鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

第57話(その1)二人の闇の御子、猛攻!!

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ

 


 
簡単じゃないですか。あなたとわたしは同じだからです。
《予め歪められた生》の苦しみを知っている、同じ光を瞳に宿した仲間だからなのです。
 
   闇の御子 エレオノーア・デン・ヘルマレイア
 

1.二人の闇の御子、猛攻!!


 
「イアラがまだ来ないとしても、私は今できることをやり遂げなければならない。それは、エレオノーアが切り開いてくれた好機を確実に活かすことだ」
 この場面を逃さずアマリアが動いた。
「フォリオム、久しぶりに《複唱》するぞ。もう、この土地の霊脈が枯れるなどと気遣っている場合ではない」
「心得た、我が主よ。《地母神の宴の園》も全面展開じゃな」
 アマリアが呪文を唱え始めると、隣に立ったフォリオムも別の呪文を紡ぎ出す。一見すると、二人並んでそれぞれが魔法を使おうとしているように感じられる。だが、彼らの様子を見ていたテュフォンが、思い出したかのように口にした。
「前に聞いたことがある。あれは、《紅の魔女》アマリアの詠唱術のひとつ。自身で呪文を唱えつつ、パラディーヴァの体にも憑依して、別の呪文を並行して唱える。彼女にしか使えない地属性の超級魔法の、同時詠唱……」
 一方では、声の高低や抑揚の変化に乏しい、地鳴りを思わせる口調でアマリアが精霊たちに呼びかける。
「慈悲深き大地よ、豊穣の女主人(ドミナ)の一群よ、その恵みを我らに分け与えたまえ。木々の宿り主(ドライアード)、森の精たちと共に、地の底より汲み上げし生命の力を……」
 
「《聖苑の門(トーア・ツム・ハイリゲン・ヴァルト)》」
 
 そっとささやくように、彼女が静かに呪文を唱え終わると、御子たちの足元が淡い緑の光に包まれる。そこから、黄金色に輝く植物が無数に芽吹き、蔓を伸ばしてたちまち成長して、彼らの姿を覆い隠すほどの丈になっていく。
「これは? この暖かく染み渡る感じは……。アマリアさん、ありがとうございます」
 天上の花園のような、金の蔓草とそこに開いた同じく黄金の花々の中で、ルキアンは体中に満ちていく力に思わず身震いした。立っているだけでも精一杯であった数秒前の彼の姿は、そこにはもはや無い。
 ――やりましたね、おにいさん完全回復です!!
 ルキアンの復活にエレオノーアも勇気づけられ、彼女の歌声にさらに磨きがかかる。少女の中で目覚め始めた、ルチアより受け継がれし《歌い手》の本性が紡ぎ出す、その音魂(おとだま)の防壁は、いまや御使いの竜の呪歌を上回り始めるほどに、戦いのさなかにも刻々と効果を高めている。
 ぐったりとした様子でグレイルに抱えられていたフラメアにも、劇的な変化が起こった。すべての傷が癒えるとともに、燃えるような活力が体に漲っているのを彼女は感じていた。
「来た来た来た、無限に魔力を供給する《地母神の宴の園》は、回復魔法と相性がいい。どうだ、私たちは、倒れても倒れても立ち上がる《不死者(アンデッド)》同然よ!」
「アンデッドって……あんまり、嬉しくないたとえだがな。これでまた戦えるぞ」
 アマリアは自らの詠唱で癒しの魔法を完成させる一方、フォリオムの口を借りて別の呪文を唱えていた。こちらの呪文は軽快で、小人たちが気ままに飛び跳ねるような個性豊かなリズムをもっている。
「目覚めよ、地の底深き坑道に眠る精たちよ。我、振る舞うは蟒蛇(うわばみ)たちの美酒。呑めよ、歌えよ。隠されし聖なる銀鉱、掘り起こし、鍛えて放て、魔銀のゴーレム」
 
「いでよ《白銀の巨像(コロッスス・アルゲンテウス)》、エレオノーアを護れ!!」
 
 指先で宙に文字を書くような仕草をアマリアが素早く3回繰り返すと、青い光で描かれた円形の魔法陣が、地面に一つ、二つ、そして三つと次々に浮かび上がり、それぞれの円陣から巨体をもった何かがせり上がってくる。
 ――え、え、えぇ!? こ、これ、何ですか?
 あっという間に、そびえ立つ塔のような巨人たちに取り巻かれたエレオノーアは、それが味方の魔法によるものであることを知りつつも、恐る恐る見回している。魔法で創造され、術者の命によって動く巨像、ゴーレム。通常、ゴーレムは土や石でできていることが多く、見た目も、ただ大きいだけの簡素な土人形のようだ。だが、ここに呼び出されたのは、銀色の金属でできた巨像であり、しかも重騎士さながらに頭からつま先まで、本体と同じ材質の鎧や兜に身を固め、さらに剣をも携えている。
 消耗した仲間たちを全回復しつつ、アマリアが同時に狙っていたこと。戦いの要となるエレオノーアを鉄壁の守りで保護するために、神秘の鉱石・聖魔銀から錬成された神話級のゴーレムを、彼女は一度に三体も創造したのだ。
 ルチア譲りの《歌い手》の能力を発揮し始め、戦いの流れを変えようとしつつあるエレオノーアを、御使いの竜は直ちに目ざとく狙ってきた。アマリアの読み通りである。四頭竜の首の一本が、その大きさに似合わぬ素早い動きでエレオノーアに迫る。そこに《白銀の巨像》が立ちはだかり、竜の首を掴んで引き倒そうとする。巨像の重量をものともせず、跳ね飛ばす神竜。だが、失われた時代の魔法金属の頂点《オリハルコン》にも匹敵するという堅牢無比、かつ、あらゆる魔法に耐性のある体をもった《白銀の巨像》は、こうした肉弾戦では絶大な力を発揮する。それが三体も立ちふさがるのを突破してエレオノーアを襲うことは、さすがの神竜にとっても簡単ではない。
 なおかつ、巨像との戦いに注力しすぎたために、四頭竜は小さな人の子たちのことを侮って――御子たちに不用意に接近し過ぎたのである。歌い続け、守られながらも、御使いのその隙をエレオノーアは見逃さなかった。
「今です、おにい、さん!!」
 エレオノーアが叫ぶと同時に、それに応えるようにルキアンも声を上げ、両手を高く掲げたかと思うと、目の前にいる四頭竜の固い外皮に向かって手のひらを叩きつけた。
「ルカさんが言ってたこと、《死霊術師との戦いでは、触れられないよう気をつけろ》!」
 ルキアンの両掌が神竜に密着し、竜の体を取り巻く不可視の防御壁のようなものとの間で、激しく火花を散らす。渦巻き状の黒い影がルキアンの手のひらから広がり、見る見る大きくなって壁を押し込むように膨らんでいく。ルキアンが魔力を右掌に集中し、左手を添えて右手首を支える。気合とともに彼の右掌が輝き、竜の肌を覆う防壁に闇の紋章が描かれ、広がり、刻印のごとく深々と刻み込まれた。防壁にひびが入り、そこから四方に伝わって、粉々になって砕けた。
 
「ルカさんの記憶が教えてくれた。魂から、奪い取れ、《エナジー・ドレイン》!!」
 
 さらに押し込まれたルキアンの掌が、神竜に密着し、生命力や魔法力を恐ろしい勢いで吸収し始めた。それに比例してルキアンの力が急速に増大していく。ゼロ距離での接触を必要とする能力であるため、強敵相手にそう簡単には使えない。だが成功すれば、敵にただダメージを与えるのみではなく、ダメージを与えた分だけ体力や魔力の最大値そのものまで削り取り、引き下げる。
「あれは、単純なドレインじゃない。高位の不死者(アンデッド)のみが、たとえば吸血鬼の始祖君主(バンパイア・ロード)や不死の魔道練達者(リッチ)がやっと使えるような、《レベル・ドレイン》では? 闇の御子は、生身の人間なのにそれを操るのか。どうなってるんだ、めちゃくちゃじゃないか!」
 仮にも魔道士の端くれであるばかりか、かつて魔道学院で学び、魔法理論にもそれなりに詳しいグレイルは、ルキアンの力、いや、《真の闇の御子》の力を正しく理解していた。
「いや、あたしってば、相手選ばず喧嘩売っちゃったかな……」
 一方的にルキアンに難癖をつけたことを思い出し、苦笑するフラメア。
 ルキアンのエナジー・ドレインが四頭竜に対して目に見える効果を発揮したのを受け、エレオノーアが間髪入れずに次の行動に移った。
「おにいさん。私たちの怒りを、見せてやるのです!」
 エレオノーアの姿が揺らぎ、荒い粒子で描かれた映像のように見えたかと思うと、また大きく揺れて、一瞬、尼僧のような黒い衣をまとった外観になる。そしてまた元に戻り……それが繰り返された。エレオノーアの歌声が徐々に高らかになる中で、彼女に何か変化が起こっているようだ。
「あれは……」
 二つの高位魔法を無事に発動させたアマリアが、一息もつかないまま、エレオノーアのいでたちを見て声を上げた。
「まさか、闇の御子の《固有外装》だと? 彼女の魔力が急激に上昇していく!」
 その一方、エレオノーアに生じた変化を自らも感じ取った四頭竜、その複数の頭が目を光らせ、怒りの形相で歌声を大きくした。途方もない魔力のこもった歌が怒涛の如く押し寄せてくる。
 ――うるさいのです。
 エレオノーアが大きく両手を広げ、目を閉じて一声唱えると、《天使の詠歌(エンゲルス・リート)》の力はたちまち霧散する。あとかたもなく消滅したのだ。
 ――もう二度と、ここで天使の声が響くことはありません。ルチアさんの想いと、メルキアさんの生成って(つくって)くれた歌が、私を支えてくれているのです。
 エレオノーアは、場違いなほど心地よさそうに歌い始めた。
 ――押し返します。今度は逆にこっちから、向こうの領域を浸食していきますよ。
 いつの間にか、丈の短い黒い僧衣を身に着け、これと一体となった黒頭巾を被り、エレオノーアがふわりと宙に浮いた。彼女の背中には、例の蝶の羽根のような形をとったオーラが青白く輝き、夢幻のごとく羽ばたいている。
「浮かんだ!? な、なんなのよ、あれ」
 まさに蝶のように舞うエレオノーアを見て、フラメアが怪訝そうにグレイルと顔を見合わせた。そこにエレオノーアが慌てて奇妙な警告をする。ただ、彼女の声自体は真剣だ。
「みなさん、念のため、耳、閉じてください! み、耳っ!!」
 
「《死仙の憤怒(ツォルン・デア・トーデスフェー)》」
 
 ひとたび深呼吸した後、エレオノーアが腹の底から耳をつんざくような高い声を発する。彼女の声は《天使の詠歌》を切り裂く一閃の刃であり、まさに音速で御使いの竜に到達した。目で確認できる物理的な傷はつけていないにもかかわらず、雷に打たれたかのごとく、竜の巨体、全身が震え、その直後、わずかな時間だが麻痺したように引きつった。
「魔法耐性では防げない、闇属性の呪歌です。効かないはずがありません! 固まってる間に、もう一回撃つのです!!」
 死を呼ぶ精の歌を、闇の世界から迷い出たバンシーの叫びを、エレオノーアが繰り返す。堅固なドラゴンに対し、物理的な破壊を主とする類の魔法はたしかに効果が薄いだろう。だが、エレオノーアの呪歌による精神攻撃や、生命力や魔力を直接吸い取るルキアンのエナジー・ドレインに対しては、ドラゴンの誇る鋼の鱗の防御力も意味をなさない。彼らの攻撃は確実に効いている。
 二人の闇の御子による猛攻に、アマリアは己の目を疑った。魔力の使い手の力を彼女が読み誤ることなど、普通は無いのだが。しかしこれは、嬉しい誤算だ。
「勝てる……勝てるぞ。このまま《星輪陣》で攻め落とせば。イアラ、アムニス、頼む!!」
 なおもアマリアの呼び声に応えない水の御子イアラ。ところが、そんなアマリアのところに、エレオノーアからの心の声が響いてきた。
 
 ――イアラさん、でしたか? あの、イアラさん。返事してください。
 
 相手に聞こえているのかどうなのかも分からないまま、真剣に話しかけるエレオノーア。仕方なさそうにアマリアが苦笑いする。
 ――そうか、この娘に賭けてみるか。
 いわば結界内と外界とを結ぶ中継アンテナのような役割を果たしているアマリアは、エレオノーアの言葉がアムニスを介してイアラに伝わるよう、うまく手配をした。
 ――すごいです、見えていますよ! はじめまして、イアラさん。アムニスさん。あ、わたしはですね、エレオノーアという者です。おにいさん、いや、ルキアン・ディ・シーマーと一緒に、闇の御子、やらせていただいてます。
 どうやら、声だけではなく姿までも、エレオノーアとイアラたちの間で鮮明なイメージとして互いに伝わっているようだ。
 多彩かつ何に関しても常識を超えるアマリアの能力に、エレオノーアは驚きつつ、とても素直にイアラに話しかけている。
 ――イアラさん、時間がありません。お願いします。一緒に戦ってください。あなたの力が必要なのです。
 だが彼女の言葉も空しく、無言を通すイアラ。
 一息、口を閉じた後、エレオノーアは何の飾りもひねりもなく、ただ真正面から告げる。
 ――私みたいなお子様に指摘されるの、腹が立つかもしれませんけど……。イアラさん、はっきり言って、ひとつ間違っています。
 そしてエレオノーアは、とんでもないことを言ってのけた。
 
 ――《この世界》のために、《みんな》のために戦えなんて、誰もあなたに言っていませんよ?
 
 彼女の言葉に対し、無感情だったイアラの瞳に精神の揺らめきがはっきりと生じたのは、そのときだった。そこにエレオノーアの想いが堰を切ったように流れ込んでくる。
 ――わたしだって、別にみんなのために戦ってるわけじゃないです。でもわたし、絶対に勝ちたいんです!  あの竜に。そして、生まれもった宿命に。わたし自身に。こう見えてもわたしはですね、会ったことすらない誰かの亡骸と、天から降ってきた《聖体》というものから創られた、わけのわからない存在なのです。わたしは人間じゃないかもしれないですし、実は死んだままなのかもしれないですし、本当は、どこにもいないのかもしれないです。
 ――だけど、わたしが誰なのか、何なのかなんて、関係ないのです。わたしとちゃんと向き合ってくれる人にとっては、いま、目の前にいるわたしが問題なのだと。もし、わたしの本性が、実際には動く死体であろうと、魂のないぬけがらであろうと、悪魔の化身だろうと、ただの幻だろうと、それでもエレオノーアはエレオノーアなのだと。わたしのおにいさんは、きっとそうやって受け入れてくれていると思います。
 
 ――そして、わたしも、おそらく他の御子の皆さんも、あなたのことを同じように想っています。イアラさん。
 
 ――どうして。どうして私なんかのことを、そんなに……。
 初めて口を開いたイアラに対し、エレオノーアは少し怒りも交えた声で即答する。
 ――《なんか》じゃないですよ、イアラさん。簡単じゃないですか。あなたとわたしは同じだからです。《予め歪められた生》の苦しみを知っている、同じ光を瞳に宿した仲間だからなのです。
 エレオノーアの言葉に驚いたのか、感極まったのか、イアラは返答できず、頭を抱えて床に擦り付けるように、大きく俯いた。
 
 ――イアラさん。こうしている間に、おにいさんが力を溜めたようです。わたしたちの本気、見てくれますか。わたしたちの想いの強さを、この想いに嘘がないことを。
 確信に満ちた声で、エレオノーアが堂々と告げた。
 ――想いの力は、神竜の鋼鱗すら貫くのです。そして、わたしたちの戦いは……。
 エレオノーアの言葉をそこで継いだのは、イアラの隣に立つ水のパラディーヴァ・アムニスだった。
 
 その戦いは、まず自分自身のために。
 宿命を乗り越えて先に進むために。
 そして、同じ光を瞳に宿した者たちのために。
 
 イアラに寄り添っていたアムニスが、彼女の肩にそっと手を置いて告げる。
「わが主、イアラよ。ここで一歩踏み出すことは、止まっていた時間を超えて君自身が未来へと歩き出すこと。いま、共に手を取り合える仲間たちを守れなければ、君が心の奥で望んだ未来に続く扉は、永遠に閉ざされるだろう」
 エレオノーアもルキアンの背後に立ち、彼の両肩を左右の手で優しく抱いた。
「おにいさん。魂の記憶。覚えてますよね。御子が御子たる所以……人が人でないものと戦うための力、御子の怒り、人の子に与えられた《神に仇なし得る》力」
 エレオノーアの言葉の後、ただならぬ何かをグレイルが感知したらしい。
「な、何なんだ、この容赦なくヤバい魔力は?」
「に、に、逃げるところないわよ」
 おっかなびっくり互いにしがみつくグレイルとフラメアの声をよそに、ルキアンが、漆黒の髪と瞳、二つの闇の紋章をすべて発現させ、両手を高く掲げて構える。
 ――全力で撃つ。二つの紋章を同時に発動させれば、その力に飲み込まれてしまわないか心配だけど……今は隣にエレオノーアが一緒にいてくれる。できる気がする。
 彼の手の間に、白熱する光の玉が浮かび上がり、次第に大きさを増す。ひと抱えもあるほどの大きさになった光球の前方に、空中に闇の紋章が大きく描かれ、その先にまたひとつ描かれ、さらに増え、御使いの方に向かって連なってゆく。
「闇の力を……わたしの……おにいさんの……わたしたちの、闇の力を思い知れ!」
 エレオノーアの声に続いて、彼女とルキアンは二人で叫んだ。
 怒れる御子の力、その真の名前を。
 
「《天轟(イーラ)》!!」
 
 すべてが白い世界につつまれ、何も見えなくなる。視界が元に戻った後、何度か立て続けに閃光が広がり、御使いの竜が呻く、大地を揺るがすような苦痛にまみれた咆哮が初めて聞こえた。高熱で溶けたような大穴が開き、四頭竜の首の付け根一帯が吹き飛んでいる。御使いの姿勢が大きく乱れ、もはや体制を維持できず、横倒しに崩れ落ちた。
 
 その決定的な瞬間をとらえ、アマリアが叫ぶ。
「とどめだ、御使いに《絶対状態転移》させる余裕を与えるな! いまこそ《星輪陣》のもと、五柱の力を、想いをひとつに。イアラ、頼む!!」
 
【続く】
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第56話・前編


目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ


もしも君がいなくなれば、
後で必ず彼らが悲しむ。

そして君がいなくなれば、
俺には存在する理由がなくなる。

 (水のパラディーヴァ アムニス)


