委ねているんだと思う。本当なら、ナッソス家の城だってミトーニアだって、アルフェリオンのステリアの力で一発攻撃すれば、それで簡単に片付くはず」
 一番言われたくないことを指摘されてしまったと、ルキアンは思わず立ち止まってうつむく。
「馬鹿、それをクレヴィーがキミに無理強いしないのは、いったん鎖から解き放たれたときのステリアの怖さを理解しているからだろ、多分。ルキアンの甘ちゃんさも、いや、優しさも、ステリアの暴走に対する一種の歯止めだって。何より、ルキアン君の思いを裏切ることになるし。まぁ、そんなやり方は、プロの戦士としては大甘で失格だけどね。自分や仲間の命がかかってんのに。でもギルドってのは、軍隊と違って、そういう融通が良くも悪くも効くところがいいのかも」
 ルキアンは何と答えてよいのか戸惑っていたが、少なくとも嬉しかったらしい。恥ずかしくもあり、黙って再びメイと並んで歩いて行こうとする彼に、いきなりメイの大声が飛んできた。
「こら、素直じゃないぞ、少年。メイ様の有り難い励ましを受けて、キミ、今のは微笑むところだっつーの!」
「す、すいません……」
 遠慮がちにそう言ったルキアンの表情に、不器用な笑顔が浮かんでいた。
 やがて二人は市門を抜け、城壁の外に停泊しているクレドールに向かう。

 ◇ ◇

 コズマスともう一人の男は、大理石を思わせる白い石で組まれた建物の中に居た。外壁はなく、丸みを帯びた石柱が大木のごとく立ち並び、屋根を支えている。鬱蒼とした森の中に開けた泉、月明かりに細波がひたひたと揺れる岸辺に、古代の神殿を思わせるその建築物はあった。
 いや、そこには二人だけでなく、その他にも十数名、同じ出で立ちの人間が黙って整列しており、どこか狂信者の集団を連想させる異様な雰囲気を醸し出していた。現世界の魔法体系に基づく魔法陣とは明らかに異なる、《旧世界》の魔法科学の不可解な記号や数式で埋め尽くされた魔法陣が床に描かれ、その周囲に円陣を組んでローブの人影が並んでいる。
 彼らの長であろう、威厳にあふれた様子で、コズマスは粛々と語り始めた。
「数日中に《大地の巨人》は復活し、《計画》は次なる段階に入る。おそらく《御使い》たちは、まだ我々の意図には気づいていない。ただし《御子》たちは力を覚醒させつつあり、《鍵の守人》も動きを見せ始めた中、今後は御使いの側も、これまでにない直接的な手を打ってくるだろう。だが恐れはしない」
 コズマスが杖を高らかにかかげると、同士たちも杖の輪をおもむろに鳴らして賛意を示す。ひと振り、激しく、コズマスの杖の先端で銀の輪が響いた。一座が静粛になったのを見計らって、彼は自信ありげにつぶやく。

「必ずや《ノクティルカ・コード》を、人類に勝利を。《月闇の僧院》の諸君」


【第45話に続く】



 ※2009年6月~8月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第44話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 科学と魔法の融合の果てに
   霊石ケレスタリウムの灰が招いたものは
     星の死であった。

 絶望―永遠の青い夜に閉ざされし地上、
   希望―天空植民市へと飛び立つ箱船、
     そのときから人は天と地に分かたれた。


◇ 第44話 ◇


1 旧世界誕生の秘密が遂に…



「考えてもごらんなさい。一方で高度な科学文明をもつ《旧世界》が、彼らの《科学》の見地から言えばおよそ迷信にすぎなかったはずの《魔法》というものを、同時に日常的に用いていたとは。不思議だとは思いませんか? クックック」
 お得意の薄気味悪い冷笑を交えながら、魔道士ウーシオンは言った。
 黄金色の刺繍と紫色の生地を所々に配した、純白の長衣をまとい、緩慢ながらも大仰な動作で両手を天にかざす彼の姿。居並ぶ者たちは、何か妖精の悪戯にでも巻き込まれたかのように、半ば引き込まれながらも半ば訝しげに見つめている。
「本来、旧世界に魔法など存在しなかったのですよ。まぁ、彼らが皆さんの《現世界》と同様の文化水準にあった時代には、人々の心の中に魔法や魔物に対する妄信が根ざしていましたが。そして、魔法など夢物語に過ぎなくなった頃、旧世界人は……いやいや、正確には、我々が《旧世界人》と呼んでいる者たちの先祖の一方、《地の民・フーモ》は、自らの世界を離れて星の大洋に漕ぎ出すことを、《科学》の力だけで実現するようになりました。後に《地上界》と呼ばれるもの、つまり彼らの母なる惑星《エルトランド》の周囲にも、《天空植民市》が徐々に築かれ始めるようになりました。まぁ、地上界と言っても、それが旧世界という言葉とどう違うのか、現世界の普通の皆さんには何のことだが分からないでしょうがね、ククク」
 ランプの光とは明らかに異なる奇妙な青白い光が、部屋を包んでいる。天井に輝く円盤形のガラス製の物体。曇りガラスの中身は定かではないが、おそらく、旧世界の遺産である《光の筒》が2,3本ほど入っているのであろう。
 その乾いた照明の下、円卓を囲んで10名ほどの人々が席に着いている。
 起立して話し続けるウーシオンの隣には、濃い茶色の髪に白髪の混じった、片眼鏡の中年紳士が座っている。《鍵の守人》の長、アルヴォン・デュ・ネペントだ。彼は目を閉じ、黙って話を聞いている。その隣には、真珠色に新緑を溶かし込んだかのような、神秘的な色の髪をもつ姉妹、アルヴォンの娘であるシディアとエイナがいる。
 なおもウーシオンの独り語りは続いた。
「フーモは、エルトランドから遠く離れた星の大海にまで進出していくようになりました。そんな中で彼らは、自分たち以外の知的な生命体と初めて遭遇することになったのです。フーモとは全く異なる文明……すなわち高度な魔法文明をもち、部族ごとに船団を組んで銀河を気ままにさすらう、《星の民・イルファー》」
 アルヴォンの正面に座っているのは、レジスタンスのリーダーであるレオン・ヴァン・ロスクルスだった。長い藤色の髪と精悍な顔立ちをもつ、寡黙な剣士だ。軍事大国ガノリス王国の中でも並外れた力量をもつ近衛機装騎士団《デツァクロン》の一人にして、王国最強のエクターであるロスクルスの名を知らぬ者はいない。
 彼の両隣にいる者も含め、レジスタンスの側の者は皆、烏帽子に似た黒い帽子を被っている。同様に全員が、絹を思わせる素材でできた道着のような白い衣を身に付けていた。その上に黒い厚手の衣をまとっている者もいれば、革のヴェスト、あるいは鎖帷子を身につけている者もいた。
 涼しい顔をして腕組みしているロスクルスの方を、ウーシオンはちらりと見やった。微笑を浮かべ、鍵の守人の魔道士は話に戻る。
「《イルファー》が侵略者や海賊などではなく、星海の吟遊詩人ともいうべき友好的な民であったのは、幸いでした。エルトランドの歴史が始まって以来、最初の異種族との接触は、成功裏に終わったのです。二つの民が交流するうちに、イルファーの中にはフーモとともにエルトランドに定住し始める部族も出てきました。その最大の理由は、イルファーの魔法にとって最良の触媒である《ケレスタリウム》の精錬に必要な《ある鉱石》が、エルトランドに多量に埋蔵されていると判明したからです」
 ロスクルスは顔色ひとつ変えず、ウーシオンの話に耳を傾けている。しかし、彼の隣に座っている短髪の女は、先程から苛立ちを隠せないようだ。まったくくだらない作り話だと言わんばかりに、彼女は渋い顔で首を振っている。
 そんな彼女の様子など、ウーシオンは気にとめてもいない。それがなおさら彼女を怒らせているようにも見えた。冷淡な魔道士は続ける。
「魔法の力、黄金色の髪、尖った耳を持つイルファーたちがエルトランドに住み着くようになってから……そうですね、まぁ、気の遠くなるような月日が流れました。そういう情緒的な言い方を私は好まないのですが、正確な記録が残っていませんのでね。クク。やがて、二つの民は文化的に溶け合っただけでなく種としても融合し、いつしか、我々が《旧世界》と呼ぶ超魔法科学文明が成立したのです」


