鏡海亭 Kagami-Tei  ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

まとめ読み支援週間続く―キャラも伏線も大盛りの第16話~第20話

連載小説『アルフェリオン』まとめ読み、今晩は第16話~第20話分をアップです。
目次からお入りになると便利

第16話の途中以降、各章に(少年コミック誌風の?)サブタイトルが付きます♪
このサブタイは初公開の頃にはなかったもので、このブログで再掲を始めたときに新たに付記したものです。

パラス騎士団を向こうに回して、主人公みたいな冒険を繰り広げるアレス君。
第14話から第16話までは、アレスの独壇場ですね。アレスとダンの戦い、ちょっと笑ってしまいますが…。

パラス騎士団のメンバー同士の微妙な人間関係も面白いです。セレナさん素敵です(笑)。いや、崩壊してる天才副団長ファルマス様、Sの女王様・むち使い(違)エーマ、黄金のシスコン騎士ラファール、KYな熱血バカ狙撃手ダン、寡黙すぎて居るのか居ないのか分からない剣士ダリオル、唯一まともそうで、実は美形で優しそうな顔して善悪なんて気にしない美の追究者エルシャルト、そしていかにも裏がありそうな(ラスボス化しそうな…しません)瞑想三昧の大魔道士アゾート。パラス騎士団って、最強の騎士団じゃなくてエリートネタキャラ集団では…。いや、違います。こんな集団の中、セレナさん、それは気苦労が多いでしょうね。

主人公ルキアンも、地味ながらじわじわとルキアンらしさを出して参ります。
第17話「ナッソスの娘」、カセリナとルキアンの出会い。
一応、(設定上の)主人公とヒロインが偶然に運命的な出会いをするシーン(苦笑)なのですが…。ひととき吹き抜けた春風の後、すれ違う二人、皮肉な運命。
最初から縁がなかったのでしょうか(;;)。

でも、このあたりからルキアンが精神的に強くなってゆくんですな。
ボクだって、ただ黙ってうつむいているだけじゃないぞ!という感じで。
ルキアンが変わり始めたおかげで、背後霊(違)、いや、リューさんとの関わりも強くなってゆく。この段階では、まだ謎の声または怪しい黒衣の女の幻のままですけど(^^;)。

今までずっと、孤独なくせに孤独からただ逃げていたルキアンが、己の孤独と向き合い、それを自分の一部として認め始める。孤独とか闇を恐れていたルキアンが、次第にそういう自らの負の側面まで含めて、自己肯定感を持ち始めます。って、最近では負の側面ばかりが肥大化してますけどね(苦笑)。

ルキアンのことを「要らない人間」、「誰にも必要とされない人間」と最も強く思っていたのは彼自身でした。まぁ、20話台のところでは、まだその点を克服できません。

他にも…。
ナッソス公爵とギルド側代表との交渉が始まります。戦いは避けられるのか?
何といっても、ついに「黒幕」らしき存在が動き始めます。
黒いアルマ・ヴィオの恐怖、あの人が再登場?
アレスに続いて、レーイさんやクロワなど、普通ならこいつが主人公だろ的なキャラが続々と投入されて(笑)ルキアンの主役の座を脅かし始めるのも、この頃。
相変わらず暗躍するマクスロウの配下とパラス騎士団御一行との暗闘。
微笑みのおにいさんクレヴィスの鬼モードも出てきますし。
旧世界の謎も次第にあきらかになってゆくわ(中でも第18話の旧世界人の日記は極めて重要)で、盛りだくさんすぎです(@@)。考察好きにはたまりません。

そうそう、このあたりの回では、シソーラ姐さんがいい仕事をしてます。
要所要所でアラサーまたはアラフォーのおねぇ様キャラが新たに出てきて、代打のヒロインみたいになって(笑)話をうまくリードするのが、この物語の一つの特徴ですね(^^;)。「塔」のあたりのシャリオさんとか、ミトーニアでのシェフィーアさんとか。
だから、本来のヒロイン的ポジションのキャラたちが空気になったりライバルと化したりするんですね(いいのか?)。

こうしてみてくると…作者の私が言うのも何ですが、『アルフェリオン』ってほんとに何でも詰め込んでありますね(^^;)。濃すぎる。ネタの宝庫。

なお、明晩の更新分、第24話でリューたんがいよいよ本性を現します。
第1話から延々と引っ張ってきて、かなりショッキングな内容の24話にて、ついにリューヌが姿を見せる。主人公を見守る守護霊か何かだと思っていたら、正体は闇の…。

かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第20話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

8 スペシャル版1―激突!



 ラプサーからもアルマ・ヴィオが発進する。
 飛行甲板を持たない同艦だが、船腹にある降下口から2つの影が飛び出した。
 どちらも飛行型ではない。人の姿をした、つまり汎用型のようだが……果たして空中戦をこなせるのだろうか?
 一方は翼を持っており、飛行型顔負けの動きで宙を舞っている。
 金と黒の甲冑をまとった胴体や、そこから伸びる腕には、通常の汎用型と何ら変わるところがない。
 だがその頭部は、立派な枝振りの角を持つ牡鹿のそれである。背中にはコウモリのごとき黒い翼。ノコギリ状の鰭の付いた尻尾。足には鋭利な鉤爪が光っている。
 魔族を彷彿とさせるアルマ・ヴィオ、《フルファー》だ。この異形の機体を乗りこなすエクターは、一見するとそれに不似合いな、男の子っぽい純朴な少女である。
 ――ボクだよ。お兄ちゃん、行ってくるね!
 艦橋にそう伝えると、プレアーは精神を集中し、心の中で翼のイメージを強く思い描いた。そして……。
 ――《鳥》になれっ!
 プレアーが念じると、何とフルファーが変形し始める。
 両腕が縮み、本体の左右に固定される。両脚は折り畳まれるようにして胴部に引きつけられ、鋭い爪を持つ足がちょうど胸の部分にやってきた。人型のときよりも翼がさらに伸びる。最後に頭部が起き上がって完了。
 鹿の頭を持ったコウモリというイメージだろうか。変形を終えたフルファーは、急加速して飛んでいった。

 他方のアルマ・ヴィオが《カヴァリアン》だ。体表を覆う魔法金属の鎧は、全体的に角張っている感があり、光沢のあるメタリックな紺とグレーで彩られている。
 その姿は生物的であるというよりも機械的であり、外観からすれば、むしろ旧世界の《アルマ・マキーナ》ではないかと思わせる。
 カヴァリアンはギルドの最新鋭機のプロトタイプであり、各地で発掘された旧世界の《器官》を惜しげもなく用いて生み出されたものだ。頭頂部から真っ直ぐに伸びる一本角が、そのトレードマークとなっている。
 ――こちらレーイ。これよりクレドール隊と共に、敵アルマ・ヴィオの攻撃に備える。何かあったらまた連絡を頼む。
 同機に搭乗しているのはレーイ・ヴァルハート。カヴァリアンの高性能を真に発揮させるためには、やはりエース級の繰士が必要なのである。
 一瞬、地面に向かって落下し始めるカヴァリアン。だがその背中から青い光の幕が伸びた。それは細長い翼のような形をしている。そう言えば、セレナの《エルムス・アルビオレ》も同様の《翼》を持っていたが。
 光の翼を生やしたカヴァリアンは、さりとて羽ばたくこともせず、風に乗って滑るように飛んでいく。
 手にした小銃・MgSドラグーンを振り、カヴァリアンはフルファーに向かって何か合図した。
 ――プレアー、前に出過ぎだ。俺の近くから離れるな。
 ――そ、そうかな? 分かった。もっとスピードを落とすね。
 素直に従ったプレアーだが、そこで念信を切ってつぶやく。
 ――また子供扱いして。ボクだって一人前のエクターなんだぞ。
 実際、彼女は一人前どころか、並みのエクターより遙かに腕がいい。それでもレーイやカインにとっては心配でならないのだ。
 ――プレアーに万一のことがあったら、カインに合わせる顔がない。この子だけは絶対に守らないと……。
 戦いの中、今までに何度この誓いを立てたことか。内心、苦笑いしながら、レーイはクレドールの繰士たちに念信を送る。
 ――メイ、サモン、聞こえるか? 打ち合わせ通り、敵の飛行型はお前たちに任せる。俺とプレアーが敵艦にとりつくことができるよう、援護してくれ。
 ――任せてちょうだいな! 方陣収束砲の発射を合図に出るから、遅れないように付いて来て。
 ――こちらも了解。地上からの敵は俺に任せてくれ。
 4機のアルマ・ヴィオは、味方艦隊の両側に散開した。

 ◇

「敵アルマ・ヴィオ、出てきました! 飛行型が2機。あとの2機は形態が不明です。恐らく飛行型と思われるものと……もう一方は、汎用型!?」
 ナッソス家の旗艦、バーラエン級大型戦艦のブリッジ。
 敵影をとらえた《鏡手》が、いささか高ぶった声で報告する。
 彼の頬が緊張に染まっているのは仕方ないことだ。戦いが商売のエクター・ギルドとは異なり、彼も含めてナッソス家のクルーには、ほとんど実戦経験がないのだから。
 部下たちの動揺を鎮めるかのように、艦隊指揮官らしき男が落ち着いた声でつぶやく。
「ギルド艦隊は主砲の射程内にまだ入ってこないのか。所詮は空の海賊ども、わが方の軍艦と正面から撃ち合っては力負けすると考えているのか、あるいは……」
 もみあげから顎まで髭に覆われた指揮官は、サーベルの柄を握りしめた。
「何しろ敵将はあのカルダイン・バーシュ。どんな策を弄してくるか分からんぞ。あちらが寡兵だからといって気を抜くな! 全艦、主砲発射用意。アルマ・ヴィオ部隊は敵機の掃討に出撃せよ」

 が、その瞬間。
「方陣収束砲、急速充填! 直ちに発射!!」
 カルダイン艦長が手を振り下ろした。
 クレドールの船首の甲板が開き、黒々とした砲身が姿を現す。
 その先端部の4つの水晶球がにわかに光を帯びた。見る見るうちに空中魔法陣が描かれ、宙に浮かぶ幾何学模様や文字が輝度を増していく。

「距離は十分だ……」
 砲座部の司令室で、ウォーダン砲術長が言った。
「魔法力充填、70パーセント! 75、80……95……」
 部下が秒読みを始める。
 ウォーダンは口ひげに付いた汗を拭うと、黙って構えに入った。

 当然、ナッソス家の艦隊も、クレドールの前部からせり上がった重砲に気がつく。しかし遅すぎる。
 指揮官は慌てて命じた。
「ば、馬鹿な、方陣収束砲だと? ギルドの船ごときが、なぜそんな兵器を積んでいる!? 全艦、急速降下、方陣収束砲を回避せよ!!」
「艦長、間に合いません!」
 戦慄した声。艦橋は刹那のうちに修羅場と化した。
「シールドを張れ! 全エネルギーを結界に回して構わん!!」
 もはや指揮官も絶叫している。

 その直後……。
 天を揺るがさんばかりに雷鳴が轟き、付近の空域は閃光に飲み込まれる。

 クレドールの艦橋から、1人の少年が呆然と見守っていた。
「……人が、ひとが、死んでいく」
 青白い顔をしてルキアンはつぶやく。
「沢山の人が、命が、空に消えた。でも僕は、それを……」
 急に吐き気を催した彼は、胸を押さえて床に崩れ落ちる。
 ここは紛れもなく戦場なのだ。


9 スペシャル版2―クレドールの危機!



 ◇ ◇

 ブーツの靴紐を締め、皮の胴着のボタンを掛け終える少年。
 額の飾りに埋め込まれた赤い石がきらりと光った。炎のごとく。今の彼の思いを象徴するかのように。
「アレス、どうしても行くのかい?」
 諦め顔で訪ねるヒルダに、彼は答える。
「うん。大丈夫だよ。イリスの姉ちゃんを助け出したら、すぐに戻ってくるさ」
 そう言って拳を持ち上げ、アレスは笑ってみせる。
 彼の笑顔が変に無邪気で子供っぽく見えたせいか、ヒルダは幼い頃のアレスを思い浮かべてしまった。小さな男の子の姿が今のアレスと重なる。女手ひとつで彼を育て上げてきた母親は、目頭を熱くした。
 だが彼女は、心で泣きつつ、気丈にも呆れ笑いを浮かべている。
「すぐに戻ってくる、か。あまり期待せずに待っとくよ。お前の父さんもねぇ、似たようなことを言って故郷を離れたきり、二度と戻らなかったんだってさ」
「母ちゃん……」
 申し訳なさそうに俯くアレスの肩に、ヒルダが手を置く。
「ま、血は争えないか。変なところばかり、あの人とそっくりで……。あたしが止めたところで、どうせ夜中にでも抜け出すんだろ?」
 そうつぶやきながら、彼女は思い出したかのように奥の部屋へと入っていく。
 アレスの背後には、イリスが無表情のまま突っ立っていた。母と子のやり取りを見つめる澄んだ青い目には、特に心を動かされている様子もない。
 ヒルダはすぐに戻ってきた。
 彼女はアレスに向かって一振りの剣を差し出す。
 巻き貝を思わせる鍔と、見事な金の象嵌の施された鞘。もちろん美しいだけではない。重々しく長大な刀身を持つ、正真正銘の戦士が帯びる剣だ。
 アレスはこれに見覚えがあった。
「この剣、父ちゃんの……」
「そうだよ。持って行きなさい。お前をきっと守ってくれる」
 手渡された父の形見――アレスはそれを、しばらく黙って握りしめていた。素朴で単純な彼には、今の気持ちを上手く表現できる言葉が見つからない。
 息子のそんな様子にうなずくと、ヒルダはイリスに近づき、繊細な黄金色の髪を撫でてやった。
「アレスったら、そそっかしくて間の抜けたところがあるから。イリスちゃん、あたしの代わりにしっかり注意してやっておくれ。頼んだよ」
 その言葉をイリスが理解できたか否かは定かでない。旧世界の少女は、相変わらずの凍り付いた面差しで、ヒルダの方をただじっと見つめている。

 旅立ちの時は来た。
 何処へともなく運び去られた、《大地の巨人》とチエルの行方を追って。
 竜の雄叫び――サイコ・イグニールの咆吼が、谷間の空気を振るわせ、山々の白い岩肌にこだまする。

 ◇ ◇

 方陣収束砲の攻撃は、幾筋もの雷光となって空を走り抜けた。
 白い輝きに視界が奪われた後、ナッソス家の艦隊から爆炎が上がる。何隻かの敵艦が地上へと落下し、あるいは火の手に包まれたように見えた。
 ヴェンデイルの《複眼鏡》が煙の向こうの敵影を探る。
「方陣収束砲、敵艦隊に命中……いや、前方から砲撃だ!!」
 彼が警告したのとほぼ同時に、クレドールの船体近くを魔法弾がかすめた。
 敵方も黙ってはいない。素早く態勢を建て直しつつ、ギルド艦隊に負けじと砲火を浴びせかけてくる。
 飛び交う火炎弾、凍気弾。たちまち激しい砲撃戦が始まった。
「ちっ! 艦長、敵バーラエン級戦艦はまだまだ健在だよ。翼と砲台に被弾したようだが、侮れないな。敵戦闘母艦と巡洋艦1隻もほぼ無傷!!」
 これまで体験したこともない多数の魔法弾の応酬に、ヴェンデイルの声も上擦っている。船体が止めどなく揺れ、爆発音がすぐ近くで轟く。
「艦長!?」
 黒髪を振り乱し、セシエルが振り返る。
 だがカルダインは顔色ひとつ変えることもなく、堂々と腰掛けたままだ。
「慌てるな。敵はまだ混乱している。あちらからの砲撃など乱射にすぎん。下手によけるとかえって流れ弾をくらうぞ。カムレス、このまま前進だ……」
 低くうなるような声。鋭い眼光。
 常日頃、艦長の体に染みついている空虚な悲しみは、戦場の中でいつの間にかかき消えている。戦士の魂が目を覚ましつつあるのだ。
「この機を逃すな。セシエル、ラプサーとアクスに連絡。全艦、敵戦闘母艦に攻撃を集中!!」
 敵軍の動揺に乗じて戦闘母艦を一気に落とし、相手方のアルマ・ヴィオを封じる――カルダインはそう考えたのだ。

 旗艦クレドールからの連絡を受け、アクスのバーラー艦長も立ち上がる。
 海賊あがりの艦長は荒々しい声で叫んだ。
「野郎ども、前進だ! マギオ・トルピーダの第一波は敵戦闘母艦に集中しろ。撃てェ!!」
 船首部分の両側に刻まれた発射管から、呪文魚雷が次々と発射される。
 翼を持つ円筒型の物体が、ナッソス家の戦闘母艦に殺到する。そのうち数発が命中、敵艦のあちこちで爆炎が上がった。
 クレドールと同規模の敵戦闘母艦が、飛行姿勢を崩し始める。
 バーラー艦長は、真顔でしゃくり上げるように笑うと、次なる怒声を発する。
「いい、いいぞ。敵艦隊が射程に入ったか!? 主砲、敵戦闘母艦を狙え。クレドールと協力して一気に沈める!」
 鋼の要塞のごときアクスの甲板。階段状に並ぶ砲塔が、立て続けに火を噴く。

「艦長、敵の大まかな被害状況が分かったわ。敵の小型艦の大半と巡洋艦1隻を撃沈。巡洋艦2隻と戦艦1隻は被弾して戦闘能力低下、あるいは戦闘を続けることが難しい。そんなところね。これで五分の戦いに持ち込めるかしら……」
 ラプサーの副長シソーラが、艦長ヴェルナード・ノックスに告げる。
「了解。クレドールとアクスの足を引っ張らぬよう、敵艦隊と少し距離を取って砲撃を開始せよ」
 軍にいた頃と何ら変わらぬ謹厳さをもって、ノックス艦長は指揮を行う。
 だが彼の真面目くさった表情の中にも、多くの戦いをくぐり抜けてきた自信がうかがえる。

 ギルドの3隻の飛空艦と、方陣収束砲を免れたナッソス家の残存艦隊との間で、シソーラの言葉通りにほぼ互角の撃ち合いが続く。
 集中砲火を浴びた結果、まず敵の戦闘母艦が轟沈した。ナッソス側にとっては手痛い損失だ。
 しかし船の数においては、依然としてナッソス軍がギルドを上回っている。すぐに勝敗の行方が決しそうな気配はない。油断ならぬ状況……。
 が、突然、クレドールは下方からの攻撃を受けた。突き上げるような衝撃。結界の弱い船腹部を狙われ、艦は大きく傾いた。
「奇襲だ!! 地上からのアルマ・ヴィオ部隊……すごい数だよ! 艦長!!」
 平静を失ったヴェンデイルの声。いつもの冗談も口にできないほど、彼の唇は緊張している。
「メイ!? だめだわ、こっちの飛行型は出払ってるもの!」
 なおも大揺れは続く。あまりの激しさに、セシエルは座席にしがみついた。
 3、40体の飛行型アルマ・ヴィオが、翼をきらめかせて上昇してくる。
 敵部隊はオルネイスを主力として編成されているが、中にはMgSすら持たない《丸腰》の機体や、極端に使い古された機体もみられる。とにかく、飛ぶことのできるアルマ・ヴィオは何でも使おうという総力戦らしい。
「後先考えない、無茶苦茶な戦い方しやがって! 奴ら、最初から飛行型全てを投入してきたか!?」
 舵輪を右に左に操りながら、カムレスが舌打ちした。禿げ上がった額に汗が流れる。
 側面から新たな攻撃。船体から受けた感触からして、今度はただ事ではない。
 セシエルが船内の各ブロックと連絡を取り、被害の程度を確認している。
「敵の飛行型は、本艦と同じ高度に到達しています! 艦長、結界を突き抜けて船腹に被弾しました!!」


10 スペシャル版3―クレヴィスの非情



「うっ……」
 気分を悪くしていたルキアンは、先程から床に這い蹲ったまま――今度は船酔いに襲われ、ついに吐いてしまった。
 だが、誰にも彼を気遣っている暇などない。
「く、苦しい……気持ち悪いよ」
 胃の中の物が、さらに喉元まで出てきている。彼は口を手で押さえながら、体を壁際に寄せた。
 と、不意に敵の攻撃が緩んだ。

 ――何だ、あれは!?
 ――アルマ・ヴィオ……なのか?
 ナッソス方のエクターたちが目を見張る。
 クレドールの甲板から異様なものが現れたのだ。
 手足も翼もない、甲冑のごとき機体が徐々に浮上し始める。螺旋状の角を左右に持つ兜。その下で真っ赤な目が輝く。
 大空に忽然と浮かんだ深緑色の機神。それから発せられる異様な重圧感に、敵のアルマ・ヴィオたちがひるんだ。

 ――無闇な戦いは本意ではありませんが……。もし命が要らぬというのであれば、私が相手をして差し上げましょう。
 クレヴィスの言葉が敵のエクターたちに伝わる。
 冷たく感情のない、腹の底から怖気を覚えずにはいられない声だ。その雰囲気は、普段の彼を知っている人間には到底信じられないだろう。
 ――もう一度だけ聞きます。それでも戦いますか?
 《デュナ》の目が不気味な輝きを増し、本体の周囲に、青白い光の玉のようなものが飛び交い始めた。
 ルキアンは窓際に体を預け、《蛍》の飛翔を呆然と眺める。
 ――《ランブリウス》だ。クレヴィスさんの魔法がアルマ・ヴィオを媒介として放たれれば、その破壊力は計り知れない……。

 ◇

 オルネイスの群とデュナが空中で睨み合う。その間にも、両者の距離は詰まっていく。
 一瞬、クレヴィスの気迫に押された敵方だったが、もとより彼らも命がけで戦場に臨んでいる。躊躇はなかった。
 ――我らはナッソス家を守る。この一命を賭してでも!!
 1機のオルネイスが、翼を広げて猛然と飛び出す。獲物を狙う鷹のごとく、鋭い鉤爪を広げて。
 ――恐れるな、敵はたかが1体だ!
 さらに3羽の鋼の鳥が後を追う。急加速したオルネイスたちの速度は凄まじい。殺到。瞬きする間もおかずにデュナとすれ違う。
 ――何!?
 敵のエクターが狼狽する。
 オルネイスの初速はデュナの比ではなかったはず。しかし、その電光石化の猛襲は、何の手応えもなく空を切る。
 デュナの機体が上下左右にゆらゆらと揺れたように見えた。が、それはまさに、敵の攻撃を紙一重で見切ったうえでの回避行動だったのである。クレヴィスはデュナを空中に制止させたまま、機体をひねる動作だけによって、全てをかわしたのだ!
 ――その程度の動きでは、私に触れることもできませんよ。
 クレヴィスは冷ややかな声でつぶやく。
 空中に漂う無数の《ランブリウス》が動き始めた。群をなしていた蛍が、別々に飛散していくかのように。
 青白い発光体が、それぞれの輝く軌跡によって中空に魔法陣を描き上げる。
 クレヴィスは恐るべき《力の言葉》を詠唱した。
 ――鋼をも断ち切る疾風の刃よ。我は呼ぶ、風の狩り人……。
 彼の呪文に応じて魔法陣が光ったのと、デュナの遙か背後で爆発が起こったのは、ほぼ同時の出来事だった。
 無数の真空の刃に切り裂かれ、4機のオルネイスの残骸が地上に落下した。
 文字通り、露骨なまでの《瞬殺》である。何のためらいもなく、クレヴィスは予告通りに敵の命を奪った。

 固唾を飲んで見守っていたルキアンは、あまりのことに嘔吐感さえも忘れそうになる。
 クレヴィスの圧倒的な強さ、冷酷とすら思える戦いぶり。それらは、いつもの穏やかな彼の姿からは想像し難いことだ。
 ――あの優しいクレヴィスさんが、なぜ、あれほど? 
 目を細めて物静かに諭すクレヴィスの、柔和な笑顔が脳裏に浮かぶ。
 ルキアンの複雑な表情から何かを察したのか、カルダイン艦長が言った。
「……あの《戦い》はクレヴィスの心の裏返しなのだ。あいつは、本当は誰も傷つけることなく、いつも穏やかに微笑んでいたいのだと思う。しかし、そうもいかないのが人の世というものだ」
 艦長は、腕組みしながら戦況を見据えている。敵を射るような彼の目は、動揺も油断もない野獣を思わせる。相変わらず凄みのある彼の表情に、ルキアンはまだ慣れることができなかった。
 それにしてもあの無口な艦長が、こともあろうに、こんな状況の中でお喋りしようとでもいうのだろうか。
「……えっ?」
 ルキアンは身を起こし、危うい足取りで歩き始める。わずかな量ではあれ、自分の吐き戻した汚物が掌に付いたままだ。彼は慌ててハンカチを取り出すと、何度も手を拭い、その汚れた布をポケットにねじ込んだ。
 己の不作法で情けない様子と、汚物の臭いとに恥じ入りつつも、ルキアンは艦長の傍らに立った。
 艦長は彼の方を一瞥すると、何事もなかったかのように新たな砲撃を命じている。しかしその後、カルダインは話を再開した。
「おそらく君はよく知っているだろう。穏やかに生きたいと願う人間が、その優しい思いのままに身を処していれば……それをよいことに、彼を道端の雑草のように押しのけ、踏みつけ、それでも何の罪も遠慮も感じない者たちが、世間には居る。違うかね?」
 ルキアンは肩をぴくりと震わせた。うつむき、目が大きく見開かれる。
 ――それでも僕は今まで耐えてきました。そうすることが当たり前なのだと思って。だけど、だけど……。
 感情が高ぶりすぎたのか、この青白い少年には返す言葉もない。
 カルダインの饒舌ぶりは全く意外だったが、それはさらに続いた。
「だから人は、時には声を大にして怒りを現すことも、しなければならなくなる。そうするたびに激しい自己嫌悪に陥ろうとも。また、だから人は、時には拳を振り上げねばならないことがある。耐え難い痛みを心に覚えながらも。哀しいことだが、仕方がないのだ。言葉では分かり合おうとしない人間がいる。他人の思いについて考えてみることなど、鼻で笑う人間がいる。その結果、たとえいかに罪深かろうとも、時には断固として《戦う》ことが必要になる……」
 そこでカルダインの声が途切れた。
 ルキアンは顔を上げ、神妙な調子で尋ねる。
「《優しいままでいられること》を、守るために……ですか?」
 艦長はルキアンの問いには答えなかった。そのかわりに、辛そうな声をもらした。
「おせっかい焼きのクレヴィスときたら、自分のことだけではなく、せめて他の同類たちが拳を振り上げずに済むようにと……《優しい人間が優しいままで笑っていられるように》と……わざわざこんな船にまで乗り組んで、人々の言葉に耳を貸さぬ無法者たちとの戦いに、ずっと奔走してきた。まぁ、おせっかいというよりは、本物の馬鹿だな。だが、そこがあの男らしいのだ」
 そう言って寂しげに口元を緩めた後、カルダイン艦長は、目の前の戦いへとますます没入していった。
 ひとり、ルキアンは沈思する。
 ――優しい人が優しいままで笑っていられるような、そんな夢みたいな世界なんて、僕にはまだ信じられない。でもこれから先、この混沌状態の王国はどうなっていくのだろうか? 戦争が終わって、それからもっと後になって……僕には予想もできない。だけど、この現実、いま以上に酷くなってほしくない。少なくとも、優しい人が優しいゆえに苦しみ続けなきゃならないような国には、絶対になってほしくない。そうならないために、僕にも何かできることはないだろうか?


