遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『伊勢物語 在原業平 恋と誠』  高樹のぶ子  日経プレミアシリーズ

2023-11-28 14:06:25 | 諸作家作品
 『小説伊勢物語 業平』の読後印象をご紹介したときに少し触れたが、著者自身が
本書の「おわりに」の冒頭に、「『小説伊勢物語 業平』と、それを補足するために書いたこの新書」(p189)と説明している。本書を読了して、まず『小説伊勢物語 業平』の理解を深めるサブ・テキストとして読まれることをお薦めする。
 最初に小説を読んでから本書を読むのが結果的には良かったと思う。というのは、自分自身が『小説伊勢物語 業平』をどのように、どのレベルまでの理解で読み終えたかを対比的に振り返ることができるから。この著者が創作した小説でのべたかったことをサブ・テキストの説明内容で補うことができる。一方、ここに記された説明にまで己の理解が到達していたかを確認できる。
 残念ながら、自己評価としてはかなり淺いレベルでしか読み通せていないなぁと感じた次第。このサブ・テキストの著者自身の説明も考慮に入れて、少し時間を置いてから再読してみたくなった。

 本書は、2020年10月に刊行されている。小説が2020年5月に単行本で刊行されているので、その5ヶ月後に補足として出版されたことになる。

 「おわりに」の末尾に、著者は次のように記す。
 「小説の効用は、なにより生きている人間を直に感じられることです。千百年昔にも、男女は惹かれ会い、和歌や文で心を交わし、喜怒哀楽や情感を伝え合う同じ人間が生きていた、ということを知る以上の人間教育が、あるでしょうか」(p191)と。
 在原業平に対する風評は、好色なプレーボーイ、色事話いっぱいの貴族としかみられていない。そんな傾向に対し、業平の残した歌を丹念に読み込んで行けば、そんなレベルの人物ではないと著者は言う。「はじめに」に著者は「彼が残した歌から伝わる深い真情からは、どうしてもそうは思えません。業平は千年以上もの長いあいだ、間違ったイメージで語られてきたのではないかと思います」(p7)と己の視座を明示している。
 そして、独自の業平像を『小説伊勢物語 業平』に具象的に描き上げた。業平と関係を結ぶ女性並びに業平と深い親交を確立した貴族たちについて、このサブ・テキストでは、その関係性を分析的に補足説明してくれている。小説として情景描写し経緯を語ったその行間に存在するものを著者の視点で語って行く。実にわかりやすい説明である。

 本書での説明に入る前に、「平安時代の業平を理解するために」と題して、基礎知識を著者は説明する。平安時代の社会のしくみと時代背景を押さえて置かなければ、在原業平の「誠」の匂いに触れることができないという主旨だと理解した。その側面を小説の行間から読者が読みとりながら、ストーリーを理解する必要があるからだ。
 読者が業平を理解する上での基礎知識として、著者がここで説明する観点を列挙しておきたい。この点は、まず小説を読む上で、助けになっても、先入観を与えることにはならないだろうから。
  *在原業平は父(阿保親王)の上表により臣籍に降下した身分の人
   臣籍降下という立場が、業平の人生に影響を及ぼしていく要素となる。
  *「雅」の本質は「きよらかなあはれ」。相手を思いやる「哀れ心」である。
   一見曖昧に見える振るまい、考え方、余裕のある性格をもつ。そこにある謙虚さ
  *貴族にとり、身を護る助けになるのは、美意識と教養、そして表現する能力
  *通い婚が普通の時代。それがお付き合いのカタチだった。
   業平の恋は、女性たちとの接し方、雅な振るまいがあって成立している。
  *権力の危うさを熟知し、歌に生きることを選択。この貴種流離が、日本特有の芸
   術を作った。

 著者は、「業平の恋は、引きこまれ型が多いのですが、引きこまれたあげく、良きものを得た成功体験が、彼を豊かにした、そのことを業平は経験値として知っていたのです。信じるものからしか、大きなものは得られない。」(p27-28)と述べています。

 小説の流れは「初冠」を終えた在原業平が年齢を重ねるごとに、和歌を詠みつつ様々な恋の遍歴をしていく経緯を描き上げている。この恋の遍歴に登場する女性たちと業平の関係を著者は本書で分析的に説明して行く。
 まず第1章から第3章で、恋の遍歴に登場する女性との関係において、これらの恋がどのように業平の人間性を豊かにしたかを分析的に説明する。あまり先入観を与えない範囲で少しご紹介しておく。

 「初冠」の最初に登場するのが春日野の姉妹。この姉妹との関係では、業平が高貴なる出自として相手を思いやるという行為に著者は着目している。これは業平の人生で各所に見られ、業平の人間力となっていくと言う。業平は「良いと思ったことは、ためらわず行動する」(p35)男だったと。
 西の京に住まう女(ヒト)は思春期の業平にとり、生きていく上での真実を学ぶ上で、決定的な人になったと言う。どのようにかは本書を開いてほしい。
 五条の方、蛍の方、紫苑の方との恋の遍歴は、業平が女性から大きな気づきを得る結果になった。さらに、紀有常の懇願を断り切れずに彼の女の和琴の方を妻とし、疎遠な関係を続けたが、最後はその和琴の方からも大きな気づきを業平は得ることになる。
 そして、藤原高子(タカイコ)並びに恬子(ヤスコ)内親王それぞれとの禁じられた恋という大きなリスクを伴う人生の山場が生まれていく。
 各女性毎との関係の過程で、その女性と業平の人間性を分析的に説明していく。これが第1章~第3章の主内容となる。小説を通読した時には、読み切れていないことが多くあったと感じている。

