愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

「愛のうちに歩んでゆきなさい」:愛に含まれない事柄(その2)♪

2018-04-19 23:49:50 | 神の言葉・聖書

 あなたの周りには不快な言動」を行っても平然としている人はいないでしょうか。連日ニュースで報道されている財務省の福田財務次官の女性記者に対する1年半にわたるセクハラは、まさしく「不快な言動」であり、神エホバにとって否とされている言動です。聖書にはこのように警告が記されています。「・・淫行やあらゆる汚れまた貪欲(性の不道徳の欲望も含まれる)が口に上ることさえあってはなりません。また、恥ずべき行い、愚かな話、卑わいな冗談など、ふさわしくない事柄があってもなりません」(エフェソス5:3,4)。セクハラ行為は、みだりな振る舞いであり、非道な行為です。男性と同じく神の像(かたち)に創造された女性を辱め、人権侵害であること、愛のない人であることを銘記して欲しいものです(創世記1:26,27)。

 今日も引き続き、「愛に含まれない事柄」をお伝え致します。注意深く愛に含まれない事柄を生活から排除してくだされば嬉しく思います。

3.「みだりな振る舞い」(コリント第一13:5):みだりな振る舞いをする人とは、見苦しい、あるいは不快な言動をする人のことです。そのような言動は愛に欠けたことです。他の人の気持ちや福祉を全く無視していることの表れだからです。それとは逆に、愛には慈しみという特質が含まれており、それは他の人に思いやりを示すよう人を動かします福田財務次官の言動や政府の対応は、このことが全く表れていませんでした。愛は、良い行儀、敬虔な行状、他の人への敬意などを促します。それゆえ、愛のある人は、「恥ずべき行い」をすることがありません。つまり、他の人たちを傷つけたり、ショックや不快感を与えるどんなみだりな振る舞いもしないのです(エフェソス5:3,4)。

4.「自分の利を求める・利己的」(コリント第一13:5):愛の人は「自分の利を求め」ません。他の訳ではこの聖句を「愛は自分の方法に固執しません」と訳しています。愛のある人は、まるで自分の意見がいつまでも正しいかのように、すべてが自分の思い通りに行われないと気が済まない、ということがありません。立場を利用したり、説得力に物を言わせて見解の異なる人を圧倒し、人を操る言動も、利己的な自己主張を続けることもありません。そのような強情な人は、誤った誇りの表われであり、聖書は「誇りは崩壊に先立つ」と述べています(箴言16:18)。他の人を本当に愛している人は、相手の見解を尊重し、可能な場合には快く譲る態度を示でしょう。進んで譲る精神は、次のパウロの言葉と調和しています。「おのおの自分の益ではなく、他の人の益を求めてゆきなさい(コリント第一10:24)。イエス・キリストは「受けるより与えるほうが幸福であると、教えられました(使徒20:35)。利他的な生き方を求める方々は幸いです。

 次回も、引き続き「愛に含まれない事柄」をお伝え致します皆様方も、愛に含まれない事柄確固した態度で退けてくだされば、嬉しく存じます。

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    セクハラを 恥じぬ高官 アザミ咲く 今日の一句

           庭に咲いている「白花モチツツジ」

 

 

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ピンクと白の花ミズキ

2018-04-19 01:07:54 | 四季折々の花々

 私の記憶では、約25年ほど前から花ミズキは

 庭木として親しまれ、あちこちで見ることが

 できるようになったと思います。特に洋風の建物の

 庭木として調和します。

 近くの県営住宅の庭の花ミズキが盛りを過ぎようとしていました。

 花期は4月~5月です。

 用途は鉢植え、庭木です。

 花言葉は「恋から愛に変わる瞬間」と紹介されています。

 今日はピンクと白の花ミズキを紹介致します。

                県営住宅の庭の「ピンクと白の花ミズキ」

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「愛のうちに歩んでゆきなさい」:愛に含まれない事柄(その1)♪

2018-04-19 00:52:50 | 神の言葉・聖書

 聖書が予告していた通り、現在の社会は終わりの日の対処しにくい危機の時代に私たちは生活しています(テモテ第二3:1)。人々は自己中心的で、「利己的」という言葉はご存知ですが、「利他的」という言葉を多くの方々が忘れている時代になっています。多くの方々は愛に含まれない事柄を抱く傾向が強くなっています。それでも、イエスの残された手本に見倣って、家から家に神の王国の良いたよりの真理を伝道に行き、話し合いをしますと、人間には愛の特質が重要であることに同意してくださる方々もおられ、ほっと致します(ペテロ第一2:21.マタイ24:14;28:19,20.ルカ4:43;8:1)。

 今日からは「愛に含まれない事柄」を聖書から紹介致しますので、ご自身の生活の中でこの特質を心に抱くことが無いようにご注意してくだされば幸いです。

1.「ねたみ」(コリント第一13:4):正しくない「ねたみ」を抱くと、他の人が持っているもの、例えば所有物や祝福や優れた能力をそねむようになりかねません。そのようなねたみは利己的で破壊的な感情であり、制御しないなら、職場や学校や地域やクリスチャン会衆内で平和を乱す誘因になりかねません。「そねみの傾向」を抑えるのに何が助けになるでしょうか(ヤコブ4:5)。一言でいればそれは「愛」です。この貴重な特質の愛を培っていれば、自分にはない何かの生活上の便宜に恵まれているかに見える人と共に歓ぶことができます(ローマ12:15)。並外れた能力や抜群の業績などのゆえにだれかが称賛される場合も、愛があればねたみではなく、共に称賛することができるでしょう。「ねたみ」は「肉の業」であることを忘れないようにしたいものです(ガラテア5:19、20)。

2.「自慢し、思い上がる」(コリント第一13:4):愛のある人は、自分の才能や功績を自慢しません。神エホバの教えの「公正を行い、親切を愛し慎みをもって」私たちの神エホバと共に歩みます(ミカ6:8)。他の人を愛しているなら、職場や宣教奉仕における成功やクリスチャン会衆内の特権を何かにつけて自慢すことなどどうしてできるでしょうか。注意しないと自慢話は、他の人をがっかりさせ、劣等感を抱かせることになるかも知れません。愛があるなら、仕事や学業や奉仕において神エホバが行わせてくださっている事柄に関して思い上がり、自慢することはないでしょう(コリント第一3:5~9)。さらに、「愛は思い上がらず」(コリント第一13:4)とある通り、自分の重要性に関してうぬぼれた考えを抱くことがありません。愛があれば、自分について高ぶった見方をすることがないので、今日ニュースで見られるような、決して特権を乱用することもありません愛の人は、他の人が自分より上であると考え、他の人の益を優先する利他的な生き方をし、謙遜です(フィリピ2:3,4)。愛の人は、いつでも人を築き上げるのに良い言葉を語ります(コリント第一8:1)。

 次回も、愛に含まれない事柄をお伝え致します。引き続きお読みくださり、愛の内に歩み、快い道、平安の道、命の道でありますように願っています(箴言3:17,18)。

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       緑の葉 優しく包む 白ツツジ 今日の一句

                   生垣の「白花モチツツジ」

 

 

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