遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『口語訳 古事記 [完全版] 』 訳・註釈 三浦佑之  文藝春秋

2024-04-10 14:53:02 | 歴史関連
 時折、部分読みしていたが参照程度の利用であり、今に至って初めて通読した。
 手許の本の奥書を見ると、2002年9月の第8刷。本書の刊行は2009年6月に第1刷。刊行当時ベストセラーになっていたことを記憶する。ブームが少しさめた頃に本書を入手したのだが、長らく書棚の背表紙を眺めていたことになる。
 
 『古事記』全体の構成と内容の概略を理解でき、『古事記』の全体像をイメージできるようになった。本書は『古事記』全訳注・次田真幸(講談社学術文庫、上・中・下三巻)、『現代語訳 古事記』福永武彦訳(河出文庫)のように、「現代語訳」という表記ではなく、「口語訳」となっている。
 「天と地とがはじめて姿を見せた、その時にの、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシじゃ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ。この三柱のお方はみな独り神での、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた」(p16)
と言う風に、ひとりの古老が語る口調で訳されていく。口語訳というのはここから来ているのだろう。

 内表紙の次に「語りごとの前に」という著者の前書があり、その冒頭は「この本は、古事記のほぼ完璧な口語訳でありながら、古事記という作品を突き抜けようという意志によって貫かれています」の一文から始まる。ここに著者のこの口語訳に対する意気込みが溢れている。
 その末尾に凡例が付されている。その第1項に「神名や人名はすべて、旧かな遣いによるカタカナ表記で統一しました。その意図は、旧かなのほうが原義を復元しやすいのと、カタカナの場合、目から入る意味性が弱まり、音による異界性が浮かび上がるのではないかと考えたからです」と記す。上記の口語訳引用箇所のカタカナ表記はこの意図による。最初、神名・人名のカタカナ表記にちょっと戸惑ったが、古老の語りを読むという形としては、逆に漢字とルビの併用にひっかかることなく、語り口調にすんなりと馴染んでいけたと感じる。
 本書には、末尾に「神人名索引」が設けてある。カタカナ表記の神人名に、古事記の原文表記である漢字の神人名が併記されている。引用箇所を例示すれば、アメノミナカヌシ/天之御中神、タカミムスヒ/高御産巣日神、カムムスヒ/神産巣日神[之命]と併記されている。漢字での表記を知りたいときに便利である。
 古事記の本文内容を知るという点では、古老の語りによる口語訳は、慣れていくとリズムもあり、読みやすかった。漢字名にとらわれることがない分、比較的抵抗感なく読み進めることができた。

 古老の語りという形なので、『古事記』の最初にある太安万侶による「序」は本文に出て来ない。その現代語訳は付録に収録されている。付録の中で現代語訳を読み、古老の語りという口語訳では不要だなと思った次第。
 本文は、「第一部 神代篇」「第二部 人代篇 上」「第三部 人代篇 下」と、『古事記』上・中・下三巻に対応して口語訳されている。各ページの下段にかなり詳しい注釈が併記され、植物や鳥のイラストも載せてある。今回の通読にあたって、注釈は適宜併読したにとどまった。
 口語訳の本文は「なにもなかったのじゃ・・・・、言葉で言いあらわせるものは、なにも。あったのは、そうさな、うずまきみたいなものだったかいのう。/ ・・・・・・知っておるのは、天と地が出来てからのことじゃ・・・・」(p16)という冒頭の二段落の文から始まっている。この部分は著者の補足であり、凡例に「一部に語り部の独白や背景説明が加えられています。その部分は注釈に記したので」と明記されている。注釈で古事記本文との識別が容易にできる工夫がしてある。本文に独白や背景説明が付加されていることが、この口語訳の一つの特徴にもなっている。そこには一つの問題提起を兼ねた視点も含まれているように感じた。
 注釈については、凡例に「時にたんなる言葉の説明を逸脱して、わたしの神話や昔話の解釈に向かっていますが」(p12)と明記している点も、本書の特徴でありおもしろいところと言える。

 本書の特徴をさらに2つ挙げることができる。
 1つは、「古事記の三巻すべてをほぼ忠実に訳しています」(p12)という本文に引き続いて、36ページに及ぶ「古事記の世界(解説)」が併載されていることである。『古事記』とは何か、それをどのように捉えればよいのかが論じられている。口語訳本文を読んでからこの解説論文を読むと、日本の歴史における『古事記』の位置づけがわかりやすくなってくる。
 この論文は、「一 語り継がれる歴史」「二 歴史書への模索」「三 古事記の成立」「四 古事記の構造と内容」「五 古事記の享受史」から構成されている。『古事記』の存在意義を日本の歴史の文脈の中で考えるうえで役に立つ。
 特に次の記述が、私には興味深い。引用する。
*古事記の神がみの物語の中核には、出雲系の神がみを語ろうとする意志がはたらいているのである。それを、天皇家の血筋と支配の正統性を語るために統御しようとして、完全には統御しきれなかったのが古事記であり、日本書紀は、ヲロチ退治神話だけを残して出雲系の神がみの物語を切り捨てることによって全体を統御したのだ。それが、語りの論理に生きる古事記と、文字の論理を内在化させた日本書紀との違いである。 p380-381
*日本書紀は歴史書としての統一性をもつことにはなったが物語としてのおもしろさを欠いた作品となり、古事記は歴史書としての統一性には欠けるが、個々の伝承は読んでおもしろい作品として残されたのである。  p384

 2つめの特徴は、本書がいわば古事記に関する事典的な役割を兼ねていることである。 それは「付録」があることによる。上記のとおり、付録の最初に「古事記 序」の現代語訳が載る。その後に、
  「地名解説」「氏族名解説」「主要参考文献」「神々の系図」
  「歴代天皇の系図」「参考地図」
が収録されている。
 本書末尾には、上記の「神人名索引」「注釈事項・語彙索引」が併載されている。
 つまり、付録の内容と二索引により、本書には古事記に関する事典的な役割が取り込まれている。

 「あとがき」に著者は「本書一冊が手元にあれば、誰もが古事記のすべてを理解でき、原文に戻る必要などないという、私が思い描いていた理想の書物に近づけることができた」(p476)と記す。「完全版」という意味合いはこのことを意味しているのだろう。

 本書を通読したことで、古事記の世界に入りこむ原点ができた。これからはさらに踏み込んで古事記の世界を味読し、読み解きを楽しみたいと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

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