1.いにしえの神竜と御子たち、決戦の始まり


 
「堕落した《人の子》たち、愚かな人間どもよ……」
 地の底深きところから、常世の国から、現世へと漏れ出し、地表に染み渡っていくような不気味な声。何らの感情も帯びてはいない、淡々と、しかし一定の節回しをもって送り出されるその声音(こわね)は、生身の人間の発するそれであるとは到底考えられなかった。
 何処とも知れない暗闇の中で、揺らめく炎の玉が宙空に現れる。その青白き鬼火のもと、黄金色の仮面が闇に照り映えた。紫がかった深い紅色の頭巾の下、にこやかに破顔した翁の面は、眺めているうちに次第に狂気をも感じさせ、魔界から来た道化師のようにも思われてくる。
「汝らは、尊き《絶対的機能》の御業に手を触れ、二つの大罪を犯した」
 《老人》の黄金仮面は言葉を続ける。反響するその声は、天の御使いたちが裁きを告げる歌や、生者を黄泉路へといざなう死霊の呼び声と同様に、実際の音として伝わる以上に、むしろ聞く者の魂に直接的に浸透してくる類のものだ。
 さらに鬼火が現れ、次なる黄金仮面、長いくちばしをもった鳥のような《それ》が言葉を継ぐ。
「ひとつは、《人の子》の分際で《人》を創ったこと。その罪の重さに震えよ!」
 《鳥》の黄金仮面がけたたましく鳴くように嘲笑したとき、その背後から霧のごとく湧き上がり、実体化したのは《兜》の黄金仮面である。凝った装飾など何もない平らな面相の中で、赤みを帯び輝く二つの目だけが異様な威圧感を放っている。《それ》は言った。
「もうひとつの罪は、人の手で創られし禁忌の命を、大いなる摂理との矛盾ゆえに短き定めの……その命を、世界を統べる因果律に反して書き換えたこと」
 それからしばらく、漆黒の広間は静まり返り、四つのあやかしの炎とそれらに照らされる四体の黄金仮面が無言でたたずむ、異様な光景が闇の中に取り残された。
 やがて沈黙を切り裂くように、多数の女たちの声が、最初は遠いところで、いつの間にかすぐそこで幾重にも反響し、最後には老婆のしわがれた声と少女のあどけない声とが入り乱れ、ひとつの高笑いとなって暗黒に消えていった。《魔女》の黄金仮面が、荒野を吹き抜ける寒風のような、生気の無い乾いた声によって、怒りを静かに滲ませる。
「許し難い。闇の御子を決して帰してはならぬ」
「帰してはならぬ」
「帰しては、ならぬ……」
 他の黄金仮面たちが復唱する中、《老人》の仮面が前に歩み出た。
「帰してはならぬ。だが、今の条件のもとでは、我らが直接手を下すことは禁じられている。法の定めは絶対である。それゆえ、我らの力を分け与えたかりそめの御使いを遣わし、闇の御子よ、汝らを滅ぼす」
 赤紫の長衣の下から骸骨さながらの細い腕が差し出され、その先にある干乾びた骨の指は、チェスの駒を連想させる何かをつまんでいた。おそらくは竜をかたどったのであろう、象牙色の駒が仮面の手から離れ、そして、床に落ちる音を立てる前に、空間に吸い込まれるように忽然と消えた。
 
 ◇
 
 実体化されている《虚海ディセマ》の中に巨大な竜が姿を見せたのは、そのときであった。ようやく生還したエレオノーアとルキアンの目の前に、それは降ってわいたように現れ、想像を絶する巨体で彼らの行く手を阻もうとしている。
「おにいさん、このままでは神殿ごと押し潰されてしまいます! アマリアさんたちのところまで転移呪文で一気に戻りましょう。アーカイブの検索、始めます」
 とぐろを巻くように、自らの巨躯の下に神殿を抑え込んでいる竜。その姿を窓の外に見ながら、激しい揺れの中でエレオノーアが言った。不意に、そこで彼女は姿勢を律し、右手を胸に当てて厳かに告げる。
「エレオノーア・デン・ヘルマレイアは、闇の御子として共に使命を遂行します。わたしのアーカイブのすべてをあなたに捧げます、おにいさん!」
「ありがとう。一緒に乗り越えて、必ず帰ろう、エレオノーア。ほんのわずかだけど、僕が時間を稼ぐ。その間に呪文を頼む」
 神々しさすら感じさせる真剣な彼女の眼差しに、ルキアンは思わず圧倒されるが、それ以上に、彼女の言葉に込められた熱意に心動かされた。その熱意の源は、限りある命を最後まで生きようとする者の強さ、生まれ変わった彼女の強さである。朗らかながらも心の底では常に《死》を基準にして生きていた、これまでの虚ろな彼女とは、いまルキアンの前に立つエレオノーアはまったく違っている。
「アマリアさんの支配結界とともに、まだ僕の支配結界の力も残っている。それなら……。御子の名において命ずる。異界の暗き海より、闇の眷属きたれ!」
 ルキアンの想像力が闇の力を具現化し、実体となって御使いの竜に襲い掛かる。薄い鋼板でできた帯のような、黒光りしつつ、魚の姿をした、水の中で波打つ何かが、何百、何千、深海の底から無数に現れる。《無限闇》の力で生成された暗闇の魚たちは、刃のごとく研ぎ澄まされた体をぎらつかせながら、異様に大きい口とそれに見合う長大な牙を?き出しにして、竜に向かって殺到する。
 山脈のようにそびえる古の竜に比べれば、一匹一匹の怪魚は小さくみえる。だがそれでも彼らは、人や、それどころか牛馬より遥かに大きく、体中が金属でできており、痛みも恐れも感じることのない鋼鉄の軍勢だ。
 払っても次々と絡み付き、喰らい付き、刻一刻と数を増して召喚される深海の魔物たちに、さすがの始まりの竜も忌まわしげに四つの首を持ち上げ、怒りの雄たけびを上げた。
「この程度の牙では、竜の鱗をかみ砕くことはできないけれど、わずかな間、動きを止め、注意をそらすことくらいはできそうだ」
 実際、決定打を欠きながらも絶え間ない抵抗が、あの四頭竜に対して予想以上の効果をあげている。これによって得られた数秒の間に、エレオノーアは最適な呪文を探り当てていた。
「海の外まで《跳んで》ください! 今のおにいさんなら、この程度の呪文は詠唱無しで使えるはずです」
「分かった、ありがとう。アマリアさんにも連絡する」
「その間、今度は私が竜を足止めします」
 ルキアンとエレオノーアは、事前に何の話も交わしていなくても、交互に竜の動きを封じている。お互いにあまりコミュニケーションが上手な方ではない二人だが、今は、ふたつの精密な歯車のように?み合い、寸分違わずに連携していた。
 ――あの竜は大きすぎて、《言霊の封域》に取り込むことは無理ですね。それなら、闇に潜む魚たちに降り注げ、《言霊の封域》よ。
 ルキアンが《無限闇》で呼び出した怪魚の群れを、エレオノーアが《言霊の封域》で強化する。
「汝らの体は、絹よりもしなやかで、天の鍛冶が鍛えし剣よりも、いや、まさに竜鱗(りゅうりん)よりも強靭となる。その牙で喰らい付き、竜を食いちぎれ!」
 エレオノーアの左目に闇の紋章が浮かび上がる。より力を増した深海の魔魚たちに幾重にも取り巻かれ、一時は四頭竜の姿が見えなくなりそうだった。
 エレオノーアから呪文の情報を受け取ったルキアンは、例の《刻印》を使ってアマリアに連絡する。
 ――アマリアさん、エレオノーアを完全に救出できました。《ディセマの海》の実体化は、もう解いてもらって構いません。僕たちはそこまで転移します。
 ――了解した。《ディセマの海》を支えたままでは、その化け物と戦うことなどできはしない。
 ルキアンはエレオノーアの手を取り、転移の呪文を念じ始める。
「エレオノーア、行こう」
「はい、おにいさん。私たちの反撃開始です!」
 エレオノーアはルキアンに寄り添い、握った手に力を込めると、片目を閉じて微笑んでみせた。
 一陣の風のごとくルキアンたちの姿が瞬時に消え、それから一息遅れて神殿が崩壊し、建物内部に黒い海水が膨大に流れ込み始めた。
 
「大地にあまねく眠る元素を司るものたち、この地、かの地に棲まう精霊たちよ。我が呼び声に応え、地表に集いて帰らずの園を拓け」
 《ディセマの海》をつなぎ留める大役から解放されるが早いか、アマリアが杖を掲げ、呪文の詠唱を始める。低めの良く通る声で、歌うように彼女は呪文を紡ぐ。
「取り囲め、汝らの贄を狩れ。貫く万軍の槍、煌めく鉱石の梢、無限の結晶の森……」
 ルキアンたちがアマリアの隣に転移し、姿を見せたのはそのときだった。
 完成する呪文は狙っていた。二人の闇の御子を滅しようとする四頭竜が、彼らを追って目の前に現れる瞬間を。
 アマリアは紅のケープをはためかせ、杖を掲げて舞うように回ると一息溜めて、周囲の空気に沁み通り、大気を震わせるような気合いで口にした。
 
「《永劫庭園(エーヴィガー・ガルテン)》」
 
 突然、空を覆い隠すほどの体で、天高く伸び、四つの鎌首をもたげた始原の竜。その刹那、地表から無数の鉱石の柱、いや、槍状のものが瞬時に上空まで伸びて貫いた。さらには反対に天上から、同様の槍が豪雨のごとく落下する。地の精霊力によって生成された、超硬度と強靭さとを兼ね備える謎めいた多結晶の槍先は、伝説級の魔法武器すら弾く神竜の鋼鱗をも、容赦なく突き通した。
「す、すごい……」
 紅の魔女、地の御子アマリアが最初から極大呪文を使って四頭竜を仕留めにいった一連の流れを、ルキアンは体を細かく震わせながら見つめていた。
 大聖堂の尖塔にも比肩するような、巨人の武器のごとき大きさの槍が、宙に浮かぶ神竜に何本も突き刺さり、ヤマアラシのように体中から棘を生やした姿にさせている。なおも竜が体を動かそうとすると、アマリアが杖を振る。再び、大地から空まで貫く槍の列と、天上から地に降り注ぐ槍の雨が、即座に竜を襲った。
 ルキアンが勝利を確信したそのとき、四頭竜が突然光り輝き、その体が目の前から消え、獲物を失った無数の槍も轟音と共に大地に落ちていった。
「ほう……」
 アマリアが嘆息した。
 その直後にして、彼女らの前に閃光とともに再び現れたのは、無傷のままの四頭竜の姿だった。
「どうして!? あんなに沢山の槍に突き刺されて、あの竜は息の根を止められたのでは?」
 エレオノーアは目を疑ったが、勘の良い彼女は思い出し、息を呑んだ。
「まさか、おにいさんが使ったような《絶対状態転移》の魔法で……」
「そうだ。あれの本体である《始まりの四頭竜》、すなわち《万象の管理者》は、我々がいうところの《神》、しかも《主神》や《唯一神》とほぼ同格の存在。たとえ、いまここにいる竜が《始まりの四頭竜》の単なる似姿、本体とは比較にならないものであるとはいえ、それでも最高位の光属性の魔法を扱えるくらいのことは当然にあり得る」
 アマリアが、半ば予想していたように、仕方なさげに首を振る。
「そう知っていたから、最初から私の使い得る最大の攻撃呪文のひとつで狙ったのだが……あの竜が肉片ひとつも残さぬほどに、どこまでも槍を突き立て続けるべきであったか。《永劫庭園》の名の通りに」
 竜の次の動きに注意を払いつつ、ルキアンが不安げに尋ねる。
「それでは、僕たちは一体どうすれば?」
「あの古き竜を倒すには、その絶対的な防御を超えて、かつ、先ほどのような恐るべき回復力を、さらに上回るだけの致命傷を与え続け、一気に消滅させなければならない」
「アマリアさん、そんなことができるのでしょうか……」
 ルキアンの予想に反して、アマリアはまずは否定した。
「私たちでは無理だろう」
「そんな!?」
「いや、私たち《だけ》ではできないという意味だ」
 そのとき、エレオノーアが話に割って入った。
「おにいさんたち、あの竜を中心に、凄まじい魔法力が蓄積されていっています! 相手はドラゴン、たぶん次に来るのは……」
「的確な観察眼だな、うら若き闇の御子よ。竜の焔の息、しかも神竜の吐く天災級のブレスが来るぞ。エレオノーア、ルキアン、次の一撃を防げるか」
 アマリアがエレオノーアを見た。エレオノーアは意外にも落ち着いた様子で頷いた。
「はい。いま、効果的な防御魔法を検索しています。その間に、アマリアさんは次の手を用意するのですね?」
「察しも良いな。その通りだ。同じ御子として、君たちの力を信じる。あの神竜のブレスを一度でよいから防いでくれ。その間に私は……」
 アマリアが隣に視線を向けると、フォリオムが姿を現し、にこやかさの奥に底知れない怖さを秘めた眼差しで、ゆっくりと手を上げた。
「わが主よ、《炎》と《風》の者たちはいつでも大丈夫じゃ。だが、残る《水》の御子が……」
 


2.予め歪められた生――イアラ、壊れた心


 
 ◆ ◆
 
「いま、君は心から助けを求めた。それは、君が自分以外の誰かを、まだ信じようとしていることの証だ」
 日没近づく藍色の空のような、濃い青の髪がなびき、同じく青の衣が翻る。
 長い髪を揺らしながら《彼》が振り返ったとき、荒野を貫く疾風さながらに何かが駆け抜けたかと思うと、いくつかの影が血しぶきを上げて弾け、切り刻まれた肉塊が折り重なった。それらは人に似ていたが、人間ではなく、たとえばオークやゴブリンのごとき亜人型の魔物のものだった。そして最後に、見えない無数の刃は、役目を終えると多量の水に変わり、空中から滝のように流れ落ちた。
「あなたは……」
 イアラは涙声で尋ねた。水の魔術がもたらした恐るべき結果を、それ以上に、誰かが自分を救いに来てくれたことを、まだ本当だと認識できない表情で、彼女は乱れた黒髪の奥から見知らぬ救い手を仰ぎ見る。
「俺はアムニス。古の契約により、君を守る」
 彼の落ち着いた声が心地良く沁み通ってくる。他人の背中がこれほど心強く感じられたことは、今まで彼女には無かった。
 好色な魔物たちに引き裂かれた着衣を、イアラは胸元で押さえ、床に座り込んだまま動かない。露わになった彼女の背中、二の腕や脚など、身体の所々に、爬虫類を思わせる濃い緑の鱗が痣のように浮かび上がっている。その姿は、竜と人間との間に生まれたという伝説上の《竜人》が蘇ったかのようだ。
 「こんな私を、あなたは助けてくれるの? アムニス……」
 彼を見上げるイアラの素顔は――いつものような薄布で覆われておらず、右半分は、ごく普通の若い女性のそれであるのに対し、左半分、額から目の周囲、頬の上の方にかけて、例の鱗が広がり、そこに大きく開いた左目には、焔の色で揺れる人ならぬ者の瞳が輝く。
「イアラ、君の《竜眼》はとても美しい。誇り高き竜の血を引く御子よ」
 アムニスは羽織っていた長衣を脱ぎ、彼女の震える肩からそっと掛けた。
「そんな高貴なわが主を、魔物呼ばわりして侮辱し、辱めようとした貴様らは万死に値する。いや、そう簡単に死ねると思ったら大間違いだ」
 人間に似ているだけに余計に目を覆いたくなる無残な魔物たちの死体と、そこから流れ出た毒々しい色の血だまりとを踏み越えて、アムニスは、ごく平然と歩む。先ほどイアラにかけた優しい言葉とは完全に異なる、温情の一片すら感じさせない、凍てついた響きで彼は告げる。
「ここで行われていたことは、おそらく、この王国の名誉のために決して外に漏らされることはないだろう。だから、貴様らがここで命を失っても、その事実も闇に葬られるだけだ」
 イアラたちの周囲は高い壁に囲まれ、かつてのレマリア帝国の円形闘技場を模した造りになっている。その分厚い壁の後方、ひな壇状になった客席部分では、仮面舞踏会のようなマスクで顔を隠した身なりの良い人々が、呑気に酒を呑みながらイアラたちを見下ろしていた。
 こんな噂がある。国の上流階級のうち、普通の娯楽ではもはや満足できなくなった者たちが、権力と金の力で裏の組織を動かし、口にするのもはばかられるような残虐あるいは淫猥な見せ物を違法に楽しんでいるのだと。これもその手の闇の催しのひとつであろう。
 だが、支配者たちの享楽の場は、アムニスによって、今度は彼らを主役とする阿鼻叫喚の地獄絵図に変わった。
 
 ◆ ◆
 
 思念の中でフォリオムと向き合ったアムニスが、厳格な口調で過去を振り返っている。
「イアラは、いにしえの竜の血が遥か隔世を経て強く発現したその姿により、両親も含めたすべての人間から、生まれながらに疎まれていた。そんな彼女を初めて受け入れ、優しくしてくれた……そのように思われた相手に、イアラは裏切られた。最初から騙されていたのだ」
 アムニスに向けられていたフォリオムの目が、無言のまま閉じられた。白髭に覆われた顎を押さえ、そのまま黙り込んでいるフォリオムの前で、アムニスの独白が続く。
「彼女は《人間に似た魔物》として売られた。人間の欲望には……とりわけ、現世のすべてを得た者たちの強欲には、彼らの傲慢な勘違いのせいもあって……際限というものがない。人間の剣奴同士の戦いや、魔物同士の殺し合い、あるいは魔物が人間を喰らう様にも飽食した彼らは、もはや遠い時代に滅びたといわれていた貴重な竜人を思わせる存在、しかも美しい女性であるイアラを、自分たちの欲望への新奇な供物にしようと狙っていた」
 アムニスは、パラディーヴァらしからぬ怒りの感情を、隠すこともなく全面に浮かべ、吐き捨てるようにつぶやいた。
「イアラの人間性を否定し、所詮は同じ《魔物》同士の野蛮な本能による行為だとして、彼女をオークやゴブリンどもが寄ってたかって犯そうとする姿を、魔物以上に醜いあの人間どもは楽しんでいたのだ。これほどおぞましいものが、この世にあるだろうか」
「人間というのは実に酷い生き物じゃな。《あれ》の御使いたちの言うように、《愚かな人間ども》は一度滅びてしまってもよいのかもしれん。いや、悪い冗談じゃったか……」
 フォリオムは、アムニスとは対照的に心の揺れをまったく感じさせない様子で、その意味ではパラディーヴァらしく淡々と答える。
「かつての時代から、《水》の御子は、他の御子よりも特に膨大な魔力量をもって生まれてくることが多い。イアラもそうかの。その魔力の影響が、彼女の中に眠る遠い竜の血を必要以上に目覚めさせてしまったということか。たとえば旧世界において、あの《永遠の青い夜》の《魔染》により、魔物化まではしなかったにせよ、魔物の因子を持ってしまった人間は少なくない。あるいは、それよりもさらに古い時代、伝説上の本当のドラゴンの血を引く一族の末裔、かもしれん」
 頷いたアムニスの言葉からは、その声の力強さに反して、未来に対する明るい希望は感じられなかった。
「人間であるのに、同じ人間たちからは人として扱われなかったこと、それどころか自らの人間性を完全に否定されたこと、そして何よりも、この世でただ一人の信じた者に裏切られたことで、イアラの心は壊れてしまった」
 
