相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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幕内最多勝利数の軌跡 その166

2024-09-08 21:48:07 | 日記
 幕末期の弘化四(1847)年冬場所。前場所まで
通算109勝を記録していた東方大関の劔山(←鰐
石)は、初日から3連勝するも四日目・翌五日目
と連敗、後半戦に2勝をあげ5勝2敗1分…、
入幕以来の勝利数を114勝に伸ばした。
 一方、九日目に劔山と引分け相撲を演じた
西方大関秀の山〔当場所が“新横綱”だと云う説も
ある。〕は、前場所まで99勝しており、当場所は
絶好調までいかないけど、4勝“土つかず”の星で
通算103勝━漸く三桁の大台に乗った。
 果して、劔山の記録を更新することが出来る
であろうか。
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相撲が変った栃、変らずの若

2024-09-08 13:54:33 | 日記
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 昭和戦後の「栃・若 時代」を現出した
「蝮(まむし)」の栃錦清隆と「…の鬼」・
「異能…」の若乃花幹士(初代)。両力士
の白星で使った決り手5傑を三宅記者か
ら贈呈された『…なんでも七傑事典』より。

栃 錦
①寄切り
②押出し
③上手出投
④寄倒し
⑤掬い投
若乃花
①寄切り
②上手投
③上手出投
④外掛け
⑤寄倒し

 両者は、左の相四つだが、栃錦が徐々に
“増量”したのに対して、若乃花の体重は横綱
になってもあまり変らなかった。栃の
「押出し」は増量後が殆んどであろう。
 若乃花の「四つ相撲」主体は入幕後から
引退まで━上手投や外掛けが多かったのは
その証左だろう。
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