 第4章は、源融(ミナモトノトオル)と惟喬(コレタカ)親王という二人との男同士の関係を分析的に論じている。源融は業平が憧れた人であり、彼の歌と人生をともに尊敬する人である。業平にとり、身分差を超えて文化人として交流し親交を深めえた人である。一方、惟喬親王は、雅を具現化する人であり、業平が生涯仕えたかった人だと著者は説く。
 この章の最後で、著者は業平の両親、阿保親王と伊都内親王の不仲について説明し、それが業平の生き方に影響した側面を論じている。業平が歌の才を拠り所とするようになる根本が両親にあったと。

 第5章は、二人の女性を媒介に説明しつつ、業平の人生の後期・晩年を語る。
 一人は九十九髪の女である。女の三男の息子に懇望され、「成り行きに身をまかせる」業平の一つの恋の遍歴がここにある。そこからも業平は相手を豊かな気持ちにさせ、そこに魅力を引き出し何かをつかんでいく。
 他の一人は、伊勢(杉)の方である。率直な性格でバランスがとれ、和歌に精通した才女として小説では描かれている。著者は「業平の最後の妻だったという説に従いました」(p178)と立ち位置を述べている。そして小説に描き出した伊勢(杉)の方について説明を加える。
 最後に業平が女性たちに恨まれなかった理由を論じている。
 小説を通読したとき、業平が女性たちに恨まれなかった理由などという切り口を考えてもいなかった。頭にガツンである。
 『小説伊勢物語 業平』は読み方を掘り下げていくことができる。読むに値するフィクションと言える。本書は理解を深めるガイドとなるのは間違いない。

 本書の末尾近くで、「私は誰にも恨まれない業平像を描きたかったのです」(p184)と明言している。それが在原業平のイメージ転換を意図する原点にあったようだ。それは業平が残した歌を精読し、歌の心を感じ取ることから生まれている。
 著者は、「業平の歌が今日まで残っているのは、率直な心が吐露されているからです」(p48)と論じている。
 さらに、業平は「それぞれの相手に対して、そのときどき、全身全霊で向かっていったからではないでしょうか。相手にとって、何が良いかを考えて、相手が喜ぶことをしてきたからでしょう。その瞬間を女たちは覚えていて、逢えなくなってもその記憶を大事にしていたということだと想像します」(p185)と記す。ここに、業平像の根っ子があると思う。
 また、著者は業平の人生を次のように述べている。
 「ひと言で言えば在原業平、『思うに任せぬことの多かった生涯』を、『思うに任せぬことも愉しみながら』生き抜いた人と申せます」(p15)と。
 業平の特徴を他にも具体的に説明している。本書でお楽しみいただきたい。

 『小説伊勢物語 業平』で著者は業平に「飽かず哀し」とひとこと言わせた。読後印象として、この「飽かず哀し」がキーワードになると感じる点を述べた。
 本書ではこの意味を少し具体的に説明してくれている。この点、ご紹介しておこう。
 「客観的にはすべてを持つ人生だったけれど、飽きるほどの満足ではなく、まだ十分ではない、足りないものがある、ということです」(p186)
 「業平は、『飽くほど満たされていないことを哀し』と思いつつも、それが生きることの有り難さだと言っています」(p186)と。
 著者は、紫式部が「飽かず哀し」を業平の歌や生き方から学び、それを光源氏の心境に反映させたと推測している。

 最後に、著者が本書で一般論あるいは本質論として指摘していることを引用(「」で表記)あるいは要点を記しておきたい。ナルホドと感じる諸点である。
*人を恋する効用、奇蹟は、その人を人間としてワンランク押し上げる。 p36
*「男は全員マザコンと言ってもよいのではないでしょうか」 p43
*「はっきりしているのは、時間の経過とともに男女の気持ちは変わるということ」(p90)
*平安文芸が描く出家は、ある程度文化度のある階層の「ぎりぎりの自己実現」だった。
 著者は、出家が「何か無心になれるものを見つけて没入し、心穏やかな一時を過ごす、あらゆるものから距離を置いたひとときを持つ。そして時間を稼ぐ」という精神的側面に着目している。(p99-100)
*「男女の恋愛は、本音、本性でつき合ってこそ面白いものです。・・・・・本性が見えたときに強い関係が作られると思っています」(p132)
*「権力というものは、感性に目隠しをさせ、繊細にモノを見る視力をなくさせ、大所高所からの見方だけに片寄ってしまうもの。(p163)
*「親とはこんなものだ、と決めつけている子どもたちよ、親もまた男であり女である、という意識を持ってもらいたいものです」(p177)

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『小説伊勢物語 業平』  高樹のぶ子  日経BP 日本経済新聞出版本部
『小説小野小町 百夜』   高樹のぶ子   日本経済新聞出版社



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