 ◇
 
「そんな自分が、なぜ人間のために、この世界のために、御子として命をかけて戦わねばならないのかと、イアラは拭いきれない疑問を抱いているのじゃよ。分かるであろう、その気持ち自体は」
 フォリオムの言葉に、アマリアは顔色ひとつ変えずに向き合っていたが、ルキアンとエレオノーアは動揺を隠せなかった。特にエレオノーアは、吐き気を催したような様子で、目に涙を溜めながらルキアンの胸に額を押し付けた。
「酷いです、酷すぎます。自分だけが他人と違っていて、それでも受け入れてくれた唯一の人に、裏切られるなんて……。初めて信じることのできた人に騙され、魔物たちに襲われるなんて」
 彼女は心の中で、言葉を震わせた。思い浮かべたくもないことを、それでも想像してしまって。
 ――私の立場だとしたら、それは、おにいさんに裏切られたようなもの。もし、そんなことがあったら、私は……。
 自らも《聖体降喚(ロード)》によって生成された存在であるエレオノーアは、生まれつき普通の人間とは違うものを抱えたイアラのことを、とても他人事とは考えられなかった。感受性の強い、あるいは思い込みの人一倍強いエレオノーアが、イアラの悲劇を我がことのように受け止め、心をかき乱されているのを見て、ルキアンは彼女を支える腕に力を込めた。
 そのとき、自身も何らかの術式の完成を粛々と進めながら、アマリアが二人に告げた。そこには何の心情の変化も感じられない。
「気持ちは分かるが、私情に心を乱されている場合ではない。己が為すべきことを全力で果たせ」
 薄情にも思えるほど冷静なアマリアの様子だったが、彼女の言う通りだ。たったいま、ルキアンたちが対峙しているのは、本物ではないにせよ、あの《始まりの四頭竜》の力と姿とをもった化け物なのだから。
 意外にも、アマリアの言葉に最初に反応し、強大な敵を見据えたのは、ルキアンではなくエレオノーアだった。
「イアラさんも、《御子》として生まれてきたから、《あれ》によって《予め歪められた生》の呪いをその身に受けることになったんですよね。だから、そんな悲しい目にあったのですよね。そうですね、アマリアさん?」
 アマリアが無言で頷くのを待たずして、エレオノーアは青い瞳に怒りの焔を燃え立たせて言った。
「だったら、イアラさんのためにも、まずは、この竜を必ず倒しましょう。《あれ》の《御使い》は、《御子》の敵です」
 エレオノーアの左目に闇の紋章が浮かび上がる。彼女の霊気が高まり、背中に青いオーラが立ち昇った。
「む? これは、また……」
 フォリオムが帽子のつばを持ち上げ、小さな吐息とともにエレオノーアの方を見つめる。見る間に彼女のオーラは色濃く、大きく広がり、やがて蝶の羽根の形となって、爆発的な魔力を開放して羽ばたいた。
 その《光の羽根》を見て、ルキアンはあることを思い出した。
「ものすごい力を感じる。そういえば、僕が、この結界にエレオノーアを取り込んだとき、彼女は《蝶》に変わった。あれは偶然じゃなかったんだ。彼女の力、アーカイブとしての力を象徴するのが、あの輝く蝶の羽根……」
 驚きを隠せないルキアンに対し、エレオノーアは、普段の彼女からは想像できないほど、てきぱきと指示をする。
「おにいさん、いますぐ防御呪文の詠唱に入ってください。発動までに複合立体魔法陣を構築する必要がありますので、私は術式生成の演算に集中します。それからすいません、フォリオムさん、呪文の発動まで、わたしとおにいさんを守ってください。お願いします!」
「わ、わし? おお、構わんぞ」
 フォリオムは苦笑した。たしかに、いまルキアンとエレオノーアは高度な防御魔法の構築に全力を注いでおり、竜のブレスからの守りを彼らに委ねたアマリアも、何か次の大きな策を講じている。手が空いているのはフォリオムだけだ。
 ――やりおるわい、この娘。《あれ》と戦うために《ロード》で作られた御子というのは、やはり桁違いじゃ。
 

【第56話 中編 に続く】

※2023年9月に本ブログにて初公開。 

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『アルフェリオン』まとめ読み!―第56話・中編


目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ


3.絆の力


 
 それは爆炎。絶大な魔法力の集中が頂点を迎えたとき、四つ首の神竜が咆哮し、瞬時に閃光が視界を呑み込み、嵐の如き爆風と灼熱の炎が牙を剥いた。そして、それは煉獄。《御使い》の化身、《始まりの四頭竜》の似姿は、自然の力を超越した炎と熱を猛り狂わせ、現世に呼び出された異界の獄炎は、ルキアンたちの姿をたちまちかき消した。それでも竜は、勢いを緩めず超高温の炎を吐き続ける。
 すべてを焼き尽くす紅蓮の激流の先、噴き上がる爆煙の向こうに、六角形の板状の光が無数に輝き、幾重にも壁を作って竜のブレスを受け止めている。その防御結界を挟んで、一方には四つの頭を持ち上げ、火力をいっそう強める御使いの竜が、もう一方にはルキアンとエレオノーア、アマリアとフォリオムの四人が互いに宿敵と対峙する。
 決死の形相で両手を突き出し、結界を内側から押すようにして魔力を注ぎ込んでいるルキアン。彼の隣ではエレオノーアが状況の変化を刻々と伝え、サポートする。
「第一防壁、第二防壁は最初のブレスで消失! 第三防壁も、損傷率85%……いま破壊されました。第四防壁の損傷率35%、おにいさん、防壁パターンを組み替え、正面に集中します!」
 結界を構成する手のひらほどの六角形の光が、エレオノーアの声に応じて移動し、特に側面からルキアンたちの正面へと集まって結界をいっそう厚くし、同時に全体として平板な形状から丸みを帯びた盾のような形状に変化していく。ルキアンが防御魔法で結界を展開し、支えている中、エレオノーアは敵の出方やこちらの被害状況に合わせて、随時、結界を最適化しているようだ。銀色の神秘的な髪、儚さと強さを宿した青い瞳、同じ《しるし》を共にもつ二人の若者が戦う姿を、フォリオムが眩しそうに見つめる。
「うむ、この見慣れぬ結界は、《旧世界》のアルマ・ヴィオによる魔法防御を思わせる。純粋な魔法というよりは、むしろ、いにしえの高度な魔法と科学の融合……《対魔光壁(アンチ・マジック・バリア)》に近いじゃろうか。《降喚(ロード)》された《聖体》が人の姿をとった者たち、真の闇の御子は、こんなものまで生身で操るのか」
「彼らの力……。フォリオム、二人の御子は我らの理解を超えている。一度は消滅したエレオノーアは、こうして蘇った。ルキアンは、二つ目の闇の紋章を呼び覚ますという奇跡によって、《あれ》の因果律を乗り越えて彼女を取り返したのだ。真の闇の御子は二人で一人。そう……」
 アマリアはしばし俯き、そしてまた天を見上げて呻くようにつぶやいた。
 
「死すらも彼らを分かてなかった。これが、《絆》というものか」
 
 アマリアたちの告げたことを省みる余裕も勿論ない中、闇の御子二人は神竜のブレスになおも立ち向かう。
「おにいさん、第八防壁の損傷率50%を超えました。もうすぐ突破されます!!」
 ルキアンたちを竜の炎から護る最後の障壁が、いまにも失われようとしている。だがエレオノーアの真剣かつ落ち着いた表情は、彼女が何ら勝負を諦めていないことを物語っている。彼女はルキアンに体を寄せ、小声でささやいた。
「《盾》は《鏡》に。おにいさんは、さらにその次の呪文を」
 ルキアンは、平然とした彼女の姿に目を見張りつつ、対照的にかなり動揺している自身の気持ちを表に出さないよう、黙って頷いた。エレオノーアと言葉を交わしたことで、ルキアンは少し落ち着いたようだ。彼の瞳には、エレオノーアに対する絶対的な信頼が漲っている。それは、これまで彼が、自分自身も含めて、この世界のどんな人間に対しても心からは向けられなかった思いだった。
 そんなルキアンの瞳を見つめ、エレオノーアも嬉しそうに一度頷いた。
 ――わたしは《失敗作》なんかじゃない。おにいさんと一緒なら、おにいさんの《アーカイブ》になれたのだから、わたしだって……。
 彼女とルキアンを囲む複合立体魔法陣が――それぞれに文字や記号が細部までびっしりと書き込まれた光の円陣が、大別して約6層に積み上がり、高さは彼らの背丈を超えている――その複雑怪奇な機構が動き出し、各層が入れ替わって形を変え始めた。
 今にも砕け散りそうなルキアンたちの結界を前にして、四頭竜は、とどめとばかりに火勢を一気に強めた。残された結界に亀裂が走る。だが、そのとき。
「鏡に映る汝を見たか。それは今際の顔……闇に消えゆくその目に、焼き付けよ……」
 ルキアンが詠唱する。いや、それは呪文ではなく、すでに詠唱済みの呪文を発動させるための鍵となる言葉だった。
 小さく息を吸い込んで、彼は一言ずつ刻み込むように言った。
 
「《影の魔鏡(ツァウバーシュピーゲル・イム・シャッテン)》」
 
 ルキアンの前の空間が歪み、陽炎のように揺らぎながら、見上げるほどの高さの《魔鏡》が顕現した。いばらのツタと骸骨の手足の装飾で埋め尽くされた禍々しい鏡は、これが《闇》属性の高位魔法であることを無言のうちに告げている。結界が全壊したのはその瞬間だった。これと入れ替わりに、魔鏡の表面に不気味な人影が浮かんだような気がした。その影が口を吊り上げて冷笑すると、影の魔鏡は、あたかも亡者の肌の色のような、呪わしき青白い光に満ちた。
 そのとき何が起こったのか、簡単には把握できない。少なくとも、津波のごとくルキアンたちを呑み込もうとした竜の炎が、確かに逆流したように見えた。実際、その通りだった。気が付くと、四頭竜は自身が敵に吐き出した火焔に取り巻かれ、体中が火だるまになっている。
「おぉ、魔力反射(リフレクション)の類か!? 結界の後ろにそんなものを隠していたとは」
 フォリオムが声を上げ、その驚きも覚めやらぬ次の瞬間、二人の御子が動いた。
「今です、おにいさん!」
 ルキアンの左目に闇の紋章が浮かび上がる。
「冥府の川を渡せ……」
 なおも炎に包まれ、くすぶる御使いの竜の背後に、にわかに黒雲が湧き上がる。そこから稲妻とともに現れたのは、風に翻る空っぽの黒衣の下に、骸骨の顔だけをのぞかせた死神のような、あるいは練達の死霊術師が己自身を不死の術者(リッチ)に変えたような――いずれにせよ、それはおそらく幻影であろう冥界への導き手は、四頭竜に比べるとさすがに小さいものの、神話の巨人さながらに大きい。
 
「《シャローンの鎌》!」
 
 ルキアンの言葉とともに、死神の手に握られた大鎌が四頭竜に向かって振り下ろされる。
 だがその一撃は、竜の鉄壁の鱗や、それ以上に何か、不可視の護りの力に弾かれただけだった。
 ――天の系譜に属する者だけあって、即死系の魔法はやはり効かないですか。でも二撃目が本命です、おにいさん!
 エレオノーアの言った通り、ルキアンがすかさず次の力の言葉を発した。
「地の底に落ちよ!!」
 死神の鎌が竜の背に打ち下ろされる。刃の先端と竜の背の間で火花が散り、耳をつんざくような激しい音、そして大気を揺らして体の奥底にまで伝わってくる振動が、周囲に走り、さらに広がっていく。特に外傷はないようだが、それにもかかわらず竜の体に異変が起こった。宙に浮かんでいた四頭竜が突然に姿勢を崩し、地面に向かって落下しかけたのだ。再び浮かび上がるものの、竜の動きが遅く、見るからに鈍重になったように思われた。
 
「闇の御子たちよ、よく防いでくれた。おかげで私の方の準備も整ったぞ」
 涼しげな顔で告げるアマリアだったが、彼女にとっても、内心、二人の若き御子のここまでの働きは想定外だったようだ。
 ――たった二人だけでも、闇の御子は《御使い》相手にこれほど戦えるのか。まず結界でブレスの威力を削り、それでも受け切れない分は《魔鏡》の術で跳ね返す。もしいずれか一方だけだったなら、今ごろ我々は灰になっていただろう。そのうえで、なまじの攻撃は通らない敵を無駄に攻撃せず、重力魔法で動きを鈍らせるとは良い判断だ。しかもあれは《闇》の《地》の属性魔法。私の支配結界《地母神の宴の園》の中では、《地》属性と同様に効果が飛躍的に高まる。
 アマリアはエレオノーアの方を横目で見た。正確には、エレオノーアの作り出した精緻かつ大規模な立体魔法陣を改めて見ていた。
「先ほどの結界、失われた旧世界の科学道士の術に近い系統だな。恐らくアルフェリオンの《ステリア》の力と同様、《無属性》か。そこから闇属性の魔力反射に、闇の地属性の重力魔法の連撃……。そのために必要な魔法陣、これほど高度なものを、あのわずかな時間でどうやって構想して描いたのやら」
 深刻な状況のもと、エレオノーアは意外なほどにあっけらかんとした調子で答える。
「はい! おにいさんの《紋章回路(クライス)》を介してアルフェリオンのコア・《黒宝珠》にアクセスし、そこから周回軌道上の支援衛星のうち、《マゴス・ワン》とのデータリンクを復旧しました。それをこちょこちょと」
「こちょこちょ、か?」
「そうです。《マゴス・ワン》の《メルキア》さん、人間ではなくて、《えーあい?》とかいう種族の方らしいのですが、この方とお話して、《マゴス・ワン》の霊子コンピュータというのをこちょこちょと、触ってみたのです。それで、この魔法陣の設計と描画に必要な演算をお願いしました。頼んだ瞬間に、もう全部完了していましたが。すごいです!」
 エレオノーアが無邪気に語っている内容に、アマリアは寒気すら覚えた。彼女ほどの魔道士が、いや、彼女ほどの魔道士だからこそ、エレオノーアの行ったことの真価を理解できるのだ。
 ――正直、恐ろしいな。《あれ》に抗うためだけに、地を這う者たちの怨嗟が天を落とそうと、世界の摂理に背いて人間が人間を創る、しかもそのために多数の同胞、自分たちと同じ人間を生贄にするという……何重もの禁忌を犯して召喚された《聖体》の化身。
 
 ――彼らは、定められた因果の鎖を断ち切る刃。自らを《主》から閉ざそうとする世界が歪みの果てに呼んだ、《ノクティルカの鍵》の器。
 
 いつも白日夢の中にいるような面持ちをしているアマリアが、不意に右目を大きく見開いた。瞳に浮かぶのは大地の紋章。
「そして我ら御子は、彼らと共に戦う。今ここに心を集わせよ、自然の四大元素を司る御子たち」
 アマリアとその隣に従うフォリオムの足元から、地面を這うように一筋の光が走る。さらにもう一筋。次々と光が行き交い、彼らの立ち位置をひとつの頂点にして星を描き、続いて五つの頂点を光が結ぶ。古の時代より、数知れない術者に用いられ、基本にして最奥にまで至る魔法陣、五芒星の陣だ。
 そこに、いくつかの影が――アマリアと同じく、本人ではなく思念体が――姿を現した。
 
 

4.響き渡る天使の詠歌、目覚める御使いの竜の力


 
 アマリアの描いた五芒星陣の頂点のひとつに、不意に炎が浮かぶ。それは激しく燃え上がり、宙に逆巻いて少女の姿を取った。
「《炎》のパラディーヴァ、フラメア様参上! 一番乗りだわさ」
 彼女は周囲を見回し、ルキアンの姿を認めると、真っ赤な髪を振り乱していきなり食って掛かった。
「あんたが闇の御子? リューヌはどうしたのよ、リューヌは!?」
 ルキアンは気まずそうに視線をそらし、何度も言葉に詰まった。
「リューヌは……。その、僕のせいなんだ。僕が弱かったから、彼女は……」
「そうよ! 後でぶっ飛ばすからね。あのリューヌが消滅するなんて、マスターのあんたがよっぽどダメダメだからでしょ」
「おいおい、いきなり乱暴なこと言うなよ。悪いな、こいつ、口のきき方ってものを知らなくて」
 いつの間にかフラメアの後から出てきた金髪の男が、頭を掻きながらルキアンに愛想笑いをする。気さくそうな印象だが、頭髪や髭など、全体的に少し無精な雰囲気も漂わせている。結界の外から送られてきた思念体がまだ安定していないためであろうか、時々、彼の輪郭が揺らいだり、画質の粗い映像のように姿がぼやけたりしていた。
「俺はグレイル。君と同じ、御子だ。《炎》の。よろしく頼む。で、こっちのガラの悪いのが、相棒のフラメア」
「こら、何が悪いって?」
「よろしく、お願い、します……。あ、僕はルキアン」
 
 多少困惑しているルキアンの挨拶を、アマリアの声が打ち消した。
「竜が動くぞ。呑気に自己紹介している余裕はない」
 ルキアンの放った《シャローンの鎌》で重力の呪いを掛けられ、容易には身動きできないほど重くなっているはずの四頭竜が、それでも強引に御子たちに突進してくる。その巨体と迫力たるや、こちらに向かって山脈が一気に崩れ落ちてくるかのような、とてもこの世のものとは思えない威圧感だ。
 一瞬、立ちすくむグレイルとルキアン。対照的に、口元に好戦的な笑みを浮かべ、二人の前に出るフラメア。だが突然、空間そのものを引き裂くような爆風の大断層が、彼女と御使いの竜との間を走り抜けた。両者は暴風の壁に切り離される。凄まじい勢いで気流が上昇し、吹き飛ばされそうになりながらも、フラメアが拳骨を振り回している。
「危ないだろ、《風》のクソガキ! あたしらまで切り刻むつもり?」
「そう? 君たちなら簡単に避けられるだろうと思って、気にしてなかったよ」
 一陣の風と共にルキアンたちの前に現れたのは、空色の羽衣をまとって宙に舞う気儘な男の子。彼、《風》のパラディーヴァ・テュフォンと、それに。
「あ、あなたは。エクター・ギルドの……先日、ネレイの街で……」
 森の木々を想起させる深い緑色の髪、ただでさえ細い目が無くなってしまいそうに、伏し目がちで、物静かな表情。そこにいるのは、ネレイの運河沿いでクレドールの乗員たちがくつろいでいたとき、特段に目立った様子もなく通りがかったあの男だ。平凡な風貌からは想像し難いが、その実、ギルド最強のエクターに他ならない。この強烈なギャップをルキアンは忘れることができなかった。
「カリオス・ティエントさん」
「君は、たしか、クレドールの」
 決して不愛想というわけではないにせよ、どちらかというと口数は控えめなカリオスが、ぶっきらぼうに呟いた後、微笑を浮かべた。
 
 だがそのとき、エレオノーアがいつもより声を大きくして言った。
「竜の中心部から、今までにない魔力が急激に高まってきます! ものすごいです、何もかも飲み込みそうな、巨大な《光》属性の力の渦です!!」
 テュフォンが創り出した暴風の境界を避け、御使いの竜はいったん上空に後退している。だが勿論、逃げたわけではなかった。長い尾と四つの首をすぼめ、球状になって空中で静止している姿は明らかに不自然だ。
「お、おい、これは……。急に、脳みそを揺らされているような感じで、気持ち悪くなり始めたんだが。やばいんじゃないか?」
 頭を抱えるグレイルの姿を見て、アマリアには思い至るところがあった。
「大気に波動が伝わってくる。知っている、この感じは……。あれは竜の姿をしているが、魔物ではなく天に属する存在、《御使いの声(エンジェリック・ヴォイス)》が来るぞ、気をつけろ! 《闇》以外の属性では防御困難だ」
 その間にも四頭竜は白熱する光に包まれ、巨大な光球となり、透明な輝く翼が一枚、また一枚と竜の背から花咲くように広がってゆく。その翼が完全に、おそらく12枚の翼が開き切るとき、何か恐ろしいことが起こりそうであるのは分かった。
「化け物め。とうとう本気を出してきたようじゃ、《人の子》相手に……。《闇》の嬢ちゃん、どうしようかの」
 それまで飄々と目を細めていたフォリオムの顔つきが変わり、老練さを感じさせる眼差しがエレオノーアに向けられた。彼女はすでに次の一手を持っているようだ。《闇のアーカイブ》を司る彼女なりの最適解、ここにきて迷いも恐れもない表情で、エレオノーアはルキアンに告げる。
「おにいさん、今から伝える呪文を復唱してください、早く!!」
 エレオノーアが呪文を口にし、言われるがまま、その言葉をルキアンが繰り返す。
「光あるところ、必ず影あり……」
 少女の言葉を追う少年の言葉。繰り返すうちに、両者の距離は縮まり、二つの声はひとつに近づく。
「光強きところ、影もまた色濃く。昼と夜は、とこしえに繰り返し」
 エレオノーアが呪文を口に出すより早く、彼女の心に浮かんだそれがルキアンに共有され、同時に発声されているのだ。
 そんな彼らの変化を目の当たりにして、フラメアが興奮気味に言った。
「何よ、あの子たち! 完全に《魔力共鳴(シンクロ)》してる。あの娘、パラディーヴァでもないのに、あり得ない。違う……まさか、同じ時代に闇の御子が二人!?」
 ルキアンの左目の紋章とエレオノーアの左目の紋章が同時に輝きを増し、次の瞬間にいずれの瞳も闇色に染まる。ルキアン、そしてエレオノーアの髪も漆黒に変わった。大嵐の中のように二人の髪が舞い上がる。
 
 闇は光に、光は闇に。
 相克せよ、根源の両極。
 それは絶対にして永遠の理(ことわり)。
 青天の日輪、常夜の月輪(とこよのげつりん)。
 天界の槍を受け止めよ、冥界の楯。
 
 エレオノーアとルキアンの声がひとつに重なる。《光》属性による効果のみを、ただし完全に打ち消す《闇》属性の絶対防御呪文が完成する。
 ――もしこれで防げなければ終わりなのです。すべて託します、おにいさん!
 
