愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

荒れた農業用水池のホテイ草の花と梅の実♪

2022-06-11 23:11:53 | 四季折々の花々

 私の住む近くには農業用水池があるのですが、

農業の後継者がいなくなり、池がすっかり荒れて水面は

ほとんど草で覆われています。その池にはホテイ草

沢山あり、丁度この時期に荒れた池の草の隙間に

花を咲かせています。

 私が帰郷した当時は池が管理され、鴨やおしどりが

休みに来ており、かつホテイ草の花が奇麗なので

街の人たちが見学に来られていましたが、今は様変わりで

残念です。

 今日は荒れた農業用水池のホテイ草の花と梅の実を紹介致します。

1.6月11日の荒れた農業水池のホテイ草の花

 

 

 

 

 

    池は写真のようにほとんど伸びた草で覆われています

2.6月11日の農道横の梅の実(収穫されず、色が付き始めもったいないことです。下に沢山落下していました)

 

 

 

 

 

 

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神エホバがモーセを通し民に告げた、神に特別な誓約をし生活する場合の規定♪

2022-06-11 22:53:07 | 神の言葉・聖書

 神エホバはモーセを通し民に嫉妬に関する律法を明らかにし、告げておられました。神エホバはモーセを通し民に、神エホバに特別な誓約をし生活する場合の規定を次のように告げられました。

エホバはモーセにさらにこう言った。「イスラエル人に告げなさい。「男性でも女性でも、特別な誓約をしてエホバとの関係でナジルとして生活する場合、ぶどう酒などの酒を避けるべきであるぶどう酒などの酒からできた酢を飲んでもならないぶどうから作ったどんな飲み物も飲んではならず、生でも干した物でもブドウを食べてはならない。ナジルである間はずっと、熟していない実も皮も、ブドウのつるにできる物は一切食べてはならない

 ナジルの誓約が続いている間はずっと、頭にかみそりを当ててはならないエホバのために取り分けられている期間が終わるまで、髪の毛を伸ばしておくことによって聖なる人であるべきである。エホバのために分けられている間はずっと、死んだ人に近づいてはならない父、母、兄弟、姉妹が死んだとしても、自分を汚してはならない神との関係でナジルであることを示す髪が頭にあるからである。

 ナジルである間はずっと、エホバにとって聖なる人である。しかし、誰かがそばで急に死んだために、神のために分けられていることを示す髪を汚したなら、清いと宣言される日に頭をそらなければならない。7日目にそるべきである。8日目に、ヤマバト2羽か若いイエバト2羽を会見の天幕の入り口にいる祭司の所に持っていくべきである。祭司は1羽をの捧げ物、もう1羽を全焼の捧げ物とし、死んだ人に関するその人の罪のために贖罪を行う。その日、その人は頭を神聖なものとしなければならない。そして、ナジルとしての日数だけ再度エホバのために分けられた人ならなければならない。また、1歳未満の若い雄羊を有罪の捧げ物として持っていく。ナジルとしての立場を汚したので、以降の日数は数えられない」(民数記6:1~12)。

 以上の聖句に示されているとおり、イスラエル人は神エホバに特別な誓約をし、ナジルとして生活する場合はブドウのつるに実るものは皮も食べてはならないと規定されていました。ナジルの生活は聖なる人とさだめられていましたので、身内の人が死んだ場合でも触れてはならない、と規定されていました。

 引き続き神エホバはモーセを通し、ナジルに関する律法を与えておられますので、次回にお伝え致します。

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    梅の実の 落下の多し 道辺あり 今日の一句

 

          宇和島市和霊公園の噴水

 

 

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中学1年生の時、理科の先生に俳句を教わった思い出♪

2022-06-11 19:36:33 | 思い出

 中学生になると、小学生の時の「算数」が「数学」となり、胸の高鳴りを感じたもです。同時に「英語」や「理科」や「社会(含む歴史)」も学ぶようになりました。さらに、国語の時間がとても楽しく、部活も楽しいものになりました。

 中学1年生になってしばらくして、理科の先生に放課後、「俳句」というものがあり、俳句の詠み方を教えてくださいました。俳句を詠むには「季語」を覚える必要があることと、「五、七、五」の計17文字の最も短い詩であることを教わりました。それまでは俳句とは何かを全く知りませんでした。理科の先生は俳句が趣味だったのかも知れません。 

 俳句の詠み方を教わると、何だか自分でも俳句が読めそうな気がして、俳句を詠んで先生に見て頂くと、俳句になっているとのことでした。早速、俳句を詠んで、当時、中学生が読む「中学生コース」という雑誌に投稿しました。驚いたことに、私の投稿した初めての俳句が全国の「特選」に選ばれ、雑誌に掲載され、賞品としてアルバムまで頂きました。「あれ~、自分でも俳句が詠める」と、思いそれ以来俳句を詠むようになり、地方新聞の文芸欄に投稿すると、採用され新聞の俳句欄に掲載され、謝礼に映画館の入場券を頂きました。定期的に映画を楽しめたのもとても良かったです。

 理科の先生に俳句を教わったおかげで、俳句を趣味の一つとし、今に至るまで日々楽しんでいます。後にエンジニアの道を歩むようになりましたが、趣味の俳句を通し、花々や昆虫や動物たち、自然界を観察する習慣が身についており、身の助けに大きく寄与しました。とういいますのは、そうした観察眼から、エンジニアは自然界に供えられている諸法則・神の備えの法則の利用活用させていただいていますので、美しさや秩序正しさを学び、応用できたのです。神の法則の備えの学びには終わりがありません。ですから、理科の先生との出会いで、俳句の詠み方を教わったことに深い感謝の念を抱いています。

 郷里に帰り、今でいう「テレワーク」、当時は「在宅勤務」でのお仕事をさせて頂くことになり、いつもNHKのラジオ番組を楽しみながらの仕事でした。当時、そのNHKのラジオ番組に「ラジオビタミン」という番組が、視聴者の俳句や詩やエッセーを紹介していることを知り、俳句や詩やエッセーを投稿しておくと、長い間紹介して頂き、とても嬉しい経験をさせていただきました。

 この経験から自分の専門分野以外の絵や文学や書やスポーツやカメラ等々の趣味を持つことは、新しい発見があり、人生の幅を広げ、楽しい人生を歩むことができ、幾つなっても喜びの多いものになることを学びました。

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    カマキリの 子供車に 乗りており 今日の一句

 

     車のボンネットに乗っていた「カマキリの子供」

 

 

                

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