2 永遠の青い夜、終わりの始まり



 ほっそりとした、いや、それどころか華奢と表現した方がよいであろう、ウーシオンの体は、彼の長身ゆえにいっそう痩せて見えた。金色の髪に漂う艶には、一点の曇りもない。無表情でいながらも、時おり悪魔的な輝きが浮かんでは消える、淡い水色の瞳。
 美しくも怪しげな魔道士ウーシオンが、そこまで語った後、居合わせた者たちは、呆気にとられて声も出なくなっている。
 だが、しばしの沈黙を経て、テーブルを拳で強く叩く音がした。
「貴様、我々を愚弄する気か? 真面目に答えなさい!」
 赤茶色の短髪の女が、怒鳴りながら立ち上がった。
「おや、旧世界の高邁な謎解きはお気に召しませんか、かわいいお嬢さん。ククク」
 別に嘲笑しているわけではないのだが、相手にはそうとしか見えない様子で、ウーシオンが横目で彼女を見た。
 その態度に対し、再び彼女は机を叩いた。
「か、か、かわいい、お、お嬢さん……だと? ふざけるな! 私は近衛機装騎士、リュスティー・ヴァン・ダルエスだ」
 ウーシオンは半ば無視して話を続けようとする。リュスティーはますます顔を怒りに紅潮させる。
「ともかく、我々は、そんなおとぎ話を聞きにやってきたわけではない! あなた方《鍵の守人》がどのような組織なのか、本当に旧世界から《秘密》を受け継いでいるのか、その点を尋ねている……。あ、はい。ロスクルス隊長……。申し訳ありません」
 彼女の横にいるロスクルスが無言で制した。見るからに勝ち気そうな顔つきのリュスティーだが、ロスクルスの命令には忠実なようだ。
 おそらく地下なのだろう、窓のない広間。旧世界の素材でできていると思われる壁に、ウーシオンの声が染み通る。
「しかし、豊かな自然に満ちたエルトランドにも、大きく歪んでしまう時がやってきたのです。クックック。《ケレスタリウム》は青く透き通った美しい石だったといいます。この《石》を媒介として自然界から引き出される巨大な魔力、それをフーモの科学によって創られた機械の動力としても使用可能にする技術が、生み出されたのです。《ケレスタリウム機関》は、まさに科学と魔法の結晶でした」
 《鍵の守人》とレジスタンスがテーブルを囲む中、両者とは別に、もう一人の男がウーシオンの話に聞き入っていた。服装からみてウーシオンと同業のようだが、魔道士の長衣は汚れ、裾も所々ほつれたり破れたりしている。切れ込んだ鋭い目が印象的だが、その割には態度は呑気で意外に親しみが持てる。曖昧なクセのある髪は、少し褐色がかった半端な金色、あるいは黄土色。《鍵の守人》の本拠地に強引な招待を受けた《御子》、《炎のパラディーヴァ・マスター》、グレイル・ホリゾードである。時々、何か考え込んでいるように見えるのは、いったん姿を消したフラメアと《会話》しているからであろう。
 他方、ウーシオンは、異様な眼光を浮かべ、高揚気味に言った。
「それが終わりの始まりでもあったのですよ! クククク。エルトランドのエネルギー不足を根本的に変えるかと期待されていた、大規模な《ケレスタリウム炉》の建設。でもやはり科学と魔法は相容れないのでしょうか、致命的な欠陥を発見できないままにケレスタリウム炉が始動し始めたその日、事件は起こりました。炉心の暴走によって生じた爆発は周囲の国々を焼き尽くし、エルトランドの一部の大陸の形すら変えてしまいました。いや、長期的に見て、爆発の被害よりも遥かに怖ろしかったのが……」
 ウーシオンは、意味ありげに、その場の面々の顔を見渡す。そしてつぶやいた。
「事故の際、巨大な火山の噴火さながらに、ケレスタリウムの灰が天高く巻き上げられ、風に乗って世界を覆いました。それ以来、明るい日差しが大地に降り注ぐことは無くなったのですよ。夕闇迫るような濃紺の空が、朝と昼のすべて。そして長い長い暗闇の夜。この鬱屈たる日々を旧世界人たちはこう呼んだのです」

 ――《永遠の青い夜》。

 ウーシオンが声に出すより一瞬早く、グレイルの胸の内でもフラメアがそう言った。彼女は続ける。
 ――しかも、ケレスタリウムは高純度な魔法力の塊みたいなもんだからさ。その粉塵が世界にまき散らされ、大気中を漂い続けたらどうなると思うね、マスター君?


3 天と地の亀裂の果てに生まれた巨人



 フラメアは長い溜息をついた後につぶやいた。
 ――そう、ご名答。毎日毎日、ケレスタリウム灰を吸い続けている生き物たちにも、そりゃ影響が出る。魔法力を帯びた微粒子が体内に蓄積されることによって、通常なら有り得ないほどの極端な突然変異が、短期間に様々な生き物の中に起こり始めた。よく分かんないけど、遺伝子に対してケレスタリウムの粒子は甚大な影響を与えるとか、そんな感じじゃない?
 ――い、イデンシ?
 ――あぁ、すまん、我が魔道士殿。旧世界の言葉よ。気にしない気にしない。で、過剰な頻度で繰り返される突然変異を経て、それまで見たこともないような生き物、アンタらのいう《魔物》が自然界に現れるようになったわけ。まぁ、これは、むかし《博士》から聞いた話。博士だってその時代には生まれてなかったから、どこまで本当かは謎だけどね。
 ――その名残の魔物やら妖精やらが、今でも山奥で悪さをしてるのか。旧世界が滅びても災厄の残りカスだけは現世界まで。まったくもって迷惑な奴らだな、旧世界人は。
 お気楽にそう応えたグレイルだが、対照的にフラメアの口調が若干深刻になった。
 ――旧世界人。たしかに、人体に対してもケレスタリウム灰の影響が出ないわけはない。実際、《前新陽暦時代》の終わり頃までその辺に時々いたっていう、トロールだとかオークだとかってのは、ひょっとするとケレスタリウムに冒された人間のなれの果てじゃないかって、アタシは考えてるけど?
 フラメアとグレイルが無言でかわしているのと同様の話を、ウーシオンが口にしている。
「《永遠の青い夜》に閉ざされたエルトランドは、このままでは遅かれ早かれ滅亡するか、魔物の楽園になるか、そんなところでした。地上の人々は、魔物を恐れ、あるいは自分自身や周囲の人間がケレスタリウム灰の影響で魔物同然に変わってしまわないかと怯え、終わることのない薄闇の中で絶望の日々を送っていました。日照の弱い世界では、もちろん、食料になる農作物も不十分にしか育ちません。そこでエルトランドの最高指導者たちは決断します。すでに実験的な移民の行われていた《天空植民市群》を大規模に拡充し、そこに新たなエルトランドを造ろう考えたのですよ」
 ウーシオンはそこでしばし沈黙し、誰かに次の発言を促しているようにも思われた。そのことを知ってか知らずか、重厚な声でアルヴォンが代わりに告げる。
「そう、種としての人類を維持するため、各国から選ばれたエリートたちが天空植民市へ移民することになったのです。人類の希望、彼らは《アークの民》と呼ばれるようになりました。後の《天空人》の第一世代です。他方、死せる惑星(ほし)と化した大地に取り残された人々には、希望などありませんでした。やがて彼らは《地上人》と呼ばれるようになります。これが《天上界》と《地上界》の始まりでした」
 アルヴォンは正面のレジスタンスのメンバーを凝視する。
「人類の下した決断の是非はともかく、結果的に旧世界が二つに引き裂かれ、その亀裂がやがては旧世界自体を滅亡に追い込むことになるとも知らずに……」

 ◇

「《永遠の青い夜》の災厄が起こらなければ、旧世界があのようなかたちで《天上界》と《地上界》に分かれることも、おそらく無かった」
 同じ頃、闇の中で小さな灯りを前に、そうつぶやいている者があった。
 底知れない規模の漆黒の空間、その広き闇を照らすにはあまりに心許ない燭台の火が、いくつかゆらゆらと揺れている。薄い橙色の灯りに浮かび上がる床の魔法陣と、その中心に座して瞑想する男の姿。ときおり彼が、周囲の空気を切り裂く鋭い気合いとともに呪句を口にすると、蝋燭の炎が不意に大きくなり、火花が飛び散る。
「それでも、天上界の《天空人》たちが思い上がることなく、地上人に対する理不尽な搾取を行っていなかったなら、天と地の間に大戦が起こることもなく、《そなた》が生まれることも無かったであろうに……」
 頭部にターバンのような布を巻き付け、苦行僧を思わせる風体の大柄な男。年齢は不詳だが、これまでに無限の時を生きてきたかのような、生身の人間を超越した独特の静かな威圧感をもっている。《パラス・テンプルナイツ》の一人にして、底知れぬ力を秘めた大魔道士、アゾート・ディ・ニコデイモン。
 暗黒の空間に突き出した円形の祈りの座。アゾートは、そこから遥か下にいる《何か》に語りかける。

「そうであろう、異形のものよ。大地の巨人《パルサス・オメガ》。そなたは人の子の手で創られ、人の子の歴史を終わらせる者なり」


4 黒き蝶の羽根! もう一人の…



 果て無き地底の空間に、付近の影の色よりもいっそう黒き口を開く広大な縦穴。それは冥府への入口を想起させ、あるいは漆黒の湖面を思わせもする。その奥底に潜む《巨人》に、アゾートはさらに語りかけた。
「応えぬか……。間もなく汝は目覚めよう。それまで、今しばらくのまどろみの時を。良き夢を見るがよい」
 《神の目・神の耳》と呼ばれる人知を超えた感覚をもつ彼ならばともかく、他の人間には、眠りについたままの巨人の反応など感じられはしない。もっとも、そのアゾートにしても、現時点で《パルサス・オメガ》と何らかの意思疎通ができているかどうかは怪しいものだが。
 荒涼たる岩山に連なる、一見してうち捨てられた遺跡にしか思われない、王家の《ケールシュテン要塞》の地下深きところ。アゾートは、この地下聖堂で《パルサス・オメガ》と向き合ったまま瞑想を続けている。もう何日になるのだろう。
「し、失礼いたします、アゾート様。先ほどの不手際、お許しください」
 近衛騎士とおぼしき二人の男たちが、彼の背後から遠慮がちに声をかけた。騎士たちが側に居たことなど、アゾートはすでに知っている。いや、彼らが考えていることも大半は察しているであろう。
「旧世界の娘、イリスは静まったようですね。当分、《力》は使えないでしょう」
「そう願いたいものであります。しかし、またどんな力を使うか分かりません。念のために魔法封じの措置を幾重にも施し、拘束してあります」
 若干、言いにくそうに騎士の一人が告げた。彼に気をつかったのか、アゾートが意外に優しげな声で答える。
「名誉ある騎士の貴君たちに、かよわき乙女を野蛮に扱わせ、申し訳なく思います。それも王国のため。彼女らは《パルサス・オメガ》を覚醒させるための《鍵》」
 近衛騎士たちはひざまずき、大仰に礼をした。
「はい。ご命令通り、《巨人》と旧世界の娘たちの意識をつなぐための《カプセル》の準備もあとわずかで整います」
「ご苦労でした」
 低く柔らかな声でアゾートは告げる。近衛騎士に背を向けて座禅を組んだまま、彼は心の中でつぶやき、つい先ほど起こった出来事を回想する。
 ――それにしても、あれは一体……。

