昨夜は美味しいものを食べ久し振りに飲み喋りあいましたが、それが一日前だったという感じがしないのです。その最中は、以前と同じ感覚で楽しく、かつかなり突っ込んだやりとりもあり刺激的だったと思います。
ところが、こうして昨夜のことを思い起こしていてもどこかでかなり以前のような感じがしているのです。気持ちの背景に病む娘と共に暮らした期間と、自らのがん治療の体験痕跡が20時間ほど前の記憶にもフィルターをかけてくるのかと思います。
昨日の昼間には主治医から手術の結果と今後について説明がありました、前回と同じように図付き説明でしたので、それを写しておきます。
前回では定期的に抗がん剤の注入が想定されていました、
(前回のメモより)
今回の結果、その必要がなく三ヵ月ごとにチェックしていく、ほぼ五年間続けて再発がなければ……、ということです。ここには書いてませんが膀胱癌は再発しやすいのだそうです。
ネットの情報もそう書かれています、それで今日のタイトルにしました。生えてくる草は雑草ではなく毒を持つ草です。仮にチェック過程で再発が見つかれば直ちに「切除」ということになるのでしょう。
そのような可能性を抱えていることは、負の部分であると同時に生命との直接的関わりで自分の存在を意識し続けていくことでもあり、積極的な意味を持つことです。昨夜の俳句についての話でも、表現すべきことは自分の存在感だという話が思い出されます。
三ヵ月ごとのチェックで癌の存在の有無を確認にしていく様に、自分自身の存在を自分の内面として掌握できるか、掌握し得るほどの実態として形成し得るのか、癌の存在が突き付けてきた課題に答えていく80歳代初盤から中盤へと向かうことになった様です。