遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『小説伊勢物語 業平』  高樹のぶ子  日経BP 日本経済新聞出版本部

2023-11-19 17:46:27 | 諸作家作品
 11月初めに『小説小野小町 百夜』が目に止まり読んだ。読後印象をまとめている。この本の奥書を読んで、『小説伊勢物語 業平』が出版されていることを知った。そこでタイトルに興味を抱き読んでみた。『伊勢物語』は文庫本で手許にあるのだが、部分読みしてきただけで、通読できていない。伊勢物語を取り上げて、在原業平をどのように小説として描くのか。そこに興味があった。『伊勢物語』を読む動機づけにもなれば、一石二鳥という気もあったので。
 本書は、日本経済新聞夕刊(2019年1月4日~12月28日)に連載された後、2020年5月に単行本が刊行されている。

 手許にある学習参考書『クリアーカラー 国語便覧』(平成25年第4版第3刷、数研出版)を参照すると、「作者は未詳。在原業平と縁のある人によって、『古今和歌集』が成立した905年以前に原型が書かれ、その後増補され、10世紀後半に現在の形にまとまったと考えられる」と説明されている。なお、在原業平が作者とする説もあるという。
 和歌と散文を融合させた歌物語というジャンルが、平安時代前期に『伊勢物語』により開拓された。
 本文は、「むかし、をとこ、」「むかし、をとこありけり」という書き出しで始まる章段が多く、「在五中将」という語句もでてくる(第63章段)。この「をとこ」は9世紀の歌人在原業平をさすと考えられてきた。
 現在通行する『伊勢物語』は、手許の文庫を見ても、本書の著者「あとがき」をみても、13世紀に藤原定家が書写した125章段の物語が基になっている。定家本と称されるそうだ。異本も存在する。

 「あとがき」の言葉を使えば、著者は「125章段をシャッフルし取捨選択し、時間軸の糸を通し」(p456)て在原業平の一代記を小説にするということにチャレンジした。その結晶が本書である。「最終的には私の業平像を創るために、蛮勇をふるうことになりました。やがて彼の人生を辿るというより、彼自身が歌でもって私を誘い、先導してくれたのです」と著者は述べている。
 著者は、2020年10月に『伊勢物語 在原業平 恋と誠』(日経プレミアシリーズ)を上梓している。今から、ゆっくりしたペースで読もうと思っているところだが、その「はじめに」に「業平は千年以上もの長いあいだ、間違ったイメージで語られてきたのではないかと思います」と記す。業平は単純なプレイボーイ、女好きの貴族ではなく、「女性に寄り添い、女性の身になって受け止める感性が備わっていることが解ってきました。いえ、業平の中には女性が存在していたと言ってもよい」(p8)とすら述べている。これを読み、著者の業平像になるほどと感じるところがある。

 本書もまた、業平の歌を中軸に据えながら、業平の人生がそれらの歌に融合していく形で具象化されていく。始まりは「初冠」と題する章。業平15歳で初冠(ウイカンムリ)の儀式を終えたばかりの時、乳母(メノト)山吹の長子・憲明(ノリアキラ)を伴として春日野で鷹狩りに興ずる場面から始まる。春日野のある一家の柴垣から垣間見た姉妹に、業平が狩衣の前裾の布を引き裂き、歌をしたためて、憲明に文使いさせる。その歌が
  春日野の若紫のすり衣
    しのぶのみだれかぎり知られず
これが本書で業平の第1首として出てくる。
 本書の最終章は「つひにゆく」。業平の臨終に至る様子が描かれる。その臨終に際して業平が詠んだ歌が、
  つひに行く道とはかねて聞きしかど
    昨日今日とは思はざりしを     である。

 『伊勢物語』(岩波文庫)を参照すると、第1章段は、「むかし、をとこ、うひかぶりして、平城の京、春日野の里にしるよしして、・・・」と始まり、最初にでてくる和歌が、
  かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず   である。
 第125章段は、本文わずか二行。
「むかし、をとこ、わづらひて、心地死べくおぼえければ、
   つひにゆく道とはかねてきヽしかどきのふ今日とは思はざりしを 」

