あれ、そもそも天皇号の使用はいつからだっけ?がこの文章を書く動機です。政治性は全くありません。
1、最初の天皇は誰か。
天皇号の使用は7世紀後半です。私は最初の天皇は天武天皇だと思っていたのですが、推古天皇説もあるようです。誰が推古天皇を主張?と思って調べる外人さんのようです。どうやらやはり最初に天皇号を使用したのは天武天皇であるってのが「今のところの定説」みたいです。670年ぐらいです。それ以前の「天皇」は少なくとも「天皇と呼ばれてはいなかった」ということになります。
2、実在の「大王」は誰からか。
大王って号も使用された、いないの説があるみたいですが、
私は実在した大王は、崇神天皇(大王)(3世紀末)だと思っていたのですが、どうやら最近の学説では雄略天皇(大王)(5世紀半ば)みたいです。まあ考えてみれば3世紀は卑弥呼の時代ですから、そんな時代に大王がいたってのも変な話です。私が変な話だと思うだけで、政治性はありません。こういうこと書かないといけないのが、面倒です。まあヤマト政権3世紀成立説もありますから、そんなに変ではないのかも知れません。
本当の本当に確実なのは「継体天皇(大王)」からみたいです。確実なわりには在位年代が確定していません。5世紀末、あるいは6世紀初めのようです。この継体天皇(大王)は面白いですね。なにしろ「記紀」によると「応神天皇(大王)の5世の孫」だからです。しかも越前出身です。応神の5代後の傍流の子孫です。なんでそんな遠い親戚を?血つながってるのか?ということで万世一系とかを巡って色々騒がしいようですが、私はあまり興味はありません。
3、13世紀から18世紀末まで「天皇号は使用されていなかった」らしい。
具体的には13世紀初めの順徳天皇で一回使用がなくなり、18世紀末の光格天皇で復活したようです。なるほどね。
18世紀末というと将軍は徳川家斉です。
この徳川家斉は11代将軍で、40年も将軍をやってました。後半生は「ぜいたくで有名」です。幕末、幕府に金がなかったのも、この将軍の責任が大きいですね。でも不思議なことに、この将軍、ドラマにでたことはほとんどありません。大塩平八郎の乱の時代です。
1、最初の天皇は誰か。
天皇号の使用は7世紀後半です。私は最初の天皇は天武天皇だと思っていたのですが、推古天皇説もあるようです。誰が推古天皇を主張?と思って調べる外人さんのようです。どうやらやはり最初に天皇号を使用したのは天武天皇であるってのが「今のところの定説」みたいです。670年ぐらいです。それ以前の「天皇」は少なくとも「天皇と呼ばれてはいなかった」ということになります。
2、実在の「大王」は誰からか。
大王って号も使用された、いないの説があるみたいですが、
私は実在した大王は、崇神天皇(大王)(3世紀末)だと思っていたのですが、どうやら最近の学説では雄略天皇(大王)(5世紀半ば)みたいです。まあ考えてみれば3世紀は卑弥呼の時代ですから、そんな時代に大王がいたってのも変な話です。私が変な話だと思うだけで、政治性はありません。こういうこと書かないといけないのが、面倒です。まあヤマト政権3世紀成立説もありますから、そんなに変ではないのかも知れません。
本当の本当に確実なのは「継体天皇(大王)」からみたいです。確実なわりには在位年代が確定していません。5世紀末、あるいは6世紀初めのようです。この継体天皇(大王)は面白いですね。なにしろ「記紀」によると「応神天皇(大王)の5世の孫」だからです。しかも越前出身です。応神の5代後の傍流の子孫です。なんでそんな遠い親戚を?血つながってるのか?ということで万世一系とかを巡って色々騒がしいようですが、私はあまり興味はありません。
3、13世紀から18世紀末まで「天皇号は使用されていなかった」らしい。
具体的には13世紀初めの順徳天皇で一回使用がなくなり、18世紀末の光格天皇で復活したようです。なるほどね。
18世紀末というと将軍は徳川家斉です。
この徳川家斉は11代将軍で、40年も将軍をやってました。後半生は「ぜいたくで有名」です。幕末、幕府に金がなかったのも、この将軍の責任が大きいですね。でも不思議なことに、この将軍、ドラマにでたことはほとんどありません。大塩平八郎の乱の時代です。