当方が独自に作成・記入したノートには
江戸 寶暦十一(1761)年冬場所から明治四十
五年夏場所までの全本場所における初日~
千穐楽の「日別取組番数」(幕下戦を含む)
の数字が一目瞭然なのである。
例えば、起点の寶暦十一年冬は初日から
順に7・9・9・8・6・5・6・6━計
56番〔8日間制〕。終点の明治四五年夏
は、22・23・23・23・23・22・21・20・
20・21━合計218番…と云った具合だ。
ここで「初日」の幕内取組番数の変遷。
横綱谷風急逝直後の寛政七(1795)年春場所
初日はじめて15番を記録した。
次に20番の大台に乗ったのは幕末、
弘化二(1845)年春場所初日だったのに、
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」で迂闊にも
記述できなかったのであった。
江戸 寶暦十一(1761)年冬場所から明治四十
五年夏場所までの全本場所における初日~
千穐楽の「日別取組番数」(幕下戦を含む)
の数字が一目瞭然なのである。
例えば、起点の寶暦十一年冬は初日から
順に7・9・9・8・6・5・6・6━計
56番〔8日間制〕。終点の明治四五年夏
は、22・23・23・23・23・22・21・20・
20・21━合計218番…と云った具合だ。
ここで「初日」の幕内取組番数の変遷。
横綱谷風急逝直後の寛政七(1795)年春場所
初日はじめて15番を記録した。
次に20番の大台に乗ったのは幕末、
弘化二(1845)年春場所初日だったのに、
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」で迂闊にも
記述できなかったのであった。