【第21話に続く】



 ※2001年6月~7月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第20話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  守るべき現在のために、
   取り戻すべき過去のために、
    手に入れるべき未来のために。

◇ 第20話 ◇


1 ルキアン帰還、戦いのはじまり



 翌朝、太陽も高く昇った頃、ルキアンたちはラシュトロス基地に帰還した。
 昨日の荒れ模様から一転し、空は澄み渡っている。
 嵐は雲までも流し去ったのだろうか、秋の日を思わせるほのかな寂寥感が頭上に広がる。
 帽子を持った手をかざしつつ、ルキアンは眩しそうに天を仰いだ。
 血で血を洗う戦いが始まる今、蒼々とした春空はひどく不似合いで――もしかすると神々が人の争いを皮肉っているのかもしれないと、彼には思えた。
 《戦争》を目前に控えているわりに、基地の敷地内は意外なほどに静かである。昨晩、付近を埋め尽くしていたアルマ・ヴィオの群れは、今ではすっかり姿を消していた。夜明けと同時に、ナッソス領に向かって徐々に進軍し始めたらしい。
 基地の守備隊として残る議会軍を除けば、飛行場に留まっているのはギルドの3隻の飛空艦のみ。すでに全艦とも《揚力陣》を起動し、何時でも浮上できる状態にある。
 クレドールのタラップの前にはルキアンとランディが立っている。
「あぁ、眠い眠い。2日も続けて早起きなんて、健康に良くないねぇ……」
 ランディは懐から銀のピューターを取り出す。その中に詰まった火酒を一口、彼は舐めるように吸い込んだ。昼間どころか朝から酒びたりなのだろうか。
「そ、そうですか?」
 呆れて愛想笑いするルキアン。
 目の前の自堕落な男があの文筆家マッシア伯であるとは、何となく信じ難くなってくる。もっとも、ランディのそんな体たらくもご愛敬だと思って、ルキアンは好意的に受け止めたのだが。

「お待たせ。やっぱりこの格好が楽だわね。お姫様ごっこは肩が凝ったわぁ」
 いつものコート姿のシソーラが、ショールを引っ掛けながらやってくる。
 細い黒縁の丸眼鏡、ウィッグを外して短くなった赤毛の髪、腰にぶら下げたサーベルと短銃。彼女の様子が昨日とあまりに違うので、ルキアンは不思議そうに何度も眺めていた。
「ほら、少年。行くよ」
 剣をガチャガチャと鳴らしながら、足早にタラップを登っていく彼女。
 その後ろ姿をぼんやりと見つめ、ルキアンは首を傾げた。
 ――なんか、女の人って元気だな。
 シソーラに続いて、だらけた足取りのランディ。彼があくびをしながら艦内に消えた後、やっとルキアンも歩き始めた。

 ルキアンは不意に階段の途中で立ち止まった。
 そして振り返る。
 背後に広がる空の向こうへと、心は漂う。
 ――カセリナ、本当に戦うつもりなのだろうか? そんなことって……。
 ルキアンの目の前からはもう失われてしまったもの、初めて出会ったときの少女のあの笑顔が、浮かんでは消えた。

   降りそそぐ春の光の中で、
   闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
   僕は戸惑い、力無く震えている。

 ナッソス城の中庭で手帳に書き付けた詩のことば。
 ルキアンはその1ページを引きちぎり、小声で鋭く言い放った。
「闇に慣れた目は、光に憧れつつも闇に還ることを願ってしまう。結局、僕はいつもそうなんだ。なんで、こうなるんだろう?」


2 僕は、「むなしさ」をもう恐れない



   それでも僕は、やがて歩き出すよ。
   心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
   優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。

 カセリナがルキアンの詩に書き加えた言葉。今となってみると、その優しさが逆に忌々しく滑稽でもあった。
 情熱と自虐と、弱さと強さとが解け合った思いで、彼は心に独白を刻む。
 ――そうさ。歩くよ。歩いてゆくしかないんだから。君が言うような、そんな日が来るかどうかは知ったことじゃない。だけど今の僕みたいに、自分の惨めさをただ受け入れ、誰かの暖かさを求めること以外に何もしないのは、立ち向かわないのは、もう嫌なんだ。悔しいよ、悔しいよ、そんなの……。
 ルキアンは虚空をにらみ付ける。
 瞳の中で青が滲んだ。
 ――たとえ朝の来ない夜の中に置き去りにされても、僕は立ち上がって進んでいくだろう。その先がいっそうの暗闇であろうとも。光が見えなければ、僕自身が闇の中で輝けばいいんだ。それがどんなに微かなともしびにすぎないとしても! だからもう僕は《むなしさ》を恐れない。僕は《闇》を恐れない。
 そう誓ったとき。
 一瞬、ルキアンには何かが見えたような気がした。
 心の裂け目の向こうに浮かび、秘やかに舞う夢幻のかけら。
 ひらひらと。ひらひらと。
 ――羽根? 黒い、つばさ!?
 それに続いてぼんやりとした人の姿が、イメージの中で振り返る。
 ルキアンには見覚えがあった。コルダーユ沖での戦いの際に、アルフェリオンの《ステリアン・グローバー》を放った瞬間、あのとき彼の脳裏に浮かんだ懐かしい影と、それはあまりにも似ていた。
「あ、頭が……」
 突然、頭部に激痛が走り、ルキアンはタラップの真ん中でうずくまる。
「何なのだろう。一体誰なんだ、あの影は……」
 幻覚はそこで消え失せた。幸い、痛みも次第に和らいでいく。
 彼は手すりに寄り掛かって階段を登り、シソーラたちの後を追う。


3 ギルド飛空艦隊、ついにナッソス領へ



 ◇

 艦橋のクルーたちは、すぐにでも出撃できる態勢を維持したまま、数時間前から待機していた。かつてない緊張感がブリッジを包み込んでいる。
 ランディが中に入ってきたとき、微かなざわめきが起こった。
「こういう雰囲気は得意ではないんだがねぇ……」
 彼はそうつぶやくと、取り出しかけていた煙草を懐に戻す。
 苦笑いして入口付近に立ち止まっているランディ。
 彼の横をすり抜け、シソーラがカルダイン艦長のところに歩み寄る。
 黙って頷いた艦長に代わって、クレヴィスがつぶやいた。
「お疲れさまでした」
 特に急いているような素振りも見せず、クレヴィスはシソーラを眺めている。彼のにこやかな面持ちも普段と何ら変わるところがない。やはりこの男には、隠者めいた独特の落ち着きがある。
 シソーラの方も堂々としたものだ。ギルドの《切り込み隊》という異名を持つラプサーで副長をしているだけのことはある。毅然とした剣士の風格と、眼鏡の似合う知性的な容貌、それでいて気さくな姉御肌。貫禄ではクレヴィスに勝るとも劣らない。
 彼女は切れの良い口調で言う。
「分かっていたとは思うけど、話し合いの成果は何もなかったに等しいわ。それでこちらの方は?」
「あなた方が時間を稼いでくれたおかげで、ギルドの陸上部隊も余裕を持って展開を終えることができました。助かりましたよ。我々の飛空艦やアルマ・ヴィオの整備も万全です」
「じゃあ、あの腹立たしい親爺たちの中で私が我慢し続けたことも、全くの無駄ではなかったというわけかしら。時間、ないんでしょ? 後の詳しいことはランディから聞いてくれるかな」
 彼女が急ぎ足で去っていこうとするとき、すれ違いざま、カルダインが低い声で告げた。
「頼むぞ、シソーラ……」
 次いで艦長はクルーたちに命ずる。
「彼女がラプサーの艦橋に到着次第、全艦出撃する。本艦の《ラピオ・アヴィス》と《ファノミウル》、ラプサーの《フルファー》と《カヴァリアン》は、ただちに飛行甲板に移動せよ。他の汎用型と陸戦型のエクターも、自機に搭乗して待機!」

 いつの間にか、存在感なく、ルキアンの姿も艦橋の隅にあった。先程の頭痛がまだ残っているせいか、具合の悪そうな表情で突っ立っている。
 ――あ、あの、僕はどうすれば……。
 彼を目に留めたクレヴィスが、ゆっくりと首を振った。
「ルキアン君はこちらに来て、邪魔にならぬよう見ていなさい。ネレイで言ったはずです。とりあえずあなたは、我々と共に来てくれるだけでもよいのだと」


4 竜と共に――無事、アレスも帰還



 ◇ ◇

 ラプルス山脈の稜線を越えて朝日が昇った頃、アシュボルの谷の人々は、上空から降り立つ巨大な影に度肝を抜かれた。
 羊たちを連れて牧場に向かう若者、麓の町まで行商に出かけようと荷馬車に乗り込んだ一家、朝早くから機織りをする娘――村人たちはみな、固唾を飲んで空を見上げている。
 大地を揺るがすような轟音と、嵐のごとき突風。恐ろしげなシルエット。
 慌てて外に飛び出した者たちが大騒ぎしている。
「何だあれは!?」
「まさか……ドラゴンか!? みんな隠れろ、食われちまうぞ!!」
 肉食恐竜を思わせる強靱な深紫の体。
 赤い翼はコウモリのそれに似ていた。その翼がひと振りされるたびに、強風が地表に吹きつける。
 ラプルス山脈の辺境には、本物の竜がなおも棲むと言われるが――いま人々が目にしているのは、魔法金属の鱗に包まれ、ステリアの力によって空を飛ぶ旧世界の人工竜であった。
 そう、アレスたちの乗った《サイコ・イグニール》だ。
 何しろ翼を広げたイグニールは、飛行型の重アルマ・ヴィオと同等のサイズである。ラプルスの寒村の人々は、今まで見たこともないほど大きいアルマ・ヴィオの出現に、ただただ驚愕していた。
 守備隊はおろか衛兵すらいるはずもない小さな村。何の障害もなく、イグニールは村のすぐ近くに舞い降りる。
 ふわり、という言葉で表現しても無理がないほどに、予想外に静かな着地だった。旧世界末期のアルマ・ヴィオにとっては、重力を自由に操ることなど造作もない。
 村を取り囲む丸太造りの防壁の上から、猟銃や石弓を持った村人たちが、恐る恐る見守っている。やがてその1人が素っ頓狂な声を上げた。
「おぉっ? あれはヒルダさんのところのアレスじゃないか!」
 イグニールが姿勢を低くし、ハッチが開いて2人と1匹が降りてくる。
「本当だ。どこであんな物を手に入れやがったんだ? 相変わらずとんでもないことをやってくれるぜ。まったく」
 弓を構えたひげ面の狩人が、ほっと胸をなで下ろす。
 安心した人々は大笑いし始めた。
 やんちゃな少年たちが村の門から飛び出してくる。
「アレス兄ちゃーん!」
「格好いいなぁ、僕も乗せてよーっ!!」
 人気者のアレスはたちまち男の子たちに取り囲まれ、もみくちゃにされる。
 アレス自身も彼らと同様の澄んだ目をしている。一緒になっておどけている姿は、ただの子供だ。そんな彼を見てイリスが目を微かに細めた。


5 母と子…



 ◇

「い、いててっ! 何すんだよ、母ちゃん」
 ヒルダがアレスの頬をつねった。それから反対側の頬にキスをして、母は彼を強く抱きしめる。
 彼女の目は少し赤く濁っていた。昨日の晩、アレスたちが帰ってこなかったので、気になって寝付けなかったのかもしれない。
「アレス……あたしゃ心配してたんだから。イリスちゃんも無事で良かったよ。よりによってこんな時に」
「こんな時って?」
 意味ありげな母の言葉にアレスは興味を示した。
 ヒルダは眉をひそめる。
「実はね、昨日……山の方で変なものを見たって人がいるんだよ。夜に飛空艦が何隻もやって来て、途方もない大きさの黒い箱をぶら下げて、どこかに飛んでいったんだってさ。何があったんだろうね。こんな田舎でも、もしかして反乱軍が何かたくらんでるのかねぇ?」
 その話を聞いた途端、アレスはイリスと顔を見合わせた。
 ――きっと、パラス・テンプルナイツのやつらだ。
 彼の脳裏に《エルムス・アルビオレ》の姿がありありと蘇る。
 アレスの心が分かるのか、レッケも低いうなり声を上げた。カールフは犬と違って大きな声では滅多に吠えない。
 玄関に立ちすくんだまま、アレスは何事か思案し始める。隠し立てをするということは、彼には到底できないことらしい。
 息子のそんな様子を気にせぬかのように、ヒルダは優しく言った。
「お腹減ったろ? 朝ご飯、用意してあるから」
 だがアレスは返事をしない。
「どうしたんだい、アレス?」
「あのさ……」
 彼は真剣な目でイリスの方を見た。
 一瞬、彼女は首を横に振りかけたが、黙って頷く。
「実は、母さん……。誰にも言わないでほしいんだけど」
 アレスは悩みながらもうち明け始めた。昨日のことを。


6 微笑みの裏側? クレヴィス出陣す



 ◇ ◇

 ついにラシュトロス基地を発ったクレドール、ラプサー、アクスの3隻は、抜けるような青の空間を進んでいた。周囲には雲ひとつない。
 雲を上手く利用して姿を隠し、敵を攪乱するのが、飛空艦同士の戦いの基本である。だが今日の澄み切った空では、そういった策を弄することもできない。普通に考えれば、火力勝負の正面切った砲撃戦になるだろう。

「カルダイン艦長、まもなくナッソス領上空に入ります」
 セシエルが告げた。彼女の声はいつもと同様に冷静だった。しかしその手は微かに震えている。緊張ゆえか、恐れゆえか。
 《鏡手》のヴェンデイルが早くも敵影を発見する。
「ナッソス艦隊の姿を確認。飛空戦艦が2隻、そのうち1隻は《バーラエン》級の大型艦! でかいな……。それから戦闘母艦が1隻、巡洋艦が4隻、駆逐艦と飛空艇があわせて5隻。艦長!?」
 バーラエン級の艦は武装や動力機関等の面ではやや旧式だが、飛空戦艦の中でも大型の部類に入る。鯨を思わせる黒い船体に数多くの大口径MgSを装備し、現在、議会軍でも第一線で用いられている。
 相手は12隻、これほどの兵力を抱えているとは、さすがに王国随一の大貴族ナッソス家だ。対するギルドの艦隊は、戦闘母艦1隻に、高速巡洋艦1隻、対艦戦闘にはやや不向きな強襲降下艦が1隻。戦力を単純に比較した場合、勝負にならないほど、圧倒的に不利である。
 だがカルダインは悠然と命じた。彼は腕組みしたまま、眠るように目を閉じている。
「敵戦艦の射程に入る前に方陣収束砲を叩き込む。気取られぬようにして速度を落とせ。アクスも《マギオ・トルピーダ(*1)》の発射準備だ!」
 この先制攻撃によって敵艦を1隻でも多く戦闘不能に陥れることが、艦長の狙いだ。次に方陣収束砲を発射するまでには、チャージの時間が相当にかかるが――その間はなるべく距離を取って敵艦隊を砲撃するとともに、アルマ・ヴィオ部隊を使って敵を消耗させる。恐らくそういう作戦なのだろう。

 クレヴィスがおもむろに立ち上がる。
 隣で見ているルキアンに、彼は穏やかにウィンクした。これから戦いに望む戦士とは思えぬほど優しい目だ。
「君はここにいなさい。では、カル、私もそろそろ出撃することにします……」
 無言のうちにカルダイン艦長は手を挙げた。それが了解の返事である。
 クレヴィスは、落ち着いた足取りで出口の方に向かう。ルキアンには副長の目が微笑んでいるように見えた。あくまで柔和なクレヴィスの表情に、彼はかえって怖さすら覚えてしまう。

【注】

(*1)マギオ・トルピーダ、別名は呪文魚雷。弾頭部分には、MgSと同様に呪文が封じ込まれており、目標に命中するとその魔法が発動される。この魚雷自体が、いわば超小型の無人飛行型アルマ・ヴィオである。ただし自分の意思で動くことはできず、通常は外部からの誘導もできない。


7 新たな力を得たラピオ・アヴィス!



 クルーの1人が感慨深げにつぶやく。
「副長が、あのアルマ・ヴィオで出るのか……」
 別の声がひそやかに答えた。
「あぁ。副長の《デュナ》と、レーイの《カヴァリアン》があれば、戦艦の1隻や2隻、たちまち沈めちまうだろうぜ」
 クレヴィスのデュナ、旧世界の魔法戦特化型アルマ・ヴィオ――方陣収束砲にも劣らぬ破壊力を持つ兵器を、クレドールはもうひとつ有していたのである。
 彼がブリッジを離れたのと時を同じくして、カルダイン艦長が次なる命令を発する。戦いの時は来た……。
「アルマ・ヴィオ部隊、全機発進せよ!!」

 ◇

 クレドール後部の飛行甲板に、紅の猛禽、ラピオ・アヴィスが姿を現した。
 名匠の鍛えた刃のごとき、機能美溢れる曲線を持つ翼。その裏側には、軽量の速射型MgSが左右1門ずつ新たに装備されている。
 ――武装が増えたのに重さを感じない……。さすがネレイの技術陣ね。
 ギルド本部で改良されていた愛機から、メイは十分な手応えを感じ取る。敵飛行型との激しい空中戦を想定し、攻撃力の強化と旋回性能の向上とが図られたのである。
 メイの胸の内に、不意にラピオ・アヴィスの思念が浮かぶ。女の声だ。
 ――今回は《お荷物》を乗せていないから、思う存分戦える。
 猛々しいその雰囲気は、例えば蛮族の女戦士を想起させるだろう。気性の激しいメイにはお似合いの相棒だ。
 皮肉たっぷりにメイが応える。
 ――そんなこと言うもんじゃないの。大体ねぇ、あの子のおかげであたしは助かったんだから。あんたもよ、あんたも。
 ――なかなか気に入っているようだな、ルキアンという少年のこと。お前の心は単純だからすぐに読める。
 ――焼き鳥にされたくなかったら黙ってなさい! もしもし、ブリッジ……?ラピオ・アヴィス、出るわよ!!
 艦橋に念信を送った後、メイは発進した。
 鋭い鳴き声とともに真っ赤な翼が羽ばたく。
 ――了解。メイ、作戦通りにクレドールの側面に展開して。こちらから指示があるまで前に出てはだめよ。
 対するセシエルの返事は、普段と変わらぬ冷静なものだった。だが彼女の瞳の奥にはやはり不安感が漂っている。その表情自体は、もちろんメイには伝わらないが。
 ――分かってる。方陣収束砲に巻き込まれちゃ、たまんないし。
 ――えぇ。気を付けてね。あまり無茶をしないで。

 続いてサモン・シドーからブリッジへの念信だ。
 彼は例によって言葉少なに告げる。
 ――サモンだ。出撃する……。
 ファノミウルがずんぐりした体を振るわせ、悠然と翼を広げた。
 重アルマ・ヴィオに相応しい地鳴りのような声で鳴くと、予想外に軽やかな動きで甲板を離れ、そのまま滑空してラピオ・アヴィスを追う。
 見事な動きだ。さすがに、音もなく闇の中を舞う狩人――フクロウを模した機体だけのことはある。


【続く】



 ※2001年6月~7月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第19話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

7 月明かりに映える、王家の巨大飛空艦



 ◇ ◇

 ラプルス山脈でも重大な出来事が起こっていた。ただし秘密裏に……。
 山麓を照らす月明かりを遮ってしまうかと思われるほど、途方もない規模の物体が4つ、上空に浮かんでいる。天に築かれた要塞のごときそれらの影は、全て飛空艦である。
 遠目には黒々とした浮島のようにしか見えないが、実際の船体はみな深い赤色に染め上げられている。真紅の下地に描かれたオーリウム王家の紋章が、うっすらと白く光る。
 その装いからして、すべて王室直属の飛空艦隊に属する船だ。
 巡洋艦クラスの高速艦が2隻。
 さらに1隻――ひときわ目立つのは、国王軍が保有する《ポエニクス》級の大型戦艦である。その全長は優にクレドールの2倍はある。本体部分と一体化している三角形の翼に、すらりと伸びた流麗な船首。敢えて例えれば翼竜のような姿をしている。
 ポエニクスは国王軍のみが数隻保有しており、単体での火力の高さでこれに勝る艦は議会軍にさえ存在しない。何段にもわたって舷側に並ぶMgS、甲板には方陣収束砲が数門。ただしその火力と図体は、実戦に用いるためのものというよりは、むしろ王家の威光を誇示するためのものだと言えよう。
 残る1隻はポエニクス級にも劣らぬ重量級の輸送艦である。
 地上付近まで高度を下げた同艦からは、無数の頑強なケーブルが降ろされていた。全てのケーブルは、あたかも生きているかのように、地表にそびえる正体不明の物体に絡み付いている。
 実際それらは《生きて》いるのだ――しばしば大型輸送艦が備えている作業用の《触手》である。樹木の根を思わせる触手全体が、実はとてつもないサイズの植物型アルマ・ヴィオだということになる(*1)。
 問題はむしろ輸送艦が持ち上げようとしている物体の方だった。外観的には、金属でできた黒いコンテナとでも形容すればよいのだろうか。ただしその大きさが普通ではない。一辺が数十メートルの巨大な立方体である。
 空高くそびえ立つ真っ黒な箱……。国王家の艦隊はこの異様な物体を吊り上げ、どこかに運ぼうとしているように見える。
 コンテナの周囲には4体の《エルムス・アルビオレ》がいた。それぞれの装備から考えて、セレナ、ラファール、ダン、ダリオルの操る機体である。特務機装隊との戦いの後、麓まで降りてきたのだろう。
 他にも《シルバー・レクサー》が10体前後、国王軍に属する白いティグラーが20体ほど、コンテナを警備するかのごとく配置されている。

「予定外の騒ぎはあったけど、まぁ、退屈しのぎにはちょうど良かったよ。議会軍はともかく、あの変な少年……思ったよりも楽しませてくれたことだし」
 謎の物体が輸送艦によって引き上げられていく様子を、ファルマスが地上から満足げに眺めていた。何がそんなに嬉しいのか、小憎らしいほどの笑みをたたえて、彼はチエルの顔を覗き込む。
「《大地の巨人》を例の場所に運び終えたら、さっそく起動できるように準備を始めないとね。だから君には協力してもらわないと困るんだなぁ」
 チエルが汚物でも見たように顔を背けると、ファルマスは素早く反対側に回り込み、無邪気に声を上げて笑った。
「あはは。そんなに嫌がる必要はないじゃないか。旧世界のお嬢さん」
 無言のまま再び逆方向に顔を向けようとするチエル。
 ファルマスと一緒にいたエーマが、彼女の首を乱暴に押さえる。
「勝手に強がっているがいいさ。でも後で簡単に音を上げたりして、あたしをがっかりさせるんじゃないよ。ふふふふ……」
 エーマの真っ赤な爪が怪しげな動きでチエルの唇を這う。
 縛られたままのチエルは、怒ってエーマの指に噛み付こうとする。本当に気丈な娘だ。実際には極度の疲れのため、チエルはもはや立っているだけで精一杯であったが。
 生あくびをした後、ファルマスは何の罪の意識もなく平然と告げる。
「あまり酷いことをしてはだめだよ、エーマさん。もし彼女に万一のことがあったら、《巨人》を目覚めさせられなくなっちゃうからね」
 この言葉にチエルへの同情心の欠片もないことは言うまでもない。
 だがチエルには微かな希望が残されていた。それは……。


【注】

(*1) 植物型のアルマ・ヴィオもいくつか存在する。比較的よく知られているのは、MgSの《枝》を数多く生やした砲台型の重アルマ・ヴィオ、《トレント》である。エクター個人の適性にもよるが、一般に植物型アルマ・ヴィオは昆虫型や魔獣型と並んで最も操作が難しいとされる。


8 残された希望―旧世界の姉妹の秘密 ?!



 彼女は心の奥でファルマスたちを嘲弄する。
 ――バカな奴ら。《パルサス・オメガ》を起動するためには、あの子が私と一緒にいないと駄目なのに。だから上手く逃げ延びて、イリス……。
 チエルは妹の顔を思い浮かべようとしたが、それさえもかなわなかった。
 彼女の首ががっくりと崩れ落ち、黒髪が力なく垂れ下がる。
 すると、次第に薄れゆく意識の中、美しい竪琴の音が遠くの方で聞こえた。
 チエルの空虚な心のうちに、物悲しく澄み切った高貴なパヴァーヌだけが響く。旧世界人である彼女にとっても、どこか郷愁を感じさせずにはいない音色だった。
 実際にはその旋律はすぐ近くで奏でられている。
 大切なものを愛しむかのごとく、優しく弦を爪弾く指先。
 弾き手のエルシャルトは木の根元に腰掛け、黙って星空を見つめている。
 その長い髪を夜風が揺らす。ひんやりと冷えてきた空気を頬に受けて、彼は涼しげな横顔をみせた。
 彼の曲を耳にしているうちに、なぜかチエルは次第に安らかさに似たものすら感じていた。怒りと苦しみに満ちた今の自分の意志とは無関係に、彼女は不思議な平穏に包まれ、ほどなく意識を失った。

 ◇ ◇

「これ以上ここにいても無意味だと思うわ。いや、むしろ有害だわね……」
 腕組みしたシソーラが行ったり来たりしている。
 あまり広くはない部屋の中で、彼女は奥に向かって歩き出したかと思うと、立ち止まってはヒールで床をカツカツと鳴らし、また手前に戻ってくる。
 落ち着きのない立ち振る舞いからみて、相当に苛立っているようだ。
「この一刻を争うときに、呑気に夕食なんか食べてる暇はないでしょ!?」
 彼女の突き刺すような声に、ルキアンは思わず背中をびくりとさせる。
 彼とランディは黙って椅子に座っていた。
 公爵とのお茶会が終わった後、今度は夕食会の準備が整うまで、3人はしばらく客室で待たされることになったのである。
 ラプサーの副長という立場にあるシソーラとは異なり、しょせんは居候ゆえの気楽さか、ランディは太平楽を並べる。
「ま、そうは言っても……。そんなに焦らず、旨いモノをたらふく食わせてもらうのもいいさ。ここのところ飛空艦暮らしが長くて、美食とは縁がないからな。海の物から山の物まで、ミトーニアには何でもあるよ」
「あのねぇ……」
 神経を逆撫でするような彼の言葉にシソーラは眉を吊り上げたが、年の功というのか、怒りを喉元に押しとどめる。彼女はヒステリックに声をうわずらせた後、一息置いてから、無理に落ち着いて話を続けた。
「予定では、ギルドの陸上部隊はもうすぐラシュトロスに到着し終わるわ。場合によっては、今晩中に夜戦を仕掛ける手もあるというのに。とにかく、こんな城はさっさと落として《レンゲイルの壁》に向かわないと、帝国軍の侵攻を食い止められなくなるわよ。この国がなくなっちゃってもいいワケ?」
 本当なら《貴方には、国を追われた者の苦しみなんて分からないでしょうけど。あの革命を賛美する貴方には!》と言いたかったシソーラだが、さすがに私怨をぶつけるのは良くない。
 彼女のそのあたりの気持ちについては、ランディも勿論分かっている。彼は複雑な表情で苦笑いすると、シソーラをなだめ始めた。
「しかしな。そもそも俺たちには、クレドールまで帰る手段がないんだから。親爺殿が帰還を認めてくれない限り、どうにもならない。それを忘れちゃいまいな?」
「あのオヤジ、初めから私たちの《足》を奪うつもりで、迎えをよこしたのね。きーっ、憎らしい!」
 いささか冗談めいた口調で言いつつ、シソーラが拳を握りしめる。確かに、いま慌てても仕方がない。彼女も少しは頭を冷やしたようである。


9 この手で必ず守る! シソーラの覚悟



 シソーラとランディは、お互いに納得した様子でしばらく黙っていた。
 その沈黙を遠慮がちに揺るがせたのは、ルキアンの言葉だった。
「あ、あの……。やっぱり、駄目なんでしょうか。ナッソス公と戦うしか、どうしても戦うしかないのでしょうか?」
 すぐには答えが返ってこない。
 シソーラが正面からルキアンを見据える。
 戦士としての厳格さと、落ち着いた年齢の女性の優しさとを併せ持った空色の目に、ルキアンは気後れを、あるいは気恥ずかしさを感じて黙ってしまう。
 突然、シソーラはぷっと吹き出す。一転して下世話な笑みを浮かべ、彼女はルキアンを冷やかした。
「当ててみようか。ナッソスのお嬢ちゃんが心配なのよねぇ、ルキアン君」
「そ、そんな、ぼ、ぼ、ぼ、僕は……」
 出し抜けに胸中を言い当てられ、ルキアンは言葉をどもらせた。
 だがそうやって指摘されてみると、確かに彼女のことが頭からずっと離れていない。いつの間にか必死になって弁解している自分に気づき、彼は余計に恥ずかしくなった。
 シソーラは意味ありげに何度も頷いている。
「ふふふ。お茶会の時にすぐ分かったわ。キミの変な態度。ねぇ、カセリナとの間に何があったの? おねぇさんにも詳しく聞かせてみなさいよ」
「な、なんでもないです! あの、その、だって、彼女が戦いで家や家族を失ったら可愛そうじゃないですか。それだけです。ただ、それだけです!」
「かわいい。気にしちゃって」
 しかしシソーラは、笑顔を殺して低い声でこう付け加える。
「戦争なんて薄情なものよ。あの娘(こ)もそのぐらいは覚悟しているはず。大体、私たちの方だって、生き延びられるかどうか分かんないじゃない」
「だから、だから戦いなんて避けられないかと……」
 シソーラは溜息をつく。彼女は曖昧な視線で、哀れむようにルキアンを見た。
「でもねぇ。結局のところ、戦うのが私たちの商売なワケよ。それに今回はただの《仕事》じゃないわ。ルキアン君もよく知っているだろうけど、この王国の全てが、未来がかかっているの」
 シソーラは外の闇に視線を転じ、中央平原の彼方へと、さらにその果てにあるレマール海の向こう、ふるさとのタロスへと思いの翼を羽ばたかせた。
 遠い目をしながらも、彼女の口からは毅然とした言葉が流れ出る。
「昔、私は故郷の《王国》を失ったけど……その代わり、オーリウムに自分の《居場所》を再び見つけることができた。それをまた失うのは、絶対に嫌なの。だから今度は私も戦う。自分の居場所を守るために」
「シソーラさん……」
 ルキアンが何か言おうとしたとき、静かに扉がノックされる。
 部屋に入ってきたのは片眼鏡をした上品な老人である。身なりも良く、堂々としていながらもにこやかで丁重な態度。この家の執事か何かだろうか。
「晩餐の準備が整いました。お部屋までご案内いたします」
「よぉー、ベルク、久しぶりだな!」
 不意に親しげな様子でランディが言った。
「お久しゅうございます。ランドリューク様」
 ベルクと呼ばれた老人は恭しく一礼する。


