相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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「前傾姿勢」は柏・鵬以後…?

2023-05-05 21:47:01 | 日記
 大鵬・柏戸の新横綱時代、手数入(でずいり)
の「下の構え」が極端に“前傾姿勢”を採るので
彦山光三が土俵上でなにかさがしているようで
みっともない━と厳しく批判した。
 その頃の記事「“位”無視の“手数入”非難」に
拠れば、大正中期以降、完璧に…腰を据えた
横綱力士は、栃木山・常ノ花・玉錦・双葉山・
照國の5名だと云う。私見・愚考では、プロ
レスに一時転向の東冨士も写真では立派な
手数入ぶりにみえる。

 扨て、拙稿「岡山県出身入幕力士一覧」では
折込み裏面に“余白”を常ノ花の写真などで埋めた。
 平成二三年刊の本より転載した写真説明に━

 前傾姿勢を採らぬ横綱常ノ花の“下の構え”

━と記載した。
 更に、「昭和五年三月(大阪)場所まで…検査役が
四本柱を背に土俵上に坐り、観客こそいい迷惑だっ
た。」と記述した。
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「相撲の神様」大ノ里

2023-05-05 13:40:26 | 日記
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 大正末から昭和初期の名大関、大ノ里
万助〔『大相撲』誌などに「大の里」と表
記されたこともあるが番附で“の”は不使用〕
は、明治二五年…青森県…生れ。全盛期の
体格は164cm・97kgと記録されている。
 入幕前に負越しなしの11場所だから凄い。
尚、所属を2度移籍で、出羽海部屋に入る
前、新十両のとき後横綱常ノ花と対戦して
白星を得ている。
 大正七年夏の新入幕、4勝5敗1引分けで
初土俵以来初めて負越し。
 同十一年春に小結、翌場所は新関脇、1度
平幕へ落ちたが、十三年春に再関脇、そして
翌十四年春場所は大関に昇進したが、初の
休場を余儀なくされる─理由は調査してない。
 その後、大関を23場所━うち、中途欠場
2場所以外“皆勤”している。
 成績は、11日間制で全勝や1敗は皆無だ。
 昭和七年、菊池寛も「立派に成功」とほめた
「春秋園事件」ではリーダーの天竜三郎を心底
からバックアップ。彼が天竜に協力しなかったら
紛擾は発生してないだろう…。
 昭和十三年、たしか旧滿洲の大連で45歳の
若さで急逝。
【追記】「…神様」と云われる前の綽名が「鼠」━
━小兵・軽量のくせに“神わざ”的相撲だから…が由来
と解釈したい。
 醜名(しこな)は、前例がある。二所ノ関親方(元大関
佐賀ノ花)が天竜三郎氏に名前を「嶋田」に譲って…
と━天龍源一郎は入幕後「二所ノ関騒動」で嫌気が
さし、プロレスへ転向してしまった。
コメント (4)
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