「《天冥相殺・光と闇の天秤(ヴァーゲ・フォン・リヒト・ウント・ドゥンケルハイト)》!!」
 
 わずかに遅れ、12枚・6対の光の翼を四頭竜が開き、悠々と、空を覆い尽くすように羽ばたかせる。
 
 ――畏れよ、跪け、罪深き人の子ら。
 
《天使の詠歌(エンゲルス・リート)》」
 
 天から降り注ぐ、輝く霧雨にも似た光とともに、たちまちに心奪う清麗たる歌声、しかしながら聴く者を狂気の底に突き落とす御使いの呪歌が、周囲一帯に響き渡った。
 ルキアンとエレオノーアが互いの手を取り、握り合って前に突き出す。御使いの歌とルキアンたちの魔法が正面からぶつかり、拮抗している。だが明らかに《光》側の力、天の御使いたる四頭竜の方が優っており、このままでは、じきにルキアンたちは押し負けそうだ。
「全員で支えるぞ。フォリオム」
 アマリアがルキアンとエレオノーアの後ろに立ち、彼らに急激に魔力を送る。彼女のパラディーヴァ、フォリオムが光となってアマリアの体に溶け込む。一体化してさらに力を高めるつもりだ。
「マスター、あんたも早く、力を貸しなさいよ!」
 同じようにフラメアがグレイルとひとつになる。グレイルのまとうオーラが爆発的に高まり、真っ赤な光を放って紅蓮の炎のごとく渦巻いた。
「テュフォン、俺は今まで、魔法など使ったことがないんだが……」
 落ち着いているにせよ、ひとり残って突っ立ったままのカリオス。彼の肩のあたりに、ふわりと乗るようにして、テュフォンが耳打ちする。
「安心して、僕とひとつになって」
 押し負けそうになっていたルキアンとエレオノーアが、三人の御子とそれぞれのパラディーヴァの力に支えられ、《光と闇の天秤》の効果が御使いの呪歌を再び押し返す。一進一退。だが神竜は、余裕を見せつけるかのように四つの首をもたげ、轟雷にも等しい雄叫びとともに、さらなる力を解き放った。
 その強烈な勢いに、エレオノーアは思わず目を閉じる。
 歯痒そうな表情でアマリアが首を振った。
「押されているぞ。まがい物だとはいえ、さすがに《始まりの四頭竜》の力を一部でも得た相手。こちらには頼みとなる《闇》属性のパラディーヴァが居ない。厳しいな。いや、その前に、まだ足りない……」
 
「もう一人、《水》の御子はまだ来ないのか。彼女も、アムニスも何をしている?」
 
 ◇
 
 真っ暗な部屋の中、独りで過ごすには広すぎる空間。
 灯りさえ何ひとつ点けられておらず、すべてが闇に呑まれた、もう長らく時に忘れられた部屋。
 これが今の彼女にとっての《世界》だ。ただひとつ、許された居場所だ。
 
 暗闇の真ん中に、ヴェールを目深に被り、仕立ての良い黒の衣装を着た女性が座り込んでいる。時々、身を小さく振るわせる他には、彼女は凍りついたように動かず、何の変化もない周囲の暗さも相まって、本当に時が止まっているのかとしばしば錯覚しそうになる。
「我が主、イアラよ。君の力が必要だ。御使いの竜の力は想像以上に強い」
 暗がりに微かな光を従えて、水のパラディーヴァ・アムニスが、たまりかねて言葉を発した。流れるような青き長髪に、怜悧な瞳。彼の表情自体は常に冷静だが、内心までそうであるとは限らない。穏やかな水面(みなも)の底で、渦巻く暗流のごとく。
 《水》の御子・イアラから返事は帰ってこず、閉ざされた部屋いっぱいに再び静寂が広がる。アムニスがさらに何か告げようとすると、ようやく彼女は無言で首を振った。
「何度も言わせないで。いまさら、都合、よすぎる……。こんな世界のために、こんな人間たちのために、戦って、もし私が死んだなら……」
 涙をのみ込み、喉をしゃくり上げると、イアラは狂ったように憎悪を吐き捨てた。
「そんなの、私、ただの馬鹿みたいじゃない! アハハハ、おかしいよ!! 頼まれてもいないのに? 頼まれるどころか、私は憎まれ、傷つけられ、この世界から排除されただけ」
 
「私なんて居ない方がよい世界。それが《人の子》たちの、あなたたちの世界なら……自分たちで戦って、勝手に死んだら?」
 
 
 
【第56話 後編に続く】
 

※2023年9月に本ブログにて初公開。

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『アルフェリオン』まとめ読み!―第56話・後編


目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ


5.イアラの世界、エレオノーアの歌


 
「笑える……。《あれ》は、本当に神様じゃないかしら。だって、こんな醜い世界を《再起動(リセット)》して、最初からきれいにやり直させようとしているのだから。《御使い》も、そんな神の意志を実現しようとする天使かもしれない。アハハハ、そうだよ、そうに違いないもん!」
 灯りの消えた部屋に座り込んだまま、イアラは甲高い声で笑い出し、この世界と人間に対しておよそ思いつく限りの怒りと憎しみの言葉をぶつけ始めた。やがて声は枯れ、彼女は涙を垂れ流しながら、力なく床に両手をついた。苦しげに胸を抑え、肩で息をしているイアラに対し、アムニスは、その身を実体化して彼女を支える。
 イアラの呼吸が整ってきたのを見計らい、アムニスは彼女と意識を共有する。他のパラディーヴァと同様、現在、アムニスもアマリアと《通廊》でつながっており、支配結界《地母神の宴の園》の中で何が起こっているのかを、アマリアを通じて手に取るように把握することができる。そしてアムニスを介し、マスターのイアラも、御使いの竜と戦う御子たちの姿を心に鮮明に浮かべることができた。
 幾重にもうねりながら宙空を埋め尽くす長大な尾と胴、輝く六対の翼を広げた四つ首の巨竜。言葉で語られ得る限りで最も遠い、どんな古の時代よりも、さらに久遠の彼方に霞む開闢のときから、この世界の背後に存在するもの――万象の管理者《時の司》、すなわち《始まりの四頭竜》。それを絵に描いた程度のものでしかない虚ろな似姿ですら、御子たちをこうして圧倒し、人の子がどれだけちっぽけな存在にすぎないのかを如実に知らしめている。
 四頭竜の姿は、目に見える形を取った絶望そのものであった。イアラは何か言おうとしたようだったが、言葉を呑み込んで、ただ口を開いたにすぎない。そのまま呆然と唇を緩めたままの彼女。人知を超えた御使いの印象は、イアラの麻痺した心さえも揺るがすものであった。内心の微かな畏怖の感情が大きく膨らみ、彼女の表情にもありありと現れ出るほどに。
 
「どうだ、怖いだろう?」
 日頃は気取った表現も多いアムニスが、率直に、ごく簡潔にイアラに問うた。
「彼らも、とても怖いに違いない。それでも戦っている。なぜ、何のためにだと思う?」
 答えがすぐには浮かばなかったのか、それとも答える気が無いのか、黙ったままのイアラに対し、アムニスが先程よりも言葉に熱を込めて告げる。
「御子が御使いたちと戦い続ければ、《今回の世界》が守られるから? その分だけ滅びの日が来るのは後になり、《人の子》たちは、より長く生き延びられる? だが、そういったことは《結果論》だ。彼らが戦う本当の理由はそこにはない」
 こうしている間にも、四つ首の神竜の魔力に押されながら、それでも《天使の詠歌(エンゲルス・リート)》の効果を必死に封じ込めている少年と少女。彼らを支える御子とパラディーヴァたち。その無謀にすらみえる戦いの光景を、イアラは突き付けられている。彼女の空っぽの胸に、アムニスの言葉が反響した。
「彼らも君と同じ、《予め歪められた生》の呪いを背負って生まれてきた。だから御子たちはそれぞれ、この世界に対して違和感、あるいは嫌悪の情すら覚えていたり、人間の中で孤独や疎外感に苛まれていたりする。たとえば彼のように」
 アムニスに促され、イアラがみたのは、以前にも目にしたことのある少年の姿だった。眼鏡をかけた脆弱そうな銀髪の少年が、魔力の著しい消耗に体をふらつかせ、意識を失いそうになりながらも、《光と闇の天秤(ヴァーゲ・フォン・リヒト・ウント・ドゥンケルハイト)》の力で御使いの竜に立ち向かっている。
「彼の世界は《ここ》ではなかった。あのルキアンという少年が信じていたのは……いや、信じることができたのは《空想》の世界だけだった。自分の中の閉ざされた世界で、光から目を背け、じっと息をひそめていた」
 暗がりに満たされた部屋をアムニスは見渡した。ここがイアラの《世界》だ。もう何年もほとんど外に出ず、彼女は一日の大半をここで過ごしている。他には特に目立ったものもないこの場所に山と積まれた画材や、描きかけあるいはすでに完成した様々な絵を、アムニスは慣れた様子で眺めている。
「その狭くて、いびつな居場所の中だけで、彼は、自身の空想の翼を自由に広げることができた」
 アムニスの視界には、イアラが思いを形にした、あるいは情念をぶつけた絵が所せましと並んでいる。中には、自然の風景や季節の花を題材にした作品、滅多に開くことのない部屋の窓からみえる庭園を描いた作品も少々ある。
 だが多くは、一様に暗く、息苦しく、画布の中から狂気が外にまで滲み出してくるような、陰惨で不気味な絵ばかりであった。無数の剣や槍の突き刺された墓場と思われる場所で、真っ赤な夕日を背に首を吊る男。動物の死骸らしきものを手に下げ、表情の抜け落ちた顔で、異様に大きい口を開けている子ども。多数の手、鋭い爪を持った妖怪が、人影を引き裂き、つまんで呑み込み、飽食している姿。秩序のない色合いで乱雑に殴り重ねられた線の上、怨霊のような顔を持った女が叫ぶ姿。陰鬱な笑みを浮かべた三日月のもと、黒い衣をまとった死の天使たちが誰かを探している様子。
 こうして彼女が描き出したのは、悪夢の只中にいるような昏き夢の世界だ。
「だが、彼は時々、閉ざされた暗い世界から、恐る恐る外を覗き見たくなることがあった。あたたかいもの、きれいなものにも、ふれてみたいことがあった」
 言葉静かにアムニスが語る。自分でも知ってか知らずか、イアラは身じろぎもせずそれに耳を傾け始めた。
「けれども、そういうとき、異界から這い出てきた獣を相手にするかのように彼をさげすみ、踏みつけにする者は少なくなかった。慌てて彼は、元の暗闇に心を逃げ帰らせる。だが今度は、彼の存在自体を危機に陥れ、この世界の平穏そのものを乱す戦争がはじまった。それに巻き込まれ、泣きながらあがいていくうちに、彼は新しい世界を手にし始めた。本当に彼のことを思う者たちが、手を差し伸べてくれた。その絆を守るために、自分自身にとって大切なものを奪われないために、ルキアンは戦っているのだと思う」
 夜のとばりと、分厚いカーテンとによって重く閉ざされた窓の方へ歩みながら、アムニスが言った。
「彼は君に似ている。孤独な闇の世界に安住を求めながらも、漏れ伝わってくる微かな光に本当は憧れを感じ、それに心惹かれながらも歩み出せずにいた。だが、彼は歩き始めた」
 窓際に少したたずんだ後、青い長髪を揺らめかせ、おもむろに振り返ったアムニス。
「君も恐れずに手を伸ばせ、彼らとともに心を集わせよ、イアラ」
 何か答えようとして、イアラが口を空けたが、そこで彼女は再び黙ってしまった。無言で待つアムニスに、イアラが遠慮がちに話し始めた。
「それは……。だけど、こわい。できないよ……。もっと、私に信じる勇気があれば」
 アムニスがイアラに歩み寄り、少し強引に顔を覗き込むと、イアラは無意識に一歩退いた。後ろを探った彼女の手が壁に当たる。アムニスがさらに踏み込んで、イアラは壁際に追い込まれるようなかたちになる。どういう気持ちの表れかは分からないが、震えて、目を大きく開いたイアラ。アムニスは、パラディーヴァ独特の青い瞳を輝かせて言った。
「マスター。失った勇気は、向こうから帰ってくるものではない。自分自身で取り戻すものだ」
「うぅ……」
 呻き声のような言葉を小さく口にし、イアラはうつむく。
 だがそこで、アムニスとイアラの心の目に恐ろしい光景が映った。
「あのドラゴンが再びブレスを放とうとしている。敵の《天使の詠歌》を抑えるだけで精一杯である今、灼熱の炎に襲われたら、彼らには防ぐすべがない!」
 御使いの竜の四つの首、それぞれの口元から今にも暴発しそうに炎が漏れ出しているのを、アムニスとイアラは目の当たりにする。
「君が必要だ、イアラ!!」
 アムニスが彼女の名を叫んだ瞬間、二人の《視界》は閃光と爆炎に遮られ、次いで天空まで濛々と立ち昇る煙が見えた。
 
 ◇
 
 神竜のブレスは、御子たちを焼き尽くし、この世から一瞬で消滅させたかにみえた。だが、その火焔の嵐が過ぎ去った後、なおも踏み留まる御子たちの影が目に映った。
 彼らを守り、御使いの竜に立ちはだかった小さな勇者が、ふらふらと空中に漂う。
「火には火を、ってね……。どうよ、そう簡単には、やられてあげないから」
 苦しげにつぶやきつつも、やせ我慢して四頭竜に向かって中指を立てているフラメアが、力尽き、目を閉じて落下した。慌ててグレイルが抱き止める。腕の中に簡単に収まるフラメアの小柄な体。まるで大人に抱き上げられた子供のようだ。
「無茶しやがって! 《炎》のパラディーヴァが、焼け焦げちまってどうする」
「あたしの炎の攻撃は、あいつにはあまり効かない。だけどそれは、向こうも同じ……はずなんだけど、それでもかなり痛かった。舐めてたかな」
 竜が炎のブレスを吐いたのと同時に、飛び出したフラメアは、燃え盛る盾のような魔法壁を創り出し、相手の《火》の属性の力に同属性の力を正面からぶつけたのだった。フラメアが相当の傷を負いながらも無事であるのをグレイルは確信し、安堵の溜息をついた。彼は敬礼のポーズを取り、わざとらしく厳かな調子で告げる。
「さらばだ、炎のパラディーヴァ、フラメア。嗚呼、君の名は英雄として語り継がれるだろう」
「こ、このお馬鹿! 勝手に退場させるな」
 こんなときにも冗談を言い合っている二人の様子をみて、エレオノーアが悲壮な面持ちの中にも口元を緩めた。
「おにいさん。あの人たち、こんなに苦しい戦いの中でも、不敵に笑って決して諦めていないのです」
 揺れる銀髪の向こうに、意志の力を秘めた目を輝かせるエレオノーアの横顔。それを見ながらルキアンも応じる。
「そうだね。僕らも、まだ諦めるわけにはいかない。多分、また《天使の詠歌》が来る。僕らの《光と闇の天秤》の効果は消えちゃったけど。でも、何度だって……」
 地面に膝をついていたルキアンが再び立ち上がる。ふらつきながらも互いに支え合って立つエレオノーアが、彼の言葉に頷いた。
「はい、絶対負けないのです!」
 ルキアンを励まそうと、必要以上に気力を込めて言ったエレオノーア。だがルキアンは、上級の闇属性魔法を休みなく濫発しており、彼の心身は疲労の限界に近づいている。もし、アマリアの《豊穣の便り》の刻印によって魔力を分け与えられていなかったなら、とうに彼が倒れていてもおかしくない状況だった。
 ――おにいさんは魔力を使い過ぎています。御使いが《天使の詠歌》を次に発動させるとき、さっきと同じように《光と闇の天秤》で防ぐことは、もう無理なのです。
 さらにエレオノーアは、他の仲間たちの方を見回す。幸い、アマリアとフォリオムは見た目には今までと変わらない。だがフラメアは竜のブレスに正面から対抗して深手を負った。彼女に守られたにせよ、それでも《炎》属性と元々相性の悪い《風》属性のカリオスとテュフォンも、少なからぬダメージを受けているようだ。
 ――《光》属性の御使いに対して効果的に戦えるのは、おにいさんの《闇》属性の魔法。ここで、おにいさんを回復してもらうためには、アマリアさんがかなり上位の魔法を詠唱するための時間が必要。だから、その時間を稼ぐために、《天使の詠歌》を私が何としてでも防がないといけないです!
 エレオノーアは拳を固く握る。その目は、いつになく真剣で、彼女は何か重大な決意をしたらしい。
 ――ルチアさん。あなたから託された《歌い手》の力、わたしにも、もっと引き出せるでしょうか。やってみます。見ていてください。
 炎のブレスに続いて、やはり再び《光》属性の《天使の詠歌》を発動しようと、四頭竜が魔法力を集中し始める。思い通りに動くこともままならない仲間たちの傍を通り過ぎ、エレオノーアが御使いに向かって立ちはだかった。
 ――我とともに歌え、《言霊の封域》。
「わたしはルチア・ディラ・フラサルバスを継ぐ者、この身に宿るは《光と闇の歌い手》の力。わたしの歌は、人魚の歌姫(セイレーン)のごとく心をとらえ、泣き女の精(バンシー)のごとく敵を狂気に突き落とす。天の歌い手すら、わたしの声には心震わせ、我を忘れるだろう」
  《言霊の封域》によって《歌い手》としての能力強化を自身に掛けつつ、エレオノーアは、使い方を覚えたばかりの例の支援衛星《マゴス・ワン》にサポートを依頼する。この衛星は、本来はアルファ・アポリオンを核とする戦略システムの一部なのだが、それを彼女は早くも自身の手足のように扱っている。
 ――《マゴス・ワン》へ、エレオノーアより緊急通信なのです。《メルキア》さん、さきほど記録した《天使の詠歌》の音を分析して、それを最も効果的に打ち消すことのできる魔曲を生成してください。それでですね、曲調は、厳かな雰囲気がいいかな。前新陽暦時代のレマリア風?みたいに。粛々と勇士を讃える歌、という感じで。依頼はできるだけ具体的に、でしたよね。
 ――お帰りなさい、《リュシオン》(=エインザール)の遥か未来の友人、エレオノーアさん。《マゴス・ワンの柱のAI》こと《メルキア》です。《詠歌》の分析は完了しています。これを打ち消す強力な呪力のノイズなら、もう何パターンか準備してありますが、歌の方がお好みですね。はい、人間の感覚ではそうなるのですね。了解……。曲データが完成しました。転送します。どうぞ、良き舞台でありますように。
 無言のわずかなやりとりのうちに、エレオノーアの青い瞳に不思議な自信が浮かび上がった。
「何を? 戻れ、独りでは危ない!」
 アマリアが叫び、ルキアンが後を追って駆け出す中、エレオノーアは目を閉じ、静かに、大きく息を吸い込んだ。そして御使いの呪歌が始まったとき、エレオノーアも澄んだ声で歌いはじめた。
「これは!?」
 人間の精神を破壊する《天使の詠歌》の発動に身構えたアマリアだったが、何かの異変に気付いたようだ。
 すでに頭を抱えていたグレイルとフラメアも、拍子抜けしたような顔で見つめ合う。
「御使いの呪歌が響いているのに、頭が痛くない。いったい何故なんだ」
「キミの場合、脳みそが入ってないからじゃない?」
「うむ。……って、お前な!」
 騒がしい《炎》の組に比べ、目立ちはしないが、この戦いにおいて常に沈着な《風》の組。マスターのカリオスが言う。
「この歌は? よく分からないが、《天使の詠歌》と重なり、その波動と混ざり合い、打ち消しあっているかのようだ」
 カリオスの言葉に気づいて、御子たちが視線を集めたその先には、神々しい空気感を伴って声を響かせる少女の姿があった。
「エレオノーア、その歌は」
 ルキアンには思い当たるところがあった。闇の血族に受け継がれてきた、代々の御子の記憶の中に。
「《光と闇の歌い手》、ルチアの……」
 12枚の翼を広げ、押し寄せる津波のごとく《天使の詠歌》を轟かせる御使いに対し、エレオノーアは、あくまでも静かに、胸元で両手を合わせて歌っている。だが不思議なことに、御使いが声をますます大きくするほど、逆に、風に木々がそよぐように、ごく穏やかなエレオノーアの歌が、相手の呪歌と混じり合ってその音をかき消していく。
「あの娘には、本当に何度も驚かされるな」
 自分では魔法をほとんど使えない《アーカイブ》のエレオノーアが、特殊能力である《歌》を使って《天使の詠歌》を防いでいることに対し、アマリアは素直に賛辞を贈った。だが彼女の深刻な表情は何ら緩まない。
「しかし、ここまでやっても、我々はただ、敵の攻撃から身を護り、何とか生き延びているという程度か。このままでは、いずれこちらの方が先に消耗し、地力の大きさの違いで御使いに力負けしてしまう。五属性の御子が心を一つにして《星輪陣》を使わぬ限り、我々は勝てない」
 