10 もし大切なものがあったなら、僕は…



「……すまないな。こんな事になってしまって」
 ランディがそっと彼の肩に手を置いた。
 珍しく真面目なランディの姿を、ルキアンとシソーラは怪訝そうに見つめる。
 老人は身体を振るわせ、微かに涙ぐんでいるようだった。
「その件については何もおっしゃいますな。私も元は武人でございます。人の世にこうした不幸な戦いが多々あることは、よく承知しておりますよ。ですが、気がかりなことは……」
 ベルク老はそこで言葉を詰まらせ、枯れた声でつぶやく。
「ただひとつ、お嬢様が不憫でなりません。どこで間違ってあのようになってしまわれたのか。危険な戦場に尊い御身を投じるなどと……」
 口惜しそうに俯く彼の姿を見て、ルキアンも同様にうなだれるしかなかった。
 久々の再会にすっかり気を取られていたランディが、思い出したかのように紹介する。
「彼は親爺殿の重臣のベルクだ。子供の頃から世話になってる」
 ベルクはルキアンに目を留め、穏やかに尋ねた。
「お若い方。貴君もギルドの戦士なのか?」
「え、あの……その、僕は……えっと……」
 言葉に困っているルキアン。その返答を待たず、老人は寂しげにうなずいた。
「貴君はとても優しい目をしている。きっと他人を傷つけることを、誰よりも苦痛に思っているに違いない。貴君がそれでも敢えて戦うということは、よほど大切な何かのためなのだろうな。さぞ辛い思いをしていることだろう」
「えっ?」
「覚えておきなさい。貴君のように優しい人間にとって、人を殴った自分の手は、むしろ殴られた相手の頬よりも痛むものだ。しかしその胸の痛みをこらえて戦わねばならぬこともある。そういうときには臆せず戦わねばならぬ。だがそこで、自分の拳の痛みを忘れて戦うようになってしまってはいけない。怒りや憎しみに心を委ねてしまってはいけない……」
 ベルクの言葉はルキアンに衝撃を与えた。
 少年の脳裏にあのときのことが生々しく蘇る――パラミシオンでアルマ・マキーナと戦ったとき、自分でも理解できぬまま旧世界への憎悪を爆発させ、呪われた《ステリア》の力を思うがままに解放した自分のことが。
 それにあの戦いは、本当に《大切なもの》のためだったのだろうか?
 ――大切なもののために?……貴方は僕のことを勘違いしています。僕にはそれが見つかりません。今の僕は《理由なき抜き身の剣》なのです。いや、たとえ《剣》としてでも僕が仲間たちの役に立てるなら、それでいいのかもしれません。《大切なもの》とは次元が違うかもしれないけれど、僕が《居てもよい場所》はクレドール以外にないのだから。
 穏やかに諭すベルク老人の顔を見ていると、勿論そんなことは口に出せない。
 ――もし《大切なもの》があったなら、初めから僕は《剣》になんかならなかった。なりたいとは思わなかった。
 ルキアンの唇がそっと動いた。
 暗い目の中に不可思議な光を浮かべて、身震いしながら痛みを吐き出した。
 ベルク老人が、きっと残念そうな、悲しい面持ちでこちらを見ているだろうとルキアンは思った。
「分かりません。でも僕はこの道を選び取ったのです。それを行ったのは他の誰でもない、僕自身です。風の中に揺れる木の葉のように、こんなにも希薄な存在の《僕》が、それでも向かい風の中で歩き続け、生き続けていくために。僕が僕であることができるように……そのことを僕にとっての《大切なもの》と呼ぶのは空しいでしょうか、罪なのでしょうか?」
 ――僕は、そうは思いません。だって、それが今の自分にできる、精一杯生きるということなのだから。


11 風を友とするもの・最速の獅子レオネス



 ◇ ◇

 夜の荒野を駆け抜ける6体のレオネス。クロワ・ギャリオンと彼の率いる部隊は、例の巨大な光の落ちた方角に向かっていた。
 平坦な場所であれば、レオネスは飛行型なみの速さで《走る》ことが可能だ。しかし周囲への影響や万一の事故等を考えれば、街道沿いでそのような速度を出すのは避けねばならない。
 クロワたちは《王の道》を外れて野原を行くことにした。
 ――これで思う存分飛ばせるぜ。《アエリアル・コート》!!
 そう念じるが早いか、クロワのレオネスが前傾姿勢をとり、オーロラのような光に包まれる。刹那、砲弾のごとく飛び出した鋼のライオンの姿は、遠く豆粒のように小さくなった。
 他のレオネスも同様に一瞬で加速し、たちまち視界から消える。
 レオネスたちが疾走する様は、滑らかに、あたかも風をまとっているかのごとく感じられる。本来なら途方もない空気抵抗が生ずるはずなのだが、巨大な獅子はむしろ空気と戯れ、これを友としているようにも見えた。
 それもそのはず、この機体は高速移動のための《アエリアル・コート》という能力を持っているのだ。風の精霊界の力を借り、巧みに気流を逃す風防状の結界で自らを覆うことによって、レオネスは空気抵抗を極端に減少させることができる。無論それは旧世界の技術らしい。

 超高速を誇るレオネスが本気で駆け出しさえすれば、問題の地点へと至るまでに大した時間はかからなかった。
 だがそこでは、想像を絶する状況がクロワたちを待ち受けていた。
 目の前一帯が半径数キロに渡ってすり鉢のように陥没している。
 夜気を覆い尽くし、白く立ちこめる煙。
 木も草も全てが灰になっていた。
 ――こ、これは……。何が起こったのかしら!? ともかく近くに人家がなくてよかったわね。
 途方に暮れるエリカからの念信。
 それを聞いたクロワは、先日のガノリス王都の惨事を思い起こした。そう、ルキアンの師・カルバも巻き込まれたという、神帝ゼノフォスによるあの暴挙である。
 ――バンネスクは、街ごと全体、こんな大穴に変わってしまったという話だ。噂じゃ、あのデカい宮城も住民たちも、何もかも跡形なく消えたらしいぜ。ガノリス人はどうも気にくわないが、さすがに哀れだ。ゼノフォスの野郎、とんでもねぇことしやがって。
 ――じゃあ、クロワ……もしかしてこれも、エレオヴィンスの《天帝の火》と似たような兵器のせい?
 ――どうだか。それより見ろよ、向こうの方。凄まじいな……生きてるヤツなんて居るのか?
 クロワたちが進むに連れて、辺りの様子が次第に明らかになってきた。
 おびただしい数の黒い影が地面に転がる。見渡す限り、それらはみなアルマ・ヴィオの残骸だった。個々の機体の区別も付かないほど破片が入り乱れ、いたるところに脚や胴体が散らばる。
 うち砕かれ、剥がれ落ちた装甲の下では、焼け焦げた生体器官が異臭を放つ。装甲板の皮膚をまとっていても、アルマ・ヴィオの中身はれっきとした《生き物》のそれである。その内蔵や骨がそこかしこにぶちまけられている光景は、はっきり言って気持ちの良いものではない。
 ――ひどいな。反撃する間もなく焼き払われたようだが。どうすればこんな芸当ができるんだ? これだけの数を、恐らく一瞬で。とりあえず生存者の捜索と救助にあたる。エリカ、本隊に連絡してくれ。
 幾多の戦いを経験しているクロワだが、そんな彼でさえ息を飲むほどの惨状だった。ここまで酷い敗れ方は見たことがない。あまりにも一方的だ。あたかも人が神に対して戦いを挑んだかのように……。


12 動き出す闇? 勝利に笑う黄金の仮面



 ◇ ◇

 薄暗い広間の中に、人の背丈ほどの燭台が立ち並んでいる。
 入口から伸びる赤い絨毯。その両側に列をなす燈火が、闇の向こうへと続く夢幻のごとき道を形づくっていた。
 赤々と揺れる炎に照らされ、周囲の金色の壁が鈍い光りを放つ。
「猊下、事は予定通りに運んでおりますぞ……」
 喉の奥から絞り出すような、枯れた不気味な声が響いた。
 いつの間にそこに居たのだろうか、赤紫の長衣に全身を包んだ者たちが部屋の真ん中に立っている。フードを深く被り、裾が爪先近くにまで達する外套を着込んでいるため、彼らの正体は全く分からない。
 香の匂いの立ちこめる闇の奥、黄金造りの玉座から腰を上げたのは、黒い法衣をまとった大柄な男だ。
 彼は口元を微かに弛め、堂々たる様子で頷いた。
 それに応えて亡霊のような声が漂う。
「議会陸軍の主力部隊は、兵力の3分の1近くを失った様子……。《ステリア》の力をもってすれば、そのようなことなど造作もありませぬ」
 誰かがそうつぶやいた後、赤紫の長衣の一群がおもむろに顔を上げる。
 だが現れたのは彼らの素顔ではない。それぞれ、奇怪な金色のマスクだった。
 老人のようなもの、女のようなもの、鳥のようなもの、のっぺりとして鼻も口も持たぬもの――表情のない異様な黄金仮面たち。
 彼らのうちのひとりが、木々が風に鳴るような、微かな声で言った。
「何も知らずに、いにしえの呪われし力に溺れる愚かな人間どもよ」
 それとはまた別の声。今度は呪文の詠唱を思わせる奇妙な節が付いている。
「互いに傷つけ合い、押しのけ合い、滅びの時へと転がり落ちていく……」
 暗がりの中、密やかに行われる仮面劇。
 厳粛さと妖美さとが融和したその光景を、法衣の男は黙って見ている。
 彼は何段にも重なった背の高い冠を被っていた。紅や碧の果実の粒のような、現実味のないほど巨大な宝石をちりばめ、オーリウム国王の頭上を飾る冠よりも豪奢なそれは、最高位の神官である《大法司》の位を示すものだ。
 イリュシオーネの世界において、大法司の位を持つ者はわずか4人。そのうちオーリウムに身を置く者はただ1人。
 しわがれた声がその名を告げる。
「メリギオス猊下……。後は《パルサス・オメガ》さえ覚醒させれば、全ては猊下の思うがまま」
 この言葉が最後まで述べられたとき、黄金仮面たちの姿はすでに広間にはなかった。
「万事、我らにお任せあれ」
 誰もいない空間から発せられた幾つもの声が、薄気味悪く宙に霧散していく。
 そして、最初から彼らなどいなかったかのように、湿った空気と静謐だけが残された。
 この部屋の主――聖俗両界においてオーリウムを牛耳る者、宰相にして王国の全神殿を統べるメリギオス大法司は、満足げにつぶやいた。
「すでに《神帝》との話も片が付いておる。王国は間もなく我が前にひれ伏すことになろう。それまで議会軍も反乱軍も、そして王家の者どもも、この手のひらの上でせいぜい踊っているがよい」
 暗闇の中にメリギオスの高笑いがこだまする。


【第20話に続く】



 ※2001年4月~6月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第19話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 本当の闇は、光と影のさらに向こう側にある。
 汝の真の敵を見誤ることなかれ。

◇ 第19話 ◇


1 19話「序曲」スタート 黒幕、動く?



 厚く垂れ込める雲の下、中央平原に普段より早い日没が訪れた。
 風はいくらか和らぎ、雷鳴も遠くに過ぎ去ったものの、降り続く雨は相変わらず激しい。
 クレドールをはじめとする3隻の飛空艦は、議会軍ラシュトロス基地に停泊し、嵐の中でランディたちの帰りを待ち続けていた。
 その間にも、風雨を突いてギルドの飛空艇が続々と到着する。ラシュトロスの手狭な飛行場がたちまち収容力の限界に達したため、付近の草原一帯にまで沢山の飛空艇が着陸している。
 それらの多くは、《仕事》を求めて各地を点々とするエクターたちが、移動及び輸送の手段としている小型船である。多少の武装も施されているとはいえ、基本的には飛空艦を相手にできるほどの火力を持ち合わせていないため、ナッソス家の艦隊との戦いには参加しない。実際に戦闘の主役となるのは、飛空艇で運ばれてきたアルマ・ヴィオの方だ。
 基地付近の平野を、同じくギルドの陸戦型や汎用型のアルマ・ヴィオが群をなして通り過ぎていく。各地の支部から集結したギルドの繰士――腕自慢の賞金稼ぎ、世界の戦場を渡り歩く傭兵、そして命知らずの冒険者たちである。
 軍とは異なり、種類も色も大きさも不揃いな機体が集団を形づくっているが、それだけに壮観な光景でもあった。闇の中で鋼の魔獣たちが織りなす、一種異様な百鬼夜行というところか。

 ギルドの陸戦部隊が本格的に布陣を始めたのに応じて、クレドールの艦橋もすでに臨戦態勢に入っていた。
 クルーたちの一挙一動にも、いつになく緊迫した雰囲気が漂う。それも当然と言えば当然だろう。恐らく明日、あるいは早ければ今晩中にも、ナッソス軍との戦いの火蓋が切って落とされようとしているのだから……。
「《パンタシア変換》が規定値以上の効率を維持しているか、特に《触媒嚢》の状態を念入りにチェックしろ。それから各《動脈弁》に魔力の逆流が生じていないか? 目盛りのわずかな変化も見逃すな!」
 操舵長カムレスの謹厳な声は、あたかも叩き上げの軍士官を思わせる。彼は部下たちと共に計器類を注視し、船体の調子の最終的なチェックを行う。
 カムレスの指示に続き、部下たちによって様々な数値が読み上げられ、そのつど《○○に異常なし》と連呼される。
「点検終了! 各自、持ち場につき、今後も確認を怠らぬこと!!」
 大きな刀傷のある額から、カムレスは汗を拭った。まだ春先であり、さほど気温が高いわけでもないのだが、それでも汗だくになるほど彼は真剣なのだ。
 そんな彼をねぎらうように、クレヴィスが静かに告げる。
「カムレス、ちょうど一段落付いたようですし……今のうちに夕食を取ってきたらどうです? この調子だと、少なくともあと数時間ほどは、船を動かす必要はなさそうですからね」
「いいのか? そうか……そうだな」
 カムレスは今さらながら空腹に気づいた。部下たちには交代で食事をとらせていたのだが、彼自身は、ごく軽い早めの昼食の後、今まで何も口にしていなかったのである。
 ネレイのギルド本部に立ち寄ったとき、クレドールは十二分に整備を受けた。それでも点検を微塵も怠ろうとしない点は、いかにも堅物のカムレスらしい。
 乗組員のうち、最も長くギルドの暮らしに浸かっている人間の1人でありながらも、最もギルドの人間らしくない――つまりは馬鹿が付くほどの実直さや堅実さが、カムレスの面白いところだ。
 真面目人間というのも、ここまで徹底されると、ひとつの強烈な個性である。


2 カルダイン艦長の読み…公爵家の誤算 !?



「カムレス、肩に力が入りすぎて、変に気疲れしなきゃいいけど……」
 操舵長が艦橋から出ていった後、ヴェンディルが苦笑いした。
「大丈夫ですよ。あんなふうに几帳面に振る舞うのが、かえって彼にとっては一番《楽》で自然な行動なのですから。好きなようにさせてあげましょう」
 夜の闇が草原を塗りつぶしていくのを見守りつつ、クレヴィスがそう答える。
「そうだね。手を抜けって言ったら、カムレス、かえって悩んじゃうかもしれないな。《怠けるのって、一体どうやればいいんだ?》……なんてさ」
「えぇ。アンタにも少しは見習わせたいところだわ」
「まったく……って、おい、それはひどいじゃないか、メイ」
 カムレスとほぼ入れ替わりに、メイがブリッジに入ってきた。
 手のひらサイズの扁平なチーズを、彼女は小さくちぎって差し出す。
「ヴェン、これ食べる? 晩ご飯のついでに台所からかっぱらってきたのよ。あと2、3個あるから、セシーにもあげようか?」
「要らない」
 間髪入れずに、セシエルは素っ気なく断った。彼女は机の上にミトーニア付近の《宙海図》を広げ、等圧線状に描かれた霊気濃度の偏差を丹念に調べている。
「ねぇ、セシーってば。もしかしてダイエット中とか? それ以上キレイになってどうすんのよぉ。えへへ」
 そう言って茶化しながら、メイはセシエルに軽く抱きつこうとする。
 だがクレヴィスが首を振って止めたので、メイは後ろに一歩スキップすると、大人しくあきらめた。
「なんか手持ちぶさたなんだな。ルキアンでもいたら、からかって遊ぶのに」
 今度はクレヴィスの隣に立ち、子供じみた表情で笑うメイ。こうしていると、彼女には随分あどけない部分が残っているようにも見える。
「この調子だと、夜遅くまで帰ってきませんよ。会談の方が長引いているようですね。いや、そもそも話になっていないのでしょうが……。ルキアン君たちが戻るのは、もしかすると明日になるかもしれません」
 クレヴィスは溜息をつく。彼の手元にも何枚かの宙海図が置かれ、コンパスやディバイダなどに似た製図用具や、方位磁石らしきものがその傍らに並べられている。
 ラシュトロスからミトーニアに至る空路を図面の上で追いながら、彼は相変わらず呑気な声でつぶやく。
「ギルドの陸戦部隊が全て到着するまでの、《最低限》の時間稼ぎは必要なのですが……その反面、時間が経過すればするほど、こちらにとって不都合なことにもなるのです。我々がこうやって待機している間にも、《帝国軍》は刻一刻とオーリウムに近づいているわけですからね」
「うん。シソーラ姐さんも言ってたわ。和平に興味のないナッソス公爵が、わざわざ話し合いに応じたのは……結局、向こうにとっても帝国軍到着までの時間稼ぎになるからだって」
「その通り。ナッソス公にしてみれば、こちらの兵力が完全に集結する前に、先手を打ってラシュトロスを叩くという選択もあったわけです。それを棒に振って会談を行ったからには、時間を引き延ばす方向に出てくるのは間違いありません」

 そのときブリッジ入口の扉が開き、カルダイン艦長が姿を見せた。
「公爵にしてみれば、時間稼ぎ云々には関わりなく、最初から籠城戦に持ち込む腹づもりだったろうがな……」
 艦長の枯れた声が、低く心地よく周囲に伝わる。
「特に高低差もなく遮蔽物もないミトーニア平原。その中にあって唯一の小高い丘に位置するナッソス城は、地形的に有利だ。その地の利を生かしつつ、城の近辺に堅固な陣地や砲台を築き、我々を引きつけて迎え撃つ方が、下手に動くよりも得策だと考えていることだろう。だが公爵は、ひとつ重要なことを軽視している……」
 海賊風の荒くれた外見にはよらず、意外に戦略家でもあるカルダイン。それはそうだろう――単なる気迫やカリスマだけでは、あのタロスの大艦隊相手に五分の戦いを繰り広げることなど、到底できなかったはずだろうから。
 クレヴィスが言葉を継ぐ。彼は穏やかな口調ながらも、唇に冷ややかな笑みを浮かべて言い放った。
「それは……地上戦では攻守両面について有利なナッソス城も、空からの攻撃に対してはあまり意味をなさないということですね。もちろん公爵とて、その点を見落としているはずはないでしょうが……まぁ、自らの飛空艦隊の規模を頼みに、制空権を我々に奪われることなどあり得ないとでも考えているのでしょう。そうだとすれば、甘いですね……」


3 繰士たちは、再びの集いを信じて…



 ◇ ◇

 夕刻、同じくクレドールの艦内にて。
 《赤椅子のサロン》の天井で輝くシャンデリア。
 蝋燭と硝子とが作り上げる柔らかな光は、旧世界の照明器具とは異なり、広間の全てを煌々と照らし出すような無粋なことをしない。家具の背後や部屋の隅、そこかしこに影が息づいている。
 ほのかな明かりが窓に映り込む。その向こうには霧雨。
 意外に早く小降りになってきたらしい。
「すっかり日が落ちたか。ついつい長居してしまったな……」
 レーイ・ヴァルハートの淡々とした声が、静かな室内に漂って消えた。
 端正に刈り上げられた象牙色の髪と、勇ましくもどこか優しげな横顔。天井の燈火から多少離れた位置にある彼の身体が、薄闇の中に浮かび上がる。
 彼は腕組みして外を見ていた。真っ暗な原野を行き交う光は、ラシュトロス基地に発着するギルドの飛空艇である。
 他の面々は昼間よりも言葉少なげだった。
 プレアーに至っては、カインの肩に寄り掛かってすやすやと居眠りしている。
「ふにゃ。お兄ちゃん……」
 夢でも見ているのか、彼女は満足そうな表情で寝言を並べる。
 金色に染めたおかっぱの髪に、無造作な太めの眉。桜色の小さな唇。
 女らしい匂いがなく、かといって男の子とはやはり違う不思議な容貌。
 性別を感じさせない愛らしさには、どこか天使の姿に通ずるものがあった。
「プレアーったら。この寝顔を見ていると、まだまだ子供よね。ほれっ」
 少女の張りの良い頬を、メイが指先でそっと押した。
 昼間の騒々しさとは対照的に、重苦しい空気が彼らを取り巻き始めていたが、一瞬、雰囲気が和んだ。
 低い笑みがこぼれる。

 そんな中、不意にベルセアが真顔になった。
「……今度の戦い、勝てると思うか?」
 空っぽのティーカップを見つめながら、彼は誰にともなく尋ねる。
「当然じゃネェか。オレたちが負けるわけないだろ」
 椅子にふんぞり返ってあくびをしていたバーンが、面倒くさそうに答える。
「いや、そういう意味ではなくて……さ」
 珍しく弱気を見せたベルセアの前で、バーンは訳が分からず首を傾げている。
「そういう意味って、何だよ? 要するに勝ちゃいいんだろ、どーんと!」
「あぁ。勝つさ。俺たち、日頃の行いが良いからな。日々これ精進……運も向いてくるというものだ」
 ブロンズ色のカフス・ボタンの向きを指で整えつつ、カインが呑気に相づちを打つ。紳士然とした顔つきで力説する彼だが、肝心の言葉の中身はやや意味不明だ。
「何であんたたちって、そんなに分かり易いワケ……?」
 メイが溜息をついた。
「戦いに勝ち、俺たちがこうして再び無事に集うことができれば。そう言いたいわけか、ベルセア?」
 微かな声で、けれども変に凄みのある調子でレーイがつぶやく。
 ベルセアは他人事のように言った。
「まぁな。そんな感じだ。甘ちゃんだよな、俺はさ。ところでレーイ……」
 恐らく照れ隠しなのだろう、彼は思い出したかのように話題を変える。
「議会陸軍の主力が、この2、3日中にも《レンゲイルの壁》に到着しそうなんだって? 頼もしいことだぜ」
「あぁ。王国の西部、北部、そしてエルハインの都周辺の各師団から選抜された大軍だということだが。その中でも王都の郊外に駐屯する《皇獅子機装騎士団》は、知っての通り、ギヨットの配下たちとも互角に戦える精鋭だ」
 王家から《皇》の文字の使用を許された、都の守護にあたる誉れ高き機装騎士団。その名を聞いた途端、ベルセアが手を打った。
「お前の旧友の《レオネス》乗り。ほら、クロワ……クロワ・ギャリオン。あいつがいる部隊だったな」
「クロワか。元気だろうか。長らく顔を合わす機会がないんだが……」
 永遠のライバルとでも言うべき男の名を、レーイが口にする。
 遠く王都の方へと思いをはせたとき、彼の瞳は戦士のそれに変わっていた。


4 皇獅子機装騎士団、荒ぶる鋼の獣たち!



 ◇ ◇

 エルハインの都から南へと下る大きな街道――通称《王の道》は、普段であれば、日暮れの後もなお行き交う隊商や旅人たちで賑わう。
 だが、ここ数日間、夕方以降になると路上には人影ひとつ見られない。軍の部隊を速やかに移動させるため、早朝および夜間には一般の通行が禁じられているからである。
 人気のない道の彼方、夕闇の奥から伝わってくる地響き。
 ねぐらに戻り遅れた鳥たちが付近の並木から慌てて飛び去る。
 地震のごとき揺れは、たちまちすぐそこまで迫っていた。
 小山のようにそびえる影が、数を連ね、轟音を立てて疾走してくる。筆舌に尽くし難い、空恐ろしいほどの迫力だ。
 古くから整備されてきた街道は、アルマ・ヴィオが余裕を持ってすれ違えるほどの広さを誇っていた。整然と隊列を組んで、2、30体ほどの陸戦型の群が南へ向かってひた走る。
 先頭を切っているのは、白、黒、スカイブルーの3色で塗られた機体を持つ、精悍な鋼の獅子たちだ。議会軍の量産型陸戦アルマ・ヴィオとしては、《ハイパー・ティグラー》と並んで最強の《レオネス》である。
 雄々しいたてがみと、背中の二連装MgSが目立つ。
 ハイパー・ティグラーが局地戦用に開発された要撃タイプだとすれば、レオネスは電撃戦を得意とする高機動タイプだ。そのスピードは陸戦型の中でも群を抜いている。
 ――まったく、人使いが荒いったらありゃしないぜ。ここんところ毎晩、反乱軍を追いかけて転戦してたってのに。少しは眠らせてくれよ。
 レオネスの繰士の一人が念信で愚痴っていた。もしこれが普通の会話であったなら、ついでに彼のあくびも聞こえてきたことだろう。
 ――あぁ、もう、うるさいっ! さっきから眠い眠いって……大体ねぇ、ケーラに入っている間は、眠気なんて感じるはずないじゃないの。
 女性のエクターが、呆れ返って返答した。彼女もいずれかのレオネスに乗っているらしい。
 ――そんなこと言われても、眠いもんは眠いっつーの。
 軍のお堅い機装騎士とは思えないような、とぼけた男である。
 ――我々が忙しいのは、それだけ頼りにされているということだ。まぁ、そう愚痴るな、クロワ。
 別のエクターが落ち着いた様子で告げる。
 ――あ、あはは。シュタール団長、聞こえてましたか……。
 このお気楽な男がクロワ・ギャリオン。元々はギルドの人間だったため、その関係でレーイとも親しいのだが、今では皇獅子機装騎士団に移籍している。軍からギルドに移ってくる者は後を絶たないが、彼のように逆のパターンは比較的珍しい。
 彼と念信を交わしている女は、相棒のエリカ・ハイディ。
 団長と呼ばれたのが、皇獅子機装騎士団のシュタール団長だ。
 本来なら、同機装騎士団も陸軍主力部隊に加わってレンゲイルの壁に向かうはずであった。しかし、ここ数日間、王都近郊で生じた反乱に振り回されていたために、半日ほど遅れて本隊を追うことになったのである。
 この遅刻が、結果的には彼らの強運ぶりを物語っている。
 なぜなら……。


5 悪夢の閃光、黒いアルマ・ヴィオ襲来!



 ◇ ◇

 ――雑魚が群れても所詮は無駄だということを、思い知るがいい。
 遙か天上、深海のごとき濃紺色の夕空を従え、地表を見下ろす者がいた。
 刺々しく、節くれ立った不気味な甲冑。
 夜の闇よりもさらに濃い、漆黒の翼。
 まさしく、あの黒いアルマ・ヴィオである。
 音もなく宙を舞う死の天使は、地に這う獲物たちを見つけ、にわかに空中で停止する。
 そこは、エルハインから伸びる《王の道》が、ミトーニアに至る街道とレンゲイルの壁方面に至るそれとに分かれる場所だった。
 やがて途方もない数の軍勢が、都の方角から分岐点に近づいてきた。
 まだ日没直後であるため、アルマ・ヴィオの魔法眼をもってすれば、空の上からでもその大部隊の位置程度は確認できる。
 延々と続くアリの行列のようにしか見えないが、その実態は、数百に及ぶアルマ・ヴィオである。件の議会軍主力部隊に他ならない。
 隊列の先頭がますます近づくのを見計らい、黒いアルマ・ヴィオは静かに高度を下げていく。
 左右の肩当てが軋みながらスライドし、腹部のカバーが両脇に開く。
 同時に双方の翼が、扇さながらに徐々に幅を広げ、暗黒の騎士は半月を2つ背負ったような姿になった。
 その翼が月の光を浴びて異様な輝きを見せる。いや、現に青白い光を次第に強く帯びてきている。
 ボゥッという音と共に、白熱する巨大な光の玉が機体の前に現れた。
 ――この国の未来のために、悪いが消えてくれ。
 紫のフロックの男は、心の中でゆっくりと引き金を引く。

 次の瞬間、光が満ちた。全てを飲み込み、無に帰す恐怖の光が……。
 閃光が空を切り裂き、地平に向かって走り抜ける。
 見る見るうちに火に包まれ、黒こげになり、そして消えていく木々。
 無数のアルマ・ヴィオが枯れ葉のように吹き飛ばされ、粉々に四散し、付近を残骸で埋め尽くす。
 光の中心に近い場所にいた機体は、原形をとどめぬほど溶解し、金属の塊となって転がっている。
 大地震が襲来したかのごとく、地面は崩れ落ち、おそらく半径数キロに及ぶクレーターが忽然と姿を現した。
 原野は火の海に変わり、炎がすさまじい勢いで四方へと広がっていく。

 ◇

 ――シールドを張れ、早く!!
 突然、クロワが叫んだ。
 稲妻のような光に彼が視界を奪われたのと、ほぼ同時のことだった。
 物凄い音が耳をつんざき、足元が揺れた。
 街道沿いに点在する建物や樹木を根こそぎにしながら、前方から爆風が迫ってくる。
 レオネスたちは懸命に足を踏ん張り、MTシールドを張って衝撃波に耐える。


6 混乱の中、救援に向かうクロワだが…



 荒れ狂う嵐の中、皇獅子機装騎士団はかろうじて隊列を維持し続けた。
 あと何キロか前方にいたとしたら、ただでは済まなかっただろう。
 ――今のは一体……。敵襲かしら? それにしては随分遠いわね。
 状況が全く把握できないにせよ、とりあえずエリカは周囲の警戒を怠らない。
 ――さぁな。目の前が真っ白になって、眩しくて何も見えなかった。寿命が縮まるぜェ、くわばらくわばら。
 物事に動じないというのか、呑気だというのか、ごく平然としているクロワ。彼の脳裏では、仲間たちの念信が飛び交っている。
 ――不覚だ。今ので脚の関節を痛めちまった。修理が必要かもな……。
 ――ティグラー2体が爆風で飛ばされ、軽い損傷を受けた模様!
 ――おい、早くどいてくれ! お前のアルマ・ヴィオが邪魔で動けん。
 幸い、大破した機体はないようだが、皇獅子機装騎士団も無傷ではなかった。
 ――うろたえるな。速やかに隊列を建て直し、各隊の長は被害状況の報告。
 レオネスの咆吼で一喝しつつ、シュタール団長が命じた。
 そのとき。
 
 ――助けてくれ! 化け物だ、殺される!!
 狂乱したも同然の念信が飛び込んできた。
 ――こちら、議会軍……師団の……。退却、退却だ! 付近の議会軍部隊に、救援を願う!!
 絶叫を残してそれらの声はかき消えた。
 敵軍と交戦中らしい。念信が届くということからして、それほど遠いところではない。
 ――見て、クロワ。あそこに炎が!
 エリカのレオネスが顎で前方を指した。
 街道の先、闇の中で地表が赤々と燃え、こうしている間にも爆炎や火柱が立ち上っている。
 ――団長!?
 問いかけるクロワにシュタールは告げる。
 ――そうだな。お前たちの隊で偵察に向かえ。くれぐれも注意しろよ。


【続く】



 ※2001年4月~6月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第18話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

7 魔獣の咆吼 ギルド随一、カリオス!



