kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

横浜市金沢区工業団地ー被害状況

2019-09-14 21:41:17 | 時代の現場

昨日は千葉県の惨状をアップしましたが、今日は地元(と言っても横浜市です)の被害状況を畑野君枝衆議院議員のニュースから。

この岸壁はこちらの海側でしょう、中小の工場が多いのは交差点信号の名前にも伺えます。

 


こちらは昨年の西日本豪雨の時期の赤坂自民亭=豪雨対策が求められている時、安倍首相をはじめ閣僚等が酒盛りをしていた=についての国会での安倍首相の答弁の図、繰り返される答弁を耳にタコが出来るほど聴いて下さい。

日本国憲法第七十二条  「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指導監督する」立場の人だということを頭において……。

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8ヶ月ぶりでした……「ありがとうございます」。

2019-09-12 20:51:38 | 「てんがらもんラジオ」

昨日は8ヶ月ぶりに地域の歴史同好会とでもいうべき集まりに顔をだし、今日も8ヶ月ぶりに「てんがらもんラジオ」に耳を傾けました。 以前も録音したものをアップしていたはずとみましたら、1月17日の「てんがらもん」で向井さんの話を聴き録音してありました。その方法が分からなくてなり、アップできたのは前半だけ……。

(だと思っていましたら前半もアップされません、暫く保留です)

後半も録音できたのですがフェイスブックにアップされない、前半できて後半ができないのはおかしい? とは思うのですが……。録音されているという証明だけしておきます。

 今回特に録音をアップしたいのはこれがあるからです、

励ましの気持ちを込めていただけたものだと思います、ありがとうございます。「やつこ」で良かったと思います、「やつふ」でしたら

   病む俺に辛さ見せない古女房

実態はこれです、したたかさは生来のものに年輪に応じた磨きがかかり見事なものです。お陰様で気弱な亭主として病に立ち向かう拠り所があったのです。

石神さんが

軸吟 病んでみて連れ合いのこと恋しくて 紅雀

と詠まれましたが、kaeruでしたら

         病んでみて連れ合いのこと頼もしく

「やつた」ね。


台風一過

2019-09-09 21:02:58 | 葉山そして人

Fb友のてまりさんから「天野さん、台風の甚大な被害が出ていますが、大丈夫でしょうか?」との言葉に添えて、

これは知りませんでした。

実はわが町では、

これも先ほど知ったのです。我が家でも昨夜は妻が夜中も眠れず、町内に住む息子の家でも嫁さんと長男は3時過ぎまで眠らなかったそうで、息子と次男はぐっすり眠りこんでいたそうです。

我が家では一階で奥さんがほとんど眠れずに、二階で私は朝まで眠っていました。そしたら鎌倉では、


川崎市では、

土が剥ぎ取られている倒木をはじめて見ました。


桜紅葉

2019-09-08 22:01:36 | kaeruの五七五

庭の桜もかなり紅葉になってきています、

 

今日で娘が亡くなって一ヶ月経ちました。

こちらは7月13日に撮った桜の木、

まだ紅葉化した葉はないだろうと思っていましたが、この葉が目に付き撮ったものです。撮りながらすっかり紅葉になるのを娘は見るだろうと思ったり、ダメかもしれないなーと思ったりしました。

2月のはじめに主治医を紹介され依頼に行った時、「お薬手帳」や妻がそれまでの病状や救急で行った病院でのことなど書いたものを読んで、「率直に言って余命一ヶ月」と言われました。その時桜を見ずに逝ってしまうのか、と思ったものです。

しかし、満開の桜を二人の子供と私たち夫婦と一緒に見ることができ、葉桜の時期も梅雨時も過ぎて7月を迎えていたのです。 

    紅葉して桜は暗き樹となりぬ        福永耕二



命のゴール

2019-09-07 21:14:08 | つづきの海を はろば...

「逗子古文書の会」と略称で書きます、この会とも8か月ぶりかのお付き合い開始になります。今日事務局の山田さんと会い色々この間のお話しを聞きました。

会に顔を出せなくなった間に会長も代わり、新しい人も参加すれば今までの人が来れなくなったりして、会の運営もなかなか難しいようです。

私がこの会に顔を出すようになったのは亡くなった黒田先生から声がかかってのことでした。来週の講演会準備例会から参加しようと思いますが、改めて黒田先生の郷土史に対する思いを確認しておかねば、と以前の当ブログに目を通しました。

ここでは「死に場所」学とありますが、膀胱癌という病を経験してみて「命のゴール地点」と称すべきと考えました。一昨日の句会後の飲み会で「死ぬ」のではない「生き抜く」のだ、と酔いも手伝って大いに主張しました。「結局は死ぬのではないか」とか言われ、同感されたとは思えませんでした。

しかし、今改めて黒田先生の最期のことを思うと、これが「人生を走り抜け、命のゴールを駆け抜けた」というべき姿だと思えるのです。その勢いを感じるからこそ、バトンを受け取り駈け出さねばという気になるのです。


九月の五句

2019-09-06 23:08:43 | kaeruの五七五

久しぶりの句会に途中から参加させてもらいました。

八句投句しましたが、そのうちの五句を「九月の句」として送りました。

( )内は句会代表による感想添削

    万葉の挽歌読みをり海は秋  
       (読みいる→読みをり)
 
    良寛の恋の歌読む風九月
       (九月かな  が  あまり効いていない)
       (読む九月かな→読む風九月)
 
    娘逝く夏草ばかりの庭となり
        (実感があります)
 
    夏草の踏み行くも良しがん治療
        (夏草のなか行くはよしがん治療→上句
           踏むことで夏草の力を貰っているように感じられます)
 
    臨終の息通ふ口秋の風
   (逝く人を前にしての重いお句ですね。
      蛇笏に、亡骸や秋風通ふ鼻の穴 という有名な句がありま      
          す。秋立ちぬ より 秋の風 の方がいいでしょうか。)

膀胱内はがん畑

2019-09-05 22:16:56 | 「がん」を読む

昨夜は美味しいものを食べ久し振りに飲み喋りあいましたが、それが一日前だったという感じがしないのです。その最中は、以前と同じ感覚で楽しく、かつかなり突っ込んだやりとりもあり刺激的だったと思います。

ところが、こうして昨夜のことを思い起こしていてもどこかでかなり以前のような感じがしているのです。気持ちの背景に病む娘と共に暮らした期間と、自らのがん治療の体験痕跡が20時間ほど前の記憶にもフィルターをかけてくるのかと思います。

昨日の昼間には主治医から手術の結果と今後について説明がありました、前回と同じように図付き説明でしたので、それを写しておきます。

前回では定期的に抗がん剤の注入が想定されていました、

(前回のメモより)

今回の結果、その必要がなく三ヵ月ごとにチェックしていく、ほぼ五年間続けて再発がなければ……、ということです。ここには書いてませんが膀胱癌は再発しやすいのだそうです。

ネットの情報もそう書かれています、それで今日のタイトルにしました。生えてくる草は雑草ではなく毒を持つ草です。仮にチェック過程で再発が見つかれば直ちに「切除」ということになるのでしょう。

そのような可能性を抱えていることは、負の部分であると同時に生命との直接的関わりで自分の存在を意識し続けていくことでもあり、積極的な意味を持つことです。昨夜の俳句についての話でも、表現すべきことは自分の存在感だという話が思い出されます。

三ヵ月ごとのチェックで癌の存在の有無を確認にしていく様に、自分自身の存在を自分の内面として掌握できるか、掌握し得るほどの実態として形成し得るのか、癌の存在が突き付けてきた課題に答えていく80歳代初盤から中盤へと向かうことになった様です。