「イアラ、すべては君にかかっている。私の占いもそう告げていた」
 
 
【第57話に続く】

※2023年9月に本ブログにて初公開。 

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三賢者ならぬ三種のAI+お知らせとお詫び

連載小説『アルフェリオン』、先日、第56話(その5)を更新しました。
いわゆる「劣化コピー」(?)が相手であるとはいえ、何しろオリジナルとなったのがあの御使いの竜ですから、御子たちは苦戦中です。


さて、本日は、この第56話に関連して、ニュースが一点とお詫びが一点です。
まず、ニュースの方です。
今回もAIのHolaraさんによる生成のお世話になり、鏡海が少し修正を加えています。



こ、このスライドは? 闇落ちモードの衣装を着たエレオノーアさんが(違います。正式には「固有外装」をまとった、といいます)、何か命令して、知らない人たちが「審議・了承」って……。これは何なのでしょう。

どう見ても、あなたは出演する作品を間違えたのでは?(笑)という人が約2名いますね。一人は、何だか、海外の歴史ドラマの宮廷の陰謀物とか、「業界の闇を描く」的な企業ドラマなんかに出てきそうな、クセモノのおじさん(おじいさん?)。

 

もう一人は、萌え系のSFアニメ的な作品に出てきそうな、美少女型ロボットですね。頭部以外をほぼすべて改造したサイボーグかもしれませんが、実際はロボットの方なのです(エレオノーア風の言い方で)。

それで、もう一人の方をみますと、何やら色っぽい眼鏡のお姉さん。「MG1 AI Merchia」と下に書かれていますね。エムジー・ワンのAI(エーアイ)のメルキアさん? おや、メルキアさんって、最新話でエレオノーアと話していた人……いや、人ではなくて、支援衛星「マゴス・ワン」の「柱のAI」ことメルキアさんではないですか!

「エーアイとかいう種族の人」(笑)とエレオノーアが前に小説本編で言っていましたが、当然、人ではなくて、マゴス・ワンの統括AIです。そのアバターというのか、あるいは人型インターフェイスというのか、AIメルキアは、こんな仮の姿をもっているのですね。設計者の趣味だったのでしょうか。

ということは、他の二人もAIなのでしょう。例のあやしいオジサンが、MGシリーズの二番目のAI「ベルサザル」です。マゴス・ツーの統括AIでしょうね、多分。そして女の子ロボットは、衛星マゴス・スリーの統括AI、「キャスペリーネ」です。メルキアとベルサザルはまだ人間の姿をしていますが、キャスペリーネは外見的にも露骨にロボットなので、MGシリーズのこの末っ子AIは、いっそう常識からぶっ飛んだキャラかもしれません。

この3人のネーミングについては詳しく述べる必要もないかもしれませんが、ファンタジーやSFの創作において、こういう三つ一組の何かに定番のネタである、聖書のいわゆる「東方三賢者」(あるいは三博士)を少しいじってみた感じです。元々の名前は、メルキオール、バルタザール、カスパー、ですね。三名中、二名が本作品では女性化しています(苦笑)。それに伴って、必要な二名については名前を女性っぽいものに変えました。まぁ、AIですから、あくまで設定上の性別にすぎないのでしょうが。ついでにといいますか、そのままでは芸がないので、ベルサザルさんというのもオリジナルから名前を変えた結果です。

メルキオール →メルキア
バルタザール →ベルサザル
カスパー    →キャスペリーネ

当初は「3姉妹」(苦笑)にしようかとも考えましたが、安直過ぎて何かに負けたような気がするので(何にだ?)、美女とおじさんとロボット、という組み合わせにしました。

マゴス・ツーとマゴス・スリーについては、いまだ連絡の取れる回線が途絶しているようです。3つのAIすべてが登場するのは、もう少し先でしょうか。

 ◇

さて、もう一件は、第55話および第56話の前後編でお届けする予定であった「五柱星輪陣」につきまして、お知らせとお詫びです。

前編・後編の二話構成で進めていたところ、どうも二話では話が収まらない感じになってきました。そこで以下のように三部構成に変更したいと思います。

第55話「五柱星輪陣(前編)」→第55話「五柱星輪陣(1)」
第56話「五柱星輪陣(後編)」→第56話「五柱星輪陣(2)」
第57話「五柱星輪陣(3)」

本ブログのコンテンツ内では、すでに上記のように変更が行われています。


エレオノーアです。わたしが尺を取ってしまい、予定変更申し訳ありません。

 ◇

本日も「鏡海亭」にお越しいただきありがとうございました!

読者の皆様からのご声援につきましても、いつも感謝しております。
地域によるかもしれませんが、今日は暑さも少し和らぎ、秋の気配が感じられるようになりました。
これから「実りの秋」というわけでもないのですが、小説『アルフェリオン』についても、これまでにさんざん引っ張ってきた伏線や物語の展開が、色々と実を結ぶようなことになってくるかと思います。
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです!!

ではまた。

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第56話(その5)イアラの世界、エレオノーアの歌

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ

 


5.イアラの世界、エレオノーアの歌


 
「笑える……。《あれ》は、本当に神様じゃないかしら。だって、こんな醜い世界を《再起動(リセット)》して、最初からきれいにやり直させようとしているのだから。《御使い》も、そんな神の意志を実現しようとする天使かもしれない。アハハハ、そうだよ、そうに違いないもん!」
 灯りの消えた部屋に座り込んだまま、イアラは甲高い声で笑い出し、この世界と人間に対しておよそ思いつく限りの怒りと憎しみの言葉をぶつけ始めた。やがて声は枯れ、彼女は涙を垂れ流しながら、力なく床に両手をついた。苦しげに胸を抑え、肩で息をしているイアラに対し、アムニスは、その身を実体化して彼女を支える。
 イアラの呼吸が整ってきたのを見計らい、アムニスは彼女と意識を共有する。他のパラディーヴァと同様、現在、アムニスもアマリアと《通廊》でつながっており、支配結界《地母神の宴の園》の中で何が起こっているのかを、アマリアを通じて手に取るように把握することができる。そしてアムニスを介し、マスターのイアラも、御使いの竜と戦う御子たちの姿を心に鮮明に浮かべることができた。
 幾重にもうねりながら宙空を埋め尽くす長大な尾と胴、輝く六対の翼を広げた四つ首の巨竜。言葉で語られ得る限りで最も遠い、どんな古の時代よりも、さらに久遠の彼方に霞む開闢のときから、この世界の背後に存在するもの――万象の管理者《時の司》、すなわち《始まりの四頭竜》。それを絵に描いた程度のものでしかない虚ろな似姿ですら、御子たちをこうして圧倒し、人の子がどれだけちっぽけな存在にすぎないのかを如実に知らしめている。
 四頭竜の姿は、目に見える形を取った絶望そのものであった。イアラは何か言おうとしたようだったが、言葉を呑み込んで、ただ口を開いたにすぎない。そのまま呆然と唇を緩めたままの彼女。人知を超えた御使いの印象は、イアラの麻痺した心さえも揺るがすものであった。内心の微かな畏怖の感情が大きく膨らみ、彼女の表情にもありありと現れ出るほどに。
 
「どうだ、怖いだろう?」
 日頃は気取った表現も多いアムニスが、率直に、ごく簡潔にイアラに問うた。
「彼らも、とても怖いに違いない。それでも戦っている。なぜ、何のためにだと思う?」
 答えがすぐには浮かばなかったのか、それとも答える気が無いのか、黙ったままのイアラに対し、アムニスが先程よりも言葉に熱を込めて告げる。
「御子が御使いたちと戦い続ければ、《今回の世界》が守られるから? その分だけ滅びの日が来るのは後になり、《人の子》たちは、より長く生き延びられる? だが、そういったことは《結果論》だ。彼らが戦う本当の理由はそこにはない」
 こうしている間にも、四つ首の神竜の魔力に押されながら、それでも《天使の詠歌(エンゲルス・リート)》の効果を必死に封じ込めている少年と少女。彼らを支える御子とパラディーヴァたち。その無謀にすらみえる戦いの光景を、イアラは突き付けられている。彼女の空っぽの胸に、アムニスの言葉が反響した。
「彼らも君と同じ、《予め歪められた生》の呪いを背負って生まれてきた。だから御子たちはそれぞれ、この世界に対して違和感、あるいは嫌悪の情すら覚えていたり、人間の中で孤独や疎外感に苛まれていたりする。たとえば彼のように」
 アムニスに促され、イアラがみたのは、以前にも目にしたことのある少年の姿だった。眼鏡をかけた脆弱そうな銀髪の少年が、魔力の著しい消耗に体をふらつかせ、意識を失いそうになりながらも、《光と闇の天秤(ヴァーゲ・フォン・リヒト・ウント・ドゥンケルハイト)》の力で御使いの竜に立ち向かっている。
「彼の世界は《ここ》ではなかった。あのルキアンという少年が信じていたのは……いや、信じることができたのは《空想》の世界だけだった。自分の中の閉ざされた世界で、光から目を背け、じっと息をひそめていた」
 暗がりに満たされた部屋をアムニスは見渡した。ここがイアラの《世界》だ。もう何年もほとんど外に出ず、彼女は一日の大半をここで過ごしている。他には特に目立ったものもないこの場所に山と積まれた画材や、描きかけあるいはすでに完成した様々な絵を、アムニスは慣れた様子で眺めている。
「その狭くて、いびつな居場所の中だけで、彼は、自身の空想の翼を自由に広げることができた」
 アムニスの視界には、イアラが思いを形にした、あるいは情念をぶつけた絵が所せましと並んでいる。中には、自然の風景や季節の花を題材にした作品、滅多に開くことのない部屋の窓からみえる庭園を描いた作品も少々ある。
 だが多くは、一様に暗く、息苦しく、画布の中から狂気が外にまで滲み出してくるような、陰惨で不気味な絵ばかりであった。無数の剣や槍の突き刺された墓場と思われる場所で、真っ赤な夕日を背に首を吊る男。動物の死骸らしきものを手に下げ、表情の抜け落ちた顔で、異様に大きい口を開けている子ども。多数の手、鋭い爪を持った妖怪が、人影を引き裂き、つまんで呑み込み、飽食している姿。秩序のない色合いで乱雑に殴り重ねられた線の上、怨霊のような顔を持った女が叫ぶ姿。陰鬱な笑みを浮かべた三日月のもと、黒い衣をまとった死の天使たちが誰かを探している様子。
 こうして彼女が描き出したのは、悪夢の只中にいるような昏き夢の世界だ。
「だが、彼は時々、閉ざされた暗い世界から、恐る恐る外を覗き見たくなることがあった。あたたかいもの、きれいなものにも、ふれてみたいことがあった」
 言葉静かにアムニスが語る。自分でも知ってか知らずか、イアラは身じろぎもせずそれに耳を傾け始めた。
「けれども、そういうとき、異界から這い出てきた獣を相手にするかのように彼をさげすみ、踏みつけにする者は少なくなかった。慌てて彼は、元の暗闇に心を逃げ帰らせる。だが今度は、彼の存在自体を危機に陥れ、この世界の平穏そのものを乱す戦争がはじまった。それに巻き込まれ、泣きながらあがいていくうちに、彼は新しい世界を手にし始めた。本当に彼のことを思う者たちが、手を差し伸べてくれた。その絆を守るために、自分自身にとって大切なものを奪われないために、ルキアンは戦っているのだと思う」
 夜のとばりと、分厚いカーテンとによって重く閉ざされた窓の方へ歩みながら、アムニスが言った。
「彼は君に似ている。孤独な闇の世界に安住を求めながらも、漏れ伝わってくる微かな光に本当は憧れを感じ、それに心惹かれながらも歩み出せずにいた。だが、彼は歩き始めた」
 窓際に少したたずんだ後、青い長髪を揺らめかせ、おもむろに振り返ったアムニス。
「君も恐れずに手を伸ばせ、彼らとともに心を集わせよ、イアラ」
 何か答えようとして、イアラが口を空けたが、そこで彼女は再び黙ってしまった。無言で待つアムニスに、イアラが遠慮がちに話し始めた。
「それは……。だけど、こわい。できないよ……。もっと、私に信じる勇気があれば」
 アムニスがイアラに歩み寄り、少し強引に顔を覗き込むと、イアラは無意識に一歩退いた。後ろを探った彼女の手が壁に当たる。アムニスがさらに踏み込んで、イアラは壁際に追い込まれるようなかたちになる。どういう気持ちの表れかは分からないが、震えて、目を大きく開いたイアラ。アムニスは、パラディーヴァ独特の青い瞳を輝かせて言った。
「マスター。失った勇気は、向こうから帰ってくるものではない。自分自身で取り戻すものだ」
「うぅ……」
 呻き声のような言葉を小さく口にし、イアラはうつむく。
 だがそこで、アムニスとイアラの心の目に恐ろしい光景が映った。
「あのドラゴンが再びブレスを放とうとしている。敵の《天使の詠歌》を抑えるだけで精一杯である今、灼熱の炎に襲われたら、彼らには防ぐすべがない!」
 御使いの竜の四つの首、それぞれの口元から今にも暴発しそうに炎が漏れ出しているのを、アムニスとイアラは目の当たりにする。
「君が必要だ、イアラ!!」
 アムニスが彼女の名を叫んだ瞬間、二人の《視界》は閃光と爆炎に遮られ、次いで天空まで濛々と立ち昇る煙が見えた。
 