 ◇ ◇

 ――こちらカリオス。なおも交戦中の1体を除き、友軍機は全て大破。これより援護に入ります。
 眼下で展開される修羅場を見つめながら、カリオスは母艦に念信を送った。
 象牙色の鋼の虎と、ひとまわり大きい4匹の黒き猛虎。
 議会軍のティグラーが反乱軍のハイパー・ティグラーに囲まれている。
 すでに10体ほどのティグラーやペゾンが倒され、灌木の茂る荒野に転がっていた。
 
 最後に残った隊長機も風前の灯火。
 魔法金属の爪と牙が、漆黒の獣たちから繰り出されようとしたその時……。
 異様な形の影が宙を駆け抜けた。
 わずかに間をおいて、ハイパー・ティグラーの1体が膝を折って崩れ落ちる。
 遠く《レンゲイルの壁》を背景に、新たなアルマ・ヴィオがそこにいた。
 野生の山羊に似て引き締まった体、獅子の頭、野牛さながらの2本の角。背には翼竜を思わせる羽根。そして尻尾は、本体とは別の生き物であるかのように揺れ動く1匹の蛇。
 荒々しい動物たちを組み合わせたその体には、他のアルマ・ヴィオよりもいっそう獰猛な性格が宿っている。
 ギルド最強の繰士、カリオス・ティエントの操る魔獣《キマイロス》だ。
 悪夢の中からさまよい出たかのごとき、妖しくも美しい姿……。それは幻かと目を疑ったとき、もうキマイロスは同じ場所には居なかった。
 気が付くと、また1体のハイパー・ティグラーが腹部を貫かれ、地に伏している。
 目にも留まらぬ早業であったが、相手も並みのエクターではない。
 残りの黒き虎たちが疾風のように襲いかかり、その強靱な前足の一撃が、異形のアルマ・ヴィオに肉薄する。反撃に出る暇を与えぬまま、ハイパー・ティグラーはバネのような動きで右に左に飛びかかる。
 巧みな連携で背後を取った別のハイパー・ティグラーが、同時に食らい付こうとする。これを回避することは不可能なはずだが……。
 刹那、キマイロスの尻尾の蛇が鎌首をもたげたかと思うと、ループを描いて空に伸びた。それはハイパー・ティグラーの首に絡み付き、恐ろしい力で地面に引きずり倒す。
 背中に目が付いているかのような、信じ難い動きだった。
 だが息をつく余裕もなく、頭上からの閃光がキマイロスの周囲に突き刺さる。
 ――飛行型か!?
 空中からの新たな攻撃に、キマイロスは素早く舞い上がった。
 激しく飛び交う雷撃のビーム。新手の敵も複数だ。
 カリオスは前面にシールドを張る。
 側面、背後、また前面、と巧みに光の幕を張り替えながら、彼は敵の動きを探った。見事に全弾受け止めている。
 ハイパー・ティグラーも背中のMgSを放ち、キマイロスを落とそうとする。
 ――下の敵を一気に片づける。
 カリオスの思念に応え、キマイロスは宙返りして攻撃をかわすと急降下し、今度は地を蹴って駆ける。
 地表を滑るように飛んでくる魔法弾も、この魔獣の残像をかすめて通り過ぎていくにすぎない。
 たちまち距離を詰めたキマイロス。その口から凄まじい火焔が吐き出された。鋼鉄をも瞬時に溶かす炎がハイパー・ティグラー2体を飲み込む。


8 妖しくも美しい黒の貴公子、再び戦場に…



 キマイロスは再び飛翔し、空の敵を求めて上昇する。
 そのときカリオスは、いくつかの光が遠くで揺れ動くのを察知した。
 ――《蛍》か。呪文が来るぞ!!
 キマイロスが雄叫びをあげ、その周囲を球状の結界が覆う。
 瞬きひとつほど遅れて、機体の周囲で極低温の凍気が荒れ狂った。
 キマイロスを襲ったブリザードは、そのまま吹き降りて地表をも氷結させる。MgSから打ち出された凍結弾とは比較にならぬ、強力な魔法攻撃だ。
 ――あれを正面から受けたにもかかわらず、無傷か。面白い……。
 呪文を放った主が心の中でつぶやく。
 黒と赤の2色に彩られたアルマ・ヴィオが3体、悠然と姿を現した。
 キマイロスと同様に、こちらも人間のイマジネーションによって作り出された合成魔獣である。《アートル・メラン》、獅子の体に鷲の頭と翼とを持ったアルマ・ヴィオ。
 それらのうちの1体は、他機にはない鶏冠を持ち、ちらちらと飛び交う光球を周囲に幾つも伴っている。通称《蛍》――空中魔法陣描画素子――すなわち《ランブリウス》を装備した魔法戦仕様、マギウスタイプの機体である。
 乗り手は《黒の貴公子》、ミシュアス・ディ・ローベンダイン……。
 ――キマイロス、久々に手応えのある相手のようだ。嬉しいか?
 カリオスの言葉に応えて、キマイロスが咆吼した。
 アートル・メランも鷲のような声で鳴き、鋭く威嚇する。
 ついに衝突か……と思わせた矢先、ミシュアスが部下たちに告げた。
 ――引き返すぞ。邪魔が入った。
 雲のむこうから10機近くの飛行型アルマ・ヴィオが向かってくる。
 グレーの数機は、飛空艦ミンストラから飛び立ったアサール・アヴィスだ。別の一群は、まさに鳥そのもののようなシルエットで一目瞭然、議会軍の要撃機アラノスである。
 不意に、カリオスは敵からの念信を受け取った。
 ――私はミシュアス・ディ・ローベンダイン。そちらの名を聞こう。
 ――君が、黒の貴公子ミシュアス……。ただ者ではないと思ったら。私はカリオス・ティエント。ギルドのエクターだ。
 ――やはりそうか。ギルド随一のエクター、カリオス。ハイパー・ティグラー4体が手も足も出ぬとは、噂通りの凄腕だな。また会える日を楽しみにしているぞ。
 冷ややかな微笑を残し、ミシュアスのアートル・メランは飛び去っていく。


9 高みに立つ者―パラス騎士団、神の剣閃!



 ◇ ◇

 ――そんな、ウソだろ……!?
 一面に横たわるアルマ・ヴィオの残骸を前にして、アレスは絶句した。
 黒こげになり、細々とした煙の筋を虚しく立ち上らせる、人の身ならぬ肉塊。
 うち砕かれ、いとも容易く切り裂かれた巨大な甲冑。散乱する鉄片。
 これらの夥しい鋼と肉の山は、たった今、ほんの一刻の間に作られたものなのだ。それは瞬時の出来事であった。

 機先を制したはずの特務機装隊の上に、音もなく死神が舞い降りる。
 3体のエルムス・アルビオレから剣閃がきらめき、雷光のごとき斬撃が、姿無き敵軍を精確にとらえていた。
 インシディスの群れが完璧な動作でMgSに装弾した瞬間……引き金を引く間も与えられることなく、全ては終わっていたのである。
 あまりにあっけない幕切れだった。当の特務機装隊士たちは勿論、彼らを送り出したマクスロウ少将ですら、これほど無様な敗北は想像していなかったに違いない。
 ――こいつら、とんでもない化けもんだ……。
 アレスは生まれて初めて、自分の手の届かない相手を知った。すぐそこに死を意識した。
 《最強》とは、こういうことなのだ。鷹のような目を持つ野生の少年も、聖騎士たちの剣を見切ることはできなかった。
 剣士ダリオルは言うに及ばず、《音霊使い(おとだまつかい)》らしきエルシャルトでさえ(*1)――アレス自身よりも速く、否、これまでにアレスが見たどんな使い手よりも速く、MTソードを振るったのである。

 30体近くのインシディスの集団は、元々何体いたのか数えることが不可能なほどに、散り散りの部品と化して雪原にぶちまけられていた。微動だにせぬガラクタに囲まれて、アレスのサイコ・イグニールだけがぽつんと取り残されている。
 ――なぁ! 何も本当にやっちまうことは、なかったんじゃないか!?
 不満を示すダン。確かに彼は勇猛果敢な戦士だが、決して好戦的ではない。
 ――できれば戦わずに引き下がらせたかったのですが……こうなることは、彼らも基地を発った時から覚悟していたはず。一方が勝ち、他方が敗れる。それが戦士の定めというものです。
 冷徹に語ったエルシャルトだが、その念信の響きには若干の哀れみがこもっていた。
 唯一ダリオルは沈黙を守る。
 思い出したかのように、エルシャルトがアレスに告げる。
 ――別に手品を使ったわけではありません。私にとっては、むしろ目を閉じている方が、敵の動きがよく分かるのです。ですから彼らのように精霊迷彩で姿を消したところで、無意味なこと……。さぁ、君はどうしますか?
 弦をつま弾き、詩句を吟ずるエルシャルトだけあって、彼の念信の声も、思わず聞き惚れてしまいそうになるほど心地よいものだった。
 だがアレスは、その柔らかな声に戦慄を覚えた。
 ――これが、パラス騎士団の力……。
 もしあのままダンと戦っていたとすれば、サイコ・イグニールも瞬時に鉄くずに変わっていたかもしれない。
 ――こんなすげぇヤツら、初めて見た。燃えてきたぜ!
 ――嘘。馬鹿なこと言わないで。取りあえず逃げるの。
 アレスの強がりをイリスは的確に見抜いていた。
 ――嫌だ!! 敵に背を向けて逃げるなんて。それにイリスの姉ちゃんだって、もう少しで助けられるじゃないか!
 ――無理よ。
 冷ややかな響き。熱いアレスとは対照的に、情熱の迸りなどみじんも感じられぬ、悟りきった声だった。
 ――いいや、勝つ! オレは絶対に勝つ。絶対に絶対に勝つんだ!!


【注】

(*1)《音霊使い》は、不思議な力を秘めた呪歌を演奏し、あるいは歌うことによって、魔法の呪文と同様の効果を発生させる。ゲーム等では《吟遊詩人》というクラス名で呼ばれることが多い。一般的に言って、このクラスのキャラはしばしば弓が得意だとされる。


10 イリス、芽生え始めたこころ



 だがイリスは、アレスを無視してイグニールに命じる。
 ――《メタ霊子曲面》で防御しながら、その間に最大出力で離脱して。
 ――了解した。だが今の状態では、メタ霊子曲面の維持は最大12秒が限度。
 ――構わない。それだけあれば上等でしょう?
 ――当然だ。
 そう答えるが早いか、サイコ・イグニールの周囲に揺らめく靄のようなものが立ちこめた。
 イグニールがわずかに浮上したのを感じて、アレスが反発する。
 ――おい、イグニール、逃げるのか!? こら、言うこと聞けよ!!
 ――アレスよ、その命令は受け入れられない。私にとってイリスの言葉は絶対なのだ。
 アレスはたまらずイリスに食ってかかる。
 ――イリス、姉さんのことはいいのかよ! おい!!
 ――行って、イグニール……。
 ――行くな、イグニール! なぜ戦おうとしないんだ?
 旧世界の竜に代わって、うら若き竜使いの娘が応える。
 ――あなたが死んでしまうから……。
 イリスの言葉に、初めて感情の匂いがした。それがどんなに希薄なものであろうとも。
 ――アレスが死ぬのは、哀しい。
 一瞬、返事に詰まったアレス。
 そして彼の戸惑いを忘れさせるほどの、機体の急激な上昇。
 旧世界の時代、星の世界を旅する船に追い風を与えていたという、神秘の動力機関《ステリアン・ヴォーリアー》がうなりをあげる。

 そのとき地下遺跡から新たに現れたのは、セレナの乗ったエルムス・アルビオレである。
 ――待ちなさい!
 セレナの機体も光の翼を開き、全速力で飛び立とうとする。
 と、アレスの姿が不意に彼女の脳裏に蘇った。
 彼と剣を向け合ったとき、セレナの瞳に焼きつけられたもの。正義の炎を宿した少年の目。真っ直ぐに未来を見つめる、汚れのない眼差し。
 ――それは、かつて私が持っていたもの……。
 突然、彼女のアルマ・ヴィオの動きが止まった。大地からわずかに飛翔した後、再び翼は閉じられた。
 ――いけない、私、何をしてる!?
 セレナは慌てて機体の姿勢を整えた。一体、自分は何を血迷ったのか。
 ――どうした、故障か? セレナさん、大丈夫かよ!?
 ダンが叫ぶ。
 その間、彼のエルムス・アルビオレは、小銃型の呪文砲――《MgS・ドラグーン》を宙に向け、凄まじい光芒と共に発射した。
 空を切り裂く青白い光線が、雲間を貫き天空にまで突き抜ける。
 ダンの操るエルムス・アルビオレは、他のパラス・ナイトのそれよりも、いっそう強力なMgS・ドラグーンを装備しているのだ。
 飛空戦艦の《方陣収束砲》にも匹敵するというその魔法弾が、サイコ・イグニールをかすめて消えた。
 的を外したのではない。ダンはわざと本体への直撃を避け、翼を狙ったのだ。それだけでも、アルマ・ヴィオの動きを止めるには十分すぎる威力である。
 だが……。
 ――無傷!? そんな馬鹿な。
 ダンの放った攻撃は、確かにイグニールをとらえたはず。しかし傷ひとつ与えることはできなかった。

 ――《メタ霊子曲面》は、あらゆる物理的攻撃・魔法攻撃を無効化する……。
 イリスがつぶやく。
 メタ霊子曲面に囲まれた機体は、理論的には《この世界に存在しつつ、この世界を含めたどこの世界にも存在していない》ことになるのだという。ただし、あまりに膨大なエネルギーを消費するため、ステリアの力を借りようとも、数十秒程度しか使用できない。
 ダンが次の弾を込めようとしときには、サイコ・イグニールの姿は、恐るべき速さで視界から消えていた。ちょうどルキアンがアルフェリオン・ドゥーオと対峙した、あのときと同様に……。


11 古都ミトーニアに降る雨、すれ違う二人…



 ◇ ◇

 ミトーニアもすでに黒雲の下にあった。
 草原の古都を包む霧雨は、やがて横なぐりの風雨となり、時と共にその強さを増していく。
 ひとたび動き始めた雲足は速く、昼頃の晴天が今では嘘のように感じられる。
 強風に煽られるようにして、暗い空から降ってくる大粒の雫が、丘の上の城館に吹き寄せていた。
 激しい雨をなぜか懐かしげに見つめながら、ランディが言った。
「思ったより強く降ってきましたな。春先にこれほどの雨とは、この辺りでは珍しいことです。いや、そういえば……」
 茶を一口含んだ後、彼はカセリナの方を見て頷いた。
「貴女が幼い頃、私や兄たちと共に、この近くの小川に釣りに出かけたことがありました。覚えていますか?」
「そういうことも……ありましたかしら?」
 カセリナは素っ気ない口調で答えた。恐らく彼女の記憶にも残っているのであろうが、どのみち、当人は敢えて話に取り上げる気もなかった。
 無言のカセリナを前にして、ランディは苦笑いする。
「えぇ。その時も瞬く間に天気が悪くなって、今のような大雨になりましてね。我々は手近な木陰に駆け込み、慌てて難を逃れたのですよ。風は強まるばかり、雷も間近で鳴り響き、生きた心地がしなかった。それなのに貴女ときたら大喜びで、ずぶ濡れになりながらも、ますますはしゃぎ回っていた。考えてみれば、貴女はあの頃から活発な方だった……」
 カセリナは適当に相づちを打ちながら、興味なさそうにうつむいている。
 彼女のそんな様子を、斜め向かいに座っているルキアンがそれとなく見ていた。時々、横目で曖昧に視線を走らせて。
 だがカセリナの横顔は冷たかった。彼女はルキアンの方からわざと目を背けるようにして、首を正面向きから動かそうとしない。
 どこか不自然な2人の素振りに気付き、シソーラは目元を微かに緩めた。
 沈黙がちな場の中で、ランディだけが独りで喋り続けている。
「しかし、お転婆が過ぎて、アルマ・ヴィオまで乗り回すのは……」
 彼がからかうような口調で告げると、今まで無視を決め込んでいたカセリナが、にわかに眉をつり上げた。そして無意識のうちに、いかにも負けず嫌いな彼女本来の表情に戻る。
「女がアルマ・ヴィオに乗って、悪いとでもおっしゃりたいのですか? ランドリューク様も、お父様と同じですわね」
「いや、そういったことでは……。ギルドにも女性のエクターは山ほどいますからな。しかしエクターというのは、実際のところは野蛮な人殺しでもあるのです。それを貴女のような方が……」
 カセリナは目を閉じて、気位の高そうな、反抗的な調子で言う。
「そういえば、そこのシーマー殿とかいう方も、エクターなのですね? あんなに優しげな顔をしていらっしゃるわりに、人は見かけでは分からないものですわ」
 いかにもルキアンが《人殺し》だとでも言いたげな、棘のある口振りだ。相変わらず彼女は、ルキアン本人の方を見てはいない。
「そんな、ぼ、僕は……僕は……」
 口ごもるルキアンに、今まで黙っていたナッソス公が尋ねる。
「君のような将来ある若い貴族が、ギルドなどに関わっているとは残念な話だ。一体、なぜ君はギルドに? 何のために戦う?」
 公爵の眼差しが、獲物を捕らえようとする鷹のごとく、ルキアンを鋭く見据えた。
「そ、それは……」
 ルキアンは答えに詰まってしまう。


12 理由なき抜き身の剣 揺れる存在意義



 公爵は、半ば小馬鹿にしたような、半ば同情するような態度で告げる。
「若い人間の情熱は素晴らしいものだ。しかし若さゆえの勢いが、逆に過ちにつながることもある。頭を冷やしてよく考えてみることだ……。大方、ギルドの《人買い》たちの口車に、まんまと乗せられたんだろう? 《君には見どころがある。自分たちと共にこの世界を変えよう》などと……」
 公爵は珍しく表情を和らげ、ルキアンに諭した。
「何かを《成し遂げ》、それによって己の《存在意義》を確かめようとするのは、立派なことだ。だがな、そんな思いを簡単に形にできるほど、世の中は甘くないのだよ。もし君が……ほんの少しぐらいならば、今日明日中にでも、自分の力で何かこの世界を変えられると考えているのなら……それは誤りだ。理想だけではなく、地位や人脈や金や、様々な《力》が必要なのだ。それらを度外視して、一足飛びに何かいっぱしのことを成し遂げたいとは、虫が良すぎる。理想や情熱だけでは大きな人物にはなれぬ」
 ナッソス公の言葉にも一理あると思いつつ、いや、公爵の言ったことが現実には正しいのだろうとも考えつつ、ルキアンは恐る恐る反論し始めた。
「そ、そうですね。そうかもしれません。でもそういった世の中の必要悪を、それを仕方がないことだと言っているだけでは、あの……何も変わりません」
 最初は遠慮がちだった彼の言葉が、次第に熱を帯びる。
「変わらないどころか、せっかく世の中を《変えよう》と思っている人たちに、やる気を失わせてしまうことにもなりかねません」
 公爵はわざわざ綺麗事を並べようとはせず、躊躇せずにこう言い切る。
「それが世の習いというものだ。言葉を慎みたまえ、必要《悪》ではないよ。そもそも、どうして今の世を変えねばならんのかね? 君は何が不満だ?」
「僕は……」
 うつむき加減で手を組んだルキアン。
「不満は色々と有ります。でも、それは構わないんです。だって不満は、人間なら誰にだってあるものだから。我慢するときはしなくちゃいけないです。でも、ただ、嫌なんです……。いつもいつも受け身で自分の考えを殺してばかりで、いくつもの不満を《どうせ変えられないよ》と思い続け、言い続けて、自分をごまかすための材料にしてきた僕自身が。《何も変わらない》と思い込んで、何もしようとしないこと、それ自体が……」
 にわかに熱弁を振るい出したルキアンに、ナッソス公は顔をしかめ、カセリナは複雑な面持ちで眼を見開いた。
 シソーラは意味ありげに、ニヤニヤと目を細めている。
 ――まぁ。ルキアン君がこんなに熱く語る人だったとはね。意外だわ。青臭いけど、その真剣さが可愛いじゃないの。ふふ、頑張れ男の子……。
 ランディも、気のない素振りを装いながら、少年と公爵のやり取りを愉快そうに見守っていた。
 ――煮え切らないヤツだと思っていたが、彼もなかなか言うもんだねぇ。親爺殿を前にして一歩も引かないとは、大したもんじゃないか……。さすがはクレヴィス、目の付けどころが違うな。もしかすると、これはなかなかの拾い物をしたかもしれん。
 ルキアンはさらに話し続ける。己に酔い始めた少年の舌は、もはや留まることを知らなかった。
「何かを変えられるかどうかなんて問題じゃありません。まず勇気を出して自分の思いを行動に示してみることが、それ自体として大切なのだと思います。そして、その行動が持ち得る《意味》によって、僕は自分の《存在意義》を少しでも取り戻すことができるかもしれません。その一筋の希望の光を、僕は信じてみたいのです。僕が僕であることができるように……」
 何かに憑かれたかのごとく、そう語り終えたルキアンは、額にうっすらと汗を滲ませている。
「ふん……。だから無頼の漢たちと徒党を組んで、一花咲かせようというわけか? 全く支離滅裂な話だ」
 ナッソス公は冷淡に鼻で笑った。情熱を生真面目に吐露した少年に対し、公爵が示した答えはそれだけである。
「要するに君というのは、具体的な目的もなく……ただ自分が必要とされたからといって、それに喜びを感じて暴徒どもに力を貸す、いわば《理由を持たぬ抜き身の剣》のような人間だな。戦う理由を、いや、自分の存在意義とやらさえ、結局は他人に預けている……」
 相手をするのも馬鹿馬鹿しいという顔つきで、公爵は溜息をつく。
 だがルキアンは動揺を見せなかった。ある意味、開き直ったのか、変に落ち着いた様子で彼は黙っている。その瞳には不思議な意志の力が浮かんでいた。
 ――分かってる。そんなこと、言われなくても分かってるよ。でも何かが見えてきたような気がするんだ。僕はもう少し時間が欲しいんだ。そうすれば、そうすればきっと……。
 心の中でつぶやきながら、少年は、窓を打つ激しい雨音に耳を傾けた。


【第19話に続く】



 ※2001年3月~4月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第18話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  迫り来る嵐を前にして、僕はまだ戸惑っている。
  ――理由をください。守るべきものさえない惨めな自分に。
  それでもこの手はすでに剣を握っていた。僕は理由なき戦士になる。

◇ 第18話 ◇


1 旧世界の日記―天空植民市、崩壊の真相?



  《塔》の天空人の日記より

  某月某日
   ……《アストランサー》の試作体が《処置》の直前に逃亡したのは、ど
  うやらエインザール博士の仕業だと思われる。事件の直後、博士もアルマ・
  ヴィオを使って地上界に逃走。彼が《アストランサー計画》に反対してい
  たのは知っているが、なぜこんな暴挙に出たのだろうか?

