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私は本能寺の変の黒幕ではない・豊臣秀吉・足利義昭・正親町天皇・徳川家康

2019年03月30日 | 織田信長
歴史小説では「本能寺の変」は一大イベントです。よくもまあ色んな「黒幕」とか「謀略」を考えるものだと「あきれて感心して」います。私は小学生の時から明智光秀が好きなので、「そんな愚かな武将じゃないよ」と言いたくてたまらなくなります。

一番「あきれた」のは

池宮彰一郎「本能寺」。びっくりします。黒幕の中心は細川幽斎です。細川幽斎が中国地方にいる秀吉の陣に「ふらっとあらわれて」、秀吉に「信長さんが秀吉さんを排除しようとしてますよ」と告げます。すると秀吉は「なら信長を殺そう」と思います。なんでだ?明智光秀は信長が大好きというか畏敬を持っているのですが、この秀吉の変心を知り、それを「防ごう」とするわけです。なら、信長に告げて、秀吉を殺させればいいだけです。しかし「秀吉が信長を殺して勢力を伸ばす。それを防ぐ方法は、信長を殺させないことだ。信長を殺させない為には、わたしが先に殺せばいいのだ」と考えます。もう「頭がおかしくなりそうな論理」です。故人をこれ以上鞭打ちませんが、「びっくりする」小説というか、途中で「小説と言う形態すら捨てて、作者の意見の披露」に変わっていきます。とにかく奇妙奇天烈な本です。

秀吉黒幕説は成り立たない。

何故かと言うと「畿内で一番兵を持っていたのは織田信孝・丹羽長秀」だったからです。四国攻めに備えて1万ほど持っていました。これに摂津勢が加われば二万。親の仇を討つという大義もあります。ところが兵の把握力が弱く、逃げてしまったのです。で三千から六千(諸説あり)ぐらいになってしまう。仕方なく秀吉を待ちました。秀吉は「信孝の兵が逃げることまで計算していた」。秀吉は「信孝の兵が逃げるよう調略した」とでもいうのでしょうが、「もし逃げなかったら」、秀吉がいくら早く返ってきても間に合わなかったはずです。

「畿内で一番兵を持っていたのは織田信孝・丹羽長秀」は「あらゆる他の黒幕論」の「反論」としても使えます。

さらに言うと、秀吉の謀略を裏付けるような「一次資料は一切ない」のです。「一番得した秀吉」と言いますが、清須会議後も「三法師の後見」の座も得てないし、柴田勝家だって「負けるべくして負けた」わけではありません。三法師の後見役ができなかったので、秀吉は清須会議後「織田信雄を家督」としているのです。「一番得した」と思えるのは、結果論です。

足利義昭

足利義昭と光秀が組んでいるなら、何故細川幽斎にそういう手紙を書かないのでしょう。細川忠興のために起こしたとか変な手紙は残ってますが、そんな嘘つくほど「追いつめられていた光秀」が何故足利義昭の名を出さないのでしょう。高山右近、中川清秀、筒井順慶にも「足利義昭が裏にいる」と書けばいいのです。むろん朝廷にもそう奏上すればいい。光秀はそんな行動はとりません。義昭は黒幕ではないからです。

徳川家康

これは簡単で、だったら堺からすぐに船で帰って、兵を集め、光秀と合流しているよ、または、光秀を騙して、合流するふりして打倒しているよ、で終わりです。

朝廷、正親町天皇、近衛前久

そもそも「貧乏公家」「貧乏朝廷」を立て直したのは誰か、信長(と義昭)ではないか、という話です。「国盗り物語」の冒頭は「コジキ同然の天皇になりたいとは思わぬが、できれば将軍、それが無理なら一国一城の主になりたい」というセリフから始まります。正親町帝自身、貧乏で即位後約2年もの間即位の礼を挙げられなかったわけです。

天下静謐を願う朝廷が、やっと信長によって鎮まった京都を「なんでわざわざ戦乱に巻き込む」真似をするのか。「朝廷の力」を重く見過ぎです。または「朝廷や公家をアホだと」思いすぎです。ちょっと前まで「金銭的に困窮していた」人々です。しかも「保身」と「平和」が大好き。信長と足利義昭がやってきて「あー助かった」と思っていた人々です。正確には「あー助かった」と思ったら、信長と義昭が戦争を始め、上京は焼け野原。でも義昭が追放されて戦争も集結。で「あー助かった」と思っているわけです。収入源も一部認めてもらって金も入るようになった。それなのに、自らの危機を招くような「アホ」ではないのです。

以上は「小説の話」ですが、学者の「四国説」もわけわかりません。信長の四国政策が変わった。そこで光秀は面目も、未来の希望も全て失った。なんでそうなる。藤田さんの本も読みましたが「論理が綱渡り状態」で、説得力はまるでないものでした。

じゃあお前の意見はどうなんだ?と思われるかも知れません。私の意見は多くの人?と同じです。「たまたま機会がめぐってきた」からです。信長も信忠も小人数しか連れずに京都にいる。こんな機会、二度とないでしょう。それにしても信長親子も「粗忽」です。なんで兵も持たずに二人して京都にいたのか。この「不用心さ」はいかにも不思議です。

補足

最近読んだ小説の話です。「織田信忠殺人事件きっかけ」でした、信忠が信長と「取っ組み合いの喧嘩をしていたら」、信長死んでしまった。で織田信忠は「光秀を呼び寄せて」、「織田信忠の殺人」を隠蔽するために「自分を殺させた」と書いてありました。なんでだ?小説だから何書いてもいいのですが、「誰も救われないような下らない話」は困ったものです。


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