 ◇ ◆

 燃え盛る爆炎さながらの霊気に包まれ、黄金色の髪を逆立てたイリス。
 その瞳は青白く輝いている。
「許さない。許さない、許さない!」
 彼女は、うわごとのように何度も何度も怒りの言葉を繰り返す。その言葉に煽られてでもいるのか、彼女の周囲を取り巻く強烈な光はますます強さを増し、輝きに飲み込まれた兵士たちは気を失って倒れていく。
 その場で意識を保っているのは、アゾートとエーマだけであった。イリス自身も、自らの莫大な《力》を制御できない様子で、いたずらに荒れ狂うのみ。

「あ、頭が、割れそうだ!」
 エーマは立っていることすらできず、床に片膝をついた。間もなく両掌も。そして遂に耐えきれず、白目を剥いて前のめりに倒れかけた、そのとき……。

 気を失ったはずのエーマの目が大きく見開かれ、身体の動きが止まった。ふらりと立ち上がり、彼女はイリスの方をじっと見つめる。依然としてイリスの魔力は暴走状態にあるが、先程までとは異なり、エーマは全く影響を受けていないように見える。

 ◆

 無言のまま、エーマはおもむろに右手を前に突き出した。
 その先、獰猛な霊気の嵐の中にイリスがいる。
 津波のように、エーマを今にも飲み込まんばかりに向かってくる《力》。
 だが、暗黒の空間に充ち満ちた魔力の渦は、何と、彼女の掌の前で瞬時に消えた。いや、これは確かに、彼女が消し去ったのだ。
 その姿は不思議と神々しかった。何というのか、神話の――荒海に手をかざし、凪へと鎮める女神のようでもあった。
 さすがのアゾートも、いくらか感嘆するところがあったらしい。彼は相変わらず座して動かぬまま、目を見開いた。
「なるほど。何故このような、さしたる力も持たぬ者がパラスナイトであるのかと不思議に思っていたら。そういうことであったか」

 奇妙な光景。エーマの外見は普段通りだ。肌を極端に露出した黒革ずくめの衣装、真っ赤に染めた髪、毒々しい紫のルージュ。しかし、その猥雑な姿がまとう雰囲気は、近づくことさえはばかられる、崇高ながらも畏怖心を呼び起こさずにはいないものだった。
 いつの間にか、エーマはイリスに手の届く位置に立っており、旧世界の娘の左右の頬に両の手でそっと触れた。一瞬、周囲が黒い霧に覆われた。いや、本当は色も実体も無いのだが、黒い風を思わせる何かが、あたりに満ちた気がした。
 イリスの《力》さえも遥かに超える魔力のうねり。それが次の瞬間、暗闇の空間に広がった。地上へと突き抜け、地の底を貫く絶対的な力の波動は、一転、エーマの背を中心に不気味に輝く蝶の羽根の姿をとり、やがて霧散した。
 この《黒き蝶》によってすべてを封じられたかのように、イリスは急に気を失い、エーマの腕の中に抱き留められた。
 沈黙。静寂。
 アゾートの声が静かに響いた。

 「お前は《誰》だ?」

 ふらりと振り返り、エーマはアゾートの方を見る。何か言おうとしたのかもしれない。だが彼女は、そのまま倒れた。不意に糸の切れた操り人形のように。

 ◆ ◇

「まぁ、良かろう。あとは星を、《儀式》にとって最良の位置に諸天体が来る時を、いましばらく待つのみ」
 口元をわずかに緩め、深呼吸した後、アゾートは再び瞑想に入った。
 その祈りを妨げぬよう、近衛騎士2人はそそくさと立ち去る。
 大魔道士の体からは青白い霊気が立ちのぼり、煙の如く揺らめくその神秘的な輝きと共に――よく見ると、鎮座した彼自身の体も、微妙に宙に浮かび上がっているではないか。
「まもなく満月の晩が訪れる。《力の言葉》も《姉妹》も我らの手に。《大地の巨人》は再び目覚め、すべては白紙に返る」
 他に誰もいなくなった暗がりの中に、アゾートの声が染み通った。

 ◇

 同じくケールシュテン要塞の内部、今やイリスは、姉のチエルと共に完全にパラス騎士団の手の内に落ちてしまった。
 金属製の分厚い壁と扉。外の廊下から松明の灯りが、鉄格子のはまった小さな窓から漏れてくる。薄暗い鋼の小部屋、イリスは頑丈な手枷と足枷を付けられていた。この華奢な犠牲者に対し、猛獣、いや、魔物でも閉じこめておくような厳重さである。
 そればかりではない。イリスの額には、小さな魔法陣を思わせる記号が朱色で描かれていた。超自然的な力の発動を封じるための術なのだろう。同じく魔力を抑えるためであろう呪文の刻まれた真鍮色の頑丈な輪が、細い首に嵌っている。
 気丈にも、涙ひとつ浮かべず、黙っていた。
 不意にアレスの笑顔が思い浮かぶ。覚悟は決めたはずなのに。
 二つの想いが彼女の中で交錯する。

 ――アレス、助けて……。いいえ、アレス、来ないで。


5 光と影の少年たち、ルキアン再び



 ◇ ◇

 王郊外に広がる夜の田園。遠く暗がりの向こうから二つの足音が聞こえてくる。
 砂利道を踏みしめ、乾いた下草と擦れ合う音が、次第に近づいてきた。
 耳を澄ませてみると、一方は硬い靴底が地面を鳴らす響き。他方は地面の上を飛翔しているかのような軽やかで素早い響きだ。
 人影が見えた。息せき切って少年が駆けてくる。彼の後ろを伴走するかのように、狼に似た白い獣もやってきた。
 やがて、一人と一匹の足音は止まった。
「……まったく。昼間に歩いてきた道だから、大丈夫だと思ったんだけどな」
 荒い息と共にアレスの声がした。
 白い獣、いや、正確には《魔物》のレッケが鼻を鳴らして彼にすり寄った。その首を抱き寄せながら、アレスは溜息をつく。
「近道しようとしたのが間違いだったかなぁ、レッケ。さっきよりも都の灯りが遠くなったような気がしないか?」
 彼が指さした方角、闇の中にぽつんと浮かぶ光の島。王エルハインの夜は長い。
「この大変なときに何やってんだよ、俺」
 雲もなく澄み切った夜空から月明かりが降り注いでいる。満月も近い晩、いつもより月光は輝きを増しているはずだ。だがその貴重なともしびも、人家もまばらな広大な夜の平野を照らし出すにはまったく不十分であった。
「よく分かんないけど、《あいつ》に聞いたら分かるはずだ。《イグニール》には、離れていてもイリスの声が聞こえるみたいだったし。でも、肝心のイグニールを隠してきた場所まで、道がよく分かんないってのがなぁ。都の反対側の森……」
 目には見えない夜の地平の果てまで、闇の世界が続く。アレスの声が周囲に吸い込まれては消えていく。完全に迷子になっているのだが、ともかくイグニールを置いてある場所まで勢いだけで辿り着こうとするアレスだった。


【続く】



 ※2009年6月~8月に、本ブログにて初公開
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続きは、この後。さぁテレビをつけよう!(^o^)

連載小説『アルフェリオン』まとめ版アップの続き、今から放送の『魔法少女まどか☆マギカ』終了後に続けます。今は第43話分を追加して小休止。

まだ起きてる関西人で、まどか観たことない人は、だまされたと思って今から速攻でテレビつけて観てください(^・^)。毎日放送、深夜1時25分から!

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第43話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


9 絶望の中で立ち上がるレーイ…。



 ◇ ◇

 青白い光をまとったイーヴァ。揺らめく輝きの中で、その機体はわずかに宙に浮いているように見える。《ステリア》の力という闇の衣をまとった天女。
 美しくも禍々しい敵の本性を前にして、さしものレーイでさえ恐怖に飲まれていた。もちろん、百戦錬磨の繰士である彼は己の感情をコントロールできる。恐怖の気持ちを、少なくとも己の実感できる意識の中からは消し去り、無心の境地を保っているのだ。しかし、無意識下において本能的な恐怖は次第に大きくなり、彼の体を塗りつぶしてゆく。
 かろうじて機体の動きを取り戻し、レーイは徐々に後退する。練達のエクターの動きは《無》や《空》に通ずる。その動きはあまりにも自然で、カヴァリアンとイーヴァの間に、気がつけば一歩や二歩の踏み込みでは届かない間合いが生まれた。

 そのはずだった。だが……。
 レーイの目の前から、イーヴァの姿が消えた。
 いや、消える間すら見せず、死の女神は目の前に突然いたのだ。
 ――速い。
 改めてレーイがそう思うより先、敵の無慈悲な剣がカヴァリアンを襲っていた。だが、その刃はカヴァリアンには当たっていない。驚くべきことに、自分の感情がわき起こる前に、レーイは無意識に回避していたのだった。
 ――さすがね。
 カセリナからの念信。それは、先ほどまでの狂気のような激昂から彼女が立ち戻ったことを思わせた。だが実際には、心の声の表面的な静けさとは裏腹に、憎しみや怒りは彼女の中でいっそう大きくなっている。
 ――たった一太刀さえ、あなたの目には映っていなかったはずなのに。
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鈍い衝撃が地面に轟く。何かが落ちた。カヴァリアンの右手首が断ち切られ、MTサーベルを握ったまま地面に転がっている。続いて二の腕の部分が、自らの重みに耐えかねるかのように、伝達組織や動力筋の糸を引いて本体から滑り落ちた。
 ――どういうわけかすべての攻撃を先読みし、腕を犠牲にすることで本体への直撃をかろうじてかわしたのね。あなた、本当に人間?
 カセリナは驚嘆するように言った。その声は病的な高揚感を微かに漂わせている。
 何が起こったのかは分からない。イーヴァの体が青白い輝きを一段と増したときに、どのようなことがあったのか。
 静かに、自らをなだめるかのごとく、レーイは口にする。
 ――《ステリア》の力による超加速? いや、違う。アルマ・ヴィオが本当に今のような速さで動くことなど物理的に不可能なはず。幻覚でもない。
 その答えを彼は直感的に悟った。