  某月某日
   ……逃亡した試作体《ミリュウス》の行方がようやく判明。地上に降下
  したアストランサーが、ミリュウスらしきものによって倒されたというの
  だ……。エインザールは自ら地上人に手を貸し、かつて地上に追放された
  ルウム教授とも接触したもよう。

  某月某日
   ……エインザールのアルマ・ヴィオによって、地上討伐軍が甚大な被害
  を受けている。《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》……。
  売国奴エインザールは、最初から天上界に反逆するつもりで、あのアルマ・
  ヴィオを開発していたのかもしれない。一部では、《教会》関係の地下組
  織から彼に資金が流れていたという噂もある。

  某月某日
   ……天空都市《ピスケオス》の大惨事。非戦闘員まで含め、犠牲者は膨
  大な数に及ぶ。恐れていたことが現実になってしまった。《紅蓮の闇の翼》
  は、とうとう天にまで達したのだ。他方、地上人たちによって討伐軍は次
  第に追いつめられている。このままでは《世界樹》が奪取されるのも時間
  の問題かもしれない。最後の切り札だったアストランサーさえも、あの忌
  まわしいミリュウスに次々と倒されている。

  某月某日
   ……ピスケオスに続き、天空都市《トーラ》も、エインザールの赤いア
  ルマ・ヴィオの餌食になった。我々の《ゲミニア》もいつ滅ぼされるか分
  からない。このような状況の中、《教会》は国に反旗を翻したに等しい。
  教会を支持する天空都市《ヴィエルゴ》も独立を宣言し、地上人との単独
  和平交渉を開始し始めた。

  ◇

「この日記も、例の友人が解読して私に知らせてくれたものです。これを書いたのは、パラミシオンの《塔》で仕事をしていた研究員あたりでしょうか……。おや、降り出したようですね」
 水滴がぽつりと窓に当たったかと思うと、たちまちのうちに激しい雨が外の景色をにじませた。低くたれ込めた雲の向こう、草原の地平線はもう見えない。
 小さく伝わってくる雷鳴を聞きながら、クレヴィスは言った。
「日記を納めた《ディスク》……どこにあったものだと思います? 塔の2階に並んでいた、あの何の変哲もない研究室のひとつです。無駄だと言いつつも、少しは調査しておいて良かったですね。資料室に大切に保管されていた文書よりも、机の上に転がされていた個人的雑文の方が役に立つとは、いささか皮肉なものですが」
 クレヴィスの静かな声だけが部屋に漂う。


2 隠された予言 !? 終焉を呼ぶ紅蓮の闇の翼



 言葉を発することもできず、じっと紙の束を見つめるシャリオ。
 継ぎ目の無いのっぺりとした白壁と、その内側に埋もれて見えない柱。装飾をほとんど廃した、あたかも箱の中にいるような四角い空間――いわゆる《旧世界風》の様式である。
 この単純極まるラウンジは、現世界人であるクルーたちには人気がない。機能性や合理性を崇拝する旧世界人とは、審美眼も違えば、《居心地の良さ》の感覚も相当に異なるのだ。
 室内にはクレヴィスとシャリオ以外に誰もいない。もっとも、ここならば空いているだろうと考えて、わざわざ2人はこの退屈なラウンジにやってきたのだが。
「人間の思い込みというのは、怖いものですわ……」
 しばらくしてシャリオも、伏し目がちの表情で話し始めた。
「《平和で豊かな旧世界》の中で、あのように残酷な実験をしてまで人々が得たかったものは何か? 私たちはそんな疑問を感じていました。でもそれは全くの勘違いでした。旧世界のうち、ごく一部の平和で豊かなところ……つまり《天上界》の人間たちが、《地上界》との戦いに用いる兵器として、人体を改造し、何か恐ろしいものを作り出そうとしていたのでしょうか? わたくしにはそんなふうに思われますの」
「旧世界の真の姿と、あの塔で行われていた実験の意味。おぼろげながらも見えてきましたね。シャリオさんのおっしゃる通り……《アストランサー》というのは、追い込まれつつあった天上軍がなりふり構わず開発した、本来《禁じ手》であるような類の生体兵器ではないかと考えられます。しかし我々の現世界にとって深刻な問題は、むしろ……」
 そうですね、と頷いたシャリオは、クレヴィスの書いたメモを見た。そこには《沈黙の詩》に出てくる《紅蓮の翼》という箇所が記されている。

  暗き淵に、すなわちその蒼き深みに宿りし光が
  憎しみの炎となりて、真紅の翼はばたくとき、
  終末を告げる三つの門は開かれん。

「日記の叙述にある《紅蓮の闇の翼》や、《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》という表現は、たしかにこの一節を連想させますわ。旧世界の滅亡を伝えるとともに、その惨禍の再現を暗示する《詩》のことばを……」
 現世界の終焉をほのめかす予言詩――シャリオの心の中で、その謎歌がにわかに現実味を帯び始める。
 彼女はおもむろに顔を上げ、深刻な視線をクレヴィスに向けるが、彼の方はいつも通り落ち着いていた。
「おっしゃる通りです。かつて天上界に恐怖をもたらした《紅蓮の闇の翼》が、つまりエインザールという人物の生み出した赤いアルマ・ヴィオが、現世界に再び蘇るとき……。いささか早計である気もしますが、そんなふうに置き換えてみるとどうでしょう」
「赤い、アルマ・ヴィオ……」
「えぇ。ところでシャリオさんは、《空の巨人》という言葉をご存じですか?」
「《大きな木》の昔話に出てくる《雲の巨人》とは、また違うのですね?」


3 光と闇、アルフェリオン、そして少年



 首を傾げた彼女にクレヴィスが説明する。
「難しいところです。両者が同じものを指しているという見方も、できなくはないのですよ。それはともかく、《空の巨人》というのは古文書にも実際に登場するのですが、どうやらこの《巨人》が旧世界滅亡の引き金になったらしいのです」
 太古の昔を幻視するかのような、遠い目をしてクレヴィスは語り続ける。
「私はこれまで、《沈黙の詩》に含まれる《紅蓮の翼》の一節は、実は《空の巨人》について述べているのではないかと考えていました。そして《炎》や《真紅》というのは、《憎しみ》を強調するための比喩だと理解していたのです。しかし友人から先程の《日記》のことを伝え聞くに及んで……《紅蓮の翼》とは文字通りの赤色だったのだと、自然に解釈する方がよいと思ったのです。ならば……あの件は、私の取り越し苦労だったのかもしれません」
 《取り越し苦労》と言った後、クレヴィスが微笑んだのを見て、シャリオにも感ずるところがあった。
「それは、ひょっとしてルキアン君とアルフェリオンのことですか?」
「察しがいいですね。アルフェリオンの持つ想像を絶する破壊力と、6枚の翼とを目にしたとき……私はあの旧世界のアルマ・ヴィオこそ、蘇った《空の巨人》ではないかと危惧し始めたのです。勿論、まだその可能性が否定されたわけではありませんが」
「副長のお考えでは、《空の巨人》、《紅蓮の翼》、《エインザールの赤いアルマ・ヴィオ》は、全て同じものだということになりますわね。もしそうだとすれば、白銀色のアルフェリオンは……」
 微かに浮かぶ安堵の表情。やはりシャリオにも、これまで不安感があったようだ。あまりに凄まじい力を秘めたアルフェリオンが、現世界に大いなる災いをもたらしかねないと。
 溜息とともに、シャリオも笑みを浮かべた。
「するとクレヴィス副長は、アルフェリオンが《空の巨人》かもしれないと思いつつ、それでもルキアン君を信じて賭けたのですね」
「さぁ、どうでしょうか。とりあえず私は、彼の心が闇にとらわれてしまわぬように……私にできる手助けをしてあげたかっただけなのかもしれません。不遇の中でもルキアン君が決して失わなかった優しい心、《暗き淵に宿る光》が《憎しみの炎》となってしまう前に、彼に自分の生きる意味を見いだしてほしかったのです。その《意味》を彼が探し出せるに違いないという点では、彼を信じていたことになりますね。大丈夫ですよ、ルキアン君なら……」
 クレヴィスは気楽な口調で、他人事のように物語る。
「昔、1人の男がいました。彼はこの世界を憎んでいた。それでも世界をどこかで信じていた。そんな彼をこの世界としっかり結びつけた細い光の糸……彼が本当に信じ、心から愛した人間。そのたった独りの大切な人と道を違えたときから、彼は虚無の中で戦いに身を投じ、修羅の日々をさまよい、憎しみの炎の命ずるまま多くの血をすすった。そんな男でも、変わることができたのですからね……」
 いつも淡々と笑っている彼の目が、一瞬、寂しげに曇った。


4 精霊迷彩! 姿無き死神インシディス



 ◇ ◇

 切り立つ断崖を舐めるようにして、麓の方から風が吹き上げてくる。
 凍て付いた空気の中で、季節に取り残された雪が舞い散った。
 一陣の風と共に、突然降ってわいたかのごとく、不気味なアルマ・ヴィオが次々と姿を見せる。議会軍・特務機装隊の用いる《インシディス》だ。
 暗灰色の機体が辺りを埋め尽くし、細長い腕をカタカタと揺らしながら、赤い独眼を光らせるその様子は、あたかも霧の中に浮かび上がる死霊の群を思わせた。
 ――何だ、新手か!? 卑怯だぞ、機装騎士なら一対一で堂々と勝負しろ!
 アレスはダンに見当違いの念信を送る。サイコ・イグニールとエルムス・アルビオレが、まさに斬り結ぼうとしていた時のことだった。
 ――ち、違う……オレは名誉あるパラス・ナイトだぞ! そんな汚い手なんか使ってたまるか。関係ない、こいつら議会軍が勝手に出てきたんだ。
 勝負を邪魔されたダンは、腹立たしげに答える。
 ――議会軍? そうか。お前たち悪者を退治するために、軍もアルマ・ヴィオを差し向けてきたんだな。へっへっへ。ざまーみろ。
 全く状況を理解していないアレス。
 彼やパラス騎士団のアルマ・ヴィオは、《精霊迷彩》で姿を隠しつつ接近した特務機装隊によって、今や完全に包囲されていた。うごめくインシディスは20数体にも及ぶ。
 元よりパラス騎士団側には、話し合いに応ずる意思はない。その点についてはファルマスがすでに指示した通りだ。
 エルシャルトは不敵な調子で念信を発する。上品だが冷ややかな心の声が、議会軍のエクターたちに伝えられた。
 ――わざわざこんな山奥までお出ましとは、ご苦労なことです。しかし事前に何の連絡もないどころか、多数のアルマ・ヴィオを送ってよこすなどとは、穏やかではないですね。一体何のご用です?
 しばらくにらみ合いが続いた後、議会軍側から返答があった。
 ――知れたこと。貴殿たちがここで行っている作業を、ひとつ拝見させていただきたい。
 ――残念ですが、それはかなわぬことです。そもそも私たちは陛下にお仕えする者。議会軍から口を出される筋合いなどありません。
 ――ならば聞こう。《大地の巨人》の復活は、この世界全体の行く末に関わる問題……それでも我々には無関係であると?
 エルシャルトと特務機装隊の長との間でやりとりが続く。
 ――確かに無関係とは言えません。しかし世の中には、敢えて関わらない方がよいこともあるのです。
 ――あくまで拒否するというのなら、こちらも強硬手段を取る他はあるまい。
 隊長がそう伝えた瞬間、再びインシディス各機の姿がかき消えた。そして目に見えぬ包囲陣の間から、MgSに装弾する音が微かに響く。


5 フィスカの純真、凍てついたメルカの心…



 ◇ ◇

「さぁさぁ、お立ち会いですぅ。ここに取り出しましたる、未来を占う22枚のカード。知りたいことが何でも分かる、不思議なカードなのですぅ」
 怪しげな能書きを並べて、フィスカはテーブルの上にカードの山を作る。鈍そうに見える彼女だが、札を切る手つきは予想外に滑らかだった。
 フィスカの正面にはメルカが退屈そうに座っていた。ご機嫌斜めのメルカは、むっつりとした顔つきで目をこすっている。
 クレドールの医務室――フィスカとメルカの2人しか居ないと、がらんとして随分広く感じられる。薬草の香りが漂う閑静な部屋に、フィスカのとぼけた声だけが響く。
「まず、こうしてカードをかき混ぜます。それでぇ、あの……メルカちゃん、聞こえてますかぁ?」
 フィスカはメルカの前で手を振った。
 黙って首だけを大きく動かし、うなずくメルカ。
 カードを山から1枚、2枚……全部で5枚手に取ると、フィスカはそれらを裏返しにして、卓上で十文字型に並べた。
 カードの裏に描かれている絵は2種類。
 揺れる炎のたてがみを生やした、二重瞼の太陽。
 寂しそうに涙をひとしずく垂らしている、横顔の三日月。
 フィスカはカードの山を手に取り、もう一度ていねいに切り直すと、メルカの前に差し出した。
「ほいっ。メルカちゃんもカードを1枚引いて下さいねぇ」
 だがメルカは両手を膝の上に置いたまま、動こうとしない。
 彼女の小さな手は何かを握りしめていた。1枚の便箋、それはルキアンが書き綴ったあの手紙だった。インクが点々と青黒く滲んでいる。
 俯いたメルカは、頭の上にそっと手が触れるのを感じた。
 ふんわりとした金色の髪が寝癖で乱れている。フィスカは少女の髪に手ぐしを入れて、軽く整えてやった。
「お姉ちゃん……」
 か細い声でつぶやき、フィスカを見上げるメルカ。
「喋りたくないときには、無理して口を動かすのじゃなくって……とりあえず手を動かしたりするのが一番ですぅ。さぁさぁ、カードを引いてください」
 フィスカの笑顔は、どことなく間が抜けた感じがするものの、真夏の花のように明るく純真だ。その暖かさは、少女の凍り付いた心にわずかでも届いたのだろうか?


6 「僕は、僕でしかあり得ないのだから」



 ◇ ◇

 カセリナとの間の悪い再会に、ルキアンは力なく肩を落とした。
 少年の胸を吹き抜けた春風は、ほんの一瞬でどこかに去ってしまった。
 虚ろな目に漂う自嘲、唇には歪んだ微笑。
 ――あはは。そうなんだよね。そうさ……いつもの通りだ。こんなことだと思ってたんだ……。
「親爺殿、彼がルキアン・ディ・シーマー君です」
 ルキアンの背中をランディが両手で軽く押した。
「えっ? あ、あの……その、公爵、は、拝謁できましたことを、光栄、に、存じます」
 突然のことだったため、ルキアンは自分が何と言って挨拶したのか分からなかった。頭の中が真っ白のまま、ろくにお辞儀もせずに固まっている。
 彼の無様で不作法な態度にナッソス公は眉をひそめた。もっともランディと相対するときと比べれば、公爵は遙かに機嫌良く思われるが。
 ルキアンの肩をぽんと叩きながら、ランディが言った。
「彼は私たちを二度も危機から救ってくれましてね。これでなかなか頼もしい仲間なのですよ。《銀の天使》と共に、彼は私たちに奇跡(マジック)を見せてくれたのです。まぁ、この少年は本物の魔術師ですな」
「ほぅ。ランドリューク、お前からそんな素直な言葉を聞くとは珍しい」
 公爵はいかにも疑わしげにルキアンを見やった。この陰気で軟弱な青二才が、果たしてそれほどの人間なのだろうか? 公爵の瞳はそう語っている。
 他方、ルキアンの顔つきもわずかに変化した。
 ――頼もしい、仲間? マッシア伯は僕のことを《仲間》だと思ってくれているのだろうか。僕なんかのことを。どうしてこの人たちは、僕にもこんなに自然に接してくれるのだろう?
 そう、《いつもの通り》ではない。貧乏くじを引いて傷ついたところまでは、確かにこれまでと何ら変わる点がなかった。だがそんな自分を支えてくれる人たちがいる。今は……。
 ルキアンの目から涙が流れ出た。
 こんな場面が来ることは永久にないのだろうと――予め失われた瞬間を空しく待っていた心の雫だ。
 慌ててそれを拭い、姿勢を正す彼。
 ふと見ると、冷たくそっぽを向いているカセリナが涙のむこうに映った。
 しかし。彼は《怯え》なかった。体の中で何かがこれまでとは違っていた。
 今までずっと、誰かに認めて欲しいと、おぼれる子供のごとく誰かに必死ですがろうとしていた。そうすることを止めてしまったなら、自分が人間だという証がなくなるような気がして。怖くて、怖くて。
 そして他人に拒否されるたびに、背中に負っている影が膨らんで、なおさらの重荷となって自身を苛んだ。
 自分を責めた。衆人とは違う己の性格は、要するに《心の奇形》なのだと。僕だけがおかしいのだと。
 しかし。今なら心の目を開くことができるかもしれない。
 ――逃げるな。ここで立ち止まれルキアン。ひとりの人間として……世界と孤独に向かい合うときの、この巨大な重荷を恐れるな。潰されちゃダメだ! たった一歩でもいいから、前に、前に出るんだ!! そうすれば、いつか誰かが分かってくれる。いや、分かってくれた。やっと本当に僕を受け入れてくれる人たちに出会えたんだ!! だから……。
 ルキアンは何度も念じる。
 自分の体に、一点、小さな亀裂が走ったような気がした。
 ――恐れないで。勇気を出すんだ。許してあげようよ! 自分を許してあげようよ! 僕は僕を許そう。そうしなくっちゃ、だって、だって……。
 《僕は、僕でしかあり得ないのだから》
 投げやりではあれ、生まれて初めてそう思えた。彼にとっては奇跡だった。

 ◇

 そのとき……。
 格納庫に眠るアルフェリオン。
 鋼の体の下、動力筋と液流組織に覆われた暗闇の奥。
 あの黒い珠が微かに光った。

 ――今のあなたになら、できるはず。私を見つけて。早く、私を……。


【続く】



 ※2001年3月~4月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第17話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

11 嵐の前…ギルドの繰士、ひとときの休息



 ◇ ◇

「だからさぁ、あたしは……。アンタねぇ……おい、人の話聞けよっ!」
 市場のおかみさん連中にも負けない気っ風の良い声が、部屋の向こうから廊下にまで響いている。声も大きいが、言葉遣いもやや乱暴だ。
 クレドールの乗組員であれば、メイが喋っているのだとすぐ分かるだろう。
 《赤椅子のサロン》の近くを歩いていた人影が、苦笑いしながら立ち止まる。
「おやおや。先客がいましたか。これはまた賑やかなお茶会のようですね」
 ラウンジをそっと覗き込んだのはクレヴィスだ。
 中にいる者たちは話に夢中で、彼には全然気づいていない。メイが相変わらず、手厳しい言葉でバーンをやり込めているらしい。
 喧嘩するほど仲が良いとも言われるではないか……放っておけばよいものを、わざわざバーンに助け船を出しているのが、クレメント兄妹のカインだ。彼のとぼけた声は聞き取りにくいのだが、例によって何か意味不明の発言をしたらしく、メイが今度はカインにかみついている。
 するとカインの隣に座っていた妹のプレアーが、メイに向かって盛んに文句をぶつけ始めた。これまたよく聞こえないが、《お兄ちゃん》という言葉がやたらと連発されていることだけは分かる。
 メイとプレアーのやり取りにベルセアが横槍を入れ、面白半分に煽る。彼だけはクレヴィスに気づいて、力の抜けた笑みを浮かべつつ手を振っていた。
 この大騒ぎの中で、ひとり涼しい顔で座っている金髪の青年が、ギルドでも指折りのエクター、レーイ・ヴァルハートである。彼の容貌自体は凛々しく、そして逞しく、あたかも古代の英雄像が動き出したかのような勇士ぶりだ。しかし見かけの姿が立派であればあるほど、隅の方で地味にお茶をすすっている彼の振る舞いは、あまりに不似合いで滑稽なのだが……。
 戦士たちの束の間の休息――それを眺めていたクレヴィスが、微笑ましそうにうなずく。
 目の前の小さな安逸は、風に漂う木の葉のようにはかない。明日、明後日……いまここで笑っている者たちが、全てまた顔を揃えるとは限るまい。結局、歯に衣着せぬ表現をすれば、戦争とは《殺し合い》なのだから。

 彼らの大切な時間を邪魔をしたら悪いと考えたのか、クレヴィスはラウンジからこっそり離れた。
「エクター同士の親睦会……いや、打ち合わせですか。私たちは場所を移した方が良さそうですね」
「えぇ。それがよろしいですわ。隣で小難しい話をされては、せっかくお楽しみ中の彼らも気が滅入ってしまうでしょうから」
 普段着の白い法衣の上に、長いケープを掛けているシャリオ。彼女は華奢な指先を口元に当てて、目だけを細めて笑っている。
 再び歩き始めた2人。
「ところでクレヴィス副長、軍との会議の方はもうよろしいのですか? 昨晩は徹夜の討議が続いたと聞きましたが……どうか、あまりご無理をなさらないでくださいね」
「お心遣い感謝します。幸い、私が顔を出すべき要件はもう片づきましたので、今はカルとノックス艦長に交代しましたよ。ヴェルナード(=ノックス)は、元々が軍人ですからね。ああいう肩の凝りそうな話の席にも慣れているようで。私はどうも苦手ですよ。やはり古文書のことでも論じている方が、ずっと楽しいのかもしれません。それで、シャリオさん……」
 クレヴィスはポケットから数枚のメモを取り出す。見慣れぬ言語で何か走り書きがしてある。魔道士や神官の使う筆記体で綴られた、古典語の文章だ。
「急にお呼び立てして申し訳ありませんでしたが、実は、この件について貴女のご意見をお伺いしたいのです」


12 翼の謎、いにしえの『沈黙の詩』は語る



 彼に手渡された紙切れを見た途端、シャリオの表情がにわかに真剣味を帯びた。いや、興味津々に瞳を輝かせたと言った方がよいかもしれない。
「パラミシオンの《塔》で発見した沢山の《ディスク》ですが……例の《知恵の箱》を管理している友人に、ネレイの街から急ぎの荷で送ったところ、早くも念信が帰ってきましてね。その要点をメモしたものです」
 クレヴィスに告げられるまでもなく、シャリオは紙に書かれていた文のひとつに目を留め、それを心の中で繰り返した。
 ――すなわち……が、憎しみの炎となりて、真紅の翼羽ばたくとき……。これは《沈黙の詩》の一節、《紅蓮の翼》と称される不可解な箇所!?
 高揚した面持ちで、シャリオはクレヴィスを仰ぎ見る。
 眼鏡の奥に意味深な微笑をたたえ、彼は黙って頷くのだった。

 ◇ ◇

 薄雲のヴェールの向こう、かすかに青を透かしていた空。
 それがいつの間にか灰色に濁り始めていた。
 見上げるような白い城館が、迷路を仕切る壁さながらに広がる。
 その谷間にひっそりと作られた、時に忘れられた小さな中庭。
 野の草茂る湿った地面を踏みしめながら、
 暗い目をした少年が、じっと見上げていた……
 ただひとつ、外の世界に向かって開けた空の天井を。

 ――夕方には、降り出すかもしれないな。
 流れ着き始めた雨雲を見つめながら、ルキアンは思った。
 風も心持ち強くなり、生暖かい空気を肌が感じ取りつつある。
 あらしが……春の嵐がやって来るのだ。
 ――嫌だな。雨か。
 彼は頭を垂れ、足元に横たわる蔓草(つるくさ)を眺める。
 そのとき、背後で密やかな声がした。
「何を悩んでるのかなぁ? 少年」
「シソーラさん!!」
 耳に息を吹きかけられ、ルキアンは慌てて身をすくめた。
「ふふ、可愛いっ。どうもお待たせ。あなたを呼びに来たのよ」
 そのままシソーラに手を取られるルキアン。彼は困った顔で尋ねる。
「呼びにって、どういうことですか? 妙に早いですけど、まさか会談がもう終わったわけじゃ……」
「その会談が問題なのよねぇ。予想されていたことだとはいえ、全く進展なし。お互い、慇懃無礼な悪口の応酬って感じ。疲れる疲れる。公爵もさすがに嫌気がさしたのか、いったん話し合いを休止してお茶会でも開こうということになってね。それで、ルキアン君も一緒にどうかと思ってさ」
「え、あの、困ります。僕なんか……場違いです」
 ルキアンは即座に首を振った。
 彼の背中をぽんと叩いた後、シソーラは強引に引っ張っていこうとする。
「遠慮しなくていいってば。大体ねぇ、今どき家柄なんてそんなに気にする必要ないワケよ。あなたも知ってるでしょ……由緒正しい大貴族が、成り上がりの商人のご機嫌をさんざん取って、借金の期限を伸ばしてもらっているようなご時世なんだからさ」
「で、でも僕……」
「もぅ。困った子ねぇ。公爵自身もぜひ来てくれと言ってるんだから」


13 ルキアンもお茶会に招かれ…



 シソーラは彼に身を寄せると、今度はハスキーな作り声でつぶやき始める。どうやら愚痴で泣き落とす作戦に出たらしい。彼女が《ルキアン》と呼ぶたびに、その名前の語尾のところが変に鼻にかかっていた。
「ルキアン君。あなたが来てくれた方が、雰囲気が和らぐと思うのよ。ランディのバカと公爵が元々あんまり仲良くないから……場の空気が息苦しくて、倒れてしまいそうだわ。私までとばっちりを食らって、棘のある言葉でさんざん虐められるのよ。ひどいと思わない? ねぇ、お願い……」
 どこまで真面目に言っているのか、よく分からない言葉だが。
「ほら、ルキアン君。早くっ、早くっ!」
 やんわりとしているようでも、シソーラの押しの強さは半端ではない。ぐずるルキアンだが――かといって誘いを断るだけの気力もなかったので、結局、彼女の勢いに負けて引き立てられていく。
 ルキアンの力ない足取りは、これから売られていこうとする子牛を連想させる。他方、してやったりという顔つきのシソーラ。
 そんな彼らの様子を見て、屋敷の警護をしている兵士が首を傾げていた。

 ◇

 淡い青と白とに囲まれた、薄暗い空間――窓から差し込む光と、ひんやりとした空気に包まれて、漆喰で作られた唐草が壁から天井に向けて這い上がっている。
 十分に余裕を持った広さの、贅沢な踊り場の設けられた階段。
 壮麗な城館の内部を眺めつつ、ルキアンとシソーラは登っていく。
「あの、シソーラさん……」
「うん。何?」
「ちょっと、聞いても、いいですか……」
 遠慮がちなルキアンの声が、天井にか細くこだまし、壁や柱の奥に張り付いた影に吸い込まれていく。
「シソーラさんも、こんな立派なお屋敷に住んでいたのですか?」
 彼女がしばらく黙っていたので、ルキアンは気がねし始めた。
「あ、あの、お気を悪くなさらないで下さい。ごめんなさい……」
 過去を思い起こすということは、シソーラにとって、取りも直さずあの革命の悪夢と向かい合うことでもあるのだ。何故にそんなことを尋ねてしまったのだろうかと、ルキアンは自分の浅はかさを悔やむ。
 ようやくシソーラの声がした。彼女は静かに語り始める。
「あたしの家は町の中にあったから、館をここまで大きくするのはさすがに無理よ。いくら大貴族でも、普通はナッソス家ほどの財力なんてあるわけないし。ま、中身の派手さは似たようなものだったけど。でも、がらんと広い屋敷の中に大人ばかり。そんな世界、子供の頃には寂しかったな……」
「シソーラさん、ご兄弟は?」
「兄がいたらしいんだけど、小さいときに流行りの病で亡くなったんだって。あたしが生まれる前のこと。ずっと後になって、弟が生まれたんだけどね。だから随分長い間、兄弟はいなかったのよ。ルキアン君は?」

 ルキアンの表情が不意に曇った。うつむいたまま、彼は黙って階段を上っていく。偶然とはいえ、それはシソーラの心を乱したことゆえの天罰なのかもしれない。
「僕は……」
 ――僕は、両親の本当の子ではないのです。
 と、彼は言おうとした。しかし、その言葉を口にするのを避けてきた過去の習慣から、無意識のうちに適当にごまかしてしまう。
「兄がいました」
 それは確かに事実だ。シーマー家の兄たちが。


14 孤独と向き合え、精神の淵に潜むもの



 ◇ ◆ ◇

 ――どうして、お兄ちゃんたちはみんな綺麗な服で、僕だけこんな服なの?

 ――兄さんたちは、今日は馬で森に駆けに行ったんだ。でも僕は行かないの。いいんだ。どうせ連れていってもらえないから。どうせ僕は……。

 ――ねえ、あなた……あんな子なんてもらわなければ良かったわ。
 ――声が高いぞ。あの子が聞いていたらどうするんだ。

 ――いいの。だって僕は……。
 ――僕は、いらない人間。誰にも必要とされない……。

 僕は、いらない人間。
 僕は、いらない人間。
 いらない人間。
 いらない人間。
 いらない。
 いらない!

 昔の自分の姿が、ルキアンの脳裏に不意に蘇る。
 忘れておきたかった記憶。もう永久に鍵を掛けておきたかった灰色の思い出。

 だが、幼い頃の出来事を心の中から消し去ってしまおうとも、結局は同じだった。彼が《いらない人間》であることに変わりはなかったから。その後も。別のどんな世界に行っても。

 そして苦しみに満ちた回想が……。凍り付いた日々の闇。

 ただひとり、冷たく、音のない晩に。
 ルキアンはいつものように、野ざらしになった小さな礼拝堂に駆け込んだ。
 蜘蛛の巣と、ひび割れた石壁と。
 月明かり。暗闇の中で、それは白く微かに光っていた。
 女神セラスの彫像が、あくまで柔和な微笑をたたえて彼を見守っている。
 滑らかな象牙色の石の肌に、月の光が照り映えては、深い闇の奥へと吸い込まれるように消えていく。
「僕は……こんなところで自分を見失ってしまうのは嫌です」
「でも、どうしても止められない怒りが……怒りが次第に僕の中に満ちあふれていくことが……心が荒んでいくことが、自分自身、耐えられないのです。穏やかなままでいたい。いつも静かに笑っていたい。それだけなのに!」
 流れるように美しく彫られたセラスの裳裾に、彼はすがりついた。
 涙とともに。ルキアンの上体が像の胸から足下へと、絶望を背負って崩れ落ちる。
「ここには、僕の探している未来はありません……」

 ――独りだ。この暗闇だけが、僕を優しく包んでくれる。この夜の……。
 ――あなたは孤独を恐れている。独りでいるときには、ただ寂しいとか、そこから逃げ出そうとか、そんなことばかり考えている。
 突然、エルヴィンの謎めいた言葉が思い出された。何の脈絡もなく?
 過去と今とが互いに絡み合う。
 ――勇気を出して……目を閉じて、静寂とひとつになるの。そうすれば気づくはず。あなたは何も感じない?
 ――静寂と、ひとつに?
 天鵞絨(ビロード)のように柔らかな闇の中で、無音の空間に浮かんだセラス像が、かつての孤独な夜のことが、浮かんでは消える。
 ――静寂と、ひとつに。この心を投げ込む……僕の暗闇の果てに?

 何かが、彼の心の中に。
 それは精神の奥底にある深き淵に、その暗い水面(みなも)の下に。
 何かが沈んでいる。己の無意識はそれに気づいている。
 声が。そして姿が……。


15 カセリナ、憎しみの視線! 最悪の再開…



 ◇ ◆ ◇

「ルキアン君!?」
 遠くでシソーラの声が聞こえた。
「ほら、何をぼんやり歩いてるの?」
 階段の最後の一段でつまずきかけて、ルキアンは我に返った。
 壁で赤々と燃えるいくつもの燭台。落ち着いた深緑の絨毯を敷き詰めた廊下。
「急に黙っちゃうんだから。変な子っ。さぁ、この部屋よ」
 シソーラはにっこり笑って目の前の扉を指し示す。
 ドアが開かれた。
 正面には広い窓。天気が崩れかけてきたとはいえ、外の世界からの光は強い。
 木の肌合いを生かした自然な壁と床。それらを彩る同じく木の彫刻の数々が、繊細な職人芸と重厚な飴色の光を誇らしげに見せている。
 灰色のフロックをまとうランディの姿があった。
 彼の奥に居る厳粛な雰囲気の男が、おそらくナッソス公爵だろう。

 そして……。
 ルキアンともうひとつの人影が、同時に立ちすくんだ。
 気まずい表情で、ゆっくりと顔を背けたルキアン。
 彼と相対して目を見開き、怒りとも驚きともつかぬ眼差しを向けるのが――ナッソス公爵の娘、あのカセリナだった。
 部屋の中の空気が、たちどころに張りつめたような気がした。
 非難に満ちたカセリナの視線がルキアンに突き刺さる。
 ――ち、違うんだ。僕は、僕はただ……。
 彼は言葉にならない弁解を繰り返す。
 ――あなたも私の敵だったの。ギルドの艦隊の人間だったのね。
 カセリナの表情はそう語っていた。
 ――私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。


【第18話に続く】



 ※2001年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第17話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

6 運命の出会い? あるいは運命の皮肉?



