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歴史秘話ヒストリア・三好長慶は最初の天下人か

2019年06月20日 | 織田信長
歴史秘話ヒストリア「信長より20年早かった男 最初の「天下人」三好長慶」

三好長慶は革新的な男で、信長以前に鉄砲なども駆使し、天下つまり畿内を支配した。って信長は「世にもマジメな魔王」だったはずでは。まあそれはいいのですが。

天下は戦国時代は京都周辺・畿内のこと、なんでしょうかね。源頼朝は「天下の草創」という言葉を使っていますが、これは全国を指します。「将軍が支配する地域が天下」とすると、足利義輝が近江朽木谷に避難していた時期は「朽木谷が天下」ということになります。

信長が天下という言葉を京都という意味で使った例は知っています。しかし「いつも二重の意味があった」と考えるべきでしょう。狭義には畿内・広義には日本全土。それを強引に「畿内だけだ」と言う人がいるから、「はいそうですか」とは言いたくないわけです。

三好長慶が最初の天下人という場合、1553年から1558年まで将軍不在の京都を支配したからということが根拠となります。

どれだけ実質が伴っていたのかによりますね。例えば正親町天皇は三好長慶が京都を支配していた1557年に践祚していますが、困窮していて1560年まで即位の礼は行えませんでした。

「朝廷なんぞより京都の治安対策をしっかりやっていた」のかも知れませんが、天下人がいたなら、朝廷もそれなりに保護していないと天下人とは言えない気もします。

それに将軍不在時もあったけど、義輝が形ながらもいた時期も多いわけです。

信長の最初の上洛時、上杉謙信の上洛時。京には将軍がいました。彼らは将軍には拝謁していますが、三好長慶には会っていないようです。

天下人(畿内の支配者)並みの実力は有していたのでしょう。ただ天下人というよりあくまで「幕府執権」という感じが強くします。

そう言えば、武士で最初に京都周辺を支配というか管理したのは「六波羅探題」で、初代長官は北条泰時・北条時房でした。彼らは天下人とは言われてません。

三好長慶が最初の天下人でも別にかまいませんが、どれほどの実質を持っていたのか。それは疑問だと思います。


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