 ――あり得るとすれば、周囲の時間への干渉? しかし、そんなことが。

 ◇

「いけませんね」
 遠眼鏡を手に艦橋のガラスの向こうをのぞいていたクレヴィスが、首を小さく振った。
 彼の姿を黙って見つめる黒髪の美女。艦の念信装置を操作するセシエルは、彼の眼差しから速くも次の指示を読み取ったようだ。クレヴィスも言った。
「直ちに退却するよう、レーイに念信を。当初の目的は達しました。ただ、退却できれば……の話ですが」
 一瞬、ブリッジの中がざわめく。信じられないような顔つきで互いを見るクルーたち。
 煙草を手にしたカルダインが、深い溜息をついた。
「まさか」と言いかけ、そこで言葉を飲み込んだまま、ルキアンは思わず窓の方へ駆け寄る。彼をちらりと見やると、クレヴィスは言葉を続けた。
「うかつでした。まさかアルフェリオン以外にも、《ステリア》の力をもつ機体があるとはね。ルキアン君、あなたなら分かるでしょう、あの禁断の力がいかに我々の想像を絶するものであるか」
 ――レーイさん……。
 銀髪の少年は、ひ弱な背中を見せながら、窓外の遠くに黙って目をこらすしかなかった。

 ◇

 レーイの母艦である飛空艦ラプサーにおいても、艦橋は騒然としていた。
「彼を失うわけにはいかない。カインに指示して狙撃させろ! いや、それとも……」
 乗員たちの冷静さを保たせようとしてか、若き艦長ベルナード・ノックスは無闇に動き回っている。だが実際には彼自身に一番落ち着きがない。
「無・理・ね!」
 敢えて大声でそう言ったのは、シソーラ副長であった。
「馬鹿ね。彼にさえ手に負えない相手を、私たちがどうにかできるとでも?」
 彼女は、茶化したような口ぶりで、しかし毅然とした態度で告げる。
「信じて見てるしかないワケよ。何しろ彼は……レーイ・ヴァルハートなんだからさ」

 ◇

 そうこうしている間にも、今度は、カヴァリアンが片膝を着いて地面にしゃがみ込んだ。機体の左膝の関節が完全に砕かれている。だがイーヴァの方はといえば、その手にした剣が舞っている様子さえ見て取れない。ただ、羽衣さながらに機体にまとわりつく青白い光が、輝きをさらに増しながら揺らめいているだけだった。
 ――エクター・ギルド、ザックスとパリスの仇。これで最後よ。
 目の前に膝を突いたカヴァリアンを見くだすように、カセリナは言った。
 金属の作り物にしてはあまりにも生々しい、沈鬱としつつ、それでいて今にも絶叫しそうなイーヴァの《素顔》。能面のごとき死相の美姫の表情が、わずかに蠢いたように思えた。胸甲部分の真ん中に姿を現した輝くレンズ状の物体がますます強い光を帯び、白熱化、あるいはそれを通り越してもはや閃光とさえ呼べる輝きを見せる。

 空中に向けておもむろに片手を上げたイーヴァ。その背後の空間が波紋を描くように揺らめき、輝く何かが真っ直ぐに顔を出す。否、イーヴァの手が、異なる世界から何かを現世へと招いている。そう形容した方がよかった。
 ――恐れおののくがいいわ。私も初めて知った、イーヴァの真の力の前に。この感じ、この何とも言えない心地は……。
 あたかもカセリナの言葉は、高熱に浮かされ、うわごとを口走っているように聞こえた。快感に飲み込まれていく。何者かに、このまま操られてしまっても構わない。彼女は忘我の底に次第に落ちていく。
 ――何者にも決して避けられない定められた運命、《神槍のファテーテ》。
 空間の歪みから現れた棒状の光をイーヴァの指先がとらえ、ゆっくり引き抜こうとする。
 ――光の刃、いや、空間から《槍》を?
 だが、目の前で起こっている怪異あるいは奇蹟よりも、念信から伝わってくるカセリナの心のあり方にレーイは衝撃を受けていた。もはや彼女自身で念信を制御し、言葉を発しているのではない。ただ、明確な形をとらないままの情念が、溢れるように漏れ出しているだけだ。
 ――落ちていくのかカセリナ姫、奈落へ、これが《ステリア》の闇?
 絶望的な状況であったはずだが、燃え盛る憎悪と異常な快楽の中に自我を失っていくカセリナを感じたとき、レーイの胸の奥に不意に強い炎が灯った。

 ――決して負けるわけにはいかない。情念に飲まれ、血の連鎖を繰り返そうとしている者には。そのために俺は、俺は……。

 独り、心の声で、彼は陰惨につぶやいた。
 魂に刻まれた永遠の傷から、どす黒い血の涙を滲ませるように。

 ――本当は贖罪をすべき手で、なおも許されざる剣を握り、罪の上に罪を重ねてきた。敢えて血の通わぬ大義や道理のためだと、あるいは要りもしない金のためだと自分をごまかし、俺は、敵を……そう、自らの想いに忠実に戦う者たちを葬ってきた。

 ――もう引き返せない。俺は、負けるわけにはいかない!


10 迫る帝国、ギルドも新型機を投入?



 レーイの決意とは裏腹に、彼の機体《カヴァリアン》は右腕を失い、左脚も関節を破壊されてほとんど動かない状態だ。かろうじて地を這うように移動することはできるだろうが、そんな無防備なことをすれば、一瞬でイーヴァの餌食になってしまうだろう。
 もとよりレーイは無理に動こうとしてはいない。カヴァリアンは片膝を着き、残された腕でMTサーベルを構えたまま、イーヴァが間合いに入ってくるのをじっと待っているように見える。
 ――あの機体は《ステリア》の力によって速さを極限まで高めているだけではない。相手が速くなっただけでなく、俺の方が《遅く》なっている。そう考えればつじつまが合う! おそらく何らかの力によって、あの機体は、ごく限られた範囲ではあれ周囲の時間の流れを遅らせることができ、しかも自らはその影響を受けない。
 旧世界の超魔法科学文明の滅亡を招いたという禁断の力。これをもってすれば、時の流れさえも操ることができるというのか。レーイは改めて戦慄する。
 ――たとえ自由に動けたところで、カセリナ姫の機体の動きに対応することは不可能。
 それでも彼は望みを捨てていなかった。
 ――だが、いかにステリアの力を借りたにせよ、時間への干渉など、そんな《魔法》を何度も使えるはずはない。

 ◇ ◇

「予定通りだ。しかし、一縷の望みに期待していなかったわけでもない。《奇跡の船》クレドールの起こす奇跡に」
 議会軍本部・アムスブール基地の一室、マクスロウ少将が報告書を手に机に向かっている。肩先まで伸びた銀髪と、柔和さの中に鋭い眼光を秘めた青い目。元帥の懐刀と名高い有能さが、彼の知的で端正な雰囲気からも想像される。40歳を超えたばかりの若さで少将にまで昇進した、議会軍屈指のエリートだ。
「さすがに王国随一の大貴族ナッソス家、手強いな。帝国軍の到着までに城を落とすことができるかどうか。エレイン、その後、国境の動きはどうだ?」
 少将に尋ねられ、秘書のように付き添っている女性士官が答えた。
「まず、ガノリスに展開する帝国軍本隊には、今のところ目立った動きはありません。各地で反攻を続けているガノリス軍の残存兵力に手を焼いているのかと。浮遊城塞《エレオヴィンス》や帝国の飛空艦隊にも、ガノリスから離れる様子はみられません」
 几帳面そうには見えるが、どことなく地味でぱっとしないエレイン・コーサイス。しかし彼女も、議会軍の中で女性としては異例の佐官である。
「ガノリスも都を失ったとはいえ、残存兵力は潤沢だ。しかもあのレオン・ヴァン・ロスクルスをはじめ《デツァクロン》が背後に暗躍するままでは、さすがに《神帝》も動きづらいだろう。しかし妙だな。不用意に森に踏み込んでロスクルスたちを真正面から掃討しようとすることは、帝国としても得策ではなかろう。だが、ガノリスの残党を封じ込めておくだけなら、貴重な兵力をあれほど貼り付けておく必要もない。ともあれ《コルプ・レガロス》が今しばらくこちらに向かってこないだけでも、オーリウムにとっては好都合ではあるが、解せんな……」
 マクスロウは何か腑に落ちない様子で、細い顎に手をやった。しばし考え込んだ後、彼はエレインに対し、報告の続きをするよう促した。
「《レンゲイルの壁》に接近しているのは帝国先鋒隊、ほぼ、その全軍です。大規模の軍勢でありながら、先鋒隊の主力は通常の部隊よりも遥かに速く移動しており、このままですと予想よりも半日ほど速く国境に現れる可能性もあります」
 不安げにそう告げた彼女をなだめるように、落ち着いた心地よい声で少将は言う。だが彼の話した内容は、むしろエレインをいっそう心配させるものだった。
「彼らには《馬》があるのだよ。アポロニア・ド・ランキア率いる鋼の騎士団、帝国先鋒隊か。何としてでもレンゲイルの壁で食い止めなければ。壁が破られ、この基地を抜かれた場合、もはや王へ向かう先鋒隊を遮るすべはない」
 マクスロウは手を組み、おもむろに遠くを見つめた。
「だからこそギルドの動きに期待せねばならん。我々としても、それなりの《見返り》を与えたつもりだ。相応の働きはしてもらいたいものだな」
「見返り……」
「もともと彼らは《商売》として戦う者だ。愛国心だけで軍に味方したわけではない。そう、見返りも要る。たとえば君も知っている通り、《アートル・メラン》の《創成譜》と《体素表》を渡したことにしてもそうだ。上を説得するのに本当に骨が折れたよ」