「うわぁ! な、何!?」
 庭の奥の通路から、小さな白い犬が、いきなり脱兎のごとく駆けてきた。
 一瞬、何だか分からないほど速かった。
 木々や噴水を器用にすり抜けると、犬はルキアンめがけて飛び上がる!
「い、犬?」
 真っ白なむく犬は、勢い余って彼にぶつかった。
 革張りの手帳がはね飛ばされ、地面に投げ出される。
 驚いて立ちすくむルキアン。
 犬の方は妙に彼をお気に召したらしく、彼の膝に前足を掛け、舌を出して息を弾ませている。
 すると、この犬がやってきた方向から今度は少女の声がした。そして足音。
「アルブ、アルブったら。どこ行ったの!? もう、待ちなさいよ!」
 ルキアンは背中をびくりと振るわせた。
 彼がふと頭を上げたとき、その言葉の主と目が合った。
 金の髪を丸く結った娘が怪訝そうに首を傾げている。
 瞬間、ルキアンはわけもなく身震いを感じた。本能的な直感がもたらした、極めて抽象的な暗示だった。いかなる予感なのか、具体的なことは彼自身にも全く分からない。
 彼女の姿は鮮烈だった。
 わずかな緩みすらなく、凛と張りつめた1本の弦のようだ。
 触れれば指先が切れてしまいそうな、それでいて彼女自身も壊れてなくなってしまいそうな、硝子の刃のようだ。
 瞳の中の少女は彼の心の奥底にまで焼き付いた。
 周囲に何のはばかりもない態度や、非常に上等な仕立ての衣装からして、彼女は恐らくナッソス家の人間だろう。
「ごめんなさい。アルブが迷惑かけてしまって」
 呆然としているルキアンに近寄ると、少女は姿勢をかがめ、例の小さな犬を抱き取った。
「見かけない人ね。お客様? 私はカセリナ。この家の娘です」
 ――ナッソス公爵の娘。この子が!?
 彼女のひとことは、ルキアンの頭の中をかき乱した。目の前が真っ暗になり、すぐには返事ができなかった。
 ――彼女とその家族が、僕たちの敵……? 僕らは、彼女の大切なものを全て灰にしてしまおうとしている。そんなことが! もしそうなったら、この子は……。
 清楚に研ぎ澄まされながらも、極めて危うい少女の姿が、ルキアンの脳裏で砕け散った。自分が猛悪な人間であるような気がして、彼は言葉を失う。
「あら。これ、あなたのでしょ?」
 カセリナは彼の足下に転がる手帳を拾い上げ、土を払う。
 富裕なナッソス家の人間だけあって、贅沢な手袋が汚れるのを毛筋ほども気にしていないようだ。
 むしろ気になったのはルキアンの方である。純白のレースに包まれた彼女の指先に、湿った黒土が粘り付いている――なぜか、彼はそれを見て胸が重くなった。さきほど自分の中で壊れたカセリナの姿が、その光景と重なる。
 彼のそんな思いなど知らぬカセリナは、開いたままになっていた手帳のページに、何気なく目を留めた。


7 春の光の中で震える、闇に慣れすぎた心



「あ、読まないで! こ、困る……困ります!!」
 真っ赤になったルキアンは、こわばっている舌を必死に動かす。
 恥じ入る彼を尻目に、カセリナは、ルキアンのか細い文字を辿っている。
 愛らしい桜色の唇が、微かに弛んだような気がした。
 カセリナはペンを取り出し、同じページに何やら書き付けている。
 彼女はルキアンに向かって手帳を差し出した。
 生真面目に澄んだ少女の瞳が、今までの清冽さを和らげ、心なしか無邪気に光る。
「はい、どうぞ。それで、あなたのお名前は?」
「あ、あ……あの、ぼ、僕は……ルキ、ルキアン……ディ・シーマー……です。実は、その……コルダーユの街で、魔道士の、見習いをしています」
 しどろもどろになった彼が、《お会いできて光栄です、お嬢様》と最後に付け加えようとしたときには、カセリナの姿はもう遠くにあった。彼女は屋敷の奥へと、犬と一緒に上品に歩き去っていく。
 ルキアンは、自分がギルドの関係者であるとは恐ろしくて言えなかった。
 そう告げることが、まるで彼女を傷つけてしまうことに等しく思えて、決して本当のことを言えなかった。
 赤く染まった頬の熱さすら忘れ、彼は返された手帳を見る。

   降りそそぐ春の光の中で、
   闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
   僕は戸惑い、力無く震えている。

 今しがたルキアンが書きかけて、途中で終わっていた詩である。
 白紙のままだったはずの続きの部分に、別の筆跡が優美に並んでいた。

   それでも僕は、やがて歩き出すよ。
   心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
   優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。

 カセリナの粋な気遣いに調子よく高揚しながらも……ルキアンの喜びはたちまち消え去っていく。
 もし誰かが見たら寒気を催しそうな陰湿な目つきになって、ルキアンは去りゆくカセリナの背中を追った。
 ――だけど、その《翼》のために、僕は君の大切な人たちに血を流させ、君にも涙を流させることになる。それでもいいの? 僕は、君を壊すかもしれない。それでもいいの?
 あくまで明るい日差しの中で、ルキアンの心はいつしか闇に落ちていく。
 ――罪深い僕をお許し下さい。神よ。セラス女神よ……。


8 重騎士の群れを圧倒、目覚める超竜の力!



 ◇ ◇

 冷気を震わせ、轟く咆吼。それと同時に険しい稜線が崩れ落ちる。
 剣のごとき峰をなす岩盤がたやすく掘り抜かれ、雪原を切り裂く地割れの下から異様な影が姿を見せた。
 2本の角を生やした蛇のような頭が覗いた後、思いもよらぬほどの敏捷さで、地面に空いた大穴から巨体がするすると這い上がる。強靱な四肢に支えられ、分厚い装甲に包まれた胴。本体と同程度の長さをもつ尻尾が、鈍い金属音を響かせ、しなやかにうねる。
 旧世界の超アルマ・ヴィオ、深紫の竜王、サイコ・イグニールだ。
 ――陛下を守る機装騎士(ナイト)のくせに悪者に手を貸すなんて、とんでもないヤツらだぜ。このアレス様がまとめてぶっ潰してやるから覚悟しろ!
 遺跡を見張っていたシルバー・レクサーの一群。イグニールはそのただ中に、しかも突然、相手の足下から出現したのだった。現状を把握する余裕さえ敵に与えず、無鉄砲なアレスはいきなり猛攻を仕掛ける。
 地震さながらに大地が粉々になったため、レクサーのうち何体かは、すでに姿勢を崩して倒れたり、下の方に転がり落ちたりしている。
 かろうじて立っていた機体も、不意を付かれ、次々となぎ倒されていく。さすがの《重騎士》シルバー・レクサーも、さらに数倍の重量とパワーを有するイグニールに体当たりされては、ひとたまりもない。その突進をかわしたところで、今度は強靱な尻尾の一撃が襲ってくるのだ。
 ――おい、ウソだろ!? あのシルバー・レクサーが軽く飛んでったぞ!
 その圧倒的なパワーには、アレス本人も驚きを隠せなかった。
 もちろん彼自身、まだ機体に慣れていないため、イグニールの有り余る性能を上手く使いこなせていない。仕方がないので力任せにぶつかり、敵をはね飛ばし、押し倒しているだけなのだが……それだけでも面白いように戦えてしまうのだ。あの名機シルバー・レクサーの群を相手に、たった1体で。
 ――すごいぞ、すごい、凄すぎる! これが旧世界のアルマ・ヴィオなのか?わけわかんないけど、メッチャクチャ強いじゃないか!!
 調子に乗ったアレスは、そのまま力技で押し切ってしまおうとする。
 彼の意識と同調してイグニールが上体を起こし、2本の後ろ足で立ち上がった。前足あるいは腕の先端では、曲刀を寄せ集めたような鉤爪が鋭く光る。背中の翼が悠然と開かれ、堂々たる姿がいっそう強調された。
 ――ば、馬鹿な。シルバー・レクサーが完全に力負けするなんて!? 化け物か、あのアルマ・ヴィオは……。
 ――わずか1体の敵に、我々近衛隊が手も足も出ないなどとは! 何てことだ!!
 予想外の旗色の悪さに、機装騎士たちは思わず戦慄する。
 けた違いの相手を前にして慎重になったのか、残ったシルバー・レクサーは密集隊形を取ると、分厚い楯を構え、自慢のMTランスを突き出して槍ぶすまを作る。派手な動きこそないが、巨人の騎士たちが一糸乱れず列を作る様は、重厚な迫力に満ちていた。
 こうなると、困ったのはアレスの方だ。重装甲を誇るシルバー・レクサーに本格的な守備の態勢を取られては、どんなアルマ・ヴィオでも簡単には踏み込めない。まともにぶつかっていけば、手痛い反撃を受けて串刺しにされてしまうだろう。楯の中央に装備された大口径のMgS(=マギオ・スクロープ)も、その狙いをイグニールに定めている。


9 エルムス・アルビオレ―頂点に立つ機体



 冷静さや秩序だった動きに関する限り、アレスよりも近衛隊の方に軍配が上がった。《お坊っちゃん機装兵団》という情けない俗称に反して、その整然とした動きはやはり素人とは違う。
 ――くそっ! こっちが仕掛けるのを待つ気かよ。そういえばイグニール……俺、お前の武器を何も知らなかったな。つい勢いで暴れちゃって。なぁ、何か良い手はあるか? 飛び道具とかないの?
 アレスがそう念じると、すぐにイグニールから返事が返ってきた。
 ――まったく呑気な奴だな。よく聞け、速射型MgS2門と多連装MgSが1門、イリスの《サイキック・コア》と連動した遠隔操作兵器《ネビュラⅡ》、それから竜王の炎――《ハイパー・ステリア・キャノン》。そして、わが最強の兵器……。
 ――ハイパー・ステルス、何? そんなにいっぺんに喋んないでくれよ!
 よくもこれだけと思えるほどの、質・量ともに半端ではない武装だ。おまけにネビュラⅡやステリア・キャノンは、旧世界の《解放戦争》の後半になって現れた超兵器である。いくらアレスでもそんな名前は聞いたこともない。
 意外に知的なイグニールは、アレスには分かりそうもない理屈を事細かに並べ立てる。
 ――違う。ハイパー・ステリア・キャノンだ。《霊子素(アスタロン)》を物質界へと強制的に実体化させ、その際の霊的対消滅によって生じる莫大なエネルギーを利用した、超高出力の……。
 ――何だよ、そのアスタロンって? 要するに、どのぐらいすげぇんだ? 早くしないと敵のMgSが飛んでくるぞ!!
 ――そういう感覚的な質問は苦手だが。そうだな……いま我々が立っている山脈程度なら、簡単に消滅させることができる。
 ラプルスの山々を一瞬で無に帰するような力。もしそれが本当なら、アルフェリオンの《ステリアン・グローバー》以上の破壊力かもしれない。イグニールはごく平然と言ってのけたのだが。
 ――な、何? 待て、そんな危ない武器使えるかよ! 俺の家までなくなっちまうじゃないか。もっとマジメに答えろよな。
 ――今の発言は理解不可能だ。意味が分からない。私は真剣……。
 どこか間の抜けたやり取りを聞きながら、イリスは呆れていた。
 ――アレス、急がないと敵が向かってくる。
 ――あ……あれ、誰? 今の女の子の声は!?
 聞き慣れぬ言葉に、彼は耳を奪われそうになった。
 ――早く。イグニール、ネビュラⅡを射出して!
 ――まさか、イリス?
 今頃になって気付くアレス。先程までにも何度か耳にしていたはずなのだが。
 ――イリス、ちゃんと話せるじゃないか。どうして今まで黙ってたんだ?
 ――違うの。あたしは、心の中でしか……私は声を出せない……。

 そのとき、2人の話を遮って別の人間からの念信が割り込んできた。
 ――そこのアルマ・ヴィオ、お前は何者だ!? 俺たちをなぜ攻撃する?
 シルバー・レクサーとは異なる、白と金の甲冑をまとった華麗なアルマ・ヴィオが目の前に立ちはだかっていた。
 イグニールと張り合うかのごとく、龍の頭部を形取った兜。手に構えた小銃型の呪文砲、MgS・ドラグーン。優美で繊細な造形とは裏腹に、飛空艦の砲撃すら弾くと噂される甲冑。その全てが頂点に立つ者に相応しい……パラス・ナイトのみが操る機体、エルムス・アルビオレだ。
 アレスも話には聞いていたが、実際に見たのは始めてである。したがって彼の目には、正体不明の手強いアルマ・ヴィオとしか映らなかった。


10 アレスとダン 激突、熱血vs熱血 !?



 相手はいかにも熱い口調で怒鳴っている。アレスよりは年上だろうが、随分若いように感じられる。
 ――俺はパラス・テンプルナイツのダン・シュテュルマー! 名を名乗れ、そこの狼藉者!!
 ――ろーぜき者? お前こそ、よくそんなことが言えるな。悪者のクセに! 俺はアレス。人呼んで正義の勇者、アレス・ロシュトラムだ!!
 勢いづいて勝手に勇者を名乗るアレス。
 ダンという若者の方も、負けじとばかりに反撃した。
 ――ふざけるな! 正義の勇者が聞いて呆れるぜ。仮にも正義を名乗る者が、なぜこんな不埒な振る舞いをする? 俺たちを国王陛下の聖騎士団と知ってのことか!?
 ――あぁ、そうだ。聖騎士だか何だか知らないけど、悪者の手先になんかなりやがって! 正々堂々と勝負しろ、この悪党!
 ――何だと? 名誉ある騎士に言いがかりを付け、あまつさえ悪人呼ばわりする気か! 許さないぞ、正義をかたる悪のドラゴン。この俺が退治してやる!
 2人の話は全くかみ合っていない。双方とも単細胞極まりない熱血漢で、しかも自分こそが正義の戦士だと思って譲らないだけに、始末に負えない。
 このダンという男、恐らくチエルたちの一件について事情をよく理解していないようだが……。ともかく、ファルマスが彼を敢えて地上に置いたままにしていた理由が、何となく想像されるというものだ。
 迸る熱血をたぎらせ、対峙する2人のエクター、2体のアルマ・ヴィオ。
 現世界で最強の汎用型、白と金の騎士エルムス・アルビオレと、旧世界の残した遺産、深紫の超竜サイコ・イグニール。
 気合いが高まり、両者がまさに攻撃に移ろうとした瞬間……側面の崖下から、別のエルムス・アルビオレが2体現れた。
 ――ダン、この大変なときに何を遊んでいるのです?
 柔らかな声が念信を通じて伝わってくる。
 ――エルシャルト! これは一体どういうことだ? 俺の方が聞きたいぜ。
 ますます状況を理解できなくなるダン。
 新手のエルムス・アルビオレは、ファルマスの命を受けて出撃してきたダリオルとエルシャルトのものだった。
 同じアルマ・ヴィオであっても、パラス・ナイト各人の個性に合わせて改良が施されている。ダリオルの機体は全体的に装甲が軽量化され、贅肉のない精悍なイメージである。剣の鞘を思わせる円筒形の装備を背負っている点も、特徴的だ。
 他方、エルシャルトのそれには、ネビュラやランブリウスの発射管・制御装置など……明らかにマギウスタイプ(魔法戦仕様)と分かる武装が取り付けられていた。

 ――そんな奴にかまっている暇などない。エルシャルト、ダン、回りによく気を付けてみろ。いや、すでに気づいているな?
 ダリオルの心を映してか、冷淡な口調の念信が響く。
 目には見えないが、確かにいる。
 雪面が揺れ、強風が所々で何かに遮られつつ流れているような気がする。
 1体、2体……いや、すぐには数え切れないほどの数だ。何もないはずの場所に幾つもの気配がする。しかも相当大きな物体らしい。
 これらの姿無き者たちによって、遺跡の周囲は完全に包囲されていた。
 だが、エルシャルトは冷静につぶやく。
 ――《精霊迷彩》ですか、なるほど。そうだとすれば相手は議会軍の特務機装隊、彼らの《インシディス》に違いないでしょう。それで、どうします? ファルマスはあんなことを言っていましたが……。


【続く】



 ※2001年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第17話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  たぶんあの日から、私は夢路に迷い込んでしまったのでしょう。
  良い夢だとは、今でも決して思っていません。
  それなのに私は、この悪い夢をもう少し見続けるつもりなのです。
                   (ある公爵令嬢の日記より)

◇ 第17話 ◇


1 第17話「ナッソスの娘」スタート!



 深紫の《超竜》が動き出した頃――監視モニタに食い入るようにして、ファルマスはその様子を見つめていた。
「あはは。これは凄いよ! 面白いことになってきたね、チエルさん!!」
 現状を理解できているのかどうか疑わしいほど、ファルマスは呑気にはしゃぎ始める。
 大きく見開かれたチエルの目にも、希望の光が浮かんでいた。
 身も心も憔悴しきって、先ほどまでぼんやりと濁っていた彼女の瞳は……紺碧の海の色を宿したその煌めきを、少しずつ取り戻し始めている。
 
 にわかに元気になったチエルは、皮肉たっぷりの口調で応酬する。
「そうね。確かに面白いわね……あなたたちなんか、もうすぐみんな踏みつぶされるわよ! 《サイコ・イグニール》は、今の世界のオモチャみたいなアルマ・ヴィオとは比べ物にならないんだから」
 彼女はわざとらしく鼻で笑うと、壊れた天才青年から顔を背けた。
「へぇー。それは楽しみだなぁ。僕も行ってみようかな?」
 ファルマスは画面を注視し、何度も何度も頷いている。

 そのとき部屋のドアが開いて、セレナ、ラファール、エーマの3名が現れた。
 入ってくるなり、セレナはきっぱりとした口調で告げる。
「ファルマス、私が行きます。これは私の不始末ですから」
 そう話している間も……彼女は胸が締め付けられる思いで、縛られたままのチエルを見つめていた。
 ――酷い。いつまでこんな格好にしておくつもりなの?
 セレナは静かに顔を上げ、沈痛な面持ちでファルマスに相対する。
 だが彼は、普段と同様、子供じみた笑顔を崩すこともなかった。
「うん! じゃあ、セレナさんに任せるね。エルシャルトさんとダリオルさんも出ていったばかりだから、彼らと協力してさっさと片づけちゃってよ」
 ――この男には騎士道の欠片もない!
 セレナは手を握りしめ、怒りをこらえる。黙って一礼すると、彼女は足早に廊下へと向かった。
 苦虫を噛み潰したようなセレナの表情。
 すると……。それを見たエーマが、真っ赤なルージュを引いた細い唇を、さも忌々しげにつり上げる。
 ――ふん、都合のいいときだけ善人づらするんじゃないわよ。聖騎士を気取っていても、一皮剥いたら汚い俗物のくせに! この嫌味な女……あんたこそ、いつか思う存分いたぶってやるから。
 シャドー・ブルーの瞳に、激しい怒りと仄暗い劣情とを秘め、エーマは去りゆくセレナの背中を睨んだ。
 続いてラファールが、セレナとすれ違った瞬間、無意識のうちに表情を曇らせる。この冷ややかな男、それでも彼女のことだけは心配なのだろう。
 彼の微かな変化に気づいたセレナは、凛々しい眼差しを向けてささやく。
「大丈夫。私は、簡単に負けたりしないですから……」
 青いイヤリングの輝き。
 微かな香りを残して、セレナは出撃した。


2 平凡さの仮面 !? カリオス、出撃!



 ◇ ◇

「これはまた、派手にやられたものね……。話が違うじゃないの」
 艦橋の外に広がる焼け野原を眺めて、40過ぎの栗色の髪の女が溜息をつく。
 逆光に浮かび上がり、彼方まで黒々と連なる城郭らしきものが、名にし負う要塞線《レンゲイルの壁》である。目を凝らすと、現在も所々で散発的な砲火が交えられているのが分かった。
 その《壁》を取り巻くようにして、多数のアルマ・ヴィオの残骸が転がり……無惨に焼けただれて放棄された陣地の後が、点々と続いている。
 彼女の傍らの席からも、ダーク・グリーンの髪の青年が、同様に窓の向こうを見つめる――平凡さの中に非凡さを漂わせる細い目で。彼は、あのカリオス・ティエントだ。
「確かに。この状況を見る限りでは、議会軍は思わぬ苦戦というどころか、完全に押され気味だと言われても仕方がないかもしれません。各地で続発する反乱に足止めされ、増援が遅れているせいもあると思いますが……やはり《メレイユの獅子》ギヨット、一筋縄ではいかぬ名将だということなのでしょうか?」
 これといった思い入れもなく、かつ無機質と呼べるほどクールな口振りでもなしに、カリオスは淡々と述べた。
 長めのケープが付いている点を除けば、至って簡素なベージュのコート。胸元に巻いた例の青紫のクラヴァット以外には、これといって装飾品らしい物は身につけていない。あっさりと無駄のない衣装には、彼の性格が程良く反映されているように思われる。
 座席の前のテーブルに両肘を付くと、栗色の髪の女は、いささか落胆した様子で顎を支えた。軽く縮れた髪が、揺れて頬にかかる。
「ギヨット麾下の《レンゲイル軍団》は、ガノリス軍相手に鍛えられているわ。最新鋭の装備を誇るだけではなく、議会軍の中でも、実戦経験の豊富な数少ない部隊のひとつ。それでも、数が違うでしょうに、数が……」
「クレーア艦長! 《ミンストラ》、これより着陸に移ります」
 操舵長らしき男の声が響く。
 カリオスと話していた女性――すなわち飛空艦ミンストラ艦長、クレーア・ラナ・コンソルトは、ブリッジ最上部の席から立ち上がると、落ち着いた声で指示を飛ばした。
「了解。議会軍の指定したポイントに向かうまでの間、いつ敵軍に遭遇するか分かりません。砲術長に連絡、砲座はこのまま第2種戦闘態勢を維持しなさい。《念信士》は、いま一度、議会軍本陣と交信を」
 彼女は上着の裾あたりのシワを軽く直しながら、再び腰を下ろした。白と薄緑のロングコート。上半身部分は身体に沿ったタイトな仕立てになっており、他方でウェストから下は、スカート状に広がっている。
「カリオス。高度が下がれば、敵陸戦型の攻撃を受ける恐れが高くなります。飛行型の《アサール・アヴィス(*1)》と一緒に、あなたの《キマイロス》もいつでも出動できるよう準備して下さい」
「分かりました。直ちに……」
 カリオスがそう答えかけたとき、艦の念信士が声を上げた。
「艦長、議会軍アルマ・ヴィオ部隊からの緊急念信が入りました!! PD226ポイントで反乱軍と交戦中、付近の友軍に救援求むとのこと。敵方は《ハイパー・ティグラー》4体です!」
 ゆったり堂々と構えたクレーアは、艦長というよりも、ミンストラの《母》というイメージである。どこか学校の教師を連想させる顔立ちでもあった。しばし考え込むと、彼女はカリオスに目配せした。
「軍の《ティグラー》や《ペゾン》程度では、役者不足か……。味方部隊の座標は、本艦の現在位置と目と鼻の先。見殺しにするわけにもいかないわね。カリオス、少し出てもらえますか。ハイパー・ティグラーではあれ、たかだか4体のアルマ・ヴィオ。あなたなら、5分もあれば片づけられるわね?」
「ご冗談を。いくら何でも5分というわけには。それはともかく、キマイロスが暴れたくてたまらない様子ですから。ここしばらく歯ごたえのある敵がいなかったおかげで、《彼》はかなり退屈しています。まったく、気が荒くて困った奴です……」
 呆れた口振りで自分の愛機を茶化しつつ、カリオスは格納庫に向かった。

【注】

(*1) エクター・ギルドが開発した飛行型アルマ・ヴィオのひとつ。ギルドのメンバーの間では、比較的よく使われている。バランスの取れた、非常に汎用性の高い機体である。ちなみにメイのラピオ・アヴィスは、このアサール・アヴィスを軽量化・高速化するとともに、ドッグファイトに強い要撃機タイプに特化させたもの。


3 それぞれの思惑…。公爵家との会談開始



 ◇ ◇

「長らくご無沙汰してしまいました。親爺殿」
 ランディの丁重な声が、調度品の少ない寒々とした広間に響く。
 変に慇懃なその口調は、かえって皮肉っぽい印象を与えなくもない。
 ギルド側の使節がランディとシソーラの2人だけであるにもかかわらず、議場は十分過ぎるほど大きかった。その規模からすれば、列国の代表を招いた大会議さえ催せるのではないかと思われる。
 ナッソス家の威容を誇示するかのように、天井も法外に高い。頭上はるか、明かり採りの窓が多数設けられた空間は、大神殿の荘厳なドームを想起させる。
 部屋の両サイドには、小銃を担った兵士たちが一列に並ぶ。彫刻のごとく身動きすらせず、鋭い銃剣を光らせる彼らは、王家の儀仗兵にも劣らぬほど見事に訓練されていた。
 兵士たちの強面の表情を見回して、ランディは苦笑いする。
 一呼吸ほど間をおいて、ナッソス公の声がした。
「久しぶりだな。ランドリューク。そう言えば最近、風の便りに良からぬ話を伝え聞いたが……」
 部屋の中央にある会議卓。その堅固な脚を支えるかのように、童子や鬼神の小さな彫刻がへばりついている。白と薄青緑を基調色とする、無駄を省いた造りのホールの中で、この机の装飾だけが過剰気味だった。
 テーブルの背後に立つ公爵は、深くくぼんだ目をいつにも増して苦々しげにつり上げている。その表情、およそ機嫌良しとは言い難い。
「ほぉ、それはまた。して、どんな風が吹いたのです?」
 よせばよいのに、火に油を注ぐような軽口を飛ばすランディ。
 ナッソス家とマッシア家とが身内同様であるせいか、ランディの方にも遠慮がなかった。
 ――この馬鹿は……。
 シソーラは平然とした顔をしつつ、横目でランディを見やった。
 和平の見込みが元よりあり得ないとはいえ、敢えて話をこじれさせる方向に持っていくこともあるまいに。
 付き従う重臣たちと顔を見合わせた後、ナッソス公は、侮蔑のこもった眼差しをランディに向ける。
「なに、根も葉もない風評だ。こともあろうに名門マッシア家の息子のひとりが、下賤なゴロツキ連中と徒党を組んで、世間に恥をさらしているのだとな。まったく愚かな噂だが……」
「それはそれは。相変わらず手厳しいお言葉ですねぇ。いやはや、ナッソスの親爺殿にはかないません」
 ランディは気にも留めぬ様子で、舞台めいた高笑いをしている。
 無言の公爵は、彼とシソーラに手振りで着席を促し、自らも家臣たちと共に席に着く。痩せた顎に手を当てて、公爵はギルド側の2人をじっと睨んだ。
「ところでランドリューク。肝心の《空の海賊》たちの頭目が、いや、ギルドの飛空艦隊の代表者が来ておらんようでは、話にならんぞ。で、そちらのご婦人は? ここを舞踏会とでも勘違いしているのではあるまいな?」
「タロス《王国》(*2)、ラ・フェイン伯爵家のご息女……」
 ランディがそう言いかけたとき、シソーラは口元を羽根扇で隠しながら、やんわりと彼の話を遮った。
「ご謁見を賜り、光栄に存じます。エクター・ギルド所属の飛空艦、ラプサーの副長、シソーラ・ラ・フェインと申します。艦隊の代表者はわたくしです」
 普段よりも高めの声で告げた後、彼女は心の中で付け足した。
 ――ちょっと、いきなり海賊呼ばわりなワケ? 田舎貴族がつけ上がると、これだから困るのよ。

【注】

(*2) 旧タロスの王党派に属する人々は、自分たちの国のことをタロス《共和国》とは言わず、今なお《王国》と呼んでいる。これに対してタロス革命を賛美するランディは、本来なら《共和国》という呼称を用いるはずだが……。ここでは、おそらくシソーラに気を使ったのであろう。


4 交渉は絶望的? シソーラ姐さんの災難



 彼女が嫌悪感を胸の内に抑えておこうとした瞬間、相手方の1人が、わざとらしく吹き出した。
「タロスの伯爵家のご息女? いやいや、これは誠に失礼を。私はてっきり、どこぞの奥方かとばかり思っておりました。あなたのように魅惑的な女性が、未婚のお嬢様だとはとても……」
 50がらみの小太りの男は、図々しくも、シソーラの神経を逆なでするようなことを露骨に指摘する。脂ぎったその姿は、貴族という洗練された言葉とはほど遠い。彼の様子から察するに、どうやら公爵の直接の家臣ではないらしい。大方は付近の基地からナッソス家に鞍替えした、地方議会軍のお偉方とでもいったところだろう。
 ――悪かったわねぇ、行き遅れで。人が気にしてることを……。
 シソーラはテーブルの下で拳を握りしめた。やむを得ない、ここは我慢。
 その男は、外見と同様に品性も浅ましい人間のようだ。先ほどから目尻をだらしなく下がらせては、シソーラのドレスの大きく開いた胸元を、しげしげと観察している。
 ――この変態オヤジ、戦いが始まったら真っ先にぶっ殺す!
 だがそこは、したたか者の彼女である。そんな思いなどおくびにも出さず、嫌味なほど見事な微笑を保っている。
 ナッソス公も呆れたように言う。
「信じられん話だ。無頼の荒くれ者たちが、剣の持ち方も知らなさそうなご婦人に号令されているとはな。ギルドは勇猛果敢なエクターの集団と聞く。よもや、女の背中に隠れる腰抜け連中であるわけはなかろうな。はっはっは」
 喉元に剣を突きつけてやろうかと思ったシソーラだが、さすがにそれはまずい。
 ――コイツら、あたしに何か恨みでもあるわけ? ほんとうにもぅ、イヤなところに来ちゃったな。
 彼女が微妙に口元を歪めたものの、何喰わぬ顔に踏み止まったのを見て、ランディは軽く肯いた。
 ――親爺殿のヤツ、最初から話をぶちこわそうと思ってやがる。まぁ、俺も向こうを変にからかったりせず、今日のところは無理して辛抱しなきゃダメかねぇ……。そうすりゃ、陸戦隊が集結するまでの時間稼ぎにはなるわけだ。それにしてもこの女、とんだ食わせ者みたいだが、メイと違って辛抱強くてよかったよ。《姐さん》なんて呼ばれているだけのことはある。

