元N銀行員の“記録マニア”だったM氏が
「間隔対戦」を気づかない筈はないと思
うけれども、例えば『大相撲』誌「異色
調査」━昭和四十年五月「やぁしばらくの
顔合わせ」に、間隔6年以上の記録表など
載っているが……。
悲運の横綱玉の海正洋の師匠━元関脇
玉乃海 太三郎〔関脇で連続11勝のとき〕
昭和十五年夏、西三段目二二枚目
七日目 ●吉葉山(三段目30)
十二日目●三根山( 〃 33)
そして13年・30場所後の━━
同 二十八年春、西前頭筆頭
三日目 ●吉葉山(大関)
四日目 ●三根山(関脇)
間隔対戦の要因は、玉乃海〔当時 福住〕が
昭和十六年夏から同二五年春までの9年間の
ブランクに尽きるのであった。
「間隔対戦」を気づかない筈はないと思
うけれども、例えば『大相撲』誌「異色
調査」━昭和四十年五月「やぁしばらくの
顔合わせ」に、間隔6年以上の記録表など
載っているが……。
悲運の横綱玉の海正洋の師匠━元関脇
玉乃海 太三郎〔関脇で連続11勝のとき〕
昭和十五年夏、西三段目二二枚目
七日目 ●吉葉山(三段目30)
十二日目●三根山( 〃 33)
そして13年・30場所後の━━
同 二十八年春、西前頭筆頭
三日目 ●吉葉山(大関)
四日目 ●三根山(関脇)
間隔対戦の要因は、玉乃海〔当時 福住〕が
昭和十六年夏から同二五年春までの9年間の
ブランクに尽きるのであった。