 ◇

 同じ頃、巨大な内陸港を従えたネレイの街にて。エクター・ギルドの本部では、グランド・マスターのデュガイス・ワトーが何かを待っていた。熊を思わせる体躯を机に寄せかけ、前屈みで退屈そうに座ったまま、先程から動かない。
 いつもであれば彼の側に腹心のカリオスが居るのだが、カリオスは反乱軍との決戦のためにレンゲイルの壁に出撃している。まどろみを誘う午後の時間の中で、デュガイスがあくびをしかけたとき、扉をノックする音がした。
 僧服のような灰色の法衣を身に付けた眼鏡の青年が、息を切らして駆け込んできた。その風体や雰囲気からみて、ギルド所属の魔道士か何かのように思われる。よく見ると、彼の腰には太い革ベルトが巻かれており、そこには同じく革製の道具箱がいくつも取り付けられている。
 肩で息をしながら、青年がグランド・マスターの名を呼ぶと、ベルトの道具箱の中でガチャガチャと金属音がした。いくつかの工具、薬品入りの缶、不可思議な水晶玉、そして十字架に似た形状の儀式用短剣が皮ケースから一部をのぞかせている。
「グランド・マスター、《生まれ》ました!」
 彼は、アルマ・ヴィオの創造や整備専門の魔道士だ。身に付けている儀式用の短剣も、先ほど地面に魔法陣を刻むために使われたのだろう――新たなアルマ・ヴィオをこの世に創造するために。
「当初の予定より、アートル・メランの《創成譜(ノータ)》の解析に時間がかかりましたが、何とか間に合いましたよ。翼や本体の変形に必要な器官を生成するためにどのような譜面を使っているのか、完全に解読できました。おかげで我々はもう三日も徹夜続きです」
 デュガイスは満足げに頷くと、今まで我慢していたのか、机の上にあった素焼きの酒壺を手に取って中身を口に注ぎ込んだ。
「あの創成譜と体素表は、軍としても最重要機密のひとつ。何しろ、現世界では飛び抜けた変形能力をもつ機体だからな。最初は向こうも《形成譜(コーダ)》をよこしやがったが、こちらが欲しいのはアートル・メラン自体を模造する技術ではなく、あの機体の変形能力の秘密……どんな《呪表符》の組成で創成譜が書かれているのか、そこだろう。まぁ、最後に軍も折れたが、あちらさんとしては、多くの見返りを積んででも今回の戦いにギルドの支援を得たかったわけだ。で、ついに完成か?」
 グランド・マスターの言葉に相づちを打ち、青年は言った。
「はい。旧世界風に言えば、プロトタイプです。我らギルド中央開発局が誇るカヴァリアンの創造の際に得たノウハウを生かし、そこにアートル・メランから応用した変形能力を加えました。武装は二連装のMgS・ドラグーン、高圧縮型MTサーベルと、四肢にMTカッター、そしてまだ試用段階ですが、オート・ネビュラを搭載。従来よりも防御力の向上した、結界型MTシールドを発生させることもできます」

 ◇ ◇

 ――さぁ、ヴァルハート、その命で償いなさい。死ぬのよ! アハハハハ!!
 カセリナは高笑いする。いや、彼女の身体そのものは機体の《ケーラ》の中に眠っているのであって、彼女の心が狂ったように叫んでいるのだ。もはや彼女自身の意思がどこまで残っているのか疑わしい。闇の奥底で口を開け、わずかな隙をみて手招きした《ステリア》の力に、この可憐な戦乙女の魂は飲み込まれてしまったのだろうか。
 空間の裂け目から現れた光の槍を、イーヴァが悠々と構える。槍先から発せられる異様な圧迫感。直感的にレーイは見抜いた。
 ――あの《槍》はカセリナ姫の究極の攻撃手段。それゆえにまた……。
 天頂部に鋭く尖った一本の角、鈍い光沢をたたえる兜の下、カヴァリアンの目が光る。

 ◇ ◇

「我々はきっと勝利を得ることでしょう」
 デュガイスに対し、ギルド中央開発局の若き魔道士が誇らしげに口にした。
 その新たなる機体の名を。
「強襲型可変アルマ・ヴィオ、《アーク・カヴァリアン》で」

 彼らの足元、地下深く広がる空間。
 床一面に巨大な魔法陣の描かれた聖堂の中、薄闇の向こうにそびえる影。
 不意に、その目に青い光が灯った。


【第44話に続く】



 ※2008年10月~2009年5月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第43話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

6 「むなしさ」を知る者 【新春SP1】



 旧世界の疾風の竜・レプトリアの黒き背を突き破り、光の刃が切っ先をのぞかせていた。
 自らを犠牲にしてイーヴァを守ろうとしたザックスの機体は、MTサーベルの直撃を受けて大破しながらも、地面に伏したカヴァリアンを押さえ込んだまま、決してその場から動こうとはしない。長年、ナッソス家に仕えてきた繰士の誇りと情念を体現する、壮絶な姿だった。
 否、むしろカヴァリアンの方が動いていないように見える。奇妙なことに、わずかな間、レーイの反応が遅れていた。
 機体の背中を通じ、自らの知覚として伝わってくる地面の感触。同じくカヴァリアンの手とMTサーベルを経て、レーイには相手の断末魔の悶えが伝わってくるような気がした。

 ――これと同様の場面、感触、思い出したくないが、体が覚えているというわけか。
 不意に彼は何かを想起し、無言で否定した。

 ◆ ◇ ◆

 指先から手首まで血まみれになり、腕から肩、全身で震えながらも、その少年は剣の柄を握ったまま放さなかった。いや、指が、自分の言うことをきかず、ただ剣を強く握りしめて放そうとしないのだ。
 金髪の少年は、唇を震わせ、何か言おうとしながらも声を出せずに嗚咽していた。まだまだ幼さの残る彼の顔には、飛び散った返り血は全く不似合いなものだった。
 少年の目の前に、青いマントを羽織り長剣を帯びた冒険者風の女が、彼に寄りかかるように――いや、彼を愛おしそうに抱きしめているようにもみえるが――立っている。
「どう、して?」
 彼女は呆然とした表情で天を仰ぐ。その頬を半ば無自覚な涙が伝う。
 あまりにも無念そうでいて、心底、不思議そうな顔つきで彼女は首を傾げた。その不可解な様子が、かえって言いようのない悲惨さを感じさせる。

 ◆ ◇ ◆

 ――お嬢様、今です。私もろとも、動けないヴァルハートにとどめを!!
 残された精神力を振り絞り、ザックスが念信で叫ぶ。
 だがザックスに伝わってきたのは、思いもかけぬほど取り乱したカセリナの悲鳴だった。
 動揺するカセリナを叱りつけるように、彼は再び伝える。
 ――私に構わず! ナッソス家に勝利を、お嬢様。さぁ、早く。
 ――い、いや……。ザックス、できない、嫌よ。

 死の闇が意識を真っ黒に塗りつぶしてゆく中、ザックスの脳裏にカセリナの笑顔が浮かび、その表情が愛娘の姿と重なった。
 ――シャノン。
 自らの広大な農園を含め、周囲の平原全体が黄金色に輝く秋の記憶。
 麦に似た穀物の穂の束を腕いっぱいに抱え、喜ぶ妻の顔。
 ザックスの名を呼びながら、幸せに満ちた表情で駆けてくる娘と息子。
 一瞬、心の中の情景が暗転し、ある春の日の記憶に入れ変わる。
 胸に飛び込んできた子供たちを抱き留め、ザックスは言った。
 ――パパは必ず還ってくる。戦いが終わったら、今度こそ穏やかに暮らそう。

 そこで風景はかき消え、急激な寒さと漆黒の闇に飲み込まれるようにザックスは感じた。
 それが最後の意識だった。

 ◆ ◇ ◆

「何でこうなる? 最後の最後で、ツキに見放されたか。はは」
 青いマントの女は、男っぽい口調で誰にともなく問うた。
 彼女は背中のところで、長い赤毛の髪を一本に束ねている。その髪を押しのけるように、真っ赤に染まったマントを突き破り、残酷に尖った鋼の剣先が見えている。
 だが彼女は、なぜこの少年が己の命を奪おうとしたのか、いや、なぜ自分の体に剣が刺さっているのか、なおも理解できないという顔つきであった。

「ごめんなさい。ごめんなさい……」
 少年は、すすり泣きながら同じ言葉を繰り返した。

 女の方は、涙に充血した目に、引きつった微笑みを浮かべて彼を見つめている。
「まったく上手くいかないものだな。やっと人並みの安らぎを手にできるかと思って気を抜いたら、このざまか」
 今日のためにだけ取って付けたような化粧。大人の女性にしては、あまり手慣れているようにはみえない。不似合いな首飾りも。この人は、女である前に、多分ずっと戦士であったのだろう。
 幾度か吐血しながらも、赤毛の女は少年の手を握り、彼の指を剣の柄から解いた。
「謝る必要など無い。これは報いなのだ、憎しみの連鎖から抜けられなかった私と奴の」
 彼女は最後の力を振り絞って切々と告げる。
「いいか、もう二度と、情念に縛られた手で剣を握るな……。自らの愛や正義のために戦う者は、たしかに強い。だが、それ以上に強くなって、不毛な争いの鎖をひとつでも多く断ち切れ。お前ならできる」
 次第に声は細くなり、最後にこう言い残して絶えた。

「なぜなら、お前は《やさしさ》と《むなしさ》を知る者だから」

 ◆ ◇ ◆

 凍り付いた一瞬の中から、カヴァリアンはその鋼の巨躯には似合わぬ敏捷な動きで立ち上がり、光の剣をレプトリアの機体から引き抜いた。
 真っ直ぐな角を備えた、表情の感じられない兜の奥、カヴァリアンの目が光る。
 ――こちら、レーイ・ヴァルハート。ナッソス家の《レゲンディア》のうち、一体を撃破。
 ギルド側の飛空艦に、普段通り淡々と連絡を行うレーイ。