 ◇ ◇

 その頃、ルキアンは議場の外で待たされていた。
 彼はギルドの正式なメンバーではなく、まだ大人でもない(*3)。言ってみれば、お小姓の少年に近い形で、ランディたちに同行してきただけにすぎない。
 それに加えて家柄の問題も関係していた。一口に貴族といっても、容易には見通せないほど様々なランクに分かれる。下から数えた方が早いルキアンの家と、王室にも匹敵するナッソス公爵家とでは、ある意味で平民と貴族以上に格式の差があるかもしれない。
 これらの理由から、ランディは気位の高い公爵に配慮して、ルキアンを同席させなかったのだ。
 ルキアン自身、仮に頼まれても遠慮していただろうが。貧しいながらも貴族の家に育った彼。そのあたりの面倒な因習にも少しは通じている。
 他方、少年であり、かつ正式のギルドメンバーではないためか、あるいは《無害そうな、弱々しそうな》外見も手伝ってか……ルキアンは、中庭のひとつを自由に散歩することを許された。

 城壁や建物が幾重にも連なるナッソス家の城館、その広大な敷地の一角に、こぢんまりとした庭園があった。
 殿舎の外に張り出した回廊が、庭の周囲を取り囲んでいる。草が低く茂り、野辺で見られるような植物が素朴な花を開かせていた。作為的に仕上げられた雰囲気はなく、むしろ自然のままに近い、野趣に溢れるたたずまいである。
 遠慮がちに散策するルキアン。彼は箱庭を思わせる眺めを楽しみ、退屈な気分を紛らわせている。

【注】

(*3) 《旧世界》の風習の名残なのか、イリュシオーネでは一般に20歳以上の者が成人とされる。もちろん地域や身分その他の違いによって、《事実上の成人》とされるのが早まる場合も多々あるものの、20歳未満の者は少年・少女と見られるのが普通である。


5 変わり始めた日常―逃避と勇気と偶然と



 庭の隅に小さな噴水があった。その真ん中に立つ獅子を模した白磁の像は、自らが吹き上げる水に濡れ、うっすらと苔むしていた。
 細波立つ水面に、柔らかな太陽の光が反射する。
 そこに映り込む木立が揺らぐ姿を、ぼんやりと見つめながら、ルキアンはいつものごとく物思いに耽り始める。
 ――何だか、疲れちゃったな。のんびり一息つくのって、久しぶりのような気がする。でも《あの日》もこんな感じだったっけ。
 その日……コルダーユの港を見下ろす丘の上、春の花々に目を奪われていた自分の姿が、もう何年も昔のことのように思い出される。だがあれは、たった数日前の出来事なのだ。
 謎の女の声。黒いアルフェリオン。焼け落ちる研究所。白いアルフェリオン。泣き惑うメルカ。姿をくらましたソーナとヴィエリオ。
 ――どうして、あんなことになってしまったのだろう? でも僕は、本当はどこまで悲しんでいるんだろうか? 分からない……。僕は嫌な奴だ。先生もヴィエリオ師兄も、ソーナもメルカも、みんな不幸のどん底に叩き落とされたというのに、僕だけが、実際にはどこかで喜んでいるのかもしれない。
 ルキアンは自嘲一杯に頬を緩めた。
 ――あれは《不幸》な《事故》だった。でも僕にとっては、同時に《幸い》な《きっかけ》?……自分の力では決して変えられなかった《日常》を、否応なく突き崩してしまった運命の導き……馬鹿な、何が運命だって? 昔の吟遊詩人がでっち上げたような、そんな陳腐な英雄物語みたいなことがあるわけないじゃないか。ばかばかしい。
 彼は噴水の縁に手をついて、空を見上げる。
 ゆれゆく雲に自分の揺れる心を重ねてみた。はかない。本当に頼りない。
 薄雲と並んで天に漂う島々が、知らない間にわずかに動いていた。
 その島影に隠れていた太陽が、また顔を出す。
 にわかに強まった日差しが眩しい。ルキアンは帽子のつばを心持ち下げた。
 ――だけど、僕は今、こんなところに居る。偶然か必然か、そんなことなんてお構いなしに、周囲の環境だけが物凄い勢いで変わり始めている。それだけは、否定できない事実だ。僕はその中で、新しい《日常》を再び作り上げなきゃならない。そんなこと言ったって……なるようにしか、ならないのかな? 
 《何ひとつ確かなもののない世界の中で、それ自体不確かな己の意志を頼りに、日常に新たな解釈を施し、再構成せよ。生き抜け!》
 ある思想家の著書にふれ、心に残ったその一節を、彼は思い浮かべた。
 ――僕の理性は狸寝入りをしている。自分自身の足で歩きたいと渇望していたくせに、いざそれが可能になったら、こんどは自分で行く先を定めることから逃げている。
 溜息とともに、肩を落としたルキアン。ただし、そんなに深刻な顔つきではなかったが。
 ここちよい傷心に浸りつつあった彼は、思い出したかのようにポケットから手帳を取り出す。
 ペンを手に立ったまま、彼は背後の庭園を眺めていた。
 しばらくして、彼は韻律を持った文を綴り始める。
 詩だ。《あの日》までの彼にとって、《日常》から離れた世界を自分の力で作り出すことのできる、唯一の方法だった。
 相変わらずの白日夢の中に、彼はなおも留まっている。そのとき……。


【続く】



 ※2001年2月~3月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第16話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン

11 血路を開け、アレスの覚悟!



 複雑に入り組んだ通路を、何の迷いもなく進んでいくあたりから考えて、イリスは遺跡内部の構造をほぼ知り尽くしているのかもしれない。そんな彼女の様子に驚嘆の念を覚えながら、アレスは後に付いていく。

 だが……。
「いたぞ! あそこだっ!!」
 突然、背後で声がした。甲冑の鳴る音、そして沢山の足音が近づいてくる。
「近衛機装隊? 何だろう? いや、ということは……」
 外で近衛隊を見たときにイリスが怯えていたことを、アレスは思い出した。
 また、現にこちらに向かって駆けてくる近衛隊の雰囲気も、どこかおかしい。
「やべっ。何だかわかんないけど、取りあえず逃げるぞ、イリス!!」
 アレスがそう言うよりも早く、彼女は彼の手を引いて走り出していた。
 右に左に、巧みに追手を巻くようにしてイリスは走る。彼女にこんな元気があったのだと、にわかには信じ難いほどの勢いだった。
 しかしファルマスも馬鹿ではない。アレスたちは最初から《追い立て》られていたのである。考えてみれば……あえて遠くから大声を上げて、自分たちの接近をわざわざ敵に知らせるようなことを、何の思慮もなく近衛隊がするはずがあろうか。
 何度目かの廊下を曲がった時点で、アレスたちはT字型の通路に出た。
 正面に立ちふさがった壁。
 そして左右を見たとき、アレスは愕然とした。両方の行く手に、沢山の兵士たちが整然と並んでいたのだ。しかも前列の兵たちは、片膝を付いて、いつでも撃てる状態で小銃を構えている。
「くそっ、罠だったのか?!」
 アレスは後ろに戻ろうとしたが、背後からもすでに近衛機装騎士たちが迫ってきている。ともかく銃にはかなわない……血路を開ける可能性があるとしたら、こちらだ。
「イリス、俺から離れるんじゃないぞ!」
 腰の短剣を引き抜き、アレスはイリスの前に立って走り出す。
「どけどけ! それとも、俺と正々堂々と勝負しろ!!」
 大声で叫びながら、切っ先を宙に走らせて威嚇するアレス。一応、その剣さばきは鋭かった。剣の腕に覚えのある者でない限り、彼の今の動きを見ただけでも、少し腰が引けてしまうだろう。
「気を付けろ! ガキだと思ってあなどるなよ」
 近衛隊の誰かが仲間に告げる。
 機装《騎士》といっても、剣や槍の達人である昔日の騎士とは違う。あくまで彼らはエクターなのだ。並みの軍人以上には武術の心得があるとはいえ、特別に剣士としての修行を積んでいるわけではない。そんな彼らの目には、アレスは相当の強敵と映った。
 レッケも低いうなり声を上げ、額の角を振りかざす。鋭い爪のついた足で床をとらえ、今にも飛びからんばかりの動きだ。
 猛獣の牙と一角獣のごとき尖った角とを合わせ持ったカールフは、本来なら、狼など比較にならぬほど恐ろしい生き物である。
「ま、魔物までいるぞ……」
「聞いてないぜ、そんなこと」
 人数にものを言わせて壁をつくり、慎重に、じりじりと間合いを詰める近衛隊。
 だがアレスの方としては、ここで足止めされていては本当に袋のねずみになってしまう。彼は意を決して攻撃の構えに出た。


12 立ちはだかる最強の機装騎士…



 と……一瞬、目の前の機装騎士たちが水を打ったかのごとく静まり、続いて左右に分かれて道を開いた。
「少年、おとなしくその娘を渡してもらおうか」
 純白のマント、金色に輝く鎧、そして華麗に波打った髪。
 相手を凍て付かせるような視線。その奥に秘められた、熱き戦士の魂。
 他の機装騎士とは見るからに異なる男が、アレスの目の前に現れた。
 ――こいつ、強い……。とてつもなく強いぞ……。
 アレスは直感的にそう思った。だが、イリスを渡すわけにはいかない。
「さ、さては悪者だな! お前は誰だ?!」
 せめて気迫では負けていられないとばかりに、アレスが声を上げた。
 黄金の騎士は冷然と言葉を返し、彼を見つめる。
「俺はパラス・テンプルナイツの機装騎士……ラファール・ディ・アレクトリウス。勇敢な少年よ、お前の名を聞こう」
 ――パラス騎士団だって? どういうことなんだ?
 さすがのアレスも、あのパラス機装騎士団の名前を聞かされては、つい弱気になってしまう。それ以前に、オーリウムの英雄パラス騎士団がなぜイリスを捕らえようとしているのか、理解に苦しんだ。
「アレス……俺はアレスだ! なんでパラス騎士団がイリスを追いかけ回すんだよ?!」
 そんなことを貴様が知る必要などない――とでもいう顔つきで、ラファールは無視する。
 それに代わって、アレスの背後で荒っぽい女の声がした。
「その娘が旧世界人だからさ!」
 同時に、鞭が鳴る音。
 毒々しいほど真っ赤な髪を腰まで垂らし、長身の女が歩いてくる。
 見ている方が恥ずかしくなるような衣装だと、アレスは思った。
 豊かな胸元をこれ見よがしに強調する、短い皮のヴェスト。膝上高く切り詰められた皮のスカート。そこから伸びる成熟した脚を覆う、黒いタイツとハイヒールのブーツ。それら全てが、漆黒色の妖しい光沢を放っている。
「あたしは同じくパラス・テンプルナイツのエーマ。元気なだけじゃなくて、なかなか男前の子じゃないの。ふふふ」
 その品の悪さとは裏腹に、エーマはかなりの美女である。女性に対して免疫のないアレスは、ついつい彼女の挑発的な姿に目を奪われてしまいそうになった。だが、そんなことにかまけている場合ではない。何より、エーマの言葉の意味が気になる。
「旧世界人? どういうことだよ?」
「おや、一緒にいて何も知らなかったとはね……。だから、そのイリスという子は旧世界人なのよ。お馬鹿さん」
 エーマの声が通路に反響したとき、アレスは背中でイリスの手が震えるのを感じた。明らかに恐れている。あの女を……。
「やい! そこの怪しい格好した革女、よくもイリスをいじめたな!!」
 むきになって叫ぶアレス。
「少年、そのあたりにしておけ。そこの娘は王国のために必要なのだ。黙って引き渡すというのなら、悪いようにはしない」
 エーマが事を荒立てぬうちに、ラファールがそう告げた。
 彼の後ろで不安げに見ていたセレナも、前に進み出て、真剣な眼差しでイリスに手を差し出す。
「昨日は酷いことをしてしまって、本当にごめんなさい。私たちが悪かったわ。チエルさんのためにも戻ってきて……」
 セレナがそう言いかけた途端、エーマがまた鞭を鳴らして彼女の言葉を遮る。
「手ぬるい。手ぬるいって言ってんのさ! あんたねぇ、いつもいつも、そうやって……いい年してお嬢様ぶってるんじゃないわよ! ふんっ、気持ち悪い」
「な、何を無礼な! エーマ、たとえ貴女でも、それ以上言うとただではすましませんよ!!」
 セレナも怒って剣の柄に手を掛ける。
 意外なところで敵が仲間割れを始めたのを見て、イリスの目が鋭く輝いた。
 その眼光、いつもの彼女ではない。
 不意にまぶたを閉じ、胸元で両手を合わせたイリス。
 ――私よ。聞こえる? イリスよ……。
 彼女は心の中で、言葉を思いの力に乗せ、強く念じた。
 金色の髪が微かに逆立ち、薄暗がりの中で青白いオーラが揺らめく。
 ――長い長いまどろみは終わったの。また目覚めるときが来た……。返事をして。あなたの力が必要なの。私はここにいるわ。あなたのすぐ近く。そう、分かるわね? 待ってる。急いで……。


13 地底深く眠る旧世界の守護竜が、再び…



 ◇

 遺跡の最下層。真っ暗な格納庫で何かが光った。
 地響きを思わせるうなり声が、闇の中にこだまする。静かに、しかし、次第に大きく。それは人のものでも獣のものでもない。
 重厚な金属音と共に、途方もない大きさの物体が動いた。
 真っ赤な目が2つ、暗がりに浮かび上がる。

 静寂を切り裂き、突然、地底の世界に凄まじい雄叫びが響き渡った。
 恐竜? いや、むしろ竜(ドラゴン)そのものの咆吼……。

 ◇

「何だ、地震か?!」
 急に床が揺れだしたのを感じて、近衛機装隊の騎士たちが騒ぎ始めた。
 地鳴りは急速に近づいてくる。しかも足元から上へと向かって。
「どうなってるんだよ! お、おい……でも、今がチャンスだな」
 混乱に乗じ、アレスは素早く退路を切り開こうとする。
「何?」
 そのとき、彼の肩にイリスの手が置かれた。
 慌てて背後を見たアレス。
 イリスは首を左右に振り――どうやら、ここに留まるようにと告げているらしい。彼女の意図がアレスには分からなかった。
 実際、逃げるなら今である。何しろ《お坊っちゃん機装兵団》と陰口をたたかれている近衛隊のこと……前触れもない異常事態に際し、統制を失い、素人同然に混乱しかけているのだから。
「落ち着きなさい! 包囲を解いてはいけません!!」
 若干の後ろめたさを覚えつつ、セレナは仕事熱心にもそう叫んだ。半ば無意識のうちに。だが今となっては近衛機装隊など大して役に立たない。舌打ちした後、彼女は反射的に剣を抜いて、アレスの前に突きつける。
 2人の目がにらみ合った。
 双方とも、《敵》の持つ澄んだ瞳に――偽りのない、不正を憎む互いの瞳に驚きを覚えて、体をこわばらせた。にもかわらず、刃を向け合わねばならないこの現実……。
 ――私のやっていることは……本当に正しい?
 セレナの目が微かに曇った、そのとき。
「危ないっ! よけろ!!」
 ぼんやりと突っ立っているセレナを、ラファールが力一杯引き戻す。
「ラファール?!」
 わずか瞬きひとつ分遅れて、アレスとセレナの間を巨大な影が貫いた。
 気が付いたときには、その場にいた者たちはみな足元を奪われたり、柱に叩きつけられたりしていた。
 床が粉々に砕け、壁が突き破られている。
 天井までも一部崩壊し、そこからのぞく青空がどこか滑稽だった。
「何なのよ……何なの、これは?」
 さすがのエーマも緊張に身を固くする。
 降ってわいた修羅場の中で、イリスだけが落ち着きはらっていた。
 壁と屋根とを破壊して現れた謎の物体に、彼女は親しげに手を掛け、心を許した視線で見つめている。
「イリス、危ない! そこから、そいつから離れろ!!」
 それ――この少女を軽く丸飲みにしそうな口を開き、真紅の目を爛々と輝かせる鋼の化け物を見て、アレスは必死に叫んだ。
 岩をも噛み砕く牙をむき出しにして、白い蒸気からなる高熱の息を静かに吐き出しながら、その《竜》は静かにうなり声を上げている。
 だがイリスは……隔壁の向こうから首をのぞかせた魔獣に寄り添い、冷たい金属の肌を優しくなでていた。
 ――お久しぶりね。私の大切なお友達、《サイコ・イグニール》……。

 久遠の時を超えて、今、旧世界の《超竜》が再び目覚めた。
 堂々たる姿は、まさに秘宝の守護竜という比喩にふさわしい。
 ほぼ濃紺に見える深紫色の肌が、魔法金属の妖しい光沢を浮かべている。そこに青とグレーが加わって、神秘的かつ精悍な雰囲気を醸し出す。
 体表を覆う複合装甲は、剣すら通さぬというドラゴンの鱗さながらに、並みの攻撃では傷ひとつ付けられそうもない。
 《それ》は、旧世界の――しかもその末期、古代の文明が頂点に達した時期の――魔法工学の粋を凝らして生み出されたアルマ・ヴィオだ。ある意味で究極の姿に近い完成度を持っている。


14 今は忍耐…見せ場を待つ地味な主人公?



「こ、これは……」
 見たこともない深紫(しんし)の竜を前にして、セレナは言葉を失った。今まで数多くの機体を目にしてきたが、これほどの威圧感を持つ相手と遭遇したことはない。
「一体、誰が操っているの? いや、人の気が感じられない。そんな馬鹿なことが!?」
 セレナの背中を支えながら、ラファールが答える。
「そうだ。このアルマ・ヴィオには恐らく誰も乗っていない」
「ひとりでに動き出したとでも? まさか……」

 混乱の中、アルマ・ヴィオが突然に雄叫びを上げた。
 本物のドラゴンの鳴き声を知っている者など、今の時代には滅多にいるはずもなかろうが――実物の竜に勝るとも劣らぬ迫力である。
 体の奥底まで響き渡るその轟音には、手練れの戦士でさえ思わず身をすくませてしまうだろう。
 近衛隊の機装騎士たちは浮き足立って、もはやイリスを捕らえるどころではなくなっている。繰士としての技術だけを取ってみれば、確かに彼らは《精鋭》だといえよう。しかしその心根は、自分の血を見て驚くような、金持ち貴族のお坊っちゃんのままなのだ。
 己の経歴に薄っぺらな名誉を加えるために……若い頃の一時期に限って、彼らは近衛隊に身を置いているにすぎない。それゆえまた、《運悪く》実戦を経験する者などごく希である。
「うろたえるな。シルバー・レクサーを早く起動して、こいつを叩きつぶせ!」
 さすがにパラス・ナイトのエーマは、少しも慌てていない。彼女は歯がゆそうな表情で、世話の焼けるエリートたちを後押しする。
「何をしている、グズグズするんじゃない! そんなことではアルマ・ヴィオの餌食になるぞ!!」
 我慢ならなくなったエーマは、しまいには鞭を振って味方を追い立て始めた。

「な、何だ? イリス、このアルマ・ヴィオと知り合いなのか?」
 全く状況を把握できていないアレスは、とりあえず剣を構え、イリスと近衛隊との間に立ちはだかっていた。
 彼に向かって、イリスは《超竜》の方を指し示す。しきりに手を動かしているその様子は、どうやらアレスに《乗れ》と言っているらしい。
 イリスが黙って頷く。すると、以心伝心――アルマ・ヴィオの方も姿勢をかがめ、分厚い装甲をスライドさせて腹部のハッチを開いた。
「《ケーラ》と乗用席が、同じ部屋にあるのか? 中に3人ぐらい乗れそうだな。変わってる……いや、急がなきゃ。レッケ、お前も来い!」
 何しろアレスは、馬鹿が付くぐらいのアルマ・ヴィオ好きである。操縦方法は十分に知っている。彼はケーラを開いて中に身を横たえた。
 その手慣れた動作を見て安堵の溜息をもらすと、イリスも乗り込む。
 床に倒れていた敵兵が体勢を整え始めた頃には、彼女たちはすでに搭乗を終えていた。
 ケーラの手前の席にイリスが座ると、同時に、沢山のコードを伴った冠のようなものが天井から降りてくる。
 イリスはそれを手に取り、一瞬、寂しげな眼差しで見つめた後……おもむろに頭に被った。
 深呼吸。そして少女は精神を集中する。
 ――エクターの状態に異常なし。交感ユニット、自動制御完了。《サイキック・コア・システム》コール! サイコ・イグニール、起動!!
 彼女の思念に応えて、壁面を埋め尽くす計器やスクリーンに明かりがともり、一斉に作動し始めた。
 ケーラの中でクリスタルに包まれたアレスも、準備万端だ。
 ――いい感じだぞ。このドラゴンみたいなヤツ、よくなじむ……。おっ?
 落ち着いた調子で、彼の心にアルマ・ヴィオが語りかけてきた。その低く穏やかな声は、人間に例えれば紳士的な青年というところだろうか。
 ――若き戦士よ、わが名はサイコ・イグニール。よろしく頼む。
 ――あぁ。こっちこそよろしくな! 俺はアレス・ロシュトラム。アレスって呼んでくれ。それじゃあ、さっそくひと暴れしてもらうぜ、イグニール!!


【第17話に続く】



 ※2001年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第16話・中編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン




 彼らのそんな様子を全然気にしていない様子で、軽く手を振りながら、爽やかな容姿の金髪男が近づいてきた。バンダナ風の帯で前髪をアップにしている。アイビー・グリーンの生地に金の縁取りを施したコート、大きな折り返し襟が一際目立つ。20代半ばの好青年である。
 その隣では、おかっぱ頭の少女が無邪気に微笑んでいた。
 ぱっちりと開かれた澄んだ目が特徴的な、どこか子リスを思わせる雰囲気の女の子だ。彼女は青年に肩を寄せかけ、嬉しそうに彼の顔を見上げる。
 15、6歳にもなろうというのに、娘の面差しは相当あどけなく……それも手伝って中性的なイメージが強い。そうは言っても男っぽいわけではなかった。可愛らしい風貌ではあれ、ただ単に、見る者に《女性》をそれほど意識させないだけなのである。
 彼女自身、自分は女だという意識がそれほど強くないらしく……男の子と同じ一人称を使ってこう言った。
「ほら、見て見て! 《ボク》ね、お兄ちゃんとお揃いの服を新調したんだよ。ねっ……お兄ちゃんっ!」
 くるりと回って、コートの裾を翻した彼女。ちょっぴり鼻にかかった声がほほえましい。
「お揃い? お前なぁ……」
 ベルセアの声が半分裏返った。彼とメイは顔を見合わせ、腹筋の力が抜けたような笑みを交わす。
「そ、そう。良かったわね」
 冷や汗と共に、適当な返事。それに対して少女が頬を膨らませたので、メイは慌てて言い直す。
「あ、いや、あの……素敵、とっても素敵よ。うん、私も、思う思う。あは、あははは」
 腰が若干引けている態度からして、どうやらメイはこの娘が苦手らしい。
 メイと少女とを交互に見比べながら、ベルセアは肩をすくめた。馬鹿騒ぎには付き合っていられないとでも言いたげである。思い出したかのように、彼はバンダナの青年に尋ねた。
「カイン、そう言えば、レーイはどうした?」
「あぁ、あいつならもうそこまで来てるよ。バーンと一緒にワゴンを押していたな。お茶とかお菓子が乗った例のヤツ……」
「ふぅ……。レーイって、かなり親切だよね。だけど別にバーンを手伝う必要なんてないのに。あのバカは力が有り余ってるんだから、1人で運ばせておいても構わないってば」
 メイが苦笑いする。
 バンダナの青年は、ラプサー所属のエクター、カイン・クレメント。
 彼の腰巾着のような少女は、同じくエクターで妹の、プレアー・クレメントである。
 ランディたちがナッソス公との会談を終えて戻ってくるまで、ギルド艦隊のクルーは各艦内で待機を続けることになっていた。その間を利用し、クレドールおよびラプサーのエクターたちは、対ナッソス戦に備えてミーティングを行おうという心づもりなのだ。

 ◇ ◇

 《中央平原》といっても、全く平らな地面だけが広がっているわけではない。
 確かに山地や台地は見られないにせよ――しばしば、わずか数メートル内外の高低差を持つ起伏が、波のうねりのごとく続いているのだ。
 緑の牧草地と茶色の畑とが彼方まで敷き詰められ、地表の凹凸に従ってなだらかな曲面を形づくる。その光景は、平坦な草原ともそびえ立つ山並みとも異なる独特の眺めをもたらしてくれる。
 緑の大地の上、流れゆく雲がとても低く感じられた。
 雲間を突っ切って飛ぶ快速の飛空艇。船はルキアンたちを乗せ、ナッソス家の城館へと向かっている。

 ささやくようなタロス語を使って、ランディとシソーラが世間話をしていた。
 時々、シソーラの抑え目な笑い声が室内に漂う。
 2人の言葉を後ろに聞きながら、ルキアンは窓の外を見ていた。
 さほど大きな飛空船ではないので、彼らが通された個室もごく手狭だった。急ごしらえのソファーとテーブル、ぽつんと置かれた一輪挿しの花飾り。他に目立った物などありはしない。
 扉の外には小銃を携えた兵士が張り付いている。客人の警護に当たっていると言えば聞こえは良かろうが、中にいる者にとってみれば、実際には監視されているのと大して変わらなかった。
 小さく丸いガラス窓ごしに、ナッソス家の領地がルキアンの目に映る。





 古くから開墾が進んでいる地域だけあって、未開の荒野や原生林はあまり見られない。農地、牧場、小さな村や集落、街道の町……時には、高々と伸びる尖塔や壮麗なドームを持つ都市も眼下に現れる。ルキアンが特に美しいと感じたのは、葡萄畑の景色だった。
 一見、平和そのものの風景だが――やがてルキアンは、そうでもないということに気がついた。
 戦いの爪痕。
 焼け落ちた家が村の中に混じっていたり、街の市壁が砲撃を受けて所々崩れていたりする。焦土と化した畑や放牧地も目につく。
 議会軍の侵攻がナッソス軍によって退けられているとはいえ、勝敗の如何を問わず、単に戦いが起っただけでも、この地は何らかの形で荒らされることになる。

 ――僕たちだって……。
 ルキアンは寂しい気持ちになった。
 ――ギルドだって結局、ここから見えている家や畑を、あんなふうに黒こげにするために来たようなものじゃないか。
 全てを飲み込む《ステリアン・グローバー》の閃光が、不意に彼の心の中に浮かんだ。一瞬、目の前の風景が何もかも灰色に変わったような気がした。
 ――どうして……なぜ、僕らは戦わなければいけないんだろう? この地で暮らしている人たちは勿論のこと、議会軍だって、国王軍だって、いや、反乱軍の人たちでさえ、ここが焼け野原になることを望んでなんていないはずなのに。でも結局は武器を取って、壊してしまうんだ。おかしいよ……それ、おかしいよ……。
 長く静かな溜息をついたルキアン。彼は悲しげに肩を落とした。
 ――だけど、ギルドや議会軍が戦いを避けたところで、そうなれば今度は、エスカリア帝国軍が僕たちの国を好き放題に蹂躙することになってしまう……。
 彼は無意識のうちに拳を握りしめる。
 ――争いのない世界に行きたい。だけど、そんな世界など夢の中にさえ無いだろうって、僕も本当はそう思っている。傷つけたり、傷つけられたりすることなしに、ずっと静かに微笑んでいたい。しかし、いつも笑顔のままでは生きていけないって、本当は分かってる。分かってるけど、でも……それだけ? 争い事やぶつかり合いは避けられないのだと、そんな知ったような口を利いて、それで? だから何になる? 言ってるだけ? 何にもならないよ! 嫌だな。本当に嫌だ。でも、僕には何もできないのかな。悔しいよ……少しでも何かを変えられないのかな?
 昨日の夕刻、イゼールの樹海を越えて中央平原に出たとき、目に焼き付けたあの《世界》を彼は思い浮かべる。
 ルキアンは夢想する――この世はあれほど麗しく、自然界の力やその背後にある精霊界の力は、森羅万象を溜息の出るほど精緻に組み上げている。人間もその世界の一部なのだから、本当は美しい調和を保って暮らすこともできるのではないだろうか。いや、所詮は幻想? 万物の中で人間だけがどこか違っているのかもしれない。人は、《壊れて》いるのかもしれない?
 答えの出ない思いの袋小路へと、ルキアンの意識は迷い込んでいく。
 だが今の彼がほんの少しずつでも学び始めていたこと――それは、慌てて《答え》を出そうとはしない冷静で慎重な態度だった。
 そして、すぐに劇的な《結果》がもたらされぬからといって、《過程》そのものまでも無意味だと投げ出したりはしない、粘り強い姿勢――つまりは自らが今やるべきことを、そこから当面生じる《結果》の裏付けによってではなく、その行為自体に対して己が与えうる《意味》によって信じぬこうとする、あきらめない不屈の《勇気》だった。
「あ、マッシア伯……いや、ランディさん、シソーラさん、ミトーニアが見えてきました! ほら、大きい、あんなに大きい街なんですね」
 珍しくルキアンが弾んだ声を上げた。

