愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

「神に近づきなさい」:神エホバを崇拝する(その2)♪

2018-04-28 21:56:47 | 神の言葉・聖書

 神エホバは、盲目的な崇拝行為を否としておられます。イエスが教えられた通り、「霊と真理をもって崇拝」すべきなのです(ヨハネ4:24)。神エホバの霊に導かれつつ、神エホバの言葉・聖書に収められている教えの正確な知識と調和した仕方で崇拝しなければならないのです。引き続き、どのようにすれば、神エホバを崇拝できるのかについてお伝え致します。

 み言葉・聖書を学び、神エホバについて他の人に語り、公に神エホバを賛美することによっても、エホバを崇拝することができます(ヘブライ13:15)。実際、イエスが都市から都市、村から村、諸会堂で神の王国の良いたよりを宣明し、模範を残され、弟子たちに神の王国を宣明するように指示されました(マタイ4:23.ルカ4:43;8:1)。神の王国の良いたよりを宣明することは、真のクリスチャンに与えられた極めて重大な命令です(マタイ24:14;28:19,20)。私たちがそのイエスの命令に心を込めて従うのは、神エホバと隣人を愛しているからです(マタイ22:37~39)。「この事物の体制の神」である悪魔サタンがどのように「不信者の思いをくらまし」、神エホバに関するひどい偽りを、諸宗教を通して広めているかを考える時、私たちは、神エホバの証人として仕え、中傷を正したい、と願っているのです(コリント第二4:4.イザヤ43:10~12)。私たちは愛と公正と知恵と力と命の源の神エホバについて、他の人に伝えたいと言う気持ちが強くなるのではないでしょうか。まさに、私たちと同様に天の父エホバを知って、深く愛するよう他の人に援助することに勝る特権は他にありません。

 神エホバを崇拝することには、それ以上の事柄も含まれます。その崇拝は、生活のあらゆる面に影響を及ぼします(コロサイ3:23)。神エホバを本当に自分の主権者なる主とみなしている人は、家庭生活や世俗の仕事、また対人関係や余興の過ごし方など、あらゆる面で神のご意志を行なおうとします「全き心」を持って忠誠のうちに神エホバに仕えようとするのです(歴代第一28:9)。そうした清い崇拝に、二面性のある心や裏表のある生き方の入り込む余地はありません。ひそかに重大な罪を犯し続けながら表向きは神エホバに仕えているかのように見せる、偽善的な歩み入り込めないないのです。忠誠心はそのような偽善を容認せず、愛は偽善をいとわしく感じさせます。敬虔な恐れも有用です(伝道の書12:13)。聖書はそのような崇拝の念を、神エホバとの永続的な親密さと結びつています(詩編25:14)。

 次回は「神を見倣う者となる」ことについてお伝え致します(エフェソス5:1)。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。

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        何十年 定まりし場所 アザミ咲く 今日の一句

                         鉢植えの「ビオラ」  

 

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食べ頃のサクランボの実と春のバラ(その2)

2018-04-27 23:36:07 | 四季折々の花々

 サクランボも実が熟し、朝早くから小鳥が食べに来ています。

 サクランボは花を咲かせ、赤く熟するまでには、2ヶ月も

 かからず、美味しい実の恵みを与えてくれます。

 小鳥たちはサクランボの実が美味しいことをよく知っています。

 今日は食べ頃のサクランボの実と春のバラ(その2)を紹介致します。

   

             早くも食べ頃となった「サクランボ」

                      春のバラ(その2)

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「神に近づきなさい」:神エホバを崇拝する(その1)♪

2018-04-27 23:25:43 | 神の言葉・聖書

 偉大な創造者エホバ神は、み言葉・聖書を通して私たち人間に、なぜご自分を崇拝するように、命じておられるのでしょうか(啓示14:7)。また、神エホバは、全ての創造者であり、私たちの命は、神エホバのご意志によって存在しているゆえに、神エホバに栄光と賛美を帰すことは、ふさわしいことを明らかにされています(啓示4:11)。今日は、神エホバに近づくことと、神エホバを崇拝することの関係の重要性を聖書からお伝え致します。

 私たちは神エホバと意思を通わせるとき、友人や親族に対してするように、単に話したり聴いたりしているのではありません。実際には、神エホバを崇拝し、全くふさわしい誉れを神エホバに恭しく捧げているのです。真の崇拝は、生活のあらゆる面に及びます。それによって、私たちは魂(命または体全体)のこもった愛と専心の思いを神エホバに表明し、またそれによって天と地にいる神エホバの忠実な被造物すべては結び合わされています。使途ヨハネは、「天と地と水の湧き出るところを造られた方(エホバ)を崇拝せよ」と、いう命令をエホバのみ使いがふれ告げているのを聞きました(啓示14:7)。