 だが、目の前でゆらゆらと立ち上がったイーヴァの機体に、彼は本能的な怖気を覚えた。
 カセリナの声が微かに感じられた。彼女の機体に異変が起こったのも、そのときだった。
 ――許さない。
 イーヴァの両の肩当てがスライドし、その隙間から不気味な青白い光が漏れる。胸甲部分も四つに分かれるようにして開き、機体の中央に同じく青白く光るレンズのような球体が頭をのぞかせた。


7 イーヴァ覚醒!? 【新春SP2】



 ――これは。いや、間違いない。
 レーイは本能的に理解した。この、反論や別の推測を許さぬほど、あまりにも強大な力。
 伝説めいた話として聞いたことはあれ、決して実際に見たことはない、あの禁断の力が自分の目の前で発現しているのだと。イーヴァの機体に生じた変化は、明らかに、旧世界を滅亡に導いたとされる闇の力《ステリア》によるものだと。
 ――いま反撃しなければ、あの力が目覚めてしまったら決して勝てはしまい。だが、どうして体が動かない? 動け、カヴァリアン、踏み出せ!
 頭では分かっていても、レーイ自身の今の体、つまりカヴァリアンの機体が言うことを聞かないのだ。目の前に現れつつある巨大な力の前に、いわば彼の魂が震えているのだろうか。
 何か異質な力が付近一帯を支配している。大気はざわめき、不自然な風の流れが吹き荒れる。あたかも、天から何匹もの透明な竜が降りてくるかのように。天女の羽衣を思わせる、青白き淡い光をまとったイーヴァ。その機体に向かって自然界の膨大な魔力が流れ込んでいる。

 ――私から大切なものを奪う者は、すべて消え去ればいい。
 呆然と、いや、むしろ恍惚とした異様な調子で、カセリナがつぶやく。
 仮面を思わせるイーヴァの顔に、突然の変化があった。からくり人形を思わせる動きで、唐突に面が左右に分かれ、本来の《顔》が姿を現したのだ。

 あまりにも精緻な、生々しい表情を持った、つやめいた銀色の金属の肌。
 それは、若くして亡くなった美姫のデスマスクを連想させた。
 《彼女》の冷たい表情、それは、永遠の悪夢から覚めない歪んだ眠り姫のものだ。
 何かが狂っている。あの《パルサス・オメガ》とは違った意味で、旧世界の言葉で言えば、明らかに《設計思想》が狂気じみている。普通の人間に、こんな化け物など作れはしない。

 ――これは……これも、アルマ・ヴィオなのか?
 現れたイーヴァの《素顔》に、レーイは寒気を感じる。これほど美しくも陰惨な表情をした存在を、レーイはこれまで見たことがない。
 ――何なんだ、何なんだ《これ》は。
 常に冷静なレーイの心に、言いようのない戦慄が走る。

 ◇

 ――カセリナ?
 クレドールの艦橋、クレヴィス副長の隣で待機していたルキアン。
 彼の脳裏に、不意にカセリナの声が響きわたった。叫びである。叫びが満ちた。
 カセリナの声は、現実には音となって現れてはいない。ましてや、ルキアンのところまでに届きはしない。だが、仮にも魔道士の卵。イーヴァの仮面が開いたとき、カセリナの声は霊的な次元でこだましたのだ。
 ――この声の響きは? 胸が痛い。苦しいよ。カセリナは何を……。
 ルキアンは、思わず助けを求めるように、クレヴィスを見た。
 無言で頷くクレヴィス。彼はルキアンの胸中を明らかに察しているようだった。
 多かれ少なかれ魔道士の能力のある者には、今起こっている異変が感じられているのだ。それほどまでに強大な力が、イーヴァから発せられている。
 ――この感覚、間違いありません。アルフェリオンと同じ。《ステリア》の力を持つ旧世界の機体は、他にも色々と発掘されているというわけですか。
 ツーポイントの分厚い眼鏡を人差し指で軽く押し上げると、クレヴィスは謎めいた笑みを浮かべつつ、口元を微かに緩めた。

 ◇

「くすっ。くすくす……」
 エルヴィンが笑った。
 真昼でも十分には光の届かない、外から艦内に漏れ入ってくるわずかな薄明かりの中で。現在は戦闘中のため、乗組員たちの姿の無い、例の《赤椅子のサロン》。そこに独り、部屋の真ん中にたたずむ謎めいた少女。
 彼女は高雅な足取りで床にステップを刻む。一人、薄暗がりの中で踊るエルヴィン。
「怖いお人形さん。でも本当の闇を知らない人に、闇の力を操ることなんてできはしない」
 純白の衣装が、闇に浮かぶ亡者の魂のごとく、ふわふわと広間を漂った。

「あなたとルキアン・ディ・シーマーとでは、しょせん、闇の深さが違うのよ」


8 黒き柱をめぐる激闘、立ちはだかる敵



 その頃、メイたちはクレドールから飛び立ち、ナッソス城の周囲にそびえる例の黒い石柱の破壊に向かっていた。ナッソス家とギルドの間で一進一退の攻防が繰り広げられている戦場、その上空を自慢の快速で飛び越していくのは、メイの愛機・深紅の怪鳥《ラピオ・アヴィス》だ。仮に地上の敵が狙いを定めようにも、そうしている間にたちまち雲の向こうに小さく消え去ってしまうほどの速度だった。
 もはやナッソス家に制空権は無い。遥か眼下での激戦が嘘のように思えるほど、メイは抵抗らしい抵抗も受けないまま、ナッソス城へ間近に迫る。
 ――敵さんの飛行型、出てこないわね。やっぱり前の艦隊戦のとき、クレヴィーに大方落とされたってわけか。あはは。
 そんなメイからの念信に、バーンが皮肉っぽい調子で応える。
 ――何がアハハだよ。気を抜くんじゃネェ、馬鹿。
 ――は? よりによって保証書付きのおバカさんには言われたくないわね。ちょうど着地の予定地点も近いし、このへんで下まで一気に落として……いや、降ろしてあげちゃおうかな。どう?
 バーンの操る蒼き騎士こと《アトレイオス》は、前屈みの姿勢でラピオ・アヴィスの上に乗って運ばれている。メイがふざけて機体を揺らすそぶりをみせたので、バーンの分身であるアトレイオスも、思わず姿勢をいっそう低くした。
 ――本当に落とそうとしただろ、今! オイ、こら、無視すんな、エェ!?

 突如、今まで無口だったもう一人のエクターが二人に念信で語りかける。
 ――来たぞ。
 彼、サモン・シドーが言葉少なげなのは普段通りだ。別にメイとバーンの子供じみたやり取りに対し、それでよくギルドの戦士がつとまるものだと呆れているわけではない。
 ――敵は3機だ。先に行け。
 ぶっきらぼうな口ぶりも、いつもと変わらない。
 ラピオ・アヴィスの背後を飛んでいた一回り大きい影が急に速度を落とした。ますます大きく開かれた雄々しき魔法金属の翼。闇夜に音もなく滑空するフクロウのごとき、恐るべき狩人、飛行型重アルマ・ヴィオの《ファノミウル》である。
 ――頼んだわ。気をつけてね、サモン。
 メイがそう答えたとき、すでにラピオ・アヴィスもその場を全速で離脱していた。サモンのことをよく知っており、同時に彼の腕も信頼しているからこそ、できた即断である。
 一方、ファノミウルは奇妙な機械的な動きで翼を羽ばたかせ、空中にほぼ静止している。元々このような攻城戦のため、地上の敵を狙うために作られた機体ならではの動きであった。だが、いまここで衝突しようとしている敵、向こうも空の上だ。
 サモンは心の中でつぶやく。飄々とした感じで。
 ――飛行型とはいえ、敵も動きの鈍い重アルマ・ヴィオ。ほぼ、パワーは互角。だが格闘戦ならば、貧弱な腕しかないあれよりは、こちらが有利……。
 ファノミウルが鋭い声で何かを威嚇し、立ちはだかるかのように両脚の鉤爪(クロー)を広げた。重飛行型の巨躯にさえ不釣り合いなほど大きい。通常の汎用型や飛行型のアルマ・ヴィオなど、一握りで潰し、引き裂いてしまうほどの凶器。
 だが、それを恐れる様子もなく、雲の間から突き出した塔のごとく鎌首をもたげ、ずば抜けた大きさの三つの物体が前方に姿を見せる。離れ去ったラピオ・アヴイスが小鳥のように感じられるほどの巨体、MgS(マギオ・スクロープ)のブレスを吐く空の竜、飛行型重アルマ・ヴィオ《ディノプトラス》だ。
 ――先日の夜戦の生き残り。手駒を遠慮無くつぎ込んでくるのは、いさぎよし。
 独り言では、意外によく喋るのかもしれない。
 サモン・シドー。
 旧世界の時代、繁栄の果てに歴史の彼方に衰亡した国、失われたナパーニアの血を引く兵(つわもの)。

 ◇

 ――バーン、落ちないでよ。これから急降下で一気に《柱》を叩く!
 石造りの白き山脈の如き、ナッソス城の堂々たる構造物、そして不気味に沈黙を守る高き漆黒の柱、そのうちの一本。地上の様子がたちまち目に迫ってくる。
 《柱》の隣、赤茶けた地面に何か黒い点も見える。ラピオ・アヴィスが高度を下げるにつれ、それは次第に大きくなり、じきに人影のような姿を取った。
 反射的に身構え、一瞬、メイは息を呑んだ。
 ――ちっ。またあの坊やか。厄介だわね。
 だがラピオ・アヴィスは速度を落とさず、大地へと突き進んでいる。
 ――何だあいつは? 汎用型のようだが……。まるで独りであの柱を守ってるみたいじゃネェか。上等、やってやるぜ!
 すでに戦意満々のバーン。抜き身のままアトレイオスの背中に担がれた長大な《攻城刀》が、彼の気持ちに答えるかのように鈍く光る。
 だがメイが珍しく彼をたしなめた。
 ――気をつけて、バーン。この前の夜襲であたしと戦った相手だ。
 ――強ぇのか?
 聞くだけ野暮な話だとバーン自身も思う。エクター同士の場合、《念信》の感じで相手の内心もかなり読み取れるのだ。メイが本気で警戒するほどの相手……。
 ――正直、強い。ナッソスの戦姫でなかっただけマシだけど、あいつも侮れないよ。まぁ、すべてはアンタの力にかかってる。