 草原に鎮座する古都。
 街を見守るかのように立つ丘、その中腹……あれがナッソス家の城館だ。





 ◇ ◇

「ちぇっ。どうして止めたんだよ。一体、何があったんだ?」
 むくれた顔をしながら、アレスは尾根伝いにこっそり歩いていく。
 さきほど近衛機装隊に助けを求めようとした彼――その行動を是が非でも止めようと、死に物狂いになったイリス。彼女のあまりの真剣さに、単純なアレスもさすがに何か感じるところがあったようだ。
 結局、イリスの制止を受け入れたアレスは、彼女が脱出してきたという非常口から遺跡に潜入することにした。そのおかげで、とりあえずのところは、敵前に自ら顔を出すという愚を犯さずにすんだわけだが……。
 もっとも、彼らは一時的に危機を回避したに過ぎない。自分たちの行動が全てファルマスらに監視されているのだと、アレスが知るはずもなかった。

 少しご機嫌ななめのアレスを後目に、今度はイリスが先頭になって進む。
 山裾から吹き上げてくる風に髪を煽られながら、彼女は大きな岩の近くで立ち止まった。
 見方によっては不自然な光景である――真っ白な残雪、その所々から顔をのぞかせる灰白色の山肌、そこにたったひとつ、三角錐のような形の赤茶けた岩が、一際目立ってぽつんとそびえていた。その高さは4メートル弱といったところだろうか。どことなく人工的な臭いが感じられる。
 何を思ったか、イリスは再びその岩に向かって直進し始めた。奇妙なことに、手が届きそうな距離まで近づいても、彼女は少しも足を止めようとはしない。
「おい、イリス、ぶつかるぞ! 前見て歩けよ」
 アレスがそう言うのも構わず、イリスは進み続けた。
「えっ?」
 一瞬、アレスはわが目を疑った。
 傍らにいたレッケも、低く鼻を鳴らすと、不審そうな表情で彼にすり寄る。
 1人と1匹は、思わず互いの顔を付き合わせた。
 イリスは正面から岩にぶつかってしまう……はずだった。しかし、何と彼女の半身が、岩に吸い込まれたのである。あたかもその中へと入っていくかのように……。
「あいつ、幽霊? まさかな」
 額に汗を浮かべたアレス。
 あの岩は実際には存在しない――極めて精巧に描き出された立体映像だ。眺めているだけでは、本物と区別するのは不可能に等しい。
 そのホログラフィーの背後に遺跡への入口が隠されている。旧世界の科学力をもってすれば、この程度のカモフラージュなど造作もないことだが。
 もちろん立体映像など知るはずもないアレスは、しきりに手招きするイリスを前にして、ただ呆然と立ち尽くしていた。





 ◇ ◇

「おや、ファルマス……あの少年たちが遺跡に入ってしまいましたよ。まぁ、それこそ貴方の狙いなのでしょうね」
 例の帽子の男がおもむろに口を開いた。静かに鳴り響くヴィオラのごとき、心地よい声で彼は語る。
 ただでさえ大きなつば付きの帽子を、なおさら目深に被っているので、彼の表情は分かりにくい。すらりと伸びる細い顎や、形良く引き締まった口元から判断する限り、この男、相当な美青年であるようにも思われるのだが……。
 何が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて答えるファルマス。
「そうだよ。ネズミは下手に追いかけ回すよりも、いったん狭い場所に追いつめちゃった方が、捕まえやすいからね!」
 純粋無垢という言葉は、やはり幼い子供にこそ似合うのだろう。あまりに汚れを知らぬ大人の姿は、かえって後ろ暗さを感じさせたり、薄気味悪かったりすることも多々あり得る。ちょうど今のファルマスのように。
 だが帽子の青年は、そんなファルマスの様子をあえて気にかけることもない。《騎士》というイメージにそぐわぬ繊細な指で、彼はダークグリーンの前髪に手ぐしを入れ、軽くかき分けた。
「それにしても、旧世界の娘だけあって手慣れたものです。古文書に記されていた《地底の川》をわざわざ通り抜けなくても、あんな場所に別の入口があったわけですか。本物と寸分違わぬ映像を浮かび上がらせ、偽装していたとは……旧世界の技術は、いつもながら我々の想像を遙かに超えていますね」
 ファルマスは首を大げさに何度も振って、青年の言葉にうなずく。
「旧世界人もつくづく人が悪いよ。敢えて困難なルートを辿らせることによって、自分たちの末裔が《巨人》を手にするに相応しい力量を持っているかどうか、試そうとしたのかもね。でも、そうやって無闇に人を試すことって、僕は嫌いだな……」

「失礼いたします! ファルマス様、実は……」
 そのとき、1人の機装騎士が足早にやってきたかと思うと、深刻な顔つきでファルマスに耳打ちした。
 対照的に、彼自身はごく平静に聞き流しているだけだ。いや、それどころか、普段にも増して楽しそうに目尻を下げている。
「あのね、エルシャルトさん……」
 帽子を被った美青年に向かって、ファルマスは意味ありげに片目をつぶってみせた。
「もうすぐ議会軍からお客さんが大勢来るんだって。悪いけど、僕の代わりにちょっと遊んでやってくれないかなぁ。ダンと近衛隊が外で見張っているから、一緒に頼むよ。でも軽くだよ、軽く。もしエルシャルトさんが本気を出して、この遺跡まで巻き添えになっちゃったりしたら、後で《猊下》に怒られるのは僕なんだから」
「なるほど……分かりました。しかし良いのですか、ファルマス? 議会と宮廷との間にもめ事でも生じたら面倒ですが」
 ファルマスはにんまりと歯をみせる。だが彼の目には無邪気さと同時に、見る者を心の底から震え上がらせる残酷さが、ありありと現れていた。
「あはは。気にしなくていいよ! だってさ、後で向こうに問い合わせてみたところで、《わが軍にそんな部隊は所属していない》って……きっとそう言うはずだよ」
「そうかもしれませんね。できれば戦いは避けたかったのですが、《巨人》のためならやむを得ませんか……」
 焦げ茶色の帽子の下で、青年は微かに目を細める。
 濃い紅の瞳は、世捨て人さながらに悟り切った――ある種の虚無的な諦念を漂わせ、他方でそれとは同居し難いような、天恵を受けた詩人のごとき、神秘的で情感豊かな光を浮かべている。
 エルシャルトと呼ばれたこの男は、使い古した帽子を深めに被り直すと、マントを翻して部屋から出ていった。瞬間、竪琴の弦の音が微かに鳴ったような気がする。



10

 この間、もう1人のパラス・ナイトが、部屋の隅で一部始終を黙って聞いていた。あの黒装束の剣士である。
 じっと腕組みしつつ、その長身を壁に寄せかけていた彼に、振り返ったファルマスがこう告げる。
「ダンとエルシャルトさんがいれば、まず心配ないと思うんだけど……相手も一応は議会軍の特務機装兵団だし、しかもかなりの数だからね。ダリオルさんにも出向いてもらえると助かるなぁ」
 濃紺の前髪の奥から、狼を思わせる鋭い目で一瞥すると、黒の剣士は無表情につぶやいた。
「敵は、全て片づけろ……か」
「うん。当たり!」
 ファルマスは、小踊りせんばかりの様子で声を上げる。
「エルシャルトさん、強いんだけど、ちょっと優しすぎるんだよね。ダンはダンで、汚いことができない真面目な人だし。彼らがまた変なところで哀れみを見せて、1体でも敵を逃がしちゃったら、この遺跡の場所を議会軍に知られてしまうから。人の尻拭いなんてダリオルさんには失礼な仕事だけどさ、まぁ、跡形もなく掃除しちゃってよ。いいかな?」
「ふん……」
 つまらなさそうに鼻で笑って、剣士ダリオルは承知の意を示す。やれやれという調子で愛用の長剣を肩に背負うと、彼は足音もなく消えた。
 つい今までダリオルの居た場所を、ファルマスの声が素通りしていく。
「本当は僕も行きたいんだけど……これから始まるネズミ取り、楽しみなんだもん。良かったね、チエルさん。意外に早く妹さんと再会できそうで。でも今後は、あんまり手間を掛けさせないでよね。僕たちも暇じゃないんだから」
 憎らしいほど軽やかな口調。縛られたまま、窮屈そうに肩を揺さぶるチエルを眺めながら、ファルマスは心底嬉しそうに言う。
 あまりのことに罵倒する言葉すら思いつかず、チエルは彼に唾を吐きかけようとする。その瞬間、彼女は声にならない叫びを上げ、床に這いつくばった。背中に激痛が走る。
「あーら、ごめんなさい。つい手が滑っちゃったのよ。うふふふ。でも、レディがそんな品のないことをするもんじゃないわ」
 エーマの凶暴な鞭はチエルを一撃で床に叩き伏せた。
 めまいがする。チエルはすぐには起きあがれなかった。長い《冬眠》とその直後に受けた野蛮な仕打ちによって、彼女は体力を消耗しきっていたのである。
 苦痛に顔を歪めながらも、チエルは言い返す。
「あんたみたいな下品な女に、そんなこと言われたくないわね……」
「まぁ、相変わらず口の減らない娘だこと。1発では足らないのかしら。それともあなた、もしかして鞭でぶたれるのが好きなわけ?!」
 吐き捨てるように叫んで、再び鞭を振り上げようとしたエーマ。
 だがファルマスの声が彼女を止めた。
「ほら、エーマさん、見て見て! あの子たち、どんどん奥に進んでくるよ。あはは。本当に何も考えてないんだね」
 モニタに映るアレスたちを指さし、ファルマスは独りで悦に入っている。

 ◇ ◇

 イリスの案内に従って、アレスとレッケは青白い光の下を進んでいく。初めて足を踏み入れる旧世界の遺跡は、ほどよくひんやりした空気で満たされていた。地下にありがちな、暗く湿った不快な雰囲気もない。
 未知なるものとの遭遇に少年の胸は高鳴った。ともすると、今の緊迫した状況さえ忘れがちになる。アレスは物珍しそうにきょろきょろしながら、そこらの壁や柱をさわり回している。
 本来なら、この手の遺跡や地下迷宮で……要するに冒険者たちの言う《ダンジョン》の中では、決して不用意に物に触れてはいけない。わずかな振動その他によって、密かに仕掛けられている罠が作動することもあるからだ。
 そんなことは冒険者にとってみれば初歩の初歩の常識である。アレス自身、父の冒険談の中で、罠の怖さについてよく聞かされたものだが。しかし今の彼は、ほとんど夢見心地に近いほど高揚してしまっていた。
「すっげー。壁が光ってるよ。うわっ、今度はドアが勝手に開いた!」
 ほとんど子供同然のアレスに、イリスは半ば呆れながらも、それほど嫌な顔をしていなかった。むしろ彼の素朴さを微笑ましく思うかのように、唇を僅かに緩めてさえいる。


【続く】



 ※2001年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第16話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


  その炎、すべてを焼き尽くし
      その翼、すべてを切り裂く。

◇ 第16話 ◇



 ラプルスの白い岩肌を間近に控え、高原にまばらな森が広がる。
 立ち並ぶ木々の向こう――突然、沢山の鳥が空に飛び去った。
 地面が細かい振動を繰り返す。断続的に伝わってくる地響き。
 木立がざわめく。大枝、小枝がへし折れる音。
 巨大な黒い影が、1体、2体……否、少なくとも20体を超える群をなして、もの凄い早さで駆け抜けていく。地面を走っていると表現するよりは、バネに似た動きで飛び跳ねているといった方が適切かもしれない。
 一瞬、骸骨に鎧を着せたような異様な物体が目に映った。
 短い胴部と、翼のごとく大きな肩当て。暗灰色の体から生え出る細長い手足。
 その不可思議なアルマ・ヴィオは、節足動物を思わせる腕と脚とを巧みに使って、信じ難い速度で移動している。汎用型であるにもかかわらず、高機動な陸戦型並みのスピードだった。しかも障害物の多い森の中だというのに。
 不意に立ち止まった1体がこちらの方を向く。楕円形の頭部の中央で、赤い大きな目がひとつ、カメラのレンズさながらに見開かれた。
 そのアルマ・ヴィオから、後続の同型機たちに《念信》が飛ぶ。
 ――もうすぐ木々が途絶える。各機、《精霊迷彩》を起動せよ。
 そう伝えるが早いか、周囲の緑に溶け込むかのように、奇妙なアルマ・ヴィオの機体は風の中にかき消えてしまった。その様子は、ちょうど魔道士が風の精霊界の力を借りて姿を隠す、いわゆる《不可視》の呪文の効果を連想させる。
 忍者のごときこのアルマ・ヴィオは、議会陸軍の特務機装隊――要するに特殊部隊が用いる隠密行動専用の汎用型、《インシディス》である。
 最後にもう一度、さきほどの隊長機らしきアルマ・ヴィオから、念信が発せられた。
 ――こちら議会軍オーディアン基地所属の《霧蜘蛛・特務機装兵団》。只今より、ラプルス山脈の地下遺跡へと向かう。現在地は……。

 ◇

「結果はともかく、もう後には引けぬよ。私としたことが、不覚にも冷静さを欠いたか?」
 銀の前髪をかき上げ、マクスロウ少将は頭を抱えた。冷静な戦略家である彼にしては珍しく、やや気弱で感情的な台詞である。失敗を知らぬエリートゆえの弱さが、ここにきて微かに顔をのぞかせたのかもしれない。勿論、マクスロウの表情をよく観察すれば、落胆と同時に十分な自信も見て取れるのだが。
 そんな彼の前に、白磁のティーカップがそっと差し出された。
「非礼を恐れずに申し上げれば、閣下は最善を尽くされたと私は信じております」
「エレイン……」
 白い指先から手にそって、マクスロウはエレイン・コーサイス少佐の顔を見上げた。
 取り立てて見栄えもしない三十路初めの副官が、不器用に微笑んでいる。軍でも珍しい女性の佐官というわりには、意外なほど素朴で平凡に。
 なぜかその表情を見ていると、マクスロウは安堵感を覚えた。
「そうだったな。《大地の巨人》を決して目覚めさせてはならぬのだ。もしも特務機装隊がパラス騎士団と衝突することにでもなれば、事は軍だけの問題では済まなくなる。そんな内輪もめをしている時ではないというのに……」
 軽く一口、少将は喉を潤した。
「しかし、いかなる結果になろうと《巨人》を覚醒させるよりは遙かにましなのだからな。伝説に記されたごとく、大地の巨人に続いて《空の巨人》までもが再びこの世界に現れることになれば……王国の内乱など、コップの中の嵐にすぎなくなる。いや、帝国も同盟も、タロスもミルファーンも……全て、イリュシオーネ全てが滅んでしまうかもしれない。旧世界のように」
 神妙な面もちで聞き入るエレインに、彼は続けて語った。
「とりあえず平穏に事が進むよう祈るしかあるまい。現実問題としては、いくら精強を誇る特務機装隊とはいえ、近衛機装隊まで連れたパラス騎士団を……それもほぼ全員を相手にすることにでもなれば、勝ち目は薄い。しかし、私たちは彼らに賭けるしかない」





 ◇ ◇

「一体、何があったんだろう? シルバー・レクサーがあんなに何体も……」
 アレスは岩陰からこっそり顔を出し、またすぐに引っ込めた。
 振り向いた彼が手招きすると、イリスとレッケが低い姿勢で走ってくる。
 人の背丈ほどの大岩の後ろで、彼らは窮屈そうに寄り添い、身を隠す。
「ちょっと様子を見てみるから」
 アレスが小声でささやく。
 うなずく代わりに、イリスは彼の袖をぎゅっと握り締めた。肌を刺すような冷気のせいで、彼女の頬が赤くなっている。だが今は、朝の山中の厳しい寒ささえも、彼女にとってさほどの問題ではないようだ。
 首からぶら下げた革張りの筒を、アレスは手に取る。握り拳2つ分ほどの長さのそれは、伸縮式の小さな望遠鏡だった。彼は鏡胴を引き延ばすと、片目をつぶってレンズをのぞき込む。
「なぁ、イリス。あそこにいる近衛機装隊に手を貸してもらうのがいいんじゃないか? 王様の機装騎士(ナイト)たちも、きっとその悪い奴らを退治しに来たんだよ」
 彼は脳天気な口調でそう告げると、慣れた手つきで望遠鏡を縮めた。
 アレスは致命的な誤解を犯している。イリスは《悪者》たちから姉を助けてほしいと言っていたのだが――彼の方は、まさか近衛機装隊が悪の片棒を担いでいるとは夢にも思っていないだろう。
 逆にイリスにしてみれば、なぜアレスが当の《悪者》たちに加勢を求めようとするのか、理解に苦しむところだった。
 彼女は血相を変えて、アレスの言葉を必死に否定しようとする。
 だが向こうを見ている彼は、彼女のただならぬ様子に気づかない。
「今から頼んでくるから。ここで待っててくれ……えっ、何だよ?」
 彼がまさに駆け出そうとしたとき、イリスは彼の腕にしがみついた。
 金色の髪を振り乱して、彼女は懸命にアレスを引き留めようとする。
 素朴というのか、軽率というのか……すでに隠れ場所から飛び出してしまったアレスは、早くも敵に見つかることになる。

 ◇

「あはは。良い妹さんじゃないか。こんなにすぐ君を助けに来てくれるなんて。あれ? お友達も一緒みたいだよ」
 モニタの中に映る2人を見てファルマスが笑った。
「僕の好意が無駄になっちゃったなぁ。残念だね……あの子は見逃してあげるって、君とせっかく約束したのに」
 悪気や遠慮の欠片もなく、無邪気に告げるファルマス。
 冷たい言葉とは裏腹に、一点の陰りもない彼の純真な表情を前にして、チエルは生理的に寒気を感じた。
「ねぇ、チエルさん、僕は嘘つきじゃないよね? だって君の妹さんが勝手に戻ってきたんだもの。あの子が逃げていてくれれば、僕としては追いかけるつもりはなかったのに」
 あたかも子供が紙芝居に目を輝かせるような様子で、ファルマスは画面の中を凝視する。
 正面の壁に沢山のモニタが並んでいた。それぞれ、遺跡内部の各所や屋外の風景を細かく映し出している。多少の間をおいて、次々と場面が変化する。おそらくこの部屋は、遺跡全体を監視する一種のセキュリティルームなのだろう。






 ファルマスの他にも、例のパラス騎士団員たち――大きな帽子を被った美青年と、真っ黒な衣装で身を包んだ剣士が室内にいた。
 仮にも名誉ある騎士たちのする行為とは思えないのだが、チエルは無惨な姿で縛られたままである。しかも昨日からずっと、彼女はごくわずかな水と食べ物しか与えられていなかった。このような酷い状況自体、拷問に等しい。
 彼女の無念そうな顔をエーマがにんまりと眺めた。その瞳には異様な輝きが浮かび、歪んだ加虐趣味を恥ずかしげもなく見せつけている。相手の苦痛を心底楽しんでいるかのような、卑劣で悪辣な目つきだ。
「馬鹿な娘だねぇ、まったく。《巨人》を目覚めさせる《言葉の鍵》さえ教えてくれたら、美味しい食べ物も、暖かくて綺麗な服も、何でも思いのままにしてあげると言ってるのにさ」
 エーマの視線に気付いたチエルは、自分の苦しむ表情を彼女に見られるのを嫌って、急に無表情を装った。しかし、そんな抵抗がエーマをなおさら悦ばせるのだということに、チエルは気付いていない。
「あなたたちなんかに、《パルサス・オメガ》は絶対に使わせません! たとえどんな目にあおうと、この命に代えても……」
「あらあら、勇ましいこと。でもあなたが教えてくれないのなら、代わりに妹の方に聞いてみれば済むことなのよ。どうする? 可愛い妹を助けたかったら、さっさと吐いてしまうことねぇ」
 エーマは鞭を引き絞ると、高慢な口調で嘲笑う。
「卑怯な……」
 表情一杯に敵意をむき出しにして、チエルは唇を噛む。

 ◇

「酷すぎます。あの子たちに何の罪があるというのでしょう? それに、いくら《巨人》を覚醒させるためとはいえ……私たち名誉あるパラス騎士団が、どうしてならず者にも等しい振る舞いをしないといけないのです? 耐えられない。屈辱だわ!」
 セレナは怒りに頬を歪めて、壁に掌を打ち付けた。
 奇妙な光が明滅するアーチ型のトンネル。その薄暗い空間の奥に、彼女の澄んだ声が吸い込まれていく。
 赤や青のランプが頭上で不規則に点滅し、柳眉を逆立てるセレナの顔を照らし出す。遺跡の一角、地下深くの通廊に彼女は居た。
「しっ。声が大きい……」
 指を立てて、彼女を静かに制止したのはラファールだった。
 副団長ファルマスを別にすれば、パラス騎士団の中でも最強だと言われる、黄金の騎士ラファール。常に冷徹で、仲間に対してすら超然とした態度を取る彼だが、なぜかセレナに対してだけは心を許していた。
「俺だって、貴女の気持ちは分かる。しかし今はもう、きれい事ではすまされない状況なんだ。どんな犠牲を払ってでも《巨人》を目覚めさせなければ、この王国は終わってしまう」
「えぇ。私も頭では分かっています。それに私たちは国王陛下にお仕えする聖騎士団なのだから、何があっても王家を守らないといけません。分かっているのです、しかし……」
 《国王陛下の》という部分にセレナは力を込め、なおもその言葉を繰り返す。
「私たちテンプルナイツは、陛下のために戦う聖騎士のはず。メリギオス大師の操り人形なんかじゃない……」
 本音をもらした彼女の脳裏に、かつて自分の口から出た言葉が浮かんでくる。





 ◇ ◆ ◇

「貴方みたいなことを言っていたら、何もできないわ。世の中を変えるためには、力がないとどうしようもないでしょ?! 自分が偉くなって力を手に入れるまでは、汚いことにも耐え、理想や志も心の中に秘めておかなければ仕方がないのよ! 今は、そういう時代なのよ……」
 ややヒステリックな形相で、声を荒らげたセレナ。
 深い溜息とともに、ひとりの若者が読みかけの本を閉じた。冷静さを失っているセレナに対し、彼は物静かに尋ねる。
「自分に嘘を付いてでも……力を手に入れたいわけですか? 汚い力で汚い世の中を変えたところで、何になります? 結局は、また似たようなことが繰り返されるだけじゃありませんか。……セレナ、あなたは変わりましたね。以前のセレナは、そんな勇気のない人ではなかった」
 落ち着いた声でそう告げると、男は彼女に横顔を向けた。背中で1本に束ねられた金髪が、寂しげに光っている。
 押し黙った彼をセレナはしばらく見つめ続ける。彼女の目には涙が微かに溜まっていた。悲痛な声……。
「もっと現実を見て、クルヴィウス! どうしてあなたには分からないの?!」
「分かっています。私もそこまで世の中に疎いわけではありません。しかし現実を理解することと、それに従うことはまた別なのです……」
 セレナは若者に近寄ると、大きな音を立ててテーブルを叩いた。普段は優しげな彼女だが、いったん気持ちに火がつくと、燃えるように熱情を迸らせる性格なのだ。
「だからって、力がなければ何もできないわよ! あなたの理想がどんなに高くたって、それを実現できる力がなければ、何も変えられはしない!!」
「いいえ。全てを一度に変えることができないからといって、だから理想は無駄なのだと短絡的に考えたり、あるいは薄汚れたやり方で手っ取り早く《力》を求めたりすることは、結局はその場しのぎの答えしかもたらしません。本人にも、この世界にもね」
 感情を表面に出さない彼の声に、わずかに力が入る。
「夢や理想を大切にして生き続け、あきらめさえしなければ、少なくとも自分だけでも、そして次は自分の周囲だけでも、徐々に変えていくことができます。昨日より今日が……今日よりは明日が、ほんの一歩でも良くなっていきます。そうやって、ひとりひとりの人間が気の遠くなるような時間をかけて、その場しのぎに終わらぬ変化をこの世に根付かせていくことが、大切なのです」
 わずかな沈黙の後、彼は手にした懐中時計の蓋を閉めた。
「理想では現実を変えられず、他方で現実も現実を変えられないのなら……それならば、いっそ理想を取る方が、少なくとも《面白い》じゃありませんか」

 ◇ ◇

 ――最初、私は必要に応じて汚濁に染まっているふりを《演じて》いた。その《つもり》だった。偉くなるために、自分はあくまで裏表を使い分けているだけだと、それは《仮の姿》なのだと割り切っていた。でも、時が経つにつれて……どこまでが裏で表なのか、自分でも分からなくなってしまったような気がする。
 回想の後、セレナの心に一抹の不安がよぎった。パラス騎士団の一員という立場で自分が行っていることに対し、自信が揺らぎかけた。
 ――いけない。ここで迷っては、私が今日まで耐えてきたことが全て無駄になってしまう。後にはもう引けない!
 内面の動揺を隠し、彼女は平然とした口振りでラファールに言った。
「遺跡の調査を続けましょう。あなたの言う通り、《巨人》なくしてこの国は救われません」





 黙って彼女の言葉にうなずいたラファール。彼の表情に、一瞬、安堵の色が浮かんだ。
「貴女が苦しんでいる顔を、俺は見たくない」
「ありがとう。そういえば以前に話してくれましたね。貴方の亡くなったお姉様に、私がそっくりだと……」
「そうだ。だから貴女にはいつも笑顔でいてほしい。せめて貴女がそうしてくれることで、俺の中の姉上も微笑んでいられるような気がする」
 言い辛そうに低い声で告げると、ラファールは再びいつものクールな雰囲気に戻った。鋭い刃のごとき、清冽で残酷な美しさをたたえる瞳。その表情を目にしていると、彼がさきほどセレナに見せた人間味など、何かの幻ではなかったのかと思われてならない。優しさや暖かさという言葉は、今の彼からは到底感じられない。

 ◇ ◇

 10数名ほどの人間がゆったりくつろぐのにちょうどよい、手頃な大きさのラウンジ。ここは、クレドールの乗組員たちが《赤椅子のサロン》と呼ぶ部屋である。
 艦内の他のラウンジとは異なり、例の《光の筒》による照明は用いられていない。木枠を使って格子模様の描かれた天井から、小振りのシャンデリアがいくつかぶら下がっている。
 一枚の絵が壁に掛けてあった。
 童子と童女が楽器遊びに興じている様子を、淡い光を巧みに表現しつつ描いたものだ。ちなみにそれは、飛空艦アクスの副長ディガ・ラーナウの作品である。故郷の都市国家マナリアで、彼はちょっとした画家として知られていたらしい。見た目には、確かに剣よりも絵筆を握っている方が似合っている。

 適当な視線で、何となくその絵を眺めているのはベルセアだ。
 楕円形のテーブル。そしてこの部屋の通称通り、白木の台座に赤いクッションと赤い背もたれの付いた椅子が並ぶ。ベルセアはその椅子に座って脚を組んでいる。
 彼を真ん中に挟んで、メイは童子の絵とちょうど反対の壁際にいた。
 うつむき加減の彼女は、垂れ下がった前髪をかき分ける。
 ――落ち着かないな。戦いには慣れているつもりだったけど、戦争となると、また勝手が違うのかもしれない。この、もやもやした気持ちは何だろう?
 自問……彼女は背中で手を組み、壁に体を預けている。普段よりも元気に乏しい様子だが、彼女の表情の中には、悲しいとか辛いとか――その種の暗い心持ちは漂っていない。ただぼんやりと無感情に見える。気だるい動きの靴先が、床に何かを描いていた。
「どうしたんだよ? えらく浮かない顔しちゃって」
 呑気な口調でベルセアが尋ねる。
 メイはおもむろに顔を上げると、溜息をついた。
「あんたは何も感じない?」 
「何が?」
「何がって……。あはは、お気楽なもんね」
 するとベルセアは、部屋の入り口の方に向けて顎をしゃくった。
「お気楽? あぁ。俺、お気楽だもん。ま、アイツらにはかなわないけどさ」
 開け放たれたドアのところに、2つの人影が見える。
「げっ……来たよ」
 急に腹痛を催したような姿勢で、メイが胸元を押さえる。いつもながらに感情豊かな彼女に戻った。
「やぁ、元気だったか? メイ、ベルセア!!」
 若い男の声――久方ぶりの友に再会したかのごとく、彼の歓声がラウンジに響き渡る。
「あのねぇ、元気かって……おとといの晩、ネレイの酒場で一緒に飲んだばかりじゃないの!」
 それに対して小声で突っ込むメイ。
 ベルセアも呆れ笑いして、うなずくばかり。


【続く】



 ※2001年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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