散文的で抒情的な、わたくしの意見

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夏休み、教師はもっともっと休むべきだ。

2018年07月24日 | 日記
中学高校の教師による部活指導は基本やめるべきです。やるのなら専属の指導者を雇用すべきです。

あまり難しいことを書いてもしょうがないので、簡潔に結論から書くと、教師は平日は定時で帰宅し、土日はなるべく体を休めて疲労をとり、「教育や授業の質を上げなくては」いけないからです。

電車の運転士は「人の命を預かる大事な職業」です。しかし、電車の運転士は特別な職業ではなく、普通の労働者である、と書いても誰も反対しないはずです。なぜって労働者だからです。

電車の運転士は滅私奉公すべきだ、と書けば、誰もが「違う」と思うはずです。

学校の教師は「人を育てる大事な職業」です。運転士と同じ大事な職業です。ところが「教師は特別な職業ではなく、普通の労働者である」と書くと、反対したり違和感を覚える人がいます。

まず教師の中にそう感じる人が少なくない。また保護者も「?」と思うでしょう。昔は「聖職」などと言われていて、その悪い「名残り」「因習」みたいなものが残っているせいであるとか、理由は色々と考えられます。

教師は滅私奉公すべきだ。昔よりはそう考える人は少なくなったでしょうが、まだ「そんな間違った考え」にこだわっている人もいます。

部活の指導の「ほとんど」は「サービス残業」なのですが、教師自身がそう考えない傾向があり、なかなか改善されません。しかし、近年になってやっとその「弊害」が指摘されるようになりした。

一歩前進ですが、「遅すぎる」というべきでしょう。

「部活指導によって生徒との信頼感が生じる」とか「生徒の理解が進む」「親も部活指導に熱心な先生を評価する」「部活がないと生徒が泣く」とかいう人もいます。それはその通りかも知れません。でも「全生徒が部活に属しているわけでもありません」し、

そもそも「サービス残業であり、教師を疲労させ、結果教育や授業の質を下げる」ものですから、そういう「もっともらしい理由」がいくらあろうとも、認めるべきではないものです。部活は部活専門の指導者を雇用して活動すればいいのです。その費用がないなら、部活自体廃止すべきです。いくら生徒の為になろうとも、労働者にサービス残業を強要するような制度は民主国家において存在を否定されるべきものです。

全ては「教師は特別な職ではなくサービス労働者である」ということを「再確認」するところからはじまります。

校長や副校長、教頭などの管理職は「特別な職である」という世間の間違った考えを「利用して」、過剰な労働を教師に押し付ける場合が多く、これは実に「たちが悪い」ことだと思われます。

また教師自身がそのような考えにとらわれたり、そういう考えをする先輩教員に遠慮したりするのも「正しいあり方」とは言えません。

教師はもっと休まなければいけません。質の高い教育をしたいなら、あらゆる因習を乗り越えて、休まなくてはいけないのです。現実的にそれがいくら難しくとも、その方向を目指すべきで、自己犠牲の陥穽にはまりこんではならないのです。

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