 鷹の目さながらに鋭いラピオ・アヴィスの魔法眼に、強敵の姿がはっきりと捉えられた。
 一見して黒っぽい外殻と、その間に見える真っ赤な関節部分。全身、鋼の塊とでも言うべきか、あまりにも分厚い甲冑。しかも本体を覆う魔法金属の装甲以上に厄介な、重厚感に満ちた丸盾を敵は手にしている。
 その乗り手、辺境の《古き戦の民》の若き戦士ムートは、大胆にもメイたちに向かって念信を送ってきた。
 ――誰かと思えば、あのギルドの姐さんじゃないか。この前は空の上だったんで、随分と戦いづらかったが、今回は俺の脚はしっかりと地に着いてる。
 そう言いつつ、ムートのアルマ・ヴィオが刀をかかげ、肩に担いだ。その重さで地面が沈んでしまいそうに見える、通常の数倍はある厚みの曲刀だ。
 ――俺の《ギャラハルド》の力を見せてやる。来い。
 挑発的に、それでいて素朴な感じの声で告げるムートに対し、バーンも待っていたと言わんばかりに応酬する。
 ――おうよ、こっちも売られたケンカは必ず買う主義だ。逃げんじゃねぇぞ。


【続く】



 ※2008年10月~2009年5月に、本ブログにて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第43話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 だから俺は、愛のためには戦わない。
         (レーイ・ヴァルハート)

◇ 第43話 ◇


1 第43話「レーイ」の再掲を開始



 ――私は負けない! この城を、みんなを、守り抜いてみせる。
 イーヴァの手にしたMTランスに、カセリナの凄まじい気迫がこもる。光輝く槍先が、一体、また一体とギルド側のアルマ・ヴィオを貫いてゆく。旧世界から甦った戦の女神・イーヴァを止められる者は、ギルドの精鋭たちの中にもいなかった。
 ――行け、ネビュラ!!
 荒れ狂う炎がたちまち生き物のように動き出し、大地を駆け抜けた。炎の精霊、伝説のサラマンダーを思わせる《ネビュラ》が、カセリナの意志に従って敵を猛追する。

 カセリナの戦いをナッソス公爵も見守る。敵前衛を総崩れに追い込んだ彼女の活躍に頷きつつも、公爵は表情を曇らせ、レムロスに言った。
「これほどひどい父親が、世の中にいるものだろうか。娘を戦場に送り込み、しかも最前線で戦うよう命じるなどとは……」
 続く言葉をしばらく飲み込んでいた公爵。だが、一瞬の寂しげな眼差しは、深く窪んだ目から消え去った。
「だが私は父であるよりも前に、ナッソス家の当主として、勝つために必要なことを粛々と実行せねばならぬ。カセリナについても、最愛の娘としてではなく、我が軍最強のエクターとして扱わねばならぬ」
 ナッソス公爵は手を組み、無念そうにつぶやいた。
「許せ、カセリナ。いましばらく耐え、《帝国軍》がオーリウムに到着したら、もう二度とお前の手を血で汚させたりはしない。そのためにも、この戦、決して負けられん!」

 そうこうしている間にも、カセリナの率いる部隊は破竹の勢いで進撃してゆく。だが、公爵の傍らにたたずむレムロスの横顔が、何かに気づいた後、微妙に引きつっている。
「まさか……。いや、アルマ・ヴィオをよく知るギルドのこと、あり得るか」
 四人衆の長は小さくうめいた。彼は遠慮がちに公爵に伝える。
「殿。ひょっとすると、我らは《カードを無理に切らされた》のかもしれません。撤退にしては敵陣の動きが妙です」
 遠眼鏡を片手に、レムロスは地上を手で指し示す。
「最初から、ギルドは、イーヴァやレプトリアを早々に使わせるつもりだったのではないでしょうか。お嬢様たちが攻撃を仕掛けた後、敵はあまりにも素直に、あれだけの猛攻を受けながらも整然と退いております」


2 ギルドの狙いと、対抗するナッソス家



「おのれ、ゴロツキどもが図に乗りおって!」
 苦虫を噛み潰したような顔つきで、ギルドへの嫌悪の声を吐き捨てた公爵。彼とは対照的に、一貫して落ち着いた態度のレムロス。
「あのような重装甲・重武装の汎用型によって一斉に包囲網を絞られれば、たとえその進軍自体は鈍重でも、こちらの通常のアルマ・ヴィオでは阻止しようがありません。そこで我らは、イーヴァやレプトリアの力に頼らざるを得なくなるというわけです」
 公爵は、怒りの中にも怪訝そうな気色を浮かべて問う。
「それが何と? 《レゲンディア》の機体を投入して敵陣を切り崩すのは、最初から我らの狙っていた策ではないか」
「凡庸な機体を何体投入したところで太刀打ちできないレプトリアの力は、すでにギルドも十分に知るところです。お嬢様のイーヴァの力に至っては、一体でひとつの軍隊にも匹敵します。それらの強大なレゲンディアが、《いつ》、《どのように》使われるのか読み切れない限り、敵の作戦には、常に予想外の破綻の可能性がつきまとうことになります」
「うむ……」
「敵軍よりも多い兵力をもって戦場にのぞむこと、つまり《数》の問題は、アルマ・ヴィオの戦いにおいても重要です。とはいえ、殿、今の我らのように両軍が《旧世界》の機体を持ち合っているような場合には、双方の数の違いは決定的な問題ではなくなります」
 怒りに沈黙する公爵を前に、レムロスは冷静に語り続ける。
「結局、この戦いの流れは、圧倒的に優れた機体とそれに見合ったエクターを、どのタイミングでどこに投入するかということによって決まると――ギルドの指揮官たちはそのように考えているのでしょう。そこで奴らは、こちらのレゲンディアのうち何体かをまず戦場に引き出そうと狙ったのではないかと。事実、我々は、切り札を使える選択肢をその分だけ減らされました」
 手にした地図を握りつぶさんばかりの勢いで、公爵は憤激している。
「《重装歩兵》で戦列を押し上げてくるなど、ギルドの戦い方にしては真っ当すぎると思っていた。正攻法を同時に《おとり》として使いおったのか!」
「しかし、殿、ご安心ください。カセリナ様やザックスと互角に戦えるほどの使い手は、相手方にもおそらく一人か二人。幸い、ギルドには《私の機体》のことも全く知られておりません」
 憤怒もいくらか落ち着いたのか、ナッソス公爵は目を閉じてつぶやいた。
「頼むぞ、レムロス。それに、我らにはさらなる切り札がある。敵がいかに強大なアルマ・ヴィオを何体持っていようと、中に乗っているのは人間だ。そして人間というものは脆い……。特にその内面というものは、あまりにも脆い。鋼の鎧をまとおうと、巨大なアルマ・ヴィオに乗ろうと、人間が《盾なるソルミナ》の力に抗うことなどできはしないのだ」
 だがそのとき、荒い息と共に、二人の背後から伝令の緊迫した声が響いた。
「申し上げます! ギルドの飛空艦から、高速で接近する飛行型らしきものが3機!! そのうち2機が、主戦場を迂回し、それぞれ別の方向から城へと高度を下げてきております」
 公爵は肩を震わせ、伝令に向かって叫ぶ。
「《ソルミナの柱》に気づきおったとでも? すぐにディノプトラスを出し、たたき落とせ! 」
「殿、すでに《柱》の守備にはムートの《ギャラハルド》がついております。必要とあらば、私も……」
 レムロスは己のまとったエクター・ケープの裾を整えると、慇懃に一礼した。


3 決戦、実はレーイが主人公?



