相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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無気力相撲は美しい…?

2010-09-28 20:42:20 | 日記
〔つづき〕引分について言へば、それが時に八百長の
弊害を伴ふことは事實である。だがその八百長と雖も、
見方によつては、日本國技の美しい心意氣であることを
知らねばならぬ。昔の横綱等は、彼等が老いて氣力を
失ひ、近き引退を前にして、必勝の自信なく土俵に出る
時、たいてい皆引分無勝負で場所を通した。といふわけは、
彼等自らあへて仕掛けず、土俵に棒立ちになつて突立つて
るので、對手の力士もその心中を知り、無爲に四つに組んだ
まま、行司の引分を待つてるのである。もちろんこの場合、
後者が無理に仕掛けて行けば、實力によつて對手を倒す
ことも出来るのである。だが初めから戰意がなく、無抵抗
主義で突つ立つてるのを、強ひて負かすといふのは殘酷
である。その上對手は近く引退を控えた横綱であり、その
點の名譽を考へてやらねばならない。かうした場合、その
八百長角力であることは、觀客の大衆にもよく解つてゐる。
だが觀客もまた、その場合の「意味」をよく諒解してゐる。
彼等の日本人的な心意氣は、八百長を八百長と知りながらも、
好意ある微笑を以てその角力を見過すのである。しかもかう
した美しい光景や心意氣やは、次第に今日の角力から消滅
され、殘忍非道な紅毛的な競技が、新しくこれに代らう
としてゐるのである。しかも尚その形式の故にのみ、角力を
國技と呼べるだらうか。〔後略〕

…朔太郎「日本國技の洋風化…」より

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