 ◇
 
 神竜のブレスは、御子たちを焼き尽くし、この世から一瞬で消滅させたかにみえた。だが、その火焔の嵐が過ぎ去った後、なおも踏み留まる御子たちの影が目に映った。
 彼らを守り、御使いの竜に立ちはだかった小さな勇者が、ふらふらと空中に漂う。
「火には火を、ってね……。どうよ、そう簡単には、やられてあげないから」
 苦しげにつぶやきつつも、やせ我慢して四頭竜に向かって中指を立てているフラメアが、力尽き、目を閉じて落下した。慌ててグレイルが抱き止める。腕の中に簡単に収まるフラメアの小柄な体。まるで大人に抱き上げられた子供のようだ。
「無茶しやがって! 《炎》のパラディーヴァが、焼け焦げちまってどうする」
「あたしの炎の攻撃は、あいつにはあまり効かない。だけどそれは、向こうも同じ……はずなんだけど、それでもかなり痛かった。舐めてたかな」
 竜が炎のブレスを吐いたのと同時に、飛び出したフラメアは、燃え盛る盾のような魔法壁を創り出し、相手の《火》の属性の力に同属性の力を正面からぶつけたのだった。フラメアが相当の傷を負いながらも無事であるのをグレイルは確信し、安堵の溜息をついた。彼は敬礼のポーズを取り、わざとらしく厳かな調子で告げる。
「さらばだ、炎のパラディーヴァ、フラメア。嗚呼、君の名は英雄として語り継がれるだろう」
「こ、このお馬鹿! 勝手に退場させるな」
 こんなときにも冗談を言い合っている二人の様子をみて、エレオノーアが悲壮な面持ちの中にも口元を緩めた。
「おにいさん。あの人たち、こんなに苦しい戦いの中でも、不敵に笑って決して諦めていないのです」
 揺れる銀髪の向こうに、意志の力を秘めた目を輝かせるエレオノーアの横顔。それを見ながらルキアンも応じる。
「そうだね。僕らも、まだ諦めるわけにはいかない。多分、また《天使の詠歌》が来る。僕らの《光と闇の天秤》の効果は消えちゃったけど。でも、何度だって……」
 地面に膝をついていたルキアンが再び立ち上がる。ふらつきながらも互いに支え合って立つエレオノーアが、彼の言葉に頷いた。
「はい、絶対負けないのです!」
 ルキアンを励まそうと、必要以上に気力を込めて言ったエレオノーア。だがルキアンは、上級の闇属性魔法を休みなく濫発しており、彼の心身は疲労の限界に近づいている。もし、アマリアの《豊穣の便り》の刻印によって魔力を分け与えられていなかったなら、とうに彼が倒れていてもおかしくない状況だった。
 ――おにいさんは魔力を使い過ぎています。御使いが《天使の詠歌》を次に発動させるとき、さっきと同じように《光と闇の天秤》で防ぐことは、もう無理なのです。
 さらにエレオノーアは、他の仲間たちの方を見回す。幸い、アマリアとフォリオムは見た目には今までと変わらない。だがフラメアは竜のブレスに正面から対抗して深手を負った。彼女に守られたにせよ、それでも《炎》属性と元々相性の悪い《風》属性のカリオスとテュフォンも、少なからぬダメージを受けているようだ。
 ――《光》属性の御使いに対して効果的に戦えるのは、おにいさんの《闇》属性の魔法。ここで、おにいさんを回復してもらうためには、アマリアさんがかなり上位の魔法を詠唱するための時間が必要。だから、その時間を稼ぐために、《天使の詠歌》を私が何としてでも防がないといけないです!
 エレオノーアは拳を固く握る。その目は、いつになく真剣で、彼女は何か重大な決意をしたらしい。
 ――ルチアさん。あなたから託された《歌い手》の力、わたしにも、もっと引き出せるでしょうか。やってみます。見ていてください。
 炎のブレスに続いて、やはり再び《光》属性の《天使の詠歌》を発動しようと、四頭竜が魔法力を集中し始める。思い通りに動くこともままならない仲間たちの傍を通り過ぎ、エレオノーアが御使いに向かって立ちはだかった。
 ――我とともに歌え、《言霊の封域》。
「わたしはルチア・ディラ・フラサルバスを継ぐ者、この身に宿るは《光と闇の歌い手》の力。わたしの歌は、人魚の歌姫(セイレーン)のごとく心をとらえ、泣き女の精(バンシー)のごとく敵を狂気に突き落とす。天の歌い手すら、わたしの声には心震わせ、我を忘れるだろう」
  《言霊の封域》によって《歌い手》としての能力強化を自身に掛けつつ、エレオノーアは、使い方を覚えたばかりの例の支援衛星《マゴス・ワン》にサポートを依頼する。この衛星は、本来はアルファ・アポリオンを核とする戦略システムの一部なのだが、それを彼女は早くも自身の手足のように扱っている。
 ――《マゴス・ワン》へ、エレオノーアより緊急通信なのです。《メルキア》さん、さきほど記録した《天使の詠歌》の音を分析して、それを最も効果的に打ち消すことのできる魔曲を生成してください。それでですね、曲調は、厳かな雰囲気がいいかな。前新陽暦時代のレマリア風?みたいに。粛々と勇士を讃える歌、という感じで。依頼はできるだけ具体的に、でしたよね。
 ――お帰りなさい、《リュシオン》(=エインザール)の遥か未来の友人、エレオノーアさん。《マゴス・ワンの柱のAI》こと《メルキア》です。《詠歌》の分析は完了しています。これを打ち消す強力な呪力のノイズなら、もう何パターンか準備してありますが、歌の方がお好みですね。はい、人間の感覚ではそうなるのですね。了解……。曲データが完成しました。転送します。どうぞ、良き舞台でありますように。
 無言のわずかなやりとりのうちに、エレオノーアの青い瞳に不思議な自信が浮かび上がった。
「何を? 戻れ、独りでは危ない!」
 アマリアが叫び、ルキアンが後を追って駆け出す中、エレオノーアは目を閉じ、静かに、大きく息を吸い込んだ。そして御使いの呪歌が始まったとき、エレオノーアも澄んだ声で歌いはじめた。
「これは!?」
 人間の精神を破壊する《天使の詠歌》の発動に身構えたアマリアだったが、何かの異変に気付いたようだ。
 すでに頭を抱えていたグレイルとフラメアも、拍子抜けしたような顔で見つめ合う。
「御使いの呪歌が響いているのに、頭が痛くない。いったい何故なんだ」
「キミの場合、脳みそが入ってないからじゃない?」
「うむ。……って、お前な!」
 騒がしい《炎》の組に比べ、目立ちはしないが、この戦いにおいて常に沈着な《風》の組。マスターのカリオスが言う。
「この歌は? よく分からないが、《天使の詠歌》と重なり、その波動と混ざり合い、打ち消しあっているかのようだ」
 カリオスの言葉に気づいて、御子たちが視線を集めたその先には、神々しい空気感を伴って声を響かせる少女の姿があった。
「エレオノーア、その歌は」
 ルキアンには思い当たるところがあった。闇の血族に受け継がれてきた、代々の御子の記憶の中に。
「《光と闇の歌い手》、ルチアの……」
 12枚の翼を広げ、押し寄せる津波のごとく《天使の詠歌》を轟かせる御使いに対し、エレオノーアは、あくまでも静かに、胸元で両手を合わせて歌っている。だが不思議なことに、御使いが声をますます大きくするほど、逆に、風に木々がそよぐように、ごく穏やかなエレオノーアの歌が、相手の呪歌と混じり合ってその音をかき消していく。
「あの娘には、本当に何度も驚かされるな」
 自分では魔法をほとんど使えない《アーカイブ》のエレオノーアが、特殊能力である《歌》を使って《天使の詠歌》を防いでいることに対し、アマリアは素直に賛辞を贈った。だが彼女の深刻な表情は何ら緩まない。
「しかし、ここまでやっても、我々はただ、敵の攻撃から身を護り、何とか生き延びているという程度か。このままでは、いずれこちらの方が先に消耗し、地力の大きさの違いで御使いに力負けしてしまう。五属性の御子が心を一つにして《星輪陣》を使わぬ限り、我々は勝てない」
 
「イアラ、すべては君にかかっている。私の占いもそう告げていた」
 
 
【続く】
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第56話(その4)響き渡る天使の詠歌、目覚める御使いの竜の力

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4.響き渡る天使の詠歌、目覚める御使いの竜の力


 
 アマリアの描いた五芒星陣の頂点のひとつに、不意に炎が浮かぶ。それは激しく燃え上がり、宙に逆巻いて少女の姿を取った。
「《炎》のパラディーヴァ、フラメア様参上! 一番乗りだわさ」
 彼女は周囲を見回し、ルキアンの姿を認めると、真っ赤な髪を振り乱していきなり食って掛かった。
「あんたが闇の御子? リューヌはどうしたのよ、リューヌは!?」
 ルキアンは気まずそうに視線をそらし、何度も言葉に詰まった。
「リューヌは……。その、僕のせいなんだ。僕が弱かったから、彼女は……」
「そうよ! 後でぶっ飛ばすからね。あのリューヌが消滅するなんて、マスターのあんたがよっぽどダメダメだからでしょ」
「おいおい、いきなり乱暴なこと言うなよ。悪いな、こいつ、口のきき方ってものを知らなくて」
 いつの間にかフラメアの後から出てきた金髪の男が、頭を掻きながらルキアンに愛想笑いをする。気さくそうな印象だが、頭髪や髭など、全体的に少し無精な雰囲気も漂わせている。結界の外から送られてきた思念体がまだ安定していないためであろうか、時々、彼の輪郭が揺らいだり、画質の粗い映像のように姿がぼやけたりしていた。
「俺はグレイル。君と同じ、御子だ。《炎》の。よろしく頼む。で、こっちのガラの悪いのが、相棒のフラメア」
「こら、何が悪いって?」
「よろしく、お願い、します……。あ、僕はルキアン」
 
 多少困惑しているルキアンの挨拶を、アマリアの声が打ち消した。
「竜が動くぞ。呑気に自己紹介している余裕はない」
 ルキアンの放った《シャローンの鎌》で重力の呪いを掛けられ、容易には身動きできないほど重くなっているはずの四頭竜が、それでも強引に御子たちに突進してくる。その巨体と迫力たるや、こちらに向かって山脈が一気に崩れ落ちてくるかのような、とてもこの世のものとは思えない威圧感だ。
 一瞬、立ちすくむグレイルとルキアン。対照的に、口元に好戦的な笑みを浮かべ、二人の前に出るフラメア。だが突然、空間そのものを引き裂くような爆風の大断層が、彼女と御使いの竜との間を走り抜けた。両者は暴風の壁に切り離される。凄まじい勢いで気流が上昇し、吹き飛ばされそうになりながらも、フラメアが拳骨を振り回している。
「危ないだろ、《風》のクソガキ! あたしらまで切り刻むつもり?」
「そう? 君たちなら簡単に避けられるだろうと思って、気にしてなかったよ」
 一陣の風と共にルキアンたちの前に現れたのは、空色の羽衣をまとって宙に舞う気儘な男の子。彼、《風》のパラディーヴァ・テュフォンと、それに。
「あ、あなたは。エクター・ギルドの……先日、ネレイの街で……」
 森の木々を想起させる深い緑色の髪、ただでさえ細い目が無くなってしまいそうに、伏し目がちで、物静かな表情。そこにいるのは、ネレイの運河沿いでクレドールの乗員たちがくつろいでいたとき、特段に目立った様子もなく通りがかったあの男だ。平凡な風貌からは想像し難いが、その実、ギルド最強のエクターに他ならない。この強烈なギャップをルキアンは忘れることができなかった。
「カリオス・ティエントさん」
「君は、たしか、クレドールの」
 決して不愛想というわけではないにせよ、どちらかというと口数は控えめなカリオスが、ぶっきらぼうに呟いた後、微笑を浮かべた。
 
 だがそのとき、エレオノーアがいつもより声を大きくして言った。
「竜の中心部から、今までにない魔力が急激に高まってきます! ものすごいです、何もかも飲み込みそうな、巨大な《光》属性の力の渦です!!」
 テュフォンが創り出した暴風の境界を避け、御使いの竜はいったん上空に後退している。だが勿論、逃げたわけではなかった。長い尾と四つの首をすぼめ、球状になって空中で静止している姿は明らかに不自然だ。
「お、おい、これは……。急に、脳みそを揺らされているような感じで、気持ち悪くなり始めたんだが。やばいんじゃないか?」
 頭を抱えるグレイルの姿を見て、アマリアには思い至るところがあった。
「大気に波動が伝わってくる。知っている、この感じは……。あれは竜の姿をしているが、魔物ではなく天に属する存在、《御使いの声(エンジェリック・ヴォイス)》が来るぞ、気をつけろ! 《闇》以外の属性では防御困難だ」
 その間にも四頭竜は白熱する光に包まれ、巨大な光球となり、透明な輝く翼が一枚、また一枚と竜の背から花咲くように広がってゆく。その翼が完全に、おそらく12枚の翼が開き切るとき、何か恐ろしいことが起こりそうであるのは分かった。
「化け物め。とうとう本気を出してきたようじゃ、《人の子》相手に……。《闇》の嬢ちゃん、どうしようかの」
 それまで飄々と目を細めていたフォリオムの顔つきが変わり、老練さを感じさせる眼差しがエレオノーアに向けられた。彼女はすでに次の一手を持っているようだ。《闇のアーカイブ》を司る彼女なりの最適解、ここにきて迷いも恐れもない表情で、エレオノーアはルキアンに告げる。
「おにいさん、今から伝える呪文を復唱してください、早く!!」
 エレオノーアが呪文を口にし、言われるがまま、その言葉をルキアンが繰り返す。
「光あるところ、必ず影あり……」
 少女の言葉を追う少年の言葉。繰り返すうちに、両者の距離は縮まり、二つの声はひとつに近づく。
「光強きところ、影もまた色濃く。昼と夜は、とこしえに繰り返し」
 エレオノーアが呪文を口に出すより早く、彼女の心に浮かんだそれがルキアンに共有され、同時に発声されているのだ。
 そんな彼らの変化を目の当たりにして、フラメアが興奮気味に言った。
「何よ、あの子たち! 完全に《魔力共鳴(シンクロ)》してる。あの娘、パラディーヴァでもないのに、あり得ない。違う……まさか、同じ時代に闇の御子が二人!?」
 ルキアンの左目の紋章とエレオノーアの左目の紋章が同時に輝きを増し、次の瞬間にいずれの瞳も闇色に染まる。ルキアン、そしてエレオノーアの髪も漆黒に変わった。大嵐の中のように二人の髪が舞い上がる。
 
 闇は光に、光は闇に。
 相克せよ、根源の両極。
 それは絶対にして永遠の理(ことわり)。
 青天の日輪、常夜の月輪(とこよのげつりん)。
 天界の槍を受け止めよ、冥界の楯。
 
 エレオノーアとルキアンの声がひとつに重なる。《光》属性による効果のみを、ただし完全に打ち消す《闇》属性の絶対防御呪文が完成する。
 ――もしこれで防げなければ終わりなのです。すべて託します、おにいさん!
 
「《天冥相殺・光と闇の天秤(ヴァーゲ・フォン・リヒト・ウント・ドゥンケルハイト)》!!」
 
 わずかに遅れ、12枚・6対の光の翼を四頭竜が開き、悠々と、空を覆い尽くすように羽ばたかせる。
 
 ――畏れよ、跪け、罪深き人の子ら。
《天使の詠歌(エンゲルス・リート)》
 
 天から降り注ぐ、輝く霧雨にも似た光とともに、たちまちに心奪う清麗たる歌声、しかしながら聴く者を狂気の底に突き落とす御使いの呪歌が、周囲一帯に響き渡った。
 ルキアンとエレオノーアが互いの手を取り、握り合って前に突き出す。御使いの歌とルキアンたちの魔法が正面からぶつかり、拮抗している。だが明らかに《光》側の力、天の御使いたる四頭竜の方が優っており、このままでは、じきにルキアンたちは押し負けそうだ。
「全員で支えるぞ。フォリオム」
 アマリアがルキアンとエレオノーアの後ろに立ち、彼らに急激に魔力を送る。彼女のパラディーヴァ、フォリオムが光となってアマリアの体に溶け込む。一体化してさらに力を高めるつもりだ。
「マスター、あんたも早く、力を貸しなさいよ!」
 同じようにフラメアがグレイルとひとつになる。グレイルのまとうオーラが爆発的に高まり、真っ赤な光を放って紅蓮の炎のごとく渦巻いた。
「テュフォン、俺は今まで、魔法など使ったことがないんだが……」
 落ち着いているにせよ、ひとり残って突っ立ったままのカリオス。彼の肩のあたりに、ふわりと乗るようにして、テュフォンが耳打ちする。
「安心して、僕とひとつになって」
 押し負けそうになっていたルキアンとエレオノーアが、三人の御子とそれぞれのパラディーヴァの力に支えられ、《光と闇の天秤》の効果が御使いの呪歌を再び押し返す。一進一退。だが神竜は、余裕を見せつけるかのように四つの首をもたげ、轟雷にも等しい雄叫びとともに、さらなる力を解き放った。
 その強烈な勢いに、エレオノーアは思わず目を閉じる。
 歯痒そうな表情でアマリアが首を振った。
「押されているぞ。まがい物だとはいえ、さすがに《始まりの四頭竜》の力を一部でも得た相手。こちらには頼みとなる《闇》属性のパラディーヴァが居ない。厳しいな。いや、その前に、まだ足りない……」
 
「もう一人、《水》の御子はまだ来ないのか。彼女も、アムニスも何をしている?」
 
 ◇
 
 真っ暗な部屋の中、独りで過ごすには広すぎる空間。
 灯りさえ何ひとつ点けられておらず、すべてが闇に呑まれた、もう長らく時に忘れられた部屋。
 これが今の彼女にとっての《世界》だ。ただひとつ、許された居場所だ。
 
 暗闇の真ん中に、ヴェールを目深に被り、仕立ての良い黒の衣装を着た女性が座り込んでいる。時々、身を小さく振るわせる他には、彼女は凍りついたように動かず、何の変化もない周囲の暗さも相まって、本当に時が止まっているのかとしばしば錯覚しそうになる。
「我が主、イアラよ。君の力が必要だ。御使いの竜の力は想像以上に強い」
 暗がりに微かな光を従えて、水のパラディーヴァ・アムニスが、たまりかねて言葉を発した。流れるような青き長髪に、怜悧な瞳。彼の表情自体は常に冷静だが、内心までそうであるとは限らない。穏やかな水面(みなも)の底で、渦巻く暗流のごとく。
 《水》の御子・イアラから返事は帰ってこず、閉ざされた部屋いっぱいに再び静寂が広がる。アムニスがさらに何か告げようとすると、ようやく彼女は無言で首を振った。
「何度も言わせないで。いまさら、都合、よすぎる……。こんな世界のために、こんな人間たちのために、戦って、もし私が死んだなら……」
 涙をのみ込み、喉をしゃくり上げると、イアラは狂ったように憎悪を吐き捨てた。
「そんなの、私、ただの馬鹿みたいじゃない! アハハハ、おかしいよ!! 頼まれてもいないのに? 頼まれるどころか、私は憎まれ、傷つけられ、この世界から排除されただけ」
 
「私なんて居ない方がよい世界。それが《人の子》たちの、あなたたちの世界なら……自分たちで戦って、勝手に死んだら?」
 
【第56話(その5)に続く】
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連載小説『アルフェリオン』縦型PR画像、2点!