 突然、真鍮色の魔法合金を刺し貫き、光輝くMT(マギオ・テルマー)の切っ先が姿を見せた。ギルドの陸戦型アルマ・ヴィオがまた1体、甲冑の背中に開いた穴から体液状の何かを吹き出しつつ、動きを完全に停止した。その機体が前のめりに倒れてゆくのと入れ替わりに、MTレイピアを構えたイーヴァが姿を見せる。
 幾筋もの風のごとく、イーヴァの周囲に一体、また一体と現れるティグラーⅡの群れ。ナッソスの戦姫に率いられた巨大な虎たちは、低い声でうなりながら周囲を警戒する。そして次の瞬間には、イーヴァもティグラーⅡもすべてその場からいなくなった。まるで大気中に霧散したかのように。
 そうかと思えば、さらに前方で火の手が上がり、ギルドのアルマ・ヴィオの一隊が為すすべもなく倒されてゆくのが見えた。
 カセリナの率いる部隊は、重装備を誇るギルドの先鋒隊を側方から切り崩し、戦列を寸断、退却する敵をさらに各個撃破しつつ、もはや敵陣の中央を突破しようとしている。戦乙女の美しくも無慈悲な槍先を止められる者は、各地から選り抜かれたギルドのエクターたちの中にさえいないのであろうか。カセリナ隊の猛進撃は、敵陣に打ち込まれたクサビ、あるいは立ちはだかるものを容赦なく破壊して進む竜巻を想起させる。
 だが、とどまることを知らない勝利の進撃の中、カセリナは異変に気づき始めた。
 ――どこか妙だわ。私たちが倒した敵の数はたしかに少なくはない。でも、こうも簡単に敵陣を突破できるなんて。そうよ、私たちの進撃に対し、ギルドの方が通り道をわざわざ開けていたような気がする。
 半ば独り言に近いカセリナの念信に、ザックスが答える。
 ――そのようです、お嬢様。我々はまんまと乗せられたかもしれませんぞ。
 と、二人の念信に、ナッソス城からの第三の念信が加わった。
 ――上手く伝わっていますか、お嬢様。よくお聞きください、そして今すぐ退いてください。
 ――レムロス? 何を。
 ――ギルドは、我々が《レゲンディア》クラスの機体を戦場に投入せざるを得ないような状況を作り、イーヴァやレプトリアという貴重なカードを切らせたのです。
 思慮深い練達の機装騎士、そのイメージが念信を通して伝わってくるかのようだ。緊急事態にも慌てることなく、彼は淡々と続けた。
 ――私の読みでは、次に敵はおそらく、イーヴァとレプトリアを足止めしつつ、その間に別働隊で複数方面から一気に反撃に出てくるのではないかと。すでに空中からも、敵の新手が城に斬り込もうとしています。
 ――なるほど、天守の塔からは戦場がよく見えるようだな、レムロス殿。たしかにな。気づいていますか、お嬢様、先ほど四散した敵先鋒隊は、今や我々の背後を塞ぐように新たな陣を敷きつつありますぞ。もっとも、ここまで攻めてきたのと同様、奴らを撃破して道を開けるのはたやすいこと。
 そこで、ザックスの声が不意に止まった。念信の向こう、鋭く周囲を探る彼の心の動きがカセリナにも感じられた。再び、深刻な口調で伝え始めるザックス。
 ――そう、それだけなら確かに容易なこと、しかし……。
 ――この感じは!
 カセリナが心の声で叫んだ。
 戦場に舞う砂と硝煙の向こう、一体のアルマ・ヴィオの影が。
 真っ直ぐな一本の角を生やした兜、旧世界のアルマ・マキーナを連想させる機械的なフォルム、その独特の姿をカセリナは忘れてはいない。
 ――ヴァルハート。
 カセリナの心に一閃、それまでの余裕を覆すような緊張が走った。
 ――レーイ・ヴァルハート、またもや私の前に立ちはだかるのですか……。憎らしい人。


4 二人の強敵、レーイに勝機は !?



 難敵の存在を見て取り、ザックスはカセリナを守護する盾となるべく動いた。静かに、けれども一瞬の歩みでレプトリアがイーヴァの前に出る。旧世界の黒い竜は、長い首を持ち上げ、身体の左右にある翼状の器官を広げた。敵を威嚇するために自らの姿を大きく見せようとする動作、それは《生き物》としてのアルマ・ヴィオが備えた獣的本能によるのだろうか。あるいはザックスの強い闘志が、そのようなかたちで機体の動きに反映されたのだろうか。
 ――この前は決着を付けることができなかったが、すぐに再び手合わせできて光栄だ。いい歳をして、戦士としての血が久々に騒いでいるよ。しかし、いかにギルド最強との呼び声も高い貴君であろうと、たった一人でお嬢様と私に戦いを挑むとは、何とも「勇敢」だな。
 ――自分ひとりで勝てると思うほど、俺は自惚れてはいない。だが、誰かに加勢を求めたところで、あなた方との戦いの中では足手まといになるだけだ。無駄な犠牲も増やしたくない。
 これまで無言だったレーイが敵二人との間に念信を開き、乾いた調子で応えた。
 ――それでも、あなた方をここに釘付けにすることぐらいはできるつもりだが……と、言ったら?
 レーイのカヴァリアンは、おもむろに腰から2つの得物を引き抜き、左右の手に構える。剣の柄から放出されたMT(マギオ・テルマー)の粒子が収束し、輝く光の刀身を形成する。
 ――止められるものなら、止めてごらんなさい。
 感情の動きを感じさせないレーイの様子とは対照的に、カセリナが挑発的に言った。レーイの心境をさざ波ひとつない湖面にたとえるなら、ナッソスの姫は、そこに敢えて石を投げ入れ、大きな波紋を作り出そうとしているのだろう。
 イーヴァの背後にいたティグラーⅡの群れは、背後に退きつつ、周囲のギルドの部隊を牽制している。これから始まる戦いを邪魔させまいとするかのように。
 当初、長い横列でギルドの先鋒隊を形成していた重装汎用型は、カセリナたちの反撃を受けて後退しながら、一部は他の部隊の支援にまわり、さらに一部は再び陣形を整えて城に向かって進撃を開始しようとしている。そして、残った一部はカセリナ隊の周囲に遠巻きに展開し、包囲するように陣形を描く。あの三人の戦闘に不用意に近づけば命取りだ。MTシールドとMTランスを構え、ギルドの鋼の《騎士》たちは状況を見守る。
 カヴァリアンは真っ直ぐに立ったまま動じず、両腕を降ろした姿勢で、いずれの手にも光の剣を握っている。一見、構えていないようにも思える。だが、隙がありそうで全くない。じっと見つめていると、むしろ、攻守いかようにも変化できる体勢に見えてくるから不思議である。カセリナとザックスもそれは見抜いており、わざわざレーイに「構えろ」とは言わなかった。
 イーヴァが腰を落とし、MTレイピアを構える。その剣先は、前方の数十メートル離れた地点にいるカヴァリアンに、真正面から向けられた。ザックスのレプトリアは、イーヴァの前で悠然と左右に歩き、長い舌を出し入れして敵を睨む。
 すでに陽も高く昇り、上空には雲がさらに増えてきた。平原を吹き抜ける風も、徐々に強くなっている。

 そして、一陣の風が通りすぎたとき……。
 イーヴァの冷たい仮面に刻まれた目が、赤く光った。
 次の瞬間、打ち合う光の刃。幾筋もの剣閃が走り、大地が裂け、炎が走る。
 空中から降ってわいたように、突然、レプトリアがカヴァリアンの前に現れ、鋭い牙で襲いかかる。
 ――くっ!
 レーイはかろうじて見切り、受け流し、反撃に出た。だが、カヴァリアンが剣を横なぎに払ったとき、手応えはなかった。レプトリアが消え、その背後からイーヴァが飛び込んでくる。そのスピードをMTレイピアに乗せ、瞬時に無数の高速の突きが襲う。


5 戦乙女、敗北? そのとき…



 イーヴァが突きを入れてくるより一瞬早く、カヴァリアンは機体を背後にひねり始め、右手のMTサーベルの上でイーヴァの光のレイピアを滑らせるようにして、流麗に受け流した。必殺の一撃だったはずが、逆にイーヴァの方が勢い余って姿勢を崩しそうになる。
 カヴァリアンはそのままコマを思わせる動きで半回転し、今にも飛び掛かろうとしていた後方のレプトリアに向かい、逆手に持った左手のMTサーベルを鋭く突きつける。だが、ザックスもレーイの体捌きを読んでおり、レプトリアはカヴァリアンの剣をかわして側面から襲う。鋭い鉤爪が、カヴァリアンの左腕部と擦れ合い、背中に寒気を感じる嫌な金属音を立てた。
 睨み合うレーイとザックスの心の間で、火花が走る。
 突如、光がカヴァリアンを包んだ。結界型MTシールド――レーイの機体は輝く球状の光に取り込まれ、瞬きひとつ分遅れて別の青い閃光が飲み込む。空気を震わせ、地を焼き、カヴァリアンの結界に阻まれた稲妻があたり構わず暴走して消えた。爆発と目映い輝きで、一瞬、周囲が見えなくなる。
 カヴァリアンを包んでいたMTシールドが消えた。機体の所々が焦げている。
 ――格闘の中、至近距離からの魔法弾を避けるとは、本当に貴君は……。だが、シールドを張っても、これだけ近ければ相当のダメージを受けざるを得まい。
 念信から伝わるザックスの心の声は、かなり乱れていた。
 カヴァリアンの正面、レプトリアの背中に備えられたマギオ・スクロープの砲身から、微かに煙が昇っている。そして、同じく胸部にはMTサーベルが突き刺さっていた。
 ――ザックス!
 レーイの剣に貫かれたレプトリアに気づき、カセリナが叫んだ。
 己の仮の《体》であるアルマ・ヴィオの機体が著しく損壊すると、それは繰士自身にも激痛のように感じられる。たとえ、本当の肉体は全く傷ついていなくても。けれどもザックスは、冷静さを保って答える。
 ――なんの、これしきのこと。今のでヴァルハートの方も無事ではありません。
 とはいえ、機体から来る痛みの感覚は、限りなく真実に近い幻のようなものだ。不慣れなエクターなどは、機体が大破すれば本当にショック死してしまうこともあるほどに。隠そうとしても、ザックスの苦しみは念信を通じてカセリナに伝わってしまう。
 ――おのれ、レーイ・ヴァルハート!!
 激昂して叫んだカセリナ。皮肉なことに、憤怒のあまり彼女の剣先は微かに鈍った。そのわずかな隙さえも、レーイには相当の余裕を与えることになる。彼の方が一歩先んじた。双方の機体が剣を交え、つばぜり合いに入るかに見えた瞬間、カヴァリアンの膝蹴りがイーヴァの胴体に炸裂する。
 イーヴァの華奢な機体が弾き飛ばされ、背後に倒れた。カセリナは声にならない悲鳴を上げる。そして、激しい衝撃で一時的に彼女の意識が薄れた。
 ――貴女は己の感情に負け、その結果、本来勝てるはずの状況で俺に敗れた。
 ぼんやりとした頭の中に、レーイの声が淡々と響く。
 ――終わりだ。投降せよ、カセリナ姫。
 仰向けに倒れたイーヴァに、カヴァリアンがMTサーベルを向ける。

 ――お嬢様!!
 黒い影がレーイの視界を遮り、カヴァリアンに何者かが体当たりする。
 カヴァリアンは完全にバランスを崩したが、胸元に飛び込んだままの敵に対し、レーイは反射的にMTサーベルを突き出した。
 何層もの魔法金属の装甲を破壊し、剣が敵の機体を貫通する感触……。


【続く】



 ※2008年10月~2009年5月に、本ブログにて初公開
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