相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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92年前、4検査役が土俵上に…

2022-01-29 13:48:14 | 日記
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 昭和二十七年秋場所の「四本柱」
撤廃は矢張り当時としても劃期的
改革だったに違いない━でも、主に
観客の邪魔もの─それが理由だった。
 それよりもっと・もっと大改革は
その22年ほど前の昭和五年夏場所、
四本柱を背に土俵上に坐っていた
4人の大きな男たち─元力士の勝負
検査役を土俵下へ降ろした。

 仮に、太刀山の“四五日”(ひとつき半)
の突き…や、栃木山の押しで相手力士
が土俵上の検査役に“体当り”して負傷
したら一大事であった。そんな記録は
皆無だったから、永年の陋習が続行と
なっていたものだろう…。
 でも、その要因は江戸~明治の頃は
大抵が所謂「四つ相撲」であり、土俵
外へ出す〔もしくは倒す〕取口が少な
かった証左でもある─と、愚考する。
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前田山2─0栃 錦

2022-01-28 21:36:42 | 日記
 昭和戦後の「新・旧 対決」の一例を
採りあげてみた。

①昭和二四年春場所 三日目
東張出横〇前田山(叩込み)栃 錦●西前頭三枚目

②同 二四年夏場所 三日目
西方横〇前田山(外掛け)栃 錦●西前頭三枚目
 当場所、前田山は九日目まで8勝1敗と好
調だったが、終盤を1勝5敗の「竜頭蛇尾」
で、二桁白星も成らず…。
 そして秋〔十月〕場所、二日目から5連敗
し、七日目(不戦敗)から休場⇒帰京⇒球場─
の「窮状」を「不謹慎」とされ「引退届」を
提出する以外“道”はなかった。
 
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「精神的検閲」とは何ぞや…❔

2022-01-28 13:43:29 | 日記
※昨日の閲覧…632・訪問者…362
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 萩原朔太郎(明治十九~昭和十七)が昭和十
五年に発表した「日本國技の洋風化について」
の冒頭は「将棋」の話から始っている。そして
おしまいの箇所を引用しておきたい。

…政府當局者は、今の民衆の無邪氣な娯樂に
關して、不必要に煩瑣な干渉をする代りに、
かうした根本の第一義的な事項に關し、より
高次な哲學的な立場からして嚴重な精神的
檢閲を爲すべきだらう。

 何度読み直しても意味がわからない「精神的
検閲」なる5文字である。
 「日本国憲法」第二一条②項は━
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、
これを侵してはならない。
 ─と、「表現の自由」が保障されている。
 一方、電子辞書の「検閲」は━
国家が出版物などの内容を調べること。
━と、解説している。
 尚、昭和十六年頃から厳しく検閲が行われ、
彦山光三の『相撲美開眼』にも伏字〔✖〕の
箇所を余儀なくされている。
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“土俵外”の無気力相撲…?!

2022-01-27 21:45:34 | 日記
 吾輩が予測したとおり、日本相撲協会
役員改選は「無投票」で10理事が確定。

 まぁ…「投票」となれば、國技館の大
広間に凡そ100人の大男たちが集合し、
新型…ウィルス感染リスク━「集団感染」
だって想定外にできまいから、無投票なら
絶対安全なのさ━だから公明選挙なんて
回避せざるを得ない。否、それは言い逃れ
だ。土俵上じゃぁないからマスク姿で投票
は可能なはず。

 16票の時津風系から2人立候補━随分
“効率”のいい話。仮に投票ならば“共倒れ”も
想定されるはずなのに……。
 理事長お膝元の高砂系と伊勢ヶ濱系は
11~12票で各々1人枠でぴったり。
 出羽海系は36票で3名当選は余裕綽々。
問題は二所ノ関系だ。30票で3人立候補
は投票になれば10+10+10─と割振らねば
ならぬ。「事前調整」が不可欠だ。
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232年前、北齋が雷電を…

2022-01-27 13:47:55 | 日記
※昨日の閲覧…476・訪問者…327
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 当方記憶が曖昧な場合だって出来得る
限り、所蔵資料で“確認”したうえで記述
している心算である。
 と…云っても相撲版画・錦絵などは
高額な所為もあるが、数点も所有せず、
『相撲浮世絵』(別冊 相撲)等々印刷物に
拠って検証することが可能なのだ。

 昭和五十年刊『相撲浮世絵』の70ページ
に「雷電と盤井川の初対戦」━「寛政2年冬
春朗(北斎)画」と説明のある取組絵が掲載
されている。
 葛飾北齋は、88歳の長寿を誇り、作品の
数量も厖大なもの━その号は主として文化期
以降に使用したと思われる。
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