 『伊勢物語』とこの小説は、始点、終点について題名通りに整合性が合っている。
 第1章段の原文は9行。第125章段は上記の2行。一方、本書の「初冠」は12ページ。最後の「つひにゆく」は10ページのボリュームで、小説化されている。
 『伊勢物語』の内容がどのように、どの程度、取捨選択され、シャッフルされているのかは、『伊勢物語』を一部参照してみただけなので、今はわからない。
 しかし、本書は『伊勢物語』をいずれ通読してみたい大きな動機づけとなった。

 本書で、在原業平は、宮廷政治の世界には距離を置き、己の職務を着実に務めて殿上人の位の五位には至る。漢詩の世界には興味を示さず、和歌の世界に生き、次々と恋をする。紙と筆の中に行き、己が死んだ後も、己が生み出した歌は未来永劫残る、そのために人生を投入していく。業平の恋の遍歴は、歌という形に結晶化させていくための動因とすら思われる。

 業平の人生で大きな山場となる恋が2つある。一つは藤原基経の妹である高子(タカイコ)姫との出会いとその恋の顛末。為し遂げられずに終わる恋。後に高子姫は清和帝に入内する結果に。もう一つは、惟喬親王の妹・恬子(ヤスコ)内親王が伊勢の斎王となった後に、業平が伊勢の斎宮を訪れて恋に陥る顛末。一夜の恋が意外な結果を生んでいく。

 本書を読み、私には、業平と源融と、並びに業平と惟喬親王とのそれぞれの交流・人間関係が特に興味深かった。
 おもしろいと思ったのは、清和帝との間に貞明親王を産み、貞明親王が立太子されたことで御息所となる高子が、和歌を広めて行こうとする意思を示し歌会を催すことである。次の一節が出てくる。
「恋情の顛末を越え、いま高子様は業平を、歌詠みとして高く評してくださっている。畢竟、残るは歌のみ。身は枯れて土となり果てても、歌は残る。言の葉に乗せた思いのみ、生の身にかわり生き残る。
 唐より来た文字の真名には、唐の思いが宿るが、仮名にて詠まれるこの国の和歌は、この国の人の思いとして伝わり残るのを、あの高子様が感得されておられるのです」(p406)
 もう一つおもしろいと思う設定がある。それは、清和帝から陽成帝に皇位が継承されることにより、伊勢の斎王となっていた恬子内親王が任を解かれて、帰京する。帰京後恬子内親王は出家し尼僧になってしまう。だが、斎王の時代に仕えてくれていた伊勢の方(杉子)を恬子は業平に託す。杉子は業平の下女として仕えると宣言し、この伊勢の方が業平の晩年を看取ることになる。この最後の設定に、著者の一つのロマンを感じている。

 在原業平を具体的にイメージ化する一つの架け橋として、楽しめる小説である。
 
 著者は本書の末尾近くで、「業平は、飽かぬことを哀しと思いつつ、それが生きることの有り難さだと、深く感じ入り目を閉じるのでした」と記す。「飽かず哀し」が業平の心を知るキーワードと捉えている。この事に触れておきたい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
在原業平   :ウィキペディア
在原業平年表      :「e-KYOTO」
在原業平 関係人名辞典 :「e-KYOTO」
在原業平邸址 :「フィールド・ミュージアム京都」
在原業平   :「千人万首」
元祖イケメン?『伊勢物語』の在原業平ってどんな人?3分で解説! :「和楽」
[平安時代のプレイボーイ在原業平] 伊勢物語をサクッと読む!:「歴人マガジン」
「なりひら桜」に逢いに、在原業平ゆかりの十輪寺へ :「朝日新聞DIGITAL」
在原業平(ありわらのなりひら)と皐月の前(さつきのまえ):「志木市」
『在原業平(ありわら の なりひら)と八尾』  :「八尾市」
在原の業平園  :「滋賀県」
貴族・歌人の在原業平を偲ぶ。業平忌/不退寺   :「NARA」

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『小説小野小町 百夜』   高樹のぶ子   日本経済新聞出版社


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