連載小説『アルフェリオン』、先日の更新で第56話も山場に入って参りました。
本日は、その第56話PR用の縦型画像を公開です。

ルキアンとエレオノーアの隣に、「御子」たちがいい感じに並んでいます。
多少、昔のアニメ映画のポスターっぽいかも。
何気にシェフィーアさんが紛れ込んでいますね(笑)。しかも一番上に。
彼女も実は御子だった……なんて、それはないです。ただの冗談です。

舞台裏っぽい話をしますと、以前、アマリアさんとシェフィーアさんについては、書いていてキャラが被らないか、少し心配だったのです。それが結果的に今の二人は全然違う人物になって、作者としては安堵しております。
シェフィーアさんの言動が当初の予定より弾け過ぎた一方で、アマリアさんが逆に厳めしくなり過ぎたかもしれません。

続いて、同じく縦型PR画像。以前のエレオノーア特集(?)の第56話PR画像を描き替えたものですね。

何というか、このスライドにある絵を見ている限りでは、どことなく不安定そうで、いろいろと危なっかしい感じの子ですね。例の海底神殿におけるルチア(の残留思念)との出会いを経て、エレオノーアが「生きる」ことに自信を見出したのであったらよいのですが。その後、第56話にさしかかって、実際、彼女は変わってきています。

ちなみに第56話、次回更新の「その4」は熱い展開になりそうです。御使いの竜も本気を出し、御子たちが力を合わせてそれに対抗するという。第56話にして、初めての共闘です(感涙)。
おっと、(公式)ネタバレでしたか。すいません。

ただ、そこにイアラだけが来ない(!?)。
彼女は仲間たちの危機を前にして、苦しみ、悩む。そしてついに駆けつける……のか? そんなイアラさん、おいしい役回りですね。今後のお楽しみですが。

本日も鏡海亭にお越しいただきありがとうございました。
読者様方からのご声援に感謝です!
次のお越しをお待ちしております。

ではまた。

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第56話(その3)絆の力

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ

 


3.絆の力


 
 それは爆炎。絶大な魔法力の集中が頂点を迎えたとき、四つ首の神竜が咆哮し、瞬時に閃光が視界を呑み込み、嵐の如き爆風と灼熱の炎が牙を剥いた。そして、それは煉獄。《御使い》の化身、《始まりの四頭竜》の似姿は、自然の力を超越した炎と熱を猛り狂わせ、現世に呼び出された異界の獄炎は、ルキアンたちの姿をたちまちかき消した。それでも竜は、勢いを緩めず超高温の炎を吐き続ける。
 すべてを焼き尽くす紅蓮の激流の先、噴き上がる爆煙の向こうに、六角形の板状の光が無数に輝き、幾重にも壁を作って竜のブレスを受け止めている。その防御結界を挟んで、一方には四つの頭を持ち上げ、火力をいっそう強める御使いの竜が、もう一方にはルキアンとエレオノーア、アマリアとフォリオムの四人が互いに宿敵と対峙する。
 決死の形相で両手を突き出し、結界を内側から押すようにして魔力を注ぎ込んでいるルキアン。彼の隣ではエレオノーアが状況の変化を刻々と伝え、サポートする。
「第一防壁、第二防壁は最初のブレスで消失! 第三防壁も、損傷率85%……いま破壊されました。第四防壁の損傷率35%、おにいさん、防壁パターンを組み替え、正面に集中します!」
 結界を構成する手のひらほどの六角形の光が、エレオノーアの声に応じて移動し、特に側面からルキアンたちの正面へと集まって結界をいっそう厚くし、同時に全体として平板な形状から丸みを帯びた盾のような形状に変化していく。ルキアンが防御魔法で結界を展開し、支えている中、エレオノーアは敵の出方やこちらの被害状況に合わせて、随時、結界を最適化しているようだ。銀色の神秘的な髪、儚さと強さを宿した青い瞳、同じ《しるし》を共にもつ二人の若者が戦う姿を、フォリオムが眩しそうに見つめる。
「うむ、この見慣れぬ結界は、《旧世界》のアルマ・ヴィオによる魔法防御を思わせる。純粋な魔法というよりは、むしろ、いにしえの高度な魔法と科学の融合……《対魔光壁(アンチ・マジック・バリア)》に近いじゃろうか。《降喚(ロード)》された《聖体》が人の姿をとった者たち、真の闇の御子は、こんなものまで生身で操るのか」
「彼らの力……。フォリオム、二人の御子は我らの理解を超えている。一度は消滅したエレオノーアは、こうして蘇った。ルキアンは、二つ目の闇の紋章を呼び覚ますという奇跡によって、《あれ》の因果律を乗り越えて彼女を取り返したのだ。真の闇の御子は二人で一人。そう……」
 アマリアはしばし俯き、そしてまた天を見上げて呻くようにつぶやいた。
 
「死すらも彼らを分かてなかった。これが、《絆》というものか」
 
 アマリアたちの告げたことを省みる余裕も勿論ない中、闇の御子二人は神竜のブレスになおも立ち向かう。
「おにいさん、第八防壁の損傷率50%を超えました。もうすぐ突破されます!!」
 ルキアンたちを竜の炎から護る最後の障壁が、いまにも失われようとしている。だがエレオノーアの真剣かつ落ち着いた表情は、彼女が何ら勝負を諦めていないことを物語っている。彼女はルキアンに体を寄せ、小声でささやいた。
「《盾》は《鏡》に。おにいさんは、さらにその次の呪文を」
 ルキアンは、平然とした彼女の姿に目を見張りつつ、対照的にかなり動揺している自身の気持ちを表に出さないよう、黙って頷いた。エレオノーアと言葉を交わしたことで、ルキアンは少し落ち着いたようだ。彼の瞳には、エレオノーアに対する絶対的な信頼が漲っている。それは、これまで彼が、自分自身も含めて、この世界のどんな人間に対しても心からは向けられなかった思いだった。
 そんなルキアンの瞳を見つめ、エレオノーアも嬉しそうに一度頷いた。
 ――わたしは《失敗作》なんかじゃない。おにいさんと一緒なら、おにいさんの《アーカイブ》になれたのだから、わたしだって……。
 彼女とルキアンを囲む複合立体魔法陣が――それぞれに文字や記号が細部までびっしりと書き込まれた光の円陣が、大別して約6層に積み上がり、高さは彼らの背丈を超えている――その複雑怪奇な機構が動き出し、各層が入れ替わって形を変え始めた。
 今にも砕け散りそうなルキアンたちの結界を前にして、四頭竜は、とどめとばかりに火勢を一気に強めた。残された結界に亀裂が走る。だが、そのとき。
「鏡に映る汝を見たか。それは今際の顔……闇に消えゆくその目に、焼き付けよ……」
 ルキアンが詠唱する。いや、それは呪文ではなく、すでに詠唱済みの呪文を発動させるための鍵となる言葉だった。
 小さく息を吸い込んで、彼は一言ずつ刻み込むように言った。
 
「《影の魔鏡(ツァウバーシュピーゲル・イム・シャッテン)》」
 
 ルキアンの前の空間が歪み、陽炎のように揺らぎながら、見上げるほどの高さの《魔鏡》が顕現した。いばらのツタと骸骨の手足の装飾で埋め尽くされた禍々しい鏡は、これが《闇》属性の高位魔法であることを無言のうちに告げている。結界が全壊したのはその瞬間だった。これと入れ替わりに、魔鏡の表面に不気味な人影が浮かんだような気がした。その影が口を吊り上げて冷笑すると、影の魔鏡は、あたかも亡者の肌の色のような、呪わしき青白い光に満ちた。
 そのとき何が起こったのか、簡単には把握できない。少なくとも、津波のごとくルキアンたちを呑み込もうとした竜の炎が、確かに逆流したように見えた。実際、その通りだった。気が付くと、四頭竜は自身が敵に吐き出した火焔に取り巻かれ、体中が火だるまになっている。
「おぉ、魔力反射(リフレクション)の類か!? 結界の後ろにそんなものを隠していたとは」
 フォリオムが声を上げ、その驚きも覚めやらぬ次の瞬間、二人の御子が動いた。
「今です、おにいさん!」
 ルキアンの左目に闇の紋章が浮かび上がる。
「冥府の川を渡せ……」
 なおも炎に包まれ、くすぶる御使いの竜の背後に、にわかに黒雲が湧き上がる。そこから稲妻とともに現れたのは、風に翻る空っぽの黒衣の下に、骸骨の顔だけをのぞかせた死神のような、あるいは練達の死霊術師が己自身を不死の術者(リッチ)に変えたような――いずれにせよ、それはおそらく幻影であろう冥界への導き手は、四頭竜に比べるとさすがに小さいものの、神話の巨人さながらに大きい。
 
「《シャローンの鎌》!」
 
 ルキアンの言葉とともに、死神の手に握られた大鎌が四頭竜に向かって振り下ろされる。
 だがその一撃は、竜の鉄壁の鱗や、それ以上に何か、不可視の護りの力に弾かれただけだった。
 ――天の系譜に属する者だけあって、即死系の魔法はやはり効かないですか。でも二撃目が本命です、おにいさん!
 エレオノーアの言った通り、ルキアンがすかさず次の力の言葉を発した。
「地の底に落ちよ!!」
 死神の鎌が竜の背に打ち下ろされる。刃の先端と竜の背の間で火花が散り、耳をつんざくような激しい音、そして大気を揺らして体の奥底にまで伝わってくる振動が、周囲に走り、さらに広がっていく。特に外傷はないようだが、それにもかかわらず竜の体に異変が起こった。宙に浮かんでいた四頭竜が突然に姿勢を崩し、地面に向かって落下しかけたのだ。再び浮かび上がるものの、竜の動きが遅く、見るからに鈍重になったように思われた。
 
「闇の御子たちよ、よく防いでくれた。おかげで私の方の準備も整ったぞ」
 涼しげな顔で告げるアマリアだったが、彼女にとっても、内心、二人の若き御子のここまでの働きは想定外だったようだ。
 ――たった二人だけでも、闇の御子は《御使い》相手にこれほど戦えるのか。まず結界でブレスの威力を削り、それでも受け切れない分は《魔鏡》の術で跳ね返す。もしいずれか一方だけだったなら、今ごろ我々は灰になっていただろう。そのうえで、なまじの攻撃は通らない敵を無駄に攻撃せず、重力魔法で動きを鈍らせるとは良い判断だ。しかもあれは《闇》の《地》の属性魔法。私の支配結界《地母神の宴の園》の中では、《地》属性と同様に効果が飛躍的に高まる。
 アマリアはエレオノーアの方を横目で見た。正確には、エレオノーアの作り出した精緻かつ大規模な立体魔法陣を改めて見ていた。
「先ほどの結界、失われた旧世界の科学道士の術に近い系統だな。恐らくアルフェリオンの《ステリア》の力と同様、《無属性》か。そこから闇属性の魔力反射に、闇の地属性の重力魔法の連撃……。そのために必要な魔法陣、これほど高度なものを、あのわずかな時間でどうやって構想して描いたのやら」
 深刻な状況のもと、エレオノーアは意外なほどにあっけらかんとした調子で答える。
「はい! おにいさんの《紋章回路(クライス)》を介してアルフェリオンのコア・《黒宝珠》にアクセスし、そこから周回軌道上の支援衛星のうち、《マゴス・ワン》とのデータリンクを復旧しました。それをこちょこちょと」
「こちょこちょ、か?」
「そうです。《マゴス・ワン》の《メルキア》さん、人間ではなくて、《えーあい?》とかいう種族の方らしいのですが、この方とお話して、《マゴス・ワン》の霊子コンピュータというのをこちょこちょと、触ってみたのです。それで、この魔法陣の設計と描画に必要な演算をお願いしました。頼んだ瞬間に、もう全部完了していましたが。すごいです!」
 エレオノーアが無邪気に語っている内容に、アマリアは寒気すら覚えた。彼女ほどの魔道士が、いや、彼女ほどの魔道士だからこそ、エレオノーアの行ったことの真価を理解できるのだ。
 ――正直、恐ろしいな。《あれ》に抗うためだけに、地を這う者たちの怨嗟が天を落とそうと、世界の摂理に背いて人間が人間を創る、しかもそのために多数の同胞、自分たちと同じ人間を生贄にするという……何重もの禁忌を犯して召喚された《聖体》の化身。
 
 ――彼らは、定められた因果の鎖を断ち切る刃。自らを《主》から閉ざそうとする世界が歪みの果てに呼んだ、《ノクティルカの鍵》の器。
 
 いつも白日夢の中にいるような面持ちをしているアマリアが、不意に右目を大きく見開いた。瞳に浮かぶのは大地の紋章。
「そして我ら御子は、彼らと共に戦う。今ここに心を集わせよ、自然の四大元素を司る御子たち」
 アマリアとその隣に従うフォリオムの足元から、地面を這うように一筋の光が走る。さらにもう一筋。次々と光が行き交い、彼らの立ち位置をひとつの頂点にして星を描き、続いて五つの頂点を光が結ぶ。古の時代より、数知れない術者に用いられ、基本にして最奥にまで至る魔法陣、五芒星の陣だ。
 そこに、いくつかの影が――アマリアと同じく、本人ではなく思念体が――姿を現した。
 
【第56話(その4)に続く】
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エレオノーア未公開画像と、あの人の……

先日公開の連載小説『アルフェリオン』第56話(その2)、イアラの過去に関する回想シーンが色々と重かったりエグかったりして、書いている私の方も苦しくなってくるところがありました……。
そういう中でも物語に光をもたらしてくれるエレオノーア。ヒロイン、良い仕事しています。

「闇」の御子なのに、物語の中の「光」となっているエレオノーア。
そんなエレオノーアのミニ画像集(?)的なスライドです。
これまでに採用されている画像とは少し違う雰囲気の、未公開画像もいくつか入れてみました。生成AIのHolaraさん、こうして、様々なエレオノーアの姿を提案してくれています。

小説本編においては、ここのところ、エレオノーアがヒロインどころか主人公みたいに目立っています。物語の途中で主人公交代(!)が起こるとか、まさかそんなことは無いですよね。ルキアン涙目ですね。

それからもう1枚、これは完全な余興なのですが、ヒロインの座をまだ狙っているシェフィーアさんが、こんなスライドを密かに用意したようです。


な、何ですかこれは!?(笑)。レイシアも呆れていますが。

いや、冗談はともかく、次のミルファーン編も早く書きたいです。シェフィーアさんをはじめ、「灰の旅団」の個性的なメンバーたちが出てくるのに期待ですね。

その前にまずは、現在のハルス編(「ハルスの邂逅」編)のクライマックス、第56話を頑張って仕上げないと、ですね。無事にイアラが立ち上がり、ルキアンたちとともに「五柱星輪陣」に加わるのか。楽しみです。

本日も、お忙しい中、鏡海亭にお越しいただきありがとうございました。
皆様の応援、いつも感謝しております。小説執筆への力になります。
朝夕は多少は涼しくなってきた気もする今日この頃ですが、昼間の暑さはまだまだ続くかと思います。何とぞご自愛ください。
そして、ブログ鏡海亭および連載小説『アルフェリオン』が、読者様方が残暑を乗り切るための元気に少しでもなれましたら、嬉しいです。

ではまた。

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第56話(その2)予め歪められた生――イアラ、壊れた心

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ

 


2.予め歪められた生――イアラ、壊れた心


 
 ◆ ◆
 
「いま、君は心から助けを求めた。それは、君が自分以外の誰かを、まだ信じようとしていることの証だ」
 日没近づく藍色の空のような、濃い青の髪がなびき、同じく青の衣が翻る。
 長い髪を揺らしながら《彼》が振り返ったとき、荒野を貫く疾風さながらに何かが駆け抜けたかと思うと、いくつかの影が血しぶきを上げて弾け、切り刻まれた肉塊が折り重なった。それらは人に似ていたが、人間ではなく、たとえばオークやゴブリンのごとき亜人型の魔物のものだった。そして最後に、見えない無数の刃は、役目を終えると多量の水に変わり、空中から滝のように流れ落ちた。
「あなたは……」
 イアラは涙声で尋ねた。水の魔術がもたらした恐るべき結果を、それ以上に、誰かが自分を救いに来てくれたことを、まだ本当だと認識できない表情で、彼女は乱れた黒髪の奥から見知らぬ救い手を仰ぎ見る。
「俺はアムニス。古の契約により、君を守る」
 彼の落ち着いた声が心地良く沁み通ってくる。他人の背中がこれほど心強く感じられたことは、今まで彼女には無かった。
 好色な魔物たちに引き裂かれた着衣を、イアラは胸元で押さえ、床に座り込んだまま動かない。露わになった彼女の背中、二の腕や脚など、身体の所々に、爬虫類を思わせる濃い緑の鱗が痣のように浮かび上がっている。その姿は、竜と人間との間に生まれたという伝説上の《竜人》が蘇ったかのようだ。
 「こんな私を、あなたは助けてくれるの? アムニス……」
 彼を見上げるイアラの素顔は――いつものような薄布で覆われておらず、右半分は、ごく普通の若い女性のそれであるのに対し、左半分、額から目の周囲、頬の上の方にかけて、例の鱗が広がり、そこに大きく開いた左目には、焔の色で揺れる人ならぬ者の瞳が輝く。
「イアラ、君の《竜眼》はとても美しい。誇り高き竜の血を引く御子よ」
 アムニスは羽織っていた長衣を脱ぎ、彼女の震える肩からそっと掛けた。
「そんな高貴なわが主を、魔物呼ばわりして侮辱し、辱めようとした貴様らは万死に値する。いや、そう簡単に死ねると思ったら大間違いだ」
 人間に似ているだけに余計に目を覆いたくなる無残な魔物たちの死体と、そこから流れ出た毒々しい色の血だまりとを踏み越えて、アムニスは、ごく平然と歩む。先ほどイアラにかけた優しい言葉とは完全に異なる、温情の一片すら感じさせない、凍てついた響きで彼は告げる。
「ここで行われていたことは、おそらく、この王国の名誉のために決して外に漏らされることはないだろう。だから、貴様らがここで命を失っても、その事実も闇に葬られるだけだ」
 イアラたちの周囲は高い壁に囲まれ、かつてのレマリア帝国の円形闘技場を模した造りになっている。その分厚い壁の後方、ひな壇状になった客席部分では、仮面舞踏会のようなマスクで顔を隠した身なりの良い人々が、呑気に酒を呑みながらイアラたちを見下ろしていた。
 こんな噂がある。国の上流階級のうち、普通の娯楽ではもはや満足できなくなった者たちが、権力と金の力で裏の組織を動かし、口にするのもはばかられるような残虐あるいは淫猥な見せ物を違法に楽しんでいるのだと。これもその手の闇の催しのひとつであろう。
 だが、支配者たちの享楽の場は、アムニスによって、今度は彼らを主役とする阿鼻叫喚の地獄絵図に変わった。
 
 ◆ ◆
 
 思念の中でフォリオムと向き合ったアムニスが、厳格な口調で過去を振り返っている。
「イアラは、いにしえの竜の血が遥か隔世を経て強く発現したその姿により、両親も含めたすべての人間から、生まれながらに疎まれていた。そんな彼女を初めて受け入れ、優しくしてくれた……そのように思われた相手に、イアラは裏切られた。最初から騙されていたのだ」
 アムニスに向けられていたフォリオムの目が、無言のまま閉じられた。白髭に覆われた顎を押さえ、そのまま黙り込んでいるフォリオムの前で、アムニスの独白が続く。
「彼女は《人間に似た魔物》として売られた。人間の欲望には……とりわけ、現世のすべてを得た者たちの強欲には、彼らの傲慢な勘違いのせいもあって……際限というものがない。人間の剣奴同士の戦いや、魔物同士の殺し合い、あるいは魔物が人間を喰らう様にも飽食した彼らは、もはや遠い時代に滅びたといわれていた貴重な竜人を思わせる存在、しかも美しい女性であるイアラを、自分たちの欲望への新奇な供物にしようと狙っていた」
 アムニスは、パラディーヴァらしからぬ怒りの感情を、隠すこともなく全面に浮かべ、吐き捨てるようにつぶやいた。
「イアラの人間性を否定し、所詮は同じ《魔物》同士の野蛮な本能による行為だとして、彼女をオークやゴブリンどもが寄ってたかって犯そうとする姿を、魔物以上に醜いあの人間どもは楽しんでいたのだ。これほどおぞましいものが、この世にあるだろうか」
「人間というのは実に酷い生き物じゃな。《あれ》の御使いたちの言うように、《愚かな人間ども》は一度滅びてしまってもよいのかもしれん。いや、悪い冗談じゃったか……」
 フォリオムは、アムニスとは対照的に心の揺れをまったく感じさせない様子で、その意味ではパラディーヴァらしく淡々と答える。
「かつての時代から、《水》の御子は、他の御子よりも特に膨大な魔力量をもって生まれてくることが多い。イアラもそうかの。その魔力の影響が、彼女の中に眠る遠い竜の血を必要以上に目覚めさせてしまったということか。たとえば旧世界において、あの《永遠の青い夜》の《魔染》により、魔物化まではしなかったにせよ、魔物の因子を持ってしまった人間は少なくない。あるいは、それよりもさらに古い時代、伝説上の本当のドラゴンの血を引く一族の末裔、かもしれん」
 頷いたアムニスの言葉からは、その声の力強さに反して、未来に対する明るい希望は感じられなかった。
「人間であるのに、同じ人間たちからは人として扱われなかったこと、それどころか自らの人間性を完全に否定されたこと、そして何よりも、この世でただ一人の信じた者に裏切られたことで、イアラの心は壊れてしまった」
 
