相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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剣ヶ峰で粘りがない

2015-02-27 21:53:06 | 日記
 「打棄りはなぜ消えたか」なんてタイトルの本
があったっけ…。
 著者より贈呈された『大相撲なんでも七傑事典』
に拠れば━。

昭和29年夏~30年春の4場所
 10位うっちゃり 39番 2.72%

昭和38年九州~40年秋の12場所
 9位うっちゃり 86番 2.48%

昭和56年夏~57年春の6場所
 21位うっちゃり 6番 0.38%

平成5年夏~6年春の6場所
 23位うっちゃり 7番 0.40%

 最近のデータでは、幕内1場所で打棄り1番
みられる程度しかないわけだ。
 15日間もあるのに僅か1番じゃぁねぇ…。
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取組のマンネリ打破できず…

2015-02-27 12:50:48 | 日記
 昭和七年、「春秋園事件」称する紛擾で多数の
力士が脱退、二月の番附は幕内力士が20名と激
減━その55年前の明治十年六月の人数だった。

 そのため伝統的な「取組制度」を改革せざるを
得ない状態になった。東西〔対抗〕制の廃止━「総
当り」制への移行であった。

 もし、春秋園…の紛擾が勃発しなかったならば、
昭和七~十四年の「第一次系統別」総当り制は導入
されず、終戦直後まで…ずっと東西制が続いていた
可能性が高い。

 愚考では、東西対抗制なる取組のマンネリ化は
大正中期頃から既にはじまっていたのに、改革を
先送りしていたんだ。

 以上の見地から、大正末にいたるまで協会内に
「個人優勝」なる発想が生じなかったのは、寧ろ
当然の帰趨であろう。
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