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池宮彰一郎「本能寺」は読みやすい。司馬さんの出来の悪いコピーバンド。

2019年01月19日 | 司馬さん
池宮彰一郎さんの「本能寺」を読んでいます。

これは悪口でもなんでもなく、かなりの部分が司馬さんのパクリです、しかも出来が悪い。出来が悪いコピーバンドです。

司馬さんの「国盗り物語」を100点とすると、池宮さんの「本能寺」は「パクリで15点ぐらいの作品」ですが、15点だって小説創作は難しいと思います。パクレるだけでも「才能」です。

ということで私にとっては「非常に読みやすい」作品です。

簡単に書くと、作者が司馬作品を通じて学んだことを、いろいろな武将の口を借りて解説しているような作品です。だから読みやすいのです。もっとも後述しますが基本トンデモ本です。

さらにいうと、司馬さんの作品と違って「つっこみができ」ます。

司馬さんの場合、全く知らない人名や「おそらく創作の人名」を挙げて、彼らの性格等を断定的に力強く描写します。

つっこめません。知らない人間だからです。

でも池宮さんの場合、そういう人物はほとんど登場せず、有名人オンパレードです。だから「つっこめる」のです。

例えば信長の最初の上洛について、足利義輝に「補佐を申し込んだ」「織田家が義輝の後ろ盾になる」と言ったのではないか、などと書かれています。

いやいや、あの段階では尾張支配の正統性を認めてもらうことがせいぜいで、上洛なんて考えてなかったでしょ、とつっこめます。

信長が「秀吉と光秀どっちがわしの後継者か」と考えるシーンも多く登場します。そんなバカな。織田家には既に信忠という「当主」がいます。しかも後継者って?光秀は信長より6つも上で、55歳ぐらいです。年上が後継者って何だ。と、つっこみどころ満載です。

またまた例えば、「信長は極端に言葉が短かった」と書かれています。「司馬作品の完全コピー」ですが、その割には「心の中では信長は多弁」です。それから光秀には極端に短い言葉しかいわないにせよ、秀吉なんかとは「いろいろ話している」ような書かれ方をしています。

あきれてしまって批判する気はあまり起きません。トンデモ本だからです。「極端に言葉が短い」という司馬さんの信長をパクったのはいいが、実際は信長はいろいろ話しますし、心では多弁に考えます。信長が話しているというより、作者の考えを信長が述べている感じです。とにかく筆者の考えがどんどん出てきて、「私はこう思う」という部分がほとんどを占めています。しかも「こう思う」に独創性はなく、いろんな学説・珍説の受け売りです。どっかでみたような「説」の「ごった煮」で、だから叙述の各所に矛盾が生じています。

このように、基本的には「トンデモ」本です。最後は本当にトンデモで本能寺秀吉クーデター説・細川藤孝及び朝廷陰謀説になってしまいます。秀吉が信長を殺そうとする。秀吉をそう誘導したのは細川藤孝。藤孝が光秀にそれを流す。そしてそれを知った光秀は、「秀吉の陰謀を防ぐため、秀吉が殺す前に、自分が信長を殺す」。秀吉は中国に信長を呼んで、押し込めた上に、信長の名で全国に号令を発する計画を立てるわけですが、それを「防ぐためには信長を利用されないよう殺す」という「わけわからない」設定で本能寺が起こります。バカバカしいにもほどがある。理屈も通っていません。

とにかく秀吉が大嫌いみたいで、秀吉の評価も散々ですし、安国寺恵瓊を何度も罵倒しています。同じトンデモ本である「信長の棺」の影響か、と思ったのですが、「本能寺」の方が早く書かれています。「信長の棺」も相当ひどい作品でしたが、「本能寺」はさらに上をいっています。

秀吉のクーデターにしてからが、ある日ひょいと中国戦線に現れた細川藤孝が「そそのかした」ことになっています。細川藤孝が「このままでは今後秀吉に織田家での居場所はない。」とかいうと、「それなら信長を殺そう」と秀吉が言いだします。アホかというお話です。

光秀は最後「藤孝や近衛前久や千利休にそそのかされ、騙された」とか考えます。「そそのかされるような」、うかつで軽薄な人物を主人公にしてもらっても困ります。

なんでもかんでも近衛前久、どーしてそんなに朝廷陰謀説が好きなんでしょう。

皮肉を書いている感じになってきました。

まあこの作品も数ある駄作であることには変わりありませんが、唯一読みやすいというだけがとりえです。読む価値があるとは思えませんが。


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