 ◇
 
「そんな自分が、なぜ人間のために、この世界のために、御子として命をかけて戦わねばならないのかと、イアラは拭いきれない疑問を抱いているのじゃよ。分かるであろう、その気持ち自体は」
 フォリオムの言葉に、アマリアは顔色ひとつ変えずに向き合っていたが、ルキアンとエレオノーアは動揺を隠せなかった。特にエレオノーアは、吐き気を催したような様子で、目に涙を溜めながらルキアンの胸に額を押し付けた。
「酷いです、酷すぎます。自分だけが他人と違っていて、それでも受け入れてくれた唯一の人に、裏切られるなんて……。初めて信じることのできた人に騙され、魔物たちに襲われるなんて」
 彼女は心の中で、言葉を震わせた。思い浮かべたくもないことを、それでも想像してしまって。
 ――私の立場だとしたら、それは、おにいさんに裏切られたようなもの。もし、そんなことがあったら、私は……。
 自らも《聖体降喚(ロード)》によって生成された存在であるエレオノーアは、生まれつき普通の人間とは違うものを抱えたイアラのことを、とても他人事とは考えられなかった。感受性の強い、あるいは思い込みの人一倍強いエレオノーアが、イアラの悲劇を我がことのように受け止め、心をかき乱されているのを見て、ルキアンは彼女を支える腕に力を込めた。
 そのとき、自身も何らかの術式の完成を粛々と進めながら、アマリアが二人に告げた。そこには何の心情の変化も感じられない。
「気持ちは分かるが、私情に心を乱されている場合ではない。己が為すべきことを全力で果たせ」
 薄情にも思えるほど冷静なアマリアの様子だったが、彼女の言う通りだ。たったいま、ルキアンたちが対峙しているのは、本物ではないにせよ、あの《始まりの四頭竜》の力と姿とをもった化け物なのだから。
 意外にも、アマリアの言葉に最初に反応し、強大な敵を見据えたのは、ルキアンではなくエレオノーアだった。
「イアラさんも、《御子》として生まれてきたから、《あれ》によって《予め歪められた生》の呪いをその身に受けることになったんですよね。だから、そんな悲しい目にあったのですよね。そうですね、アマリアさん?」
 アマリアが無言で頷くのを待たずして、エレオノーアは青い瞳に怒りの焔を燃え立たせて言った。
「だったら、イアラさんのためにも、まずは、この竜を必ず倒しましょう。《あれ》の《御使い》は、《御子》の敵です」
 エレオノーアの左目に闇の紋章が浮かび上がる。彼女の霊気が高まり、背中に青いオーラが立ち昇った。
「む? これは、また……」
 フォリオムが帽子のつばを持ち上げ、小さな吐息とともにエレオノーアの方を見つめる。見る間に彼女のオーラは色濃く、大きく広がり、やがて蝶の羽根の形となって、爆発的な魔力を開放して羽ばたいた。
 その《光の羽根》を見て、ルキアンはあることを思い出した。
「ものすごい力を感じる。そういえば、僕が、この結界にエレオノーアを取り込んだとき、彼女は《蝶》に変わった。あれは偶然じゃなかったんだ。彼女の力、アーカイブとしての力を象徴するのが、あの輝く蝶の羽根……」
 驚きを隠せないルキアンに対し、エレオノーアは、普段の彼女からは想像できないほど、てきぱきと指示をする。
「おにいさん、いますぐ防御呪文の詠唱に入ってください。発動までに複合立体魔法陣を構築する必要がありますので、私は術式生成の演算に集中します。それからすいません、フォリオムさん、呪文の発動まで、わたしとおにいさんを守ってください。お願いします!」
「わ、わし? おお、構わんぞ」
 フォリオムは苦笑した。たしかに、いまルキアンとエレオノーアは高度な防御魔法の構築に全力を注いでおり、竜のブレスからの守りを彼らに委ねたアマリアも、何か次の大きな策を講じている。手が空いているのはフォリオムだけだ。
 ――やりおるわい、この娘。《あれ》と戦うために《ロード》で作られた御子というのは、やはり桁違いじゃ。
 
 
【第56話(その3)に続く】
 
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連載小説『アルフェリオン』、初の縦長型のPR画像です!

連載小説『アルフェリオン』、先日、第56話「五柱星輪陣(後編)」の連載がスタートしました!

今回は関連記事として、本作の(珍しい)縦長型PR画像を公開です。



『アルフェリオン』のPR画像については、これまで横長のものを基本としてきました。今後もその点は変わらないかと思います。ただ、たとえばスマホでの閲覧が多くの場合に想定されるような場に、画像をアップするときには(SNS等)、縦型の方が合うかもしれませんね。

いずれにせよ縦長型のPR画像は初めてです。現時点で本ブログの表紙に使っている画像を縦型に組み直し、そこにルキアンとリューヌ、そしてエレオノーアの最新画像(笑)を加えています。

いや、もし、この画像を見て『アルフェリオン』に興味をもってくださった方がいたとして、なおかつ「白い服のヒロインっぽいキャラ、いい感じだな」と思っていただけた場合に……でも、この子は、小説本編では第53話まで影も形もまったく登場しないのでした(苦笑)。

それから、同じく今回の画像に出ているリューヌについても、復活が待ち遠しいです。
御子の《闇》チームの完成――つまりは、執行体(御子)のルキアンと、アーカイブ(御子)のエレオノーア、そしてパラディーヴァのリューヌ、の3人勢揃いの日が楽しみですね。

この間のエレオノーアの「消滅」に比べれば、リューヌの「消滅」は、遥かに容易に回復できるものなので、大丈夫かと思います。アマリアさんがすでに具体的な対応策を持っているであろうことが、以前に小説本編にも出てきていました。

その際、エレオノーア自身も、とても助けになると思います。
それにしてもエレオノーアは、今回の試練を経て、とても有能なキャラに化けましたね。
海底神殿での「試練」自体には敗れたはずなのに、それ以上に得るものが多かったのでした……。
ヌーラス・ゼロツーから「廃棄物ちゃん」などという有り難くない名で蔑まれていたときと比べると、もう、いまのエレオノーアは全然違います。

本日も鏡海亭にお越しいただき、ありがとうございました!
ゆっくりしていってくださいね(笑)&また明日もお待ちしております。
貴重なご声援も、とても励みになります。

ではまた。

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第56話(その1)いにしえの神竜と御子たち、決戦の始まり

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ


もしも君がいなくなれば、
後で必ず彼らが悲しむ。

そして君がいなくなれば、
俺には存在する理由がなくなる。

 (水のパラディーヴァ アムニス)


1.いにしえの神竜と御子たち、決戦の始まり


 
「堕落した《人の子》たち、愚かな人間どもよ……」
 地の底深きところから、常世の国から、現世へと漏れ出し、地表に染み渡っていくような不気味な声。何らの感情も帯びてはいない、淡々と、しかし一定の節回しをもって送り出されるその声音(こわね)は、生身の人間の発するそれであるとは到底考えられなかった。
 何処とも知れない暗闇の中で、揺らめく炎の玉が宙空に現れる。その青白き鬼火のもと、黄金色の仮面が闇に照り映えた。紫がかった深い紅色の頭巾の下、にこやかに破顔した翁の面は、眺めているうちに次第に狂気をも感じさせ、魔界から来た道化師のようにも思われてくる。
「汝らは、尊き《絶対的機能》の御業に手を触れ、二つの大罪を犯した」
 《老人》の黄金仮面は言葉を続ける。反響するその声は、天の御使いたちが裁きを告げる歌や、生者を黄泉路へといざなう死霊の呼び声と同様に、実際の音として伝わる以上に、むしろ聞く者の魂に直接的に浸透してくる類のものだ。
 さらに鬼火が現れ、次なる黄金仮面、長いくちばしをもった鳥のような《それ》が言葉を継ぐ。
「ひとつは、《人の子》の分際で《人》を創ったこと。その罪の重さに震えよ!」
 《鳥》の黄金仮面がけたたましく鳴くように嘲笑したとき、その背後から霧のごとく湧き上がり、実体化したのは《兜》の黄金仮面である。凝った装飾など何もない平らな面相の中で、赤みを帯び輝く二つの目だけが異様な威圧感を放っている。《それ》は言った。
「もうひとつの罪は、人の手で創られし禁忌の命を、大いなる摂理との矛盾ゆえに短き定めの……その命を、世界を統べる因果律に反して書き換えたこと」
 それからしばらく、漆黒の広間は静まり返り、四つのあやかしの炎とそれらに照らされる四体の黄金仮面が無言でたたずむ、異様な光景が闇の中に取り残された。
 やがて沈黙を切り裂くように、多数の女たちの声が、最初は遠いところで、いつの間にかすぐそこで幾重にも反響し、最後には老婆のしわがれた声と少女のあどけない声とが入り乱れ、ひとつの高笑いとなって暗黒に消えていった。《魔女》の黄金仮面が、荒野を吹き抜ける寒風のような、生気の無い乾いた声によって、怒りを静かに滲ませる。
「許し難い。闇の御子を決して帰してはならぬ」
「帰してはならぬ」
「帰しては、ならぬ……」
 他の黄金仮面たちが復唱する中、《老人》の仮面が前に歩み出た。
「帰してはならぬ。だが、今の条件のもとでは、我らが直接手を下すことは禁じられている。法の定めは絶対である。それゆえ、我らの力を分け与えたかりそめの御使いを遣わし、闇の御子よ、汝らを滅ぼす」
 赤紫の長衣の下から骸骨さながらの細い腕が差し出され、その先にある干乾びた骨の指は、チェスの駒を連想させる何かをつまんでいた。おそらくは竜をかたどったのであろう、象牙色の駒が仮面の手から離れ、そして、床に落ちる音を立てる前に、空間に吸い込まれるように忽然と消えた。
 
 ◇
 
 実体化されている《虚海ディセマ》の中に巨大な竜が姿を見せたのは、そのときであった。ようやく生還したエレオノーアとルキアンの目の前に、それは降ってわいたように現れ、想像を絶する巨体で彼らの行く手を阻もうとしている。
「おにいさん、このままでは神殿ごと押し潰されてしまいます! アマリアさんたちのところまで転移呪文で一気に戻りましょう。アーカイブの検索、始めます」
 とぐろを巻くように、自らの巨躯の下に神殿を抑え込んでいる竜。その姿を窓の外に見ながら、激しい揺れの中でエレオノーアが言った。不意に、そこで彼女は姿勢を律し、右手を胸に当てて厳かに告げる。
「エレオノーア・デン・ヘルマレイアは、闇の御子として共に使命を遂行します。わたしのアーカイブのすべてをあなたに捧げます、おにいさん!」
「ありがとう。一緒に乗り越えて、必ず帰ろう、エレオノーア。ほんのわずかだけど、僕が時間を稼ぐ。その間に呪文を頼む」
 神々しさすら感じさせる真剣な彼女の眼差しに、ルキアンは思わず圧倒されるが、それ以上に、彼女の言葉に込められた熱意に心動かされた。その熱意の源は、限りある命を最後まで生きようとする者の強さ、生まれ変わった彼女の強さである。朗らかながらも心の底では常に《死》を基準にして生きていた、これまでの虚ろな彼女とは、いまルキアンの前に立つエレオノーアはまったく違っている。
「アマリアさんの支配結界とともに、まだ僕の支配結界の力も残っている。それなら……。御子の名において命ずる。異界の暗き海より、闇の眷属きたれ!」
 ルキアンの想像力が闇の力を具現化し、実体となって御使いの竜に襲い掛かる。薄い鋼板でできた帯のような、黒光りしつつ、魚の姿をした、水の中で波打つ何かが、何百、何千、深海の底から無数に現れる。《無限闇》の力で生成された暗闇の魚たちは、刃のごとく研ぎ澄まされた体をぎらつかせながら、異様に大きい口とそれに見合う長大な牙を剝き出しにして、竜に向かって殺到する。
 山脈のようにそびえる古の竜に比べれば、一匹一匹の怪魚は小さくみえる。だがそれでも彼らは、人や、それどころか牛馬より遥かに大きく、体中が金属でできており、痛みも恐れも感じることのない鋼鉄の軍勢だ。
 払っても次々と絡み付き、喰らい付き、刻一刻と数を増して召喚される深海の魔物たちに、さすがの始まりの竜も忌まわしげに四つの首を持ち上げ、怒りの雄たけびを上げた。
「この程度の牙では、竜の鱗をかみ砕くことはできないけれど、わずかな間、動きを止め、注意をそらすことくらいはできそうだ」
 実際、決定打を欠きながらも絶え間ない抵抗が、あの四頭竜に対して予想以上の効果をあげている。これによって得られた数秒の間に、エレオノーアは最適な呪文を探り当てていた。
「海の外まで《跳んで》ください! 今のおにいさんなら、この程度の呪文は詠唱無しで使えるはずです」
「分かった、ありがとう。アマリアさんにも連絡する」
「その間、今度は私が竜を足止めします」
 ルキアンとエレオノーアは、事前に何の話も交わしていなくても、交互に竜の動きを封じている。お互いにあまりコミュニケーションが上手な方ではない二人だが、今は、ふたつの精密な歯車のように嚙み合い、寸分違わずに連携していた。
 ――あの竜は大きすぎて、《言霊の封域》に取り込むことは無理ですね。それなら、闇に潜む魚たちに降り注げ、《言霊の封域》よ。
 ルキアンが《無限闇》で呼び出した怪魚の群れを、エレオノーアが《言霊の封域》で強化する。
「汝らの体は、絹よりもしなやかで、天の鍛冶が鍛えし剣よりも、いや、まさに竜鱗(りゅうりん)よりも強靭となる。その牙で喰らい付き、竜を食いちぎれ!」
 エレオノーアの左目に闇の紋章が浮かび上がる。より力を増した深海の魔魚たちに幾重にも取り巻かれ、一時は四頭竜の姿が見えなくなりそうだった。
 エレオノーアから呪文の情報を受け取ったルキアンは、例の《刻印》を使ってアマリアに連絡する。
 ――アマリアさん、エレオノーアを完全に救出できました。《ディセマの海》の実体化は、もう解いてもらって構いません。僕たちはそこまで転移します。
 ――了解した。《ディセマの海》を支えたままでは、その化け物と戦うことなどできはしない。
 ルキアンはエレオノーアの手を取り、転移の呪文を念じ始める。
「エレオノーア、行こう」
「はい、おにいさん。私たちの反撃開始です!」
 エレオノーアはルキアンに寄り添い、握った手に力を込めると、片目を閉じて微笑んでみせた。
 一陣の風のごとくルキアンたちの姿が瞬時に消え、それから一息遅れて神殿が崩壊し、建物内部に黒い海水が膨大に流れ込み始めた。
 
「大地にあまねく眠る元素を司るものたち、この地、かの地に棲まう精霊たちよ。我が呼び声に応え、地表に集いて帰らずの園を拓け」
 《ディセマの海》をつなぎ留める大役から解放されるが早いか、アマリアが杖を掲げ、呪文の詠唱を始める。低めの良く通る声で、歌うように彼女は呪文を紡ぐ。
「取り囲め、汝らの贄を狩れ。貫く万軍の槍、煌めく鉱石の梢、無限の結晶の森……」
 ルキアンたちがアマリアの隣に転移し、姿を見せたのはそのときだった。
 完成する呪文は狙っていた。二人の闇の御子を滅しようとする四頭竜が、彼らを追って目の前に現れる瞬間を。
 アマリアは紅のケープをはためかせ、杖を掲げて舞うように回ると一息溜めて、周囲の空気に沁み通り、大気を震わせるような気合いで口にした。
 
「《永劫庭園(エーヴィガー・ガルテン)》」
 
 突然、空を覆い隠すほどの体で、天高く伸び、四つの鎌首をもたげた始原の竜。その刹那、地表から無数の鉱石の柱、いや、槍状のものが瞬時に上空まで伸びて貫いた。さらには反対に天上から、同様の槍が豪雨のごとく落下する。地の精霊力によって生成された、超硬度と強靭さとを兼ね備える謎めいた多結晶の槍先は、伝説級の魔法武器すら弾く神竜の鋼鱗をも、容赦なく突き通した。
「す、すごい……」
 紅の魔女、地の御子アマリアが最初から極大呪文を使って四頭竜を仕留めにいった一連の流れを、ルキアンは体を細かく震わせながら見つめていた。
 大聖堂の尖塔にも比肩するような、巨人の武器のごとき大きさの槍が、宙に浮かぶ神竜に何本も突き刺さり、ヤマアラシのように体中から棘を生やした姿にさせている。なおも竜が体を動かそうとすると、アマリアが杖を振る。再び、大地から空まで貫く槍の列と、天上から地に降り注ぐ槍の雨が、即座に竜を襲った。
 ルキアンが勝利を確信したそのとき、四頭竜が突然光り輝き、その体が目の前から消え、獲物を失った無数の槍も轟音と共に大地に落ちていった。
「ほう……」
 アマリアが嘆息した。
 その直後にして、彼女らの前に閃光とともに再び現れたのは、無傷のままの四頭竜の姿だった。
「どうして!? あんなに沢山の槍に突き刺されて、あの竜は息の根を止められたのでは?」
 エレオノーアは目を疑ったが、勘の良い彼女は思い出し、息を呑んだ。
「まさか、おにいさんが使ったような《絶対状態転移》の魔法で……」
「そうだ。あれの本体である《始まりの四頭竜》、すなわち《万象の管理者》は、我々がいうところの《神》、しかも《主神》や《唯一神》とほぼ同格の存在。たとえ、いまここにいる竜が《始まりの四頭竜》の単なる似姿、本体とは比較にならないものであるとはいえ、それでも最高位の光属性の魔法を扱えるくらいのことは当然にあり得る」
 アマリアが、半ば予想していたように、仕方なさげに首を振る。
「そう知っていたから、最初から私の使い得る最大の攻撃呪文のひとつで狙ったのだが……あの竜が肉片ひとつも残さぬほどに、どこまでも槍を突き立て続けるべきであったか。《永劫庭園》の名の通りに」
 竜の次の動きに注意を払いつつ、ルキアンが不安げに尋ねる。
「それでは、僕たちは一体どうすれば?」
「あの古き竜を倒すには、その絶対的な防御を超えて、かつ、先ほどのような恐るべき回復力を、さらに上回るだけの致命傷を与え続け、一気に消滅させなければならない」
「アマリアさん、そんなことができるのでしょうか……」
 ルキアンの予想に反して、アマリアはまずは否定した。
「私たちでは無理だろう」
「そんな!?」
「いや、私たち《だけ》ではできないという意味だ」
 そのとき、エレオノーアが話に割って入った。
「おにいさんたち、あの竜を中心に、凄まじい魔法力が蓄積されていっています! 相手はドラゴン、たぶん次に来るのは……」
「的確な観察眼だな、うら若き闇の御子よ。竜の焔の息、しかも神竜の吐く天災級のブレスが来るぞ。エレオノーア、ルキアン、次の一撃を防げるか」
 アマリアがエレオノーアを見た。エレオノーアは意外にも落ち着いた様子で頷いた。
「はい。いま、効果的な防御魔法を検索しています。その間に、アマリアさんは次の手を用意するのですね?」
「察しも良いな。その通りだ。同じ御子として、君たちの力を信じる。あの神竜のブレスを一度でよいから防いでくれ。その間に私は……」
 アマリアが隣に視線を向けると、フォリオムが姿を現し、にこやかさの奥に底知れない怖さを秘めた眼差しで、ゆっくりと手を上げた。
「わが主よ、《炎》と《風》の者たちはいつでも大丈夫じゃ。だが、残る《水》の御子が……」
 
 
【第56話(その2)に続く】
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