 なぜ神エホバを崇拝すべきなのでしょうか。神エホバは愛と公正と知恵と力、及び命の源の方です。さらに、神聖さ、自己抑制・辛抱強さ、勇気、憐れみ、謙遜、同情、忠節、親切、善良、幸福、平和といった優れた特質です。神エホバの貴い属性のいずれに関しても、神エホバはその極致、最も崇高な基準となっておられます。神エホバの数々の特質を総合的に把握しょうとする時、神エホバが単に賛美に値する偉大な存在だけではなく、賛美をはるかに超えた方であることを理解できます。神エホバは圧倒的なまでに栄光に満ち、私たち人間とは比べることの出来ない高貴な方です(イザヤ55:9)。神エホバは正当な主権者であり、人間が崇拝すべき方であることに疑問の余地はありません。では、どのように神エホバを崇拝すべきなのでしょうか。

 イエスはこう教えられました。「神(エホバ)は霊であられるので、神(エホバ)を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません(ヨハネ4:24)。これは、神エホバの霊に導かれつつ、信仰と愛に満ちた心で、神エホバを崇拝する、ということです。また、真理、つまり神エホバの言葉に収められている正確な知識と調和した仕方で神エホバを崇拝する、ということです。仲間の真のクリスチャンたちが集まる時には、いつでも「霊と真理をもって神エホバを崇拝する貴重な機会となります(ヘブライ10:24,25)。神エホバに向かって賛美の歌を歌う時、一致して神エホバに祈る時、また集会でみ言葉の討議に耳を傾けたり、注解に参加したりする時、私たちは清い崇拝のかたちで神エホバへの愛を表明しているのです。

 次回もどのように神エホバを崇拝することができるのかについてお伝え致します。引き続きお読みくだされば嬉しく存じます。

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       代掻きの 済みし棚田に 山映す 今日の一句

                    爽やかな柿畑の「アヤメ」

 

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ノビルの花と春のバラ(その1)

2018-04-26 23:52:14 | 四季折々の花々

 ノビルの花が庭で4月半ばから咲いて来ています。

 50cm位に伸びた花茎の先に白色または

 淡紅紫色の花を咲かせます。

 山野草図鑑では花期は5月~6月と紹介されています。

 今日はノビルの花と春のバラ(その1)を紹介致します。

                    庭に咲いている「ノビルの花」

                        春のバラ(その1)

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「神に近づきなさい」:神エホバと意思を通わせる(その3)♪

2018-04-26 23:35:40 | 神の言葉・聖書

 偉大な創造者エホバ神の存在に気付いていない方々の中にも、自分の能力では解決の出来ない困難な問題、辛く悲しい問題に直面した時に、「神様、助けてください」と、思わず祈られたご経験をお持ちではないでしょうか。私たちは、人に教えられなくても、苦難に直面した時に、神に助けを祈り求める、霊的な人に創造されています。それは、偉大な創造者エホバ神によって男性も女性も神の像(かたち)に創造されているゆえに、お父さんエホバに救いを求めて祈る能力が備えられているのです(伝道の書12:1.創世記1:26,27)。この祈りを行なう霊性は人間だけに備えられている重要な特質です。

 神エホバは、私たちが祈りによって近づき、意思の疎通を図ることができる道を設けてくださっています。幼い子供から高齢者まで、だれでもイエスの名を通して、信仰を抱いてお父さんエホバ神に祈ることが出来ます(ヨハネ14:6.ヘブライ11:6)。どんな時にも祈りによって、込み入った内面の考えや感情を伝えることができます。言葉に表しにくい悲痛な思いも神エホバに伝えることが出来ます(ローマ8:26)。流暢で華麗な言いまわしや、言葉数の多い長々した祈りで神エホバに感銘を与えようとする祈りは全く無意味なことです(マタイ6:7,8)。しかし、聖書は、私たちがどれほど長く、あるいはどれほど頻繁に祈りによって語りかけるかに関して、神エホバは何も制限を設けておられません。むしろ、聖書は、「絶えず祈りなさい」と促しています(テサロニケ第一5:17)。

 神エホバは、「祈りを聞かれる方」と呼ばれていることを忘れないで欲しいと思います(詩編65:2)。神エホバは真に感情移入をして耳を傾けてくださいます。神エホバは、私たちの祈りの言葉を喜びとしてくださるのです。み言葉は、そのような私たちの祈りの言葉を香になぞらえています。香をたくと、甘い香りのする安らぎの煙が立ち上がりますが、そのように感じられるのです(詩編141:2.啓示5:8;8:4)。私たちの誠実な、あるいは切実な祈りの言葉が、香と同じように上っていって、主権者なる主エホバを喜ばせる、ということを考えると、元気付けられ、いっそう神エホバに近づく動機付けになるのではないでしょうか(ヤコブ4:8)。ですから、神エホバに近づくために、毎日、どこでも、幾度も謙遜な態度でお父さんエホバ神に祈りましょう。何も差し控えることなく、心にあるものを神エホバに注ぎ出してください詩編62:8)。心配事や喜び、また感謝や賛美の気持ちを天のお父さんエホバに伝えましょう。そうするなら、神エホバとの絆はいっそう強くなるでしょう

 次回は、一般の方々があまり考えたことのない、「エホバを崇拝する」ことの重要性をお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。

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        鶯や 茶の勧めらる 奉仕かな 今日の一句

                         柿畑の「アヤメ」

 

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